帰れる場所
父との晩酌を終え、自分の部屋だった扉を開く。
そこには幾つかの段ボール箱が置かれ、荷物置き場のような状態ではあったが整理整頓されていた。荷物を適当にずらし寝るスペースを確保し、父から借りた布団を敷いて横になる。
いい具合に酒の回った頭は疲労を訴える。寝かせろ、と。不老となった身体であっても当然のように食事や睡眠を欲するのは実に不思議な感覚だ。
微睡みながらに天井を眺める。幼少の頃から見てきた天井を低く感じるのは気のせいだろうか。
疑問符を思いあげればキリがない。しかし、それを今は考えない。きっとその答えはマサノブとホタルが答えてくれるはずだ。
この世界で感じる価値観のズレ。
それもそのはず。俺が入学したての小学一年生とすればホタルは小学六年生、マサノブに至っては中学二年生。物の見方や感じ方が異なるのは当たり前だ。
子供の我が儘なのか、新しい世界をおかしいと感じている俺は。いや、子供か。さっき父親へ怒鳴るように食い掛かるなんてまるで成長のないお子様だ。
それでも、死なないからといって元は人間だ。それを見世物のように殺し合わせるなんてどうかしている。時代を紐解けばそんな時もあったのかもしれないがここは現代だ。
逆行している。世界が、時代が、考え方が。
例えば人類保全機構から渡されたこの端末。
色々とアプリを起動させてみたが『メール』や『メッセージ』などの連絡手段はない。他者との連絡は電話だけ。
仮に『もしもし、タバコが手に入ったんですけど今度いつ会えますか?』なんて連絡を軽くできるほど俺の心臓はタフではない。相手は世界チャンピオンだぞ。
マッキーに相談したら『それならウチの店でご飯でも食べながら待ってればいいじゃん、偶然出会えるかもよ?』なんて言ってくれるだろうか。
だめだ、寝よう。明日は東京に戻らなくては。
ナオ、この世界にいるのなら謝らせてくれないか。兄として。
****
早めに起きて朝食でも作ってやろうとキッチンに向かうと既に父の姿があった。
「なんだ随分と早いな」
「父さんこそ、いつもこんなに早いの?」
「ん、年寄り扱いしたいのか?」
「違うよ、手伝う」
「ああ、頼む」
父と初めて朝食の準備をする。
この世界になってお互い素直になったような気がした。
食後、準備したお茶を啜りつつ父が改めて俺に問いを投げかける。
「ダイト、感染が広まってからもナオの最期まで一緒にいたと言っていたな?」
それは思い出したくはない光景。だが、肉親である者の最期はやはり気になるのであろう。
「うん、そうだよ。俺の目の前でナオは……ヤツらに喰われた」
「そう、か。幸運だったかもしれないな、ナオは」
少しばかり苛立つ。だが昨晩とは違い酒の勢いもない為、冷静に言葉を選ぶ。
「幸運って、どういうこと?」
「この世界では『あの時』に長く生き残った者ほど力が増す、というのは知っているか?」
「ああ、友達から聞いたよ」
「資格があるということだよ。お前にも」
お茶を一口啜り腹をくくったと言わんばかりに神妙な顔つきの父。
「どういうこと?」
「ナオ……いや、ミリアという存在に気がついて過去の動画を掲示板で探した。あの掲示板にはこれまでの試合を何らかの方法で録画して専用のスレッドに投稿をしている好き者がいてな、そしてナオは第四回大会では全勝。負けなしだ」
「そ、それはなにかの間違いだろ? だってナオは他人と喧嘩すらしようとしない子だったじゃないか」
「変わったんだよ。この世界の住人は一度『死ぬ』という経験をしたからかな、生前とは違い己の信念もしくは欲望に素直になったものが大勢いるよ。お前の母さんも……そうだったのかもしれん」
記憶の中にいた母を思い浮かべる。優しくて間違っていることをダメだと諭してくれた存在、それでも深く干渉し過ぎないぐらいには放任してくれる、良き母だと胸を張って言える。
俺が中学の頃に『まるで籠の中の鳥だわ』という母の口から零れた言葉を当時は理解できなかった。
「母さんは、今どこに?」
「さてな、屍者の多く住む北の方か、それとも海を渡ったのかはわからない。話を戻そう、ナオの最期に立ち会ったというのであればお前も強い力を有しているとみて間違いないだろう」
思い出すのは公園でみた光景。マサノブが片手で遊具を引き千切る姿は怪力なんて言葉では説明がつかない、そして彼は夏から始まった感染から最初の冬に喰われた。時期で見るのであれば半年といった辺りだろうか。
そしてナオが喰われた時期は二度目の冬。
父の言いたいことはなんとなく察しがついた。
「俺も、その闘技大会に出れるってこと?」
「出場するだけならば誰でもできる、参加料さえ払えばな」
「でも、俺が闘うなんて。相手がゾンビでもあるまいし」
「それは全員同じだ。あの大会で上位に食い込んでいる人物は旧世界でも闘いの経験など無い者たちばかりだ。まあ、野蛮な連中も多く出場してはいるがね。ああ、すまんな……もし、ナオに出逢えるとしたらその大会に出るのが一番の近道だと言いたかっただけさ」と、再びお茶を啜る父を見て一つの妙案が浮かぶ。
「……そうだ、ナオが所属している『コレクト』ってチームはどこに本拠地があるんだ? そこに向かえばナオに会えるんじゃないかな」
「わからん。コレクトは謎の多いいチームでな掲示板でも様々な噂が飛び交うだけだ。なにせ第四回大会で優勝した時の願い事は『チームで国を持ちたい』と宣言したそうだ」
「国? それは、いいのかな。この世界で」
「優勝すれば可能なのだろうな。噂ではどこかの島をコレクトが占拠し、人類保全機構の管理を受けていないのだとか。物資は外のメンバーが調達しているなどの噂でな、どこに本拠地があるのか見当もつかん」
「そっか」と肩を落とす俺。
ナオに会いたい。そう俺が願っても世界にはそれを許さない図式が出来上がっているのが現状か。そしてそれを可能にするのが人類保全機構が開催している『P・B・Z』とかいう殺し合いという訳だ。
「すまんな、忘れてくれ。わしはすぐに喰われたからな、この世界ではとても弱い存在なんだ。闘う資格もない、根性もない。それを息子であるお前に託すとはどうかしていたよ。ナオとは別の方法で会えないか探ることにしよう」
「ははっ」思わず渇いた笑いがでる。
「どうした?」
「いや、なんだか進路相談を受けているみたいだなって。流石は元教員だね」少し柄にもない冗談を言ってみる。
「馬鹿を言え、進路指導なんぞもうかれこれ何十年もしとらん」
「それならさ、またやってみれば? 青空教室みたいに、近所に子供とか住んでるなら色々と教えてあげればいいんじゃない。父さんの教えていた科目って確か技術だったよね?」
ほんの冗談のつもりだった。この世界になって父からは生前の覇気が失われていたように見えた。もしなにか遣り甲斐をみつけることができればきっと昔みたいに戻るのではないかと。
しかし父は顔を強張らせる。
「ダイト、この世界で屍者が多く集まる場所を見た事があるか?」
「え? ええと、公園でフリーマーケットをしている人たちなら見たけど……」
「その中に子供はいたか?」
ほんの二日前の出来事。公園に集まった群集のなかに子供は、いなかった。成人や老人ばかりであったと記憶にある映像を思い浮かべる。
「いなかった。でもどうして、そんなことを? たまたまかもしれないし」
「いないんだよ、この世界に子供はいないんだ」
「え? どうして! だって全世界の人類を転生させてるんだろう。まさか、人類保全機構がどこかに監禁でもしているのか?」
「それに……近いかもしれないな。人類保全機構の発表では産後十五年経っていない人間は転生させずに、死体やDNAは保管に留めるということらしい」
「なんでそんな……平等な世界とか言っておきながら子供は生き返らせないだなんて!」
「考えてもみろ、わしたちの身体は老化しない。それは子供たちにとっては成長しないということだ。身体は小さな子供のままだというのに時間だけが過ぎていくこの世界は……あまりにも可哀想だ」
言葉が詰まる。
俺自身に子供がいたわけではない。だが子供のいる親からすれば耐えらるのか、子供と会えないこの世界は。
「それって、納得してるの? 子供がいた人たちは」
「納得なんかするもんか、当然暴動に近いデモが各地で起きた。しかし人類保全機構はそれらを一切相手にしなかった、と言うよりどこに本拠地があるかもわからん。そして疲れてしまったんだろうな。七年前に起きた大規模なデモを境に誰も声をあげなくなった。受け入れてしまったんだよ、この世界を」
常識人のように正論を語るつもりなんかない。それでも子供は大切な存在のはずだ、人類が未来を見続ける為に。しかしそれを諦めた。世界中の住人が投げ捨ててしまったんだ、子供という未来を。
そこにどんな葛藤があったかは当事者ではない俺にはわからない。
「ダイト。お前はこの世界がおかしいと思うか?」
それは転生を受けてからずっと心の中でくすぶっていた言葉。
「それは、当然だろ。人類保全機構がやったことに納得なんてできやしない。確かに生活の面倒をみてくれているみたいだが、全くもって平等なんかじゃないだろ! 子供は蘇らせない、生き残った時間だけ力が強くなるなんて『自由で平等』なんて言えないだろ、こんな世界は!」
思わず激昂し叩きつけてしまった。俺が家を出ていく時と同じく父親に向かって。だが父親の反応は当時とは異なる態度を示す。
「ああ、わしもそう思うよ。だがな、昔の世界となにが違う?」
「え?」予想だにしない反論に頭にのぼった血が降りていく。
「お前だって経験したのではないか? 努力しても報われない世界を。しかしこの世界ではあの時に長く生き残った、つまり生きる努力をした者が報われる世界なんだ。昔持っていた肩書や地位はなんの役にもたたん。それに子供が喰い物にされるのはいつの時代も同じだ、暴力が世界を支配する時代に被害に遭わなくてすむというのなら、わしは構わないと思っている。……まったく教育者失格だな、こんな考えは」
恐らく俺なんかよりも幾度となく重ねられた思考の断片。
反論なんて思い浮かばない。父も俺と同じくこの世界に嫌悪感を感じたが、受け入れざるを得なかったのだ。人類保全機構の創り出した世界と大勢に。
「ごめん、父さん。考えなしに――」
「いい、なにも言うな。わしも少し熱くなった、久しぶりに本音で話すことができたよ。すまんな」
「そんなこと、ないよ」
「変わらないな」先程とは違い穏やかな顔になる父。
「え? なにが?」
「正義感が強いところだ、子供の時はよくそれで近くの悪ガキと喧嘩をしていたな」
夏の風が、窓から入り込むのを感じた。
****
昨日歩いた道を父と二人で進む。
「ダイト、それは護身用か?」
アンビがでるかもしれないから危険だと言ったにも関わらず強引についてきた父が俺の腰を指さしながら問う。
「ああ、このバール? そうだよ、ホタルから渡されたんだ」
「いいのぉ、ホタルちゃんからのプレゼント……」
ぶっ飛ばすぞクソ親父。
勿論そんなことは言えないので別の話題へ舵をきる。
「このあたりはアンビがいないの? 父さんは丸腰だけど」
「いや、たまにでるぞ。だがあいつら目と耳がいいぶん鼻はあまり利かないみたいでな、建物の影に隠れていれば大抵やり過ごせる。それにわしにはアンビを倒せるほど力がないしな」
それは、窮屈ではないのだろうか。そんなことを考えていると実家近くの駅前に着いた。
「ダイト、久しぶりに会えてよかった」
「ううん、父さんこそ。実家にいてくれてよかったよ」
「年を取るとな、新しい場所へ赴くのは億劫になるだけさ」
互いに向き合い別れを惜しむ。しかし嫌な気分はしない、あの日喧嘩別れをした親子は少しだけ成長したのかもしれない。
「父さんは、ここでなにをするの?」
「特になにもしないさ。近所の人とたまに酒を飲んで、話をしたりするくらいさ。ダイトは東京に戻ってどうするんだ?」
「それは、わからない。俺馬鹿だからさ、なにをすればいいのか全然思い浮かばないよ」
少しばかりの嘘。本当はもう腹の中では決まっている。
「そうか馬鹿か、成程。それは当然だな、なにせ大馬鹿者の息子だからな」
「へ?」
「ダイト、いいか? お前の父親はな教頭になってから九年連続で校長になるための昇任試験に落ちたんだぞ! とんでもない馬鹿だ、同期の連中に散々笑われたよ! 歴代最高記録なのではと馬鹿にされた!」
「な、なにを言ってるんだ――」
「お前も自覚があるんだろ、なら器用に生きようなんてするな! どうせ一回死んでしまったんだからな! 自分で考えて正しいと思ったことをやってみろ、馬鹿らしくな! もう昔のように世間体なんぞ気にするな、自由に生きろ!」
見透かされていたようだ、俺の浅い考えは。
「……うん、やってみる。そしてナオとここに、また帰ってくる」
心の内を明かし、父は俺に笑顔で応えた。
歩き出す。端末を片手に改札を通り過ぎ、父の居るほうへと向き直り小さく手を上げる。
「ダイト! わしにも目標ができたぞ! 金を貯めて東京に遊びに行く、その時には黒酔の子と会わせて――」
「行ってくるよ! 父さん!」
「あ! ちょ、ま――」
駆けだす俺に父の言葉はもう届かない。
ホームに無人の電車が流れ込み車内へ乗り込む。
窓から見える所々寂れた懐かしい景色に、心のなかで別れを告げる。また帰ってくると。