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勇者がこない! 新米魔王、受難の日々  作者: 七夜
魔王と勇者とゆかいな仲間たち
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04 狩人の耳は猫の耳(2)

 遠方から伝わってくる、軽い威圧と呼ぶには余りにも本気すぎる魔力反応。

 探知魔法を使うまでもなく肌にビリビリと感じるそれを、妾達はどこか遠い目で受けて。

「……確かに軽く追い詰めてくれとは言ったが」

「言うな」

「あそこまでやれとは言っていないぞ」

「だから言うなって!」

 隣から注がれる呆れたような勇者の目線に耐え切れず、思わず大きな声が出た。

 急に体を動かしたせいで、腕に巻きつけた鎖が音を立てる。

「あまり激しく動くな。外れたら隠蔽が解けるぞ」

「す、すまん。だがミルドが暴れてるし、相手にこっちを気にする余裕なんかないんじゃないか?」

「念には念をだ。そっちの仕込みはどこまで済んでいる?」

「ああ、今確認する」

 勇者の質問に応じるため、妾は目を閉じて意識をこの場から別の場所へと切り替える。


 再び目を空ければ、閉じる前とは違った景色が広がっていた。

 普段よりも高い視界。同じ森の中ではあるが、周囲に木が生い茂っていた先ほどとは打って変わって随分と開けている。頭上を覆う枝葉もなく、だいぶ西に傾いている太陽を眺めることもできた。

「首尾はどうだ?」

「おお殿下!」

「うるさ!?」

 すぐ横合いから聞こえてくるガリアンの大声。

 ただでさえデカいのに、肩の上という至近であったことも相まって非常にうるさい。

「音量に気を付けろ、鼓膜が破けるだろ!」

「し、失礼したであります殿下」

「もういい。で、首尾は?」

「はっ、小官の方は順調であります……むん!」

 そう返答しながら、ガリアンは裂帛の気合と共に腕を振るう。

 妾の身の丈ほどある大剣がその重量から解き放たれたが如く跳ね上がり、一閃。

 決して細くはない樹木がその中途から切断され、音を立てて地面に倒れ伏す。

 辺りを見渡せば、同じように切り倒された木がいくつも地面に転がっていた。

「これで一〇本。あと五分もあれば指示通りに整うであります」

「ミルドにもそう伝えよう。引き続き頼むぞ」

「了解であります!」

「だから音量!」

 威勢のいい返事で耳を痛めたのを最後に、妾の意識は再び別の場所へ。

 開けた空間からシームレスに見慣れた雑木林へ場面が移り変わり、


「――ぬをわぁ!?」

 直後、強烈な重力加速を全身に受ける羽目になった。

 猛スピードで移動し続けているからか、高速で後方へと流れていく景色。どうやら妾は胸元に入れられているらしく、頭から血が引いていく感覚に耐えながら上を見上げてみれば、薄く笑ったミルドの表情が見えた。

 うわぁ、これ完全に楽しんでるやつだ。相手も気の毒に。

「ミ、ミルド、調子はどうだ?」

「絶好調です。久々にやり甲斐のある相手ですよ彼女は」

 行く手を阻む枝葉を上級飛行魔法【ドラゴンフライ】の暴力的な加速を制御し切って華麗に回避していくミルド。

 その視線を追って、妾は遂に騒動の首謀者の姿を目の当たりにする。


 こちらに背を向けて十数メートル先を往くのは、妾よりも小柄な少女だった。

 白銀の髪を風に靡かせ、ミルドを注視し続ける瞳には琥珀の輝き。小さな体にどれほどの膂力が隠されているのか、弓と空の矢筒を背負ったまま木と木の間を自在に飛び回り、ミルドの追跡から逃れ続けている。

 そして、何よりも目を引いたのは。

「キャットピープル……西側では珍しいな」

 頭頂部から顔を出しているピンと立った猫耳と、腰の辺りから伸びた髪の毛と同じ色をした細長い尻尾。

 明らかに飾り物とは思えないそれらは、彼女が亜人の一種――獣人であることを示している。ガリアンのようなライカンスロープや犬が直立歩行したかのようなコボルトと違い、獣としての特徴を部分的に持つヒューマンといった見た目だ。

 大陸の南には獣人による大国があり、彼らはあまり国の外へは出ない性分らしい。昔はその外見上、面倒ないざこざがあったらしいが、種族間の差別意識が希薄な今では単純に内需が満たされていることが理由の大半を占めるだろう。

 そんな中でわざわざ国を出ていくのは、それを仕事とする行商人か一部の物好き。

 あれは間違いなく後者に違いない。

「追いつけるか?」

「恥ずかしながら、無傷でという勇者様の希望に沿うならば難しいかと。相手は狩人……言わば森のプロみたいなものです」

 ミルドの言う通り、ひたすら先行していく猫耳の動きは尋常じゃないほど洗練されたものだ。こっちは最短距離で距離を詰めようとしているのに、それを嘲笑うかのように立体的な挙動をもって追跡を振り切ってくる。

 加えて俊敏性に優れたキャットピープルともなると、仕留めるのであればともかく、真っ当な手段で捕まえるのはさしものミルドでも不可能と認めざるを得ないか。

「いっそ『シルフェの森』を更地にする許可を頂ければ今すぐにでも捕まえて見せますが」

「んなもん許可できるか国際問題になるわ! つーかそれをしないための作戦だろ!?」

「では当初の予定通りに?」

「ああ、五分後に例の地点へ誘導を頼む」

「かしこまりました」

 空中で小さく一礼したミルドに猫耳を託して、妾はようやく勇者たちの元へと意識を戻した。


 連続で意識の移動を行ったために消耗は激しいが、最低限の報告はしなくては。

「今、戻った。下手人は、キャットピープルの子供。ガリアンの方は、五分で準備完了。ミルドの方も、捕獲まではいかないものの、誘導自体は可能だ」

「わかった。疲れているなら後ろで休んでいろ」

「ぐへへ、おいでおいで~」

「……そうさせてもらう」

 正直言って邪悪な笑い声を上げながら手招きしてくるネリムには近づきたくなかったが、ここは理性が優先された。休まなければとてもじゃないが動けそうにない。妾以上に激しい運動をしていたはずの勇者が涼しい顔をしているのは納得いかないけど。

 しかし多少のセクハラは覚悟して後方へと下がってみれば、意外にもネリムは何もしてこなかった。何だか拍子抜けだな……

 でも考えてみれば、高速で移動する猫耳の位置を常に追い続けるために広域の探知魔法を連発しているのだ。よく見ると額にうっすら汗が浮かんでいるし、流石の彼女でも妾に余計なちょっかいを出している余裕はないのか。

「ねえ魔王ちゃん、一つ聞いていい?」

「ん、何だ?」

 代わりとばかりに、探知魔法の波動を発信し続けながらネリムが尋ねてくる。

「さっきのあれって何?」

「あれって言うと……【ブラッド・スレイブ】のことか?」

 恐らくネリムが言っているのは、ミルドとガリアンに預けた妾の分身のことだろう。


 勇者たちと別れた後、妾達は出来る限り魔力と気配を殺して先行していった奴らを捜索。十分ほどかけて見つけたときにはさぞ胡散臭そうなものを見る目で見られたが、何とか協力する旨を取り付け。短いながらも行った作戦会議によってあの猫耳を捕獲するための策を立て、勇者が接戦を演じている間に妾たちがこっそり仕込みをするという方針でまとまった。

 後は妾達が暗躍できるように『境界の鎖』で存在を隠蔽したまではいいが、問題は鎖をつけていても魔法の使用による魔力反応は誤魔化せないということ。あの注意深いハンターのことだ。連絡を取るために【コール】なんて使おうものならば即座に妾達の存在は気づかれ、計画が破綻するのは目に見えていた。

 そこで役立つのが、ヴァンパイアの固有スキルである【ブラッド・スレイブ】。

 これは自らの分身を作り出す能力であり、並みの吸血鬼であればせいぜいコウモリ止まりのところを、妾ほどになればそれこそ自分自身を複製することが可能なのだ!

 ……まあ未熟故に造りだせても手のひらサイズなのだが、それでも自己の複製というのは伊達ではない。

 オリジナルよりスペックは落ちるが魔法だって使えるし、スキルレベルに応じて複雑な命令にも対応できる。今の妾の分身では言いつけを二つ三つ守るのが精々で、実際分身には『振り落とされないように掴まっていろ』とだけ命じてある。

 今回の場合重要なのは、最後にして最大の特徴である意識同調に他ならない。

 先ほど行ったように、妾は自分自身から造りだした分身へ自由に意識を移動させることができる。特筆すべきは、この意識移動には魔力のやり取りが発生しないということ。分身は距離が離れていても扱い的には体の一部なのだ。手足を動かすような感覚に近く、当然探知魔法にも引っかからない。

 

 つまり妾は虎の子の一つであるレアスキルを通信魔法替わりにするという、とても贅沢な使い方をしている。 

「言っておくが、本当は凄い強力なスキルなんだからな? 今でこそあんな手乗りサイズだが、いつかは父上のように一個軍団を――」

「そうそれ! そのことで話があるだけど」

 妾の言葉を遮るように、ネリムはずいっと迫真の表情で近づいてきて。


「手乗り魔王ちゃんって、一ついくらで買える?」

「絶っ対売らないからな! ていうかやっぱ余裕そうだなお前!?」

 果たして「そんなことないよー」と笑うネリムの言葉がどこまで真実なのやら。

 休むはずが余計に疲労がたまったような錯覚に陥りながら遠い目をしていたら。

「よかったのか?」

「何がだ?」

 攻撃の手を休めながらもネリムが展開した探知魔法を確認し続けていた勇者が、入れ替わるように疑問を投げかけてくる。

 相変わらず言葉の足りてないそれに問い返すと、

「敵である俺に手の内を晒してよかったのか?」

「借りを残さないためだと言っただろ。それにお前だって鎖についてべらべら喋ってたじゃないか」

「あれは聞かれたことに答えただけだ。借りを返すにせよ、こんな旅の序盤で相手にレアスキルを知られるのは普通に痛手だろ」

「そもそも何でこんな旅の序盤でここまで苦戦してるんだって話なんだが……そうだな」

 勇者の問いは、奇しくも――というよりある意味必然か、さっき妾が勇者に対して投げかけたものと殆ど同じだった。

 しかし勇者と違って、妾には即答することができなかった。


 あの時勇者が特に誇るでもなく、自明の理であるとばかりに言い残した言葉。

 故にこそ、それは妾の心に深く突き刺さり、重く圧し掛かってきた。


 ――友人。言葉の意味する所は知っていても、妾には馴染みのない存在だ。

 別に孤独を味わってきたことはない。

 ジラルやミルド、ガリアンは小さい頃からずっと一緒だったし、今でも部下として側に居てくれている。どこか抜けたところも多いが、気の良い奴らだ。

 自慢ではないが、これでも国民からの支持は篤い方だと自負している。街を歩けば国民はみな笑顔で挨拶してくれるし、視察先の要人との関係も悪くない。

 父上と母上は旅行中だが、思わず砂糖を吐きそうになる内容の手紙が毎週届いてくる。ともあれ、壮健であるのは確かだ。二人とも、妾のことを立派に育ててくれた。

 こうやって振り返ってみれば、妾は恵まれすぎていると言ってもいい。素晴らしい家族に、素晴らしい隣人たち。

 だが、その中に友と定義できる者はいないだろう。

 何しろ王族だ。いくらザハトラークが建国して間もない新生国家とはいえ、その権威は市井の者たちとは比べるべくもない。幸か不幸か、教育がゆきわたった国内では子供でも妾への礼節を欠かさない。

 どれだけ親しくなろうともそこには必ず距離があり、壁がある。

 血筋と立場。途轍もなく長い距離に、途方もなく高い壁だ。


 だが。

 そんな距離を一足飛びに詰めてきて、壁を超えるどころかぶち壊してきた奴らがいる。


 奴らは立場上、妾の敵だ。

 一人は、表情が死んでいる勇者。常に無表情すぎて、何を考えているのかわからない。

 一人は、笑顔の絶えない魔法使い。常に笑顔すぎて、何を考えているのかわからない。 

 出会うたびに人のコンプレックスを平然と突っついてくる。冗談か本気かのギリギリのラインで寿命を縮めにくる。つーか一度はガチで死にかけた。こちらの反応を一通り楽しむと、満足してまた魔王城とは別の方向に去っていく。

 会ってから一週間も経ってないのに、ろくでもない要素ばかりが浮かんでくる。人格者とは決して言えず、先ほど挙げた者たちと比べるべくもなし。

 ……本当に、ろくでもない奴らだ。

 家族や父上の知り合い以外に、敬語を使われなかったのは初めてだった。

 ミルドですらしてこないようなスキンシップを平然と仕掛けて来た。

 常に見下ろしてきたが、見下してきたことは一度だってなかった。

 ――そう。

 勇者たちは妾に対していつだって、対等に接してきた。

 立場も損得も度外視して、妾を助けてくれた。


 友人なんていなかった。対等な存在なんていなかった。

 今は、どうだろうか。

 妾を友と言ったあいつらのことを、妾はどう思っているのか。

 どうありたいのか――


「……言わない」

 散々悩んだ末にふと浮かんだ願望。

 それをこいつの前で認めるのが癪というか気恥ずかしく、結局妾は言葉を濁した。

 すると案の定、勇者は落胆を隠さない様子でぼやく。

「お前、こんだけ引っ張ってそれはないだろ」

「う、うるさい! 言っとくけどな、スキルの一つバレたところでちっとも妾の優勢は覆らないんだからな!? もっと凄い技とかいっぱいあるんだからな、これマジだから!」

「そうかそうか、よかったな」

「このっ適当な返事しやがって、さてはそこまで気にしてなかったな!? 返せよ妾の悩みぬいた時間!」

「無茶を言うな。そろそろ時間なんじゃないか?」

「あ、そうだった!」

 いかんいかん、そろそろガリアンの様子を見に行ってから五分が経過する頃。予定通りであれば最後の仕込みに入る段階で、勇者とギャースカ争ってる暇はない。

 あっちの準備が終わっていて、ミルドの誘導さえ上手くいけば後はこちらの仕事だ。

 心は別として体はだいぶ休まったようで、行動に支障はなさそうだった。

 妾達は早急に荷物をまとめ、目的地――ガリアンが待つ場所へと向かう。

 その道すがら、妾はどうしても解消しきれてない疑問を勇者へとぶつけた。

「しかし、本当にあんな罠に引っかかるのか? そもそも木を切り倒しただけで罠になるとは思えないんだが」

「正確にはもう一工夫する。それだけで十分罠として機能するはずだ」

 勇者はそう断言するが、あの狩人に対してそんな単純な仕込みが通用するのかという疑念が拭えない。

 それを妾の表情から読み取ったのか、勇者は重ねて言葉を紡ぐ。

「奴は移動するときに前を向いていたか?」

「……いや、少なくとも妾がいたときはずっとミルドを見ていた」

 思い返してみれば、ミルドと高速の逃走劇を繰り広げていたあの猫耳は進行方向に全く目をくれていなかった。よそ見なんてもんじゃない。

 なのに、奴は一度も足を踏み外すことはなかった。まるで背中に目でもついているかのように、正確無比な動きでミルドを翻弄していたのだ。

「だろうな。恐らく、奴は森の地形を完全に把握している。それこそ、生えている木の一本一本の位置までな」

「そ、そんなことが可能なのか!?」

「出来る。現に俺だって『木こり』のときはどこに何の木が生えているのか覚えていた。そのレベルで地形を把握できていなければ到底生き残れなかったからな」

「お兄ちゃんって基本的に一度見たものは忘れないもんねー」

「あの猫耳、やはり化け物か……」

 地元で尋常ではない経験をしてきた勇者ならばまだわかる。

 もしそれをあの一三歳そこらの少女ができるとしたら、それは本物の天才か、あるいは勇者と同じ戦闘民族に他ならない。

 こいつら絶対生まれる時代を間違えている。

「それに今でこそ奴は逃げ回っているが、まだ俺のことを諦めていないだろう。ミルドを振り切った先に俺の気配があれば、必ず引導を渡しに来る」

「向こうにはそこにお前がいるとわかるのか?」

「俺たちは一度も探知魔法を使われていないのに居場所を看破された。キャットピープルの視力がいいという話は聞いたことがないが、少なくとも魔法に頼らずに魔力……あるいは気配を探知する能力があると考えた方が自然だ」

「なるほどな……でも、そのままどっかへ去っていくかもしれないぞ」

「ここで諦めるような奴なら、一度は完全に消えた俺たちを何時間も探したりはしない」

「む、それもそうか」

 わざわざこいつらを呼び寄せるためだけに鳴子よろしく利用されたのを思い出し、妾は先ほど矢で射抜かれた額をさする。

 できれば、あのようなことは二度とごめんしたいところだ。

「だが、それほど執念深い上に用心深い奴だ。あんな開けた場所に突っ立ってたら流石に罠だと気付くんじゃないか?」

「ちっちっち、だからこその一工夫だよ魔王ちゃん」

 なおも納得がいっていない妾に、既に兄が立案した作戦が成功することを疑う余地もないらしいネリムは、いつかのように指を振りながら言う。

「その一工夫とは?」

「簡単な目くらまし。それだけでいいんだよね?」

「ああ、問題ない」

 そして勇者もいつかのように――ただあの時よりは若干マイルドな笑みを浮かべ。

「必ず引っかかるぞ。特に、自分の能力に絶対の自信を持っているだろう狩人ならな」

 ……あの猫耳の命が、少し心配になってきた。


  ◇


 最初はどうなることかと思ったものだが、案外どうにかなるものだ。

 記憶に沿って直感的に最適なルートを選び続けながら、後方の様子を伺う。

「メイド速い。だけど、追いつけない」

 飛行魔法――それも最上級クラスを使っているとわかったときはゾッとしたが、この入り組んだ森の中ではどんなに早くてもロスが生じる。地形を熟知した上で経路を最適化しているこちらに追いつくのは容易じゃない。

 最も大きいのは意識の違いだ。

 どうやら向こうは無傷で捕まえるつもりのようだが、こちらは死なない程度に叩き落すつもりでいる。

 ――そろそろ、落ちて貰うか。

 相手の方を向いたまま視界の先の木の配置を確認し、自分に近づきつつあるメイドが数秒後に通過する地点の状況を把握。

 上下左右の退路が塞がれ、真っすぐにしか動けないタイミングで。

「にゃっ」

 太ももに巻いたベルトから尻尾を使って投擲用のピックを一本抜き取り、そのままメイド目がけて投げ放った。

 小細工が通用しないとわかっている以上、余計な効果は付与しない。ただ、速さと威力だけを追求した一撃。

 最大倍率の加速魔法によって音速の壁を越えたピックは、相対速度も相まって射出とほぼ同時に対象へと着弾した。

「くっ……!」

 予定通り枝葉に囲まれて回避行動を取れなかったメイドが、辛うじて防御魔法を展開。

 魔力の防壁とピックが激突する轟音を背に受けながら視線を前へ戻し、詰めかけられていた距離を一気に開き直す。

 仕留められなかったのは残念だが、これでメイドの方を心配する必要はしばらくなくなった。

 そして逃げ回っている間でも、最初に定めた標的を見逃すような真似はしていない。

「移動してる。南西。割と近く」

 頭の中に入った森の全体図と【狩人の目】から得られた情報をブツブツと呟きながら統合した結果、標的がそう遠くない場所にいることが判明。

 ちらりと後ろを見やれば、メイドとの距離は相当引き離せていた。長時間の飛行と先ほどの防御で魔力を使い過ぎたのか、明らかに速度が落ちていた。

 このまま行けば充分振り切れるだろう。

 ……ならば、あっちとの決着もつけてしまおう。

 そう考えるに至り、進行方向を南西へと修正しつつ腰の鞘から短剣を抜き払う。

 標的を肉眼で捉えられる距離まであと二〇秒といったところか。気配は立ち止まっていて、動く様子もない。矢は使い切ってしまったが、麻痺効果を付与した短剣の先端でも掠れば十分。この速度と勢いのまま奇襲し、防御する暇も与えない。

 本当は狙撃でスマートに決めたかったという気持ちもあるが、この際贅沢は禁物だ。これほどの獲物には次いつ出会えるかわからないのだから、勝利を直接この目で確認できる接近戦で確実に仕留める。

 僅かに浮かんだ迷いすら即座に切り捨て、研ぎ澄まされた刃に麻痺魔法を付与。逆手に持ち替え、いつでも振り抜けるように構える。

 しかし接敵まで残り一〇秒の地点で、突如として視界が白に染まった。

 煙幕かと思い口を塞ぐが、肌で感じる湿度と僅かに香る湿った臭い。

 加えて、空気に希釈され拡散したもう一人の標的の魔力。

「魔法の霧……目くらまし、無駄」

 恐らくこちらの接近に気づいた、相手の妨害工作。

 自らを覆う霧についてそう結論付け、全く問題にならないと判断した。

 相手は【狩人の目】の存在を知らないのだ。

 気配追跡は、例え目を閉じていようが機能する。無論霧で眼前が塞がれていようが、明かり一つない暗闇であろうが例外はない。

 こうしている今だって、『目』は標的の気配が一歩も動いていないことを正確に認識している。むしろ霧でこちらの姿が見えなくなった分、奇襲への対応に遅れが生じるだろう。

 この霧はっきり言って、悪手でしかなかった。

「……捉えた」

 最初の接触からほぼ半日。

 遂に待ち望んだ獲物が肉眼で見える圏内まで踏み込んだ。その姿を拝むことは霧のせいで叶わないが、対象との直線距離は一〇メートルもない。完全に射程圏内へ収めた。

 今さらのように気配が身じろいだが、もう遅い。三角飛びの要領で一気に距離を詰めて、すれ違いざまに斬りつける。

 頭の中に思い描いたビジョンを現実とするため、斜め上に飛び上がった先の木を蹴り――


 何もない空間を足が通過し、空中で大きくバランスを崩した。

「え?」

 何が起きたのか、一瞬理解できなかった。

 理解する間もなく、重力が仕事を始めた。

「どう、して!?」

 不安定な姿勢のまま地面が近づくのを感じていながら、頭の中を占めているのは激しい混乱だった。

 本来蹴るはずだった足場を空振りした結果、勢いが死んで落下。

 事実のみを並べれば、今の状況は自分のミスによって引き起こされたものとして疑問の余地もない。当然の帰結である。

 だが、ありえないのだ。

 犯してしまったミス――足場を見誤ったという前提が、そもそも看過することのできない事態なのだ。

 森の木々の配置は完璧に頭に入っていた。記憶から地形を逆算するのはこれが初めてではないし、失敗したこともなかった。奇襲のためのルートは霧がかかる前――それこそメイドから逃げている最中から構築していた。

 準備は万全だった。

 だから、あの場所に木がないのはおかしいのだ。

 一体、何がどうなって――

「にゃっ!?」

 意識を混沌から現実へと引き戻したのは、自分を取り囲むように発生した魔力反応だった。

 感じて久しいそれは、あの白い鎖を出現させるための魔法陣と同じもの。

 その数は、一二。

 今までは最大でも一度に四つ程度だったのに、ここにきて桁が一つ違っていた。今まで自分に対して行われていた攻撃は、全く本気ではなかったのだ。

「――そういう、こと?」

 弓を引き絞るように高まっていく魔力に肌を焦がされながら、ようやく理解した。

 あの三人の気配が消えたときから、もう始まっていたのだ。

 散発的な攻撃は、接戦を演じて相手を探知魔法で認識可能な範囲に留めるため。

 メイドによる追撃は、ギリギリ逃げ切れる速度で追い詰めて逃走ルートを絞るため。

 目くらましの霧は、予め切り倒した木をこちらから見えなくするため。

 

 こちらの行動を全て読み、『目』の力すら利用して仕組まれていた。

 存在しない足場へ誘導し、確実に捕獲するために!


 そう、理解して。


「っぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!」


 湧き上がった激情のままに、咆哮する。

 負けたくない。

 まだ、負けていない。

 あと数秒で勝敗が確定するであろう絶望的な状況にあっても、最後まで足掻き切る。

 一矢、報いる――!


 それは意図して行った動きではなく。

 ただ、体が感情にのみ突き動かされた結果であった。

 崩れた姿勢を、尻尾を大きく振り回すことによって強制的に安定。

 コンマ一秒にも満たない僅かな隙間へねじ込むように、手にしていた短剣を気配へ向けて投射した。

 麻痺効果を付与された淡く光る刃は、残りの全魔力をつぎ込んだ五重の加速魔法によって音すら追い越し。

 衝撃波を伴って大気に風穴を開けながら、鎖を握る標的の腕へと直進していく。

「……ぁ」

 全熱量を注いだ短剣が自分から離れていくと同時に、急激に心が冷えていくのを感じた。

 威力が高すぎる。あれでは仮に急所でなくとも、直撃した部位そのものが急所になりかねない。腕がちぎれる程度では済まされないだろう。明らかに主義に反した一撃。

 激情のままに放った攻撃であるが故に、手心なんて加えられるはずもなかったのだ。

 文字通り必殺の威力を秘めた凶刃は、後悔する猶予すら与えず標的へと肉薄し――


「はうぁ!?」


 惨劇を予期した中、鳴り響いた間の抜けた悲鳴は想定外にも程があった。

 驚愕で見開いた目に映ったのは、さっきまではいなかったはずの気配。

 標的を炙り出すために利用したあのちびっこの気配だった。

 脳天に短剣を食らったらしいちびっこの体は緩い放物線を描きながら宙を舞い、そのまま墜落。そのすぐ後に、ジャラジャラと金属らしきものが地面に落ちたような音が鳴り響く。

 クリティカルヒットによるダメージと付与された麻痺によって気配は痙攣したまま動かないが、死んだ様子は無さそうだった。流石ヴァンパイア。丈夫。凄い。

 

 と、安心したのもつかの間。

「あっ」

 臨界に達した魔法陣から計一二本もの鎖が飛び出し、こちらへと殺到してきていた。

 迫り来る純白の輝きをどこか遠くに感じながら、終ぞ一歩も動くことのなかった標的へと目を向ける。

 その気配には一切の乱れはなく、全て想定通りと言った佇まい。

 まさか、最後の抵抗すらも読み切ってあの位置にちびっこを配置していたのだろうか。

 もしそうだとしたら――いや、そうでなかったとしても。

 どちらにせよ、言えることは一つ。

「参った……にゃあ」

 負けた。

 いっそ清々しいまでの、完全敗北だった。


  ◇


「あばばばばばばばばばばばばばばばばばばば」

「オォン、根元までグッサリであります!」

「魔王ちゃんは何で白目でガクガクしてるの?」

「恐らくナイフに付与された【パラライザー】です。高レベルなエンチャントの上に、クリティカルヒットしたせいで高耐性持ちのルシエル様でもレジストできないのでしょう」

「あばばばばばばばばばばばばばばばばばばば」

「放っておくわけにもいかないか……おい、解除してやれるか?」

「効果は触れている間だけ。抜いた方が早い」

「なるほど。では、失礼して」

「あばばばば――はぷぁ!?」

 頭から何かを引っこ抜かれるような感覚と共に、意識が覚醒した。

 眼前には雲がまばらに浮かんだ茜色の空が広がり、背中には土の感触。どうやら仰向けに倒れていたらしい。

 えーっと、何がどうなったんだ?

 気を失う前の記憶が曖昧だ。

 ネリムの発動した【ホワイトミスト】で霧が発生し、目の前が真っ白になったところまではハッキリ覚えているんだが。

 ぼんやりとした思考のまま上体を起こすと、傍らに立っていたミルドが声をかけて来た。

「体のお加減はいかがですか」

「うーむ。悪くはないんだが、倒れる直前の記憶が……って何だそれ?」

「これですか?」

 ミルドが手にしていた見覚えのない短剣について指摘すると、逆手に持っていたそれを軽く持ち上げながら、

「ルシエル様の頭に刺さっていたものですが」

「あーわかった全部それのせいだわ」

 鮮明には覚えていないが、気絶する前に強烈な衝撃を食らったような気がする。

 きっとあの猫耳が最後の抵抗とばかりに投げつけてきたのだろう。その場合狙われるのは勇者のはずだが、猫耳がどの方向から来るか知らされていなかった妾の立ち位置が偶然両者の間だったようだ。

「さっきの矢と言いこの短剣と言い、今日はよく頭に物が刺さる日だ」

「上位アンデット、ならではの、受難でありますな」

「普通なら一発目で死んでるからな」

 体力バカのガリアンとはいえ、一五本もの木を切り倒す作業はそれなりに疲れたのだろう。普段なら真っすぐ立っている耳が自然と垂れており、肩で息をしながら地面に突き立てた剣に体重を預けている。

 今回の作戦の肝であった、猫耳が最後に使うであろう木の排除。さしもの勇者でも一五本までにしか絞り込めなかったようで、ガリアンには結構な重労働を課してしまった。

 そういえば、結局作戦の方はどうなったんだろう。

「あの猫耳は無事捕まえられたのか?」

「こっちにいるぞ」

 妾の問に答えたのは、ミルドたちとは反対側の方から聞こえて来た勇者の声。

 声のした方へ顔を向けた、その先には。


「…………うわぁ」

 と言うしかない、名状しがたい何かが転がっていた。

 勇者とネリムに挟まれる形で、鎖で全身を縛られた猫耳が地に伏している。

 別にそれ自体はいいのだ。しっかりと身動きが取れないように拘束されているのを見て、一方的に襲われて被害を被った身としては安心している。

 ただ、その徹底っぷりがハンパなかった。

 勇者曰く、結界効果を持つらしい鎖――防御と同時に封印にもなりうるそれが惜しげもなく投入された結果。

 猫耳は頭だけを露出して、首から下の部分をその何倍もある質量の鎖でぐるぐる巻きにされるという、明らかに過剰な拘束を施されていたのだ。

 傍から見ればそれは簀巻きやミノムシというよりか、大きくし過ぎた雪玉のようだった。塊から飛び出すように地面へと突き刺さった四本の鎖は、恐らく転がっていくのを防ぐための対処なのだろう。

 縛られている当人は特に苦し気な様子もなく、かと言って抵抗する様子もなく耳をピコピコと動かしながらボーっと宙を見つめている。

 ここだけ切り取れば幼い外見も合わさって非常に愛嬌のある生き物なのだが、その危険性を知っているのと今のビジュアルがあまりにもあんまりなせいか、素直に可愛いとは思えなかった。

「何だその顔は、何かおかしいことでもあるか」

「いやその、あれだ。いくら何でも、やりすぎなのでは?」

「簡単な拘束では抜け出されかねない。もう一度鬼ごっこはごめん被りたいからな」

「しかしだな……」

 にしたってやりすぎだろうと。

 そう思った妾がなおも食い下がろうとすると。

「――油断大敵」

「は?」

 何故か、拘束されている当の本人から窘めるような声が飛んで来た。

「獲物は手負いが一番危険。気を緩めた時が命取り。森では常識」

 一つ一つ区切るような独特な言い回しの後。

 勇者にもにた無表情な少女が、呆れを隠す様子もなく半眼でこちらを見て。

「そんなだから、何度も頭を抜かれる」

「こ、こいつ……!」

 悪いことして捕まった分際で何たる言い草!

 神妙にお縄にかかってると思えば、反省の色が一切見られないんですけど!?

「やれやれ、この猫耳は少ーし教育が足りていないようだな……」

「そう怒るな魔王。相手は子供だぞ」

「そうだよ魔王ちゃん。暴力ダメ、ゼッタイ!」

「ミー子供。社会的弱者。いじめよくない」

「お前みたいな社会的弱者がいるかっ! 勇者とネリムも何でそっちに味方してんだよお前らも襲われてただろ他にも犠牲者出てるんだろ!?」

「まあ、それについては話を聞く必要があるか」

 村から懇願された建前、流石にこっちに関しては無視できない内容らしい。

 妾の言葉に頷くと勇者は猫耳の正面へと回り込み、その場に屈みこんで猫耳と目線の高さを合わせる。


「名前と職業、それと出身は?」

 尋問というよりか、面接みたいな感じの始まり方だった。

「チット。狩人。ベスティア生まれ」

「南の獣人大国か。お前みたいな子供が、どうして国を離れてこんな東の片田舎にいる」

「強くなるため」

 おおう、何か主人公みたいなこと言い出したぞこいつ。

「故郷にはミーより強い狩人いなかった。退屈。あとご飯が滅茶苦茶不味い」

「国を出ていかなきゃいけないほどに!?」

「あれは食べ物ではない。生命への冒涜。断固許すまじ」

 無表情ながら沸々と怒りを感じられるトーンで話すチットの目はマジだった。

 どんだけ不味かったんだよ、こいつの故郷の料理……。

 その後もチットは、国を出たのは三か月前であることや、目についた森に五・六日ほど滞在しては次の森を目指して旅をしていたこと。そしてこの『シルフェの森』に辿り着いたのが四日前であることを淡々と供述する。

「四日前……やっぱり森に入った村人を襲っていたのはお前か」

「猟銃を持ってたから。同業。力比べ」

「本っ当に悪びれないなお前!」

「この世は弱肉強食。食うか食われるか。携帯食料は中々美味だった」

 真顔で語るのは、この上ない野生児的な思想だった。

 しかしそう口にした後で、急にシュンとした面持ちになる。

「そしてミー負けた。煮る? 焼く? 好きにする」

 ん? 今好きにしろと言ったよな?

 よーし、妾張り切ってお仕置きしちゃうぞー。

「別に死人は出ていないし、命まで取る気はない」

「おーい妾はー? 人間的には二回くらい死んでた妾はカウントされてるかー?」

「いいじゃん、魔王ちゃん不死身だし」

「納得いかん!」

 何だこれは差別か? アンデッドに対する人種差別か!?

 こちとら多種族国家だぞ、不当な差別問題には全力で対処する所存だぞこの野郎!

「これから村に戻るから、そこで迷惑かけた人達にちゃんと頭下げろ。お前に対する処遇はそれから話し合うことにする」

「……敗者は従うのみ」

「素直なのはいいことだ」

 がっくりと項垂れたチットを前に勇者は一つ頷き、立ち上がったかと思えばおもむろに鎖の塊へと手をかざす。

 その先に白色の魔法陣が現れ、次の瞬間にはチットを戒めていた鎖が凄まじい勢いで魔法陣へと格納されて――ってちょおま!?

「おい馬鹿なにやってんだ勇者、逃げられるぞ!」

「引きずって歩くわけにもいかないだろう。それに、こいつは逃げない」

「何を根拠に!?」

「何となく」

「説明になってねえ!」

 最後のツッコミはもはや悲鳴に近かった。

 ああもう聞いてられるか!

 妾とミルド、そしてガリアンは解き放たれたチットがいつ逃げ出しても捕まえられるように臨戦態勢に入る。

 最後の鎖が魔法陣へと吸い込まれ、晴れて自由の身となった恐るべき狩人。


 しかし妾達の予想に反し、身を起こしたチットはただ勇者の方をじっと見上げて。

「どうして?」

 それはこっちが聞きたいんだが。

 そう言いたい気持ちを押し殺して黙っていると、問われた勇者は少し考えるような素振りを見せてから口を開く。

「俺の予想が正しければ、お前は自分で決めたルールを破らないはずだ」

「……!」

「あれだけ急所を晒していたのに、狙ってくるのは腕や脚。これ以前の被害者も身ぐるみ剥がされてはいるが、重傷者はなし。どう考えても殺意がないのはわかっていた」

 目を見開くチットをわき目に、今度は妾の方をチラリと見やって。

「でなければ俺に向かって投げた短剣がこいつで阻まれたときに、あそこまで安心したりはしない。もしまともに喰らってたら、俺は間違いなく死んでいたからな」

「え、あれそんなヤバい威力だったのか!?」

 じゃ、じゃあもし妾の立っている位置が少しでもずれてたら今頃勇者は……

「生憎、腕には鎖を巻いてあったから当たったところで問題はなかったが」

「妾喰らい損かよ!?」

「まあ、これだけ執拗に不殺を貫こうとしていたんだ。そんな奴が参ったと言ったのなら、俺は信じるさ」

「……全部、お見通し。負けたの、納得」

 そう呟いたチットの表情は先ほどまでの気落ちしたものとは違い、どこかスッキリとしたものへと変わっていた。この様子を見る限りだと、当初妾たちが危惧していたような事態は起き無さそうだ。

 怒りが収まり切ったわけではないが、ここで妾が畳みかけるようにキレるのも筋違いだろう。実害を被った村の方へちゃんと謝罪と償いをすることで手打ちとしようじゃないか。

 うーん、妾って大人だなー。

「魔王ちゃんが、大人ねぇ……」

「うわまたやっちまった!? つーか何だよその生暖かい目は! 妾一七歳だぞ、お前よりも年上なんだぞ! 妾よりも胸がデカいからってチョーシに乗るなよ!?」

「落ち着いてくださいルシエル様、大人げないですよ」

「大丈夫であります、殿下はまだ成長期でありますよ!」

 ミルドとガリアンに宥められ、妾はニヤニヤ笑うネリムにキツい視線を浴びせてやりながらもどうにか息を落ち着ける。

 そ、そうだよ、妾まだ成長期だし。母上はたゆんたゆんだから、将来性抜群だし。

 焦っちゃ駄目、ステイ・クール。

 ……よし、落ち着いた。

「ふっ。今日のところは、これくらいにしておいてやる」

「あ、今のすごく悪役っぽい」

「魔王だからな!」


 ◇


 そうこう話している間に、日は殆ど沈みかけていた。

 暗くなる前には森を出たいという勇者たちとは、ここでお別れである。

 チットを捕まえるために切り倒した木に関しては、村に戻ってから彼女の処遇と併せて利用方法を話し合うらしい。大方、薪や材木に加工されることだろう。もしかしたらその辺の作業が罰になるのかもしれない。

「それじゃあ、また今度な」

「またねー」

 勇者とネリムはいつものように、馴れ馴れしい感じの挨拶をもって村の方へと歩いて行った。まあ、特段気にするようなことでもないが。決して嬉しくなんかないが。

「……」

 チットは特に何も言わず、ただ小さく頭を下げてから勇者たちの後を追っていった。謝罪の意なのかどうかはわからないが、最低限の礼儀として受け取っておくべきか。


 まあ、何はともあれ。

「や、やっと終わったか……」

 奴らの姿が見えなくなるまで見送ってから、妾はドッと押し寄せて来た疲労感を溜息と共に吐き出す。

 そんな妾に共感してか、二人の部下からも労いの言葉がかけられた。

「お疲れ様ですルシエル様」

「いやはや、今日は一日を通して大変でありましたなぁ!」

「全くだ」

 ほんと、今日は大変だった。

 本来ならば視察を終えて、午後は優雅に魔王城で過ごす予定だったのに。気づけばいつものように勇者の元へと来ただけでは飽き足らず、とんでもない狩人の捕獲作戦にも駆り出されていた。

 もっとも、気分は悪くない。小さな問題とはいえ近隣の村を脅かす脅威を払ったという達成感もあったし、その、なんだ。勇者たちとの関係を改めて見直すこともできたし。

 想定外につぐ想定外であったが、収穫は十分にあったと言えるだろう。

 さて、妾達もそろそろ帰って……あれ?

「? どうしたでありますか殿下」

「いや、何か重大なことを忘れているような……」

「そんなことありましたっけ?」

「うーん、妾の記憶違いかなぁ」

 何でだろう、思い出すのを脳が拒否しているような気がする。

 それでも何とか思い出そうと記憶を掘り返そうとしたその時だった。

「――【コール】? これは、ジラルか」

 目の前に現れた、見慣れた魔法陣。

 緑色に発行するその紋様の中心に描かれた連絡印は、ジラルのものだった。

 ……何でだろう、【コール】に出ることを脳が全力で拒否しているような気がする。

 さりとて重要な案件である可能性がある以上、居留守を使うわけにもいかない。

 正直言ってものすごーく嫌だったが、妾はしぶしぶ応答することにした。

「妾だ。どうしたジラル、何かあったか?」

『おぉ魔王様、ご無事でしたか!』

 魔法陣に触れて話しかけて早々、帰ってきたのはジラルの感極まったような声だった。

『城内のどこを探してもお見えになられなかったので、心配しましたぞ!』

「世話をかけたな。妾は今ザハトラークにはいないぞ。ちょっと用事があって遠出中だ」

 とりあえず、そういうことにしておく。

 いや実際色々あったし、嘘はついていないはずだ。

『いえ、いらっしゃらなかったのならば返って幸いです。ただ今、城内がとんでもないことになっていますのでな』

「と、とんでもないこと?」

 これ以上はいけないとばかりに脳内で警鐘が鳴り響くが、責任者として部下の報告を聞くことは義務だろう。目を背けてはいけない。

 しかし、今日の【コール】は大分雑音が混じってるな。遠くの方からガサガサやらブォーンとか、生理的に受け付けない音が多数聞こえてくるんだが。

 あ、ヤバい。何か思い出してきた。

『どうやら『蟲の間』より大量のモンスターが脱走したようでありまして、城中が大パニックになっているのです』

「……ヘー、ソーナンダ」

 嗚呼、思い出した。

 そうだよ虫だよ。魔王城がムシムシパニックなんだよ。

 完全に現実逃避してたわ。

『儂自身も先ほどまで書類仕事に集中していたため対応が遅れてしまい、恥じ入るばかりでございます……ところで、ミルドとガリアンがどこにいるかご存知でしょうか? あ奴らはこの緊急時に、いつになっても姿を現さないのですが』

 咎めるような声に、名指しで呼ばれたミルドとガリアンの肩が一瞬震える。

 うーん、これはフォローするべきだよな。ガリアンは半ば巻き込んだようなもんだし、ミルドはもはや確信犯だけど今日はティータイムに追い込み漁と大活躍だったし。

 何より、ここでこいつらを差し出したら間違いなく妾も告発される。それだけは避けねばならない。

「ミルドとガリアンは妾が引き連れている。どうしても人手が必要だったから、手隙だった二人に声をかけたんだ」

『おや、そうでございましたか。これはご失礼を』

「気にするな。……で、妾達はどうしたほうがいい。加勢は必要か?」

「「!?」」

 側で話を聞いていた二人が凄い目でこっちを見てくるが、妾にも立場がある。

 ジラルがこのタイミングまで騒動に気づいていなかったとなると、ガリアンが妾の元へ報告しに来た時よりもひどい惨状になっていることだろう。将軍不在の魔王軍とジラルだけでは手に余る問題かもしれない。

 これでもジラルを一人だけ置いてきたことには罪悪感を感じていないでもないのだ。上に立つものとして、部下の身を案じ助力を申し出るのは義務である。

 ガリアンが何か言いたげな視線を向けてくるが、無視する。そりゃ妾だって初めは逃げようとしたけど、今は責任と向き合ってるんだよ。本当だよ?

 安心しろ。もしジラルからヘルプがかかったらお前らも連れて行ってやるから。し、死ぬときは、一緒だからな。

 というわけで妾は若干震えながら死刑宣告――もといジラルの返事を待っていたのだが。


『いえ、それには及びません。魔王様もお勤めの後とあればお疲れでしょう』

「えっいいの? ――い、いやしかしだな! お前一人に無理をさせる訳には……」

『このジラル、生涯現役を座右の銘としておりますのでな。数が多かろうと所詮は虫、片づけることなど造作もないですわい』

 ……やだ、このおじいちゃんカッコいい。

 妾が生まれる前――それこそザハトラーク建国当時から父上を支えて来た敏腕とは知っていたが、まさかここまで頼もしい存在だったとは。流石モテた男は違う。

『今夜は宿を取っていただくのが無難でしょう。そちらにいる二人は護衛として残しましょう。最近は治安が良いとはいえ、国外ともあれば油断は禁物ですからな』

 これには二人もガッツポーズ。

 よかったなお前ら。これで真実は闇へと葬られたぞ。

 いやーめでたしめでたし!

「わかった。ではよろしく頼……ん?」

 どこか晴れやかな気分で通信を切ろうとして、妾はふとジラルの発言に違和感を抱いた。

 外泊に伴い護衛として二人を残すという理屈はわかる。いくらザハトラークの治安が良いとはいえ、妾程の地位の人間が誰も引き連れていないのは流石に不味い。

 だが、あいつ今「国外」って言ったよな?

 妾、魔王城には戻らないけど国には帰る予定なんだが。

 それに、一日がかりというのもおかしな話だ。

 虫系モンスターはビジュアルこそ最悪だが、強さ的にはそれほどでもない。いくら魔王城が広いとはいえ、閉ざされた空間である。人海戦術を駆使すればそこまで時間はかからないはずだ。

 嫌な予感がしてきた。

「えーっと、ジラル?」

『いかが致しましたか』

「現在の状況を、より詳しく教えてくれないか?」

『はっ。では、申させていただきます』

 ――妾は、この時ほど「聞くべきではなかった」と後悔したことはなかった。


『現在、魔王城よりあふれ出た虫共が市内へと流出。魔王軍の指揮を引き継ぎつつ、全面的な掃討作戦へと移行しています』


  ◇


「お前らが何でここにいるんだ」

「……何も聞かないでくれ、何も」


 結局、妾達は勇者のいる村で宿を取った。

しかも隣の部屋だった。部屋を出たときに鉢合わせた時は滅茶苦茶気まずかった。

 その日の夜、妾は悪夢にうなされた。ザハトラークが虫に支配される夢だ。この夜を妾は二度と忘れないだろう。

 そんなこともあったから、朝になってジラルから「掃討完了」の通知が来た時には思わず涙が出そうになった。

 そして妾の帰宅後、全会一致で魔王城三階『蟲の間』の解体が正式に決定された。もっと早くやっとけばよかったのにね。

 

 こうして、長きに渡る戦いが本当に終わったのであった。

 良い子のみんなは、ダンジョンの管理をしっかりしなきゃダメだぞ!

外道系猫耳狩人のチットが勇者パーティーに加わった!

果たして、魔王様のSAN値は持つのか?

後日談に続く!

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