大浴場 後編
困惑する頭で、現在の状況を一つずつ確認をしていく。
この世界にはターゲットシステム、言わば危険人物ランキングなるものが存在する。
ランキング第四位、鈴木刀子。
俺の左手側にいる彼女は、紺色の水着を着ており、いつも身に着けている眼鏡は外している。
髪は黒くて髪型はお下げ、体格は小柄で、中学生と見間違うくらいの背恰好をしているが目つきはここにいる誰よりも鋭く、狐のような顔つきだ。
ランキング第三位、本田志美瑠。
俺の正面に居座る彼女は、白いビキニ姿で不敵な笑みを浮かべている。
白髪で短髪、体格は細身だが肩幅は割とあるようにも見える。身長はホタルと同じくらいで百六十五センチはあるだろうか。男物のスーツを着れば、歌舞伎町を練り歩いているような人にも見える。
ランキング第一位、河崎シノ。
俺の右手側にいる彼女は、黒いビキニ姿で目を瞑っている。
いつもは腰まで下ろしている金髪も、今ではタオルで覆い髪が湯につかないようにしている。身長はシビルさんより少し低いが、女性らしく出ているところは出ていて俺は思わず目を逸らす。それは、あの日の夜を思い出してしまいそうになることを反射的に避けているからか。
そして俺。
湯舟の中では正座をしており、大事な部分を隠しているタオルはきっちりと押さえてある。守らなくてはならない闘いがここにある。
「そう固くなるなよフジ、それともナニの方が硬くなっちまってんのか? ヒャッハッハ」
トウコさん、オッサンかよ。
どうやら酔っぱらっているようで、俺たちが浸かる湯舟には幾つかのお盆が水面に浮いている。
お盆の上には缶ビール、日本酒らしき瓶、ワインと様々な種類の酒がぷかぷかと湯舟の波に合わせ浮いている。どれだけ酒が好きなんだよ、この人たちは。
「それで、話とは何でしょうか?」
酔っ払いに付き合っている暇はない。
一刻も早くここから脱出したい俺は話を切り出した。そして応えたのは黒酔のリーダー格と思われるシビルさんだ。
「単刀直入に聞くぜ。ホタルに何があったのかを聞きたい。正確に言えば、P・B・Zに来て、あの胸くそ悪いオープニングセレモニーの前までの間に何があったのかを、だ」
俺は予想外の質問にポカンとしてしまう。
どうやら彼女たちは俺に何かを問い詰める為に呼び出したのではなく、単純に仲間のことを案じてのことだった。
「……フジ、ホタルとお前たちのチームの間で何かあったのか? それとも別の問題か。どうなんだ」と、シノさんからも続けて問い詰められる。
「実は――」
そして俺は説明を始めた。
チームコレクトと遭遇したこと。そこで自分の妹がホタルとの間に行き違いがあったこと。
しかし、その原因は自分にあると踏まえて、ナオは悪くないのだと彼女たちの不満を買わないよう努めて説明した。
「なるほどな、フジの妹とホタルの問題か。それなら俺たちがどうこうできる話じゃねえな……」
「だから、私が言った通りじゃねえか! なんでもかんでも首突っ込もうとするんじゃねえよ」
「し、仕方ないだろ。ホタルは責任感が強いっつうか。困った時でもなにも言わねえんだから」
「シビルはホタルを甘やかしすぎなんだよ。ああいう時は、突き放しておくぐらいが丁度いいんだよ」
と、シビルさんとトウコさんの言い争いをしばらくの間、俺は微笑ましく眺めていた。
ホタルは本当にいい人たちと出逢うことができたのだなと、心からそう思う。
「急に呼び出したりして悪かったなフジ。他の連中ものんびり風呂に浸かってりゃよかったのに、あと十分で出ようなんて言わなけりゃな」と、ここで耳を疑うようなことを言う白髪の人。
「え? 俺たちの話、聴こえてたんですか?」
「ああ、聴こえたぜ。これぐらいの距離なら訳ねえよ」
これぐらい、と彼女は言ったが俺たちが浸かっていた浴槽からここまでは三十メートルほど離れている。それに、マサノブもそこまで大きな声で話をしていた訳でもない。
屍者の五感、特に聴覚、視覚、嗅覚は個人差によって異なるようだが人間だった頃に比べても鋭くなっているとは聞いていた。しかし、無音とは言えないこの大浴場でも、遠くにいた人物の声を聴き分けるだなんて芸当が可能なのだろうか。
「フジ、お前はまだウイルスの使い方がよくわかってないのか?」と、トウコさんから尋ねられる。
奇妙な言葉だ。本来ウイルスとは生き物の細胞を利用し自己を複製させ、感染性の構造体を表すような言葉だった気がするのだが。まるで屍者の身体の内にあるウイルスを、箸かフォークでも扱うかのような言い回しには未だに慣れない。
そして俺は彼女の問いに、まだよくわかっていないと伝えると小柄な彼女は得意げに話し始めた。
「ある程度ながく生き残った人間は屍者の身体になって五感が強化される。しかし、いつでも感覚が強化されている訳ではない、ながく生き残った者ならある程度調節ができるんだよ。例えば音楽再生機の音量を絞ったりするみたいにな」
「ああ、なるほど。つまりトウコさんは今、その気になれば眼鏡を外していてもはっきりと見ることができる、ということですね?」
「少し違うな、視覚と視力は別物だ。視覚ってのは目から入ってくる対象を脳にむけて情報として置き換える行為であり、私たちでわかりやすく言えば戦闘中に相手の動きを見ていかに素早く解釈するかということになる。そして視力は物が見える度合い、つまりはいかに遠くの物が見えるかの話になる」
「なる……ほど?」
「フジ、わかってねえのに適当な返事をするんじゃねえ。視覚は目から入る情報量、視力は遠くの物が見える度合いとでも思っておけ。そしてここで勘違いしやすいのは視覚をいくら鋭くしても脳へ送られる情報には限度がある。さっきシビルがお前たちの話を聴いたのは聴力であり、視力と聴力も意識すれば強化することができる。だが、聴覚なんかに比べると身体の中にあるウイルスを多く消費することになる」
「な、なあトウコ。俺も実はよくわからねえんだけど。もうちょいわかりやすく言ってくれね?」
と、ここでシビルさんが困惑した表情を浮かべる。
よかった、俺だけじゃなかった。トウコさんの話は中々に難しい。
「なんだよ、シビルも感覚でやってたクチか。わかりやすく言うとだな、私たちの身体にあるウイルスはゲームなんかで例えればマジックポイントとでも思えばいい。そしてそのポイントを消費して視力を強化したりできるんだよ。つまりは無限にできるってわけじゃない、私が普段眼鏡を掛けているのはウイルスの消費を抑えるためなんだよ。それでシビルなんかも勘違いしていたみたいだが、ウイルスの使い方ってのは五感を強めるよりも視力と聴力に注いだほうが有用なことが多いぞって話だ」
その言葉を最後にトウコさんは、一仕事終えたようにグイッとビールを煽る。
それにしても、ここまで凝った説明をされてもいまいちトウコさんの話は半分も理解できていない俺の頭は思考力に欠けるのだろうか。
「トウコ、やっぱりわかんねえぞ。もう一回説明してくれ」
「だ、か、ら! お前がさっきやってた――」
と、ここでトウコさんとシビルさんの二回戦が始まる。
よかった、俺だけではなかった。そしてふと正面にいるシビルさんに目を向けたところであることに気づく。
シビルさんの身体には傷一つない。腕や脚、一回戦で無数に振るわれた日本刀の斬撃の痕も、火炎放射器による火傷も見受けられない。屍者の身体は再生能力もあるみたいだが、彼女たちが纏う黒い衣服はやはりどんな攻撃をも防いでしまうのではないかと思考に耽る。
そして、二人が言い争いに発展しそうになったのを見かねてか、シノさんが呆れた口調で止めに入る。
「二人とも、いい加減にしろよ。酔っぱらったトウコがまともに会話できないってシビルもわかってるだろ」
中々に酷いツッコミだが「アハハ、シノはよくわかってんな」と、トウコさんは笑い飛ばす。
もしかしてこの人、わざと俺を混乱させるために回りくどい話し方をしていたのだろうか。だとすればいい性格をしている。
「そうだったな、トウコは酔っ払うと話が支離滅裂になるもんな。あ、そういえばシノもフジに何か言いたいことがあるんじゃなかったか?」と、シビルさんがシノさんへ新たな話題を振る。
「……別に、言いたいことってほどでもないんだけどな」
そしてシノさんはお盆の上にグラスを置き、こちらを睨む。
「昼間、サラたちに会った時に文字通り、木刀について嗅ぎまわっていたそうじゃないか?」
ギクリ。
俺が黒酔について詮索していたことが露見してしまったようだ。
どう言い訳しようかと、頭を悩ませているのも束の間、正面にいるシビルさんが豪快に笑い飛ばす。
「ハハっ! なんだ、黒酔に勝つために色々調べ回ってんのか? いいじゃねえか、それぐらい。勝気になってきてくれる方がいいってもんだ」
助かった。
強者の余裕だろうか、シビルさんが満足したかのように満面の笑みを見せてくれたおかげでシノさんもこれ以上は追及するまいと瞼を閉じる。
俺の目的。妹であるミリアと自称する人物に相対するまでは、この大会では負けられない。だからこそ、障害となりえる優勝候補者が軒を連ねる黒酔について調べ回る行為を、容認してもらえたのは大きいのかもしれない。
「つまんねえだよな、今回のP・B・Z。次の対戦相手は棄権しちまったしよ」と、シビルさんが耳を疑うようなことを発する。
「え!? 棄権?」
「ああ、そうだぜ。次の対戦相手が俺たちにビビッちまって棄権を申し出したんだとさ」
その言葉を聞いて啞然とする。
少しでも彼女たちの情報を得ようとしていただけに、その機会を失った形となる状況は喜ばしくない。つまり、黒酔の彼女たちは既に本戦へと駒を進めたことになる。
「別にいいじゃねえか、面倒ごとがなくなるってもんだ。そうだフジ、ビールのむか? キンキンに冷えてるぞ」
と、トウコさんが浴槽の外に置いていた、氷の入ったバケツから缶ビールを取り出し勧めてくる。
しかし、タオル一枚しか身を隠す手段を持ち合わせない俺は酒に酔う余裕なんてありはしない。
彼女の厚意を無下にするようで悪いが、丁重にお断りさせていただいた。それにビールは、苦しかったあの時を思い出すようで、極力口にしたくない。
「それではそろそろ俺は出ますね」
「おう、明日は試合見に行くからよ」
そして俺は湯舟からあがり、彼女たちに別れを告げて浴場を後にする。
脱衣所で手早く着替えを済ませ、廊下に出ると涼しい風を感じホッと胸を撫でおろす。
俺もタフになったものだ。
黒酔の飲み会にパンツ一枚で召喚された経験があるからだろうか、タオル一枚と心許ない状況でもなんとか冷静に会話をこなせていた気はする。
成長も老化もしない不思議な屍者の身体。
それでも精神面は少しぐらい成長できたのかな、とぼんやり考えながら俺は自身の部屋へと帰るのであった。