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屍者の誇り  作者: 狭間義人
三章
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寄り添い

 控室に設置されたモニターでは一回戦のハイライトが放映されている。

 どうやら俺の知る人物たちは軒並み勝ち上がったようだ。そして自身の二回戦の相手はかなりの強敵だと骨身に染みている。


「フジサワ、少しいいか?」と、頭の中で思い浮かべていた人物が、開かれていた控室の戸を叩く。


 時内学、俺に屍者の闘い方や心構えを教えてくれた人物であり、二回戦の対戦相手である。

 彼の問いかけに頷き、近くのベンチへと彼は腰をかける。表情や仕草はとても落ち着いている。


 少し意外だった。

 マサノブからはチームを共にした二人には俺の過去を話したと聞かされていた。ならば、悪事を許さない彼が俺のような人物を許すはずがない。

 手痛い一撃を貰うか、罵詈雑言を浴びせられる覚悟をしていたのだが、目の前にいる人物は意を決したようにして言葉を紡ぐ。


「俺なりに色々と考えてな、相談とでも言おうか。尋ねたいことがある」


「トキウチさんが、俺にですか?」


「ああ、単刀直入に訊こう。俺は『約一年四ヶ月』生き残った。季節で言うならあの日から二度目の秋ごろだな。それで、フジサワは俺の生存期間である一年四ヶ月よりも長いか、それとも短いのかを尋ねたい」


「なっ!? 何を言っているんですか、アナタはっ!」


 彼は今、とんでもないことをやらかした。

 自身の生存期間を他人に知らせることは、屍者の世界では己の弱点をひけらかすことと同じである。

 

「落ち着け、俺もそれなりに覚悟をしてここに来ているのだ。座って、俺の問いに答えろ」


 彼の表情は徐々に険しくなり、俺は生唾を呑み込みベンチに腰掛ける。

 怒りとは違う、もどかしさを感じさせる瞳を向けられ俺も腹を括る。しかし、


「勘違いはするな、俺が訊きたいのは生存期間の長さではなく、俺の生存期間よりも長いのか短いのかだけだ」


 と、こちらの言動を予測して彼は釘を刺してくる。

 どうしてそんなことを尋ねるのか、理由はわからない。迷いながらも決意した、そんな戸惑いを感じさせる彼には既視感を感じる。まるでかつての自分を見ているような気分だ。

 だから俺も応えようと思う。自分と向き合うことを教えてくれた相棒のように。


「俺が、憶えている範囲では一年半、生き残りました」


「……まったく困った男だな、お前は。言わなくていいと――」


「すみません。でも俺は、マサノブの相棒ですから」


「問題児のコンビか、まあいいだろう。話が早い」


 そして彼は肩で一息ついて、互いの視線がぶつかる。

 真っ直ぐに俺を見据える瞳、生前は俺よりも一回り歳上の彼でも、猛々しく老いを感じさせることはない。


「俺は二回戦を棄権する」


 そして彼はそんな言葉を告げた。

 俺が理由を尋ねると彼の言い分は実に単純なものであった。目的は達成した。それだけである。

 悪党に優勝され、世界に非人道的な理を敷かれることを阻止する。それが彼の目的であり、現在残った本選出場者にはそのような愚かな願いを持つ輩はいないだろう、と彼は言った。

 それと優勝を目指すのであれば少しでも可能性が高い人物が勝ち上がるべきだろうとも。

 しかし、俺は納得ができない。


「子供は、トキウチさんのお子さんは本当にいいんですか? 優勝すればまた一緒に暮らせるかもしれない、奥さんもきっと元気に――」


「成長しない子供を、愛し続けろと言うのか。お前は」


 その一言に、俺は何も言い返せない。俺には子供がいない、だから親の気持ちがわからない。

 後悔をした、軽はずみの言動をしたことを。結局は善人もどき戯言なのだと突き付けられたようだ。


「すまない、少し熱くなってしまったな。だが、フジサワにとっては悪くないだろう? なんの労もせず次へ進めるのだからな。では俺は失礼する」


 そう言い彼は立ち上がる。

 確かに俺としては有難い話だ。それでも、納得しきれない俺は彼の前に立ちふさがる。


「怒らないんですか? 俺のこと」


 彼は俺が尊敬をする男だ。そんな彼が、予選でおこなった俺の悪事に触れないことに少なからず違和感を覚えた。

 なんて我儘な感情だろうか。自分で自分が許せない、だから彼に俺は叱って欲しかったのかもしれない。

 そして彼は溜息をついて再び腰を下ろす。話をしようと、着席を促されそれに従う。


「昨日の夜までは、確かに頭にきていた。俺はこんな非道なことをする男に闘いの稽古をつけていたのか、とな。だが一晩考えて少し考えかたが変わった。俺も似たようなものだ、いや、フジサワに比べれば卑怯者と罵られれても不思議ではない」


「そんな……トキウチさんはとても尊敬のできる人です。勇敢で、正しい判断のできる人だと俺は思います」


「馬鹿を言うな。俺は、家族を失ってから一人で生き残っていたのだぞ。それはつまり、他者を見捨てたのと同義だ。そんな俺がお前に何かを言える立場ではない。むしろ他者を見捨てず、己を犠牲したフジサワを、心のどこかで尊敬をしているよ」


 これもまた買い被りだ。俺はそんな上等な人柄ではないのに。どうして周りの人たちは俺を責めようとしないのか。

 記憶がない、だからと言って許されるはずもない非道をしていた俺を、尊敬なんてできるはずもない。


「だから、俺はお前に託そうと思う。屍者を人間に戻そうと考えるフジサワにな」


「……どうして俺なんかに?」


「最初にお前の考えを訊いたときは、若いなと思った。しかし、世界を変えるのであればフジサワのような考えが必要だとも考えたのさ」


「若いって、子供扱いしないでください」


「若いと幼いとでは意味合いが違うぞ。いいか? 幼いのであれば自分勝手な発想しか生み出さない。しかし、若いとあれば半分は大人の思考が入り混じる。考えてもみろ、俺たちがいた昔の世界は誰によって創り出されたものだ? 国にもよるだろうが大抵は老人のはずだ。そんな老人たちが創り上げた世界が滅んだのだ、ならばこれからの世界、つまりは屍者の世界は若者によって創りだされるべきだと俺は思う」


「それは、言い訳ですよ。トキウチさんだって、しっかりと今の世の中を把握しています。俺なんかよりも」


「さっきも言っただろう。俺は卑怯者なんだ。自分で……世界を変える決断なんてできやしないさ」


 それから少しばかりの押し問答を続けても、彼は棄権の意思を崩そうとはしなかった。

 俺が彼に教わった事柄は多くある。しかし、彼は頑なに教師を辞めた俺に、人に教えを説く権利はないと言ってきかなかった。師事をするなら別の人物にしろ、と彼は言った。


 そんな反応に一抹の寂しさを感じる。

 彼になら相棒やホタルでも答えることが難しい問題でも答えてくれるだろうと、どこかで期待をしていたのかもしれない。

 だから、俺は最後に教えを請うてみようと考える。とある金髪の麗人や妹とどう向き合うべきかを。


「トキウチさん、話は逸れますが、質問をしても」


「なにかな?」


「もしこの世界で心に傷を抱えたままの屍者と向き合うとき、どう接するべきでしょうか?」


「なるほど、妹さんのことか。しかしそれは難しい質問だな。俺も妻とどう接すればいいかわからないでいる。月に一度彼女の実家に顔を見せるようにしているが、貴方の顔を見れば子供を思い出すと嫌味を言われ、落ち込ませてばかりいる」


 彼もまた迷っていた。

 しかしここで一つの昔の話をしてくれた。


「こんな話がある。俺がまだ新任のころ、初めてクラスの担任を受け持ったころの話だ。その中学校は中々に荒れていてな、最初は実に苦労をした。しかし生徒たちと歳も近いこともあり、早くに打ち解けることができた。しかし問題が発生した」


「生徒が何かしたんですか?」


「いいや違う、俺と同じ教員がだ。あれは二学期が始まってすぐのことだった。生徒指導室に俺のクラスの男子生徒が連れていかれたと聞き、俺は急いで指導室へと向かった。そこには生活指導担当の体育教師と生徒が二人いて、生徒のほうは口から血を垂らしていた」


「それって、体罰なのでは?」


「いいや、あれはもはや暴力だ。にも関わらず生徒はグッとこらえ俺の方を見ようとはしなかった。なぜこのようなことをするのかと体育教師に詰め寄ったが彼はヘラヘラとあざ笑い相手にしようとしなかった。確かにその男子生徒は日頃から問題を起こすことがあったが、俺が担任を受け持ってからは真面目に授業に出るくらいには更生をしていた。俺は不当な指導だと訴え、生徒を無理やり連れだしその場から離れた」


 彼は一つ間を置いて再び口を開く。

 まるで過去の罪を告白するように。


「そして俺は生徒から話を聞き出そうとした。しかし彼は簡単には答えようとしない。君の力になりたいのだと、恥ずかしげもなく色んな言葉を使って彼の説得を続けると、ようやく彼は口を開いてくれた」


 それからの話は実に不快な話であった。

 男子生徒は早くに父親を亡くしており、母親が一人で家計を支えていたそうだ。そしてその母親の勤め先はいわゆる夜の店、そこに生活指導の教員が客としてやってきた。生徒が問題を起こした際に学校に呼び出され面識のあった母親に、教員は性的なサービスを求めたそうだ。

 当然夜の店とはいえ、そのような仕事はしていない母親は拒絶した。しかし諦めの悪い教員は生徒に店の外で母親と会わせるよう迫ったらしい。


「それで、トキウチさんは、どうしたんですか?」


「ああ、頭に血が上ってな、ぶん殴った」


「え」


「当然生徒ではなく生活指導の教員をだぞ」


「それは、結構な問題になったのではないですか?」


「まあな、俺が教員に詰め寄り、反省するどころか一緒にどうだ、なんて言わなければよかったものを。俺は我慢できずに教員を殴り校長の前まで引っ張りだして、今回の問題を打ち上げた。教員が生徒及び保護者を脅迫している、とな。しかし問題が明るみに出ることはなかった。生活指導の教員は懲戒免職、俺は三ヶ月の謹慎処分だけでその一件はもみ消しにされた」


「それじゃあ、その男子生徒は」


「ああ、そのまま放置されていたのか、もしくは教育委員会から変な噂を立てぬように口止めをされたのかはわからない。ただ俺がクラスに戻った頃には、学校に彼は来ていなかった。クラスの生徒から話を聞くと、彼は非行に走り、街で幾度となく問題を起こしていたそうだ。それから彼を見つけ出した時には既に心が荒んでいたよ、俺の声が届かないくらいにはな」


「でも、問題は解決したんですよね」


「物事はそう単純じゃない、中学生という実に不安定な時期だということもあっただろうが、彼を取り巻く噂は校内に知れ渡っていた。俺が彼の担任だった間は幾度となく呼びかけたが、卒業まで彼が学校を訪れることはなかった」


 目の前にいる人物は嘆いていた。己の無力を、自分のせいで生徒の人生を駄目にしたのではないかと。


「しかしな、それから数年後。偶然街中でその生徒と再会した。今どうしているのかと聞くと、彼は真面目に働いて今も母親と暮らしていると、バツが悪そうに笑って答えてくれたよ」


 肩の荷が下りたと言わんばかりに、彼も疲れた笑みを浮かべる。

 きっと誰にも話さなかったのだろう、胸のつかえが取れたような表情になり話のまとめに入る。


「さて、情けない話ではあるがな。あくまでも俺の考えだが、教師とは知識を教え、導き、共に寄り添う者だと考えている。そして癒す者ではないとも、この時思い知らされた」


「癒す、ですか?」


「ああ、つまるところ、人の心は実に繊細だ。多少の心得は確かにあるが、一度傷ついた心は二度と綺麗に治せるものではない。それにこんな話は聞いたことがないか? 傷を持つ人間ほど優しくなれると」


「ええ、一般論や、音楽の歌詞なんかにはよく出てきますよね」


「そう思える人物はきっと何不自由ない恵まれた環境にいたのだろうな。俺の教員生活で感じたことは、心に傷を持ち歪んでしまった者はさらに性根を歪ませていく。自分はこんな酷い目にあったのだから、別の誰かもさらに辛い環境を味わうべきだ、という具合にな」


「しかし、トキウチさんが今話した生徒は立ち直ったのでは」


「ああ、誰の力も借りずにな。俺が何を言いたいかと言えばだな、心を病んだ、もしくは傷ついた人物は自分自身で立ち上がるしかないのだ。周りが幾ら励まそうとも最終的には自分自身が乗り越えるしか方法はない」


 それはつまり、俺がシノさんやナオには何もできることは無い、ということだろうか。

 俺が頭を抱えていると、トキウチさんは優しい声色で話しかけてきた。


「俺は教師を辞めた身だからな、偉そうに講釈をするつもりはない。しかし、一人の友としてなら助言をすることはできる。もし、フジサワが、悩みを抱えている人物と向き合いたいと言うなれば、話を聞いてやってくれ」


 一人の友、そう言われ目頭が熱くなる。

 悟られないように俺は頭を振り、話を聞くだけでもいいのかと、いつもの調子を取り戻すように彼に問う。


「そうだ、話を聞くだけでも悩みを持つ人物は救われることは多くある。例えば、今の俺のようにな」


 そう彼は言って立ち上がり、俺もベンチから立ち上がる。

 俺よりも少しばかり背の低い男は、とても大きな存在に見えた。人生の先輩なんて呼べば彼は怒るだろうか、それとも呆れるのだろうか。

 しかし俺は彼を尊敬する立場にいれることを、誇りに思う。こんな先生が俺の中学校にいれば、また違う人生を歩んでいたのかもしれない。


「フジサワ、俺がお前に何かを教えることはもうできない。心に傷を持った者にどう向き合えばいいのか、俺もわからないのだからな。しかし、この大会が終わった後、また酒でも飲みながら話をすることはできる。一人の友としてな」


 そう彼は言い、手を差し出してきた。そして俺はその手を取り、握手を交わす。

 一人の対等な友として、悩める者同士として。


 俺は彼から、目に見えない意思を託されたような気がした。


本選 二回戦

   藤沢 大翔 不戦勝


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