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屍者の誇り  作者: 狭間義人
三章
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崩壊

 バールを構えて思い描く、これから俺が取るべき行動を。

 狙うのは準決勝の時と同じく相手の得物。俺にとってはホタルもナオも大切な家族であり、傷つけようとは考えない。


「いきますよ、兄さんっ」


 斧を槍のように前へと突き出し向かってくるナオを寸前で躱す。着ていたシャツの腹辺りが破れたが問題はない。本来ならここで顔面にカウンターをお見舞いするところだが。


「どうしました? 兄さんはこの場に闘いにきたんですよ、ねっ」


 横薙ぎの追撃を伏せて躱す。

 手は出せない、妹だぞ。いくら話を聞かないとは言え、肉親に拳は振るえない。

 それにしてもナオが持つ武器は厄介だ。大の大人と同じくらいの大きさの斧、刃と柄の部分までもが鉄製で、目算でも百キロ近くはありそうな得物をテニスのラケットのように軽く振りまわしてくる。この武器を場外まで弾き飛ばすのは中々に骨が折れそうだ。


 更なる追撃も余裕で躱せる。

 準決勝の木刀に比べれば鈍重な攻撃。当たれば腕の一本では済まないだろうが、攻撃を避けることに集中をしていればなんとかなる。

 このまま回避に専念して、ナオの体力切れを狙うのもいいが黒酔の首魁から頼まれたこともある。不満をまき散らす観客席を鎮めるためにも、ここは決勝まで勝ち上がったナオを信じて反撃に転じよう。


『おおっとここで防戦一方だった藤沢選手、ついに攻勢に転じたぞっ。速い速い速いっ、バールのような武器でミリア選手をめった打ちだァ』


 当然ナオは狙わない。耳をつんざくような金属がぶつかり合う音をたてながら、バールを斧に向かって振るっていく。

 決勝戦の前に言われた、地力の差でいえばこちらが有利という言葉は本当だったようだ。手に持つ得物の重量差はあるだろうが、速さにおいては間違いなくこちらが有利だ。


「ぐうっ……」


 そして再び鍔迫り合いの形になるも力の差は歴然だった。

 力押しなら負けない、そう感じ取れるほどに向かい合うナオは苦悶の表情を浮かべている。これが演技だとすれば称賛をするが、ナオの額から流れる汗を見て俺の考えは確信に変わる。


 俺は妹よりも長く生き残った。だからこそナオと渡り合い、余裕をもって相手ができる。そして心に棘が刺さる感覚に見舞われてしまう。妹を差し置いて俺は長く生き残ってしまったのだろうという罪悪感に心が蝕まれる。

 そして話を聞かず、俺の大事な仲間を卑下した妹に腹を立てると同時に、この環境を用意した人類保全機構にも苛立ちがつのる。連中はリングの上で闘う屍者たちを見て、なにを思っているのか。しかしここで正体の見えなかった組織に、一つの予想が思い浮かぶ。


 ダメだ、集中しろ。

 藤沢奈央は死んだと宣言して、ミリア・スワンプと名乗る相手は充分に手強い。大ぶりな得物を器用に扱い、こちらに攻め入る隙を常に窺う姿勢はまさに歴戦の戦士だ。身体能力でいくら上回っていようとも、簡単には切り崩せないと相棒との試合で思い知らされたばかりだ。


 話を聞くだけでいい、成熟した男はそう言った。

 きっとナオもこの世界で苦労をしたはずだ。そしてやっと出会えた兄との再会を喜んでくれたと思う。しかし、目の前にいる人物は闘うことを止めそうにない。これでは話を訊くことも、寄り添うこともできない状況なのだから仕方がない。


 仕方がない、この言葉が自然と思い浮かぶようになったのはいつの頃だっただろうか。

 まだ十代だった頃は『仕方がない』という言葉は嫌いだった。なんとなく、その一言であらゆることを諦めてしまうように感じたからなのかもしれない。だが自分で働きはじめて痛感させられた、世の中には理不尽なことが多くあり、諦めることも大事なのだと。


「兄さん、ハアッ……闘いに集中できていませんね。もしや、あの魔女について考えていませんよねっ」


 肩で息をするナオからの煽りも説得力に欠ける。

 俺の優位は変わらない。このまま闘いが進めば勝敗は明らかなのはナオも理解できているはずなのに。


 準決勝で闘ったホタルは少々男らしい性格をしていたこともあり、バールと木刀が打ち合うことにそれほどの躊躇はなかった。しかし、髪型や全体の雰囲気は変わろうとも、目の前にいる人物は儚げな文学少女のような出で立ちをしていた妹の影が脳裏にちらつき攻め手が鈍る。

 このままではいけないと、適度に距離を置き降参を促してみる。


「ナオ、もういいだろう。このまま闘っても勝ち目のないことぐらい――」


「いいえ、そんなことはありません。それに、私には撤退の選択肢はありえません」


「撤退って、俺はナオと話をするためにここまで来たんだ。それにナオは優勝してなにを願うつもりなんだ?」


 互いに得物を構え睨み合う。

 時間が経てば考えを変えてくれはしないだろうかと期待をした。しかし淡い期待はいとも簡単に打ち砕かれる。


「願い……そうですね、私個人の願いではありませんが、コレクトの総意では『悪の徹底的排除』を願う予定です」


「排除? そんなの無理に決まっているだろ。それに今でもターゲットシステムが機能しているじゃないか」


「いいえ、足りませんわ兄さん。河崎シノが創ったあのシステムでは不十分なのです。むしろ、自らの悪名をさらに世に知らしめんとする輩まで現れる始末。改革が必要なのです、この世界には」


 改革とは随分と大胆な言葉を使うようになったものだ。

 簡単に世界は変えられない、だからこそ人類は文明を発展させてきた。

 目の前にいる妹は、昔の自分を見ているような錯覚に苛まれる。いったい誰に似たんだか。


「それに……ふふっ、兄さんはもうすぐ、私の、ものに……」


 ナオがブツブツと小声で物騒なことを言っている。

 あれやこれやとナオを傷つけないようにこの場を終わらせようと頭を捻るも、俺の頭は妙案を生み出さない。

 仕方がない、もう終わらせにかかるとしよう。


 肉薄して斧を蹴り飛ばす。

 ナオの手から離すまでには至らないがこれで充分。すかさず相手が身に纏う白い鎧をバールで引き剥がす。手甲、脛当てを払いのけ、再び距離を置く。

 唐突に鎧を剥がされたナオは苦々しい表情で斧を構え直し、斧を無様に振り回す。しかし、鬼気迫る攻勢は確実に俺の身体停止を狙ってくる。

 紙一重の回避をするなかで、先程腹のあたりが破れていたシャツがさらに千切れていく。身体に怪我こそないが、このままでは掴み取られることを考慮して残ったシャツを自ら引き千切り捨てる。ついでに、ここまで共にしてきたスニーカーも脱ぎ捨てる。リングの上では裸足の方がもっと早く動けそうだ。


『ヘイヘイヘイ、ストリップするってんならミリア選手のほうだろゥ、男の裸なんて見たくないねえ』


 それはどうも、ようやくあのふざけた司会者に嫌がらせができて胸がすく。

 一度、二度とその場で短く飛んで身軽さを確認する。いける、今度こそナオの武器を奪いとる。


「ふふっ、兄さんの、兄さんの裸ァ、ふふ、ふ」


 何を言っているんだナオのヤツ。俺の裸なんて子供のころ一緒に風呂に入って何度も見ているじゃないか。それとも、決勝戦で闘うことに重圧を感じて頭がおかしくなったのか。

 それなら早くこの場を終わらせて、目を覚まさせないと。俺を救ってくれた相棒のように。


 しかし、ここで異変に気づく。ナオの身体から赤い蒸気のようなものが発散されている。あれはタクロウが二回戦で見せた蒸気と同じだ。つまりここからがナオの本気、気を引き締めねば。

 と、考えていたのも束の間。ナオが巨大な斧を振りかぶり、投擲してきた。


「にいいいさあああんんんんんんっ」


 足で地面を蹴り、姿勢を崩しながらもなんとか避ける。

 危なかった、鉄製の斧がまるで新幹線が通るかのような速度で俺の隣を通過し、場外の壁へと突き刺さる。しかしこれでナオは得物を失った、これでもう――


 いない。右に左にと視線を動かしても対戦相手だったナオの姿が見当たらない。


『ダイトォ、後ろだっ』


 声に反応して振り返ろうとした時には遅かった。目の端で捕らえた白い影は俺の背後に迫り、捕まった。


「ナ、ナオっ。何をしているんだっ」


 一瞬、腰でも掴まれるかと思って身構えたが、ナオはなぜか俺の太股あたりを両手でがっしりと掴み、股間のあいだから顔を覗かせている。なんだ、この状況は。


「兄さん……つ、か、ま、え、た」


****


「おいおい、ありゃなんだっ。なにがしてえんだよ、ナオちゃんは」


 観客席で見ている俺からしても訳の分からねえ状況だ。

 妹が兄の下半身にしがみついている。緊迫した試合から一転、まるで状況が呑み込めねえ。


「くっ、やはりこうなったか……」


「何か知っているのか、ホタルっ」


「ああ……覚えているかマサノブ。ナオは生存者グループで一緒にいた頃、どんな仕事をしていた?」


「それは、ナオちゃんはゾンビと闘えないから、拠点に残って炊事とか洗濯とかだったろ」


「そうだ。ある日、私は自分の服に折り畳み式のナイフを入れていたことに気づいて調達の前に取りに行こうとしたことがあるんだ。しかし、そこで見てしまった。ナオが……男性用下着を喰っていたところをっ」


「……はあっ? なんでナオちゃんがパンツなんて喰ってるんだよっ」


「私だってわからんっ、だが事実だ。それから私はナオと距離を置くようになった、そして理解した。恐らくナオは、兄であるダイトを、好いていたのではないかと」


 何言ってんだこの狂犬、ついに頭まで狂っちまったのか。

 確かにあの二人は仲がいい兄妹だった。だけどそんな男と女の関係とは程遠いように見えたのに。つうかその喰われてたパンツってもしかして俺の、じゃねえよな。


「なるほど、異性交遊に免疫がなければ肉親に情欲するとはよく聞く話だ。特に若いうちはな」


「なに冷静に解析してるんすかトキさんっ」


「ぶああっ、思い出したっ」


「なんだよタクロウ、デカい声出して」


「名前だよ、どこかで聞いたことあるなあって考えてたら、『ミリア』って名前、銀河時空警察デロリマンのヒロインと同じ名前なんだっ」


****


「兄さん、私は知っていますのよ。兄さんはこの長い白髪の見た目が好きなんですよねぇ? だから、だから私は変わりましたのよ。名前を変え、この姿になれば兄さんも私のことを愛してくれるでしょう?」


「な、にを」


「ウフッフ、私がまだ小学生のころ、兄さんの部屋に遊びに行こうとした時に見てしまいましたの。兄さんが今の私とそっくりなアニメのキャラクターのポスターを見て、耽っていたところをっ」


 妹から変な態勢のまま飛びつかれた状況で思い出す。

 あれは俺が中学生のころ、好きになったアニメが古いものでグッズなんかは手に入りづらかった。しかし、偶然立ち寄った古本屋で手にした雑誌にアニメのヒロインが描かれた等身大のポスターが付属されていた。そして俺は親の目を盗み、喜々として自分の部屋でポスターを拡げていた。


「それからは私、兄さんに振り向て欲しくて、でも、でも全然振り向て貰えなくて。だから変わりましたのよ、この姿に。だから愛してください、兄さん、私をっ」


「や、止めてくれ、離れろ」


 手に持ったバールを投げ捨て両手でナオの頭を自分の股間から遠ざけようと努力する。

 しかし、ナオはタコのように俺の下半身にしがみついて離れない。


「嫌ですわ、やっとここまでスウッ……ハアァ、来たんですもの。兄さんの、股間は、私だけのものですわ」


「ひいいっ、ナオ、離れてくれっ、頼む」


「離れませんわあ、レロレロレロレロ……ぷっはあ、これが兄さんの味なのですねええ、いひゃひゃひゃ感動ですわあ」


「うわあ、やめてくれえ」


「離しません、離しませんわよ兄さんっ。クンクンクンクン……んっふう、匂いも素晴らしいですわよおお」


 なんで、なんでこんなことになったんだ。

 ナオは、清楚で、大人しい妹だったはずなのに。どうして今は俺の股間に顔を埋めたりするんだ。


『ダイトっ、リングアウトだっ。それで終わりだっ』


 会場のどこからか聞こえる相棒の声。

 俺は思考を停止させ、その言葉に従う。今はこの状況を一刻も早く抜け出したい。

 下半身を押さえられながらも一歩進む、苦しかった時も前だけを見据えて前進していた時のように。


「アッハッハッハ逃がしませんわっ、わた、わた、私のことを認めてもらうまではっ」


 戦慄する。今、この状況を父が見ているかもしれないというこの態勢に。

 しかし止まれない。俺はナオ引きずり一歩、また一歩とリングの端まで歩を進める。


「レロレロレロレロレロレロ、んんうんあっはぁ、兄さん、私と一緒にいきましょう。兄さんが好きな女とうり二つの私とっ」


 違うんだ、ナオ。

 人とは時が過ぎれば好みも変わる。今の俺にナオを受け止める器はない。


「アッヒャッヒャッ、兄さんの兄さんの股間が、コカンで、コッカアアン、アッハッハッハ」


 なにが妹をここまで追い詰めたんだ。

 でも許してくれナオ、お前の兄は本当に情けないヤツなんだ。


「兄さんんんん、ふっはふっは、ウフフフっ私と一緒に、一緒にいいいいいいいい」


『シュッポオオオオンッ』


 それはまるで、ワインのコルクを抜くような音を立て、俺はズボンごとナオと離れることができた。

 大きく後方へ飛翔し、履いていたズボンごと妹を場外へと追い出す。

 背を思い切り反り、バク宙をするように俺はパンツ一枚になり、リングの中央へと着地して天を仰ぐ。


『ミリア選手リングアウトっ。これにより第五回P・B・Z優勝者はフジサワっ、ダイトオオオオオオオオオオオオオッ』 


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