帰省
座席が揺れる。
一定の間隔で弾む車内には穏やかな時間が流れている。
朝方、少し早いかなと感じる時間にあの施設へむかった。
そこでアンドロイドから聞かされる話はマサノブやホタルから聞いた内容ばかりで、むしろ説明があまりにも不十分だったため途中から聞き流して早々に施設から立ち去った。
昨夜色々と考えた結果、今日は数年ぶりに帰省することにした。
家族が心配になった、というより気になったからと言い表したほうが正しいのもしれない。
喧嘩別れ同然で実家から東京へ出てきた俺にとって、初めての帰省になる。
俺は幸運だった。
あの二人に出逢えたことは勿論、喫茶店のマッキー、黒酔の河崎シノやラーメン屋の店主は俺に優しくしてくれた。それは恐らくこの世界における全ての元人間がとても貴重な体験を共有したからなんだと思う。
死。
新しい世界で誰もが一度は経験したであろう結末。いまだに自身の最期を思い出せないでいるが、昨日のアンビとの戦闘で思い知らされた自身の超人的な力は理屈では説明しきれないものがあった。
マサノブがラーメン屋で話していた『たぶんダイトはすんげぇ力を持ってるぞ!』なんて言葉が妙に引っかかる。それは俺が仲間を犠牲にして卑しく生き残った臆病者だからという事実を突き付けられたような気がして。
電車内は静寂。人類保全機構が運営している公共交通機関なのだが、駅だろうと電車内だろうと誰一人としてすれ違う屍者はいなかった。
『死ぬことがない世界』
昨日、二人から聞いた新世界の常識。
人類保全機構から渡された端末、これを通して登録を行った際にその人物のDNA情報は記録される。
そして端末の最終使用記録から二十日をすぎると、端末のGPSを中心に探索用のドローンが放たれ活動不可または行方不明と判断されると、探索時に採取された肉体の一部もしくは記録していたDNAを参考に新しい肉体が産み落とされる。それが『黄泉がえり』だ。
ラーメンを啜りながら軽く教えてくれたマサノブには悪いが、それはとても気持ちが悪いように感じた。
まるでこの世界はなにかに支配されている監獄のようだ。
****
電車をいくつか乗り換え地元の駅に到着。
周りを山や海に囲まれているわけでもなく、なんの面白みのない平凡な街並みが視界に拡がっていた。
駅から十五分ほど歩いて実家の前にたどり着く。
昨日マサノブやホタルに実家に行こうかと相談したところ、あまりいい顔をされずに止められたのを思い出す。もう別の場所へ移住したかもしれないと残念そうな顔を浮かべて。
新しい世界が始まって九年。全世界人口の約九割以上は新生歴三年で転生を終えたのだという。俺は目を覚ますのが遅すぎたのかもしれない。
久しぶりに見る実家は多少古ぼけてはいるが綺麗な状態であった。ここに来るまで幾つも倒壊した家屋を目にしたことを顧みるに、人の手が入らなくなった最新の建築物は実に脆いものに感じた。
門に手を掛ける。敷地内は清掃でもされているのかゴミ屑一つ落ちていない。もしかして誰かいるのかと期待と不安にかられた頃に声が聞こえた。
「ダイト?」
声のした庭の方へ振り返ると一人の男が立っていた。
「父さん……」
「久しぶり、だな」
「……うん」
俺がこの家を出ていった時と変わりない父の姿。藤沢大和、俺の父親だ。
庭仕事でもしていたのか手には土がついた軍手を持ち、額には大粒の汗が付着していた。
なにか話さなければ、なにかを伝えなければと頭を巡らせるが気の利いた言葉が思い浮かばない。
「今日戻ってきたのか?」
「うん、えっと……母さんは? 家の中にいるの?」
「いや、ユキコは出ていったよ」
父の口からでたユキコと言えば俺の母の名で藤沢由紀子。
出ていったというのは、つまりそういうことだろう。父の申し訳なさそうな表情から察せないほど俺も鈍くはない。
「とりあえず中に入ろう。今日は暑いからな、冷えた麦茶でもつくろうか」
そう言いながら玄関の扉を開く父の背中を追う。玄関ですぐに感じとったのは実家の匂い、帰ってきたんだなと今更ながらに実感として湧いてくる。
「そういえばダイト、ナオは一緒じゃないのか?」
『ズキン』
「え? 父さん……いま、なんて」
「なにって、ナオだよ。お前の妹だろ」
『ズキンズキンズキン』
頭が強く脈打つのを止められない。視界が暗くなる。
****
店長候補として働いている回転寿司屋の仕事を夕方頃に脱出して駅へ向かう。仕事舐めてんのか? などと現店長からの嫌味はさっさと頭の隅にでも追いやってしまう。
今日は特別な日だ。実家から東京に越してきて約一年、今までこれといったイベントも無くただ生活費を稼ぐために働いてきた俺にとっては大切な時間。
妹が初めて上京するのだ。兄としてこれは見過ごせない。
藤沢奈央は俺の八つ下の妹だ。今年で十七歳になるナオは都内にある大学の見学会へ参加するために今日こちらへやってくるのだそうな。
空港から繋がる一番大きな駅で待ち合わせ。人の多い場所だ、ナオにもし何かあれば俺を信じて送り出してくれた母さんには申し訳がない。
「兄さん!」
待ち合わせ場所には先に妹の姿。肩にかかるくらいの黒い髪、前髪は揃っており黒ぶちの眼鏡がよく似合う。俺とは対照的な文学少女のようないで立ちだ。
「すまん! 遅れた! ナオ、変な奴に声とか掛けられなかったか?」
「ふふっ、大丈夫ですよ。私地味だから」
「いやいや、そういう人間にしつこく付きまとうようなヤツがいるからな東京には。荷物持つよ」
「ありがと、兄さん」
「それで今日はこの後どうするんだ? もうホテルに向かうか?」
「ううん、少しだけ観光でもしようかなって思うんだけど。兄さん、時間は大丈夫?」
「ああ! 今日はもう仕事は終わったからな。それでどこに行きたい?」
「うん。近くの美術館でね、有名な画家の展覧会をしているんですって」
「へぇ、展覧会か……」
「地味だと思いました?」
「いいや、ナオらしいなって思った。んじゃ行くか」
「うん!」
兄妹二人で肩を並べて歩くのも話すのも実に久しぶりだ。
ナオは大人しい見た目をしているが可愛らしい部類には入ると思う。それでも彼氏ができたなどの浮いた話を聞いたことがない。まったく世の中にいる男子諸君は何をやっているのか、こんなにも可愛いうちの妹に声をかけないとはどうかしている。
まあ、俺にいたってはファーストフード店の店員にときめいてしまうくらいに女っ気のない日々を過ごしているのだが。
「兄さん、お仕事の方はどうですか?」
「んん、順調といえば順調かな」
「今はお寿司屋さんでしたっけ?」
「ああ、回転するほうのな。ほとんど機械がやってくれるのはいいんだけどさ、特に技術的に身に着くことなんて無くてな。仕事の大半は店長の愚痴を聞くのとテーブルの後片づけばかりだよ」
「それでもちゃんと続けているのは立派ですよ。私もこの前短期のアルバイトをしたんですけど、大変ですね働くって」
「え!? ナオが? よく父さんが許したな」
「ふふっ、兄さんが出ていってからは父さん変わったんですよ? 社会を学んでみるのもいいだろうって」
「そっか……」
「兄さん……もうウチには戻らないんですか? 母さんも年末位は帰ってくればいいのにって言ってましたけど」
お金が無い、なんて妹の前では口が裂けても言えません。
「仕事でな。一般的な連休なんかには休めないんだ、特に飲食関係は」
「そうですか。……体調、崩さないようにしてくださいね」
「大丈夫、身体が頑丈なのが唯一の取り柄だからな!」
「そんなこと、ないですよ……兄さんは」と、ナオが言い掛けた瞬間に異変が起きる。
『きゃああああああああああああああああああああああ』
ナオの言葉を遮るように悲鳴が辺りを支配する。
「な、なにっ!?」
「ナオ、こっちだ!」
都会では事件や事故なんて日常茶飯事。被害を受けたくなければ野次馬などせずにその場から急いで立ち去るのが一番だ。俺が、ナオを守らなくては。
西暦二千七十六年七月一日、それは人類にとって終わりの日の始まりだった。
****
気が付いた時には畳の上に寝かされ、羽根のない扇風機の風が当てられている。
どうして今まで忘れていたんだ、妹の存在を。
生存者たちで寄り集まったグループにもナオはいた。俺以外にもホタルやマサノブなんかのグループ内のメンバーと話す姿も今では思い出せている。
マサノブが喰われホタルと事故で生き別れた後も俺とナオは一緒にいた。それからは二人で移動を重ねて、それから、それから。
ナオが目の前でゾンビに喰われた。
「うっ……!」
猛烈な吐き気を覚え、起き上がり口を抑える。
胸糞悪い光景を思い出してしまった。ヤツらから逃げる途中に足場が悪い所を一人で歩かせてしまった。もともと運動があまり得意ではないナオは足を滑らせ転落。
『兄さん! 兄さん! やだぁ! いやあああああああああああああああああああ』
数十体のゾンビに覆いかぶさられる妹の姿。そして俺は――。
「ダイト、起きたか」
「父さん……」
「急に倒れるもんだから心配したぞ、大丈夫か?」
そういい俺の隣へ座り、近くにあったテーブルに麦茶が入った二つのグラスを置いた。
「父さん、ごめん。俺、ナオのこと守ってやれなかった……」
「ダイト……」
それは懺悔。許しを請えるわけでもない自身の罪。大事な妹を守れず、がむしゃらにゾンビの大群に身を投じた俺の記憶はそこで途切れている。
それに応えるように父親も語りだす。
「わしもな……守れなかった、ユキコを。あの日は学校があってな、ネットの情報なんかで非常事態だということはすぐにわかった。近隣の住民の避難を優先してな、その後に家やユキコの携帯に電話をしても連絡がつかなかった。それからは避難をしてきた人のなかに感染者がいてあっという間にわしも喰われた。ろくに生徒たちも守れずにな」
それは父の懺悔。中学校の校長をしていた父はきっと動きたくても動けなかった。沢山の命を守るために、その姿は昔から変わらない立派な姿だと俺は思う。
「そして転生した後、ユキコは変わったよ。もうダイトもナオも戻ってこないでしょうから私も自由にする、なんて言い残して四年ほど前に出ていったよ」
「ごめん……もっと早く戻れていれば」
「いいさ、わしが悪かった。どうも他人を縛り付けてしまうみたいでな、悪いことをしたと思っているよ。ユキコにも、お前にも」
「そんなこと……」
ない、とは言い切れなかった。父は昔から厳しく、ゲームや漫画なんかを嫌悪していた。俺は色んなことで反発もしていたが、気の弱いナオは大人しく父の教育方針に従っていた。
しかし、目の前にいる父を責めることなんて俺にはできない。初めてこんなにも弱々しい父親の姿を見た。
流れる沈黙。
お互いに罪を告白しあった男二人は情けなく下を向くばかりだった。
「ダイト、今はどこに住んでいるんだ?」
「え、ああ、東京にいるよ。最近転生したばかりなんだけど、偶然向こうで友達と会えたんだ」
「なにっ? そう、だったのか。珍しいな、最近になって転生するなんて」
「うん、そうみたいだ。実はまだこの世界のこともあまりよくわかってないんだ」
「そうか……今日はどうするんだ? 泊まっていくか?」
「うん、できればだけど」
「何を言ってるんだ。ここはお前の実家だぞ」と、呆れた笑顔で父は言う。
そう言われて嬉しくも思う、それと同時に申し訳なくも。
「そうと決まれば飯を作るか。そうだな、カレーでいいか? 丁度材料も揃っている」
「うん、手伝うよ」
「休んでなくて平気か?」
「ああ、身体だけは頑丈だからね」
「そうか、じゃあ頼む」
男二人キッチンに立つ。
カレーとは素晴らしい料理だ。煮込み料理は料理なんて呼べないとか言うやつもいたがそんなことはない。
野菜の皮を剥き、適当な大きさに切りフライパンで炒める。その後に『人工肉』を炒める。うん、余分に火を通しておこう。いまだにこの『人工肉』とやらは慣れないのだ。
炒めた具材を深手の鍋に入れ水を入れて火にかけて、後は灰汁を取りつつ――。
『カシュッ! ドボボボボボボボボボボ』
「ちょっ! 父さん、なんでビールなんかいれてるんだ!?」
「うん? 知らんのか。こうするとなコクがでるんだよ」
ニヤリと笑う父の顔。その日の夜、家で久々に食べたカレーは初めての味で、とても辛かった。