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屍者の誇り  作者: 狭間義人
三章
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大浴場 前編

「んん、いい湯ですなあ」


 大会二日目の夜、俺たち男四人は宿泊施設の二階にある大浴場へと足を運んだ。

 全身を伸ばして湯に浸かる。今だからこそ言えるが、なんて素晴らしい経験なのだろうか。


「そうだなあ、こんなでっけえ風呂に入れるなんて、あの時は考えられなかったもんなあ」と、タクロウのぼやきにマサノブも緩んだ口調で相槌を打つ。


 彼が言ったあの時とは感染病が拡がった頃の話だろう。

 貴重な水で身体を拭くなんてもってのほか。飲み水を確保するため、雨が降るたびに簡易型のろ過装置を設置する傍らで、脱ぎ捨てたシャツを丸めて必死に身体を擦っていた時のことを思い出す。

 

「確かにな、屍者の世界になってからも銭湯や温泉を管理しようとする好き者もいないだろう。これだけ広い湯舟に浸かれるのも、大会出場者の特権みたいなものだな」


 トキウチさんも広い浴場を堪能しているのか、いつもよりは穏やかな表情をしている。

 彼が特権と言ったのは、俺たちが宿泊するこの施設は原則として大会出場者のみが出入りできる。しかし、今大会は出場者が少ないこともあり、出場者が人類保全機構へ申請すれば外部の者も利用できると規約に追加されたらしい。

 しかし、俺たちは特別に外部から人を呼ぼうとすることはなく、男四人で贅沢な時間を過ごしていた。


「それにしても、誰も入ってきませんね」


 誰に尋ねるわけでもなく、大浴場を湯舟に浸かりながら見渡していく。

 浴場は広く、二百人は同時に利用できそうなくらいのシャワーが設置され、家族風呂のように一区画ずつに分かれた浴槽が十以上あり、さらには外へ続く扉を開けば露店風呂なんかもあるそうな。だが、そんな広い浴場も俺たち四人しかおらず、水滴がたまに落ちる音以外では俺たちの声しか反響してこない。 


「当然と言えば当然だろうな。今回のルールでは予選は味方でも、本戦まで進めば個人戦となり敵になるのだからな。ここにいる俺たちでも例外ではない。仲良く風呂に入ろうなどと考える者は少ないだろう」


「それは、まあ、そうなんですけど……」


 湯舟の中で腕を組みつつ、俺の疑問に答えたトキウチさんの言葉を最後に沈黙がこの場を支配する。しかし、口ではきついことを言いながらも俺たちの提案に乗ってくれたトキウチさんはやはり人が良い。

 もしも明日、予選の二回戦を勝ち上がればチームは解散し、大会中はこのように集まることは今後ないのだろうかと少しばかり寂しくも思う。

 

 東京に来て友達と呼べる人はいなかった。せいぜい仕事先で知り合い、仕事帰りに食事をしながら職場の愚痴を溢し合う程度の薄い人間関係。

 独りのほうがいい、そんな風に強がっていたこともある。それでも妹のナオが東京に来るとわかった時は嬉しかった。家族から頼りにされる、働きづめで擦れていた俺は浮かれたものだ。

 しかし、全てが壊された。人を悪鬼に変えるウイルスと人類保全機構に、全てを壊されたのだ。


 同じ湯舟に浸かる三人を見る。

 もしも屍者の世界が終わり、人間の身体に戻ったらまた彼らと話しをしたり、ゲームで遊んだり、酒をのみ交わすことができるのだろうか。いまだに相棒へ打ち明けていない俺の願いと、相棒の思いが相反しないことを祈るばかりだ。


 目の前にある湯を手ですくい、天井に設置された照明を照らし返す手の平をなんとなく眺める。

 思えば不思議な身体だ。ウイルスに感染した時点で身体の成長が止まる、特訓をしていた頃に思い知らされた新世界の現実だ。

 いくら筋肉を鍛えようとも、ウイルスによって以前の状態へと戻される。特訓をする合間に自宅の鏡の前で『少しは締まってきたかな』と確認しても一向に身体つきは変化しなかった。痩せこけているとまではいかないが、努力した痕跡が残らないとは虚しいものだ。


 それにしても、皆いい身体をしている。

 タクロウは俺たちの中でもっとも身体が大きい。身長もさることながら、肩幅も広い。全身を分厚い肉で覆っていて、お相撲さんのような体つきをしている。

 マサノブは体格で言えば俺と同じくらいなのだが、生前は『モテるため』とのことでかなり鍛えていたらしい。その影響だろうか、日焼けサロンで焼いたかのような浅黒い肌は水滴を弾くように輝いて見える。

 そしてトキウチさんの身体は芸術的と言い換えてもいい。身長は俺たちの中で一番低いものの、保健体育の教員をしていた影響だろうか。彼の筋肉はそれぞれが明確な輪郭を残しており、腹筋なんて六枚どころか八枚に割れている。同じ男としても見惚れてしまいそうになる。

 

 そんなことを考えていると、浴場と脱衣場をつなぐ扉が開かれ、大浴場に新たな一団が現れる。たち籠る湯気の中からは複数人の雑談らしき声が聴こえ、静かだった浴場が賑やかになる。そして、


「あ! ヒロちゃんたちだ、やっほう!」


「きゃあああああああああ」


 浴場にて、男の悲鳴がこだまする。


「なんでえ、なんでマッキーと黒酔の人たちが大浴場に来てんの!? マキ氏のえっち!」


「えっちじゃないもん! 大浴場は混浴って書いてあったでしょお、それにヒロちゃんたちこそ水着くらい着てきなよ、エチケットでしょエチケット!」


 驚く中、言われてみれば彼女たちはそれぞれ似合いの水着を着ており、呆れたような仕草でこちらを覗っている。


「そういえば、そんなことも書いてあったな」と、男三人が慌てて大事な部分をタオルで隠そうとしている中で、トキウチさんは動じない。

 さすがは妻帯者、女性陣に裸を見られても余裕がある。


「おい、おまえら。こっちから先はくるんじゃねえぞ」


 と、白いビキニを着たシビルさんが床に線を引くような素振りを見せ、彼女の後に続くように一団は湯煙の中に消えていった。

 助かった。これ以上来るなとあれば、彼女たちもこちらへは来ないということだろう。一瞬、高鳴った胸をなでおろす。


「ど、どうするマサヤン。もう出ちゃう?」


「いや……なんかここで出たら負けた気がするから、あと十分くらいしたら出ようぜ……」


 マサノブよ、どうしてそんなところで意固地になるのか。

 確かに俺たちも身体を洗って湯舟に浸かってから五分と経っていない。滅多にできない経験を少しでも先延ばしにしたいというのは人の性だろうか。


 そして男連中が熱い湯に浸かりながら冷や汗を流す中、シャワーで身体を洗う女性陣の声を聴きながら悶々とした時を過ごす。

 大丈夫、俺は冷静だ。例えシノさんの黒いビキニ姿を脳内に焼き付けたとしても平静を装えているはずだ。もしも彼女が週刊誌の表紙を飾ったら、その辺のグラビアアイドルは敵わないだろうな、なんて考えは捨てるのだ。


 そして刻々と時は流れ、もう十分経ったのでは、と互いに見合っていた頃に一人の人物が俺たちのもとへ訪れる。


「オウ、フジ。チョットイイカ?」


「なっ!? デカブツ、おまえらこっちには来ないんじゃなかったのかよ!」と、マサノブが騒ぎ立てる。


「スマンナ、モジャオ。シビルガフジトハナシガシタイトイウカラ。チョットキテモラエルカ?」


 嘘だろ。パンツどころかタオル一枚しかない状況で、どうしてお呼びが掛かるのか。


「そんじゃ俺たちは先に上がるか」と、俺を除く三人が湯舟から立ち上がる。


 提案がある。チームプライド改め、チーム薄情者に名義変更してみてはどうだろうか。などと考えているとマサノブが去り際に耳打ちをしてきた。


(お前が言ってた黒酔の攻略法、俺はよくわかんねえけど、アイツらには絶対言うんじゃねえぞ)


 そんな言葉を残し彼らは俺を置いて大浴場を去った。

 なあ、相棒よ。そんな風に心配してくれるのなら『うるせぇ! ダイトは俺たちと一緒に風呂から上がるんだよ』と訴えてくれてもよかったのではないか。


「フジ、イクゾ」


 もはや逃げ場はない。ここで断れば、あの日のように拉致まがいな恰好で連行されるだけだ。大人しく従うことにしよう。


 腰に巻いたタオルを縛り、ベルさんの後について行くと一つの浴槽に六人の姿を見る。


「よお、悪かったな急に呼び出して。まあ、入れよ」と、シビルさんから促される。


 困った。男四人で入れば広く感じた浴槽も、女性陣六人が均一な距離で湯舟に浸かる状況でどこに入り込めばいいのか。

 すると、サラさんからおいでおいでと言わんばかりに手で招かれ、彼女の横に失礼することにした。

 右隣にはサラさん、そして左隣にはホタルがいる。俺に対して優しく接してくれる二人の間に挟まれて少しばかり安堵する

 だがしかし、


「ホタル、マキ、ベル、サラ。ここには露店風呂もあるらしいぜ、ちょっとそっちに行って来いよ」


「露店風呂! 行きたい行きたい、ホタルちゃん行こ」


「えっ……でも……」と、シビルさんの提案に困惑するホタル。


 俺の隣を離れようとせず、俯いたホタルだが、その反抗も虚しく


「……ベル、連れていけ」


「イエス、ボス」


「え、ちょ、キャアア!」


 俺は左隣にいたホタルが、巨人に湯舟から引っこ抜かれ拉致される光景を眺めることしかできなかった。

 そして右隣にいたサラさんが湯舟から立ち上がる。


「シビル、私がホタルをなだめていられるのも十分が限界よ?」


「充分だ、行ってくれ」


「はいはい、あんまりフジくんを虐めちゃダメよ?」


 と、物騒な言葉を残し、黒酔の女神ことサラさんは露店風呂の方へと去っていった。

 そして浴槽には俺を含め四人の人物が残される。


「さて、フジ。ちょいと話をしようか」


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