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屍者の誇り  作者: 狭間義人
一章
23/81

断節 終わり日から一日目 長渕 将信

 目が覚めた時には世界が変わっていた。


 その日、朝九時までしていたカラオケ店での仕事が終わり、知り合いの店が開いたと同時に店内へ突入、酒を同僚とのみ交わす。昼を過ぎた頃に店を出て、足はふらつきながらもなんとか帰宅し床についた。

 今夜は休みだから何をしようか、そんなありふれた悩みを思い浮かべながら睡眠を満喫。しかし、設定していたアラームとは別の音により目を覚ます。


 人の悲鳴。


 何事かと思い部屋の窓を開くと目に映ったのは殺戮現場だった。しかも被害者は一人ではなく複数。これは大事だと察し生まれて初めて警察へ連絡をしようとするも、携帯端末はなぜか圏外のアイコンが表示されている。

 悔やんだ、部屋に固定電話を設置していないことを。母親からは緊急時にはどうするのと設置を促されていたが無視した。まさか自分の周りで緊急時が発生するとは夢にも思っていなかったからだ。

 

 あれだけの大事件、人の死体を遠目ではあるが初めて見た俺は動揺をしていた。きっと他の誰かが通報してくれただろう、下手に巻き込まれるのも嫌なのでテレビをつけて気を紛らわせようとしたができなかった。電気がきていないのか。


 物音と悲鳴が同時に耳に入った。恐らく住んでいるアパートの同じ階層から、恐怖心を抱きながらも摺り足で玄関に向かい扉を開くと、二つ隣の玄関先で殺害現場が進行していたのを目撃。すぐに扉を閉める。

 

 信じられない。


 人が人を食べていた、いやそんな行儀のいい行いではない、むしゃぶりついていた。


 切り替わった、他人の脅威から自身への脅威へと。汗が止まらない、震える歯が音を立てる。ここにいてはだめだ、部屋に籠ることこそ正解なのかもしれないが一人で居られなかった。


 そこからはあまり覚えていない。急いで靴を履き、扉を開いてまだいるであろう殺人鬼を確認。いまだに食事を進行中なのを確認し、殺害現場から逆側にある階段まで走って駆け下りてまた走った。


 街中は静まり返るばかり、時折聞こえる叫び声と呻き声を無視して走る。

 時刻は午後六時。いつもなら街中は喧騒で溢れているはずなのにそれもない、陽が落ち始めた空は地上から照らされる炎で赤く染まっているように見えた。


 近所で服屋を営んでいた知り合いの店に到着。ここの通りなら知り合いの一人や二人は歩いていても不思議ではなく、縋るような思いでここへ足を運んだ先にあったのは更なる殺害現場。


 先日口説いていた女の子が転がる人を食べている。


 先週ビリヤードで一緒に遊んだ男が内蔵をぶちまけて横になっている。


 先月お気に入りのシャツを買った店が燃えている。


 それはここへ来るまでに目に入れないようにしていた光景と同じで、気づいた時には口から液体を吐き出し地に伏せていた。

 どうしてこんなことに、頭を覆いつくしていた言葉を反復するのを呻き声が遮る。


「ウウ……アア……」


 顔を上げ声の主を見る。老婆だ、およそこの辺りの街に似つかわしくない服を着た血まみれの老人がゆっくりとこちらへ近づいてきている。

 急いで立ち上がり、様子のおかしな老婆へ声をかけようとしたがやめた。その片手には赤いロープらしきものを引きずり、ロープの先を目で辿っていくと倒れた人間の腹部へと続いていた。


「や、やめろ! こっちにくるな!」


 しかし老婆は聞く耳を持たない、比喩ではなく実際にないのだ、顔の両側についているはずの片方の耳が根元からなくなり、そこからはおびただしい量の血が垂れている。


 考えるよりも先に足が動いた。もうあの老婆は助かるまい、それよりも口についていた血はもしかすると赤いロープの持ち主のだとすればアレが殺人犯だ。急いで距離を取ることしか今の俺にはできない。


 向かった先は小さな雑貨店、店内へ入り扉を閉めて鍵をかけた。中にはどこの国の物かわからない雑貨で溢れており、商品が陳列されている机の陰に身を隠す。店内は電気がついておらず暗い闇が覆いつくそうとしていたが、幸いなのか誰もいないようだった。


 一息ついて頭に思い浮かんだのは先日動画配信サイトでみたゾンビ映画だ。知り合いから勧められ、暇つぶしになんとなく見たその映画はとてもつまらなかった。主人公らしき人物と生き残った生存者が街中を逃げ回り、登場人物が一人また一人と死んでいき結局ラストシーンで主人公も死んでエンディングを迎える。 なんの感想も生まれないまま終わった映画に溜息を漏らしたが、今ならあの映画の感想を述べることができる。


「くっそ! 現実にゾンビパニックなんていらねぇんだよ!」


 映画に出てきた登場人物は様々な最期を迎えた。仲間をかばって、途中ではぐれて、高い所から落ちてとろくでもない死に方ばかり。最後に一人で生き残った主人公が断崖絶壁から身を投げて終わりを迎えた映画を今までみてきた作品の中で一番の嫌悪感をこの時抱いた。


 街中を闊歩して人間を食していたのはまさに映画に登場した怪物。肉が爛れ、呻き声を上げ、人を喰らう『ゾンビ』そのものであった。


 数時間かそれとも数分がたった頃に外が騒がしくなる。身体を少しずらし、外の様子を窺がうとそこには間違いなく普通の人間が集団で歩いていた。反射的に外へ出ようとするが、それを抑えた。

 この辺りでも有名な愚連隊の連中だった。裏社会ともつながりがあり、詐欺グループの片棒を担いでると噂で知っている。

 早くに亡くなった父親との唯一の約束『どんなに身は着飾っても外道にはなるな』との教えを従順に守っていた俺は極力あのような集団との接触を避けるようにしていた。


 道路の中央を歩く集団はなにやら武器のような物を持ち、下卑た笑いを浮かべながら人の頭を次々と砕きながら行軍している。そして、向かいの店に押し入り商品や金品を強奪する姿が見て取れる。


 ここも危ない。そう悟り、店内にあった槍のような棒状の商品を手に持ち裏口へ向かう。ここの店主には悪いが緊急事態だ、金はこの事態が収まったら必ず払いに来ると心の中で約束し外へ出た。


 裏口を静かに出て少し歩く。どこへ行けばいいのか、こんなことなら役所から配られていた防災マップをちゃんと見ておけばよかったと遅い後悔に舌打ちをならす。しかし、それと同時に人の声が聞こえた。もしかしてさっきの愚連隊かと思い、咄嗟に壁際に身をよせて耳を澄ませる。


 路地を曲がった先から聞こえてくる人の声は抑えているのか、小声で聞き取りづらくとも複数人いることは確信できた。願うのならば知り合いであって欲しい、せめて普通の人間であればそれでいい。そんな星に願いを込めるように手に持つ槍を握りしめ路地を出た。


「なっ……!?」


 そこには若い男女が一人ずつ、そして年老いた男女が一人ずつでこの二人は地面に座っていた。

 俺の声に気づいたのか若い男がこちらへ振り向き目があった。見た目は同年代くらいか、黒い髪は適度に整えられ体つきも同じくらいの男の目は凄まじい敵意をもった目つきで俺を睨む。


「君は、噛まれているのか!?」


 突然なにを言いだすのか、男は臨戦態勢に入ったかのような姿勢で残りの三人の前に立つ。


「噛まれてって……いや、別に噛まれちゃいないが、なんなんだ?」


「そうか、よかった。それなら手伝ってもらえないか? お爺さんがさっき転んで足を怪我しているんだ」


 先程までの顔とは打って変わり、焦りつつも穏やかな表情になった男の顔見てこちらも僅かに緊張の糸を緩める。そして、男の後ろにいた老人の片膝から大量の血が衣服の上から浮かび上がっている。

 その老人に肩を貸し立ち上がろうとする男と再び目があう。


「頼む、近くの建物まででいいから肩をかしてくれ!」


 焦るように俺に懇願する男の目は真剣そのもの。


 もう訳がわからない。こんな状況で、人が簡単に殺されて、目の前で人を助けようするヤツがいて、考えるよりも先にまた足が動いた。


「爺さん! 掴まれ!」


 男が老人を抱える反対に回り、強引に腕を自らの肩に回す。


「ありがとう!」


「どうでもいい! それよりどこに行くんだよ! この辺りはダメだ、火事場泥棒まがいに暴れまわってるやつがいる」


「そう、なのか。どうしよう……」


「兄さん、ここから少し歩くけど小さな図書館があるみたい。そこなら誰か生きてる人がいるかも」


「分かった。そこに行こう、ナオは先導してくれ。お婆さんもついてきて、お爺さん少し我慢してね」


 小声で話す二人を見て開こうとした口を噤む。音はたてない方がいいみたいだ。


 前を歩く駅前に置いていそうな冊子らしきものを手に持つ少女に導かれ、俺たち五人は図書館を目指した。


*************************


 図書館は無人だった。現代で売られる本は全て電子化され、図書館には貴重な紙製の本が貯蔵されている場所となっている。


 中に入り、動かない司書型のアンドロイドが座る受付の机に老人を座らせて一息ついたのも束の間。


「君、手伝ってくれ! 玄関にバリケードを作ろう」


「へ?」


 老人を担いで全速力でここまで来て更なる追い打ち。近くの建物まででよかったんじゃないのかよと、内心腹を立てるもそうは言っていられない状況だとは理解している。


 男と二人で近くにあった机や椅子を扉に立てかけ、置いた机に背中を預け今度こそ一息ついた。


「はぁ……はぁ……ありがとう、助かったよ」


「ぜぇ……ぜぇ……いいよ、もう」


 肩で息をして呼吸を整える。


「それよりよ、なんなんだあいつら。まさかゾンビってヤツなのか……」


 答えを求めた訳ではない。自らの頭を整理するためにぼやいた言葉を真摯にとなりの男は返してくる。


「俺もわからない、街全体が異常な空気に包まれてナオと避難所を探していたんだけど、人の多いい所はもう全部人食いが溢れていた。君は今までどこにいたんだ?」


「君じゃねぇよ、長渕将信(ながぶちまさのぶ)だ。アンタは?」


「俺は藤沢大翔(ふじさわだいと)だ。よろしく」


「ご丁寧にどうも、俺は昼から寝ててついさっき起きた。知り合いの店まで行こうとしたんだけど……もうダメだった」


「そっか……それは、残念だ」


 沈黙。


 残念という言葉はやはり最期を迎えてしまったという意味なんだろうか。俺よりもこの世界を幾分か知っているこの藤沢という男からもう少し話を聞いておいたほうがよさそうだ。

 俺たちの視線の先では自身のスカートを破り、それを老人の足へ巻き付け献身的に治療を行っている少女の姿。


「なぁ、さっきあっちの眼鏡の子。ナオって言ったっけ? お前のこと兄さんなんて呼んでたけど、まさか妹?」


「ああ、そうだよ。八つ下の妹だ」


「似てねぇな、まさか血が繋がってないとか?」


「ちゃんと繋がってるよ、悪かったな似てなくて。ナオは俺と違って頭がいいからな、都内でも有名な大学を受ける為に見学会に来ていたんだ。それが、こんなことになるなんて……」


 運の悪い兄妹だ。いや、運の悪さで言えば俺も同じか。


「あの爺さんと婆さんもあんたの?」


「いや、あの二人とはナガブチくんと出逢う少し前に会ったばかりだ」


「なぁ、そのキモい呼び方やめてくれ。マサノブでいいよ、俺もダイトって呼ぶから。多分タメぐらいだろ?」


「わかったよ、マサノブ。俺は二十五歳だ」


「なんだ一つ上か、ダイト先輩よろしくっす!」


「ははっ、そのキモい敬称やめてくれ。普通にダイトでいいよ、少しの間になるかもしれないけど改めてよろしく」


 俺が今まで生きていた世界では関わることがなさそうな優男は疲れた笑みを浮かべる。


「そうだな、早く助けがくればいいんだがな」


 根拠のない期待があった、この時までは。誰かがこの窮地をなんとかしてくれるだろうと。


 しかしそれは終わりのない旅路の始まりだとは、この時誰も知る由もなかった。


 そしてとなりにいる男が、俺の世界を変えた存在になるとは夢にも思わなかった。


 


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