幕間
親衛隊本部のカイム執務室は窓が開けられ、帝都の夜景が良く見える部屋であった。中心のシュトラッサー城も楽に見える高さであり、帝都市民がいつか招かれてみたい部屋の1つでもあった。
その部屋の机の前に座りタイプライターを打つ部屋の主は、街の明かりに反比例して暗かった。
「負けるかも知れないのに…攻勢作戦の概要なんて書いて意味有るのか?」
カイムには独り言が多いという欠点があった。それは大勢がいる時には勿論しないが、たった1人になると頻発する人間の頃からの癖だった。その癖は現在通常の3倍の量話しており、彼自身でさえ頭が禿げるのではないかと思える程だった。
「グライフ作戦は悪手だったか?やっぱり防衛に徹して、賭けに出るべきじゃ無かったか…仕事の多さで考えを誤った何て言えないしな。投入した人材も貴重過ぎたし…」
親衛隊総指揮官と、いつの間にか5月24日付けでカイムは国防軍の総指揮権がアポロニアから譲渡されていた。
カイムは今まで以上の権力を得た反面、仕事の量が倍になり、余裕の2文字が無くなっていた。その為に愚痴の様な独り言が増え、頭を抱える事が大幅に増えた。それだけでなく、実行中のグライフ作戦も悩みの種であった。
作戦では隠密性と数の少なさを考慮して、交渉班と工作班には大型の長距離無線機ではなく、小型の短距離無線機しか渡せなかった。
それ故に、計画での成否はアマデウスかヴァレンティーネが無線の送信可能半径まで戻らなければ解らないという状態である。長距離無線機を最前線に全て配備した事を後悔しつつ、カイムは遥か西で作戦中の全員を心配していた。
そんな心配で心が折れかけたカイムは、別な事を考え気を紛らわそうとした。彼はカイムになるより昔の事を久し振りに思い出そうとした。
「異世界って言ったら…賢者の孫だったり、凄い魔法使える骸骨だったり、スライムで無敵だったり、美人エルフの為に何回も死んだり、女神とか爆裂魔法とかクルセイダーとか、盾で勇者で女の子に囲まれてたり、スマホでハーレムだったり…憧れてたのにな…」
そんな彼が思い出したのは、嘗ての見ていたアニメや小説の類いだった。だがそれは思い出す程、自分の力の無さや活躍の無さ。英雄としての派手な力の無さに虚しさを感じた。
少なくとも、彼が英雄として成り立っているのは全て過去の世界の記憶頼りであり、それが彼をより一層虚しくした。
「あんなの所詮幻想だよな。オタクの現実逃避だよ。そもそも危機的状態なんだからこれぐらいが普通だよな。だいたい勇者連中が虐殺なんて酷い事するんだしな…」
自分の今の境遇を知ってる限りの異世界と比べ、彼は世知辛いと感じた。
だが、何も無くても頼ってくれる部下達の為を思うと、彼は再びタイプライターを打ち始めた。
「文明が有るだけましか…マヌエラさんにレナートゥスさんが居なかった、もっと破滅に近かったし…出来る限り何とかするしかないか」
そう言うと、カイムはタイプライター横に置かれた報告書を手に取った。
その報告はマヌエラ率いる兵器実験場から送られた物であり、A4の教科書程の量があった。その報告書が無ければ、カイムはもっと愚痴を言っていた筈だった。
「素人操縦士でも1小隊も有れば状況を打開出来る…」
ブラインドタッチで部屋に機械音を響かせながら、目の下の薄いクマを擦った。
「ラインの守りが成功すれば…ザクセンの初撃さえ防げれば、帝国は夏の目覚めを向かえるんだ」
「夏はもう少し先だと思いますよ、閣下」
「何だ…ギラか…」
独り言を呟くカイムの真横に、いつの間にか入室していたギラ立っていた。
彼女の突然の登場に全く動じなくなったカイムは、彼女に何処まで独り言を聞かれたか内心焦り始めた。
「独り言くらい気にしなくて良いですよ。私はそう言うと所も好きですよ。話すより聞くのが好きなので」
焦るカイムの心を見たのか、彼女はいつも通りな態度で執務机にコーヒーを置いた。
「何時から居たんだい?」
「入室許可を求めても返事が無いので入ったら、"ザクセンの初撃さえ防げれば、帝国は夏の目覚めを向かえるんだ"って言っていたので新しい作戦かと思って」
ギラの説明に、カイムは嘗ての記憶が知られていない事に安心すると、カップを手に取った。
「君の立場も有るから入室について制限は無いが、書類の覗き見は良くないと思うぞ」
彼女に心を見られても良いように、カイムは安心より叱責の為の怒りに流れる様に切り替えた。
「すみません」
「まぁ、秘書兼参謀だしな…言い過ぎた」
思っていたより反省する彼女にフォローを入れると、彼は作業を再開した。
「アマデウスさん達は、今頃コブアーに着いた頃ですかね」
「そうだな…」
隣に立ち作業を眺める彼女の言葉に、彼は不安げに答えた。
「きっと大丈夫ですよ。アマデウスさんは口が回りますし、護衛のブリギッタさんは強いです。あの小娘達の工作班は腕が立ちますから、きっと大成功ですよ」
明るく励ます彼女の言葉に、多少気分が晴れるとコーヒーを1口飲んだ。
「そうだな」
明るい口で彼女に返したが、カイムは直ぐに作業に戻った。
目にクマを作り、体質的に大丈夫とは言えど不眠不休で働き詰めの彼を不安に思ったギラは気晴らしさせようと、静かに作業を続けるカイムに話題を振った。
「休まなくて、大丈夫なんですか閣下…」
「そうだな」
「目のクマが凄いですよ」
「そうだな」
「コーヒーの味はどうですか?淹れるの上手くなったと思いませんか?」
「そうだな」
相づちばかりでムッとしたギラは、何かを思い付くと不敵に笑った。
「閣下…私、我慢出来ません。抱いてください」
「そうだな…はっ?」
素っ気なく直ぐに返事をしたカイムは、彼女の言葉を理解すると慌てて片手のカップを置いた。
椅子をずらしてその場から逃げようとしたカイムの上にギラは股がると、放さないとばかりに抱き付いた。
「待て、ギラ!私は…」
何とかギラを止めようとした彼の口は、彼女の口に塞がれた。口の中に別な生き物の様に入り込む彼女の舌が、彼の舌を撫でるとコーヒー風味のむず痒い快感が彼の脳を駆け抜けた。
ギラの肩に手を置いて引き剥がそうにも、素人なカイムにその刺激は強力であり、気付けはその両手は彼女をむしろ引き寄せようとしていた。
「23:00で私は非番です。閣下は…いいえ、カイムは上司では無く、私の好きな人です…」
口ので暴れていた舌先が糸を引きながら離れ、普段以上に色っぽく見える彼女の姿はカイムに美しく見えた。
彼女の頭に生える羊角や、気付いた時には全開に成っていた軍服から覗く白い傷痕さえ、彼には艶やかに見えた。
日頃の疲れによって沸き上がる男の欲求を必死に止めようとしたカイムの努力は、上に着ていた物を脱ぎ去った彼女の前に脆く崩れた。
「休むのも仕事の内…ですよ」
ギラの1言が止めとなり、カイムは彼女を抱き締めた。
翌日、親衛隊本部に髪や肌の艶がよく良くなったギラと、初めて寝坊をするカイムがティアナに目撃された。




