27 ザハトラーク建国物語(3)
前回の比較にジラルが入ってないやんけ! はーつっかえ!
才能:ネリム>超えられない壁>ミルド>アルベリヒ=アーシア≧ジラル>ルシエル
戦闘力:アルベリヒ>ミルド=ジラル>アーシア>ネリム≧ルシエル
ぶっちゃけ現在の勇者パーティーですら竜神の谷まで行って帰ってこられるのは二人だけなので、ジラルは普通に強者側です。伊達に生涯現役は掲げていない。
何もかもが不愉快だった。
理不尽な理由で一族を迫害してくる人間共。それに粛々と甘んじ声を上げもしない同胞。力だけは有り余りながら、現状をどうすることもできない自分自身すらも。
蔓延する鬱屈した空気や長としての重圧に耐えられず、衝動的に集落を飛び出した。独り森を出て人里へと下ってからも、結局待っていたのは鬱屈した日々だったが。誰にも受け入れられることなく、ただ道を歩いているだけで一方的に因縁を付けられ、次には拳か石が飛んできた。
振るわれた暴力へ当たり障りのない対処をしていく内に、沸々と疑問が湧いてくる。
何故同胞たちは、こんなにも弱い種族に排斥されているのか。何故この劣等共は、弱者の分際で自分たちが世界の中心であると信じて疑わないのか。
疑問は怒りへと変わる。あしらう程度だった対処も、いつしか相手が許しを請うまで打ちのめすほどに過激化していった。散々に自分たちを虐げてきた者の惨めな姿を見ていると溜飲が下がり、これこそが正しい光景なのだと確信を深めた。
君臨すべき強者はどちらなのか。真に排斥されるべき弱者はどちらなのか――
「やぁ、君が噂のダークエルフかい? 最近この辺りで、随分と好き勝手しているみたいじゃないか」
そんな下らない問答に答えを示してくれたのは。
根城としていた酒場に護衛も連れず乗り込んできた、一人の王だった。
◇
「――ぐぅっ!?」
どうやら、一瞬意識が飛びかけていたらしい。
落下の衝撃と痛みで覚醒し、ほぼ反射的に柱の陰へと転がり込んだ。間髪開けず飛来してきた光弾が直前まで私がいた場所を通過し、石造りの床を赤く熱する。
戦闘開始から五分ほど経ったが、明らかに最初と比べて一撃の威力がおかしい。多少手荒に扱っても壊れない玩具と認定されたようだ。過分な評価に涙が出そうになる。
戦況は最悪と言っても過言ではない。
私がミルドに向かって放つ魔法は全て【ドラゴンフライ】の超機動力によって躱され、逆に向こうから放たれる魔法は凄まじい追尾性をもって私を追い詰めてくる。逃げに徹していなければとっくの昔に致命打を受けて倒れていただろう。
柱が多く生えた地形の助けもあり、今のところは凌げている。しかしこのままでは体力と魔力を削られるばかりで、到底勝利など望めない。万が一の保険も用意してるが、所詮は一時しのぎにしかならないだろう。
こちらが限界を迎えるか、ミルドが遊びに飽きるか。
どちらにせよ、そう遠くない未来に勝負はついてしまう。
「おのれ……まさしく人の形をした竜だな」
他の生命など歯牙にもかけない、生態系の頂点。
半分ヒトの血が混ざっていようとも、その脅威は欠片も薄れていない。
「さて、どうするか」
恨み言もそこそこに、私は打開のための策を練る。
心はまだ折れていない。誰に似たものか、随分と往生際が悪くなった。
ただ、考えれば考えるほど状況は行き詰まっている。
「魔力の量も制御も相手の方が上。こちらの攻撃は当たらず、相手の攻撃は避けづらい。こちらはギリギリで、相手は手加減している……うーん、これはひどい」
正直に言っていいか。やはり無理なのでは?
……いやまだだ。まだ諦めるには早い。ちょっと状況が絶望的で反撃の目がないだけだ。ここから一発逆転の手が閃いて――
「出てきて」
「うぉぉぉおおおっと!?」
アイディアが閃くより早く、眼前で光が閃く。
爆風に背中を打たれながら柱の陰を脱出し、飛行魔法で飛び出す。もはや走っていてはまともに逃げることもかなわなかった。振り返れば、周囲に無数の光弾を伴ったミルドが付かず離れずの距離を保って私を追いかけてきている。
あの光弾一つ一つに魔法が込められており、必要に応じて瞬時に展開するのがミルドの戦闘スタイルらしい。たった一人で魔法による飽和攻撃を可能としており、機動力も相まって中・近距離ではほぼ無敵に近いだろう。
とにかく、攻勢に移れなければ話にならない。
せめてあの機動力さえどうにできれば……もしくは、私が彼女のスピードに追い付くことができれば。
「言うのは易いが実行に移すとなると――っ!」
悪寒に従い真横へと舵を切った。矢の如く放たれた雷撃が肩を掠め、痺れるような痛みが全身を駆け巡る。
……もう回避もままならなくなってきたか。
いよいよ、覚悟を決めなければいけないらしい。
「くそっ……!」
私は更に距離を取ろうとしたが、大きく体をもつれさせる。傍から見れば、先の一撃によるダメージが抜け切らずバランスを崩したように見えるだろう。
無論、わざとだ。
少々あからさま過ぎたかもしれないが、ミルドはこれ幸いにと距離を詰めてきた。必殺の威力が籠った光弾が妖しく輝きながら、私を照準してくる。
目の前にちらつく敗北の二文字。逸る気持ちを抑え、タイミングを待つ。
まだだ。まだ……まだ…………――
「――【ディスペル】!」
「……!」
ミルドが魔法を発動しようとした瞬間、私はそこへ介入した。不発に終わった魔法が解けて消えていく様に、初めてミルドの目が見開かれる。
これまでただ逃げ回っていたわけではない。逃げる傍ら、彼女がストックしていた魔法の解析をしていたのだ。
【ディスペル】は相手が発動しようとしている魔法を事前に察知した上で、発動寸前に滑り込ませて初めて発動する。条件は厳しいが、成功させすればたとえ最上級魔法であろうと問答無用で破壊できる。
そして……【ディスペル】を受けた直後は、破壊された術式の干渉により数秒間新たに魔法を行使できなくなる!
勝機はここにしかない。
術式破壊と並行して編纂していた魔法も完成した。今ほど落ち着いていない頃、あの方と酒を飲み交わす傍ら考案した、至近距離で最大威力を発揮する魔法。今思えば悪ノリの産物でしかなかったが、その威力は最上級魔法に匹敵する。
胎動するほどに高まった魔力が、杖を手にしていない右の拳へと収束。手の内から生じる熱と輝きは、さしずめ恒星を握り締めているかの如く。
光って唸り輝き叫ぶ拳を振りかぶり、私はミルドとの距離を詰め――叩き込む!
「食らえ必殺! 【シャイニングフィ――」
「あ、それ以上はいけない」
――景色が回った。
側頭部を打ち抜いた衝撃が、視界ごと全身を揺らす。
何が起きた――己が身に起きたことを自覚する猶予もなく、答えが眼前に迫る。
「パパが言ってた。『大人の事情に気をつけるんやでー』って。よく知らないけど」
曖昧な思考でなくても理解できそうにない文言を述べながら、ミルドの体が空中で翻った。既に発動していた飛行魔法を巧みに操って放つ、剃刀のように鋭い蹴り。
おい、それってありなのか――
疑惑の判定を訝しむ中、再び衝撃が脳を揺らし。
明滅していた私の意識は、完全に闇へと呑まれていった。
「く、そ……」
負けた。
生まれて初めて負けた。本来の土俵ではない単なる殴り合いの結果だろうと、敗北であることには変わりなかった。
しかも、負けた相手がよりにもよって。
「はぁ、はぁ……はは、久々にいい運動になったかな」
仰向けに倒れた俺を見下ろす、嫌みなほどに整った姿をした白いエルフ。同じエルフでありながら迫害を受けず、のうのうと暮らしている温室育ち。向こうも端正な顔の所々にあざを作っているが、それすらも完成された美を際立たせるアクセントにしかなっていない。
因縁をつけられた時点では負けるなどとは思いもしなかった。
しかし現実は違う。互いに酷い有様だが立っているのはあいつで、倒れているのは俺だ。
訳が分からない。一体奴と俺との間にどれほどの差が……。
「ほら、立ちなよ」
「……何のつもりだ」
「拳で語り合ったんだ。僕らはもう友達だろう?」
「戯言を」
「僕は本気なんだけどねぇ……よっと」
差し伸べられた手を全力で払いのけられればどれだけよかったか。
しかしそれをする体力すらなく、床に垂れていた手を強引に取られ操り人形よろしく引き起こされる。死にたくなるくらいに惨めな気分だ。
そもそも、このエルフは何がしたいんだ。名乗りもせず急に喧嘩を売ってきたかと思えば、人を散々に殴り倒した挙句に友達だと宣い始めた。
俺からすれば、白いエルフなど存在そのものが忌々しいというのに。
「何がしたいんだって顔をしているけど、僕の方こそ君に聞きたいことがあるんだ」
恨みを込めた視線を柳のように受け流し、奴は笑顔のまま言う。
「封呪の番人……アシュタ一族の長がこんなところで何をしているんだい?」
それは。
直接振るわれた拳以上に、深く胸の奥を抉った。
「どうして長たるものが纏め上げるべき同胞を蔑ろにしている? 狂犬のように誰彼構わず噛みついて何の意味がある? 君の行動で誰が救われる?」
矢継ぎ早に放たれる言葉一つ一つが、致命の威力を持っていた。淡々と連なるそれらは、責務から逃げた者に対する明らかな糾弾だった。
相手が何故自分の出自を知っているのかという疑問すら浮かばないほどに、精神は激しく揺さぶられていた。
「再度問おう。君は何がしたいんだい?」
「……お前に、何がわかる」
吐いて出たのは、あまりにも弱々しい声だった。
もはや叫ぶ気力すらなく、ひび割れた心の隙間から内に留めていたものが流れ出る。
「努力したんだよ。どうにかしようと力を尽くしたんだ。でも……どうにもならなかった。同胞たちの顔は一度たりとも上がらなかった。無意味だったんだ、全てが……」
逃げた。逃げ出した。
責務から逃れ、罪悪感から目を逸らし、八つ当たりのように暴れ……果てには、色は違えど同じエルフに罪を咎められている。
俺は、何がしたかったんだろう。
俺は……どうすればよかったんだろう。
「部外者の僕が全てを理解したというのは、あまりに烏滸がましいだろうけど」
「……」
「本当に君のしていたことは無駄だったのだろうか」
……顔を上げる。
俺を見下ろすエルフの佇まいは、俺にはない自信に満ちていた。俺に向けられる表情には、万物を分け隔てなく照らす太陽のような温かさに満ちていた。
「下を向き続けていたのは君もじゃないのかい? 君は本当に同胞たちの顔を正面から見たことがあったかい?」
「何を、言って」
「一度帰ってみたらどうかな。こんなところで項垂れてないで、しっかり前を向いて」
「……今更、合わせる顔など」
「当たって砕けるつもりで行ってみなよ。もし駄目だったらヤケ酒くらい付き合うからさ」
他人事だと思って、簡単に言ってくれる。
だが奴の言っていることも一理あった。
未練がましく残してきた同胞を想うくらいならば、いっそきっぱりと拒絶された方が楽になるかもしれない。
どうせ失うものなんてない身だ。
同胞らからの糾弾も弾劾も、全てを甘んじて受け止めてこよう。
歩ける程度の体力が回復するのを待ち、根城としていた酒場を去る。
奴には何も言わずに出発した。ああ言ってはいたが、どんな結果になろうともここに戻ってくる気はない。命の使い道は既に決まっていた。
受け入れられなかろうと、ただ一人のはぐれとして彼らの万難を排するのだ。例え竜であろうとヒトであろうと……この命が尽きるその日まで。
……だが、数年ぶりに集落へ帰った俺を待っていたのは。
「族長!? よくぞ、よくぞお帰りになられて!」
「ご帰還を心よりお待ちしておりました……!」
――言葉が出なかった。
俺は上に立つものとしての責任を放棄し、同胞たちを裏切った。罵られ、誹りを受けて当然だと思っていた。
なのに、何故だ。
何故彼らは、こんなにも……。
「我々は何もかもを族長に押し付けておきながら、境遇に嘆くばかりで感謝の意すら碌に示すこともできず……見限られて当然でした」
「族長が去られて初めて気づきました。我らは日の当たらぬ闇の中に沈んでいたのではなく、貴方様という大樹の木陰で守られていたと……ですが、それすらも間違っていた」
「ジラルディア様は大樹にならざるを得なかったのですね。私たちが不甲斐ないばかりに、心身を擦り減らし続けて……」
投げかけられる言葉の一つ一つが、ひび割れた心に染み込んでいった。
同胞を守るのは長の責務。そこに伴う苦悩は生じて当然のものであり、理解される必要はないと思っていた。
……今ならわかる。あいつの質問に答えられる。
俺はわかって欲しかったんだ。
長としての苦しさを。辛さを。他ならぬ同胞たちに理解して欲しかった。
早くに声を上げるべきだったんだ。一人で抱え混んで、逃げ出したくなるよりも前に。
俺と同胞たちは同じだった。
俯いたまま相手を見ていなかったのも、そのことを後悔し続けていたのも……。
「どうか、今一度我らに機会を与えてくださいませぬか?」
「一族皆で木陰を築きましょう。ジラルディア様を含めた一族全員が憩える木陰を」
彼らは俺を理解し、待ち続けてくれていた。
感謝。罪悪感。歓喜。
今までに失っていた感情を一度に取り戻した俺は――
「……っぁ」
「ありがとう……すまない……っ、ありがとう……っ!」
ただそれらを、滂沱の如くあふれる涙ごと吐露することしかできなかった。
――起きろ。ジラルディア=アシュタロス!!
「――っぉお!」
火花が散った。
全身を駆け巡る激痛に引きずり出された意識が、体と脳の接続を回復させる。背中から落着する寸前、無詠唱で発動した風魔法をクッション代わりに吹かせ宙返り気味に体を立たせる。慣性を殺しきれず足から着地した後も数メートル後ずさった。
状況は…………把握できている。
私はミルドに【ディスペル】をかけ反撃に転じようとした矢先、強烈な蹴りを食らった。死なないよう加減されてなお意識を刈り取って余りある威力だったが、うまく保険が機能してくれたらしい。
意識の消失をトリガーにして発動する微弱な雷撃魔法を仕込んでおいたのだ。たった一度きり、しかもダメージ量によっては起きれる保証もなかったが。
果たして目覚めることができたのは保険のおかげか、それとも柄にもなく人の名前を正しく叫んだ誰かのおかげか。
どちらにせよ目は覚めた。あぁ、完全に覚めたとも。
やっと理解できた。この戦いへ臨む前、ヴェリアルが言っていたことだ。
全力を出せ手抜きをするななど、言われるまでもない忠告だと思っていた。そんな余裕は今までなかったし、常に全力を出してきたと……そう思い込んでいたのだ。
……実際は全くの逆だ。
私は真の意味で全力を出しては来なかった。もはや自分では気づけないほど自然に、自らの力にセーブをかけていたのだ。
魔力による肉体の活性……非力な老体を無理やり酷使するための苦肉の策だった。一族の長となった日から、一度たりとも解除したことがない。もはや負担を意識することもなかった。
余裕がなかったなどと、何て思い上がりだ。
余裕があったからこそ、私はこの姿のままここまで来れたのだ。
一族を守る大樹になれなかった私を支えてくれた同胞ら。数奇な出会いを経て、同じ理想を抱き共に戦ってくれた仲間たち。
彼らがいてくれたからこそ、私は本気を出さずに済んでいた。
「全く、奴にはどこまで見えて……いや、他人だからこそ気づけたこともあるか」
「何をぶつぶつ言ってるの?」
「独り言だ、気にするな……そういば襲ってこないが、どういう風の吹き回しだ?」
ミルドは私を蹴飛ばした位置から動いていない。追撃をしてくる様子もなく、こちらの出方を伺っているようだった。
私の問いに対し、彼女は少しだけ考える素振りを見せてから。
「……もう終わったかと思った」
「実際意識は刈られていたからな。二度目はないだろう」
「それに、何だか嬉しそう」
「そうだな……大切なことに気づくことができた」
「蹴られて嬉しかったことに気づく……あっ」
「違うお前が想像していることは断じて違うだから引くな!」
流石にそこまで闇の深い性癖に目覚めたりなどしていないわ! 空中で器用に後ずさりおってからに!
「とにかく、今までと同じだとは思ってくれるなよ」
「何か変わるの?」
「あぁ、変わるさ。そして……変えて見せるとも」
私は己の胸――心臓の直上に手を当て。
一呼吸置いた後……唱える。
「【ディスペル】」
肉体へ常駐し、私の意思を離れて発動していた魔法……【ネクタル】を解除した。
変化は途端に訪れる。
若々しい張りのあった肌には幾重にも皺が寄り、銀の髪からは艶が抜けて白髪に近づいていく。衰えた筋力ではダメージを追い続けた肉体を支えきれず、杖に体重をかけなければ立つこともままならない。
変化が落ち着いたころには、息も絶え絶えになってしまっていた。
全く、年は取りたくないものだな……!
「老けた?」
「年相応の姿に戻ったんだ……あるべき姿にな」
自分の喉から出てきたしわがれた声に少しだけ驚くが、妙にしっくりくる。
無理をして保っていた若い姿は、愚かな私の象徴だった。一人で何もかもをどうにかしようとしていた、愚か者の姿だ。
杖然り同胞ら然り、何かに寄りかからなければ立ちあがれないこの姿こそ本来の……等身大の私と言えるのではないだろうか。
無論それだけではない。
ただ弱体化するだけでは、年を取った甲斐がないというもの。
「そう。なら老人には優しくしろってパパも言ってたし……優しく折ってあげる」
言うが早く、ミルドは真っすぐ私に向かって飛翔してきた。既に【ディスペル】の影響は消えたらしく、再び無数の光弾を携えて。
このままでは物理的にへし折られてしまいそうだ。老いさらばえた体では、猛スピードで突っ込んでくるミルドにそのまま体当たりされただけで沈む。回避もできそうにない。
ならば……あの速度に追いつくまでのこと!
「地は我を縛るに能わず。空は我を塞ぐに能わず。飛び立て、天翔ける竜が如く――」
「【ドラゴンフライ】!」
――飛んだ。
抑え込んでいた魔力を解放。暴風のように吹き荒れさせながら私は音を超える。
無意識下に消費していたリソースの全てを魔術の制御へと傾け、これまでの倍以上に膨れ上がった魔力の手綱を握り締める。
その速度は――僅かにミルドを上回った。
「っ――!?」
背後を取られたミルドの反応はこれまでにないものだった。
ストックしていた光弾がまとめて解放され、無数の炎や雷が迫る。大量の上級魔法による波状攻撃は、先の私だったら対応できなかっただろう。
だが、今なら!
魔法が到達するよりも早く後退し、ミルドから大きく距離を取る。
攻撃を逃れられ、且つ高速で移動する標的を補足可能な機動力を得た。
ならば、行使する魔法は一つしかない。
「……黒き森の番人・アシュタロスの名においてここに命ずる」
「させない!」
危機を察知したのかミルドが距離を詰めながら追撃を放ってくる。しかしそれらが私を捉えることはない。
若い肉体を維持するために百数十年もの間体内へ留めていた魔力。その半分近くをつぎ込んで発動した【ドラゴンフライ】は、追いすがるミルドや魔法より辛うじて速度で勝っている。
「咎人らよ、汝らの罪業より出でし闇に飲まれ潰えるべし」
紡ぎだすはアシュタ一族に伝わる秘術。囚われたものを永劫へと閉ざす。
破れるものなら破って見せろ。
この一撃をもってして私の覚悟を未来へ――ヴェリアルへと繋げる!
「永遠に――【エーヴィヒカイト】!!」
闇が噴出した。
「うっ……!?」
影そのものが実体を得たかのような闇色の鎖が、ミルド自身から生じ彼女を戒める。
【エーヴィヒカイト】は封印魔法だが、同時に呪いとしての性質も持つ。呪いは発動にさえ成功すれば、即座に効果が表れる。基本的に回避は不可能だ。
故に、封呪。
「くっ……ぁあ……!」
ミルドは今まで内に秘めていた魔力を開放して強引に突破を図っているようだ。しかし、それは逆効果である。
この封印は相手自身の魔力を吸い上げ縛りをより強固にする、魔導殺しの縛鎖。
魔力が切れるまでひたすら強度を増していく封印だ。いくら竜神の娘だろうと、この魔法から逃れられない。
案の定魔力の開放が仇となったのか、ミルドから放たれる魔力が急速に落ち込んでいった。全身を縛る鎖の強度は相当なものだろう。
ミルド自身がそこまで非力とは考えていないが、流石にあれほどまで強まった封印を強引に破ることなど不可能だ。
「――ァ」
……不可能、だよな?
「ぁ、ァぁ……ガッ……」
不可能……な、はず。
いや待て待て、明らかに様子がおかしい。ミルドが幼気な子供らしからぬ唸り声上げ始めてるし、ていうか段々ミルド自体が大きくなってきているような?
嫌な予感は、すぐさま現実のものと化した。
「ガッ――ァァァアアアアアアアアア!!」
「おいおい嘘だろ!?」
ここにきてあまりに現実離れした光景を前に、私は瞠目した。
瞬く間にミルドがヒトの形を失い、その姿を異形へと変じさせる。父親とよく似た――ただし父親よりふた回りほど小さな竜の姿に。
それでも元の子供の状態と比べて遥かに巨大だ。ミルドを縛る戒めの鎖は激しく軋み、次の瞬間にはバラバラに弾け飛んでしまった。
私の魔法の性質を見破るや魔力の放出を断ち、更には竜化に伴う巨大化によって物理的に引き千切ってくるとは……!
呆けている場合ではない。
もう一度封印を――
「ァァァァアッ!」
短い咆哮。
吹き寄せる風。
迫りくる爪。
あまりの速さに断片的にしか認識できなかった情報が、際限なく加速する思考の中で一つの像を結ぶ。
高速接近からの単純な殴打。当たれば必死。回避は不可能。
あ、これ死ぬやつ――
「はいストップ」
確定しかけた敗北は、横から割り込んできた軽薄な声にかき消された。
「ふぇ――ふぎゅっ」
変化した時と同様、ミルドの姿が巨大な竜から元の少女へと一瞬で戻る。明らかに本人の意思とは関係がない様子で、突進の慣性すらなかったかのように落下した。
「駄目やでぇミルドちゃん。さっきのキックは飛行魔法の応用ってことで許したったけど、流石に竜化してぶん殴るのはアカン。完全に致命打やし、それ以前に魔法やないし」
いつの間に移動していたのか、イシュトバーン殿がこちらへ歩み寄りながらミルドへ言葉を投げかけている。
あの蹴りは許される範疇だったのか? 一応魔法を用いた肉体運用ではあったが……納得いくようないかないような。
「魔法以外の攻撃はダメって言ったやろ? だからこの勝負はミルドちゃんの負けやで」
「だ、だって――」
「だっても何もあらへん。ルールは守って遊びましょうっていつも言ってるやろ? ルールってのは物事を長く楽しむためにあるんや」
軽々しい調子とは裏腹に、ミルドを諭す言葉には妙な重みを感じた。
「ルール無用で好き放題してるとな、誰もついていけなくなるねん。そんでみんなどっか行って、暴れてた連中もすぐ飽きるか死ぬかして……最終的になーんも無くなってまう」
「まるで見てきたように言いなさる」
「そりゃ実際見てたからなぁ。ミルドちゃんだってほんの数日だけ目一杯遊んで、その後は一生一人ぼっちなんて嫌やろ?」
「……いや」
「せやったらルールはしっかり守らんとな。それと、悪いことしたならしなきゃいけないこともあるやんな?」
「ルールを破って……ごめんなさい」
「おーよしよし、ちゃんと謝れてミルドちゃんは偉い子やでぇ。ほれ、ついでにあっちのじっちゃんにも謝ってきや」
ミルドの頭をクシャクシャと撫でながら、イシュトバーン殿は私を親指で示してくる。
誰がじっちゃんだと思ったが、確かに今の私は老人の姿だった。いつまでも若者気分ではいかんな。まずは形から入ってみるか? 口調をそれっぽくするとか。でも急に儂とか言い出すのは違和感しかないぞ……ああいうのって自然に出てくるものなのか?
どうでもいいことに頭を悩ませていると、ミルドが私に向かって小さく頭を下げてきた。
「物理的に殺そうとしてごめんなさい」
「……まぁ、未遂だしな。次からは気を付けてくれ」
などと言っておいてなんだが、これを許すって少し器が広すぎる気がした。
ていうか次って何だ次って。できれば一生遠慮させていただきたい。
だから再戦に燃えてそうな力強い表情をしないでくれ。いや殆ど無表情なんだけども。
「うん、次はちゃんと勝つ」
「あ、あぁ……」
あーもう次はないとか言えない雰囲気だよ。
せめて再挑戦は、ミルドが常識や節度を身に着けてからにして欲しいものだ。
……将来のことはともかくとして。
「何とか首の皮一枚つながったか……」
それを事実として受け止めた途端、達成感と共にどっと疲労感が押し寄せて来るのだった。
◇
「中々いいツラになったじゃねえか」
疲労で重い体を引きずって戻ってきてみれば、開口一番これである。
「それは嫌みか?」
「バーカ、純粋に褒めてんだよ。サーベラスもそう思うだろ?」
「精悍ながらも生きてきた年月が刻まれた良い姿である!」
「手放しで褒められるのは逆に反応しづらいな……」
正直鏡を見てみないことには自分の現状を完全に把握できない。別に急ぐことでもないし、そもそも見た目事態に対して頓着していないのだが。
今は私の外見より重要なことがあるはずだ。
「不格好ではあったが、勝ちは勝ちだ。後は……ヴェリアル、お前に任せる」
「おう、任されてやるよ。俺様がズバッと締めて来てやるぜ」
迷いなく返答するヴェリアルの態度は自信に満ち溢れている。
しかし、そう上手く事が進んでくれるだろうか。
不安を真っ先に口にしたのは、やはりサーベラス殿だった。考えを口に出さずにはいられない性分なのだ。
「さりとて相手はあの竜神……如何に閣下と言えど、勝算はあられるであるか?」
「さーな。結局のとこイシュトバーンがどんな勝負を持ち掛けてくるか次第だが、何がこようと俺様のやることは変わらねえ」
「全力でぶつかる、だろう。お前はそればかりだな」
「おうよ、俺様はいつだって全力だ。手抜きを覚えると肝心な時に痛い目見るからな」
イヤミか貴様。
全く、憎まれ口を叩く余裕があるならこれ以上心配するのも野暮か。
自分の戦いを終えた私にできることは、精々気負いなくこいつを送り出してやることくらいだ。
「さっさと勝ってこい。我々にとってここは通過点……そうだろう?」
「違いねえ」
ヴェリアルはニヤリと笑い、我々へ背を向ける。その後ろ姿には敗北への恐れなど一切存在せず、ただひたすら勝利へ向かう意思に満ちていた。
奴が歩いて向かっていく先には既にイシュトバーン殿が待ち構えていた。ヴェリアル同様、佇まいから表情に至るまで自信に満ち溢れている。あちらの場合は何の掛値もない強者のそれだ。最強の竜からすれば我々など地を這う蟻に等しいだろう。
それでもヴェリアルなら或いは……そう思わずにいられなかった。全く根拠はないが。
「いよいよ最終決戦やなぁ。正直ワイらの二連勝でおしまいと思ってたんやが、存外面白いものが見れてめっちゃ気分ええで」
「そりゃよござんした。御託はいいからさっさと始めようぜ」
「つれないやっちゃなぁ。んで、勝負の内容やな。うーん、どないしようかな」
どうやらルールを全く考えていなかったらしい。三本勝負が始まってから結構時間あったのに……。
イシュトバーン殿はあーでもないこーでもないと散々悩んだ末、結局。
「あー、もう考えるのめんどなってきた。この際やし、最後のルールはそっちに任せるわ」
「え、いいのか?」
「ええよええよ、何ならお仲間と相談してもええ。どんなルールでも負ける気せえへんし」
余裕か! いや実際余裕何だろうが、いざああして態度で示されると無性に腹立つな。
だが、これはチャンスだ。ルールをこちらが決められるのなら、最大限有利な条件を突きつけることだってできるはず。あれだけの大言を吐いた手前、不利だからやはり無しとは言わないだろう。
そうと決まれば、まずヴェリアルと合流して作戦を――
「じゃあ何でもありのデスマッチで」
「って何勝手に決めてんだバカタレェェェェェェエエ!?」
とんでもないことを言ってくれやがったヴェリアルのもとへ全速力で駆けつける。
あ、やばい息が切れる……年取ってたの忘れてた。
「お、おま、お前……っ!」
「おいおい無茶すんなよジラル。急に走ると血圧上がるぞ?」
「誰のせいだと、思ってる……!」
動悸が収まるまでしばらく待ってから、私は抗議を再開した。
「相手が最大限の譲歩をしているのに平然とかなぐり捨てる奴があるか!?」
「おう、だから一番都合がいいルールにしてやったぜ」
「どこがだ! 相手は竜であるのに加えて亜神だぞ、もっとルールを利用して力を縛らなければ勝ち目は――」
「それじゃ意味がねえだろ」
あまりにもハッキリと告げられ、私は思わず口を噤んだ。
ヴェリアルは真っすぐにイシュトバーン殿を見据えていた。そこには絶対的な強者を前にした恐怖も畏怖もない。
私やサーベラス殿へと向けるそれと同じ――対等な者へと向ける目だった。
「竜だろうが神だろうが関係ねえ。俺様たちが作ろうとしてるのはそういう国だろ?」
「……!」
「本気になったあいつに床舐めさせて、上っ面の言葉じゃねえって証明してやろうぜ」
「……あぁ、そうだ。そうだったな」
勝負で勝つのに必死だったあまり、大切なことを見失いかけていた。
見下すのも見上げるのも、もううんざりだったんだ。ヴェリアルのように、誰もが真っすぐに相手を見られる国を作りたい。そのためにここまで来たのだ。
それに私もサーベラス殿も、更にはレティス殿やミルドも。これまで戦った全員が最終的には本気で戦っていたんだ。今更手加減してくれと頼むなんて、お門違いにも程がある。
「あともう一つあるぜ、理由」
「もう一つ? 何だそれは」
私が尋ねるとヴェリアルは、それはそれは意地の悪い笑みを浮かべて。
「本気であいつが悔しがるところ、見たくねえか?」
「それは……絶対に見てみたいな」
全く想像はつかないが、見てみたいかと言われたら絶対に見たい。
成程、互いに本気という条件なら負けた後言い訳もできないわけだ。素晴らしい。
「よしいけヴェリアル。向こう数百年はトラウマになるくらい叩きのめしてこい」
「……お前って意外と血の気多いよな」
最後の方は若干ヴェリアルが引いていたような気もするが、気のせいだろう。
憂いの晴れた気分で私はサーベラス殿の元へ戻り、開戦の時を待つ。
「ほ、本当に閣下は大丈夫であるか?」
「大丈夫だ。ヴェリアルを信じろ」
結局のところ、我々にできるのはそれだけだ。
向こうでは、これから戦う二人が最後の確認を取り合っていた。
「話は纏まったようやな。せやけど……ホンマにええんか? 勝ち筋を作る最後のチャンスかもしれなかったんやで」
「そのセリフそっくりそのまま返してやらぁ。アンタこそ負けた時の言い訳を今のうちに考えておけよ」
「せやなぁ。ほな、ジブンがワイに一発でも攻撃を当てられたら考えるとするわ。どうせ無理やろうけどなー」
……ほぼ煽りあいだな。互いに笑顔だが内心どうなっているやら。
散々売り言葉に買い言葉を重ねた二人は、最終的に語彙も枯れ果てたらしく「バーカ!」「ターコ!」などと実に大人げない捨て台詞を吐きながら互いに距離を取る。
「本気をご所望ということやし……戻っとこか」
人の姿になった時と同じく、元の姿に戻るのも一瞬だった。
竜化したミルドよりも遥かに巨大な、翡翠の鱗を纏った竜が出現する。あれだけ残念な中身を見てきた後だというのに、その威容から放たれる重圧は微塵も薄れてはくれない。
あれに勝てるのか……出かかった言葉を私は飲み込む。決して勝算はゼロではないはずだ。
両者を隔てているのは、イシュトバーン殿が爪を振るえばちょうど届く程度の間合いのみ。一見して相手の有利に見えるが、逆にそこから踏み込んでしまえば懐に潜り込まれるのと同義である。
彼の外見から察するに、恐らく種族としてはアースドラゴンの一種だろう。竜種の中でもとりわけ頑強な肉体を持ち、優れた土属性魔法の使い手だ。ただしその巨体が災いし、動きは鈍重。特に瞬発力については下位の竜種にも劣るという。
亜神は天界の神々と違い、身体能力そのものは元の肉体に依存する。近接戦に持ち込むことができれば、勝算は十分にあるはず。問題は魔法と神としての権能だが……発動されなければそもそも問題にならないのだ。あの程度の間合いであれば、トゥルーヴァンパイアのヴェリアルにとっては無いに等しい。
機先を制することができれば、決して勝てない勝負ではない。
「んじゃレティスちゃん、開始の合図頼んだでー」
「承りました。お二人とも、ご準備はよろしいでしょうか」
レティス殿の問いにイシュトバーン殿は大きく頷き、ヴェリアルは不敵に笑う。どちらも肯定の意を示していた。
「それでは『モーレツ! ドキドキ山頂三番勝負』最終対決の開始を宣言させて頂きます」
……改めて、ホント酷い名前だなぁ。
高まった緊張感が僅かに薄れる中、レティス殿の凛とした声が響き渡る。
「用意……始め!」
『潰せ』
――一瞬。
ヴェリアルがイシュトバーン殿へ向けて一歩踏み出そうとした、正にその瞬間。
私たちの視界からヴェリアルが消えた。
より正確に言うならば。
奴がいたはずの場所に、さっきまでは存在していなかった巨大な柱が突き立っていた。天井から伸びてきたらしいそれは深々と床に突き刺さり、大きくひび割れさせている。
ここまで順々に状況を追っていき、私はようやく気付いた。
たった今、ヴェリアルがあの柱によって叩き潰されたのだということを。
「ば、馬鹿な……」
何だ今のは。一体何が起こった!?
レティス殿が開戦の合図を出したのと同時に、言葉とも唸りともわからぬ音が聞こえたのは覚えている。その直後には、既に目の前の光景が生み出されていた。
まるで過程が飛んだかのように、わけもわからぬままヴェリアルが殺されていた……!
「勘違いしてるよーなら訂正しておくで」
混乱の極致にある中、イシュトバーン殿の声がやけにはっきりと聞こえてくる。
「先手必勝って意味なら、ワイはとっくの昔に攻撃終わってるんや。何せ、この神殿自体がワイの権能によって作り出されたもの。ワイが定めた〝摂理〟に従う、ある種の異空間や」
「摂理、だと……」
「ルールと言い換えてもええで。さっきの戦いでも散々設定してたやろ? 魔法禁止とか、逆に魔法以外禁止とか。ミルドちゃんみたいに破ったら当然ペナルティや」
ペナルティ……先ほどミルドの竜化が急に解けたのもそれが原因だったのか。慣性を無視した不自然な落下もペナルティだったのかもしれない。
亜神は真なる神と同様に、神としての権能を持つ。当然後者には劣るが、神ならざるものからすればそこに大した差はない。例えるならば、一切のリスクもなく無条件に発動する最上級魔法のようなものだ。
今の口ぶりからして、イシュトバーン殿は恐らく〝摂理〟を司る亜神。
だとしたら、今の攻撃は……!
「レティスちゃんの合図と同時にルールを書き換えさせてもろたで。『ワイに近づくことを禁ずる』ってな感じに。ペナルティも少々重めにしといたわ」
「いや重すぎるにも程があるだろ!?」
「どーせヴァンパイアなんやからすぐ復活するやろ。ほれ、見てみ」
イシュトバーン殿が顎をしゃくって示した先。ヴェリアルを叩き潰した柱のすぐ横で、血色をした靄のようなものが渦巻いていた。それは次第に密度を増していき、やがて人の形を取り始め。
数秒後には、傷一つないヴェリアルの姿がそこにあった。
これが【リザレクション】……再生能力を超えるダメージを負っても時間経過で蘇る固有スキル。吸血鬼を怪物たらしめる驚異の力だ。実際に目にしたのは初めてだが、肉体はもちろん服装に至るまで完璧に元通りとは。
「閣下、無事であるか!?」
「……」
「……おい、しっかりしろヴェリアル!」
「……あぁ、大丈夫だ。何も問題ねえ」
そう答えるヴェリアルの表情は伺えない。こちらに背を向けたまま、寝起き直後のように若干よろめきながら立ち上がる。
反応が少し遅れていたが、復活直後で本調子ではないのか?
「おはよーさん。ええ夢みれたかいな?」
「お蔭様でな……ったく、いきなりやってくれるじゃねえか」
「ちょっとしたジャブみたいなもんやろ。トゥルーヴァンパイアともなると復活も早いし、いい回転率になりそうや」
「回転率だぁ? 何を言ってやが――」
「一歩や」
――またしても。
今度は床からせり上がった石壁が本を閉じるようにヴェリアルを挟み潰したらしい。相変わらず結果しか認識できない程の速度。そもそもヴェリアルやサーベラス殿が反応できていない時点で私などに見えるはずがない。
復活するとは言えこうも易々と……しかし、今殺す前に何か言っていたか?
「一方的にプチプチするだけじゃつまらへんからな。一歩ずつなら近づいてきてもええで。あと三〇回くらい死ねば間合いに入るんやないか?」
おいおい何とも恐ろしいことを宣い始めたぞこの竜神。発想が人でなしだ……いや人じゃないんだろうけど。
「ワイの勝利条件は、ジブンの心をぽっきりへし折るってとこやな。そんなわけで、精々頑張りや」
「……上等だ、てめぇ。俺様の鋼メンタルなめんじゃねえぞ」
復活中もイシュトバーン殿の言葉は聞こえていたのか、再びの復活を遂げたヴェリアルは低い声を出しながら立ち上がる。
やはり様子がおかしい。先にも増して足取りが覚束なくなっている。【リザレクション】の
特性上、体に不調は無いはずだ。
肉体的な要因でないとすれば、考えうるのは……精神か?
「勇ましいことやな。そんじゃ……もういっぺん逝っとこか」
確たる答えを得られないまま、ヴェリアルに三度目の死が訪れる。
漠然とした不安を抱えながらも、我々は奴が復活する様をただ見守り続ける他なかった。
◇
吸血鬼の固有スキル【リザレクション】について、詳細を知る者は多くない。軽々に開示するようなものでない上に、単純に知ろうとする者が少ないという理由もある。理論上は個として最強の種族――怪物と友好を結ぼうという者は、この時代において稀有な存在と言えた。
イシュトバーン自身、それについて知ることができたのは偶然言葉を交わす機会があったからだ。何百年も前に、近くを通ったからという理由だけでわざわざ山頂まで挨拶しにだけ来た、物好きなトゥルーヴァンパイアと。
生命の記憶は根本的な部分において二種に大別される。肉体に保存される記憶と、魂に刻まれる記憶だ。
前者は肉体的な衰えによって時折忘却や欠落が起こりうるものだが、後者については決して失われることがない。その存在が生きてきた月日……歴史そのものが記録されている。ただしこれは自らの意思で閲覧することができない、金庫に仕舞われた自伝のようなものだという。
吸血鬼は死亡した際にこの魂の記憶を辿ることができ、何度肉体的な死が訪れようとも一部の欠落もなく蘇生することができるようだ。【リザレクション】は記憶を元にした存在の再構成と言ってもいい。
復活する吸血鬼からすれば、人生の追体験だという。己の誕生から死の直前に至るまでを、現実時間における一瞬の間に見つめなおしているらしい。当然ながら、長く生きた吸血鬼ほど記憶を辿るのにかかる時間は膨大になる。
精神的な負担は相当なもののようだ。それを短時間の間に繰り返せば猶更。
イシュトバーンは知っている。
ヴェリアルがあの真祖の子孫だとしたら、ろくな人生など歩んではいないと。
『虐げられる者たちの居場所を作りたい』。親もその子も、そのまた子供も。判を押したように同じ夢を語る。そして志半ばに息絶えていくのだろう。もはや呪いだ。
一人目は優先順位を間違えた。自分たちが生き残る道を選んでいれば今頃夢は叶っていただろうに、他の弱者たちを逃がすために殿を務めて散った。
二人目は優しすぎた。妻を異種族に奪われ、さりとて報復に走ることもできず。悲しみと願いの板挟みに耐え切れず、最後には太陽の下に身を投げた。
そして、三人目は目の前で何度も死に続けている。勝てるはずのない戦いに身を投じ、その心を削り続けている。
仮に攻撃の届く間合いに入ったところで通じるはずがないのだ。この神殿内においてイシュトバーンに近づいたものが破壊されるのは、空中で放った石が地面に落ちるのと同じ。亜神としての権能によって設定された〝摂理〟に従って起きる現象であり、そこにイシュトバーンの意識や認識は介在しない。
どれだけ速い攻撃だろうと、どれだ強い攻撃だろうと、当たる前に打ち消される。
この事実を知ってようやく彼は悟るだろう。最初から勝ち目などなかったのだと。
「……もう諦めや」
そろそろ二桁に達する頃だろうか。
跪いたまま立ち上がろうともしなくなったヴェリアルに向けて、思わずイシュトバーンはそう投げかけていた。
「先祖の願いかなんか知らんけど、それってジブンが死ぬほど苦しんでまで叶えたいものなんか? 他人の願いのために自分を殺しちゃ世話ないで」
本心からの言葉だった。
仮にも見知った男の子孫だ。進んで苦しめたいとは思わないし、出来る限り幸せに生きて欲しいと思う。
「たかだか数百年程度の命やろ。大願を押し通せる力がないんなら、分相応の願いを抱いて穏やかに過ごせばええやないか」
「……」
ヴェリアルは答えない。俯いているせいで表情は見えないが、動き出す様子もない。
完全に心が折れてしまったのだろうか。遅かれ早かれこうなるだろうと思ってはいたが、意外と呆気ないものだ。
予定通りながら、どこか釈然としない感情をイシュトバーンは抱き――
「そいつぁ、無理な話だ」
ゆらり、と。
陽炎が立ち上るように、ヴェリアルが立ち上がった。
しかし前には進もうとしない。その場に立ったまま、俯いたまま。炎が燻った様な掠れた声が聞こえてくる。
「死ぬたびに思い出したくもねえことばっか思い出す。顔も覚えてねえはずのお袋が死んだ時のことも、クソ親父が形見だけ残して蒸発した時のことも、うんざりするほどな……けどよ」
――暑い?
僅かな気温の上昇を感じた瞬間、イシュトバーンの背筋は逆にぞわりと冷えた。
己の摂理で支配されている空間だ。暑くも寒くもない、一定の温度が保たれるように決められた空間のはずだ。
「聞こえてくるんだよ。『君が望む未来を』ってなぁ……死ぬ前の親父も、顔すら知るはずのねえ野郎も。死ぬほど悔しかっただろうに、揃いも揃って同じことほざきやがって」
「あいつが……?」
あの男はヴェリアルが生まれる前に死んだ。最期の言葉など知っているはずもない。
だが、彼らに流れている血は特別だ。力の継承を通じて、一部の記憶も受け継いでいるとしたら――
「分相応の願いっつったか? 足りねえよこんなもんじゃ」
ヴェリアルが顔を上げる。
「てめぇ、ちゃんと話聞いてなかっただろ。俺様が望む未来はなぁ……あいつらが抱いてた者とは全く違う」
そこには爛々と輝く笑顔が。
「弱者も強者もねえ。全員で同じ場所に立って、競い合って――同じ方向へ突っ走る!」
彼が浮かべていた優しげなそれとは違う。
しかし彼に引けを取らない、悉く焼き尽くさんと輝く太陽の如き輝きは――
「そんな未来を想像しただけで……心が燃え上がって仕方がねえんだ」
◇
――燃え上がっている。
そう形容するしか無いほど膨大な何かが、ヴェリアルの全身から溢れ出て来ていた。
この感覚には覚えがある。【ガイアブレス】が放たれる寸前にヴェリアルから感じた、魔力とは異なる異様な気配だ。
あまりに痛々しい行軍を前に、サーベラス殿共々言葉も出なくなった矢先に……一体今度は何が起ころうというのか。
「……ここじゃ近すぎるな」
固唾を飲んで見守る中、ぼそりと呟く声が聞こえ。
いつの間にかヴェリアルが我々のすぐ近くまで後退してきていた。
「お、離れる分には潰されねえみてえだな。一回死ぬ手間が省けたぜ」
「オォン!?」
「……!? はっ、はぁ!?」
まずサーベラス殿が気づき、少し遅れて私も眼前にいるヴェリアルの姿を認知した。
何なんだ今の速度は。イシュトバーン殿が放つ不可知の攻撃と殆ど遜色なかったぞ!?
しかも私たちだけではない。あのイシュトバーン殿ですら、大きく目を見開いたまま動きを止めていた。いくら竜の姿とは言え、あれだけ露にされていれば感情は読み取れる。
まさか……彼にすら見えていなかったとでもいうのか?
「んだよ丘に打ち上げられた魚類みたいな顔しやがって」
「お、お前、いつの間にここまで――ていうか下がってきてどうする!? せっかく半分程度まで距離を詰められていたのに!」
「あそこじゃ距離が足りなかったんだよ。ここからなら丁度いい」
いまいち要領を得ない回答をしながら、ヴェリアルは再びイシュトバーン殿の方へ向き直ると大きく拳を打ち鳴らした。
「予告しておくぜ。俺様は今からてめぇを、助走をつけてぶん殴る」
「……本気でできると思ってるんかいな。例えどれだけ早かろうと、ワイに近づいたジブンが潰されるんはワイの認識とは関係ないルールなんやで」
「さっきまでも本気だったが、こっからは本気中の本気だからな。神殿の外までぶっ飛んでも知らねえぞ? ……ジラル、サーベラス」
相手を遠くに見据えたまま、背中越しにヴェリアルが呼び掛けてきた。
我々の返事を待つことなく、奴は続ける。
「ちょっと勝ってくるわ」
これっぽっちの気負いもない、あっけらかんとした調子。
それでも私たちは知っている。
奴がいつも通りだというのなら、何も問題は無いのだと。
「――我が血潮は煉獄」
声そのものが、膨大な熱量を持っているようだった。
ヴェリアルが言葉を紡ぐたびに、燃えるような熱気が空間に充満していく。
「天地冥、三界を灰燼へ帰さんとする劫焔なり」
聞いたこともない詠唱だ。そもそもこれは魔法なのか? ヴェリアルから放たれ、神殿内を満たさんばかりに高まっているのは魔力ではない。
強いて言うのであれば、熱そのものであるかのような。
「心を燃やせ。熱く燃え滾れ」
聞いている内に、ふと一つの考えに至る。
これは詠唱ではなく、宣誓なのではないか。
己に――ないしは世界に対し、我は斯く或る者であると。
「我が魂の焦がれよ、仇なす総てを焼き尽くせ」
周囲へ散々にまき散らされ続けていた何かが、最初から存在していなかったかのように消失した。
それと同時に、ヴェリアルの全身にびきりと亀裂が走る。赤い血肉が覗くはずの亀裂は溶岩の如き輝きを放ち、急熱された空気の揺らぎがその姿を歪ませている。
消えたのではない。
あれだけ広がっていた何かは、一瞬にしてヴェリアルの中に収束したのだ。
「……ふぅ」
変貌を遂げたヴェリアルは、その場で小さく息を吐
「必殺ヴァンパイアフィストォォォォオオオオオオ!!」
いて……え?
「ごっはぁ――!?」
イシュトバーン殿が大きく仰け反りながら吹っ飛ばされていく。
彼の頭があった位置では、拳を振りぬいた体勢のヴェリアルがいた。ついさっきまで、私たちの目の前にいたはずのヴェリアルが。
しかもここから今二人がいる場所まで無数の柱や壁が連なり、地形を滅茶苦茶にしていた。
まるで、ヴェリアルを潰そうと必死に追いかけた跡のように。
「さぁ、いい加減俺様たちのステージまで降りて来いよ神様」
地面に降り立ったヴェリアルは指の関節を鳴らしながら、吹っ飛んだ先で倒れ伏すイシュトバーン殿へ獰猛な笑みを浮かべ。
「じゃねえと、格好悪いまま負けちまうぜ?」
再びその姿が消失し、今度は竜神の巨体が天井高く打ち上げられた。
魔王「過去編なげーよ!」
予定ではこの話で終わるはずだったんだけどなぁ……
次で今度こそラストです。多分。おそらく。メイビー。




