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屍者の誇り  作者: 狭間義人
一章
3/81

逃走

 突如鳴り響いたサイレンと警告に、身体に緊張が走る。

 

「お、おい! なにが……」


 近くに居たはずのアンドロイドへ話しかけたはずが、その対象はすでに窓際まで移動していた。

 

「…………」


 窓の外を覗うように佇む青年風のアンドロイド。アレは何かを注視してこちらのことを気にもとめない様子のようにも見えたが、突如としてソレは振り返る。

 

「緊急事態です。すぐに避難を」


「なにかあったのか!? 避難ってなにが―――」


「説明は後程。身体は動きますか? 転生直後に動くのは困難でしょうが私が補助します。とにかく今は移動を最優先に」


 窓際に立っていたアンドロイドは急くようにこちらを睨みながら近づいて来ようとする、が。

 

 破裂する決壊音。


 大の大人が両手を拡げても覆いきれないほど巨大な窓が、黒くて禍々しいナニかが飛び込んできたことによって粉々に砕かれる。

 無数に散らばるガラスの欠片。その上に立つのは黒い毛皮を纏い、熊のような体躯で耳が兎のように長く狐の形状をした『怪物』であった。

 

 そして、一瞬。

 

「ガアアウ!!!!」

 

 咆哮からの初動、怪物に向かって振り返ろうとした人型の胴体へ喰らいつき持ち上がる。アンドロイドの腹部から金属が割れるような音を立てながらも、顔はこちらへ向けて警鐘を鳴らす。

 

「おがっ! お早く、早くギギ、避難、を……ヲヲ、ヲ」


 顔や胴体の各部から翠色の液体を噴出させながら、胴体へ深く牙が刺さっていく。

 

「なっ……なっ……!」


 突如として現れた怪物。

 その恐ろしい風貌に思わずベッドの真横にあった虚空へ自然と後ずさる。


「がはっ!!」


 ベッドから転げ落ちた身体へ鈍痛が走る。

 その痛みに顔を歪めつつベッドの下から見えた光景に思わず息を呑んだ。


 一度、二度、三度と味わうように人型の胴体を咀嚼をする怪物。その瞳は輝くような赤色をしている。

 

 それは幾度となく相対し、取り囲まれ、仲間を喰われ、頭蓋を打ち砕いてきた俺たちの敵『ゾンビ』と同じであった。

 

「ひっ! ひあっ、うあああああああああ!!」


 恐怖を目前に悲鳴のような声を上げつつも全身へ精一杯の力を込め、這えずりながらも起き上がる。

 誰に着させられたのか、入院した時に着用する薄水色の患者衣がはだけるのも厭わず部屋の出口へ疾走する。

 引き戸を乱雑に開き廊下へ飛び出した瞬間、後方から重たい金属の落下音。

 振り返るとそこには先程まで俺と会話をしていた人型のアンドロイドが上半身と下半身に別れ、胴体部分を噛み切られている姿が転がっていた。

 

 目と目が、逢う。

 

 怪物の瞳は赤く、発光しているかの如く輝いて次の獲物へと照準を合わせている。

 次は、俺だ。

 未だ建物内で響き渡る警報と己の鼓動がリンクしたかのように心拍数は更に跳ね上がる。

 

『ニゲロ』


 誰に言われたわけでもなく本能がそう叫ぶ。身体の向きを転換させ、絡みつきそうになる両足を必死に振り解く。視線の先にあるのはタイル式の長い廊下、それを裸足で駆ける足へ身体の全てを注ぎ込んだ。

 心臓が軋む、全身が絶叫する。覚えたての自転車をふらつきながらも前へ前へと進ませるように駆け抜ける。

 

「ハア―――ハア、ハア―――」


「ガアアアアアアアアァァァァァァァァァ!!!!!!」


 後方から炸裂音。

 見なくてもわかる、あの黒い怪物が扉を打ち破り廊下へ飛び出した音と咆哮だ。そして次なる標的を見定め、重く跳ねるような足音が猛然と近づいているのを背中で感じ取る。

 

「くっっふぅ!」


 ぎこちなく動く身体に鞭をいれ更に加速しようにも、一つであるはずの己の身体がまるで不揃いのパズルのように噛み合わない。

 その間にも迫る重厚な足音。すぐ後ろには怪物の牙があるような感覚を振り切るように前へと進み続け、そして見つけた。階段だ。


 右手側にあった階段は上と下へと分かれており、俺は考える間も無く上へと続く階段へ足を掛けた。

 一段飛ばしで段を駆け上がり、そこで気づいてしまう。愚かな選択をした事を。

 

「しまっ……!!」


 上階へ続く踊り場まで差し掛かった辺りで、先程まで居た廊下へ目をやると滑り込むように黒い巨体が視界へ入り込んできた。

 

 これは身体に染みついていた癖のようなものだ。

 把握しきれていない建物内でゾンビ達から逃げる場合において上の階へ行くのが大原則。侵入が容易な下の階は、ゾンビで埋め尽くされている状況は日常茶飯事であった。

 

「くっそぉ!」


 しかし、今は状況が違う。音や生物に反応していたヤツらとは違いアレには明確な知性と殺意がある。この階段を駆け上がってくるのも容易いであろう。

 下の階へ行けば建物の外へと逃れられたかもしれないという後悔を押し殺し、さらに上の段へと足を掛けた。

 

 距離にしてほんの数メートル、怪物との間隔は見るからに狭まってきている。

 上の階へ辿り着いた俺は周りを確認することもなく、また廊下を駆けようとした瞬間。

 

「ぐあっ!!!!」

 

 吹き飛ばされる。

 

 跳びあがってきた怪物の前脚がまるでゴミを払うかのように振るわれ、二転三転と自らの身体は廊下へと弾き飛ばされた。

 

 世界が歪む。

 右半身へ受けた強烈な一撃に思わず身悶える、それまでに忘れていた呼吸器官からの要求に応え咳き込むように体内の空気を入れ替える。

 

『ニゲキレナイ』

 

 生物としての格が違う。

 そう悟ることしかできないほどの窮境。自身を吹き飛ばしたアレとの距離は十メートルもない。

 

 視線が邂逅する。

 獲物と捕食者。獲物は小鹿のように立ち上がり、捕食者は眼光をさらに赤く染め口元から滴るように涎を垂らす。

 逃げ道はない、それはわかった。なら残された選択を実行に移すまでだ。

 

 身体が跳ねる。ただし、真っ直ぐに伸びる廊下を前後にではなく横へ。先程まで自分がいた部屋と同じ形状の扉をまたも乱雑に開き突入する。

 部屋の構造は同じでも室内にあったのは長机が一台とパイプ椅子が四脚のみ。


 時間はない。手近にあった椅子の座る部分を車のハンドルを持つように身構える。そして、パイプ椅子の脚を槍のように扉の先にむかって突き立てる。

 

「グルァアアアアアアアアアア!!」


「おおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 扉の前へ現れた怪物に目掛け突進する。

 状況は変わった。喰われる標的とされていた自分はもういない、逃走ができないのであれば闘争あるのみだ。

 

「グギャアアアア!!!!!」

 

 椅子の四本ある脚のうち二本を怪物の両眼へ突き刺し押し込んでいく。

 ゴリゴリとした嫌な感触。怪物とはいえ生物の頭を抉るという行為は何度やっても慣れるということはない。

 

「ガァッッ!!」

 

 怪物からの反撃、突き刺した椅子と共に頭を振るわれ後方にあった机と椅子を巻き込みながら吹き飛ばされる。

 しかし、視界は奪った。俺を探知するのに嗅覚だか聴覚だかが使われる可能性もあったがそんなことに気をとられている余裕はない。

 手近に転がっていた椅子を再度手に取り立ち上がる。

 

 救済兵器。アンドロイドは言った。

 俺が、俺たちが生き抜いたあの地獄が救いだなんて思いたくない、考えたくもない。

 八つ当たりにも似た憤りが全身を奮い立たせる。

 生き残る為に、幾つもの死線をくぐり抜けてきた。視界を覆いつくすほどのゾンビを仲間と共に屠ってきた。そのやり方は非常に簡単で残虐だ。

  

「おるぁぁぁぁあああああ!!!!」


 再び突進する。だが先程とは違い今度は椅子の脚を持って疾駆する。

 叩きつける、怪物の頭部へ渾身の一発を叩き込む。

 赤い両眼を潰された怪物は更なる追撃に怯む。チャンス、ここを取り逃す訳にはいかない。距離を取ろうと頭を振り態勢を立て直そうと後退する傷ついた怪物。

 

 一歩、さらに踏み込んで肉薄する。

 こちらの位置を正確に掴めないのか前脚を右へ左へと振り回す。それを掻い潜りもう一撃、怪物の頭部へ重ねて打撃を繰り出す。

 

 相手の活動を止める簡単な工程だ。生きるものほぼ全てに当てはまる、頭部を潰すこと。それは例えゾンビと呼んでいた死人も、同種である人間をしゃぶり犯す悪鬼であっても例外になりえない。

 

「ああっ!! おらぁっ!!! どるぁっっ!!!!」


 息つく暇もなく三発、四発と怪物の頭部を持っていた椅子で殴打する。

 すでに歪な形状へと成り変わった椅子など気にも止めず、ただひたすらに。

 

「うるぁぁぁあああああああああああ!!!!!」


 決定的な一撃が入った。怪物の頭部は砕かれ、中身であったであろう桜色の内蔵物はドロドロと溢れ出す。

 


「はあ……はあ……ふぅ……はあ……」


 肩を揺らしながら少しだけ後ずさる。


 怪物の身体が動かないことを確認し、溜息を漏らす。

 心に不快な靄が立ち込める。何度も感じてきた、たとえこちらへ牙を向けてきたゾンビだろうと人間だろうと怪物だろうと命をこの手で奪うのは何度と経験を重ねても慣れない行為であった。

 

 歪に変形した椅子を投げ捨て辺りを見回す。

 これだけの騒ぎがあっても人っ子一人と現れないというのは、やはりアンドロイドが話していた事が真実なのかと裏付けられたようであった。

 

『人類は絶滅しました』


 火照った身体が急速に冷えていく。確かめなければ、この世界を。

 そう思い先程までアンドロイドと居た部屋へ向かおうとした時、異変に気づく。

 

 怪物の、いや、怪物だった肉がみるみるうちに赤い蒸気を上げながら溶け始めていた。

 

「なっ!? なんだ……これ!」

 

 困惑しながらも溶ける肉を注視し、新たな危機に備え身構える。

 溶ける肉は廊下へ染み出すことはなく、怪物だった全てが蒸気になり霧散していく。そのなかで両手に収まるぐらいの肉塊だけを残し蒸気は消え去った。

 

 興味本位か、恐る恐ると怪物だった肉塊へ歩みより己の目を疑った。

 

「子犬……?」


 横たわる生命が、そこにはあった。


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