黒酔
何故かこの世界では俺とホタルの関係を誤解する人が多くいる。以前喫茶店でシノさんが『モジャ男』と言っていたのは恐らくマサノブのことを差すのだろう。つまり黒酔の中では俺の友人も認知されており、ホタルの『元仲間』という分類に入るはずなのだが。
「そうなの? フジくんは真面目っぽいし、お似合いかなって思ってたんだけど」
「確かにダイトは誠実な人物で信頼も置けますが、だからといって別に恋仲というわけではありませんよ」
反論して俺を持ち上げてくれるのは嬉しいんですけどね、そういうのは当事者がいない所でお願いしますよ。恥ずかしさを紛らわせる為に酒を一口煽る。
「フジ、コレ、クエ」
「あ、ありがとうございます」
ホタルの左隣にいたベルと呼ばれた人物から、ポテトチップスが乗せられた皿を目の前にあるテーブルに置かれる。無理やり連れてきたお詫びということだろうか。
「へぇ、この世界にもポテトチップスってあるんですね。この近くにある自販機で売ってるんですか?」
「そんな訳ねぇよ、自販機には菓子だのつまみの類は置いてねぇからな。それはサラの手作りだ、ありがたく食えよ。それから俺は本田志美瑠だ。ま、よろしくな」
「はい、よろしくお願いします。シビルさんと呼んでも?」
「おう」と言葉短く笑顔で応え、解説をくれた本田志美瑠さんから自己紹介を頂いた。
この飲み会で少女たちの座る位置関係から察するに、彼女こそがこの黒酔の親分といったところだろうか。そしてその反対に座る人物、赤ワインらしきボトルをラッパ飲みしているシノさんもこの中では重要な人物なのだろうか。
差し出されたポテトチップスをサラさんに礼を言い一枚つまむとこれがまた旨い。平和な時にはなんとなく食べていた菓子類も数年ぶりに口にすると感動の味に変わる。
「これ、凄く美味しいですね!」と、驚きの声を上がるほどに。
「ふふ、ありがと。北海道に知り合いがいてね、その人達からたまにジャガイモとかお野菜を送ってもらっているの。まあその知り合いってトウコの両親なんだけど」
「はぁぁ……なぁサラよ、頼むから人の親と勝手に連絡取り合うのやめてくれよ……」
「あら、いいご両親じゃない。こんな世界でも『天然』の食べ物は貴重なんだから、感謝するべきよ」
「わかってるよ、うるさいなぁ……」
そう言いながら俺の前に置かれていた皿から数枚のポテトチップスを掴み口へ運ぶトウコさんは俺がここへ来てから初めて見る大人しい姿。こうやって同世代だったであろう人物が集まる飲み会で、親の話をされるのは照れるというものだ。少し同情する。
親という単語から父親との会話を思い出す。そういえばシノさんに渡すはずだったタバコは部屋に置いてきてしまった。というよりほぼ裸で連れて来られたので無理もないのだが。
「ところで、『黒酔』というチーム名はどういう意味なんです? あまり聞き慣れない言葉ですけど」
眼鏡の奥で照れを隠す彼女へと助け船にでもなればと思い、どうでもよさそうな話題をふってみる。
「なんだったかしら? ねぇシビル」
「それは『黒』い服を着て酒に『酔』うだろ。忘れんなよ、初期メンバーだろ、サラ」
「ごめんごめん、だって特に深い意味もないじゃない。たまたまその時にいた私たちが黒い服でお酒をのんでたってだけなんだもん」と、呆れた様子で返すサラさん。
本当にどうでもいい理由だ。
「それでも、その、凄く強いんですよね、皆さんは。掲示板でも沢山のファンがいるみたいだし」
それは先程まで見ていた動画での率直な感想。異次元の闘いに身を投じている少女たちに興味を覚えたのも事実だ。
「ダイト。P・B・Zについても知っているのか!?」
「ああ、昨日実家に帰って父さんから聞いたよ」
「そう、か」と察したかのように押し黙るホタル。
やはり何か知っているようだ。ナオのことを。
「そうねぇ。いつのまにか知らない人たちからも声掛けられるようになっちゃったし。最初はこんなことになるなんて思ってなかったもの」
「別にいいじゃねぇか! 男共が恐れをなして俺たちに道を譲る姿なんて笑えるしな!」
一応その男が目の前にいるんですよシビルさん、勿論口にはできない状況だとは理解している。
突如、まるで怪物の唸り声のような爆音が響き渡る。
「ぐごおおおおおおおおおおおおお」
「あら、トウコ寝ちゃった」
「相変わらず酒に弱いってのに最初から飛ばし過ぎなんだよな。缶ビール二本で撃沈とはね」
「……ベル。トウコを部屋に運んでやれ」
「イエス! ボス!」
ここで俺が来てからずっと無言だったシノさんが口を開いた。そして体長二メートル弱はありそうな外国人と思われるベルと呼ばれた人物が黒髪の少女を担ぎあげ、建物の屋上を去っていく。
(なぁ、ホタル。この黒酔のボスってシノさんなのか?)
(いや、黒酔にリーダーは存在しない。全員平等だということだからな)
ホタルに耳打ちしてふとした疑問に解を得る。
しかし平等という話ではあるがホタルは他のメンバーに対して後輩口調とでもいおうか、まだ黒酔というチームに染まりきっていないようにも感じるのだが。
「なんだぁ? 二人してこの後の相談でもしてんのか?」と卑しい表情でこちらを見る白髪の人。
「違いますよ。黒酔にボスがいるのかという質問をされただけです」と素直に答える黒髪の少女。
「ボスねぇ、まあ世間的に見れば黒酔の代表はシノって感じだもんな」
「……別に、私はシビルがボスでも構わないんだが?」
「けっ! あの時俺に勝ったからって調子のんなよ、次にP・B・Zであたったら俺が勝つんだからな!」
「わかった、期待しないでおく」
まるで少年漫画のライバル同士のような会話をする二人。お互い、にやつきながらも同じソファーに座るあたり本気で言い合っているわけでもないようだ。
「もう、二人とも物騒なんだから。さっきフジくんを連れてきた身体が大きい子はベル・ドゥカティエルって名前でね。昔シノと決闘で負けてからはシノの事をボスって呼ぶようになったのよ」
右隣りで再び解説をいれてくれるサラさんは本当に察しのいい人だ。どんな話題でも笑顔で話しを広めてくれる、実に気遣いのできる人のようだ。
「決闘ってP・B・Zで闘ったんですか? シノさんと、ええとベルさんが」
「いや……三年前になるかな。全財産賭けての野良試合だ」とシノさんが今日初めて俺の言葉に返してくれた。
「あったなそんなこと、でもベルのやつほとんど文無しの状態だったからな。あの時はとんだ無駄骨だったな、どうするよ? またベルが挑戦してきたら」と白髪の人物が隣の麗人を煽る。
「勘弁してくれ、あいつの相手は二度と御免だ」
世界チャンピオンであるシノさんからここまで言わせるということはベルという人物も相当な実力者なのだろう。しかしその実力者を小間使いのように扱う黒酔はやはりとんでもない存在だということか。
「ところでフジ、お前はP・B・Zに出るのか?」
思わず心臓が跳ねる。
「えっと、どうでしょう。まだあまりその闘技大会のことには詳しくなくて」と言葉を濁らせる。
「なんだよ男らしくねぇな。ホタルと生き残ってたんならそこそこやれるんだろう?」
「シビル、無茶言うな。こいつは転生したばかりで金もほとんど持ってないだろ。参加料すら払えないんじゃないか?」そうフォローをしてくれるシノさんの言葉に疑問を抱く。
「参加料って、そんなに高いんですか?」
「そうねえ、百万バイトだから最初は結構きついかもね」
「ひゃ、百万!?」
確か俺の全財産は十万弱。大金が入ったからと実家の帰省費用にあてたり、生活に必要そうなものを買ったために消費してしまった臨時収入。世界を変えるだなんて息巻く前にまさか金の問題とは頭が痛い。
「仕方がないんだ、この世界で金を稼ぐ手段は限られているからな。実力のない者を人類保全機構が線引きしているのであろうな」と、解説を入れるホタルへ身体の向きを変える。
「なる、ほどね。ところでホタル、コレクトってチームは知ってるか?」
「……!」
まるで不意を突かれたという表情から確信を得る。
「フジくん、コレクトがどうかしたの?」
「実はそのメンバーの中に、俺の妹がいるかもしれないんです」
「へぇ、P・B・Zにも出てんのか?」
「はい、シビルさんのような白髪で中継の録画にも映っていました。名前はミリアとなっていましたが、父と話して妹ではないかと」
少しの間を置いて、今まで穏やかな表情を浮かべていた金髪の麗人が険しい顔つきに切り替わる。
「ホタル、その話は聞いたことがないぞ」
その一言で一瞬に空気が凍りつき、この場にいる全員が固唾をのむ。いわゆる怒らせてはいけない人が、目の前でホタルへ向けて怒気を含んだ視線を送る。
「そ、それは……」
「待ってください! 俺は妹のナオについて何か知っていることがないか聞きたかっただけで――」
「黙れ、フジ。お前の話は関係無いんだよ。この前ホタルから聞いた話で、お前の妹が生存者のグループで一緒にいた事は知っている。それがどうしてコレクトにいる事を黙っていたのかを聞いているんだよ、私は」
つけいる隙のないほどの重圧。これが世界の頂点に立つ屍者、その眼光に再び喉を鳴らす。
「ま、まあまあ! シノもそんなに怒っちゃダメよ。ねぇホタル、なにか理由があるんでしょ?」
「ホタル、俺からも頼む。教えてくれ、あのミリアって人物は本当にナオなのか?」
サラさんと俺から促され、観念したかのようにホタルは静かに語りだす。
「……ミリアという人物がダイトの妹であるナオということに間違いはありません。第四回P・B・Zの時に少し話をしました。『兄さんがどこにいるか知っていますか?』と聞かれ『わからない』と答えるとすぐに何処かへ行こうとしました。久しぶりに会ったナオはまるで別人のようで……なんとか話しかけようとしたんですがコレクトのチームには近寄れませんでした。それで……その、不確かな情報を伝えるのはよくないと思って話せませんでした。すみません」
話の中で現れたナオは俺からしても別人のようにしか聞こえない。そして今まで鋭い目つきをしていた河崎シノは落ち着いた態度に戻っていた。
「……まぁ、コレクト相手なら仕方ないか。ホタル、別にお前を怒りたいわけじゃない。ただあいつらは厄介な連中だ。下手に関わろうとするな、いいな?」
「はい……わかりました」と下を向き答えるホタルをよそに、河崎シノは立ち上がる。
「眠くなってきた、私はもう部屋に戻る。片付けは明日やるよ」
「別にいいわよ、私たちでやっとくから。おやすみ、シノ」
「サンキュ、おやすみ」
長い髪を揺らし、屋上から立ち去った彼女を見送った時には、嵐が去った後の静けさのようだった。