互いの願いと嘘
昼間の乱痴気騒ぎが収まり、マサノブの提案で親睦を深めるための飲み会が提案された。そしてこの街で唯一の酒場『オアシス・ベース』へと足を運ぶことになったチーム一同。
残念ながら助っ人であるホタルは「男だらけの飲み会なんぞ参加するか」と、機嫌損ねなたようで。公園で分かれて男四人でのむさくるしい飲み会となった。
「乾杯」
グラスを優しくぶつけ合い、なみなみに注がれた酒を口へ運び喉を濡らしていく。
この場では全員同じお酒から、などということもなく各々が好きな飲み物を注文した。マサノブはジントニック、トキウチさんは昨夜と同じくウイスキー、タクロウは酒が飲めないらしくコーラ、そして俺はブラッディメアリーというカクテル。
カクテルを頼んだりすることが無かった俺だが、目の前に置かれたグラスに思わず見惚れてしまい溜息が零れる。ブラッディメアリーという少々不気味に感じる名前ではあるが、中身はウォッカとトマトジュースを混ぜ合わせた飲み物である。グラスにはカットしたレモンが刺さっていて中身は人の血を思わせるほどの濃ゆい赤。飲み口には塩が振られていて、この塩を舐めつつ酒を口内へ流し込んでいく。すると甘じょっぱいトマトジュースの酸味が口の中で拡がり、さらにはアルコールが効いた液体が全身を駆け巡り、とても幸せな気分になれる素晴らしいお酒なのである。ちなみに相棒から「女子っぽいなソレ」と言われたが気にしない。
「いやぁ昼間はホントすんませんでした、今日は俺が全部出すんでガンガン飲んじゃってくださいよ!」
「マサヤンってば調子いいよねぇ。でもさ、P・B・Zの参加料は大丈夫なん?」
「大丈夫、大丈夫! 今度はちゃんと地道にフリーワークでもして稼ぐからさ!」
「そう願いたいな。賭け事で有り金を溶かしたとなっても金は貸さんぞ?」
「ぐへぇ! トキさん、勘弁してくださいよぉ!」
テーブルを中心に和やかな笑いが起こる。華のない席ではあるが、男だらけの飲み会もいいものだ。
それからは互いの身の上話をしながらの雑談となった。
マサノブは以前この辺りに引っ越すまでは池袋に住んでいたらしく、そこで昼間のチンピラたちと顔見知りになったそうだ。ここ東京に関しては面積こそ狭いものの実際に住んでみると存外広く感じるもので、人がいないと思っていたこの街も実はまだそこそこな人数がこの東京で暮らしているのだそうな。ただしこの辺り一帯、つまり黒酔の縄張りとされているエリアだけは異様なまでに人が少ない。タクロウのアパートで聞いた話だ。
タクロウはあの終わりの日、感染者が蔓延っていた時代は両親と生き長らえていたそうだ。以前は実家が無人コンビニを経営していたらしく、半ニート生活をしつつたまに実家の手伝いをしていたようだ。現在、両親は海外旅行を趣味として世界中を飛び回っているらしく、日本に帰ってくることは稀なんだとか。
トキウチさんは現在奥さんと別居中とのこと。タクロウからは「あれれ? トッキーってば逃げられちゃったの?」などと煽られていたが俺はその理由を昨夜の雑談の中で聞かされていた。心を病んでいる、それを理由に奥さんの実家がある石川県で両親と共に療養中らしい。そして奥さんとその両親の生活費を稼ぐ為に黒酔を狙った悪党、つまりターゲットを効率良く狩るためにこの東京で活動しているそうだ。しかしトキウチさんからは「妻のことは他言しないでくれ」と言われている。陽気な二人に余計な心配をかけたくない、彼なりの気遣いだろうか。
そこから『もしもP・B・Zで優勝したらなにを願う?』という話になった。酒の席ということもあり今回はそこまで真剣な話をする訳でもなく、例えば宝くじが当たったら何したい? といった俗世にまみれた世間話だ。
タクロウは以前から言っていたインターネットの復活。
トキウチさんは「厄介な人物に優勝されるくらいなら俺が優勝する」と発言しているが当然これは建前であることは俺も気が付いている。彼の本音は子供との再会、しかし新世界での事情を知れば知る程に己の願いに疑問を抱いている。そしてそんな願望を持つものは異端者扱いされかねない世の中だとも聞かされていた。
そして意外だったのはマサノブだ。
「実はさ、俺は別に願い事ってのはないんだよなぁ」
「え? そうなのか?」
「ああ、だって考えてみろよ。確かにこの世界じゃあ色々と人類保全機構が規制してて娯楽なんかが少ないってのは分かるんだけどよ、でも色々と自由じゃん? 平和な時代も悪くなかったけどよ、それでも日本以外じゃあ戦争とか食料難とか色々と面倒な問題があったじゃん? でもこの世界ならお国同士の争いも貧富の差なんかもなくてイイ感じだと俺は思う訳。んで、屍者の身体能力には差があったりするけどさ、それも昔に比べればまだマシな差って言えね? 生まれだとか、肌の色とかで他人を見ていた頃に比べたら俺はこの世界の方が皆がハッピーになれると思うんだよな。だから特にこれといって叶えたい願いってのはないんだなこれが」
驚いた。隣に座る相棒が急に大人になり、少しばかり置いて行かれた気分だ。
「うへぇ、マサヤンがなんか常識人みたいなこと言ってるぅ……」
「へへっ! まぁ偉そうなこと言ったけどよ、俺セレブな暮らしに憧れてたのよ。でも昔はただのフリーターだったし、学歴もコネなんかもなかったからさ、この街であんないい部屋に住めるなんてそれこそ天地がひっくり返らねえと叶わなかったと思うんだよな」
「ナガブチ、確か終わりの日を迎えた時は二十四歳と言っていたな。俺から言わせればそんな歳ならあらゆることに挑戦ができたと思うが? いわゆるセレブな生活というのも夢ではなかろう」
「無茶言わないでくださいよ、無理ですって俺なんかには。それに俺はこの世界がそこそこ気に入ってるんですよ。物騒なこともあるけどそれもスリリングに感じて刺激的だし、毎日好きなように生きれるし……ここにいる三人とも出逢えた訳だし……」
「マサノブ?」
酒がまわってきたのか、頬がほんのりと赤く染まる相棒。
「俺さぁ、昔から色んな人と仲良くならなくちゃと思って色んな所で愛想振りまいてたんだよ。服とか髪型とか恰好つけて、根拠もねぇのにでかい顔してる連中とつるんでた。でもさ、心のどっかで線を引いてたっつうか……なんか上手く言えないけど本音で話せる人っていなかったんだよな。でもあの時ダイトやナオちゃんやホタルと出逢って少し考え方が変わったんだぜ? 自分の考えていることを正直にぶつけて、ちゃんと返してくれる人がいるんだって」
そして彼はグラスに入った酒を一気に飲み干す。
「ああ! もう俺の話はやめだ! ルミさん、すんませんジントニックのおかわりおねがいしゃす! つうかよ、ダイトはどうなんだよ! もし優勝したら何を願うんだよ!?」
「え? えっと、俺は……世界平和、とか?」
「だっはっは! なんだそりゃ、マジうける!」
まるで心臓に棘が刺さったような気分だ。もしも俺が『人間に戻りたい』と言えば彼はなんと言うのだろうか。
しかしここでは本心を明かせない。対面に座る二人からは『言うなよ』と警告混じりの視線を送られていたからだ。この場でもしも俺とマサノブが仲違いをするようなことがあればチームは成り立たない。それにここにはいないがホタルもマサノブと同じ考えであれば協力を拒否される可能性だってある。
本音で話せる相手と言われておきながら、自分の本心は明かせずにかつての仲間に嘘をつく。俺は最低な人物だと心の底から思う。
暗い感情を飲み込むように、マサノブに続いてグラスを空ける。そんな空気を察してか、タクロウが昼間の出来事を話題に上げる。
「あ、あのさダイトンの闘い方ってば凄かったよね! あれなんて言うの? フジサワ式バール闘法?」
「おう、それそれ! ガチでビビったぜ、いつの間にあんな闘い方を身につけたんだよ?」
「そんな大層なものじゃないよ、タクロウから聞いてた話がヒントになったんだ。昔見たことがある映画の俳優さんがやってた動きを真似しただけなんだけど……それで、トキウチさん」
「ん? なんだ?」
「俺の、闘い方はどうでしたか?」
少しばかり気になっていた事を聞いてみることにする。『闘いとはその人物の本性が表れやすいもの』と言われて、彼が俺のことをどう判断したのか。マサノブやホタルを挑発し、俺を闘いに仕向けた人物は何を見出したのか。試された分のお返し、と思っての質問であった。
「そうさな。フジサワは実に真っ直ぐ、愚直とまでは言わないがな。人としてなら好ましいのだが、他人との闘争であれば話は別だ。自分の考えだけを押し通そうとするのではなく、相手がなにを考えているのか、なにを見ているかと少しばかり気にしてもいいかもしれんな。しかし、それは経験で補えるものでもある訳だが。まぁ端的に言えば、もう少し駆け引きを覚えたほうがいいだろうな」
と、意外な返答が返ってきた。
単にどんな人物に見えたかと聞きたかったのだが、まさか戦闘に対する助言を貰えるとは思わなかった。
「え? なにそれ、トッキー式性格診断みたいな? それなら僕も、僕も!」
「診断などではないぞ、ただの経験則だ。ヒロスエは周りの状況がよく見えていると言えばいいかな。相手を複数とした場合に真価を発揮するようだ。しかし、注意力が散漫になりやすいのが傷とも言えるかな」
「トキさん、次は俺も!」
「お前たち、俺をおもちゃにしていないか? まぁいい、ナガブチはヒロスエの真逆だな。一対一での闘いなら相手が格上であろうとも粘り強い闘いを以前のP・B・Zでは見せていたな。集中力の高さは認めるが、視野が狭くなりがちではないかな。もう少し回りを広く見てもいいのではないか?」
トキウチさんの診断にそれぞれが関心する。よく見ているものだ、彼が教師をしていたのは知っているが現役の時もこんな風に生徒に目を向けていたのだろうか。
そして嬉しくも思う。こうして俺のことを見てくれていて、彼から仲間として認められたのかな? と自分に都合のいいように解釈する。
「しかしな、ここまで言った俺の話だが話半分で聞いておけよ」と、ここまでした自分の話をひっくり返すようなことを言う年長者。
「どういう意味ですか?」
「俺がお前たち三人の限界を作りたくは無い、という話だ。例えば部活動において先輩から助言をもらったりする時もあるだろう? しかしその先輩が残した記録を超えたいのであれば、自分で考えて行動する必要もある。話は聞いても全てを鵜呑みにするなと俺は言いたいだけだ」
「ふへぇ、流石はトッキー。達観したその考え、年の功ってやつ?」
タクロウの言葉に「やかましいわ!」とトキウチさんが返しまたも笑いが起こる。
そこに「けどさ、俺は嬉しかったぜダイト」と、隣に座る相棒から不意に声がかかる。
「え? なにが?」
「だってさ、昼間の野良試合はちゃんとダイトはダイトのままで闘ってくれたんだからよ!」
その言葉に俺を含めた三人が首をかしげる。もうかなり酔っぱらっているのだろうか、今日のマサノブはいつになくご機嫌だ。
それからまた他愛のない雑談をしつつ、そろそろ帰ろうかと話が出てきた折に店の扉が開き、初めて見る人物がカウンター席に腰を下ろす。
「あら、フィオナさん。お久しぶりですね」
「やあやあ、久しぶりだねルミさん。それにしても今日は珍しく団体さんがいるじゃあないか」