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屍者の誇り  作者: 狭間義人
二章
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断節 西暦二千七十六年 七月一日 時内 学

「先生、学校に戻ったあとはミーティングでいいですか?」


「ああ、皆にもそう伝えておいてくれ」


 こちらの言葉に「わかりました」と答え、後ろの座席で談笑する部員たちに声をかける部長は頼もしいものだ。

 運転する電動バスを信号の赤ランプに合わせて停止させ、『時内 学(ときうち まなぶ)』と大きく記されたIDカードを専用の車載器に差し込み、起動を確認して一息つく。


 俺が顧問をしているアーチェリー部の合同練習を終えての帰り道。

 後ろの座席からは「むこうのキャプテンさ、なかなかのイケメンじゃなかった?」なんて浮ついた会話が聞こえてくる。それをこちらの部長が諫める姿は日常茶飯事だ。

 今の中学校に赴任して早二年。今まで共学校でしか教鞭を振るってこなかった俺が、女子中学校に赴任することが決まった時には流石に不安を覚えた。しかし、生徒たちは快く受け入れてくれたようで順調な教員生活を送れていることには感謝するべきだろう。


 信号が青に変わりアクセルを踏む。

 女子校ということもあり、学校内の警備は実に厳重なものであった。例えば、校内を出入りする関係者用の車両には身分を証明するカードを専用の車載器に差し込んだ状態で敷地内へ入る必要がある。もしもそれを怠れば警備用のドローンやボットが瞬く間に車両を包囲して警告が発せられる。来客用の駐車場までは問題ないが、敷地内の奥深くにある部室棟まで部活用のバスを進めるには必須だった。


 学校のグラウンドが左側に見え、そろそろ到着といったところで異変が起きた。


「きゃあああ!!」


 急ブレーキを踏み、冷や汗が流れる。

 ルームミラーで後方から車両が来ていないかを確認し、バスを停車させて後方から聞こえた声の主の元まで急ぐ。


「どうした!? なにかあったのか?」


「先生……あそこ、血が出てる人がいる……」


 彼女が差し示した先に目をやると、校内のグラウンドで人が人に覆いかぶさり取っ組み合いの喧嘩をしているようにも見えた。しかし、その周りには遠方からでも視認できるほどに、おびただしい血が地面を染めていた。

 緊張が走る。不審者が侵入したのかと思ったが、倒れた人物の腹に顔を擦り付けている人物も同じ制服を身に纏っている。ただの喧嘩であればなぜ周りにいる人が止めないのかと憤りを覚えるのも束の間、さらなる悲鳴に混乱は加速する。


「なにあれ!」


 その言葉に一点にしか注視していなかった視界を拡げると、そこには暴動とも言える惨劇が校内を埋め尽くしている。ざわつく車内で耳を澄ませるだけでも悲鳴が聞こえてくるほどの騒乱。

 人が人に噛みつき、逃げ惑う人物に集団で襲いかかる光景に息をのむ。


「先生! 警察を呼んだほうが……」と部長から声がかかり我に返る。


「そ、そうだな!」


 急いで胸ポケットにいれていた端末を立ち上げるも、画面には圏外の二文字。それに他の部員も気付いたらしく、ざわついていた車内はパニック状態に陥る。


「なんで、なんで繋がらないの!」「あれ人が死んでるよね! ねぇ!」「先生、どうすればいいですか?!」


 端末を持つ手が震える。

 間違いなく異常が発生している、しかし大人である自身がこれでは生徒たちの不安を煽りかねない。深呼吸を一つして、気を強く持ち声を張り上げる。


「みんな落ち着け!! 避難訓練を思い出して慌てずに行動するんだ、いいな? これから安全な場所まで移動して、それから外部と連絡をとる。それにはここにいる全員の協力が必要だ!」


 まるで自分に言い聞かせるように放った言葉も、錯乱しかけていた少女たちは黙って頷き座席につく。その場にいる全員と視線を合わせ、運転席へ急いで戻る。

 自分で言っておいて、どこに行けばいいのかと思案を巡らせる。学校の避難訓練では校庭に集まるぐらいのことしかしていない。また教員用の災害対策マニュアルには、校内でも比較的頑丈で耐震性のある建造物しか記されていなかった。

 思い当たった場所は全て校内、まさに惨劇の渦中だ。行ける訳がない。


 バスのエンジンをかけ、一先ず学校から離れなければとギアを変えようとした所に「先生! アミちゃんが……ええと同じクラスの子がいる!」と待ったの声がかかる。

 声を上げた生徒の方へ振り返ると、バスの出入り口に使われる扉に張り付きこちらに訴えてくる。


「外は危ないですよね! 私、アミちゃん連れてきますから!」と、こちらが制止する前に一人の少女が扉を開け外に出た。


 彼女が走った先へ目を向けると、確かに一人の少女がバスへ向かって歩いてきているのだが、どうも様子がおかしい。左右に大きく身体を揺らし、頭がうな垂れた状態でも真っ直ぐに歩くその姿は不気味に感じた。

 距離にすればほんの十メートル、彼女がクラスメイトを連れてくるのも数十秒もかからないだろうとは思ったが、今はその一秒でも惜しい非常事態。ハンドルを強く握り、焦る自分を諫めながらも少女の帰りを待っていた。しかし、


「いやああああ!!」


 耳に届いたのは少女の悲鳴、目に映ったのは迎えにいったはずのクラスメイトから首を噛まれている部員の姿。一瞬、女子中学生同士の悪ふざけかと疑念を抱いたが、嚙まれた部員の首からは弾けるような血しぶきを目にして思考が停止する。

 俺と同じく、その一部始終を見ていた後部座席の生徒たちが再び悲鳴を上げる。


 あれは殺人だ。暴行や傷害だなんて生易しいものではなく、確実に人を殺す行いが目の前で執り行われている。その光景を目にして身体が固まってしまった。

 車内を埋め尽くす悲鳴で我に返り、急いでバスを降りる為にシートベルトを外した。その瞬間。


『ドォォォン!!』と音がしてバスが揺れた。


 何事かと再び車内を見回すと、バスの左窓全体を叩き付ける人、人、人。

 暴漢が襲ってきたのか、混乱しかけている頭の処理が追い付かないながらも、窓を叩きつづける人を睨む。しかしそれは『人』とは呼べないおぞましい姿。顔面は血だらけ、目が潰れ、顎が外れても窓を叩きつける姿には、今までなんとか抑えてきた恐怖心が爆発しかけた。


「きゃああああああ! 入ってきたああああ!!」


 開いていたバスの扉から、口元を真っ赤に染めた男が侵入してきた。そして、扉の一番近くにいた生徒の腕を掴み()()()


「いやああああああああああああああああああ!!」


「全員! 右側の窓を開けてバスの屋根へ避難しろ!! はやく!!」


 もはや自分で何を言っているのかわからなかった。

 すでに運転席と後部座席の間には大量の血が飛び散り、次々と車内へなだれ込んでくる人の壁をみて、もうこちらからは干渉できないと思い大声で指示をだした。俺の声に反応してか、こちらに鼻が潰れた顔面血まみれの男が近寄り、急いで窓から外へ逃れてバスの屋根へとよじ登った。


 鉄製の屋根は地肌で触れば火傷しそうになるほど熱く、眩暈がするほどに暑い。

 俺の声が聞こえなかったのか、屋根の上に避難してくる生徒は一人もいない。慌てて後部座席のあった場所まで移動した時。


「先生!」


 アーチェリー部の部長がよじ登ってくるのを確認し急いで手を伸ばし、少女の腕を掴んだ。


「頑張れ! はやく上がってこい!」


「あああああああああああああ!!」


 腕を掴んだ瞬間、少女は絶叫した。なんとか引き上げようと腕に力を込めるも一向に少女の身体は動かない。それどころか下へ、下へと引きずられ、腕を掴んでいた自身の身体ごと車内に引き寄せられる。


 地獄だった。


 人が人に食らいつき、腕に噛みつき、腹を裂き、悲痛な叫びが反響する。腕を掴んだ少女もわき腹に男の歯が突き刺さり、必死にその男の頭を片手で殴りつける。少女の口からは「助けて! 先生!」と何度も繰り返される。

 力を振り絞り、なんとか引き上げようとするがその途中で少女の口から言葉が途絶えた。


 そして俺は、腕を離した。


 屋根の上で一人。

 昇ってくる生徒は一人もいない。下から聞こえていた悲鳴が収まり、呻き声しか聞こえない。

 なにも考えることができなくなった。

 焦点の合わない目で屋根の上から学校を見れば、いまだに暴動に似た何かが継続している。


 教員失格だ。頭にそんな言葉が思い浮かぶ。


 子供たちを見殺しにした。いや、車内で干渉できないと思い込み生徒たちを助けに行かずに一人で逃げた。最悪な大人、子供を守るのが大人の義務だと自分に言い聞かせてきた俺はどこへ行った。


 途方にくれた中で脳裏によぎったのは妻と子供の姿。

 まともに動かない頭と身体を動かしバスの屋根を急いで飛び降りた。生徒たちを見捨てて。


「ハア、ハア―――ハア―――」 


 顎を上げ、降り積もった灰をかき分けるように両腕を動かし醜く走る。

 

「ハア――ッハア、ナツミ―――ハア―――」


 本気で愛した女の人。

 出会いはお見合いで、あまり乗り気ではなかったのに一目みて好きになった。三十半ばで結婚して、一年前子宝にも恵まれて女の子を授かった。


「ハア――トモミ―――ッハア―――ハア――」

 

 ローンを組んでマンションも買った。少しでも子供にいい環境で育ってほしいと願い、こんな俺でも人並みに幸せな家庭を築けると信じた。


 街を走りぬける途中に見たのは、学校やバスで起きていた惨劇が街中で繰り広げられていた。しかしそれら全てを無視した。頭の中には自分の家族の事しか考えられない。

 自身が住むマンションの一室に辿りつき、鍵が掛かっているかも確認せずに乱雑に扉を開く。


「ナツミ! いるのか!」


 街中大騒ぎだ。できればすでに避難していて欲しいと心のどこかで願っていた。

 しかし俺の声に反応は無く、玄関から続く廊下は静寂。その奥にあるリビングの扉は開かれたままだ。

 あまりの静けさに靴を履いたまま、忍び寄るように部屋の中へ入っていくと嫌な音が聴こえた。ヌチャ、ヌチャとまるでなにかを咀嚼するような音。


 リビングに入り目に映ったのは見たこともない大の男。

 男は床にひれ伏すように、赤く染まった肉をひたすら啜るように食事をしているように見える。そして、男の下にある肉塊は見覚えのある女物の服を着ていた。


『今夜はあなたの好物でも作ろうかしら?』


 今朝、俺が家を出る前に妻が来ていた服だった。


「離れろおおおおおおおおおおお!!」


 殴った、しかし大の男は止まらない。近くにあった椅子をぶつけた、それでも止まらない。台所から包丁を持ち出して、やっとこちらに振り返った男の頭を突き刺して胴体を突き飛ばす。


「ナツミ……ナツミィ!!」


 床に転がった肉塊は既に原型をとどめていない、それでもその塊が自身の妻だったことを確信した。

 動かない妻の顔を撫で、瞳には涙が溢れ視界が霞む。

 手には少しばかりの体温が感じられる。遅かった、もう少し早くここにくれば妻は助かったかもしれないのに。


「ああ……アア……」


 声が聴こえた、赤ん坊の声。


 この部屋で聴こえる子供の声なんて自分の子供以外は考えられない。しかし、声がする方向はベビーベッドがある寝室からではなく自身の後方から。

 恐る恐る後ろを振り向くと、そこにはに両足で立派に立つ娘の姿があった。


 最近になってやっと両手と両足を使い移動することができるようになった可愛い我が子。

 しかし、今はその両手と口を血で濡らし俺のほうへとたどたどしく歩いてくる。


 声が枯れるまで叫んだ。

 

 そして数日後、俺は初めて家族を殺した。

 

 

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