迷える獣
「ありがとうマキちゃん。それじゃあ、よろしくね」
『……うん、了解です。また後でね』
気まずい通話を終了した俺は、天井を仰ぎ一息つく。
わかってはいたことだが、こうして目の当たりにすると心にくるものがある。しかし、これで準備は整えることができる。しかし、どんな顔をして彼女と会おうか。次の対戦表が映る電光掲示板を眺めながら、そんなことを思っているとマサノブからの電話が入る。
電話に出て要件を尋ねると、こちらに来て欲しいとのこと。
大した距離でもないので通話を終了させ、足早に指定された控室へと向かう。
するとそこには、廊下で困った様子のドレッドヘアーを発見した。
「マサノブ、どうかしたのか」
「おう……それがよ、タクロウがちょっとばかり荒れてんだよ」と、控室の一室を指さし中を覗くように促される。
廊下から室内を覗くと、椅子やロッカーが地面に横たわり、猛獣でも暴れたかのように控室の中は荒れていた。そして部屋の中央、肩で息をするタクロウの姿があった。
状況から察するに、彼が暴れた痕跡なのだろう。だが、普段は温和な彼が物に当たり散らすとはただ事ではない。
「タクロウ、何かあったのか?」
「それがよ、タクロウの一回戦の相手はチームコレクトのメンバーだったんだよ。結果はタクロウの勝ちだったんだけどさ、問題は試合の後に『隊長から伝言を預かっている』って対戦相手から話しかけられたらしいんだよ」
「コレクトの隊長って……ナオがタクロウに?」
「ああ、なんでも『貴方は兄さんの友人としてふさわしくない。棄権をしてすぐさま兄さんの前から消えなさい』と、言われたんだとさ」
なんだ、それは。
あの優しいはずのナオがそんな酷いことを言うはずがない。きっと誰かに言わされたのか、そそのかされたに違いない。チームコレクト、なんて非道な集団なんだ。俺の友人を傷つけるようなことを言うなんてと憤りを感じるも、今はグッと堪えた。
そこで俺は妹の誤解をとくためにもタクロウに恐る恐る話しかける。
「タクロウ、少し、いいかな」
すると眼光をギラリとコチラへ向ける獣に思わずたじろぐ。
今までに見たことがないほどに彼は怒りをあらわにして、鼻息を荒くし眼鏡を曇らせる。
「んああ! ダイトンには悪いんだけどさ、妹ちゃんのことは許せないんだよねっ! 僕の二回戦の相手がさ、妹ちゃんなんだけどさっ! ぼっこぼこのぎったぎたにしてやるもんね!」
「落ち着いてくれタクロウ! きっとナオは誰かに言わされたか、コレクトの連中が捏造した話を――」
「違う、違うんだよダイトン! 昨日マサヤンから話を聞いたときから頭にきてたんですよ、ぼかぁね! 有り得ないんですよっ、清楚系黒髪眼鏡っ子妹属性という超希少な属性を有していながら、ドS系白髪女騎士様にジョブチェンジしてんじゃねえってことですよ! 許されない、許されないことなんですよコレはっ!」
「待ってくれタクロウ! 何を言っているのか、わからないぞ!」
「つうかさ、白髪綺麗系ヒロインとかもうお腹いっぱいなんですよ、こちとらさ! 正さねばならぬ、正さねばならんのですよ! この世界を!」
荒れるタクロウをなんとか落ち着かせようとするも、彼はさらにヒートアップしていくばかりだ。
そんなやり取りを続けていると、二回戦開始のアナウンスが控室に流れ、タクロウとミリア・スワンプの名が呼び出される。
「ダイトンはっ、きっと、優しいから妹ちゃんに何も言えないんだと思うっ! だから代わりに僕が妹ちゃんを叱ってやりますとも! ダイトンの友達としてねっ」
と、彼は言い残し巨体を揺らしながら闘技場に向かって行った。
俺とマサノブはお互いに顔を見合わせ、戸惑いながらも観客席のほうへと移動した。
****
「そうか、そんなことがあったのか」
観客席に移動した俺たちは棄権の申請を済ませたトキウチさんと合流した。
先程の顛末を彼に話すと、闘技場にたつタクロウを見つつそうぼやいた。
「きっとヒロスエは、まだ迷っているのだろうな」
「迷っている、ですか?」
「ああ、フジサワとどう向き合っていいのかをな。俺たちは昔のお前を知らなかった。そして知ってしまった、お前のいいところも悪い所も。ヒロスエは困惑しているのだろうさ、これからフジサワとどうやって付き合って行こうとな」
「そんな……それなら俺はどうすれば」
「先程の話を忘れたか? どんな結論を出すにしろ、立ち直るのは本人次第だ。これからヒロスエが友としてフジサワと関係を保っていくかどうかをな」
俺は胸に重いなにかがのしかかる感覚を覚えた。
責任、そんな言葉ですませていい訳がない非道を俺は行い、手は血で染まっている。
俺が決めることじゃない。しかし、彼が控室を後にする時に『友達』と言ってくれたことが、とても嬉しかった。
だが、屍者の世界で初めて知り合い、友となった彼と、妹であるナオが闘う姿は見たくない。しかし無情にも試合開始の時刻となり、ピエロ風の司会者が闘技場の上空にホログラムで映し出された。
『それじゃあ本選二回戦を始めていくぜ! 最初は広末拓郎選手、VS、ミリア・スワンプ選手だっ! 皆も知っての通りミリア選手は四大勢力の一つチームコレクトの中心人物で前大会優勝メンバーの一人だ。んん、こんな美人さんと一緒にいられるのなら僕もコレクトに入っちゃおうかな? なんつって、アヒャヒャ!』
相も変わらず腹の立つ進行だが、ナオを美人と称したことだけは誉めてやろう。
そして場内の喧騒が最高潮に達したところで、闘いのゴングが鳴り響く。
先手を取ったのはタクロウだ。
彼は大柄な体つきに反して小回りの利くナイフ、対するナオは小柄な体格に反して人一人分くらいはありそうな巨大な斧を振るう。初動からすでにギラリと光るナイフがナオに斬りかかる。
しかしナオは器用に斧を揺り動かし、ナイフの軌道を変え攻撃を凌ぐ。
二人とも本気だ。顔を赤くし迫るタクロウ、不機嫌そうな表情で防戦一方のナオ。
そして守りに入っていたナオがここで初めて反撃に転じ、大ぶりの横薙ぎが放たれる。それをタクロウは華麗に避けて一旦距離をとる。
探り合いは終わり。そんな空気が両者のあいだに流れる中で、俺はタクロウの変化に気がついた。
彼の身体に赤い蒸気が纏っている。最初は幻かと思い目を擦るも、変わらず赤い蒸気は彼の身体を覆いつくしているところで昨夜の光景が脳裏に浮かぶ。
鉄パイプを振るった彼女の身体の周りにも赤い蒸気が纏っていた。彼女の話から推察するに、今タクロウの身体を覆っている赤い蒸気が発している時は屍者の真の力が発揮されている最中のようだ。
『ほあっちゃあああああ!!』
赤い蒸気に包まれた男が一段と腰を落とし奇声を上げながら、足のバネを最大限に活かし妹に向かって猛進する。
そして一瞬、彼の姿を見失った。
気づいたときには既にナオの背後に回り込み、致命の一撃を与えんがための斬撃がナオを襲う。しかし斬りこまれる寸前で妹は攻撃を躱す。
それでも先程の攻勢よりもさらに激しく迫るタクロウは、まるで怒り狂った獣のようだ。
下馬評を覆す彼の動きに観客席の人たちはどよめき、驚嘆の声が上がる。それは俺の隣にいる二人も同様で、啞然とした表情を浮かべる。
「すげえなタクロウのやつ。あんなに動けたのかよ!」
「ああ……これは分からなくなってきたぞ」
昔から彼と行動を共にしていた二人がここまで驚くという事は、タクロウがこれまでに見せたことがない動きをしているということだ。それはつまり、彼がかつてないほどの明確な意思を持ち闘っているのだろう。
考えられる理由としては、心苦しいが俺のことが多少なり絡んでいるのかもしれない。タクロウが真剣に悩み真価を発揮させている現状に少しだけ嬉しく思い、心の中で懺悔をする。
俺はナオが傷つく場面を見たくない。本気で闘ってくれている彼には勝って欲しくはないとどこかで思ってしまっている。
数十にも数百にも見えるタクロウの斬撃は妹を土俵際まで追い詰めていく。
リングの淵に妹が立たされた時に、ナイフを持つ彼はこれが最後と言わんばかりの一撃を放つ。
しかし、全霊を掛けた突進を妹は長物の武器で受け止める。そしてタクロウの足を払いのけ、予選でマサノブが見せた動きのように、斧をタクロウの身体にピタリと合わせ後方に向かって投げ飛ばした。
その先はリングの外。投げ飛ばされたタクロウの身体が場外に落ち決着がついた。
『広末拓郎選手リングアウトっ! これによりミリア・スワンプ選手の勝利です。いやあ、最初はどうなるかと思ったけど、やっぱり美女が勝つ方が盛り上がるんだよねえ! ブヒャヒャ』
イラつく試合終了の宣言にも、観客席からは健闘を称える拍手が送られる。
俺も闘う二人が大きな傷を負うことなく試合が終わり、ホッと胸をなで下ろした。
****
「びえええん! ダイトンの妹ちゃんに負けちゃったよおお」
再びタクロウの控室に向かうと、彼は本気で悔しがっていた。
だが、彼の本気を見た俺たちは尊敬の念を込めて彼を励ました。
実力はほぼ互角、そう口にしても過言ではない闘いを見せられたのだ。誰も彼をないがしろにすることはないだろう。
「惜しかったよなあ、タクロウ。しかし、これでナオちゃんの決勝行きは決まったようなものだな」
「え? どうしてそんなことが分かるんだマサノブ」
「ほら、ナオちゃんの準決勝の相手。コレクトのメンバーじゃん? エースであるナオちゃんを勝ち上がらせるために次は不戦勝になるはずさ」
彼の言葉を聞いて電光掲示板に目をやると、既に全体の二回戦が終了し、東ブロックの準決勝の対戦表が記載されている。
そして、タクロウはいつもと変わりない様子で俺のほうへと目を向けてくれる。言葉にこそ出さないものの、彼が真剣の闘いに臨んでくれたことは嬉しく思う。
「それにしてもさ、ダイトの次の相手は中々に厄介だな。どうすか、トキさんから見て」
「そうだな。先程のヒロスエとの闘いが全てではないだろうが、フジサワの妹は次の対戦相手に比べれば幾分か格下にも見えたな」
「え? それならダイトンにとっては次がラスボスってこと?」
泣き止んだタクロウが会話に加わり、俺の次の対戦相手について話し合う様子を横目に、電光掲示板に記された対戦表をみて思わず溜息を漏らす。
予想はしていたができれば闘いたくはなかった相手。既に喫茶店の主に依頼はしていたが、彼女を乗り越えなければナオと相対することは叶わない。
第五回P・B・Z本選、優勝候補筆頭と呼び声高い彼女に、俺は立ち向かわなければならないのである。
西ブロック 準決勝
藤沢大翔 対 宝塚蛍