再会
太陽は遠く、人の手では届かないほどの距離にある。
肌を焦がすかのような太陽光に思わず焦れ込み、日陰を求め近くにあったビル入口の軒下へと避難する。
『14:46 晴れ 44℃』
GPSでも起動しているのか、携帯端末の画面には目を背けたくなるような事象が映し出されており溜息を漏らす。以前でも気温が高くなることはあったが、ここまで高温なのはなかなかお目にかかれるものではなかった。
「あっつい……」
口ではそう零すものの実際にはそこまでの暑さを感じていたわけではない。
誰もいない街。
謎の施設から歩くこと小一時間。俺が生まれたこの国で最も発展を遂げていたはずの街は無人と化していた。
広い道路の上に所々と目にする青い看板の一つには『S駅 300m』と表示されていた。
東京に移り住んで約一年くらいだったであろうか、人が多く集まる場所に好んで行くことは少なく、土地勘が効かないながら彷徨うのには少々骨が折れる。
何か情報を、と思い端末を再度立ち上げ画面に目をやるが映し出されるのは見たことも無いアプリアイコンの数々。
『電話 フリーワーク トレード BB 赤外線通信』
複数あるアイコン下に表示されている名称を一つ一つと確認していき『電話』のアイコンをタップするも『番号登録がありません お友達を探しましょう』という無慈悲な一文を目にしてアプリを閉じる。
荒廃した世界を温い風が吹き抜ける。
街はあっても人はいない。人の手が入らなくなった街は錆び付き、例えていえば終末という言葉がよく似合う世界だと一人で視線を彷徨わせながら思う。
『ズキン』
頭痛。
頭に浮かんだ景色はベッドの上で思い出した世界に酷似していた。
片手には血にまみれた武器をもち、周りにいる人間たちと街を歩くだけの光景。
これも俺の記憶の一つなんだろうか、片手で頭を掻き目を開く。
眼前にあるのはアスファルトを焼く光。直接浴びれば皮膚を炙られる感触に嫌気を覚えるが、日陰に身を隠した今ではそれも和らいでいた。
呆とした頭で記憶を辿る。あまり多くはないが目覚めてからの時間で少しずつ戻ってきた知識と体験を紐解いていく。
自分の名前は藤沢大翔、田舎から仕事を求めて東の首都へときた。だがそれは言い訳だ、正確には逃げてきたと表現するのが正しいのかもしれない。
東京に越してからは職を転々と渡り歩き、あの日は回転寿司屋の仕事を終えた後のことだった。人間が人間を喰らうようになった『あの日』から、そして―――。
「おおーい! そっこのきみぃ! こんな暑い日に出歩いてたら腐っちゃうぞー! ウチでお茶していかなーい?」
人の声。
甲高い声が聞こえた方向へ目を向けるとそこには人が立っていた。
無心で走る、声の主の元へ。なにも通り過ぎることのない四車線の道路を横断し、向かい側にいた人物へ目掛け急いで駆け寄る。
「あ、あ、あんた人間か!? 人間なんだな!?」
「はいぃ!? ちょとまて、待って! 痛いってば!」
気がつけば声を掛けてきた人物の肩を掴み、人と出逢えた驚きから力を込めて揺さぶっていた。
「す、すまない!」
「離れて! はーなーれーてっ!」
慌てて肩から手を放し一歩二歩と後ずさる。
見れば若い女の子だ。髪は綺麗な亜麻色で肩まで掛かった毛先はクルンと内側へ巻き込み、全体的にも快活な印象が窺えた。
「もうっ!! なんなのよ急に、びっくりするじゃん!」
悪いことをした。俺の身長に比べれば頭一つ分以上に低く、彼女からみれば巨大な身体から肩を掴まれれば怖かっただろう。
「わ、悪かった……でも」
「あっれ? 君のその恰好、もしかして『黄泉がえり』ってやつ?」
彼女は珍しいモノでも見るかのように俺の着ていた患者衣に興味を示す。
あの施設を後にする時、学校の玄関口のような所にあったスリッパを拝借して足に装備した姿はまるで病院からの脱走者。
「ま、ここじゃなんだしさ、店の中で話そうよ。今日は誰も来なくってさ、退屈してたんだよね」
二ヒヒと笑みを浮かべ、こちらの事などお構いなしに目の前にある建物へと入っていく女の子。
ビルの間にあるレンガ造りで背の低い建物は、歴史を感じさせながらも人の手が行き届いていると見て取れる。
ここにいても始まらない。彼女の後に続き扉の取っ手を掴む。
『カラン』
扉を開き小気味よい鐘が鳴る。店内は木造でカウンター席があり、それとは別にテーブル席が二組と観葉植物が配置され、小さな喫茶店を思わせる佇まいをしていた。
クーラーでも効いているのか店内は適度に涼しく、くるりと軽く見渡すだけで店内を一望できる空間だ。
「ねぇ、そんなとこに突っ立てないで座ったら?」
促されるままにカウンター席の一つへ腰を下ろす。
やっと会えた生きた人。聞きたいことが山ほどあるのだが、彼女を怖がらせないよう努めると同時に俺自身も落ち着く必要があった。
「ほい、メニューね。今ならトマトジュースなんか冷えててお勧めだぜ! コーラは切らしちゃってるんだけどね」
そんな少年のような口調で手渡されたメニューには『そふとどりんく』と可愛いらしい丸文字で書かれた欄に飲み物の名称が手書きでいくつも綴られていた。
とりあえず何か適当に注文をして話をしたいと目を彷徨わせながら重大なことに気がついてしまう。
お金が、ない。
「すみません。その、今持ち合わせがなくて……」
「え? ケイタイは? 持ってるでしょ、端末」
「端末ってこれの事ですか?」
そう言われアンドロイドから受け取った端末を取り出す。
「なんだ、やっぱ持ってるじゃん。お兄さんこの店初めてだよね? そしたら番号教えてよ。赤外線で送ってくれてもいいよぉ」
「番号? え?」
若い女の子から突如番号を聞かれ思わず当惑する。あ、いや、正確にはわからないが外見から察するに年齢は近いはずなのだが、いきなり番号って、番号って。まずはねメッセージアプリのようなIDの交換からというのが本来であれば定番だと思うのだよ。定番っていうのは若い男女が、こう、距離縮めていく工程とでも例えればいいのだろうか。
「ねぇ! ば、ん、ご、う!」
「あ、はい! けど、ちょっと待ってくれないか。この端末はさっき受け取ったばかりで俺のって訳でもないんだ、それに使い方もよくわからなくて」
「え?」
ストン、と今まで目まぐるしく変化していた表情のトーンが一つ落ちた。
どうしたのだろう。まるで亡霊でも見かけたような女学生のような姿。
何かこちらから話しかけたほうがいいのだろうかと、未だこちらを覗う女の子の瞳と初めて出遭う。その色彩はほんのりと赤かった。
『ズキン』
再び襲ってきた頭痛。
ソンナ、トキデハナイ、スグニ、コロサナイト。
「……ねぇ! ちょっと大丈夫? ねぇってば!」
別世界へ飛ばされていたかのような錯覚から引き戻されたのは涼しい喫茶店。
なにを――血迷っていたのか、なにを掴もうとしていたのか手の平にじんわりと滲んだ汗を患者衣で拭う。手に残った血を拭き取るかのような慣れた仕草で。
「はぁっ、はぁ……いやえっと、ごめん。少し、立ち眩みがしたんだ」
「ああ、うん。君、座ってるんだけど」
「…………」
「…………」
気まずい沈黙。俺は馬鹿だ。
冷静に――冷静に動かなければ。またこの世界で一人になってしまう。
背中に氷でも入れられたかのように身を強張らせ、慎重に言葉を選んでいく。
「あの、突然で申し訳ないんだが教えて欲しいんです。ここが東京だってのは分かるんだけど、さっきまで病院のような場所にいて、そこから歩いて、でもまったく人と会わなくて。とにかく、その、わけが分からないんだ。記憶もバラバラというか、思い出せない。自分がどうしてあそこに居たとか、その……」
溢れ出る言葉が止まらない。
ここに来るまでなるべく考えないようにしていた疑問の数々。それをできるだけ簡略に話そうとしても上手く言葉にできない己に苛立ちを覚える。
「ストップ! わかった! わかったからひとまず落ち着こう。うん、とりあえずさ飲み物でも飲みながらゆっくり話そうよ。トマトジュースでいいよね? 準備するからちょっと待ってて」
店員から手の平を向けられ口を噤む。
やってしまった。
落ち着こうとすればするほど焦りが生まれて口が回らない。これは今に始まったことではなく昔からの悪癖だと嫌な記憶が蘇る。
「はい、どうぞ! キンキンに冷えてるぜぇ!」と、目の前に赤い液体がなみなみに注がれたグラスが置かれる。
「あり、がとう。でもお金は?」
「いいって、今日は私の奢りってことにしといてやんよ! 飲め飲め!」
そう勧められ、トマトジュースのグラスを口へ運ぶ。
程よく酸味の効いた液体は、渇いていたであろう喉と心を潤していく。
暗い表情ばかり浮かべる俺に対して明るく、そして優しく接してくれる彼女の温かさに思わず目頭が熱くなる。
一口、そしてまた一口と噛みしめるようにグラスに口をつける姿に満足したのか、カウンターに立つ彼女は穏やかに話しかけてきた。
「えっと、あのさ……君は思い出せないだけなんだよね。たぶん、私も詳しくは知らないんだけど―――」
『カララーン!』
突如として五月蠅く鳴る鐘の音。鐘が鳴る方向へ顔を向ければ一人の男が立っていた。
「よーぅ! マッキー!! 稼いでるかい!」
重苦しい空気が漂い始めていた店内を一瞬にしてぶち壊した一人の男。
黄色い半袖のシャツからくっきり分かれて見える肌は浅黒く、キラリと光る青いレンズのサングラス。自然と目を引くガッツリと決まったドレッドヘアー。
陽気な男、瞬時にしてそう判断できるほどに男の周りには常夏の空気が感じられた。
「んもーうるさいなー! いま真面目モードなの! 静かにしてよ!」
「へ? なに、真面目モードって?」
まるで食って掛かるかのような彼女の言葉を気にも止めず、ズカズカと店内へ入ってきた男と目があった。
「…………」
「嘘、だろ……おい、マジか! マジなんか!?」
「え?」
色黒の男は無遠慮にも思えるような足つきでこちらへ近寄り俺の力強く肩を掴む。
「ダイトだよな!? そうだろ!? なぁ!」
「な、に?」
「おいおいおい!! 俺だよ! マサノブ!! 長渕将信だよ!!」