第三幕-1
ライラント=シュパルツ州の州都であるマイレンツは、コブアーの左下に位置する近い都市でありながら都会と田舎程、栄え方に差があった。コブアーは日が落ちると多くの店が閉められ、辺り1面薄暗くランプを携行しなければならない程だった。
コブアーの人口が少ない事や、産業が林業と酪農というのが大きな理由だが、マイレンツが栄えるのには南方勢力の力が大きな理由だった。ガス灯や店から漏れる明かりによって、復興した帝都と比べてもマイレンツは眠らない街と言えた。
「薄っ!これでコーヒーかよ、ツェーザルが淹れたのより酷いぞ!」
そんな街の寂れた宿で、ゲオルグが悪態を付いた。
「湯でも混ぜて薄めたんだろ。それぐらいで文句垂れるな…俺なんて、マイレンツの肉料理期待してたんだぞ…」
「言わないでくださいよダニエルさん…でもアイントプフなんて訓練生以来ですよね」
「私、ブルートヴルストって食べてみたかった…」
「俺達…かなり良い生活してるのかもな。文句言ってた糧食の方が良く感じるよ」
悪魔とハッグ、フォーンにフルドラの4人が悪態を叩きながら、硬いパンと深皿に注がれた具の少ないしスープで夕食を済ましていた。彼等の周りには柄の悪い男達が食事を取っていたが、彼等は誰1人その集団に近づこうとこしなかった。彼等からすれば作業着の若い男女4人等は良い鴨であり、適当な理由を着けて突っ掛かり金と女を巻き上げるのがいつもの流れである。
そんな彼等でさえ、男女から流れ出す異様な空気に二の足を踏んでいた。彼等の見た目や行動は殆ど一般人と変わり無かったが、節々には明らかに隠しきれない殺意の印象を与えており、目線の端には冷たい警戒心を撒いていた。
「貴方達、そんな風にしてたら普通の商人に見えませんわよ」
そんな冷たい空気の中に、1人の少女が歩み寄ってきた。
彼女はドレス姿の節足族のクモ少女であり、真っ赤なドレスは少し背伸びした子供の様な感覚を与えた。だが、怪しく輝く8つ瞳に優雅な身振りは、不思議と令嬢のような印象を与えた。
ヴァレンティーネの姿を見た4人は、直ぐに立ち上がり敬礼しようとしたが彼女に片手で制止された。
「だから貴方達…私達はただの商人でしてよ!商人が小娘に対して起立も敬礼もするものですか」
「本当の商人がただの商人なんて言いますかね?」
ゲオルグの皮肉に彼女は肩を竦め呆れ顔で席に着くと、目の前のコーヒーカップを摘まみ1口飲んだ。
「何ですのこれ…本物の泥水より酷いですわ。薄めた泥水でしてよ…」
「少尉…じゃなかったお嬢様。泥水じゃなくてコーヒーですよ」
眉間にシワを寄せ、全ての目で不満を示し、ヴァレンティーネは口に含んだコーヒーに文句をつけた。そんな傲慢な令嬢気分を味わう彼女に、ダニエルと呼ばれたフォーンの男は訂正をした。
「私安い豆は泥水と考えてますの。何より、紅茶の方が好きなのですわ」
本気で商人を演じようとする彼女に、工作班全員の口元が弛むと、軽く笑ったヴァレンティーネがテーブルに鍵を2本置いた。
「取り敢えず部屋は取りました。男女別で1部屋ずつですのよ」
テーブルに部屋の鍵を2つ置くと、彼女は首を回しながら軽く肩を叩き始めた。
「1仕事終わって気が抜けるのも解りますが…一応任務中なのでしてよ。随分と簡単ですけど」
「解ってますよ。それより…この書類はどうします?」
ヴァレンティーネの注意を軽く聞き流すと、フルドラが発言し工作員全員がテーブルの中央に置かれる書類に視線を向けた。
そこには封筒があり、1枚だけ出された書類には"6月7日の西方議会の緊急召集について"と書かれていた。
「あの貴族…ビュー何とか卿は無視した方が良かったのではないですか?かなり厄介な事になったのではないかと?」
ハッグの少女は天然パーマの茶褐色の髪を手櫛で数回鋤くと、そばかす混じりの頬を掻いた。
「ユッタ…貴方何を言っていますの?あの総統に仇成し民を苦しめるウジ虫達を駆除したお陰で、予定より1日早くマイレンツに着いたのですよ。それに、早速偽旗攻撃が出来ましたでしょう?」
「文字刻んだり、看板掛けた時はすっきりしたな」
ハッグのユッタの発言に、ヴァレンティーネとゲオルグがそれぞれ過激な意見を言うと、テーブルに一時の沈黙が流れた。
「私達は行商人ですわ。なら、折角ですし会場まで商品を売り付けに行かなければなりませんわ」
静けさを破るヴァレンティーネの一言で、全員が不敵に笑った。
「私達の地獄行き片道旅券は質が良いですから」
「ラーレ…流石にあの騎士にやった事はやり過ぎだと思うよ…」
「おいおいユッタ。彼奴らは人語を喋る害獣だ。駆除できて、他のが出てこない様にするのは良い事だろ」
「ゲオルグ軍…ゲオルグさん、俺達は野蛮な暴力集団じゃないんですよ。どのみち死ぬなら楽に死なせてあげるのが優しさですよ」
それぞれが思い思いに意見を言い始める中、ヴァレンティーネが軽く手を叩き発言を止めさせた。
「黙らっしゃい貴方達…とにかく、方針は纏まりましたわ。今夜はここでもう1売り込みして1泊。明日からまた移動しながら訪問販売でしてよ」
彼女の方針に、ダニエルがテーブルを2度叩き発言許可を求めた。
「それで、この行商の最終目的地は何処なんですお嬢様?」
その質問に、満足気に全ての腕を組むと彼女はふんぞり返った。
「13日後の帝国最西方、フェルラントはザールリンゲン!地方議事堂ですわ!」