野良
太陽光がギラリと差し込むだだっ広い公園には、俺たち五人の姿だけ。
しかし、公園の北口へ向かい臨戦態勢に入る漆黒の少女は鋭い目つきをさらに尖らせる。ここから五十メートルは離れているであろう公園の門にはいまだに人影は見えない。
「足音って、そんなの聞こえるのか?」
「いやぁ全然聞こえないっすよ僕。ホタルンってば耳がよすぎでわ?」と、タクロウも俺と同じく疑問を抱く。
耳を澄ませてみても、聞こえてくるのは温い風が木の葉を揺らす音。静まり返っていたこの街では人ごみが発するような雑音は皆無に等しいように思えた。それでも襤褸切れのマントを羽織っていたトキウチさんは、肩にかけていたアーチェリーを手にして呟く。
「確かに聞こえるな、まるで肩で風を切るような足音だ。意識を集中させてみろ、屍者の耳であれば聴こえるはずだ」
そう言われ、意識を北口に向かって集中させてみると『ザッザッ』と、地面を擦るような音が複数耳に入ってくる。ここから公園への門はかなりの距離があり、その門から繋がる大の大人分くらいの高さがある壁。恐らくその壁の向こう側にこの足音の主たちはいるのだろう。
しかし、隣にいたマサノブやタクロウは俺が耳にした足音は聞こえていないらしく、いまだにあたりを見回している。探知できる音の範囲は個人差があるのだろうか。
そして微かに聴こえていた足音は徐々に耳障りになってきたと同時に、公園の北口から複数の男たちが姿を現した。その人数はホタルが言っていた通り八名、それぞれが極彩色の派手な服装を身に纏い手には武器らしき得物を手にしている。
つい二日前に遭遇した、黒酔に闘いを挑んだ愚連隊かと思い身構える。が、男たちはホタルにではなく別の人物に向かって大声を上げる。
「おいコラァ! ナガブチ、てめぇこんなところにいやがったんかぁ!」
「げぇ! あいつらか!」と、相棒がその男たちを見て慌てふためく様子から公園にいた人物全員から視線を向けられる。
「マサノブ、あの人たちと知り合いなのか?」
「……いやぁ知り合いってほどでもねぇんだけど、少し前に俺が住んでた所の近くにあったクラブの常連なんだよ、あいつら」
この世界にクラブなんてあるのかよと内心驚くも、武装した男たちの前にマサノブが頭をかきつつ歩み出る。大丈夫なのだろうか、あまり友好的な雰囲気には見えないのだが。
「ハマダ、なんか用だ!?」
「なんだじゃねぇだろ! さっさと金払えってんだ、てめぇ!」
「えぇ? マサヤンもしかしてあの人たちから借金でもしてんの?」
「違うって、少し前に賭け麻雀でカモられたんだよ! 俺がまだルール覚えたての時に、あいつら組んで俺のことを嵌めやがったんだ。詐欺だろ、詐欺!」
その場にいたチーム全員が「うわぁ……」と呆れた声を漏らした。
マサノブのいい所は大抵の人物と打ち解ける人の良さはあると思う。社会的にもあまり目立たないような俺にも気軽に接してくれるし、タクロウのような独特な嗜好を持つ人物やトキウチさんのような年長者にもそれは変わらない。しかし、その人を選ばない性分が今回は裏目に出たのだろう。
『ズキン』
ふとした気の緩みからきた久々の頭痛。
ぐらりと揺れた視界を両の脚で踏ん張り態勢を立て直す。立ち眩みにも似た感覚に、片手で頭を押さえ背筋から血が抜けていくような怠さが身体を支配する。
しかし何かがおかしい、これまでの経験上で頭痛の後には屍者の身体になる前の記憶が戻ったりしていたはずだが、何も頭に浮かんでこない。そのかわり、閉じていた目を開けば目の前にある自分の手が赤く染まっているかのように見えた。
慌てて瞼を擦るとそこにはいつも通り肌色の手があり、当然赤く染まっている訳でもない。一体何が、と
顔を上げるとマサノブと派手な柄シャツを着た大男が言い争う姿に既視感を覚える。
「だから払うつもりなんかねぇっての! つうかなんで俺がここにいるってわかったんだよ!?」
「この前な、ウチの店にアホな兄弟が来て教えてくれたんだよ! ドレッドヘアーの馬鹿野郎とそのお仲間に酷い目にあったってな! そんでお前はP・B・Zに出るつもりってんだろ? だったらある程度は持ってるはずだよな!?」
「な、なんでそんなことまで……けど、お前たちには関係ない話だろ!?」
「そこに丁度五人いるのがいい証拠じゃねぇか! 俺たちも次のP・B・Zには参加するつもりだからよ、金が必要なんだよ!」
今、なんて言った? 兄弟が、酷い目にあったと。それは赤隈兄弟が、酷い目に遭ったのはマサノブで、ちゃんと俺が手打ちにしたはずだ。なのに、なのにどうしてあんな嘘を? そうだ嘘だ、詐欺をするような連中だ。そうだ、そうなんだ、だから――。
「……い、ダイト! あいつらの話は聞くな、あれは出鱈目だ。聞いているのかダイト!」と、ホタルが俺の肩を叩く。
「え? ああ、ん? 聞いてる? うん、えっと俺は――」
唐突に掛けられた声にも、どうしてか言葉が上手く繋がらない。頭は冷え切っているはずなのに身体が思い通りに動かない。
ふらつきかけていた姿勢を強引に正し、状況を再確認しようとしたところで「ナガブチ、一つ聞こう。お前はあいつらにどれだけの金額を吹っ掛けられているんだ?」と、トキウチさんが質問を投げかける。
「え? 確か百万バイトくらいっすけど……」
「そうか、それではこの場は俺に任せろ」と、俺たちの動向を見かねてか男たちに向かって歩き出す年長者は声を張り上げる。
「俺は時内という者だ! そちらがよければ、今回の話は俺が預からせてもらえないだろうか?」
「なっ!? トキウチってあの『ターゲット狩りの時内』かよ!」と、スキンヘッドの大男を中心に派手な服装をした連中はざわつきだす。
金縛りにあったかのような身体の痺れは弱まり、鈍痛がしていた頭にも明確な意識が戻ってくる。顔に出ていたのか、そんな俺を心配してタクロウが「大丈夫?」と近寄ってくるもそれを片手で制し背筋を伸ばす。それよりも気になったのは俺の視線の先にいる人たち。
(なぁタクロウ、もしかしてトキウチさんって有名人なのか?)と、小声で尋ねてみる。
(うん、そだよ。黒酔ってほどではないけどターゲット狩り、つまり賞金稼ぎみたいなことをやってるんだ、トッキーは。つうかここ日本では最強の男なんて言われてるくらいだしね)
思わず息を呑む。
昨夜、酒をのみ交わした相手がそんなに凄い人物だと知らなかった。
「俺からは『野良試合』を提案する、一対一の闘技大会同様での試合形式だ。そこでそちらが勝てばナガブチが負けた倍の金額を支払おう、しかしこちらが勝てばその話は無かったことにしてもらえないだろうか?」
「な!? そんな話聞けるかっての! どうせアンタが出てくるんだろう?」
「いや、俺は立会人をやらせてもらう。試合に出るのはここにいる藤沢大翔という男だ!」
「「「なっ!?」」」
予想外の展開にその場にいた男たちから声が漏れる。当然俺からも。
「トキウチさん、どうして俺なんです?」
「昨夜は酒に酔った勢いもあってか、簡単にチームに入ることを決断してしまった。だがな、俺はまだお前という人物を量りかねている。そこでナガブチが推薦してきた人物の実力をこの目で見ておきたいと思ってな」
「そ、そんな……」
話の展開について行けず、言葉を失う。そこに我慢ならんといった具合にホタルが声を荒立たせる。
「ふざけるな! どうしてダイトがそんな面倒事を!」
「少し黙っていてもらおう黒酔の宝塚。これから同じチームとして共闘する人物の力量を量ろうとしてなにが悪い? それにあの男たちが現れてからのお前は様子がおかしく感じる、まさか怯えているのか? どうなんだフジサワ」
試されている。俺という人物を。
よく考えてみれば俺は経験が浅く、この世界で人と闘った実績も何かを成した信頼も殆ど無い。つまり彼の提案は俺の査定ようなものだ。
「無茶苦茶っすよ、トキさん! なに考えてるんですか!? これは俺の問題で、ダイトは関係ないっすよ!」
「それだ。かつて同じグループで行動をしていた三人がどうしてフジサワの様子が急変して、そんな慌てふためくような態度を二人がしている? ナガブチ、昨日お前は実力も性格も信頼できる人物だと確かに言ったはずだ」
相棒が俺の身を案じてくれている。
しかしどうしてだろうか、不思議と怖いという感情は湧き上がってこない。どちらかと言えば、俺の大切な仲間であり友達である二人に疑いの目を向けているトキウチさんに怒りに似た感情が湧き上がる。
「そうは言いましたけど、でも今は――」
「待ってくれ、マサノブ」
一度瞳を閉じて呼吸を整える。覚悟はあの時、決めたはずなんだ。
「トキウチさん、俺はどんな風に言われても構いません。それでも二人に対して変な言いがかりはよしてもらえませんか?」
「そうか、それはすまない。それで、俺の提案は聞いてもらえるのかな?」
「はい、やります。俺が闘います」
少し罰の悪そうな笑みを浮かべる年長者。恐らく本意ではないのであろう、俺の言葉を聞いて満足したのかこちらへ背を向け派手な服装の男たちへ向かって歩き始めた。
そしてふとマサノブが『闘うことは自分と向き合うこと』なんて言ってたことを思い出す。俺は今まで自分と向き合うことをしてきただろうか。父親から逃げ、仕事から逃げて、ゾンビなんかからも逃げてきた人生だった。
それでも逃げることが悪いだなんて思わない。家族を守る為に、友を守る為に、自分を守る為に。他人から見れば逃走であっても、俺は自分なりの闘争をしてきたつもりだ。
だからこそ今は胸を張り、バールに手を添える。
「ダイト、すまねぇ。迷惑かけちまってよ……」
「いいよ、俺たちは相棒なんだろ?」と、少し嫌味っぽく言ってみる。
俺たちが知り合って共に生き抜いた時間は短い。せいぜい半年くらいの期間ではあるが、それでも一日一日を全力で駆け抜けなければ生き残れなかった時を共に過ごした仲間だ。そんな仲間が困っている、助けを求めているのであれば命を懸ける理由としては充分だ。いや、この世界において命を懸けるだなんて軽い言葉は使わない方がいいだろう。
それでは闘いになにを懸けるか。俺はそこに『自分』を置いてみたいと思う。正しいと思ったことをやる、そして敗ければ自分の考えが間違えているということだ。実にわかりやすく、簡単な話と世界だ。
そしてここで俺は自分を試したいとも思った。
あの地獄のような世界で生き長らえた俺が、この新世界でどこまで通用するのかと。
トキウチさんと愚連隊らしき男たちの話し合いも終わり、野良試合の了承を得たようで俺に向かって再度、成熟した男は語りかける。
「フジサワ、闘いとはその人物の本性が表れやすいものだ。それが拳を交えるものであれば尚更な。ふっ、先程に比べればいい面構えになったな」
自分が今どんな顔をしているかなんてわからない。
「それで、相手は?」
「あのスキンヘッドの男が代表してくるそうだ」
一つ頷いて歩き出す。
そこに、額に汗を浮かべた相棒が俺の肩を掴む。
「ダイト、これはルールのある闘いなんだ!」
「ルール? P・B・Zのか?」
「ああ、そうさ! 勝ち負けの判定があるんだ。相手が戦闘不能、つまり片方が死んだら終わり。そして場外に出ても負けになる」
その言葉を聞いて「わかった」と応え、さらに歩を進めようとしても相棒は俺の肩を離さない。
「いいかダイト、殺す必要なんかないんだからな! わかってるよな!?」
まるで念を押すかのように、何度でも確認しようとするマサノブ。
今しがた貰った忠告は実に有り難いものだ。相手を決められた場所から追いやるだけでいい、つまりはゾンビなんかと違い相手の頭を潰しにかかる必要もないということだ。
「わかった、ありがとうマサノブ」
「馬鹿野郎、礼を言うのは俺の方だってのによ……」
そして俺は、極彩色の男たちが公園の地面に描いた円の中に足を踏み入れる。