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勇者がこない! 新米魔王、受難の日々  作者: 七夜
魔王と勇者とゆかいな仲間たち
9/30

08 大酒乱闘アームレスラーズ(3)

「前回までのあらすじ! 遂に始まったバッカス名物第一〇二回と言いつつ実はまだ五〇回目らしいアームレスリング大会百人以上いた参加者の殆どは二日酔いでダウンし生き残ったのは常連二人にいつもの六人を加えた計八人とアウェイにして漂うホーム感しかし前年度優勝者の謎プロテイン町長が華奢なメイドのミルドさんに無残な敗北を喫し早くも波乱を呼ぶ展開更に最近白髪が悩みの魔王ちゃんと煽り力カンスト勢のチットちゃんによる宿命の対決が繰り広げられ鍛え上げられた筋肉と意地で魔王ちゃんが勝利し熾烈な戦いを経て二人の間に芽生える確かな友情そして試合はまだ五試合も残っているけど尺は足りるのか!?」


「色々とちょっと待てぇぇぇぇええい!!」


 一度も息継ぎすることなく、こちらに止める隙を全く与えずに言い切ったネリムに対して思わず叫んだ。

「えー、何かおかしいところあった?」

「何もかもがだよ! ツッコミ所が多すぎてどこから手を付けるべきか皆目見当がつかないけど、特に最後!!」

「まあ細かいことは気にしない気にしない。気にしすぎるとハゲるよ?」

「余計なお世話じゃ!!」

 とは言いつつ気になり、つい頭頂部に触れてしまう。ストレス性の円形脱毛でも発症したらいよいよ長期休業にならざるを得ないかもしれない。

 幸い、髪の毛は抜けていなかった。

「と言う訳でサクサクいくよー第三試合の選手はさっさとステージに上がってー」

「なんか扱いが急に雑でありますな……」

「一気にしゃべったから疲れたのかもな。しかし、お前の相手は勇者か」

 向こうの方を見れば、いつも通り無表情な勇者が交換を終えた競技台の前へと歩いていく最中だった。

「新品の競技台の左側に立つは、八代目勇者ことネリムのお兄ちゃん! 木こりを引退して以来、なんだか生き生きしてるよ」

「そうかぁ?」

 全然そうは見えない。むしろ表情は死んでいるが。

 まあ、血の繋がった妹だからこそわかるものもあるのだろう。

 勇者は紹介に意を介することなく両腕の袖を捲っている。やる気はあるらしい。

「油断するなよガリアン。勇者はきっと、いや絶対に手強い」

 妾はそう確信し、ガリアンへ忠告する。

 しかし、奴は緊張感もなく苦笑し。

「殿下は心配性でありますなぁ。確かにアレク氏は相当高い戦闘技術を持っていて、木こりをしていた以上そこそこ鍛えてるんでありましょうが」

「……は?」

 何を言っているんだこいつは。

 まさか、ヒューマン相手にライカンスロープの自分が腕力で負けるはずがないとでも思っているのか? いや普通はそうなんだけども。

 相手はあの勇者だぞ。

 グレンツェの『木こり』とかいう頭のおかしい伝統に従って生きて来た、あのベアマッチョのエディと体術で互角に渡り合うレベルの化け物だぞ。

 なのに本気でここまで油断を……ん、待てよ?

「ガリアン、『木こり』って知ってるか?」

「嫌でありますなぁ殿下。流石にそれくらい小官でも知ってるでありますよ」

 念のため聞いてみると、ガリアンはさも当然のように、


「木を切って木材にする人であります!」

「……うん、あってる」

 あってるけど、間違っている。

 そうかー、ガリアンは知らないのかー。

 思い返せば、ガリアンって勇者と面識はあれど奴が本気で戦闘をしたとこは見てないんだな。初めて妾たちが奴と会ったときってこいついなかったな。

 そうだよなー、木こりって普通は木を切るだけの力仕事だもんなー。

 ……よし!

「引き留めて悪かった。油断せず、全力でぶつかってこい」

「了解であります! 如何なる戦場で如何なる敵と相見えようとも、勝負は正々堂々全力であります!」

「うむ、達者でな!」

 魔王軍の掲げるスローガンを口にしつつ笑顔で戦地に向かうガリアン。

 その自信に満ちた背中を、妾もまた笑顔で見送った。

「さあ右側に立つは、魔王軍で将軍を務めるガリアンさん! 比較的ノーマルな体格が揃う新規参加者の中にいて目に見えてマッチョ! これはきっと強い!」

「ガリアンの膂力は魔王軍の中でも随一ですからな。しかしアレク殿も人間と言えど女神様の祝福を受けた勇者であり、例の『木こり』でもあります。はてさて、どうなることやら」

 ネリムの実況が一層ガリアンの優位を仄めかすが、勇者の正体を知っているジラルは解説そのものはぼかした言い方をしつつ、表情を見る限り妾と同じ結論に至ったようだ。

「手加減はしないでありますよ!」

「望むところだ」

 威勢のいいガリアンに全く怯むことなく、勇者は競技台の上で差し出された手を握る。

 あれは余裕の表情なのだろうか。ただでさえ感情の機微を読み取りづらいのに、この距離から奴の考えを読み取ることなど不可能。

 ただ一つ言えることがあるとすれば、望むところと言った時点で勇者も手加減をする気はないということだ。

「両者の準備が整ったところで第三試合、よーい……」

 ガリアンよ、知らないことは罪ではない。

 知らなかったことを知ることで、人は成長していくのだ。

 だから――

「始め!」

 全力で散ってこい!


「ふん!! ……あれ? 全然動かないであります。え、マジでありますか? アレク氏マジでありますか!? ヤバいヤバイどんどん倒されてるであります何でありますかこのパワーちょ、待っ――オオオォォォオオオオオオン!?」


 ふたを開けてみれば、一方的な試合だった。

 ガリアンの仕掛けた速攻に勇者はびくともせず、どころかそのまま時計の針が如く一定のペースでガリアンをねじ伏せた。

 明らかに体格で劣る勇者の勝利に観客は湧きたつが、勇者の関係者各位の反応はそれぞれだった。

「これはこれは、意外な結果になりましたなぁ。潜在的な力はともかく、体格差が大きい以上それなりに勝負になるとは思っていたのですが」

「お兄ちゃんは細マッチョだからね!」

「そういう問題なのですかの……」

 ジラルも深く考えることは端から放棄しているらしい。

 賢明な判断だ。もうあの勇者を普通の人間の尺度で図るのは止めた方がいい。

「無様ですね」

「言ってやるな。あいつは何も知らなかったんだから」

 あくまでも辛口な評価を下すミルドを軽く窘める。

 この敗北を糧にして、より一層強くなってくれることを願おうじゃないか。

 そうしている間にも、トボトボと音が聞こえそうなくらい沈んだ調子のガリアンがこっちまで戻って来た。

「聞いてないであります……アレク氏があそこまでフィジカルモンスターだったなんて聞いてないであります……」

「ガリアン、帰ったらグレンツェの木こりについて調べてみるといい。そうすれば全部わかるから」

「その口ぶりだと、殿下は知っていたでありますか!?」

 黙ってるなんてひどい! と言いたげに目を見開くガリアンから軽く目を逸らす。

「いやー、あれだよ。猛獣が自分の子供を崖から突き落とす的な? 痛い目を見てこそ学べることもあるんだよみたいな?」

「特に何も考えてなかったでありますな!?」

 チッ、ばれたか。

 実のところ、ガリアンにも妾たちが感じた未知なる恐怖を味わってもらおうかなーと思っただけなんだなこれが。

 自分がビビったものに他人がビビっているのを見ると、何か痛快だよね。

「さくっと三試合目が終わったし、次もちゃっちゃかやっちゃおう!」

「ほら実況もああ言ってることだし、細かいことは水に流そうじゃないか」

 未だ釈然としない表情のガリアンへそう言って、妾はステージの方へ注目した。


 手前側から階段を上がっていくのは、抑えきれない覇気を周囲に撒き散らしているディータだ。妾とチットの試合から一度も言葉を発することなく、ただ表情のみを喜悦に歪ませていく姿は極上の獲物を目の前にした肉食獣に等しい。普通に恐かった。

 一方、反対側から重い足取りで壇上へと向かうゲイリーはと言うと。

「ヤバいって……新規参加組ヤバいって……町長も瞬殺されたし、子供同士かと思ったら競技台が壊れかけたし、あの男の子も無表情でデカい狼男一捻りしたし、これ絶対あの女の人も強いじゃんかよぉ……」

「自信なさ過ぎか!」

 マントに身を包んでいるからよくわからないが、グリッジほどではないにせよガタイの良い男が物凄い弱音を吐いている。

 怪力王とか呼ばれてるくらいだからもっと傲岸不遜な奴をイメージしていたんだが、超人じみた戦闘の数々を前にしてだいぶ参っているらしい。

 実際、これまで対戦した選手はグリッジと勇者を除けば全員ヒューマンではないので文字通り超人的ではあったのだが。これから戦うであろうディータもぱっと見ではわからないがドワーフであり、強者オーラがむんむんだ。

 始まる前から士気の差が激しく、勝負はもう見えたかに思えた。

 しかし、

「馬っ鹿もぉぉぉぉぉぉおおおん!!」

「ぶふぅ!?」

「えー!?」

「おっと! ここで傍観を決め込んでいたグリッジさんの鉄拳が炸裂だー!」

「……殴られた彼は、大丈夫なのでしょうか」

 実況・解説席にいたグリッジが突然物凄い勢いでゲイリーに駆け寄り、勢いのまま思い切りぶん殴った。

 顔面にとてもいいやつを貰ったゲイリーは思い切りぶっ飛び、ステージの端まで転がっていく。

 ジラルも懸念していたが、これもう始まる前に戦闘不能になったのでは?

「な、何をするんですか町長!?」

 あ、生きてた。腕相撲のために鍛えているだけあって丈夫らしい。

 当の町長と言えば殴るのに使った拳を握りしめたままワナワナと震えさせ、怒り心頭と言った様子だ。

「勝負を始める前から負けた気になりおって……それでもこの儂と毎年熾烈な一位争いを繰り広げている猛者か!!」

「一位争いも何も、毎年俺と町長しか参加してないじゃないですか! 優勝と準優勝しかないじゃないですか!」

「うぐっ……!?」

 あ、やっぱ思うところはあったのね。

 痛いところを突かれたグリッジは小さく唸るが、それでも引く姿勢は見せない。

「確かに今年の大会は異例続きじゃ。参加人数は例年と比して四倍な上に強者揃い。儂は正体がバレた上に、メイドさんに瞬殺された。いっそ清々しいくらいにじゃ……」

 何と言うか、色々と申し訳ない。

 うちのメイドとか勇者んとこの魔法使いがとんだご迷惑を。

「だが、貴様はまだ負け取らんじゃろうが」

「!」

「この儂と――ミスター・プロテインと長年張り合ってきた怪力王が、始まる前から負けを認めていてどうするんじゃ!?」

「町長……いや、プロテイン殿……!」

「カカカ、目に光が戻ったな! さあ競技台へ立つんじゃゲイリーよ。いつまでもそんなところで寝っ転がっていないで、お前の戦いを始めてくるがいい!!」

 豪快にひと笑し、グリッジは倒れていたゲイリーへ手を差し伸べる。

 いやお前がぶっ飛ばしたんだろうとツッコみたかったが、なんかいい話っぽいし、本人たちも満足そうだし黙っておくことにした。

 ゲイリー自身そんな事実はとうの昔に忘れたのか、感極まったように差し伸べられた手を握る。

「俺、頑張ります! プロテイン殿のライバルとして恥じない戦いをしてみせます!」

「その心意気やよし! 儂は向こうで貴様の雄姿を見守っておるからな!」

 最後は爽やかにサムズアップを残し、グリッジは再び実況・解説席へと収まった。

 ……結構時間取ったけど、尺、大丈夫かな?

 益体もないことを考えている間にも、ゲイリーは先ほどの弱気が嘘のように悠然とディータの元へと向かっていき。

「すまない、待たせたようだ」

「いんや、大して待っちゃいねえさ」

「それはなによりだ……プロテイン殿の唯一のライバルであるこの怪力王ゲイリー、尋常にお相手仕る!!」

 高らかに名乗りを上げ、遂にゲイリーがマントを脱ぎ去る。

 今度は目を逸らさず、その瞬間をしっかりと目に焼き付けた妾は、

「な、何だあれは……!?」

 露わになったその姿を見て、絶句した。

 晒されたゲイリーの肉体はそこそこ鍛えられてはいるようだが、とんでもないマッチョというほどでもなかった。岩みたいな体をしてるグリッジと比較すればなおさらだ。

 ある一か所を除けば。

「うわぁ、凄い右腕だね! 片方だけハサミが生え変わったばかりのカニみたい!」

「お前はもう少し言葉を選べよ!」

「……カニ。じゅるり」

「お前は食欲を抑えろよ!」

 思いつく限り最悪の例えがネリムによってされたが、まあ概ねそんな感じである。

 そこそこ鍛えられたレベルの肉体に対し、ゲイリーの右腕だけが異常なほどに発達していた。その筋肉量たるやグリッジを凌駕し、筋肉の化身ことエディにすら届かんとしている。なんというアンバランス!

「あれは凄まじいな……色々と」

 さしもの勇者も若干引き気味だ。

 妾も正直引いた。アームレスリングのためにあそこまでするのか。

「成程、怪力王の名は伊達ではないということですな」

「あ、あれは小官でも勝てるかどうかわからないであります……」

「馬鹿ですね」

 ミルド辛辣ゥ!

 しかしビビっているのは新参の妾たちだけのようで、他の観客たちは見慣れたものなのか真の姿を現したゲイリーに惜しみない歓声を浴びせる。

「出たー! 一年以上ササミだけを食べながら鍛え上げたゲイリーさんのギロチンアームだー!」

「栄養バランス悪っ!?」

「去年は左腕ルールだったから何もできずプロテインに負けたけど、今年はあの必殺技が見れるかもしれないわ!」

「運営鬼かよ!?」

 折角鍛えたんだから使わせてやれよ右腕!

 ていうか運営側のボスって町長じゃん。プロテインじゃん。

 陰謀の匂いがする。

「だってー、あの右腕使われたら勝ち目ないんじゃもーん」

「お前そのザマでよくあんな説教垂れたな!?」

 何がじゃもーんじゃ!

 大会運営の屑がこの野郎……!

「へぇ、それがあんたの武器ってわけか」

 外野の騒ぎを一切意に介することなく、ディータは値踏みするようにゲイリーの右腕を注視していた。

「この大会のためだけに鍛えた、俺が唯一自慢できる得物だ。馬鹿みたいだろう?」

 自覚はあるんんかい!

「ハッ、アタシはむしろ好きだぜそういうの。こんぐら振り切れたバカの方が噛み応えがあっていい」

「……なら、その期待に応えられるように尽くすとしよう」

 もはや別人のような気配を漂わせつつ、ゲイリーは巨大な右腕を競技台へ置く。

「ついに競技台の左に立つは、前年度大会準優勝者怪力王ゲイリー! そのおっきい右腕から繰り出されるのは一体どんな技なのか!?」

「真っ向からぶち破ってやらぁ」

 ギラリと鋭い戦意の光を瞳に灯らせ、ディータが自分より二回りほど大きい手を取った。

「対する右側に立つは、流れの武闘家をやっているディータさん! こう見えてもドワーフらしいよ!」

「ドワーフの腕力は凄まじいですが、ゲイリー殿の右腕も然る物。この勝負、儂にもどのような決着になるか予想が出来ませんな」

 この組み合わせには、さしものジラルも結末を予測することは出来ないようだ。

 ただでさえディータはドワーフとしても異質なのだ。同じように異質な腕を持つゲイリーとの優劣は見ただけでは計り知れない。

 先の読めない展開に、見ているこっちが緊張してきた。

「落ち着かないのか」

「い、いやそういうわけでは……」

 ふと、隣にいる勇者が声をかけてくる。

 傍から見てもそわそわしているように見えるのだろうか。他人から指摘されるのは少々恥ずかしかった。

「トイレなら向こうだぞ」

「催してねえから! しかもよりによってこのタイミングで行くか!」

 バカなやり取りをしている間にも、一回戦最後の試合は始まろうとしていた。

「それでは四試合目、よーい……」

 ネリムの声が会場に響くと、弛緩した空気が再び引き締まるのを感じた。

 静寂に包まれる中競技台の周りには二人分の熱気が渦巻いており、これだけ離れているにもかかわらず確かな熱量が伝わってくる。

 会場を占める緊張が臨界へ達したその時。

「始め!」


 勝負は、一瞬にして決まった。

 吹き荒れる暴風。強く叩きつけられた競技台から鳴った音はまるで悲鳴のようで、ビリビリと全身を痺れさせるあまりの衝撃に、天井から埃のような木材の屑がパラパラと零れ落ちていくのが見える。

 まるで第一試合を再現したかのような光景。

 勝利をもぎ取ったのは、

「おっと、これはディータさんの勝ちだ! いやぁ、凄い勝負だったなー」

「……え、何? ゲイリーの奴瞬殺されたんじゃないの?」

 観客の大多数が困惑を隠せないでいた。彼らからすれば、グリッジが言ったようにゲイリーが第一試合の奴同様、速攻で倒されたようにしか見えなかったのだろう。

 ただし。

 ネリムを含めた、一部始終を認識出来た者からすれば。

「……化け物」

 その場にいた全員を代表するかのように、チットが小さな声で呟いた。

 どちらのことを指しているのかは、言うまでもない。

「えー、ごほん。何が起きたかわかっていない方が多いようですので、遅ればせながら儂の方から解説をさせていただきます」

 未だ理解の及んでいない観客とグリッジに向けて、ジラルが実際に起きた勝負の内容を説明していった。

「まず合図と同時にゲイリー殿が仕掛けました。極限まで鍛え上げた筋肉量に物を言わせた速度とパワーにより、先手後手関係なく相手を捻じ伏せる作戦だったのでしょう」

「えーっと、何々? 『出たー! ゲイリーさんの二九ある必殺技の一つ、ギロチンフォールだー!』……だって!」

「カンペでその書き方する必要あったか?」

 てか二九って中途半端な。あと一つくらい何か捻り出せなかったのだろうか。

「技自体は完璧に決まり、ゲイリー殿も一気に勝利へと近づいていました。なお、ここまで〇・〇五秒です。しかしディータ殿は手の甲が台に着く寸前で逆にゲイリー殿を倍の速度で押し返し、そのまま勝利しました。占めて、〇・一秒の内に行われた攻防でした」

 瞬きが一回できるかできないかくらいの間に繰り広げられた逆転劇の顛末を聞いた観客たちは、しばしの沈黙の後思い出したかのように両者を讃える。

 ジラルの話を聞いただけでは気づけないだろう。

 解説されるまでもなく行く末を見守っていた妾たちと、恐らく対面していたゲイリーは気づいていた。

「完敗だ。まさか完全に見切られていたとは」

「握った手を通じて力の動きは筒抜けだからな。アタシに速攻は効かねえよ」

 ステージ上から聞こえた二人の会話が、全てを物語っている。

 ディータは当初、先制を仕掛けて来たゲイリーに対抗するどころか、完全に脱力していた。あれほど異常な速度で勝負が決まりかけたのもそのせいだ。

 そして勝負が決まるギリギリのタイミングを見計らって力を込め、妾以上の不利体勢からゲイリーを凌駕した。

 動体視力、反応速度、筋力。どれか一つでもかけていれば成立しない芸当である。

 特にパワーに関しては異常の一言に尽きた。いくらドワーフとはいえ、あんな体勢からあの馬鹿げた腕を倒されたときの倍以上の速度で押し返すなんて普通ありえない。

 というか、あれほどのパワーがあれば普通にゲイリーを倒すことだって容易に出来たはずだ。

 それをしなかったのは、恐らく。

「……私を挑発するとは、いい度胸です」

 一瞬だけこちらへと向けられた視線をハッキリと見止めたミルドが、ポツリと零した。

 そう、ディータは明らかにミルドを意識している。

 今のパフォーマンスはあたかも、「自分にスピード任せの小細工は通用しない」と主張しているかのようだった。


「しかし見破っていたとはいえ、あんなギリギリのタイミングを狙って動くとは凄まじい胆力だな」

「相当図太い精神をお持ちのようですね。繊細な私とは違って」

「え?」

「繊細な私とは違って」

「いや聞こえなかったわけじゃないんだが」

 ミルドとそんなやり取りをしていると、ステージから勝負を終えた二人が降りていく。

 負けたにもかかわらず、ゲイリーの表情は清々しいものだった。

 全力を出し切っての敗北だ。悔いはないのだろう。

 奴もまた、この敗北を糧にして成長していくに違いない。

「気にするんじゃないぞゲイリー! 儂も瞬殺されたからのう!」

「お前もう黙っとけ!」

「やっと一回戦が終わったけど、時間が押してるから早速二回戦……というか準決勝のカードを発表しまーす!」

 あくまで己が道を行くネリムは、周囲に左右されることなくサクサクと進行していく。

 試合終了直後の興奮も冷めやらぬまま、次の対戦カードが発表された。


 ≪準決勝≫

 第一試合:アレクVSルシエル=エル=ザハトラーク

 第二試合:ディータVSミルド


「うへぇ、勇者が相手か……」

 誰と当たっても厳しい戦いになりそうなのは目に見えていたが、実際当たってみるとやはり気後れしてしまう。

 だって妾よりも筋力があるガリアンに勝っちゃった奴だよ? 妾勝てんの?

 そもそも猫耳に一泡吹かせようと参加した大会で、目的は果たされたみたいなもんだしもういっそ棄権してしまえば……いやいやいや、弱気になってはだめだ。

 試合前のゲイリーじゃないんだから、戦う前から負ける気になっちゃいかん。それにここで勝負を放棄するのは勇者から逃げているみたいで気分が悪い。

 ある意味これはチャンスだ。アームレスリングでとはいえ、魔王城で迎え撃つよりも早く奴と戦うことができるのだから。

 半年分を前倒しできたと考えればとてもお得である。

「よよよよし、いい行ってくる」

「随分と震えていますが」

「武者震いだ!!」

 野暮な指摘をしてくるミルドにそう返しつつ、手足が同時に出ないように注意しながら競技台へと向かった。

「準決勝第一試合はなんと、あの勇者と魔王による対決! 特に因縁とかはない二人だけど、魔王ちゃんのモチベーション凄く高いよね」

「此度の外交は、魔王様が就任して間もなく託された大役ですからな。必ず成功させようという意気込みを近くにいてひしひしと感じていますぞ」

「魔王は仕事熱心なんだな」

「お前はもっと勇者の自覚を持て!」

 もう外交開始から半月経ってるのにまだ一つもダンジョンが攻略されてないとか驚天動地だわ。

 とはいえ、ここで説教を始めるつもりもない。

「まあいい、とっとと始めるぞ」

「ああ」

 妾と勇者はごく自然な成り行きで、互いの手を握り合った。

 ……ん?

 握られている?

 勇者に、手を、握られている?

 ……おおおおお落ち着け落ち着け落ち着くんだルシエル=エル=ザハトラーク一七歳勇者に手を握られているから何だというのだちょっと大きい手のひらに男の子を感じているなんてことは違うそうじゃないそうだこれは勝負だスポーツだ性別とか関係ないからでも年頃の乙女が同年代の男に力で勝ってしまうのはどうなんだろうかやっぱりか弱い系の方がウケはいいのかいやそれがどうしたってんだありのままの自分が一番だしかし本気でやって引かれるのも嫌だし少し力を抜くべきかていうか手汗とか大丈夫だろうか湿って気持ち悪いとか思われてないだろうかってさっきから何を気にしてるんだよ馬鹿か妾はひとまず落ち着け落ち着おおおおお――

「それでは準決勝第一試合、よーい……」

 うおおおおおおおおお妾の明日はどっちだあああああああああ!?

「始め!」


 気がつけば、妾は負けていた。

 果たして、妾は何に負けたのだろうか。

 勇者にか、それとも自分にか。或いは両方か。

 わからない。考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだ。

 これが哲学ってやつなのかな……。


「なーにアレク氏が相手だからってカマトトぶってるでありますか!?」

「ち、違うし! 妾カマトトぶってないし!」

「手を握られたショックで半分自失して抵抗することなく倒されるとは、流石ルシエル様。筋金入りのオボコですね」

「オボコって言うなし!!」

 まあ、結果はご察しの通りである。

 妾自身、この結果には恥じ入るばかりだからあまり追及はしないでほしい。

 ちなみに勇者は平然としている。ヤロー、こっちの気も知らないで……!

「お子様」

「……凄くごめん」

 チットの言葉が一番グサッと来たわ。あれだけ死闘を繰り広げた相手がこんな無様を晒したとあっては、その怒りも推して知るべし。

 本当に、申し訳ない。

「色々と残念な空気が漂ってるけど、まだ試合はあるから先に進めるよー」

 こういう時、空気に左右されずサクッと流してくれるネリムの存在はありがたかった。


「さあ、試合は決勝も入れて残すところ二試合! 準決勝の第二試合はもう始める前から凄いことになりそうな予感がしそうだけど、ジラルさんはどう思う?」

「そうですなぁ。初戦にして圧倒的な速度を見せつけたミルドですが、ディータ殿は先の試合でその速度に充分対処可能であることを証明して見せました」

「つまり?」

「この勝負、最後までわかりませんぞ!」

 それにしてもこのジラル、ノリノリである。

 最近あいつも書類仕事や内政関係で忙しかったろうし、ガス抜きになっているなら何よりだ。

 ちなみにさっきの試合で交換した樽にまた亀裂が入っていたらしく、運営の大柄な男二人がえっちらおっちらと新しいのを持ってきていた。

 店内の光を反射する銀色。全体が光沢を放つそこに木材らしさは微塵もなく、置いた時に少し床が揺れたような気がした。

 どう見ても金属製だ。フルメタルだ。しかも中々上等な金属だ。

 あの二人が対戦をするにあたって、ぶっ壊れないように万全を喫したらしい。

 しかしあんなもん、いつから用意していたのだろうか。人間同士の戦いでは絶対に必要とは思えんのだが。

「準決勝第二試合はもう普通の樽じゃ絶対に耐えられないっぽいから、ネリムが急遽錬金した特別製のを用意したよ!」

「錬金術まで使えんのかよ……」

「もうツッコむだけ野暮ですね」

 あの口ぶりからして、本当に今さっき用意したのだろう。次元干渉といい高位の錬金術といい何でもありか。

 時代が時代なら、ネリムは大魔導士として名を馳せていたに違いない。

「では、行って参ります」

「気を付けろよミルド。プロテインには肩透かしを食らったが、あいつは冗談じゃなく強いぞ。油断すればいくらお前でも危ないかもしれん」

「存じております。主人の前でメイドが醜態を晒すわけにはいきませんから」

「ソ、ソウダナー」

 これが部下やライバルの前で醜態を晒した妾に対する当てつけと感じるのは、流石に悲観的過ぎるだろうか。

 複雑な気分になっている妾に無言で一礼し、ミルドは踵を返してステージへと向かった。

「大丈夫かな……」

「殿下も心配性でありますな。ミルド嬢に限って負ける心配はないと思うでありますが」

「いや、そっちの心配じゃなくてだな」

 妾の危惧を他所に、ミルドは着々と競技台へと歩みを進めている。

 その所作には一切の乱れがなく、緊張とは無縁だ。至っていつも通り。 だからこそ不気味でもあるのだが、果たしてどうなることやら。

 会場のボルテージは開戦を前にして最高潮へと達している。これから戦うのは、どちらも驚異的な能力をもってして勝負を制した二人。非常識と非常識の衝突による激戦を誰もが予感し、期待しているようだ。

 既に競技台の前で待ち構えていたディータは、今にもミルドへ飛び掛からんばかりに闘気を漲らせていた。強敵を前にして嬉々とするその姿は、まさしく戦闘民族。

 やはり勇者やチットと同族か。類は友を呼ぶってやつか。

 先に口を開いたのは、ディータの方だった。

「待ちくたびれたぜ。あと少し遅かったら大会どころじゃなくなってた」

「あら、随分と気が短いようで」

「あんたにゃ昨日から目ぇつけてたんだ。そう考えりゃ辛抱強いと思わねえかい?」

「成程、それはそれは」

 賛同を得るように問うディータに対し、ミルドは瀟洒に微笑んで。

 

「猛獣の割には、『待て』がお上手なのですね」

 思いっ切り、毒を吐いた。

「おおっとぉ!? ミルドさんがディータさんを痛烈にディスったー!」

「あんの馬鹿者……対戦相手には敬意を払わんか!」

 保護者スイッチが入ったジラルを置き去りに、会場は更に騒然となる。

 どうやらネリムや他の観客たちはあれを、場を盛り上げるためのパフォーマンス的な暴言と受け止めたようだ。

「やっぱりこうなった……」

 一方、危惧していたことが的中した妾としては胃が痛いことこの上ない。

 先程の試合でディータが行った、明らかにミルドに向けてと思われる挑発。あれに対する反応を見た時点で、薄々こうなる予感はしていたのだ。

 ミルドは他人をおちょくるのは大好きだが、自分がおちょくられるのは死ぬほど嫌いという理不尽の権化である。

 そんな奴が、ディータの挑発に対し何も思わないわけがない。

 怒れば怒るほど冷静になるの典型であるミルドの沸点は目で見て測れるものではなく、経験則が物を言う。長年生活を共にしてきた妾だからこそ、感覚として理解できた。

 今のミルドは、半端なく激怒している。

 周りの客が呑気に黄色い声を上げている間も、ディータには指向性を持った殺意が暴風のように放たれているだろう。

 現にステージの反対側に控えていた運営のスタッフが、煽りを食らって音もなく気絶していた。半分と言えど竜種の放つ殺気に、素の人間が耐えられるはずがない。

「――ハハハハハッ!!」

 だが、矢面に立っているディータの表情は一層喜悦に歪むばかりだった。

「いいねぇ、やっぱあんた最高だ! ここまで全身にビリビリ来やがるのは初めてだ……メイドにしとくにゃ勿体ないぜ!」

「おやおや、私のメイドとしての矜持すら否定するとは。いよいよ命が惜しくないとお見受けしますが」

「勝負に命を懸けれねえ奴なんざ所詮いいとこ止まりよ。全力で死線を掻い潜ってこそ、真の意味で力が磨かれるってもんだ!」

 ベキベキと関節から威圧的な音を鳴らしながら、ディータは肘を突き立てるように競技台へ腕を置いた。

 その際に鳴った音は明らかに金属音であり、大よそ人体が発するものとはかけ離れていた。目の錯覚か褐色の肌は黒鉄のような輝きを放ち、純金属製の樽と同等かそれ以上の頑強さが見て取れた。

 そのままいっそ不自然なまでに柔軟な動きで、ディータは人差し指をちょいちょいと曲げて、 


「【武心錬成】――御託はいいからさっさと始めようや。殺す気で来いよ、化け物」

「ちょ、おま!?」

 あろうことか、畳みかけるように挑発を仕掛けやがった。

 どこまで命知らずなんだあいつ! マジで血の雨が降るぞ!?

「……いいでしょう」

 しばしの沈黙の後、不気味なまでに静かなミルドの呟きが耳朶を打つと同時に。

 ぞくりと、全身が粟立つような寒気を覚えた。

「ほぅ」

「っ……!」

「はわわわわ……」

「「――ホゲェ」」

 感心したような声を漏らす勇者の背後へ、耳から尻尾の毛まで逆立てたチットが飛び退る。ガリアンは言葉を失って震えており、グリッジやゲイリーに至っては泡を吹いて倒れていた。

 意外なことに、観客たちは平然としている。

 これは彼らの肝が据わっているのではなく、むしろ逆。感覚が麻痺し、正常に働いていないだけである。

 勇者たちがそれなりの強者であるからこそ最悪気絶で済んでいるだけであり、普通の人間がまともに感知すれば恐怖で狂死しかねない力がミルドから放出されているのだ。

「おや、ミルドさんの腕の様子が……!」

「まさか、これは!?」

 もはや当然のように平気な顔をしているネリムが、力の大本を指摘して珍しく息を飲んでいた。ジラルも驚きのあまりか、飛び出んばかりに目を見開いている。

 妾自身も、数えるほどしか見たことが無い。

 メイド服の袖に包まれていたミルドの細腕が、見る影もなく豹変していた。

 膨張して二回りほど厚みを増した腕が内側から服を突き破り、肘から先までを露出させている。空気に晒された肌は人のそれではなく、指先までを覆う鎧のような鱗。

 具合を確かめるようにニ・三度握って開く動作を繰り返した後、ミルドは竜化した右腕でもってディータと組み合い。


「天を制し、地に覇する竜神の力。その半分程度でも味わっていただければ幸いです」

「――ハッ!」


 どちらも我慢の限界だったのだろう。

 ネリムの合図を待たずして、競技台を中心に力が激発した。

 ズドン! と爆発めいた振動が床を伝い、会場全体を地鳴りのように揺らす。その衝撃たるや妾の体が若干浮きあがり、更に離れた所で観戦していたギャラリーすらよろめくほどの威力だ。

「あー! ネリムまだ合図だしてないのにー!」

「いえそんなことより、あれはよろしいのですかな?」

「え、何が?」

「ディータ殿の【武心錬成】もミルドの【竜化】も、大会のルール上問題があると思うのですが……」

 ジラルが指摘した通り、二人は完全にルール違反をしていた。

 この大会はあくまで筋力勝負であり、スキル及び魔法の使用は禁止されている。本来ドワーフが武器を鍛えるのに使うスキル【武心錬成】を肉体へ適用するのは変則的であるが当然アウトだし、人間の姿をベースとするハーフドラゴンの特性上変身スキル扱いとなる【竜化】もアウトだ。

「ジラルさんはそう言ってるけど、町長さんはどう思う?」

「――ホゲェ」

「寝てるのかー、うーん」

 当てにならない最高責任者を放置し、ネリムは少し考えてから。

「面白そうだし続行で!」

「……今更、あれを止めることも出来んでしょうしなぁ」

 下された決定と不条理な現実を前に、ジラルはどこか遠い目をして呟くのだった。

 実際、今からあの二人の間に止めに入ろうものならば命がいくつあっても足りやしない。幸か不幸か客も楽しんでいるみたいだし、ここは余波による二次災害に注意を傾けるのがベストだろう。

 全く同時に仕掛けたであろう二人の力は完全に拮抗しているのか、小刻みに震える腕は開始の状態からどちらにも傾かず一二時を指し続けている。

 驚くべきはやはりディータの馬鹿力。スキルを使ったとは言え【竜化】まで切ったミルドと互角に渡り合うということは、彼女は今竜種に匹敵するパワーを発揮しているということ。

 ……ドワーフ云々の議論をする以前の問題だと思うんだけど、妾の気のせい?

「どうしたどうした! 竜の力はそんなもんかぁ!?」

「あなたこそ、先程から少しも競り勝てていないとお見受けしますが……」

 いつになくミルドの声や表情にも力が籠っていた。必死にディータの腕を倒そうとしているが、ビクリとも動かないようだ。それはディータにしても同じことらしい。褐色の肌が目に見えて真っ赤になるくらい力んでいる。

「あれ、競技台はもつでありますか?」

「曲がりなりにもネリム製だし、まだ大丈夫だとは思うが……」

 むしろ妾はステージの床が心配だった。ごく普通の木材っぽい床はミシミシと軋むような悲鳴を上げていて、今にもボコンと抜け落ちていしまいそうだ。

「会場全体が揺れているな」

「この店結構古い。時間の問題」

「き、気のせいだ気のせい!」

 さっきから頭の上にパラパラと木くずが積もっているような気がするが、きっと気のせいだ!

 でも万一に店が倒壊しでもしたら妾たちの責任だ。打てる手は打っておくに越したことはない。

「ジラル―! 結界ー!!」

「しょ、承知しました!」

 実況・解説席のジラルへ声をかけると、すぐさま妾の意を汲んでくれたジラルが店の建物と観客を強固な結界で覆い保護した。

 城砦防護用の強力な結界だが、大げさと言い切れないのが恐ろしい。奴らの純粋な力の衝突が攻城兵器に匹敵するとの判断は聡明と言う他なかった。

「オラァ!!」

「くっ……!」

「おお、ディータさんが強引に傾けた!」

「高い身体能力を持つミルドですが、真価を発揮するのは高速機動による中・近距離魔法戦ですからな。最近はもっぱらメイドでしたし、久々の【竜化】によるブランクもあるのでしょう」

 ミルドが妙に余裕なさげだったのはそのせいか。一方のディータは如何にも本調子といった感じで勢いに乗っている。

「調子が出るのを待つほどアタシは甘ちゃんじゃねえぜ!!」

 これ幸いとばかりに荷重をかけるディータ。ミルドも抵抗しているようだが、一度崩れた均衡はそう易々と戻らない。

 純粋な近接格闘職のディータとでは体力の差もある。いくらミルドと言えど、ここからの逆転は厳しいだろうか。

「浮かない顔をしているな」

「……そうかな」

「トイレか?」

「違う」

 どうしてこの勇者は何かにつけて妾を便所送りにしたがるんだ。

 だが、浮かない顔をしているのは多分事実なのだろう。

 妾にはどうしても、ミルドが敗北するという光景を想像することが出来なかった。これまで散々あいつの化け物っぷりを見てきて、心のどこかでこいつは無敵なんじゃないかと思い始めていたのかもしれない。

 もし本気でやり合った場合、今の妾ではミルドに勝てない。あいつは妾にとって一つの目標であり、強さの象徴でもあるのだ。

 そんなミルドが負けそうになっているのを見ていると、なんだか複雑な気分になる。

 何と言うか、納得いかない。

 名状しがたい不服感が心を埋め尽くしていく。

「さあ猶予は残り僅か! もはや敵なしと言われてきたミルドさんもこれまでか――」


「ミルドォォォォオオオオオ!!」

 気が付くと、妾は全力で叫んでいた。

 周囲から多くの視線が向けられるが、構わない。

「お前は魔王城の……妾のメイドだろうが! こんなところで負けてんじゃねぇぇぇぇええええええ!!」

 言えた口でないことは百も承知している。

 それでも、妾は許容することが出来なかったのだ。

 ミルドが負けることなんてあってはならない。

 少なくとも、妾があいつの強さを乗り越えるまでは!

「ハッ、今さら何をしても無駄だぜ! このまま――」


「かしこまりました」

「――なっ!?」

 ミルドが微笑み、ディータが驚愕する。

 あと数センチ。あと一息で止めを刺せたこのタイミングで。

 再び、腕の動きが止まった……いや。

「ななな何と! ミルドさんが徐々に押し返しているー!?」

 少しずつ、確実に。

 ミルドの腕が起き上がっていく。

「マジかよこいつ……!」

「やっとあなたの焦る顔を見れました。満足したので、このまま負けていただきますね」

「とっくに限界だったはずだろうが……なのにこんな力、どっから絞り出してんだ!?」

「別に、大したことではありません」

 これまで余裕の表情を崩さなかったディータが初めて狼狽していた。心理面において完全に逆転したミルドは、薄く汗を滴らせながらも余裕を取り戻した表情でただ一言。


「メイド力は、筋肉よりも強しです」

「「何だそりゃ!?」」

 妾とディータはハモった。

「ディータさんの鋭いツッコミが炸裂したー!」

「しかもあの魔王様と全く同時にです。彼女にも、ツッコミ役としての素養が充分にあると言えるでしょう。将来有望ですな」

「お前らは何の実況解説をしてんだよ!?」

「そんなことより殿下、ミルド嬢が元の状態まで立て直したであります!」

 言われて二人の方へ向き直れば、腕の位置は元の状態に。

 むしろこのペースならミルドが逆転しつつある!

「やったか!?」

「……それは言ったら駄目なやつだろ」

 珍しく呆れたような勇者の言葉の直後、


「――ッラァ!!」

「おおっと、ディータさん踏ん張る!」

「何ー!?」

 丁度腕が元の角度に戻った辺りでディータが意地を発揮し、久しく失われていた拮抗状態へと移行してしまった。

「鮮やかなフラグ回収だな」

「くそ! やられた!!」

 テンションが上がってつい浅はかな発言をしてしまった。

 妾という者が何て初歩的なミスを……不覚!

「メイド力だか何だか知らねえが、んな訳わかんねえもんに負けてたまるかっ……!」

 あー、うん。その気持ちはよくわかる。

「無駄な抵抗はよしなさい。メイドに勝つことなど不可能です」

「知るかんなもん。しぶてえようだが今度こそ止め刺してやる」

「どちらも一歩も譲らない! 果たしてこの勝負はどうなる!?」

「……つかぬことをお聞きしますが、ネリム殿」

「ん?」


「競技台が、何やら赤くなっておりませんかな?」

 ジラルが恐る恐る指摘した通り、いつの間にか銀色だった樽の表面がほんのりと赤色になってきていた。

 しかも見る見るうちに赤からオレンジ、果てには反射ではなく樽自身が白い輝きを放ち始める。

「といいますか、白熱してませんかな!?」

「うん、熱い勝負だね!」

 トンチなやり取りをしている間にも、競技台は周囲にバチバチと火花みたいなのを撒き散らしながら輝きを増していっている。

 何だあれ、何が起きてるんだ!?

 金属製の樽の上で何をすればああなる!?

「ジラルー! 解説ー!!」

「ええっと、これはどう解説したものでしょう。色々と不可解な現象過ぎて儂自身情報と心の整理がついていないのですが、仮説を述べるとすれば両者の腕から伝わった余剰エネルギーと振動が膨大な熱へと変換され競技台に蓄積されているのではないでしょうか」

「そんな馬鹿な!?」

「ちなみに補足すると、あの樽って構造上外側からかかる力にはすごく強いけど、内側から衝撃がかかるとバラバラに吹き飛ぶよ」

「え?」

 ネリムの不穏な補足が入った直後。

 ビキリと、樽の表面に大きなヒビが入った。

 ……えーっと、つまりこうか?

 ステップ1:二人が頑張る。

 ステップ2:樽が加熱される。

 ステップ3:空気が膨張し内側から力がかかる。

 ステップ4:爆発まで残りあと僅か←今ここ。

「……フッ」

 妾は瞳を閉じて小さく笑い、


「今回は爆発オチか」

 もうどうにでもなれと、全てを受け入れた。

「はぁ――――!!」

「オルァアアアアアアアアアアア!!」

 これまでで最大の力を二人がぶつけた瞬間、樽に蓄積したエネルギーは臨界へと達し。

 光の玉となった競技台が急激に膨張し、大爆発を起こした。


 ◇


「競技台が壊れちゃたから、二人とも失格!」

「そらそうなるよね!」

 一歩間違えれば大惨事だった。

 爆発の威力はとんでもなく、下手な爆裂系の魔法より凶悪だった。白熱した鉄片が拡散したのも合わさり殺傷力抜群。文句なしに対人兵器である。

 先手を打ってジラルに結界を張らせたのが幸いし、店や観客にけが人は出なかった。むしろあの爆発すらもパフォーマンスだと思っていた彼らは大盛り上がりである。何も知らないのは幸せなことだ。

 そして、爆心地にいた全ての元凶たちはと言えば。

「ハーハッハ! いやー、派手に吹っ飛んじまったなぁ!」

「私としたことが、少々熱くなり過ぎたようです」

 貫禄の無傷だった。

 身体強化がされていたとはいえ、ゼロ距離かつノーガードで爆発に巻き込まれていた二人は一切ダメージを負った様子もない。服にも焦げ目一つ付いていなかった。

 ミルドは怒りが収まったらしく完全にいつもの調子だ。ディータに関しては失格になったとは思えないほど清々しい笑いっぷり。

「決勝はお兄ちゃんの不戦勝になるけど、異議なし?」

「私は特に」

「あーないない。アタシも充分満足した」

 双方共にあっさりと引き下がった。

「勇者様と戦わなくてよろしいので?」

「アレクが強えのはあれ見りゃ一目瞭然だろ」

 ディータが一瞥した先には、縦横無尽に張り巡らされた鎖を無表情に回収する勇者の姿があった。

 結界の庇護下になかった選手陣は自衛した……というよりは、全部勇者が防いだのだ。

 爆発が起きる直前にあの白い鎖を召喚し、気絶したゲイリーを含めた妾たち全員を爆風と鉄片から瞬時に保護していた。こいつも大概化け物じみているな。

「あいつとは力だけじゃなく全力で勝負してみてぇし、どうせお前との決着も必ずつけなきゃなんねぇしな」

「え、それじゃあ……!」

「おう、お前らの旅に付き合わせて貰うぜ!」

 期待の眼差しを向けるネリムへディータはグッと親指を立てる。

 どうやらミルドとの再戦の機会を得るには勇者と行動するのが最適だと判断したようだ。化け物集団に化け物が一人足された形になるが、妾としては比較的常識人が加入してくれたのでちょっと安心している。

「そんなこんなで、優勝はお兄ちゃんです!」

「適当か!」

 もはやネリムにとって大会はどうでもよくなったらしい。

 目標は達成されてしまったし、別に兄が優勝したことに対して抱く感慨もないのだろう。不戦勝だし。

「えー、優勝者のアレク殿には景品としてバッカスの特産品である高級酒の詰め合わせが贈呈されます」

「わーいお酒ー!」

 何故か勇者ではなくネリムが喜んだ。

 まあ勇者は飲まないらしいし、実質ネリムが手に入れたも同然か。

 何かあいつ一人勝ちしてないか? 妾の気のせい?

「料理酒くらいにはなるか」

「ワイン煮込み。酒蒸し……じゅるり」

 勇者も勇者で使い道を見出したようだった。側で聞いていたチットは既に夢見心地だ。

「お、いいねぇ。ここの酒はしばらく飲み納めかと思ってたぜ」

「昨日も相当飲んでいたらしいのに、まだ飲み足りないのですか」

「酒なんてアタシにとっちゃ水みたいなもんよ。あんたは下戸みたいだがな」

「ドワーフと酒量で競う気はありませんよ」

 笑って語りかけてくるディータに素気無く対応し、ミルドは妾の方へと戻ってくる。

 しかしその途中で一度だけ振り返り、


「次戦う時は、全力でお相手しましょう」

「何でもありってか。上等だ」


 ……いいなぁ、ああいうの。

 ミルドにああやって張り合ってくる相手は滅多にいない。一方的にライバル視しているジラルを除けば、唯一の好敵手となるのかもしれん。

 さっきの試合といい、奴らだけ展開が熱すぎない? いや妾もチットと死闘を繰り広げた感あるけど、妾の真のライバルであるべき勇者はあんな性格だしむしろ肝が冷える展開の方が多いし。

 なんだこの差は。

 どうしてこうなった!

「すみませんルシエル様、勝つことが出来ませんでした」

 悩んでいる間にミルドが戻って来た。

 表情こそいつも通りだが疲れているのか、はたまた勝負がつかなかったことに割と気にしているのか、声に若干覇気がない。

「いいじゃん別に。かっこよかったよお前は」

「ありがとうございます。手を握られて恥ずかしがるルシエル様も大変可愛らしかったですよ」

「そういう慰めはいらないから! あと恥ずかしがってないから!!」

「その言い訳は流石に無理があるであります」

「うるせー!」

 ギャースカ騒いでいると、ディータも勇者たちと合流していた。何やら話し込んでいるが、今後の予定について摺り合わせをしているのだろうか。

 まあ大会も終わったことだし、これで勇者たちも再び魔王城攻略に向けて旅に出てくれるはずだ。どうせ寄り道三昧なのだろうが。

「魔王」

「ん――っとと!」

 不意に勇者から名前を呼ばれて振り返ると、何かが飛んで来たので反射的に受け取る。

 ひんやりと冷たいそれは、最近ラベルを見た記憶のある高級ワインの瓶だった。割れ物放ってくるとか大胆な奴だな。

 受け取ったはいいものの意図が飲み込めずにいると、


「おすそ分けだ」

「……そりゃ、どうも」

 やはり、こいつとの熱い展開とかはないのかもしれない。

 

「これにて、第一〇二回アームレスリング大会終了! 実況はネリム!」

「解説はジラルでお送り致しました。長らくのご視聴、ありがとうございます」

 こうして、妾の休日は幕を閉じるのであった。

姉御系褐色武闘家のディータが勇者パーティーに加わった!

果たして、勇者陣営のインフレに魔王様はついていけるのか?

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