隣の夢
久しぶりに握るハンドルに思わず力が入る。
高校三年の頃に免許を取得し父親の電気自動車を運転させてもらった時は死ぬほど緊張したものだが、まさか死んだ後でも再び似たような経験をするとは思わなかった。
シビルさんの実家は旧世界で随分とマニアックな商売をしていたらしく、当時では使われなくなっていた車体や部品を引き取り元の状態まで復元か改良をして売りに出していた。この新世界でもその商売を趣味のように続けていて今でも熱心な愛好家があの整備工場に訪れるそうだ。
今回の手伝いもそのうちの一つ。
常連客が手に入れた大昔の車両を引き取り、トラックで整備工場まで輸送するという簡単なお仕事のようにも思えた。しかし新世界の新たな脅威アンビが運送などの妨げになっているようで、こういった大きな荷物の運搬はシビルさんが担当することが殆どだと工場を出発する前の雑談で教えてもらった。
その雑談のなかで両親は早くに他界しており、あの終わりの日を迎えた時も二人の兄が一人の妹を庇い早くにゾンビに喰われたということも。他人からみればそれは悲劇のように感じることでも、当人たちからすればそれは過去の話であり気にも止めない姿には逞しいという思いを抱く。
目的の二輪車をトラックの荷台に縛り、免許を持っているとわかった途端に鍵を投げ渡され『帰りはお前の運転な!』と言われ恐る恐る教習所で習った内容を思い出しつつ、手に汗とハンドルを握っているのが現状だ。
「なぁ、そんな力んでハンドル握る必要ないぜ? どうせ誰もこんな場所を走らねぇんだからよ」
「は、はい……」
今まで運転したことがある電気自動車とは勝手が違うこの車両に慣れるには時間がかかりそうだ。まるで人の運転を嘲笑うかのようにゲラゲラと揺れるシートはゆっくりと走る遊園地の遊具にも似た感覚。その進行速度と方向の舵を切る人物が、不慣れな操作をしていれば緊張するというものだ。
「シビルさんはこういう手伝いをよくしているんですか?」
「そんな頻繫にはしてねぇな、数ヶ月に一回ってくらいか? その時は暇そうな黒酔の誰かに声かけてたんだけど、今回はたまたまフジがいたからな。でも助かったぜ、黒酔で車の運転できるヤツいねぇからさ。バイクの乗り方なら教えたんだがな」
「え? バイクの運転って結構難しそうですけど」
「そうでもねぇさ、ようは慣れだ。暇なときに練習してたら誰でも運転できるようになる。なんなら今度教えてやろうか? ホタルにも今度教えようと思ってたんだ」
「はぁ、機会があれば……」
子供の頃に自転車の乗り方ですらかなりの練習を要した俺にとって、バイクという乗り物は異次元の産物に思えて他ならない。しかしあの鉄馬を自由に走らせることができれば実に気分のいいものだろう。
「そういえば黒酔の皆さんとホタルは第四回のP・B・Zで知り合ったんでしったっけ?」
「ああ、そうだ。シノとホタルが対戦してな、試合後に気を失ったホタルを拉致して仲間にならねぇかって誘ったんだよ。あの時のホタルはかなり凶暴でな、何か困ってることがあるなら手を貸すぞって言ったら『人を探してる』だとさ。なぁ、色男?」
なにやら物騒な単語が聞こえたが聞き流すことにする。そして改めてホタルには頭が下がる思いだ。そしてからかわれそうな話題になりかけたので別方向に話の舵をきりつつハンドルもきる。
「ホタルと俺はそういう関係ではないですよ。そういえば黒酔っていつ頃にできたチームなんですか?」
「もう六年くらい前になるかな、最初は俺とサラとトウコの三人で怪物でも狩って稼ごうぜって集まったんだよ。そんで四年前にシノが入って、三年前にベルが現れて、約二年前にホタルって感じだな。なんだかんだで集まってきたもんだなぁ……」
そのなんだかんだで世界最強チームと謳われるまでに成り上がるとは、チームに歴史ありと言ったところだろうか。
昔の楽しかった記憶を懐かしむように助手席の人は外を眺める、その先にあるのは鉄屑の山。手伝いの終着点に到着だ。
頼まれていた品を降ろし、本田兄妹と連絡先を交換した後にシビルさんから『100000 byte』が振り込まれた。『手伝いの礼なんだから気にすんな』と太っ腹な言葉と共にありがたく頂戴する運びとなったのだが、俺がしたことと言えば帰りの運転だけで大体の作業はシビルさんが殆どやっつけてしまった。最早ただの雑談相手、それでこの大金を受け取っていいものかと悩むあたり働き者根性が身についた損な性分なのだろう。
バイクに二人で跨り走る帰り道。
夏が本格的に始まる夕焼けの中、運転手からの提案で少しばかり寄り道をすることとなった。
「ここは、空港ですか?」
「ああ、新世界の観光スポットってやつだ。あと五分もすれば始まるかな、バイクの練習がてら昔はよく皆で来てたんだ」
そう言いながらツナギの両側ポケットから缶コーヒーを一本ずつ取り出し、そのうちの一つが投げ渡される。少し冷えた缶コーヒー、きっとお兄さんから貰ったものだろう。
目の前に広がる空港はこの辺りでもっとも広い敷地面積を誇る。その役割としては首都圏から行ける第四の大型空港であり、老朽化の進んだ二つの空港からバトンを受けたばかりの最新鋭のセキュリティが施された次世代の空港だった。人の移動を担い始めて僅か数年で人類が滅ぶとは思ってもみなかっただろうが。
缶コーヒーの蓋を開け一口、ほろ苦い甘味が口に中に拡がり一息つく。好きでも嫌いでもないそんな味、鉄臭い香りもご愛嬌。
本来空港の滑走路付近には鉄柵などが敷かれているのだがそれら全てが倒壊しており、目の前の景色は遠くの方まで見澄ますことができる。きっとこの辺りも人とゾンビの闘いがあったのではないだろうか。
空港の先に拡がる海には大昔に作られたであろう浮体式の洋上風力発電設備、クルクルとプロペラを回しその役割を今もなお遂行中のようだ。
「なにかあるんですか? ここで」と、ふとした疑問を投げかける。
「まぁ見てなって。そういえばフジが転生してから約一週間くらいか? なんかお前暗い顔してることが多いからよ、気晴らしでもしたほうがいいじゃねぇのって思ってな」
「す、すみません……」
「いや、なんでそこで謝るんだよ」
出会ってから数日の人に気にかけてもらっていたとは、実に自分が情けない。そしてありがたい。
一週間、正確には六日目の終わりを迎えようとしているが濃厚な日々だった。
言ってしまえばここは死後の世界。生前から変わらない人や変わった人、大きく変貌した世界。俺はまだ心のどこかで受け止めきれていないことが、顔や仕草に出ていたのかもしれない。
「なんか色々と考えてしまって。この世界でどう生きていけばいいのか、わからないんです」
「難しく考えすぎじゃねぇか? 大体俺たち既に死んでるっての、はっはっはっ!」
なんですかその定番のゾンビジョークは、俺もたまに頭の中で考えたりしますけども。
それでもその言葉に今は甘えたい気持ちでいっぱいだ。先日シビルさんは妹に危険はないと言ってくれた、そして死ぬことがないのだから時間さえあればいつかは再会できるのではないか、と。しかし、そんな甘えた考えだったからこそ、あの時仲間を死に追いやった選択をしてしまったのではないか。
頭の中では『正しい』という言葉と行動が胡散臭い何かにしか思えなくなってきている。自分を見失っているのは俺自身ではないだろうか。
「お、始まるぞ」
その一言を皮切りに空港が息を吹き返すように動き出す。
滑走路の地面部分が大きく開き、地下から浮かび上がってきたのは無数のドローン。均等に並べられたソレらは区画ごとに飛翔音をたてながら空へと舞い上がっていく。
驚くべきはその数。一つの区画に百機はあるであろう飛行体が三十ほどの編隊を組み、各方面に向かって飛んでいく。まるで大規模な飛行ショー、空を覆いつくすそれらは互いに接触することもなく夕焼けの空を駆けていく。
「凄い! なんですかこれ!?」
「世界中の至る所に人類保全機構が管理している食品工場とかがあってな、それを空港に集めてあんな風にしてドローンが世界中の自販機に運んでるんだとさ」
陸や空や海を支配していた人間の時代では考えられない光景。なにをするにしても人の移動を優先していた世の中で、あのような機械物が大編隊を組んで飛行すれば必ず問題が起きただろう。
ドローンたちが駆け抜けた空を見送った俺は一つ、素朴な疑問を投げかけてみることにした。
「シビルさんはこの世界で、何かやりたいことってありますか?」
それは様々な方角に迷いなく飛んでいく飛行体を、少し羨ましく感じて零れた言葉だった。
「はぁ? なんだ突然。んん、やりたいことねぇ……フジは九州地方に行ったことがあるか?」
「いえ、ありませんけど。どうしてです?」
「その九州地方のどこかにさ『天空の道』って呼ばれる場所があるんだ。親父が使ってた部屋からでてきた雑誌に載ってたんだけどさ、これがすげぇ景色なんだよな。まるで日本じゃねぇみてぇなんだ」
「なんだか……凄そうな場所ですね」と、正直な感想を漏らす。
「実際は車一台分しか通れない細い農道らしいんだけどな、一度でいいから自分のバイクで行ってみたいんだよな」
まるで夢を語るように夕陽に染まる横顔。しかし、少し寂しそうな表情に移り変わる。
「ただ、その道も昔の災害とかで通れなくなったみたいな話を常連客から聞いたんだよ。でもさ、屍者の身体だったらバイク担いで山を登れたりするかもだろ?」
それはバイクで行く必要があるのかというツッコミ待ちなのか、きっとシビルさんなりの冗談なのだろう。二人で顔を見合わせ互いに笑みが零れる。
「それに日本だけじゃねぇ、国によってはガソリンを使う車両を禁止していた場所もあったがこの世界ではそれも無い。セブンマイルブリッジ、ステルヴィオ峠、サザンアルプス。行ってみたい場所が山ほどあるんだ」と、隣の人物は夢を語る。
「それは……行けると、いいですね」
「おう、その為にも色々準備中だ」
「黒酔の皆さんで行くんですか?」
「それはどうかな、一応声はかけるつもりだけど。基本黒酔は自由なんだ、行くかどうかもメンバー次第だな」
「自由?」
「ああ、黒酔にも鉄の掟みたいなもんがあってな。一つ、黒酔は自由で平等であること。二つ、仲間が困ってたら助ける。三つ、気に入らないやつはぶっ飛ばすって感じでな」
なんとも緩い鉄の掟だ。
「さて、そろそろ帰っか」と、満足したかのように白髪の人は言う。
その言葉を受け缶コーヒーを飲みほしポケットに入れ、再びバイクに二人で跨り帰路につく。
暗闇が訪れ始めた辺りは街灯も無く、バイクのライトに照らされ始めた道を駆け抜ける。
もしも何かの間違いで、俺が人間に戻りたいと願えばきっと目の前で車体を操る人物の夢は叶わない。
平和な時代であれば他人の夢に想いを重ねることもあっただろうが、ここは新世界。己の欲、願いを通す為ならば力でねじ伏せる以外の方法が無い。
一度晴れやかになった心に再び塵が積もる。ここは、少し嫌な世界だと感じた。
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ガレージに着いてシビルさんに別れを告げての帰り道。今日は本当に色々あった一日だ、と思っていたら本日のラスボスといわんばかりの人物と再会する。
「フジか。なにしてんだ?」
金髪の麗人、河崎シノの登場である。昼間着ていた黒の特攻服とは違い、白いパーカーにサンダルを履いた姿は完全にオフの恰好をしている。
「シビルさんの手伝いに行ってました……えっと、それから昼間はすみませんでした」
思い出すのは喫茶店でのこと。なにが原因で黙れと言われたのか不明だが、怒らせた可能性が少しでもあるのであればとりあえずは謝っておくことが女性との円満な関係を築く処世術だと聞いたことがある。
「手伝いね、ご苦労さん。でも昼間って、なんの話だ?」
あれ? 覚えていないのか。しかし、これは好機。
「いえ、なんでもないです! ところでシノさんはお出かけですか?」
「それがな、のみに行こうって黒酔のみんな誘ったんだけどな。サラとホタルは二人でなんか料理作ってるし、トウコは部屋から出るの面倒っていうし、ベルはどっか行ったまんまだし、シビルは当分ガレージから戻ってこないだろうし。一人でのみに行こうかと思ってたんだ」
そんな溜息をつきながら肩を落とす世界最強と名高い屍者。なにやら行き場を失った子犬のような姿にも見えた。
「のみに行くって、酒場かなにかがあるんですか? この近くに」
「ああ、バーがあるよ。気まぐれにしか開いてないけどな、フジも来るか?」
「はい、お供しますよ」
その後、案内された酒場で他愛のない話をした。女の人と二人でのみに行くとあれば心ときめくこともあるだろうが、そんな変な気を起こしはしない。
話した内容は今日何をしていたか、平和な時代にどんな仕事をしていたか、どんな映画が好きだったか。本当に他愛のない話ばかり。
店での勘定はまたもシノさんの奢り。折角資金が入ったのだからこちらが出そうとしていたのを『うるせぇ』の一言で制止され、ありがたくご馳走になるのであった。
そして帰り道、月明かりに照らされ一人で歩く。
強めのアルコールが効いた頭で空を見上げ、やや上機嫌になった脳内は揺れる。
今後の目標という訳でもないが活動方針を打ち立てる。
妹に会って、謝ろう。目的は単純なほどいい、と誰かが言っていた気がしないでもない。
いつか、胸をはって『ただいま』と言えるように。