第二幕-4
5月も終わりに近づく帝国でも、明け方は寒く上着が必要だった。
そんな朝のオイゲン邸の裏口から1人の少女が現れた。小柄な体躯に厚手の上着に長いスカートの彼女は体の発育が全体的に良くなかった。目鼻立ちこそ比較的大人びていたが、服装を幼くすれば子供と勘違いされ家に戻るよう促されそうだった。
そんな彼女は朝の冷たい風を受け、灰色髪の頭に生える羽角をたなびかせながら、日課としている朝の散歩をしようとした。
「今日も今日とて平凡…んっ?」
当たり前のように過ぎていく日々を思いながら邸宅の塀を沿って歩くと、彼女の目の前に突然非日常が見えた。
「わっ、私はっ…騎士っ史上初めて…一切弁解せずにっ、非を認める…」
「ねっ、寝れなかったんだね…大丈夫だよ、許すよ。たたっ、ただね…御飯より宿だよ…」
「悪かったと思ってる。だから起こさなかったろ…それに、寝たら死ぬと思ったんだ…何もせずに死ぬつもりは無いから…起きて死ぬなら…仕方無いとな…」
少女の前に現れたのは冷え込む外で凍える人の仕立ての良い服を着た2人組だった。
テントの中から這い出た方は黒い上着に白いシャツ、赤いネクタイを締めたこの頃帝国でも見かけないカエル系の獣人の男。テントの外で体育座りしていた方は、首までボタンを留めた灰色の上着にズボン、黒い金属の鋲を打たれたブーツに帽子を被る燃えるような長い赤髪を1つに纏めた吸血族の女だった。
もし2人が町中を歩いていたら、種族の珍しさや女性の美しさで注目を集めただろう。しかし、少女の目の前のアマデウスとブリギッタは別納意味で彼女の視線を釘付けにした。
「それはありがとう…だっ、だけど、もう少し北に行ったらぼっ、僕は死にます…」
「中にまで風が入って来るのか…」
まるで雪山で遭難したかの様に震えクマを作った2人の状態に、塀の影に隠れた少女は猛烈に興味を引かれた。
ジークフリート大陸は戦乱の波が迫っていたが、いたって平和なコブアーに住む彼女には日々の変化が足りなかった。
そんな中で、突然自分の家の直ぐ近くで遭難し凍える身分のしっかりした2人組の存在は、彼女にとって欲していた変化にさえ見えた。
「良い教訓だ…飯より宿。ほらアマデウス、立つんだ。オイゲン卿に交渉する任を終えずには死ねないぞ…」
「誰のせいでこうなったのさ!僕は言ったよ宿が先だって!」
「だから謝ったろ!この馬鹿が、飯だと騒いで悪かったとな!」
そんな変化の大元である彼等会話に自分の父親よ名前が出ると、少女は更に彼等へ興味を引かれた。
(訛り方から、2人は南の人でも北の人でもない…そもそもお父さん南の人達に嫌われてるし。でも荷物も少ないから東の人ではないし。ならあの2人は帝都の人?)
彼女は寒さを忘れるためにやたらと動きを大きくし、軽く言い争いながらテントをたたむ2人を見ながら考えた。
(姉さん達はまだ寝てるだろうし…お父さんの問題は一族の問題だよね)
羽角の少女はオレンジがかった瞳を好奇心で輝かせ、自分の行いを正当化すると2人に笑顔で近づいて行った。
「おはようございます!」
相手に敵意を懐かせない様に、彼女は明るい声で挨拶を掛けた。だが、2人は言い争いを沈静化させ今後に不安を感じ気まずくなっている途中であり、彼等の心境からすると彼女の判断は逆効果だった。
端から見れば怪しさの塊と自覚していた彼等は、突然に見知らぬ少女にこんな早朝で挨拶をかけられた事を不審に感じた。
「おっ、おはよう…ございます…」
「おはようございます」
寒さに耐え眠れずにいた2人は感情を隠す事を忘れ、目の前の少女へ露骨な不審を示した。それでも挨拶だけはきちんと返すと、自警団や街の衛兵で無い事に安心した2人はテントをしまう作業に戻った。
「えっ、あのっ!それだけですか?」
「それだけも何も…」
「挨拶されたら返すのは常識だしな…」
オイゲンには3人の娘がいて、彼女はその3女だった。だからこそ、羽角の少女は自分にある程度の知名度が有ると考えていた。
だが、その考えはテントをたたむ2人の反応に打ち砕かれた。その衝撃に彼女は少し焦ったが、最初の印象を悪くしないように平静さを取り戻した。
「そっ、そうですね。変な事を言いましたね失礼しました。所で、御2人はここで野宿ですか?」
当たり障りの無さそうな、見たままを敢えて聞く事で会話を始めた彼女だったが、質問された2人は疲れた顔のまま作業を終わらせた。
「本当なら、こんな通りで寝る予定なんてなかったけどね…宿がね、無かったんだよ」
「夜遅くでなければ宿部屋くらい…」
「私が…食事を優先してしまったんだ。まさかあれだけ時間が掛かるなんて思わなかったんだ…そうでなければ今頃は凍えて無い」
アマデウスの投げにに更に問いかけ彼女は、ブリギッタの嘆きに苦笑いしか出来なかった。
だが、この返答は彼女に2人の素性を考えさせるヒントとなった。
(旅で宿より食事を優先する…つまりは旅慣れてない。その上で身なりの良い旅人なんて普通じゃ有り得ない…やっぱり帝都から来た皇女の関係者?)
ブリギッタの食事にがっついて判断を誤ったという事実で、彼女は2人の正体を殆ど推測しきった。
ただ、彼女は2人の現状の間抜けさとも不自然とも言える姿に自分の推測が信用しきれなかった。
「2人は新婚さん…には見えないですね。コブアーには旅行ですか?」
少女も流石に質問を急ぎすぎたと感じた。そして、その感覚は正しかった。アマデウスとブリギッタはお互いの顔を見合わせると、彼女に詰め寄った。
少女は自分の発言に後悔し、迫る2人に身構えた。父親を狙う暗殺者等だとしても、ただ連れ去られる訳にはいかないと考えたからだった。
「少女よ。私達はオイゲン卿の元に行きたいのだ。しかし、私達も細かい場所が解らないんだ」
「もし良かったら…僕達に御屋敷の場所を教えてくれないかな?」
だが、迫る2人が身構えた彼女に放ったのは、ナイフでも無ければ間の抜けた質問だった。
オイゲンの屋敷が隣にあるというのに迷子になり、そのオイゲンの娘に屋敷の場所を尋ねるという状況に彼女は目が点になった。
「えっ、場所を…ですか…?ここですよ」
凍えて迷子になっている状態の2人に、思考の止まっていた彼女はつい答えてしまった。はっとした彼女は慌てたが、場所を知ったアマデウスとブリギッタは驚きの表情で塀を見上げており彼女の焦りに気付かなかった。
「えっ!じゃあ僕達御屋敷の直ぐ隣で寝てたのか…寝てないけど」
「地図だともっと北に有ると書かれているのに…全く何時書かれたの地図なんだこれは」
「ブリギッタが方向音痴なだけじゃ…」
「何だと!お前だって言っていたじゃないか"もっと北側じゃない?"と!」
再びコントの様な言い合いを始めた2人に、羽角の少女は何故だか好感を抱いた。何となく喧嘩する姉2人の様だと好感の理由に気付くと、彼女は2人を見て少し笑った。
その笑みに、アマデウスは開いた口をつぐみ頭を掻いた。ブリギッタも同様に少し恥ずかしそうに笑った。
「いやっ、見た目は怪しいが悪者じゃないんだ。オイゲン卿に重要な話が有ってな。今後の帝国に…」
「ブリギッタ!それ機密事項!」
聞きもしない事情さえ話すブリギッタを慌てて止める姿は、少女にとって憎めない物があった。その感覚だけは不思議と確信出来た彼女は屋敷の裏口に向けて歩き始めた。
「お父さんは今家に居ません。ちょっと前にビンテルへ行ってます。なので、良かったらその…帝国の今後の話、私に聞かせてくれませんか?内容にも寄りますけど、協力出来るかもしれませんし」
「おっ、お父さん!」
「えっ!じゃあ君…オイゲン卿の娘さん?」
彼女の誘いより、彼女がオイゲンの娘という事実に驚くブリギッタとアマデウスへ彼女ははにかんだ。
「三女ですけどね…でも、そのままビンテルに向かうより、もう1人味方を増やしてみるのはどうですか?」
羽角の少女の提案に、2人は悩んだ。確かに本人にいきなり話しても困る内容なのは理解していたが、出来れば早く本人の言質と書類へのサインが2人は欲しかった。
「御言葉は有りがたいのですが…私達は…」
丁重に断ろうとしたブリギッタへ少女は畳み掛けた。
「お風呂と温かいコーヒーを用意しますよ」
「「是非ともお願いします!」」
一晩寒さに耐えた2人に、彼女の言葉はどんな言葉より1番心に響いた。
2人の反応に笑みを浮かべると、少女は二人を裏口へと案内した。