記憶
相棒が部屋から出ていき二十分ほど経過しただろうか。
ソファーに寝かせられ、天井を見上げていると所々にあるシミに目が付いた。
年季を感じさせる部屋の中は散らかっており、独身男性の部屋という表現がピッタリな様相をしている。
割れんばかりに頭を支配していた激痛も収まり、今は孤独な時間が静かに流れていく。
『ガチャ』
扉が開く音に首だけ動かし視線を送る。
「よう。どうだ調子は?」
「ああ、落ち着いたよ。悪かったな、迷惑かけて」
「別にいいって。おっと、まだ横になってたほうがいいぞ。身体っつーか頭だるいだろ?」
起き上がろうとするも制止され、その言葉に甘えることにする。頭が重い。
「この頭痛はなんなんだ? 目が覚めてから何度も……」
「転生後の副作用ってやつだな、お前だけじゃない、みんなそうなんだよ。目が覚めた後は記憶が所々抜け落ちていてそれが何かの拍子で記憶が戻ってくるんだ。そしてその度に頭が割れるように痛くなる。まだ痛むか?」
「いや、大丈夫。少し重く感じるけど痛みは引いたよ」
俺が復調したことに喜ぶ表情を見せるもその直後に顔を曇らせるマサノブ。ソファーの対面に置かれた椅子に座り、先程の喫茶店で見せた姿と同じくドレッドヘアーを掻きつつ俺の様子を覗う。
「ダイト、さっきの店で会った黒い髪の女。誰だかわかるか?」
「ああ、わかるよ。ホタルだろ? 変な恰好をしていたが」
「そう! ホタルだ! それで、その……どこまで思い出せてる?」
どこまでと言われると少し困る。
頭痛の代償か、喫茶店にいた時にはなかった記憶を辿っていく。
終わりの日が始まり数名の生存者達でグループを作った。宝塚蛍もその一人。
初めて出会った時には高校の制服を着ており、年齢も確か十八才と言っていた。
そしてあらゆる場所へ共に逃げ、不慮の事故で生き別れた。
記憶を辿りつつ嫌なシーンも脳裏に浮かぶ。――――マサノブがゾンビに喰われる場面を。
「大体は思い出せてる……はず」
「おお! よかった! いや実はな、ホタルから『ダイトに会わせろ』って言われてきたんだけどよ、転生後ってのはデリケートな時期なんだよ」
「デリケート?」
「そう、なんていうかこう記憶がドバっと戻ったりすると頭がグワァってなって廃人みたいになるヤツもいるんだよ。特にゾンビが現れはじめて長く生き残った連中なんかはさ、嫌な記憶とか沢山あったりするだろ?」
身振り手振りで説明をしてくれるが、あまりにその動きが可笑しくて思わず頬が緩む。
「あれ? いま笑う所あった?」
「いや、別に。それでホタルはどうしたんだ?」
「それな。さっき喫茶店で話してきたんだけどさ、ダイトが転生したばっかりってことで今日は我慢してもらうことにしたよ。また何かの拍子で記憶が戻るかわかんねぇだろ?」
それは確かにそうだ。
先程のように倒れてしまっては、また二人に迷惑をかけてしまう。
「ホタルに悪いことをしたな」
「大丈夫だって! アイツもさっきは驚いてたけどちゃんと理解してくれてるさ、そんで明日また昼頃に会おうってことでホタルと約束してきたんだ。さっきの喫茶店で」
「そうだったのか、わかった。それにしても、ここってマサノブの部屋なのか?」
気だるい身体をソファーから起こしつつ辺りを見回してみる。
散らかってはいるがとにかく広い。壁際には巨大な音楽プレイヤーが置かれ、その側にある本棚には所狭しとレコードが並べられている。複数の部屋があるのか、先程マサノブが出入りした扉以外にも二つの扉が確認できる。都内でこれだけ上等な部屋を借りるとなると家賃数十万はくだらないはず。
「ああ、そうだよ。俺も最近こっちに引っ越してきたばかりなんだけどな、いい所だろ?」
「いい所だとは思うけど、大丈夫なのか? その、家賃とか」
「ん? ああ、そういうことね。ヘヘッ! それはまぁ明日教えてやるよ」
「なんだよ、勿体ぶるなって」
「まぁまぁ! 明日のお楽しみってことで」
知ってる。そうやって笑いながら話をはぐらかせる時には誰かを喜ばせる為だってことを。この場合は俺にサプライズでも用意してくれているのだろう。これ以上に問いただすのは野暮ってものだ。
しかし、緩んでいた彼の表情は再び真剣な面持ちに切り替わる。
「なあ、ダイト。少し聞きたいことがある。とても大事なことだ」
先程とは打って変わり、低い声色にこちらも姿勢を正す。
「あのさ、俺があいつらに喰われた時のことは覚えているか?」
それは脳裏に浮かんだ惨劇だった。
強い雨の降る日。
拠点を引き払い俺たちのグループが移動をせざるを得ない状況に起きた事故。
俺が先頭でグループを先導し、マサノブが殿を務めて行軍していた時。油断した、と言い訳なんてできるはずもない。
ひし形のフェンス越しにはゾンビの大群。大丈夫だろうと思いフェンスの前を横切ろうとした。しかし、フェンスは決壊。ルートの選択を間違えたのだ。
助けようとした、ゾンビの大群に囲まれるマサノブを放ってはいけないと。
『こっちくんな! 俺はもういい! 先に行け!』
見ればすでに複数体のゾンビに腕や脚を噛まれながらも、こちらへ来るなと別れを告げた友の姿があった。
「ごめん……あの時、あんな道さえ選ばなければ……」
「違う違う! そうじゃなくてだな、俺が喰われた日がいつ頃だったかを覚えているか? ていうのを聞きたいんだ」
どうしてそんなことを聞きたいのかは分からないが、マサノブは真剣だ。ならばこちらも真剣に答える必要があるのだが、いかんせんあの時は正確な月日を計る時計や端末は所持していなかった。
「えぇと、正確には分からないけど、あの感染症が流行りだして数ヶ月はたっていたと思う」
「ああ、オーケーだ。ありがとう、嫌なこと思い出させちまったかな」
「そんな、でもどうして?」
「いいかダイト、よく聞いてくれ。この世界での力関係は大きく変わった。旧世界では金持ちとか権力者、図体のデカいヤツらが偉そうにしてただろ? けどこの世界では違う。強いヤツが偉い、そしてウイルスによる副作用でな『ウイルスに感染していた期間が長いほど』俺たちの力は強くなるのさ!」
「なん……だって!?」
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「なあホタル、さっきの兄ちゃんには会いに行かないのか?」
「……はい。明日またここで会う約束なので」
本当なら会いたい。今すぐに。
それでも彼に迷惑が掛かるようなことは避けたい。ずっと探し続けてきたんだ。明日になれば会えるだなんて、それはどんなに幸せなことだろう。
「でもさあ、ホタルにあんな男前なカレシがいたなんて隅に置けないなぁ」
「ち、違います! 私とあの人はそういう関係ではありません!」
「まあまあ、照れなくっていいんのよん?」
困った人だ。この手の話は苦手だということをわかっていてあえて私に振ってくる。
「それで、ホタル。そいつとはいつ頃知り合ったんだ?」
私の隣で茶化す困った先輩から視線を移し、対面に座る金髪の麗人へ向き直り姿勢を正す。
世界の英雄。
そう例えても過言ではないほどの眼光と威圧感。沢山の屍者を救い、私にとってもそれは例外ではなく恩人と言っていい人物に素直に語ることにする。
終わりの日が始まって数日後の出来事を。