第三幕-5
6月6日のザールリンゲンは大雨であった。誰もが傘をさし足早に屋根の有る所に駆けていった。
だが、警備の衛兵達は傘をさせず、全員が冷たい雨水を受けながらうんざりした顔を浮かべていた。
「冷水シャワーか、久し振りだな…」
そんな天気の街の路地に傘の無いトップハットに黒いコートの2人の男が縦並びに歩いていた。
「全部流れるから丁度良い…」
後ろを歩く男へ前の男が声を掛けると、2人は黙って路地を進んでいた。
別に彼等は目的地無しに、雨の街を歩いている訳では無かった。彼等は商店街の裏路地から、掌程の大きさの地図を出しては目的の店を探した。その視線は、衛兵の格好も観察しており、同じ組織でもそれぞれが異なる鎧を着ていた事を確認すると、足取りが少し軽くなっていた。
「ダニエルよ、これなら話通りばれないんじゃないか?」
「ゲオルグ…潜入なんてやっぱり無茶なんじゃないか?そもそも全員が顔馴染みとかだったら…」
歩く2人の先頭はダニエルであり、後ろのゲオルグが彼の言葉に反応すると手を伸ばして彼の肩を叩いた。
「決めただろ…それに、やらなかったらいつか後悔する。"あの時やれば良かった"って。"人生違ってたはずだ"って」
ゲオルグの行動に、ダニエルは肩から手を払うと溜め息共に頷いた。
「確かに、俺達は待ってたのかも知れない…何かを起こせる日を…」
「それが今日って事さ」
2人が周りに視線を向けても大抵の窓は木戸が閉めており、彼等を見る者は1人しか居なかった。
雨の路地をひたすら歩き目的地の裏口に着くと、1人の鎧姿の男がいた。鎧と言っても簡素な革鎧であり、傘ではなく剣を持って戸口の前に立っていた。装備や身振りから、彼が間に合わせで投入された素人警備員である事を確信すると、2人は出来るだけ首を動かさず周りを改めて確認した。
確実に警備員が1人しか居ない事を確認すると、彼等はポケットからサングラスを掛けその警備員の前へと歩みを早めた。彼は自分に近付いて来る2人に警戒したが、丸腰の男と解ると再び姿勢を正した。
とはいえ、サングラスを見たことの無い警備員の男は、目元の黒い2人が前を通る直前には警戒の視線を2人に向けた。
その視線は先頭のダニエルへ向き、彼がコートのポケットに手を入れている事に気付くと、慌てて剣を掴んだ。
「取れよ!」
そう言ったダニエルは、素早くポケットから一握り分の金貨を警備員の顔に撒いた。
当然、彼は礫でも無く金貨を投げられた事に一瞬驚き、後ろに迫るもう1人への対応に遅れた。
彼は警備の背後に立ち、右手を目元を通るように警備の左耳に掛け、左手で頭を固定した。そして、コートの男はその手に目一杯の力を掛けて、時計回りに勢い良く捻った。
「うぐっ!」
首もとから鈍い音させ、口から息を漏らすと警備は膝から崩れ落ちた。
「間抜けだな…滅茶苦茶怪しい2人組だろ、警戒解くなよ。でも、死んでも気付かれないってのは嫌だな。ダニエル…俺は叫んで死にたい」
「ゲオルグ…馬鹿言ってないで、早くやる事やれよ」
ダニエルが黒いコートを脱ぐのを横目に、ゲオルグは落ちた金貨を広いながら、鼻から血を流す警備の死体を担いだ。彼等の立てる音雨の音で掻き消され、流れる血は雨水で流された。
ダニエルがコート下に来ていたのは、革鎧だった。警備の男が着ていた物とは異なるが、傍目に見れば死体となった警備員より様になっていた。ただ、彼の腰に巻く雑嚢は少し目立つように膨らんでいた。
「俺だって不安だよ…本当に信じられるのかさ…」
「何か言った?」
路地を歩いていた時の煽りと真逆なゲオルグの呟きに目を見開いたダニエルは、何も聞こえ無かった事にして敢えて疑問を言った。
「いやっ…金貨は貰ったって言ったの!」
疑問を誤魔化したゲオルグがその場を去ろうとした時、彼は肩の死体から剣を鞘ごと取ると腰に巻いて裏口に入った。
建物の裏口は倉庫に繋がっていて、中には3人の警備がいた。だが、扉の位置のが大きな棚によって死角となっており、ダニエルの侵入には誰も気付かなかった。
棚の隙間から他の警備を確認すると、全員がバラバラの鎧を着て、親しい空気が無いことを確認した。そのまま彼は倉庫の出口に敢えて堂々と向かった。
「どうした?小便か?」
「そうだよ…寒くて冷えたよ。手洗い何処だっけ?」
「扉の通路の右奥だ。壁が薄いから、あんまりでかい音立てんなよ」
扉に向かうゲオルグはヘルムを目深に被っていたため、顔や格好を指摘される事はなかった。更には、堂々とした会話で、彼等へ誤魔化しながら扉を出る事に成功した。
他の警備達の言うとおり、廊下の薄い壁からは商店の中の客の声が聞こえた。
「平和なもんだな」
そう呟くと、ゲオルグは右奥に進み廊下を確認した。
細い廊下には2ヵ所の扉が有り、1つは倉庫への扉の近くにあった。壁から漏れる以上に騒がしい音が聞こえていた。更に奥にはトイレの扉があり、廊下は予想より長かった。
そのトイレ側の壁に幅の広い階段があり、ダニエルの目的はその先にあった。
「話と違う…訳じゃないか…」
廊下の状態に嘆くと、彼は深呼吸をしながら意を決して階段に向かった。
「あら?警備員さん、こんな所で何を?」
そんな決意を打ち砕く様に、階段上からウマ系獣人の老婆が彼に声を掛けた。突然の遭遇にダニエルの脳裏に力で捩じ伏せる事が過った。
「外に不振な人物を目撃したので報告しようと」
「あら、それは大変!でも店長は今出掛けてるから、書き置きでも書いとけば大丈夫よ」
「それ…だけ?」
「だってあれでしょ?今暴れてる人達って南の人なんでしょ?嫌んなっちゃうわ、あっちの人って乱暴で」
会話で脳裏の思考を押し潰した彼は、彼女の気軽な対応に表情を驚きで崩し掛けた。だが、それよりは先に老婆は下に降りて行くと、ダニエルは頭を振った。
「笊にも程がある…」
呟いた彼は上階の店長室と書かれた部屋へノックをした。その形式的な行動に反応が無いと、彼はノブを回し部屋へ入った。
機能性より派手さを優先したその部屋の安全を確認すると、ダニエルは腰の雑嚢から紐の付いた茶色い棒を数本取り出した。見るからに爆薬な束の紐にアナログ時計の付いた装置を巻き付けると、彼は部屋の中で目立たず出来る限り爆発が派手で被害の少ない場所を探した。
ダニエルは部屋の正面に面する窓の隣にあった棚の後ろに束を滑り込ませた。
「恨みは無いが、国の為だ」
そう言うと、彼は革鎧に隠した腕時計で装置の時計を修正し、スイッチを押して完全に見えないように押し込んだ。
適当な報告を書き上げ部屋から出て、階段を降り倉庫に向かいダニエルは外へ向かおうとした。
そんな彼の前に、3人の警備が立ちはだかった。
「おい、お前。その腰の袋何だ?さっきより小さくなってるぞ!」
「妙に遅かったしな。何してた」
「何か不自然だしな。そんな鎧着てなかった気もする」
3人の追及に、ダニエルは少し焦った表情をを浮かべると、諦めた表情で膨らむ雑嚢に手を入れた。その動きに警備員達は警戒しながら腰の剣を抜こうとした。
「戻る途中で、婆さんが通りかかってさ。"頑張って"ってこれくれたんだよ」
そう言いながらゲオルグが取り出したのは、3本のビール瓶だった。
「小さく見えるのは光の加減だろ?変な突っ掛かり止めろよ分けてやんないぞ!」
彼がそう言うと、3人は慌てて瓶を引ったくる様に取り、栓を開けてこっそりと中身を飲み始めた。
「何だそういうことか!婆さん話すと長いからな仕方ない」
「人が悪いなお前。でも、まぁ、悪かったな!」
「お前は良いのか?」
「もう飲んだよ」
態度を変えて謝る3人に、ダニエルは軽く手を振り裏口へ向かった。
裏口の扉を開けて彼は外に出て、後ろ手に閉じ軽く周辺を確認した。妙な達成感と未だ背中に刺さる緊張感で、ダニエルは思わず笑みを浮かべていた。
その笑みを自覚し、浮き足立つ自分に緊張というより恐怖を感じると、彼は早足を必死に止めて路地を歩き出した。
コートの上から鎧の留め具を外し、体を滑らせ道の端に蹴飛ばすのを繰り返していくうちに、彼の心に考える余裕が出来ていた。
彼はその間、心の底のその場を急いで離れたいという感情と、普段通り歩こうとする体の差にむず痒さを感じた。
「あー…でも、これはこれで良いかもな。簡単だったし」
「お前、工作のプロフェッショナルか?」
潜入した店から離れた安心感に呟いたダニエルの横で、突然現れたゲオルグが指摘するように言った。その手に持っている革鎧の肘宛に唇を噛むと、ダニエルは静かになった。
「今日からなるよ」
雨音で消えるくらいの声で彼が言うと、2人はしばらく黙って歩き続けた。
「結局…信用度出来るのかな?」
「良いんじゃないかと思う…俺は捕まってないし。ただ襲うより刺激的だ」
「変な趣味に走るなよ」
彼等はこじんまりとした喫茶店に入った。
「あら、時間より3分早いですわね」
「言ったでしょう。所詮地方の警備はこの程度…例え近くで惨状が撒き散らされていても」
テーブルに座っているのは、工作班の3人と1人の人物だった。
座高が高くない事からその人物の身長は、スラッガーのラーレより低くヴァレンティーネより高い中背に見えた。
とはいえ、整った顔は女の様に美人であり、格好は男装の為の性別が解らなかった。性別は例え魔族でも重要な判別方法であり、その姿は今後敵対した場合の追跡を困難にする要因だった。
「どうでした御二方。警備は笊だったでしょう?」
「まぁ、そうですね」
「殆ど露払いで爆弾設置はしてないじゃん!」
朱色の髪の人物に尋ねられると、工作作業をしてきた2人は感想を述べながらコートを脱いで席についた。
「まぁ、ある程度なら信用しますわ。それで…あなたは我が商会とどのような取引を御望みで?」
話を進めようとしたヴァレンティーネを受け流し、朱髪の人物はカップの中身を1口飲んだ。軽く1息ついても話し出さない事に、ヴァレンティーネは目を閉じて肩を竦めた。
「昨日の昼間に突然現れて、やい"話がある"だの"取引しよう"だのと…こちらは、あなたが何者か所か男が女かさえ…」
「まぁ、覚えて無いのも無理も有りませんか…あの時貴方は盛大に暴れてましたから…」
ヴァレンティーネの言葉はその人物に遮られた。
「あなた、班…お嬢様と会った事が?」
「となると…私の勘では、貴方は女性ですね」
遮った彼女へ、ユッタとラーレがそれぞれ意見を言った。
「しかし…こんな人目に付くところで作戦会議とは。随分と度胸のある事で」
「下手に隠そうとするから探され、そしてばれるのですわ」
「なら、やはり協力する価値は有ると思いますよ。私達の企画には…」
ヴァレンティーネを使い話を本筋に戻した彼女は、足元の鞄から書類を出した。彼女の置いたファイルには何も書かれておらず、開けたら最後とその表紙が主張していた。
自分達の今後を左右する目の前の品に、工作班全員が尻込みしていた。
ヴァレンティーネは沈黙し、朱髪の彼女はただ静かに見詰めるとだけであった。その止まった空間で、沈黙に耐えられなくなったゲオルグは全員に視線を向けた。
「やるか?」
「やらない?」
「やる?」
「やらないの?」
それぞれがお互いに意見を求める中、ヴァレンティーネが額の目4つ開いた。その視線は朱色の彼女へ言葉を求めており、彼女はカップを置くとテーブルの上で手を組んだ。
「確かに…この企画は危険かもしれません。しかしながら…貴女方には素晴らしく刺激的で、お互いに利益が有る事です」
彼女の言葉は明確な自信に溢れ、その瞳はそれに揺るぎが無いと主張していた。
そんな彼女の主張に、ヴァレンティーネはテーブルの灰皿を取り、自分の鞄からメモ紙を数枚とマッチを取り出した。
「何を?」
「没の計画です。これと1番の物で改良しようと思ってましたが…余計な物は焼き尽くさなきゃ、計画がばれましてよ。熱っ!」
朱髪の彼女の疑問に、メモ紙を焼きながら言ったヴァレンティーネは灰皿へメモを捨てた。赤い炎を上げて燃えるメモ紙を見詰めて、彼女はファイルを開けようとした。
だが、その手はゲオルグによって止められた。
「任務なんだぞ!遊びじゃない!」
声一瞬荒らげた彼は、周りを軽く確認しながらボリュームを落とした。
とはいえ、彼の任務という言葉は全員の意識を揺さぶった。彼女達の本来の目的は帝国の抱える戦線を減らすという重要な物である。
「"あの時やれば良かった"って。"人生違ってたはずだ"とか言ったのは誰だっけ?」
「聞くだけの価値は有りますよ」
「人手が有れば、もっと劇的かつ派手に出来る」
ダニエルの言葉に、ユッタとラーレが続くと、もうゲオルグに否定する言葉は出なかった。
「やってやろう」
ただそう呟くと、彼はヴァレンティーネから手を放した。全員の決断に頷くと、彼女はファイルを開けた。
「時間も無い事ですし、改めてそちらの計画と擦り合わせを始めましょうか…私達の"ガルツの宵"との」
彼等が店を出るまで、雨は止まなかった。