友
先程までつつましくも賑わっていた公園に静寂が訪れたのは一瞬、木々で羽を休めていた鳥たちが一斉に羽ばたくようにざわつきはじめた。
『おい、急げ! 近いぞ!』
『婆さん、急いで荷物を纏めるんだ! 手伝うよ!』
『黄泉がえりはごめんだ! 走れ走れ!』
ビニールシートに置かれていた品物をサンタクロースのように担ぎあげ、撤収を始める集団に目を奪われる。
「なんだ? なにがあったんだ!?」
目の前にいる二人は俺の問いには答えず、互いに目を合わせ緊張した面持ちに切り替わる。
「やべぇな、『ランクS』とか久々に見たわ。ホタルいけるか?」
「まぁ……なんとかなるだろう。マサノブはどうだ?」
「やるしかないっしょ。武器になりそうなものは、あれだな」
そう言い残しマサノブは公園の遊具に近寄り手をかけた瞬間『ガキンッ』と鉄の棒を引き千切った、片手で。
「なっ!? マサノブ、お前」
俺の知りうる限り、地面に固定された公園の遊具を片手で引き千切れる人間はいない。目を疑う光景に呆然と立ち尽くしていると、隣にいたホタルが腰から木刀を引き抜きこちらへ向き直る。
「ダイト、すまないがどこかへ避難していてもらえるか。少々面倒なことになった」
「避難って、二人はどうするんだ!?」
「アンビだよ、昨日施設で襲われたって言ってただろう? 俺たちがなんとかすっから、ちょっと離れてて欲しいんだ」
そう言いながら先程引き千切った遊具を木の枝を取り払うように素手で加工し、およそ二メートルはありそうな『槍』を携えたマサノブが言葉を続ける。
「たぶんダイトを襲ったのは『Cランク』だな、人間と同じくらいのサイズならそんなもんだろ。けど近くに現れたのは『Sランク』と言ってかなりやべぇやつ――」
『ズゥン!!』
大地が揺れる。マサノブの言葉をかき消すほどの地響きが辺りを包む。
「行くぞ! マサノブ!」
「おう! んじゃまた後でなダイト!」
そう言い残し二人は走り去る。昔とは違うその背中。
その間に、俺の姿はなかった。
****
やれやれ、運の悪いヤツだぜまったくよ。
転生したばかりで動けたってだけでも驚きなのに、いきなりアンビに襲われてそれを撃退したってんだから仰天ものだ。そして次の日にはSランクと遭遇なんて運悪すぎだぜ。
それでもせっかく再会できたアイツを黄泉がえりなんてさせられねえ。沢山貰って、教えてもらったもんな。だからここは、俺が返す番ってやつだ。
『グルアアアアアアアアアアアアア!!!!』
思わずホタルと足を止める。咆哮の主は戦車三台分の大きさってところか、戦車なんてみたことないけどな。
「こりゃでけえな! 久々の大物だぜ!」
「油断するなよ。私が動きを止める、マサノブは頭を狙え!」
「了解! 了解!」
頼もしいぜこのお嬢ちゃん。昔からそうだったもんな、俺とダイトが調達に行く時も『私も連れていけ!』なんて男勝りな見た目と度胸は相変わらずだよ。
ホタルが走り出す、その姿はまさに舞いあがる木の葉を打ち砕くほどの疾風。
大型の狼を思わせるSランクのアンビへ接敵し、跳びあがる。
頭は無理だ、ヤツらはそれを理解しているのか必ず頭部への攻撃を避けようとする。ホタルの動きに反応してかこちらから見て右へ避けようとずらした半身へホタルの斬撃が襲う。
「ギャアアアアアア!!」
あの木刀、日本刀より切れ味あるんじゃね? そんな世迷言すら浮かぶ鮮やかな斬りこみに思わず舌を巻く。
情けないってのは分かっている。それでもホタルよりも俺が弱いってのは充分に理解しているからこそ、今やらなくちゃならない行動は理解しているつもりだ。この急造で質の悪い槍でヤツの頭を――。
『グルァ!!』
避ける、反射的に。
先程まで俺が居た場所へ放たれたヤツの前脚を寸前でかわす。
「あっぶねぇ!!」
弱いやつから喰らう。
自身へ傷を負わせたホタルには目もくれず、狩りやすそうな俺へと標的を変えて突進してきたヤツの目は燃えるように赤い。そしてドロリと血液が零れる傷口がみるみるうちに『再生』していくのを視認した。
思った以上に速い。狼型が素早いのは予測できたが、再生力も通常のアンビとは異なり段違いの回復力に焦りが生まれる。
「マサノブッ! 避けろ!!」
気付いた時には、遅かった。
先程の攻撃はただのジャブであり、本腰を入れてきたであろう薙ぎ払いに俺の身体は宙を舞う。
「があっ!!」
二転、三転とゴミ屑のように地面を跳ねる俺の身体に衝撃と痛みが走る。
不老の身体を手に入れても痛いものは痛い。それでも立ち上がらなけば『シヌ』。一度と言わず何度も死を迎えるのに慣れるなんてことはない。
ヤツのいるであろう方角へ起き上がると、巨大な影。
遅かった。目の前には狙っていたはずの頭部があり、大きく口を開け――俺は食われる。そう悟った瞬間。
「うおおおおおおおおおおおおおお!」
サングラス越しの視界が横にズレる。
目の前にあった巨体は右へ大きくフェードアウト、かわりに目の前にたつのは俺の英雄。
「マサノブ! 大丈夫か!?」
ああ、そうだったよな。お前はいつだって俺を助けてくれた、なんのメリットもないはずなのに。
****
何も考えていなかった。
二人が駆けだして黙って背中を見送るなんてできない。もう嫌だったんだ、置いて行かれるのは。
なりふり構わず繰り出したバールの一撃はだいぶ堪えたのか、巨大なアンビはのたうち回る。
「まったくよ、避難しろってさっきホタルに言われたろ?」
「そうだけど! でも……」
「わかってるよ。サンキューな、正直助かった」
全身傷だらけの友が槍を支えに立ち上がる姿は心が痛む。『身体は大丈夫か』と言葉が出かかるも口を噤み、思い返すのは身体の異常性。
遊具を片手で引き抜き、あの巨体に薙ぎ払われても立ち上がれるマサノブ。到底人間技とは思えない斬撃を放ったホタル。そして、対象に比べればバールという矮小な存在で怪物を吹き飛ばした俺。
それはもう、自身の中で『人間ではない』という事実が裏付けられた瞬間でもあった。
無我夢中にこちらから横腹へ放った一撃から立ち直り、俺たちを視界に捕らえる怪物。
「まったく、どうして……いや、いい。こうなったら手伝って貰うぞダイト」
いつの間にか俺の隣で木刀を構えていた少女。
「ああ! でも、何をすればいいんだ!?」
「先程と同じだ、私がヤツの動きを止める。そして今度は脚を狙う」
「わかった! それじゃあ俺は反対の脚を」
「違う! 私がヤツの四本脚を全て斬る、その間にマサノブとダイトで頭部を破壊しろ」
何言ってるのこの子。しかし止める間もなく彼女は走り出す。そして隣にいたマサノブが吠える。
「俺が右! ダイトは左からだ、行くぞ!」
「……わかった!」
危機的状況だとわかってはいる。それでも今はその言葉が、とても嬉しい。
黒い装束のホタルが駆ける。それはフィギュアスケートの選手が氷上を駆け抜けるように鮮やかに、そして軽やかに敵の右前脚を斬りぬける。
「ギャアアアアアアアアアアアア!!」
あまりの速さに反応できなかったのか、怪物は咄嗟に距離を取ろうと後退の意思を示すもホタルはそれを逃さない。
頭部へ斬りかかろうと身体を反転させ、相手は左脚でカウンターを繰り出すがそれが『本命』だ。
脚が飛ぶ、残りは二本。
前脚を失った巨体は後ろ脚を支点にしバランスを取ろうと立ち上がる。そして、その股の間にはすでに抜刀の構えをしたホタルが陣取っていた。
まるで幕末の剣客。その後ろ姿には赤い蒸気が掛かったかのように靄がかかる、そして一閃。一回転するように放たれた突進を兼ねた斬撃はヤツの残りの脚を全て奪った。
支えを全て失ったアンビの胴体が地に落ちる。
もうホタル一人でいいのでは? なんて冗談もいっていられない。
再生している。最初に斬られた右前脚がすでに半分ほど復元されているの目にし、全速力でマサノブと怪物の頭部へ飛び掛かる。
「「おおおおおおおおお!!」」
同時に。俺はバールで、マサノブは急造の槍で両目を突き刺す。
「ギョアアアアアアア!!」
大口を開け咆哮を叩きつけてくる怪物に思わず後退する。それが、失策だった。
「うがぁ!!」
俺、ではなくマサノブが再生されたヤツの右前脚で薙ぎ払われる。
「マサノブ!!」
既に再生を終えた脚を支えに起き上がろうとする怪物の頭部へ視線が移る。
残っていた、不格好な槍がヤツの左眼に突き刺さったままだ。
逃がすかよ。お前は、俺の友達を何度も傷つけた。
跳びあがり振りかぶる。狙いは頭部ではなく、突き刺さった槍の反対側。
「うわああああああ!!」
打ちつける。釘を叩く金槌の如く、致命の一撃が入る。
「グアアアア……アア……」
起き上がろうとした前脚は力を失い、埃をあげ地に投げ出され倒れ込む。
頭上から赤い雨が降り注ぎ視界が奪われる。
それでも終わったという空気感に少しの間、酔いしれる。
アンビの血はすぐに露散する。生ぬるい水滴から徐々に解放され陽を浴びながら空を仰ぐ。
「ダイト! 無事か!?」
悲壮な表情を浮かべながら俺に近寄る漆黒の少女。その顔には汗を浮かべながらも徐々に安堵した表情に切り替わるのをみて俺も安心した。
「いてて……」
「あ、マサノブ!!」
忘れていた訳ではない。決して。
吹き飛ばされていた友へ近寄り、様子を窺がいながら屈む。
「なんだよ、いいとこなしじゃん俺。だっせぇな……」
「そんなことないだろ、マサノブが突き刺したアレのおかげで倒せたんだ」
「へっ! そりゃよかった」
手を差し伸べて掴む。友の手を引き上げ二人で立ち上がる、互いに状況を変えながらもこの瞬間だけはいつになっても変わらない。
倒れた怪物に目をやると既に気体に変化しつつあったソレは空気中に露散していく最中であった。
無言で見送る三人。
これは人の業なのか、人類がこの世界へ留まるためになされた弊害を俺は心に焼き付ける。
『ピピッ』
再び鳴る端末に緊張が走る。慌てて画面に目をやると予想だにしていない一文が羅列されていた。
『ご協力ありがとうございました 200000 byte 進呈します』
「これは……?」
「アンビを討伐するとさ、それに協力したヤツに御礼金が振り込まれるのさ。うおっ! 二十万か! こいつはうまいな、流石Sランクだぜ!」
喜ぶマサノブをよそにホタルが解説を入れてくれる。
「人類保全機構が監視しているんだよ、世界中。あそこにドローンがいるだろ? アレがアンビの討伐に関わったと判断した人物に金を振り込むんだ」
そう言いながら空へ指さす先には飛翔するドローンの姿があった。
「それは、人類保全機構が……あのアンビの討伐には手助けしないってことか?」
「ん? まあ、そうだな。生活に最低限必要なことは面倒をみてくれるが、それ以外は自分たちでどうにかしろといった感じではあるな」
それは、変じゃないか。生活の面倒をみておきながら、死ぬかもしれない案件は他人任せだなんて。
「腹減ったな! 臨時収入もあったことだしラーメンでも食いに行こうぜ!」
マサノブが腰を叩きつつこちらへ向き直る。それは信じられない言葉と共に。
「ラーメン!? あるのか? この世界に!?」
「ああ、あるぞ。ここの近所でやってる店があるんだけど、こいつがまたうめぇんだ!」
思わず喉を鳴らす。
簡易式のラーメンは『あの時』に何度か口にはしたが到底満足できる味と量でもなかった。
しかし、ちょっと待て。今はホタルが居るんだぞ、女の子だ。そんな男臭い場所よりもマッキーのお店みたいな洒落た所のほうがいいのではないか。
「ふむ、ラーメンか、私も腹が減ったな。今日はチャーシューとほうれん草でもトッピングで付けてもらうか」
イケる口でしたか、ホタルさん。
「んじゃ、行こうぜ! 俺はなに頼もっかな!」
軽い調子で歩き出すマサノブとホタル。
たった今、生死を別つ闘いをしたというのになんてお気楽なんだ。
「ふ、二人は怖くなかったのか? さっきのアレが」
そう言いながらさっきまであった怪物の残滓へ目を向ける。
蒸気の中、地に伏せていた姿は小さな鳥だった。
「え? 怖い?」
「だって、一歩間違えれば死んでいただろ!? さっきの……」
「ん? ああ、そんなに心配するなよ。ここは死ぬことがない世界なんだからよ」