第二幕-3
帝国の西方の森の道を馬車が1台進んでいた。その道は広く、本来なら多くの商人が今進んでいる小さな馬車より3倍はある物で埋め尽くされている筈だった。
だが、ヒト族の侵略により東方や帝都が最前線となると道は封鎖され、その煽りが今まで続き商人の行き来を低下させていた。
そんな人気の無い道で、ブリギッタは速くもない馬車を操っていた。その顔は不機嫌その物であり、小さな台車に座るアマデウスはその空気に参っていた。
「これ程整地されてないとは…馬車で2日も掛かるなんてな。これならブリッツを無理矢理にでも森に入れるべきだったと思うぞ…」
「ブリッツって…あぁ、輸送車の通称か。駄目だよ。橋から直ぐ森でも、車は目立ち過ぎるよ。それに直ぐ道に馬車駅が有ったでしょ」
「馬より速いし、休む必要が無い。ライトもある。そもそも…移動に丸1日は掛けすぎだ!」
作戦において、ライン川を越えた彼等にエンジンを搭載した車両の使用は許可されていなかった。道で馬もなく台車が動けば、当然人々は驚くし、エンジン音はある目立ってしまう。なので本来なら、アマデウス達は徒歩で2日の移動予定だったが、たまたま見付けた馬車駅で1番安い馬車を借りて移動する事になった。
ライラント=シュパルツ州のコブアーは、帝国が同州の州都としているマイレンツの右斜め下にある都市であった。その上にあるビンテルと比べると山林地帯は少ないが、都市と言うには緑が豊かすぎるとも言えた。
その土地を納めているオイゲン伯爵は、西方でも5本の指に入るほどの精鋭の軍を持っており、西方の軍の管理ではザクセン派や兵員だけ多い貴族より遥かに発言権があった。更に、彼は帝国派であり西方の閑職へ追いやられている為交渉しやすいと考えられていた。
「コブアーか…ここまでは良いとして、問題はこれからか」
「でも、交渉以外は大丈夫そうじゃない?前のデルンと比べれば戦災も無さそうだし、治安も良さそうだし。まぁ、なんか古ぼけて見えるけど」
「それは帝国の復興と発展が早すぎるんだ。レナートゥス殿とマヌエラ殿…だったか?彼等も異常だが、カイムだ。どうやって車だ銃だと思い付くんだ?」
日も落ち始め、ようやく見えて来たコブアーの街に安心した2人だが、雑談を始めたブリギッタの疑問にアマデウスは顔を青くした。
カイムの秘密は帝国において4人しか知らない最重要機密であった。カイムとアマデウスの計画では、親衛隊完成と同時に暴露する予定だった。だが、予想以上の親衛隊の勢力拡大と協力者の増加でタイミングを逃していた。
「死んだ叔父さんが錬金術師で、その技術を使ったって聞いてるよ」
「成る程な…カイムの叔父殿には感謝してもしきれんな」
心臓の鼓動が大きくなる中、震えかけた声を抑え冷静なふりをしてアマデウスは答えた。それに納得したのか、彼女は返事をすると馬車駅に馬を進ませた。駅員が馬に近づきブリギッタから手綱を受け取った。その彼は2人の格好とやって来た方角から、疑心の目を向けた。
「御客さん…コブアーにはどんな用で?」
「観光…という事にしてくれないかな?ニースヴァイセンからは来たけどハールファーに住んでるんだ。解るでしょ?どういう事か…」
ハールファーはニースヴァイセン州の州都であり、その位置は州の南側であった。
下手に帝都から来たと知られたくなかったアマデウスは、いたって平静に嘘を言えた。ブリギッタに対しては、知り合いである故に後ろめたさを感じた。だが、見知らぬ他人なら何の躊躇いもなく誤魔化せる様になった自分の変化に、彼は嬉しくも悲しくもなった。
とは言え、アマデウスの含みを持たせた嘘は駅員を納得させた。彼は南方の影を感じたのか、急いで馬車を運んでいった。
「随分上手い物だな」
アマデウスの対応に、ブリギッタはジト目で彼を睨んでいた。その視線は妹のブリギッテに似ており、彼にカイムがどの様な心境だったが理解させた。
「にっ、任務ですから…」
数日前のヴァレンティーネのセリフを言いながら、彼は視線から逃げるように薄暗くなり始めた町への道を急いだ。
「おい、アマデウス。とりあえず町で食事を取るべきだと思うぞ」
「いや…先に宿を取ろうと思うけど」
アマデウスを素早く追いかけたブリギッタは、アマデウスの隣で提案した。その提案をあっさり否定した彼に、彼女は驚きと呆れの表情を浮かべた。やれやれと言った具合で頭を振ると、彼女はお互いの荷物を目線で示した。
「お互い荷物は最小限…食料は軍支給の戦闘糧食…缶詰料理は温められて旨いがな…やっぱり普通の料理を食べたい」
「ならさ、宿を取ってからで良いじゃないかな?それからゆっくり探しても…」
「何を言ってるんだ。料理店で良い宿の情報を得るんだ。そうすればついでに色々情報が入るかも知れないだろ…宣伝だ外交だと言うのに街の歩き方1つも知らないのか?」
あくまで宿を優先しようとするアマデウスに、ブリギッタは旅なれた雰囲気を出し自慢気に話始めた。
その言葉にムッとした彼は、溜息混じりに反論するのを諦めた。
「まぁ、見ていろ!こういう街では大通りよりちょっと外れた所に良い店が有るんだ」
ブリギッタの言葉通り、2人は良い料理店を見付けた。それに満足していたブリギッタだったが、彼女はコース料理のメインが来る頃に後悔する事となった。
予想以上に料理のペースが遅く、デザートが来る頃には夜もすっかり更けていた。食事が終わる頃には殆どの宿が満室となり、ウェイターに進められた宿でさえ部屋を取れなかった。
「ブリギッタさん…どうするの!」
宿が見付からず、仕方無く目的地のオイゲン卿の屋敷の近くで路頭に迷うアマデウスがブリギッタをジト目で睨んだ。
流石のブリギッタも策が思い付かなく悩んでいたが、何かを思い出したすと荷物の中からポンチョと数本の棒を取り出した。
「このポンチョは…テントにもなる優れ物だ…見張りを2時間毎に交代する…そうすれば、朝までしっかり寝られる…」
「まさか…嘘だよね?ブリギッタ…!」
切羽詰まり、ポンチョ片手に早口で呟くブリギッタにアマデウスが問いかけた。その問いかけに、数秒あいだを空けると彼女は絞り出した様なか細い声を出した。
「私が馬鹿だった…済まないと思っている。だから…良く聞いてくれ」
彼の頬に冷たい汗が1筋流れると、震える右手を左手で握った。唾を飲み込むアマデウスに、彼女は見詰めていたポンチョから彼へ視線を向けると叫んだ。
「ここをキャンプ地とする!」