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屍者の誇り  作者: 狭間義人
三章
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昔の話 前編

 あれは感染が拡がってちょうど一ヶ月くらい、時期的には今と同じような暑い季節だったかな。

 そのとき俺たちは最初に拠点にしていた図書館を放棄して、再開発地区なんかにある廃ビルを新たな拠点にしていた。

 ビルの二階、割れた窓から見下ろせば一階につめかけているゾンビの群れ、そこらから酷い匂いがビル中に蔓延していたのを今でも覚えている。


 食料も水もほとんどない。

 図書館で立てこもっていた頃はそれなりに蓄えがあったんだが、とある理由で取る者も取り敢えず廃ビルへの移動を余儀なくされたんだ。んで、そんな状況になった責任を俺たちのリーダーは問い詰められていた。


「どう責任を取るつもりかね、キミっ」と、白髪の中年男。


 責任なんてあるわけないのに、八つ当たりにも似た糾弾がアイツに向けられている。

 俺たちのグループには当時十四人の生存者がいた、廃ビルに来る前までな。

 俺とアイツ、その妹とホタル、老夫婦にネパール人の三人家族、OL風の女に若い男女のカップル、そしてアイツに向かって言い寄る白髪の肥えた中年男と中肉中背のジャージ男。


 図書館にいた頃は『もうすぐ助けがくる』なんて互いに励まし合い、近隣の店から物資をいただいたりなんかして生き残っていたんだ。

 館内のあらゆる場所をバリケードで封鎖して、調達のときだけ外へ出られるようにしてたんだが、ある日の夜中に問題が発生した。

 原因は若い男女のカップル。密室のような空間に耐えられなくなったのか、もしくはきつい生活に少し慣れてきたというのもあるかもしれねえ。カップルの二人はバリケードの一部を開放して、俺たちが生活をしていた部屋から離れた場所でおっぱじめやがったんだよ。

 俺もさ、カラオケ屋で働いていたときなんかはよく注意に行かされたぜ? でも状況を考えろっての。


 静寂に包まれていた館内に響き渡る喘ぎ声、寝ていた俺たちも目が覚めて深夜の見回りをしていた連中と『どうしたものか』と相談をしていたら、中年男がアイツにどうにかしろって詰め寄るんだよ。

 アイツは戸惑っていた。当然だよな、盛ってる男女の二人の間に入るなんて、そこそこ慣れてる俺でも嫌だってんだ。

 そんな押し問答をしている間に喘ぎ声は悲鳴に変わった。案の定、あの二人が発していた声と音に釣られてゾンビどもはやってきた。

 それからはバリケードの隙間からヤツらが現れて、俺とアイツで脚の弱い老夫婦を背負ってなんとか廃ビルまで命からがら逃げ延びたんだよ。


「食料もないし、近くには店らしき建物もない。どうするつもりだよっ」と、ジャージ男がさらに詰め寄る。


 廃ビルに来る前になんとか図書館から持ち出せたのは、それぞれが手に持てるくらいの物資のみ。それも長くは持ちそうにないってくらいの量しかない。その場にいる全員がこれからのことを不安に思っていたんだ。俺たちが籠城するビルの周りにはゾンビの群れ、近くに生き残っている人間がいないのか、ヤツらはそこに逃げ込んだ俺たちを標的にして動かねえ。移動したくても一階に作ったバリケード全てにゾンビが群がっている、まさに八方塞がりってやつだな。


 そしてアイツが責任を問われている理由として、問題を起こしたカップルを調達をしている最中にグループへ引き入れたってところから追及が始まった。

 困っている人を見かけたらだれ彼構わず助ける、そんなお人好しのアイツを責めるつもりなんか俺はない。その場にいたほとんどの人物がアイツに助けられたってのに、白髪の男とジャージの男はリーダー格のアイツに鬱憤をぶちまけていた。


 俺も庇おうとしたぜ?

 でもチンピラにしか見えねえ俺に、男二人は聞く耳を持たねえ。唯一その二人の男が耳を傾けたのは一番俺たちの中で真面目そうで、ゾンビ相手でも戦えるからって理由でリーダーに仕立てられた男だった。

 それに、アイツに吠えている二人に向かって睨みをきかせる女。つまりホタルが、いつ腰に差してある包丁を抜きやしないかとヒヤヒヤしながら見守っていたんだよ。

 当時のホタルはまさに狂犬みたいでさ、アイツ以外の話はまったく聴こうとしなかったんだ。アイツがリーダー格に無理やり仕立てられた理由の一つでもあるのかな。


 そして厄介なのは白髪の男、確か還暦目前と言っていたな。

 図書館にいた頃に調達が難航していた時期があってさ、そんな時に『私は震災の時にビールを飲んで生き残ったんだ』なんて発言をしたんだ。

 最初は半信半疑だった、調達に向かう俺とアイツとホタルは極力食料を優先していたんだ。酒なんて持っていく余裕はない。でも、俺たちの他にも生存者グループが幾つかあったんだろうな。無人コンビニなんかに行っても缶詰めやレトルト食品なんかは既に持ち去られた後、なんてことは珍しくもなかった。


 そこで男の言葉を信じて俺たちは缶ビールをかき集めた。飲料水が持ち去られていたとしても、酒なんかは手を付けられていないことが多かったからな。

 そして少ない食料はネパール人夫妻の子供や女連中にまわして、男連中はビールしか口にできない日々が続いた。あれは中々に堪えたな、灼熱の太陽の下でぬるいビールをちびちび口に運ぶのは拷問としか思えなかった。


 それでも結果としては生き残れた。

 白髪の男は他にもサバイバル術って言うのかな、あらゆる知識で俺たちが生き残るための助言をしてくれたわけだ。しかし、それで調子づいてグループ内での発言力があるように振る舞い始めたあたりからリーダー格のアイツに文句を言うことが増えた気がするよ。


 あとはジャージの男、たぶん三十代半ばくらいの歳だろう。

 こいつは本当にクズだったな。発言力のある白髪の男の腰巾着、自分は健康体のくせしてあれこれ理由をつけて調達を拒否し続けていたんだよな。

 さらにはホタルやアイツの妹に卑しい視線を向けていて、隙あらば手を出してやろうって感じが見え見えだったんだ。勿論、お人好しのアイツはそんな視線に気づかない。

 そんな状況でネパール人の夫婦から調達を手伝いたいと提案された時にホタルが気を利かせた。『私が二人の代わりに調達に行くから拠点を守って欲しい』って感じでな。そのおかげか、調達で俺たちと動くホタルはある意味安全だし、拠点で夫婦の子供や老夫婦を世話することが多かったアイツの妹は守られる形ができあがった。そしてジャージの男から女連中に手が出されることはなかった。


 話を戻すぜ。


 司令官を気取った白髪の男とジャージの男からアイツに向けて出された要求は『すぐにここから移動すること』だった。図書館にいた頃よりも脆弱なバリケード、常に聞こえてくるゾンビの呻き声は不安を掻き立てたんだろうな。

 それでもアイツは簡単に決断できないでいた。なぜなら廃ビルに来て数時間しか経っていなかったし皆疲れていて日も傾きかけていた。それに老夫婦は脚が悪くて長距離の移動が困難だったからな。これらを理由にアイツは男二人の提案を却下せざるを得なかったんだろうさ。


 話し合いの結果は『明日には移動する』ってことで決着がついた。不満を口にしていた男二人は納得いかない表情でも渋々と聞き入れて二階の部屋から出ていった。

 なにもしないくせに。その男二人はあれこれ理由をつけて調達の手伝いはおろか、拠点の防衛にもゾンビにビビッて手を貸さなかった。二人とも口だけは達者だったし、年上ってのもあって誰も口だしできなかったんだよな。


 そして口論にも似た話し合いを終えたアイツは、疲れた顔で不安がる老夫婦を慰めていた。大丈夫だから、明日もなんとかしますから、なんて言いながらさ。


 それからは俺とアイツで深夜まで周囲の警戒をしつつ、他のメンバーは明日へ備えて休ませた。

 一人が一階でゾンビどもが上がってこないかの監視、もう一人が他のメンバーが休む部屋を約一時間に一回見て周るって感じでな。

 深夜にホタルとOL風の女に見張りを変わってもらい、俺たち二人は適当な部屋で寝ることにした。意識が朦朧としていたって感じでさ、最悪な環境でも泥のように眠ることができたよ。


 ここで、事件は起きた。


 陽が昇り始めていたから午前五時くらいかな。ホタルが焦るように俺たちを叩き起こしてこう言うんだよ『あの二人がいない』ってさ。

 寝ぼけながらもホタルを落ち着かせて話を聞けば、別の部屋で休んでいた老夫婦の姿が見当たらないということだった。

 変だと思った。昨夜巡回していた時には姿を確認していたし、俺と同様にホタルも巡回の途中までは老夫婦が寝ているのを見たという。一階で監視をしていたOL風の女も誰も見ていない、つまりビルから出ていったわけではない。

 なのにいくら老夫婦の名前を呼んでも建物の中からは返事がない。


「どうしよう……二人はどこへ行ったんだ?」


 アイツが動揺し始めて、他のメンバーが起きてきたから俺はアイツを落ち着かせるためにも屋上へ行くことを提案した。脚の悪い二人がわざわざ階段を昇るとは考えにくい、けど他は全て探したし、これ以上動揺するリーダーを他のメンバーに見せるのはよくないと思っただけなんだ。


 俺の言葉を聞いて、アイツは階段を駆け上がり俺も後を追った。

 屋上から見える景色を例えるなら世界の終わり。近くには俺たちがいる廃ビルと似たような建物だけが並び、陽が照らし出す街並みは美しいなんて到底思えない。なにせ道という道にゾンビが溢れていたからな。


 屋上を見渡しても老夫婦の姿はなかった。

 まあ期待をしていた訳じゃないが、朝の清々しい空気でも吸ってアイツも落ち着いたかなと思ったら、急にまた駆け出したんだ。

 俺もそこで異変に気が付いた。アイツが向かう先の下、つまりビルの一方だけがやたらとゾンビどもの呻き声がうるさく聞こえるんだよ。そして先行したアイツと同様に屋上の端にある腰くらいの高さの鉄柵を掴んで下を覗けば、老夫婦がいた。


 喰われていた。

 ゾンビが餌に群がるように老夫婦の腕や、顔や、胴体にむしゃぶりつくように身体の原型はどんどんとなくなっていった。

 手遅れ、俺はすぐにそう思ったがアイツは助け出すときかなかった。下界へ身を投げ出そうとするアイツを必死で押さえ、なんとか屋上の中心まで引っ張った。そして俺たちがいた鉄柵の下の方に目を向ければ、ご丁寧に老夫婦が履いていた靴が綺麗に並べられていたんだよな。


 ソレを見てアイツは大人しくなった。

 なんて声をかけていいかわからねえ。俺もアイツのように下を向いて、考えることを少しばかり放棄しかけた。


 でも、気が付いてしまった。


 気が付かなけりゃよかった、と心底そう思った。でも、もう手遅れだ。

 そして恐らくアイツも俺と同じタイミングで痕跡を見てしまった。


「ダイト、マサノブ! あの二人はいたかッ?」とここでホタルが屋上へ来た。


「ホタル、今すぐ移動すると皆に伝えろ、今すぐにだっ!」


 俺はこの時初めてホタルに向かって怒鳴り散らした。いつもなら反撃してくるホタルもこの時ばかりは素直に従ってくれた。

 いくら強がってもまだ未成年のホタルには知って欲しくなかった、だからつい言葉が強くなっちまった。


 状況から見れば、未来ある若者を案じて老夫婦が身を投げた、と見れなくもない。

 けど、俺とアイツの足元には血の痕が擦れたように屋上の入り口から靴まで直線的に繋がっている。まるで老夫婦が誰かに引きずられて、屋上から投げ捨てられたと言わんばかりに。


 すぐに思い浮かんだ容疑者は二人。白髪の男とジャージの男。


 でもその時は急いで行動するべきだ、と俺は感じた。


「ダイトっ! お前は妹を守るんだろう、だったら今すぐにでもここから移動しなきゃならねえんだよ、わかるだろ」


 俺は放心しているアイツに向かって喝をいれた。

 今なら老夫婦にゾンビが群がっているから移動は容易いはずだ、なんてクズめいた発想だ。それでもこれ以上窮地に立たされていたんじゃどのみち全滅なのは間違いない。だから祈るようにアイツに声を掛け続けた。


「……ああ、そうだな。移動しよう」と、アイツはあっさりと俺の提案を承諾した。


 人間の闇とでもいうのかね。助かりたいから他人を犠牲にする、いつもならアイツが激怒しそうな状況だとは思った。

 それでも妹の為ならとあれば冷静な判断ができる男だ、とこの時ばかりはそう感じた。


 そして俺たちは一階のバリケードを一部開放し廃ビルから脱出した。

 転々と拠点になりそうな建物を、ゾンビを退けつつ見定めていき、とある商工会議所に腰を据えた。


 一階部分の扉や、窓にバリケードを作り、やっと一息つけるといったところでリーダーであるアイツが提案をした。


「今から調達に行こう」


 勘弁してくれと思ったよ。朝から動きっぱなしで、こっちはクタクタだってのにさ。

 でも、アイツが調達へ行くメンバーに指名したのは俺やホタルではなく、白髪の男とジャージの男だった。当然二人は嫌がったが、アイツは有無を言わせず、男二人の首根っこ捕まえて拠点から出ていった。


 それから数時間後、アイツは少量の飲料水と食料を抱えて新しい拠点に一人で帰ってきた。

 あの二人はどうしたのか? と聞くと「他のグループに合流した。だからここにはもう戻ってこない」とアイツは言った。

 その後は誰も男二人を気に掛ける言葉を言わなかった。元々毛嫌いされていたからな、誰も心配することなくリーダーの言葉を鵜呑みにしたんだ。


 でも俺は気づいていた。アイツが腰にぶら下げたバールに新鮮な血が付着していたことを。

 ソレがゾンビの血なのか、それとも人間の血なのかなんて追及するつもりなんて俺にはなかったよ。


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