不可解な脅迫状
事件の起きた翌日、警視庁捜査一課城戸班では、捜査会議が開かれた。現場検証の後に聞き込みをした、川上が目撃者を見つけ、情報を手に入れて様なので、その情報から会議が始まる。
「私は、上野公園の大噴水近くでホットドッグを売っていた、移動販売車の店員から話を聞きました。その店員は、死亡推定時刻である六時三十分の数分前に、博多祇園山笠の法被を着た男二人が、事件現場のトイレへ歩く姿を見ています」
川上がそう報告をすると、小国が、
「という事は、犯人はイベントで博多祇園山笠のブースにいた人間ということか」
と言った。そこに、椎葉が異論を唱える。
「その判断は危険何じゃないか?法被を着ていたといっても、関係ない男かもしれない。それに、その男が犯人とは限らないんだ」
議論が沸騰していたが、城戸がそれを遮った。
「今のところ、どちらが正しいか判断は不可能だから、いったんそれは置いておこう」
そうして、議題は被害者の佐々木が右手に握っていた、脅迫状に移った。まず城戸が、脅迫状に関して詳しいことを、ホワイトボードに張られたコピーを指差し、説明する。
「まず、この『博多祇園山笠振興会』というのは、博多祇園山笠の運営を行う組織だ。そして、山笠は、中州、西、千代、恵比須、土居、大黒、東の七つの『流』と呼ばれるグループに分かれる。そのグループの長は、総務と呼ばれている」
城戸はそう言い、もう一枚の紙をホワイトボードに張り、説明を続けた。
「これは、各流の総務をまとめた名簿だ。そして、この名簿からわかるように、各流の総務は、振興会の本部員会計や広報などを兼任している。よく見ると、被害者の佐々木康平は、西流の総務で、本部員広報を兼任していることが分かる。まあ、今回の事件と因果関係があるかは不明なわけだが」
話は、再び件の脅迫状に戻る。
「話を、この脅迫状に戻そう。皆、この脅迫状についてどう思う?」
と、城戸が刑事たちに意見を求めた。
「単純に考えて、殺害される前の日に、被害者の佐々木康平に送ったんでしょうね。その脅迫状を」
最初に発言したのは、山西だった。それに続き、門川が山西の補足をした。
「脅迫状に書いてある、三百万の引き渡し場所は、きっと上野公園の大噴水周辺と打ち合わせていたんでしょう。そして、佐々木が殺されたのは、要求された三百万を渡さなかったからだろう」
門川の補足に、城戸が噛み付く。
「自分もそうだろうと考えたのだが、どうも解せないんだ。この脅迫状から考える限り、犯人の要求は金だ。なのに、犯人は殺害してる。本当に犯人の狙いが金なら、生かしておいて、要求額を上げるのが普通だろう」
城戸はそう主張し、さらに、次のように続けた。
「それに、三百万を要求する相手も不思議だ。金を手に入れたいなら、例えば、資産家とか、もっと大金持ちの所に要求するのが普通だ。そっちの方が安定しているから、金も手に入れられるだろう。しかし、この犯人は、不思議なことに、言っては悪いが、高が地方の祭りを運営する組織に金を要求している。そんな所に、普通、金を要求するだろうか?今回の犯人の行動は、どうも解せない」
城戸は、自身の持つ疑問をぶつけた。すると、川上が反応した。
「つまり、犯人が山笠振興会に三百万円を要求したのは、ただの金欲しさとかではなく、理由があったという事ですね」
「その可能性はある。ただ、これもやはり、今判断はできない」
そう言って、城戸は話題を変えた。
「では、なぜ殺したのか。これを考えてみよう」
「それは、被害者の佐々木が、脅迫状を送り付けた犯人の殺害を企んでいて、その返り討ちに遭った。というのは、考えられませんかね?」
椎葉の意見に、城戸は次の様に反応する。
「つまり、止むを得ず犯行に及んだという事か。確かにあり得るな」
「話は戻りますが、脅迫状はただの偽装ではないですか?真実の発覚を恐れ、この事件の核心が博多祇園山笠にある、と偽装しているんじゃないでしょうか?」
そんな意見を述べたのは、小国だった。
実は、城戸も小国と同じことを考えていた。というよりも、そうであってほしい、と願っていた。幼少期に、素晴らしいと感動した祭りを運営する組織で、何か警察沙汰になるようなことが行われているというのは、城戸は到底信じ難い。今回、振興会の人間が殺害されたのは、山笠の問題ではなく、被害者の佐々木自身の問題であって欲しい。そう思っていた。
そう思う一方、自分が警察官であることを忘れてはならない。とも思っていた。私情がどうあれ、真実を見つけ、犯罪者を見つけ出すのが警察官である。もし、真実が自分にとって都合が悪いものだったとしても、私情を捨てて、第三者の目で事件を捜査する必要があるのだ。
捜査会議は、そこで意見が尽きてしまった。そこで、城戸が、
「そういえば、事件当日に行われていた、上野公園のイベントで山笠のブースに出ていた、他の振興会の人間について調べた結果はどうなった?」
と、新しい話題を持ち込んだ。すると、それについて調べた川上が、捜査結果を発表する。
「現場検証の後、イベント主催者に山笠からの参加者を確認すると、警部がリストアップした、この各流の総務に振興会会長の富永正次郎を加えた八名です。この八名は、上野公園近くのビジネスホテルを予約し、イベント初日の一月十九日、つまり、事件の起きる前日にチェック・インしてます。そのホテルに聞き込むと、一月二十日のイベント終了後、八人全員は午後八時に揃ってホテルに戻っています。つまり、イベントに参加した博多祇園山笠振興会の人間は、八人全員犯行が可能です」
「それで、その八人は福岡に戻っているのか?」
城戸が、そう質問し、川上が答えた。
「八人は、午後八時にホテルに戻った後、直ぐにチェック・アウトしています。そのあと、羽田空港へ向かい、羽田午後九時丁度発、福岡空港行きの日本航空三三二便の搭乗手続きをしていることが、空港での聞き込みでわかりました」
「八人は、昨夜のうちに福岡へ発ってしまったか」
川上の報告を聞き終えた城戸は、溜息を交えてそう言った。だが、その直ぐ後に、思いだしたように、
「そういえば、福岡県警に佐々木康平の身辺捜査は依頼しておいたか?」
と質問すると、山西が答えた。
「はい。昨日、連絡しておきましたよ」
そこで、捜査一課城戸班の捜査会議は終了した。何せ、今は事件への疑問が溢れていたとしても、その疑問を解決することは難しい。判断材料となる情報が、少なすぎるのだ。
城戸は、今までの経験上、殆どの事件では、最初の事件が起きた時点で、大体の動機の見当がつき、その見当に基づいて捜査を進めるのだ。最初の見当と大きく結果が異なる事ならば、幾度となく経験してはいるのだが。
最初から動機の見当が全くつかないという、とんでもない難題にぶち当たった。
取り敢えず、福岡県警からの身辺捜査報告を待ち、そこから殺人の動機に成り得る箇所を探し、調べ上げ、容疑者を見つけ、逮捕する。その様な大まかな捜査方針なら、出来上がった。もっともそれは、どの事件にも共通する、基本中の基本となる捜査手順に過ぎないのだが。
つまりそれは、福岡県警からの報告が無ければ、何もできないという事を意味していた。
結局、捜査会議の行われた日に、福岡県警からの報告はなかった。
仕事へ真面目に向き合い、情熱を傾ける性分の城戸にとって、事件解決もしていないのに、時間を持て余すのはつらく、イライラにも苛まれる。
翌日、捜査本部に中本捜査一課長が入ってきた。真っ直ぐ城戸の元へ歩き、
「城戸君、福岡県警から連絡が来たよ」
と告げた。城戸は、すかさず、
「佐々木康平の身辺捜査の結果ですね」
と飛びついた。
「確かに、それもあるが、それだけじゃないんだ」
「それだけじゃない?」
「まあ、まず、これが身辺捜査の結果資料だ。渡しておくよ」
と中本が言い、一枚の紙を渡した。城戸は、それに目も当てずに、
「何か、他に報告があったんですか?」
と質問した。
「それが、福岡で事件が起きたんだ。しかも、君たちが担当している、上野公園での事件と類似しているそうだ」
「殺しですか?」
「そうなんだが、未遂だ。被害者は、一命を取り留めている。その被害者は、西城清志という男だ」
城戸は、その男の名前に、何か覚えがあると直感し、各流の総務がリストアップされた名簿を確認した。すると、やはり、その名前はあった。そこを指差し、中本に言った。
「課長、その男、山笠の恵比須流の総務ですよ。上野公園で殺された佐々木も、西流の総務でした」
「そうなんだ。だが、それだけではない。三百万円を要求する、怪文書も見つかってる。これが、そのコピーだが、どうやら上野公園のヤマと全く同じであるようだな」
中本が、ホワイトボードにある、佐々木が握っていた脅迫状を見ながら、そう言った。城戸も確認したが、確かに全く同じであった。
報告を終えると、中本は城戸の元から去った。城戸は、中本からの報告にひどく落胆する。
福岡で、上野公園での事件に関連しているであろう、第二の事件が起きた。しかも、それは、またもや博多祇園山笠の振興会の一員であり、恵比須流の総務である。
正直、城戸は、佐々木が偶然山笠振興会の一員であって、山笠は事件と無関係だろう、と心の奥底で考えていた。しかし、それは覆された気分になった。第二の事件も、山笠振興会の人間なのだ。これは、どの視点から考えても、偶然では片付けられない。
城戸はこの時、本当に私情を捨てて捜査しなければならない、とすぐに覚悟を固める。
その後、福岡県警からの、佐々木康平の調査結果に目を通す。
年齢は、五十一歳。一人、姉がいるが、山口県に嫁いだので、現在は一緒に暮らしていない。その代り、二つ年下の妻と、高校三年生と大学一年生の息子が二人と共に、福岡市内のマンションで暮らしている。職業は、地元の不動産屋に勤め、主に飲食店の開業などに携わってきたのだが、トラブルなどは一切ないという事だった。
それはつまり、五十代の男としては、平凡そのものの生活で、経歴に一つの疑問も浮かばない。その生活をしていて、なぜ殺人事件の被害者となるのか、と逆に疑問が浮かんでくるぐらいであった。
その疑問は、博多祇園山笠について調べると、解決できるのだろうと城戸は思った。
第二の事件の被害者も、博多祇園山笠振興会の人間だったことも、事件の核心が個人の怨恨ではないことを示している。
城戸は、今回は嫌な事件だな、と改めて溜息をついた。