気味が悪い
喫茶店にきて席に着いたのであればなにか注文をしなければと思いたつも、店主はホタルからの注文の品でも作っているのか四角に加工されたパンをお皿に乗せ、野菜を適度な大きさに切りそろえながらパンの上に盛り付けている最中だ。注文はあの作品が仕上がった後でもいいだろう。
隣で注文の品を待つホタルはどことなく浮かれた表情、実際にはポーカーフェイスな為に細かい心情までは読めないが、そこそこに長い付き合いをしてきた間柄なだけあってどことなく上機嫌なのは窺い知れる。
「ホタル、さっきのターゲットシステムのランキングなんだけど、黒酔の人たちは迷惑なことをして上位にいる訳じゃないんだよな?」
「ああ、そうだ。さっきも言ったがより正確に言えば、迷惑行為をしていた連中を黒酔が成敗してその逆恨みや、名を上げようと挑戦者まがいに襲ってきた連中を痛めつけた結果というべきだろうな。ちなみに、ターゲットに登録された人物を黄泉がえりさせた者に金が振り込まれのだが、一度黄泉がえりをすれば討伐金額はリセットされる」
迷惑行為と互いに濁した表現をするのはなんとなく察しがついていたからだ。ソレは恐らく『殺し』『強奪』『蹂躙』などの食事の場には似つかわしくない言葉ばかり。しかし、それらの迷惑行為を黒酔の人たちが行ったり加担していたわけではないと確認できて安堵する。
そして、この金額の高さからも黒酔の強さが計り知れたような気がした。
「大変、なんだな。正しいことをしても難癖つけてくる人たちの相手をしないといけないなんて」
「仕方がないさ。なにせこのターゲットシステムを作ったのはランキングのトップにいるシノさんご本人だからな」
「へっ!? シノさんが、作った?」
「第三回P・B・Z優勝時にシノさんの願いがこのターゲットシステムだ。ダイトからしてみればこの新世界は平和に見えたりもするのかもしれないが、最初の頃は本当に酷くてな。それこそ暴力で全てが許される時代に『秩序』をもたらしたのがこのシステムとシノさんだったんだ」
それは一体どんな考えのもとで願われたのだろう。
他人へ迷惑を好んで与えるのは悪人だ。その悪人を懲らしめれば金が入るし屍者同士での秩序も保たれる、ここまでは理解できる。しかしその対象が自身に向けられる可能性があるというこのシステムは、欠陥品のような違和感を感じる。
「どうしてシノさんはこんなシステムを願ったりしたんだろうな、ホタルは何か知っているのか?」
「昔聞いた話では『退屈だったから』だそうだ。悪党を懲らしめるのも、力試しの挑戦者を返り討ちにするのもあの人ににとってはただの娯楽みたいなものらしい。だがそのお陰で全てとは言い切れないが悪人どもが大人しくなったのは事実ではあるな」
唖然とする。
捉え方によっては世界中の悪党に喧嘩を売り、そして黙らせたのだ。退屈という個人的な感情を満たすためだけに、世界に新たな理と秩序をもたらしたのが河崎シノという人物だった。
「それは凄いな、なんというか色んな意味で」
「そうだな。だが私はシノさんが間違っているとは思えないよ。本意ではないかもしれないが、このシステムによって救われた人は大勢いる。力が弱い者からは英雄視されているくらいだからな」
「あ、なるほど。それで掲示板とかでは黒酔が人気なんだな」
「かもしれないな。それでな、ダイトに一つ頼みというか忠告しておきたいことがある」
「な、なに?」
「シノさんには逆らわないでいて欲しい。力こそが全ての世界で頂点に立ち、人として立派な判断のできる方だと私は思っている。だからこそ、もしあの人からなにか言われた時には素直に耳を傾けてもらえないか?」
顔の左半分を前髪で覆う少女の右眼は俺を真っ直ぐに捕らえ、懇願するような視線を向けてくる。
強者に逆らうなとただ言われれば納得もできないかもしれないが、正しいことをする人物に従うのであれば話は別だ。話を聞く限りでは河崎シノは良識人であるというのは伺える、こちらも逆らう理由はない。
「ああ、わかったよ。でもシノさんはそんな横暴なことを言ったりするような人なのか?」
「フフッ、稀にな。気心を知れた人物であれば我が儘を言ったりすることもある。そんなところが人間臭くていいと思うが」
ここまでのホタルの話を聞いていて思うのは、実に楽しそうにここにはいない人物を語るホタルを珍しいと感じた。生存者として生き残っていた間も家族のことや知人について話したがらなかったあの少女はもういない。先日の夜にも思ったが、きっとこの新世界で黒酔の人たちに出逢えたことで変われたのだろう。
少なからず嫉妬をしてしまいそうになる。
「はい、ホタルちゃん! 『バクバクサンドウィッチ』おまち!」
この喫茶店は旧世界にあった店とは一味違う。ドリンクなどの名称は普通なのだが、軽食やデザートなどの食べ物は一風変わった名称がメニュー表には記されている。ホタルの前に置かれたのは言ってしまえば卵やツナなどが入ったミックスサンドだ。
ホタルがマッキーへ礼を言い、次はこちらから注文をしようと思った時である。
『カラン』
新たな客を告げる鐘の音に視線を向けると、先程まで話題の渦中にいた河崎シノが立っていた。しかし、その姿は普段では見られない異常な様相にマッキーが悲鳴のような言葉で出迎える。
「ひゃあっ! シノさんどうしたんですか!? 血まみれじゃないですか!?」
「さっき変なヤツらに絡まれてな。マキ、なにか拭くもの貸してもらえるか? 血が臭くて、鼻が曲がりそうだ」
「シノさん! すみません、呼んでもらえれば私が代わりに対処したんですが」
そう言いながらマッキーから白いタオルを受け取ったホタルが急いで血まみれの麗人に近寄り、丁寧に頭から汚れを拭う姿。まるで後輩が憧れの先輩の汗を拭うようにも見れるが、拭き取っているのが汗ではなく血であることから少々恐怖めいたものを感じる。
「別にいいさ、ただの雑魚だったし。悪いなマキ、今度新しいタオル買ってくるから」
「別にいいですよぉ。シノさんにたてつくお馬鹿さんがまだいたんですね」
先程まで俺への態度とは打って変わり、猫なで声で新しいタオルを用意するマッキー。俺にもそんな声で接客してもらえないだろうか。
そういえばシノさんから頼まれていたタバコについて思い出す。先日の飲み会では急だったこともあり話すことができなかった為、手に入れたという事実だけは伝えておいたほうがいいだろう。
「あの、シノさん実は」
「うるせぇ、お前は黙ってろ」
「す、すみません……」
なんですかこの人、すんごい怖いんですけど。鮮血にまみれた金髪の隙間から、殺意に満ちた眼光が放たれ思わず目を逸らす。
あまりに理不尽な返しに困惑しているとカウンター越しにマッキーが顔を寄せ耳打ちをしてきた。
(ダイトくん、今シノさんは男嫌いモード発動中みたいだから話かけないほうがいいよ)
随分と厄介なスキルが発動中のようだ、俺にとって。
(もしかして、俺はここにいないほうがいいかな?)
(そうかもねぇ、シノさんはホタルちゃんに任せて逃げたほうがいいかも)
そう聞いてしまえば行動あるのみ。さっき逆らうなと言われたということもあるし、俺がここにいて機嫌を損なうとあれば立ち去るのが賢明だ。
「えっと、マキちゃんご馳走様!」
「はぁい、またねぇ!」
阿吽の呼吸とでも言おうか、店内を血まみれにしたくないであろう女店主に別れを告げ、何も口にすることもなく席を立ち、いまだに血を拭き取っている二人の隣を華麗に通り抜け店を後にする。
後ろからホタルの声が聞こえたような気がしたが、構ってはいられない。人命第一だ、たとえ屍者であっても。
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逃げるようにして向かった先は、先日マサノブと訪れた公園の自動販売機とは違う場所。ホタルと二人で歩いた夜の帰り道に、黒酔のマンションの近くにはそれがあるというのは確認できてはいたがここへ来るのは初めてだった。そして気づいたことは場所によって自動販売機の中身が異なるということ、ここの品揃えには酒などが置かれている。
喫茶店では食事を摂り損ねたせいもあってか空腹がより加速しており、今すぐにでも腹を満たしたい欲に駆られた故での選択であった。人類保全機構が提供する食料を摂取しなければ身体が腐るということなので、簡単に食事が済ませられるメニューを考えている時だった。
「やほー! フジくんもお買い物?」
そこに現れたのは緩いパーマがかかる濃ゆい亜麻色の髪をした人物。
「はい。こんにちは、サラさん」
現れたサラさんの姿を例えるなら夜の蝶が昼間に起きて、コンビニに買い物でもしに来たかのような無防備な恰好。大き目の白いシャツからは大きな双胸が浮かび下半身に着用しているであろう短めなパンツの大半は覆い隠されており、その下にある見事に白い脚線美はまさに男心をくすぐるような張りがある。足元を彩るサンダルは海辺でも出歩くような綺麗な配色で整えられている。
「えっと、凄い数の紙袋ですね」
目に入ったのは彼女の両手にぶら下がっている大き目の紙袋。片手に三つ持ち、両手に合わせて六つの紙袋と双胸を揺らしながらこちらへ近づいて来る。
「そうなのよ、罰ゲームの買い出し。ボードゲームって言うのかしら? ああいう頭使うゲームは苦手なのよね」
世界最強チームと謳われる集団がこれはまた可愛らしいことをしているものだ。
「よかったら手伝いましょうか? かなりの量がありそうですし」
「え! いいの? でもフジくんも何か買いにきたんじゃない?」
「大丈夫ですよ、サラさんがよければですけど」
「ありがとうぅ! それじゃあちょっと待っててね、すぐに買い物済ませちゃうから」
そういいながらメモのような紙を取り出し、端末を自動販売機に当て買い物を始めるサラさん。
女性が困っているのであれば手を貸すのが当たり前だ。むしろサラさんのように優しくて美人であればこちらから懇願してでも手伝いをするというもの、たぶん親父ならそうする。
男とはいつの時代でも馬鹿なのだ。
「ごめんね、重くないかしら?」
「これくらい、平気ですよ」
そう馬鹿なのだ。
買い物を終え、紙袋の分担をサラさんが一つと俺が五つ受け持つことになったのだがこれが中々に重い。
身体能力が上がったという屍者の身体なら大丈夫だろうと息巻いた結果だが、両手に持つ荷物はしっかりと地球の重力に引き寄せられずっしりとした重さで俺の両腕に負担をかける。
紙袋の中身はそれぞれが異なるようで、そのうちの一つには赤ワインの瓶が六本も入っている。誰だこんな重たい品を頼んだ人は。
それから少し歩き、黒酔の住まいである外壁が茶色のマンションへ到着。
あと少しでこの重さから解放されると思いもうひと頑張りと手に持つ紙袋の平紐を握り直す。
そこへマンションの玄関口から一人の人物が姿を見せる。
「あら、トウコ。どこかにお出かけ?」
「ああ、図書館に行くんだが……サラ、そいつは誰だ?」
現れたのは小柄な体格で黒髪お下げを揺らし、半袖のジャージらしき服を纏い眼鏡を光らせる鈴木刀子の姿があった。
こちらを鋭い眼光で睨みつけ、まるで初対面の人間を警戒するような態度でこちらの様子を窺がっている。
「誰って、この前の飲み会に呼んだ藤沢くんじゃない。ほら、ホタルの仲間って言ってた。覚えてないの?」
「知らんな。それよりもサラ、そいつから離れろ。気味が悪いぞそいつ」