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屍者の誇り  作者: 狭間義人
三章
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天使と悪党

 控室を去る前にタクロウと少し話をした。

 冷静さを取り戻した彼は妹に斬りかかるような真似をして悪かったと頭を下げ、俺は昨日から怖い思いをさせて申し訳ないと謝罪した。勿論、どちらか一方から謝罪を要求することはなく、ただお互いに謝らねば気が済まなかった、それだけの話だ。


 そして彼は俺の過去を知っても責めることはなく、大会が終わったらまたゲームでもしよう、と約束を交わし俺はその場を後にした。

 向かう先は競技場外の入場口、先程連絡をとった彼女との待ち合わせ場所だ。


 待つこと数分、彼女は大きな紙袋を手に現れた。いつも明るい笑顔を振りまいていた彼女も、今日はどこか大人しい。それもそのはず、彼女は俺の本性を見てしまっているのだから。


「はい、これ。頼まれたもの、買ってきたよ」


 彼女から紙袋を受け取り礼をするも、喫茶店の主は俺と目を合わせようとはしない。

 こんな時になって金髪の麗人の言葉を思い出す。世間が勝手に己を評価する、たしかそんなことを言っていた。

 だからここで俺から何かを言うのは間違っている。対戦相手を惨いやり方で殺した藤沢大翔をどのように評価するのは彼女の自由だ。


 互いに沈黙したまま受け取った紙袋を手に棒立ちをしていると、彼女はこちらを見て小さく口を開く。


「ダイトくん、なんか困った顔をしてるね。私でよければ話を訊くけど?」


「そう、かな」


「うん、凄く辛そうだよ。喫茶店のマスターに話してごらんなさい」


 彼女はいつもの調子に強引に戻ろうとして無理をしているように見える。しかし、話すまでここから去ることは許さないと言わんばかりに腕を組み、俺の発言を待つ彼女に根負けして胸の内を明かすことにする。


 控室を後にしてからずっと考えていた、どうして誰も俺を責めないのか、と。

 マサノブは例外として、屍者の世界で知り合った人たちには善人のように振る舞ってきた。そんな男が記憶がないと言い訳し、非道な行いに手を染めていたとあれば、糾弾されてもおかしくないはずだ。

 しかし正義感の強い人からも、温和で心優しい人からも特に何も言われないことを不思議に思っていた。


「なるほどねえ、ダイトくんは誰かに叱ってもらいたいんだよ、きっと」


 と、彼女は組んだ腕を解き人差し指を立てながら話し始めた。


「たぶんだけどさ、ダイトくんは昨日の事やこれまでの自分が許せないんだと思うの。だから誰かに怒って欲しい、けど誰も何も言わないから困ってる」


 俺は思わず唇を噛んだ。

 なんて身勝手だったのか、怒ったり叱ったりする人のことを考えていなかったのだ。

 言いだしにくいことを他人に求めてばかりで、俺はなんて卑怯者なんだ。


「喫茶店でね、マサヤンもホタルちゃんもダイトくんの話をする時は悪く言わなかったもん。二人とも優しいからね、だから私がダイトくんを叱ってあげます!」


「マキちゃん……」


「もうあんな酷いことをしてはいけませんっ! はい、私と約束!」


 吹っ切れるように俺に向かって出された拳に、俺は戸惑いつつも手をグーにして小さな拳に合わせる。

 きっと彼女からすれば怖かったはずだ。それなのに彼女は目を逸らさずに俺と向き合ってくれた。

 だから俺も、彼女の気遣いに応えようと思う。


「ちょっ、ダイトくんなにしてんのっ」


 紙袋を地べたに置き、跪いて首を垂らす。その姿はまるで一国の主に忠誠を誓う庶民にも見えたかもしれない。

 突然のことに狼狽する彼女と、何事かと注目してくる周囲に脇目を振らずに俺は宣言する。


「俺は、もう、目を逸らさない、人を殺さないと、誓います」


 唐突な一方的で自分勝手な誓約。いきなりこんな誓いを宣誓されて彼女も迷惑だろう、もしくはただの変人扱いをされて終わり、そうなっても仕方がないと考えた。

 しかし、彼女は立ち去るどころか俺に手を差し伸べてきてくれた。


「うむっ、よろしい。それでは手の甲に口づけをして誓いなさい!」


「え、それはちょっと恥ずかしいんだけど……」


「なにそれえ!?」


 頭をぽかりと殴られ思わず吹き出してしまう。

 この世界に転生して自分は運がいいとか、不運だとか考えていたこともある。しかし今にして思えば目の前にいる小さな女の子と最初に出会えたことが何より幸運だったと身に染みる。

 俺は立ち上がり、満面の笑みを浮かべる天使と目を合わせる。胸のつかえが取れた、そんな気がする。


「マキちゃんありがとう、本当に」


「いいってことよ。そろそろ試合でしょ? ホタルちゃんにボコられてきなさい!」


 この天使、そういえば黒酔の協力者であった。

 俺は彼女に別れを告げ、自身の控室へと向かった。


****


 マキちゃんから受け取った紙袋の中身を椅子に並べて、俺は身支度を整える。

 椅子の上には水の入ったボトルが二本、ハンカチが二枚、そして夏用のスーツなんかで使われる麻素材のズボンを順に並べていく。


 数日前に思いついた黒酔の攻略法。まさかホタルで実践することになるとは思ってもみなかった。

 対戦することになれば当日にでも買い揃えようと考えていたが甘い考えだったと今では思う。俺が欲していたズボンは会場付近にある自販機には売っておらず、会場の外に展開されているバザーから喫茶店の主に依頼して買ってきてもらったのだ。

 俺は喫茶店の主に感謝しつつ少し大き目なズボンに履き替え、ハンカチを二枚後ろのポケットに忍ばせる。


 一先ず準備完了。あとは試合開始直前に仕込めばいいだろう。そんなことを思っていると控室の入り口から人の気配を感じ、振り向くと小柄な人物が立っていた。


「よお、フジ。遊びにきたぞ」


「あれ、トウコさん?」


 来訪者は黒酔の知恵者で、今朝がた棄権を申し立てた一人、鈴木刀子だった。

 確かバイクに乗って旅に出る筈では、と訊くと彼女は気だるそうに答える。


「私はインドア派なんだよ、だから旅の誘いは断った。他の四人は準備に忙しいみたいでな、暇だからこうしてホタルやフジを冷やかしにきたんだよ」


 彼女はそう言いながら手に持った缶ビールを見せつけてくる。まるで駅周辺で見かける酔っ払いのようだ。

 同じチームのホタルはまだしも、俺のところまで来るとは本当に暇なのだろう。


「それで? さっきマキと話し込んでいたみたいだが、なに話してたんだ?」と、彼女は俺の座るベンチの隣に腰かけてくる。


 見られていたのかと嘆息しつつ、俺は喫茶店の主と話した内容を打ち明ける。

 驚くことに、これまでは言いだしにくかった俺の悪行を素直に口にすることができた。自分と向き合うことができている、今はそう思いたい。

 

「ふうん、昨日のアレがねえ。別に私は大したことないと思うが」


「昨日だけじゃないんです。感染が蔓延して生き残っていた時から、俺は――」


「悪事を重ねていたとでも? 馬鹿を言うな、フジの行動は単なる生存本能によるものだろう。生きる為に肉を喰らう、生き残る為に殺す。ただそれだけだ」


 隣に座る彼女は俺の話を聞きつつ退屈そうな表情を浮かべる。

 人を殺すという行動について理解がある、と受け取れなくもないが俺自身がそのような行動を許せないのだ。


「フジ、お前はどうやら過去の自分を悪党にしたいようだな。それで今の自分は真っ当になったと言い聞かせ、心の安寧を保とうとしているように見える」


「そんなつもりでは……」

 

「よろしい、それではお前が真に悪党なのか私が判断してやろう。悪党検定というやつだ」


 そこでふとしたことを思い出す。

 大浴場でも披露されていたが、彼女は酒が入ると支離滅裂な話をするようだ。傍から見てもほんのりと紅潮した顔は酔っ払いそのもの。ここは適当に話を合わせておくことにしよう。


「これから二つの質問をする。思い浮かんだことを正直に答えろよ? それでは一つ目、お前は暗い夜道を目的地まで歩かなければならないとする。そして手には懐中電灯を持っている。さて、どうする?」


「それは、懐中電灯を使って夜道を照らしながら歩くと思いますけど」


「だろうな、では次の質問だ。フジはとある会社に入社したとする。そこは休みなくいくらでも働いて成果が出せる職場だとしたら、お前は何を望む?」


「それって労働法の問題が……」


「例え話だよ、それでどうなんだ? 求めるものは地位か、それとも金か」


 まったくもって訳がわからない。

 しかしながら今の質問の答えは既に思い浮かんでいる。結局のところ俺はどこまでいっても庶民なのだ。


「休みが欲しい、と思いますよ。いくら働き放題と言われても、疲れてしまうでしょうから」


「ハハッ、いい答えだ。そしてフジ、お前は悪党失格だな」と、彼女は俺の答えに満足したのか愉快そうに笑い飛ばした。


 いったい今の話で何がわかるのかと尋ねると、彼女は得意げに眼鏡を光らせる。


「まず一つ目の質問だが、悪党は決して自らの位置を他人に知られるようなことはしない。よって、暗闇でなんの躊躇もせず明かりを灯すのは善人である証拠だ」


「そう、なんですか? では二つ目の質問は」


「二つ目は実に簡単だ。悪党は休まない、他者を陥れるためならいくらでも働く連中だからな。休みが欲しいと考えるフジは実に『普通』なんだよ」


 滅茶苦茶だ、素直にそう感じた。

 しかし俺も慣れてきたところがあるのだろう、彼女の言い分に異を唱えてみる。


「でもその質問って少しズルくありませんか? 大抵の人は俺と似たような解答をすると思いますが」


「それだよ。ズルいと感じることができる時点で悪党失格なのさ。もしもここで小悪党であれば『へえそうなのか、私も今の話を別のどこかでしてやろう』と考えるんだよ」


「それでは本物の悪党は?」


「ありもしない作り話をこうやって聞かせるようなヤツが真の悪党なのさ。それはつまり私のことだな、フッハッハ!」


 トウコさん、絶好調である。

 今朝から色々と頭を使っていた影響か、彼女の馬鹿話を聞いて肩の力が抜けたような気がするが、当然彼女はそんなことは知りはしない。

 俺をからかうことに満足したのか、小柄な彼女はベンチから立ち上がり、おぼつかない足取りで控室の入り口へ向かう。そして何かを思い出したかのように振り返りニヤリとした表情を浮かばせる。


「フジ、ホタルに勝つ見込みはあるのか?」


「それは、どうでしょうね」


「秘策あり、と言ったところか。まあ私は観客席で楽しませてもらうことにしよう。しかしまあ助言という訳ではないがな、一つなんの役にもたたん情報をやろう。本気でぶつかり合った訳ではないが、私の目から見てホタルは『黒酔で四番目の強さ』だ。もしもお前が、本気で屍者の世界を変えようと考えているのであれば、ホタルに後れをとる訳にはいかないのではないかな? それでは健闘を祈る」


 と言い残し、トウコさんは控室から去っていった。

 

 そして時計を確認すればもうあと五分で試合開始時刻になるため、俺は急いで準備に取り掛かる。

 そんなさなかにふとした疑問が思い浮かぶ。


 俺が屍者の世界を変える、それはつまり人間に戻りたいと願うことを知っていたからだろう。

 しかしなぜ、彼女はそのことを知っていたのだろうか。


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