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勇者がこない! 新米魔王、受難の日々  作者: 七夜
ダンジョン攻略は無計画的に
27/30

25 ザハトラーク建国物語(1)

唐突に過去編をぶっこんでいくスタイル

「しっかし、サシで飲むのはいつぶりだ?」

「……どうでしょうなぁ」

 ――ルシエルたちが魔王城の中庭でガールズトークらしき何かをしていた一方。

 ヴェリアルによって無理やり城外の酒場へ連行されたジラルは、諦念と共にカウンター席から辺りを見渡す。

 店内に自分たち以外の客がいないのは、酒を飲むには早すぎる時間帯だからというだけではない。いわゆる隠れ家的な店という奴で、路地裏の目立たない場所にひっそりと居を構えているせいで夜になっても客は殆ど寄り付かない。

 建国初期から存在し、正直どうやって今日まで経営を持たせているのか皆目見当がつかないが。人目がないことをいいことに今は自宅療養中のサーベラスと三人で時たま訪れ、酒の勢いに任せ他愛もない愚痴を零し合ったものだ。

 店主も店主で突然王や宰相が来店しても狼狽えない上、基本的に存在感はないがいつの間にか注文した品がテーブルに置かれたりしている。

 一体何者なのだろうという疑問はさておき、ジラルは最後に店を訪れた時の記憶を探り。

「新婚旅行の前日ですな。ヴェリアル様がご結婚なされてからはとんと機会が減りました」

「あー、家庭があるとどうにもな。つーか早く嫁取れってしつこかったのはお前だろ」

 口を尖らすヴェリアルへ、ジラルはすました顔で返す。

 無理やり連れてこられた意趣返しも込めて。

「家臣が結婚していて王が独り身では示しがつきますまい」

「だってお前ら建国した時点で所帯持ちだったじゃん……」

 不満げにぼやくヴェリアルを他所に、久々に馴染みの酒場へ来たからだろうか。

 建国した時点という部分が不思議と脳裏に引っかかり、ジラルはふと呟く。

「思えば、この国……ザハトラークが出来てから随分と経ちましたな」

「何だ急に年寄りっぽいことを」

「事実年寄りですし。特に最近は、時代の変化に取り残されている感覚が日に日に強くなっていおりますわい」

「確かに、俺様たちが若い時と比べて最近の若い奴らはすげーもんな。何かこう、エネルギーが違う」

「おや、今の発言も中々に年寄りじみていますな? さしもの戦慄の魔王も寄る年波には勝てないようで」

「おいその呼び方はやめろコラ。不敬だぞ不敬」

 まだ酒も入ってないというのに、ジラルはヴェリアルと冗談交じりの会話を交わす。種族的な年齢に照らし合わせればかたや中年、かたや老人。立場はかたや先王、かたや宰相である。

 だがこうして周囲の目がなく、身分の差が意味をなさない場となれば。

 慣れ親しんだ酒場の雰囲気も手伝って、自然と気分が若返っていくような気がした。

 まだこの大陸にザハトラークという国が無かった時代。

 ただのヴェリアルと、ただのジラルだった頃のように――


 ◇


 この地が新大陸と呼ばれるようになったのは、険しい山脈と森林で隔てられた向こう側から大量の移民が現れたことが切っ掛けだった。大陸の半分を巻き込む大災害から辛くも逃れてきた彼らは、故郷へ封をするかのように一つの国を作った。

 ヒューマンやエルフ、ドワーフ等のヒト種が大半を占めるこの国は、王たるエンシェントエルフの人徳もあり、元から新大陸に根付いていた国々に受け入れられるまでそう時間はかからなかった。

 国の名はロドニエ。

 今となっては帝国、シント、ベスティア、セントリアに並ぶ大国である。


 ……新参者が受け入れられた一方で。

 元から新大陸で暮らしていたにもかかわらず、どこの国にも受け入れられなかった者たちが存在していた。

 かつて我らと同列に扱われていた獣人たちは、寄り集まり、決起し、国家を築き上げるまでに団結した。外見に多少の差異はあれど、その根底はヒトであるのだと認めさせることができた。

 しかし、我らはあまりにも違い過ぎた。

 外見、体質、習慣に至るまで。あらゆる面において噛み合わない。一致しない。寄り添えない。受け付けられない。

 知性のないモンスターと違って、新大陸において一割ほどしか存在しない彼らには確固たる知性があったが、それすらも迫害の種となった。ヒトではない何かがヒトのように考え行動するのが我慢ならないらしく、誰もが認めず否定した。

 当時の情勢からすればあってないようなものではあったが。

 モンスターと区別するため、便宜的に我らはひとまとめにしてこう呼ばれた。

 魔性の者ども。

 即ち、魔族と――




「城壁よ立ち上がれ――≪アースランパート≫!」

 詠唱の完了と同時に眼前の地面が盛り上がり、分厚い壁となってそびえ立つ。上級魔法で創られた大地の防壁は確かな堅牢さを持ち、同じ等級の魔法であっても数発は防げる代物である。

 しかし私はすぐさま壁から距離を取った。こんなものは時間稼ぎにしかならないと身をもって知っていたからだ。

 ――ギィァァァァアアアアアア!!

 怒り狂ったような、おぞましい咆哮が空気を叩く。

 それと時を同じくして、展開した壁の中心が赤く光り始めた。

 必死に走っている間にも、壁はどんどん赤熱していく。炉に放り込まれた鉄の如く、急激な温度上昇によって赤からオレンジ、最終的には目が眩むほどの白色へと輝き――爆ぜる。

「ぐぅっ!?」

 壁の破片と衝撃波から顔面を庇う。離れていたことが幸いし致命傷は避けられたが、決して小さくない礫に全身を打ち据えられ紙屑のようにふっ飛ばされた。数度地を転がされ鉄と土の味を噛みしめながらも、薄れかかった視界でそれを見据える。

 霧の如く立ち込める粉塵に映った巨大な影が、そのまま這い出てきた。

 そう錯覚してしまうほど全身を覆う黒い鱗は光を一切反射せず、底なしの闇を纏っているようだ。大きく見開かれた両の眼だけが、激しい怒りと狂気で朱に染まっている。

 カースドラゴン。

 体躯が小山ほどある黒龍の雄叫びは、正しく呪詛に塗れていた。

「おのれ……!」

 口から漏れ出た恨み節は果たして目の前の竜に対してか。それとも、あれが私たちの集落を襲ったそもそもの原因に対してか。

 カースドラゴンの生息地は北の帝国より更に以北――一般的には『魔境』と呼ばれる、人の手が殆ど入っていないモンスターの群生地だ。一方ここは、ロドニエ王国北部の国境付近に広がる森林地帯『黒き森』。本来であればカースドラゴンなど尾の端も見かけないはずだった。

 なのに何故、それが目の前に存在しているのか。

 竜の肉体を注視すれば理由は明白だった。闇色の鱗には剣で斬りつけられたような傷や刺さったままの矢が無数にあり、翼の一部には焼け焦げた跡も。誰がどう見ても手負いの状態だ。

 つまり、あの竜はここまで追い立てられて来たのだ。

 では何者によって? そんなこと、生息地を鑑みれば帝国以外にあり得ない。あれほどの巨大な個体だ。恐らく討伐しきれず、やむなく撃退するに留まったのだろう。

 彼らからすれば地図上の無人地帯へ脅威を追いやったに過ぎず、それ以上の認識はないに違いない。

 だが……巻き込まれたこちらからすれば堪ったものではない。

 似たようなことがゆく先々で起きるともなれば、憎しみすら湧いてくる。

「避難は、何とか終わったか」

 杖に体重を預けて立ち上がり、私以外――正確には私と、真っ先に竜の餌食となった同胞たちだけが残る集落を見渡し、自嘲の笑みが零れた。

 出してしまった犠牲は、共に時間稼ぎを引き受けた戦士十数名のみ。発見からの対応の速さが功を奏した。襲われ慣れたものである。

 後は、そうだな。ここから更にどれだけの時間を稼げるか。

 生きて帰れるなどとは微塵も思わない。注意を引き付けるため再三にわたり挑発を重ね、随分と顰蹙を買ってしまった。恐らく私かカースドラゴンのどちらかが死ぬまでこの戦いは終わらない。その終わりも、きっと遠くないだろう。

 どうせこの集落はもう駄目だ。我々はカースドラゴンのブレスに含まれる呪いに耐性を持つが、土地はそうもいかない。周辺の森は完全に汚されてしまった。

 ならばいっそ、同胞たちが新たな集落が築ける地へたどり着くまで足掻いてみるか? いやいや、何週間あれと戯れるつもりだ。

 状況が状況だからか、どうにも馬鹿のような思考が脳裏を過ぎる。実際馬鹿なのだからしょうがない。

 私を見下ろすカースドラゴンが深く、深く息を吸い込み始める。ブレスを放つための予備動作だ。

「己が影に囚わ――ごほっ!?」

 妨害のための魔法を放とうとしたが、血の混じった咳がそれを邪魔した。先のダメージが想定以上に深かった。

 再度の詠唱は間に合わない。同胞を焼いた呪いの炎が、間もなく自分へと放たれる。

 死を目の前にしてなお恐怖はなかった。

 あるのは一抹の不安。同胞たちは無事に逃げ延びてくれるだろうか。我が子らに封呪の力は目覚めてくれるだろうか。

 そして、一つの悔恨。

 私とはあまりにも違う身分でありながら、私を親友と言ってくれたあの方が語った理想。夢物語ではあったが、私も願わずにはいられなかった。もしそうあってくれればと。

 ……是非とも、見てみたかった。

 黒龍の喉奥で炎が揺らめく。

 空気と混合し臨界に達した熱量と魔力は、憤怒の叫びを伴って解き放たれ――


「食らえ必殺ヴァンパイアキィィィィィィィィ――ック!!」


 ――なかった。

「は?」

 予想だにしない状況の推移に、つい間抜けな声が漏れ出た。

 いや予想できるわけないだろう。

 どこからともなく乱入してきた若者がトンチキな技名を叫びながら、カースドラゴンの横面に飛び蹴りを叩き込むなどと。

 ましてや蹴りを喰らったカースドラゴンの頭部がその一撃で引きちぎれ、制御を失ったブレスがその場で大爆発を起こすなどと。

 何から何まで現実のこととは思えず、しばし呆然とする。

 断末魔の如く吹き荒れた爆風の余韻が消えかかった頃、ようやく理解が追いついてきた。

 私はまだ生きている。

 否、救われたのだ。

「よっと。あーくそ、まさか自爆しやがるとは……ドラゴンの風上にもおけねえ」

 そして私を救った何者かは、生命を蝕む呪いの炎に巻かれながらも華麗に着地を決め込み。執念深く体に纏わりつく残り火を、まるでたかった虫を払うかのような仕草で払う。煙と炎が晴れたことで、ようやくその容姿が明らかになった。

 雑な整え方とは裏腹に輝きを放つような金髪。黄昏の空を彷彿とさせる紅い瞳。遠目に見た限りではヒューマンの青年にしか見えない。しかし彼が発している魔力を視れば、その本性がヒューマンとは大きくかけ離れているとわかる。

 あれは……吸血鬼だ。

 しかもこの魔力の質からして、かなりの上位種。まさかトゥルーヴァンパイアか? そういえばヴァンパイアキックとか叫んでたような……何の捻りもないな。

 って呆れてる場合じゃない! こちらへ近づいてきてるぞ、カースドラゴンを一撃で蹴り殺す化け物が!

 吸血鬼は魔族の中でも戦闘力が群を抜いて高い半面、日光を致命的に苦手とする。しかし目の前の男は木々の隙間から降り注ぐ陽の光を浴びても平然としているではないか。日光を克服した吸血鬼など、いよいよ手が付けられない怪物だ。

 命の恩人と言えど油断はできない。もしあの男に敵対の意志があれば、今度こそこの命を全うする時がくる。

 遂に目の前まで近づいてきた男が立ち止まる。相手の出方を伺いながら、自然と杖を握る手に力が籠った。

 そして彼は――


「すまん! 間に合わなかった!」


 私に向かって、深々と頭を下げてきたのだった。

 ……何故だ。何故助けられた私の方が謝罪を受けているのだ?

 ともすればカースドラゴンが突然死した時よりも激しい衝撃だった。驚きのあまり声すら発せられない私を前に、吸血鬼の青年はなおも言葉を重ねる。

「ダークエルフの集落がある方向にあのクソドラゴンが向かってるのを見て追っかけてきたんだが……あいつ空飛ぶだろ? 流石の俺様も山越えしながら追いつくのは無理だったわ」

 山越えってお前。いくら吸血鬼のフィジカルでもドラゴン相手に山間部で追いつくとか不可能だろ。少し考えればわかるだろ。

 いやそれ以前に、我々の集落へ向かうところを見たと言ったか?

 この男は我々がここ一帯を拠点にしていると知っていて……知っていたからこそ、駆けつけて来たと言うのか?

「もう少し早く来れたら犠牲は出なかったかもしれねえ」

「い、いや……貴殿には何も落ち度はない」

 まるで自分の身を切られたように話す男に対し、私はようやく声を絞り出した。

「ただひたすら私が非力だった。先の介入がなければ私も死んでいただろう」

「全員助けられたらかっこよかったんだが。まぁ、あんたが無事でよかったよ……あぁ、そういやまだ名乗ってなかったな。俺様はヴェリアル。あんたは?」

 しまった、命の恩人から名乗らせてしまうとは。我ながらみっともない限りだ。

 せめてもの礼節として、私は最も敬意ある相手に対する名乗りの口上を述べた。

「我が身は黒き森のダークエルフ。封呪の番人アシュタ一族が族長。ジラルディア=アシュタロスと申す」

 すると青年――ヴェリアルはしばらく思案するような顔をして。


「長すぎ。いちいち呼ぶのめんどくさいからお前今日からジラルな」

「めんどくさいだと!?」


 これが私と、後に前代未聞の多種族国家を築き上げる王との邂逅であり。

 ついでに言えば、これから先散々辛酸を舐めさせられる相手への最初のツッコミだった。




 五分以上に渡る問答の末、私は折れた。

 どうやらこのヴェリアルという男、一度決めたものは頑として撤回しないらしい。

「んで、ジラルはこれからどーすんだ?」

「……どうすると言われてもな」

 最低限の治療を自らに施し、同胞たちと合流する道すがら、ヴェリアルが尋ねてくる。

 雑に略された名前に引っかかるものを感じながらも、私は質問に答えた。何度も繰り返したことであり、答えに窮するものでもない。

「同胞らと共に、新たな集落を築かねばならん。そこでの暮らしが安定した段階で、犠牲になった戦士の亡骸を回収しに行く」

「悠長すぎねえか? 死体をあのままにしてたら三日もすりゃ獣の腹だぜ」

「わかってはいるが、まずは生きている者の生活が最優先だ」

 私とて、戦士としての役目を全うした彼らを野ざらしにしていくのは無念極まる。

 しかしこれから住むのに適した地を、女子供を含めた大勢を引き連れたまま探し回らなければならないのだ。死体という重荷を背負ったまま動くには状況が厳しすぎる。

 族長たるもの、私情よりも一族全体の利を見なければならない。先を歩む私が間違えれば、同胞たちにも災禍が降り注ぐのだから。

「死んだ仲間も弔えねえってか。世の中クソだな」

「……そうだな」

 ヴェリアルのように口汚くは言わないものの、言っていること自体には同意しかなかった。

 誰かに迷惑をかけた覚えはない。国の領土ですらない森の奥地で、木々や同胞たちと共に静かな生活を送っていた。それだけのはずだ。

 なのに何故、このような憂き目に合わなければならない。

 何故逃げ隠れる罪人のような暮らしを強制されなければならないのか。

 そんな感情の荒れを押し殺すため、私は言い訳のように言葉を紡ぐ。

「我々はまだマシな方だろう。他の魔族のように積極的な排斥は受けていないからな」

「ん、ダークエルフって魔族なのか? 普通のエルフと何が違うんだ?」

「何がって、見ての通りだろう」

 一般的にエルフと呼ばれる者たちは、男女例外なく新雪のような白い肌をしている。それに対してダークエルフは、その名が体を表すかのような褐色だ。

 更に言えばダークエルフは生来から呪術への耐性を持ち、そこから転じて呪術の行使が得意な者が多い。

 それらのことを端的に説明したのだが、ヴェリアルは一層訝し気な表情をするのだった。

「それだけ?」

「それだけと言われても……」

「肌の色が違う。呪術が得意。他になんかねえのかよ」

「……んん?」

 問われて考えてみて、私は思った。

 あれ、大して違わないな?

「あーはいはい。これ魔族あるあるだわ」

「魔族、あるある?」

「わかりやすく言えば思い込みだ。周りからの適当な評価とか、間違った自己評価でがんじがらめになっちまうやつ。ウチの種族にも結構いんだわこれが」

 呆れを隠さない様子で、ヴェリアルは愚痴を零した。

「『日光に当たれない自分は所詮日陰者』だの『耐性があるお前が羨ましい』だの……思わず言っちまったよ」

「何と?」

「『知るかボケ。外に出たきゃ日傘でもさしてろ』ってな」

「おおぅ……」

 ヴェリアルの同胞に若干の同情を禁じ得ない。私だったら軽く泣くかもしれない。

 ……だが、ヴェリアルの言っていることも一理あるのか。耐性が無い吸血鬼だろうと、傘やローブで日光を遮りさえすれば日中でも行動可能なのだから。

「結局気持ちの問題なんだよな。魔族じゃない連中が俺様たちを気に食わねえっつうのも、魔族が人目を憚ってんのも。んなもんに縛られて生きるなんて馬鹿らしいと思わねえ?」

「……話はそう簡単なものではないだろう」

 反論らしい反論もできず、出たのは苦し紛れの言い訳に近い言葉だった。

 一度定着した風評を正すことは難しい。元々少数派である我々が声を上げたとしても、多数派が気に食わないと思えばそこまでだ。

 しかしヴェリアルはと言えば、まるで馬鹿を見るような目で私を見てくるのだった。

「は? 簡単だろ」

「簡単って……話を聞いてなかったのか? 人の意識というのは簡単に変わるものでは――」

「変えるんだよ」

 ハッキリと、奴はそう言った。

 声に込められた強烈な決意が。獣が牙を剥いたかのような笑みが。できない理由を重ねようとした口を噤ませる。

「変わるのなんざ待ってられるか。俺様たちで変えるぞ。今すぐにだ」

「お、お前は何を言って……」

「ちょうど見どころのあるやつを探してたんだが、ジラルなら合格だな。ちょいと負け犬根性が染みついてるが、まー叩きゃ直るだろ」

「待て待て待て、勝手に進めるな! 一体私を何に巻き込むつもりだ!?」

 驚いてる間に話をまとめられてはたまらない。それに、何だか凄まじく嫌な予感がする。これ多分、半端な覚悟で流されたらこの先一生後悔しそうなやつだ。既に叩いて直すとか不穏な単語が出てきてるし!

「んなもん、一つに決まってんだろうが」

 問いかけられたヴェリアルが私に向けた笑顔は、まるでとっておきの悪戯を思いついた子供のようだった。

 不意にその姿が、私が敬愛するあの方と重なる。見た目も言動も全く通じるところはないというのに。

 どうして私は――


「国を作ろうぜ。俺様たちの……魔族の国を」


 どうして私は、こんなにも高揚しているのだろうか。


 ◇


 ヴェリアルと出会った日から一週間後。

 新たな集落を何度も振り返りながら、私はため息を吐いた。まんまと口車に乗せられた自分を軽く呪いながら。

「まさか、また同胞たちの元を離れることになるとはな……」

「未練がましいなぁおい。男ならスパッと諦めろよ」

「お前が言うなお前が! 元凶だろお前が!」

「そうカッカすんなって。上手く事が運べばすぐ終わるからよ」

 ヴェリアルが笑いながら背中を叩いてくる。結構痛いんだが。こいつ私が見た目より年寄りだってこと忘れてない?

 しかし、まさか本当に新しく集落を築いた次の日に出発させられるとはな。ヴェリアルは相当に急いでいて、最大限の譲歩だったようだが。

 ちなみに同胞たちは私を快く送り出してくれた。一応長なんだけどな……まぁ昔の行いを鑑みたらさもありなん。合流する前に集落の跡地から遺体を回収し、新たな集落のための土地が見つかるまで運んだヴェリアルへの心証もかなり良かった。

 というか、肝心なことをまだ聞いていないのだった。

「私たちはどこへ向かっているんだ? ロドニエの国境に沿って移動しているようだが」

「あれ、言ってなかったか?」

「言ってなかったも何も、私が聞いても適当にはぐらかしただろ」

「そうだったかー?」

 こいつ……白々しいにも程があるぞ。

 湿度高めの視線をくれてやると、流石に言い逃れできないと感じてかヴェリアルは若干気まずそうに釈明する。

「だってよー、言ったら絶対についてこなかっただろうし」

「そんな場所に黙って連れて行こうとしたのかお前……まぁいい。既に乗りかかった船だ。私も一度ついていくと決めた以上、逃げたりしないとも」

「お、マジで? 流石ジラル、よっ男前!」

 調子のいい奴め。

 とはいえヴェリアルに言った通り、今更降りる気はなかった。こいつは滅茶苦茶な奴だが、言っていることの筋は通っている。

 国を作る……つまり、種族ごとに点々としている我々魔族を、魔族という一大勢力にまとめ上げるというわけだ。もし実現すれば、新大陸を席巻するかの五大国すら無視しえない勢力になるだろう。

 ただし、実現するのは到底不可能にしか思えないのが現状だ。姿形はもちろん習性も全く異なるのは魔族同士でも同じ。我々ダークエルフからしてもゴブリンやオークと分かり合えるとは思わないしな。

 これに関しては、ヴェリアルも一応は理解しているらしかった。

「その辺の意識改革も必要だが、まず必要なのは力だな。烏合の衆が集まって『国を作ったから認めろ』っつっても囲んで潰されるのがオチだし」

「た、確かにな……」

 容易に想像できる光景に、少しだけ背筋が冷えた。

 力で威圧するのは今後の関係を築く上でマイナスになると思ったが、抑止力という意味では有効だ。特に五大国を話し合いの席に着かせるためには必要なものだろう。

「では、志を同じくする仲間を地道に増やしていくつもりか?」

「んな悠長なことしてられっか。俺様が欲しいのはでかい後ろ盾だ。手を出したらただじゃすまねえって一発でわかるようなやつな」

「今から向かう場所に当てがあるというわけか」

「そういうこった。『竜神の谷』っつーとこに、滅茶苦茶強い竜がいる。しかもそいつ、かなり暇を持て余しているらしくてよ」

「建国を娯楽として提供するということか? それはちょっとどうなんだ……」

「ようは互いにウィンウィンならいいんだよ。俺たちはでかい後ろ盾を得られるし、竜は暇をつぶせる。誰も損してないだろ?」

「ううむ……致し方ないか。で、その『竜神の谷』とやらはどこにあるのだ?」

 再三に渡る私の質問に、ヴェリアルはやはり渋るような表情を見せた。どれだけ信用されていないんだ私は。

 しかし少し強めに視線で促すと、観念したように口にする。

 私たちが現在向かっている、その目的地の名を。


「ここから更に西へ進んだ先にある旧大陸……っておい逃げんなコラ!」


 全速力で走り出したにもかかわらず、一秒と経たず肩を掴まれた。

 くそっこれだからフィジカル最強種族は!

「乗りかかった船じゃねえのかよ!?」

「沈没するとわかり切ってる船に乗るほど愚かじゃないわ! ていうかそういう大事なことは先に言え先に!」

 旧大陸に関する話はよく知っている。それも逸話なんて曖昧なものではなく、生き証人から直接聞いた実話だ。


 曰く、常に空が暗雲に覆われ陽の差すことが無い不毛の大地。

 曰く、新大陸では国家の戦力を総動員するレベルのモンスターが虫のように湧く。

 曰く、それらを凌駕するレベルの怪物が暴れた結果、殆ど生き物が住める環境じゃなくなっている。

 

 敢えて言おう、死地であると!

 胸倉を掴まんばかりの勢いで追及する私に対し、ヴェリアルは悪びれる様子もなく。

「いやーそこは逃げられないギリギリのタイミングを計ってだな」

「確信犯かよ最悪だなお前!?」

 って待てよ。

 今の発言からして、まさかもう――

 嫌すぎる予感がした途端、まるで答え合わせをするかのように辺りが一段と暗くなった。深い森の中を歩いていたとはいえ、急にここまで陽の光が届かなくなるのは異常だ。

 加えて、森全体が禍々しい気配に包まれつつある。胸の奥底が鉛を流し込まれたかのようにずしりと重たく、息苦しさが止まらない。明らかにおかしい。

「へ、へへっ……今更慌てたってもう遅いぜ」

「完全に小物系悪役の台詞なんだがそれ! それより何が起きている!?」

「あんま猶予はねえみてえだし、手短に言うぜ」

 ふざけた態度は鳴りを潜め、ヴェリアルは宣言通り早口かつ端的に今の状況を説明した。


 一:ここは旧大陸の登竜門『磔刑の森』。

 二:二人以上で進み続けると一人残してもれなく死ぬ。

 三:生息してる生物も結構やばいけどそこは臨機応変に。


「つーわけで今から別行動な」

「雑過ぎる! い、今から引き返す訳には――」

「無理。ここの木って滅茶苦茶アクティブに動くからよー、もう来た道わかんねえ」

「だーかーらー何故そういうことを先に言わない!?」

「まーひたすら西に向かえば森は抜けるからよ、そこで合流な! これ以上一か所にいるとマジでやべえし!」

「あ、おい待て! 最後まで雑なまま置いていくなー!?」

 私の呼びかけも虚しく、ヴェリアルは言うだけ言って一人森の奥深くへと疾走していった。奴の速度で入り組んだ森の中となれば、その姿が見えなくなるのもあっという間だ。

 理不尽すぎる仕打ちに怒りが込み上げてくるが、同時に身を苛んでいた息苦しさが引いていき、禍々しい空気も若干薄まった気がする。

 私がヴェリアルに置いていかれて孤立したからだろうか。『磔刑の森』に関する呪いは噂にこそ聞いていたが、実際に体感するとは思ってもみなかった……あのままヴェリアルと行動し続けていたらどうなっていたのだろう。

 ひとまず魔法で正確な方位を確認する。魔法の発動を妨害されるようなことはなく、杖の先に出現した魔力の矢じりは北の方角を示した。

 行使こそ問題なく行えたが、果たしてこの結果を信じていいのか。試しに元いた場所へ戻れるか確かめて……いっそこのまま帰ってしまおうか?

「……全く、後で覚えていろあの考えなしめ」

 ふとそんな考えが浮かんだものの、私は深いため息をついてから西へと歩を進めた。

 今更戻ったところで、待っているのはこれまで通りの日々。鬱屈した感情を抱え、心を擦り減らすばかりの。

 ヴェリアルに焚きつけられたからではないが、今更戻る気にはなれなかった。

 仕方がないと妥協するのも、誰かが何とかしてくれるのを待つのも、どちらも御免だ。

 夜のように暗い森の深奥を睨みつける。

 この先にあるのは希望か、はたまた破滅か。

 いずれにせよ、あの馬鹿に追いつかないことには始まらない。

「これでも一族の長を務めてきたのだ……舐めてくれるなよ、旧大陸!」


 ――一時間後。


「生意気言ってすんませんでしたぁぁぁぁあ!」

 情けなく悲鳴を上げながら道なき道を駆け抜ける私。無様極まりなかった。

 いやホントすみません。舐めてたのは私の方でした。旧大陸と言ってもどうせ入り口だろとかほんの少し思ってました。

「聞いてない! 木が動くのはさっき聞いたけど木が襲ってくるとか聞いてないぞ!?」

 背後から迫る木の群れ――正確にはトレントの一種なのだろうが、私が知っているトレントとは似ても似つかない。

 まずアグレッシブすぎる。地中から抜けた根っこを足のように使い全力疾走してくるのだ。しかも走行フォームが下手な人間よりもしっかりしてる。ちゃんと腕振ってるし。

 そして滅茶苦茶顔が怖い。何あれ牙? 何で木なのに牙生えてるの? 木のうろがそれっぽく見えてるとかじゃなくて白いの生えてるよねあれ。

 トレントって日光と水と肥沃な土壌さえあれば生きてける穏やかな種族のはずなんだが。何であんなにも肉を欲しているんだ? 新たな食の開拓か? ふざけるな!

 最悪なことに、奴ら魔法に強い耐性を持っているのかこちらの攻撃が殆ど通じている様子がない。最も有効であろう氷結系の魔法が、私自身の低い適性のせいで威力を出せなかったのもある。

 つまり逃げるしかないわけだが、一〇分経っても追いかけてくるトレントの数は減る様子が無かった。むしろ増えてる。私とて肉体強化を使い全力で走り続けているのに、トレントは素の身体能力で追いすがってくる。

 このままではこちらの魔力が先に尽きるか……ええい、ままよ!

「こんなもの、カースドラゴンの絶望感に比べれば!」

 あの時とは違い魔力は万全。かくなる上は一族に伝わる秘中の秘でまとめて沈めてくれる。使ったら十中八九意識を失うが、今すぐあの木共に咀嚼されるよりはマシ!

 ギリギリ意識が保てるのを期待しつつ、私は術式を構築すべく意識を集中しようとした。

 しかし……人生ままならない。

「この辺にトリュフとか生えてねえかなぁ……」

「えっ、ちょっ――」

 何か木陰から凄い森林浴なノリで誰か出てきたー!? しかもキノコ探してるー!?

 しかも殺到してくるトレントたちの丁度前に! そこに立たれると術放てないというか頭の中ぐちゃぐちゃでそれどころじゃないんですけど!?

「早く逃げろ! 潰されるぞ!」

 せめてトレントの襲来に気付いていない様子の青年へ必死に声をかける。いやもう間に合うかもわからんが。

 青年が胡乱げに顔を上げた頃には、圧倒的な質量の群れが彼を蹂躙しようとし――


「弐式――【(おろし)】」


 ――逆に、その悉くが叩き潰された。

 一瞬だった。まるで巨人の地団駄に巻き込まれたかのように、無数の肉片――もとい木片を散らす。文字通り、跡形もなく。

 周囲の木々を巻き込みながら発生した暴威は、青年がクモの巣を払うような軽さで放った手刀によるものだった。

「……はぁ!?」

「やっべ、他の木も潰しちまった。やっぱ得物無しでやる技じゃねえなこれ。横着はいかんね全く……あ、忠告どうもー」

「あ、これはどうも……ってそれだけか!? あれだけのことしてそれだけか!?」

「そう興奮しなさんなエルフのご老体。いくら若作りしてるとはいえ、体に障るぜ?」

 ご老体――魔力による活性で肉体年齢を誤魔化していると見抜かれた?

 同じエルフですら初見で気づくことは無いにもかかわらず、友好的な笑みを浮かべながら歩み寄ってくる青年はさも当然のように言い切った。

 こんなところにいることと言い、一体何者……って、あぁ!?

「すまない、我々がここに留まっているのは非常によろしくない! 命の恩人に対し無礼ではあるが私は失礼させて――」

「まーまーそういわずもうちょっと話そうぜ。こんな場所で人に合うのも珍しいことだし」

「回り込まれた!?」

 しかも全く動きが見えなかった。ヴェリアルならまだ残像を追うことくらいできたのに、こちらは転移魔法でも使ったのかと疑うレベルだ。魔力の反応は一切無かったというのに。

「この森について貴殿は何も知らないのか!? 単独で行動しなければ呪いでどちらかが死んでしまうぞ!」

「大丈夫大丈夫、俺はそれ適応外だから」

「いや適応外って何を言っ、て……?」

 言われてみて、はたと気づく。

 ヴェリアルといた時には痛いほど感じていたプレッシャーを、この青年と一緒にいる時は微塵も感じていなかった。

 むしろ、どういうことだ。まるで強大な何かに守られているような安心感まである。

 先と今で何が違うのか。

 考えるまでもなく、この青年だ。

「貴殿は……一体、何者だ?」

「俺はタクマ=シングウジ。大陸の東の方で神様やってます」

「あ、これはご丁寧に。私はジラル……じゃない、ジラルディア=アシュタロスと申します」

 ついここ最近すっかり定着してしまった呼び名を名乗りかけ、慌てて訂正した。

 そうか、神様か。神様なら仕方がないだろう。呪いが効かないのも納得だ。

 大陸東部でシングウジと言えば、シントを統べる亜神か。噂でしか聞いたことが無いが、まさかこんな年若いヒューマンの姿をしていたとはなぁ。

 …………いやいやいやいや。

「何で! こんなところに! シントの亜神が! いるのだ!?」

「二〇〇〇年ちょっと遅れの新婚旅行だよ」

「スケールがでかすぎる!!」

「神だからねぇ」

 ノリはどこまで軽い。多分、深く考えても無駄なのだろう。

 どうやら私は、図らずともこのタクマという青年の保護下にあるようだ。先ほどトレントをまとめて屠った得体の知れない技も、亜神だというならまぁ納得できる。神様なんだから仕方ない。

 何故かはわからないが、こちらに対して随分と友好的なのも幸運だった。秩序を重んじる天界の神々と違い、亜神は割と理不尽な存在ばかりなのだ……。

 なんならあのトレントたちと一緒くたにされてもおかしくなかったのだから、正しく神に感謝せねばなるまい。

「つーかさ、ジラルディア……長いからジラル君でいい?」

「何故そこが被るのかは知らないが、もう好きに呼んでくれて構わない」

「その割にはめっちゃ渋い顔してるけど……ジラル君は何しに来たんだ? ここって特に目的もなく来る場所じゃないと思うんだが」

「故あって、この森を抜けた先の更に先にある『竜神の谷』を目指している」

「へー、一人で?」

「仲間は一人いるが、今は別行動だ。私と違って奴は強い。特に心配する必要もないだろう」

「そう卑下しなくても、あんたも相当やれる方には見えるけどな」

「……私など。まだまだ未熟なものだ」

 この森に来てから……いや、ヴェリアルと出会ってから痛感してばかりだ。


 そこからしばらく、タクマ殿と当たり障りのない会話をしながら『磔刑の森』を進むという奇妙な時間が続いた。

 これまでと打って変わって、道中は非常に安全だった。

 まず何も襲ってこない。近くに絶対強者たる亜神がいるということを本能的に理解してるのか、私の時のように牙を剥いてきたりはしなかった。

 時たま無謀にも襲ってくるモンスターもいたが、それらにはタクマ殿が対応していた。見ているだけというのも心苦しいのだが、瞬殺過ぎて手を貸すとかそういう次元じゃないのだ。逆に尋ねるが私にどうしろと?

 そして殆ど森の出口に差し掛かろうというところで、タクマ殿の奥方とも面会を果たした。

 彼女……アサギ殿は、どこからどうみても幼女だった。

 いや、うん。彼女も亜神なのだし年齢は見た目通りではないのだろう。それはわかる。

 しかしこれは流石に……いや、他人の趣味趣向にとやかくは言うまい。黙っておこう。

「おぉ、(あるじ)様よ。松露は見つかったのかの?」

「残念ながら。でもダークエルフは見つかったぜ」

「先ほどから隣で複雑な表情をしているそこな御仁かの。成程、こんな森にもえるふは住まうものなのじゃな」

「私はここに住んでるわけでは……奇特なものを見るような目はやめて頂きたい」

「であれば旅行かの? だとすれば何とも辺鄙な地を選んだものよ」

「だからそうではなく……いやその点に関しては貴殿ら人のこと言えないのでは?」

 何とも掴みどころのない、正面からは決して渡り合えないだろうと感じさせる少女だった。実際戦ったとしても勝てないのは目に見えているのだが。

 彼らはまだ森に残るとのことなので、ここで別れることとなった。

「またなジラル君。国造り頑張れよー」

「まかり間違い成し遂げたならば、祝いの品でも送ろうかのぅ」

「……応援と受け取っておこう」

 暖かいんだかそうでないんだかわからない声援を受けながら、私は亜神たちの下を離れ森の出口へと向かう。

 思いがけず窮地を切り抜けてしまったな。カースドラゴンの一件に始まり、もしかしたら私は悪運が強いのかもしれない。

 このままとんとん拍子で進んでしまうのでは……そう前向きに思わないとやってけない。ここですらまだ入り口だというのか。タクマ殿のお陰で肉体的魔力的損失はほぼゼロに近いが、精神的な疲労は免れん。

 ここからはヴェリアルと合流できるのがせめてもの救いか。あんな適当なのでもいるのといないとでは大きく違う。

「森を抜けた先で合流と言っていたが、同じ場所に出るとは限らないのではないか……?」

 少なくとも、今見えている出口付近にはいないようだ。特に合流の方法など考えずに発言したのだろう。仕方がない、森を抜けたらヴェリアルの魔力を探索するか。奴に限って私より遅いということもなかろう。

 周囲に生物の気配はないが一応警戒しつつ前進していくと、一分後にはあっけなく『磔刑の森』を後にしていた。

「ここが旧大陸か……」

 遂に踏み込んでしまったという後悔と同時に、何とも筆舌しがたい感情が湧いてくる。

 進んできた鬱蒼とした森とは対照的な、眼前に広がる広大な荒れ地。遥か先の水平線付近には剣のように険しい山々が連なり、赤みかかった分厚い雲が天に蓋をしている。

 あまねく生命を拒絶するような環境。

 魔族も人族もなく厳しい世界は、ある意味究極的に平等な世界なのかもしれない。

 これから作る国がそうなられても困るのだが。

「さて、ヴェリアルはどこに――!?」

 当初の予定通り探知魔法を使用する寸前、どこからか響く轟音。大地が砕けたような音は、小さな地響きを伴って私の下まで届いてきた。

 原生生物が暴れ出したか!? しかし周囲にそれらしき姿は見当たらない。音自体は断続的に聞こえてきて、そこまで距離は離れていないらしい。こちらに向かってくるのではなく、その場で争っているような雰囲気だ。

 時折混ざる、獣の如き咆哮。

 そして、探知魔法を使わずとも僅かに感じ取れるこの魔力は――

「ヴェリアル……!」

 温存した体力に任せ、私は弾かれるように音の発生源へと駆けていく。

 相手の戦闘力は未知数。少なくとも、カースドラゴンを一撃で屠ったあのヴェリアルが即座に戦闘を終わらせられない程度には強敵。

 私程度の加勢がどれほどの役に立つかは皆目見当もつかないが、座して待つという選択肢は端から存在していない。


 目的地へたどり着くのに、そう時間はかからなかった。

 予想していた通り、ヴェリアルは獣に襲われていたのだ。

 ただしその獣は、獣であって獣ではなかった。

「ルァァァァアアアアアアア!!」

 理性が飛んだような叫びと共に振り下ろされる――剣。

 頭蓋をたたき割らんとする一撃をヴェリアルは鼻先を掠めるような最小限の動きで躱し、お返しとばかりに蹴りを放つ。

 カースドラゴンの首を狩るほどの一撃はしかし、地に這いつくばるような姿勢で避けられ、それは全身のバネを使って後方へと跳躍。ヴェリアルとの距離を開け、剣に纏わりついた土塊を振り払う。

 二メートル近い巨体が二足で立ち剣を構える姿は堂に入っており、さながら熟練の剣士。全身は豊かな灰色の体毛に覆われ、発達した犬歯は手にしている剣に負けじとその鋭さを主張している。

 私の知る中で、該当する種族はただ一つ。

「ライカンスロープ……!」

 俗に人狼と呼ばれる魔族の一種。昼間はヒトの姿で群衆へと潜り込み、満月の見える夜にその身を狼へと変じさせ襲うと言われている。人狼自体はこれまでに何度か目にしているが、あそこまで巨大な個体を見るのは初めてだ。

 ただし、同時に疑問が生じる。

 私の感覚が正しければ、今はまだ昼前。仮に夜だったとしても、この曇り空では月など見えるはずもない。人狼がその真価を発揮できるのは、あくまで月が見える夜空の下でのみ。だとすれば、何故ヴェリアルを襲うあの人狼は獣の姿を保っていられるのか?

 気にはなるが、今はそんなことを考えている場合ではない。

 ヴェリアルを援護すべく、私は隙を伺っている様子の人狼へ杖を向けるが。

「手ェ出すなジラル!」

「っ!?」

「あいつはタイマンをご所望だ」

 私の到着を既に察知していたらしいヴェリアルから固辞されてしまう。そうしている間も、奴はひと時も人狼から目を離さない。いつになく真剣な様子に、さしもの私も手を出すことを憚った。

 睨み合っているだけの時間は、そう長くは続かなかった。

「ガァア!」

「ハァッ!」

 一息で間合いを詰めた両者が激突する。

 人狼が放った突きはヴェリアルによってその切っ先を正確に打ち払われ大きく逸れる。逆の手でヴェリアルが放った掌底は人狼が素早く振り上げた膝によって止められる。

 そこから先は目も眩むような拳と剣の応酬だった。魔法で強化した視力をもってしても、彼らの攻撃が描く軌跡を追うのが関の山。

 ヴェリアルがまだ実力を隠していたことも十分驚きなのだが、それに食らいついている人狼もまた驚嘆に値した。

 大振りは当たらないとみるや、最速で急所を射抜く突き。それすら対応されるとなれば、肉薄してからの波状攻撃で大技を叩き込む隙を作り出そうとしている。一見して本能のままに暴れているようにしか見えないが、あの人狼の戦い方には確かな理論が根付いていた。

 獣の身体能力にヒトの知性と技術が合わさると、こうも脅威となるのか。

「グルァア! ガァッ! ルガァァァアアア!!」

 ……知性、あるよな? まさか旧大陸の狼は二足歩行で剣術を修めてるとかふざけた生態はないよな? ちょっと不安になってきた。

 戦況としては、人狼が若干優勢に見える。相手が本気で殺しに来ているのに対し、ヴェリアルは無力化に留めようとしている様子だ。その分攻め手にかけ、劣勢を強いられている。傍からあの戦いを見れば、大半の者がそう判断するだろう。

 実際は全くの逆だ。

 ヴェリアルの種族はトゥルーヴァンパイア。アンデッドと呼ばれる不死の種族にして、その最上位。日光や聖気を苦手とする代わりに、それ以外の手段で滅するのは不可能とされる。

 見たところ人狼が持つ剣はかなりの業物と見えるが、魔を滅する力が宿っている気配は感じとれない。ヴェリアルの心臓を貫こうが首を刎ねようが、殺すことはできないのである。

 つまり――

「……悪いが、俺様たち一応急ぎなんでな」

 剣戟の暴威の内から、そんな呟きが聞こえ。


「そろそろ埒を明けるぜ」

 ヴェリアルは向かってくる斬撃に身を投げ出した。


「ルォ!?」

 人狼も驚きの声を上げるが、振り切った剣の動きは止まらない。袈裟に放たれた一撃はヴェリアルの肩口を捉え、胴の半ばまで深々と断ち切る。

 普通であれば明らかな致命傷。

 しかし、不死者は止まらない。

「ざぁんねん」

 凄絶な笑みを浮かべたヴェリアルの手が、前進の勢いそのままに人狼へと伸びた。咄嗟に剣を引こうとするも、既に再生を始めていた傷口に取り込まれているせいで一瞬遅れる。

 その一瞬は、あまりにも致命的な隙だ。

 人狼の喉元周りの体毛を掴んだ途端、伸ばされた手は一気に引き戻され――

「必殺ヴァンパイアヘッドバッドォォオ!!」

「オォン!?」

 ヴェリアルの放った強烈な頭突きが人狼の下顎へと突き刺さり、体重一〇〇キロは優に超えているであろう巨体が嘘のように宙を舞う。

 重々しい音を立てて地面へと落下した人狼は大の字に倒れ、ピクリとも動かなくなった。

「こ、殺したのか?」

 あまりに見事な入り方をしていたので、死んでてもおかしくないと思った。

 戦闘が終わったようなので話しかけると、ヴェリアルは体に刺さったままの剣を引き抜きながら答える。

「こんなんで死ぬほどやわじゃねえだろ。おーいてえいてえ」

「やはり痛覚自体はあるのか」

「そりゃ人並みにはな。ある程度慣れた部分はあるが、積極的に使いたい手じゃねえわな」

 話している間に、人狼から受けた傷はすっかり再生が完了していた。この回復速度は流石トゥルーヴァンパイアと言ったところか。

 ヴェリアルの方はひとまず大丈夫そうなので、私は改めて気を失っている人狼の方を検分する。

 通常の人狼ならば、例え月夜の下であろうと気を失った時点で獣化が解けているはずだ。しかしこいつは獣の姿を保ったまま白目をむいている。

 やはり珍種の狼なのではないか? この際だからもう少し詳しく調べて――

「ッ……!」

「うをぉおい!?」

 もう意識が戻っただと!? 丈夫にも程があるぞこの人狼……ていうか起きた瞬間襲ってきたりしないだろうな!?

 私は素早く距離を取りヴェリアルの後ろへと隠れるが、人狼は上体を起こすだけに留まる。先ほどまで敵対していたヴェリアルへ静かに目を向け、やがて小さくため息を吐いた。

「……成程。我輩は貴公に敗北したようであるな」

 普通に喋れるのかよ! 何だったんださっきまでの野獣そのものな振舞は!?

 打って変わって理知的に喋り始めた人狼は、小さく頭を下げる。

「断りもなく斬りかかったことは謝罪するのである。貴公から強者の気配を感じた故、昂る戦意を抑えきれず」

「良いってことよ。別に減るもんもないしな」

「命を取られかけてそのようなことが言えるのは恐らくお前だけだぞ……」

「つーかあんた地元の人? この辺に人狼の集落とかあったりすんの?」

「否、我輩は修練のために単身この地へと足を運んでいるのである。空気の腐った故郷にいては剣が鈍るばかりであるからな」

「何と……大気の汚染された地域に住まわねばならぬほど人狼は追い詰められているのか?」

「そういう意味ではない」

 私の問いかけに、人狼は殆ど吐き捨てるように。

「首を垂れてばかりで月を見上げることすら忘れたのである。見下げ果てた連中である」

「……」

「あのような場所に我輩を昂らせる強者などいようはずもない。故に我輩は修羅すら拒絶すると言われる旧大陸へとやってきたのである」

 そう低く唸る人狼は、正しく修羅と呼べる覇気を纏っていた。

 根っこからの戦闘狂というわけか……私には全く理解できない感性だな。これだけの力があるのならば、同胞らを守るために振るえばいいものを。

 複雑な気分を抱いている間にも、人狼は首を差し出すようにヴェリアルへ頭を下げていた。

「無手にて我輩の剣を完封し、加減すらして見せるその技量……やはり上には上がいるのであるな。敗者に情けは無用。この首持っていくがいい」

 その言葉や態度は、無力感と諦念に満ちているように感じた。

「つっても、種族的に俺様が有利だったからなぁ。別にあんたの命をどうこうするつもりもねえし……あ、そうだ」

「おい待てヴェリアル。何を言うつもりかは大体予想がつくが、少しは後先を考えるとか私に相談するとか――」

「俺様たちと一緒に来ねえか? ちょいと国作ろうと思ってんだけどよ」

「私の話を聞けぇ! あと軽々しく言うなそれぇ!」

 何で軽率に仲間を増やそうとしてるんだこいつは!? 本当に考え無しだな!

「冷静に考えろ。さっきまでお前を殺そうとしてた相手だぞ。それに人数が増えたら水や食料の消費も早くなる。【リフト】の備蓄は無限ではないんだぞ」

「え、何で?」

「お前が急かしたからだろうが! 用意できた物資はどんなに切り詰めても我々二人で一年分だ。帰りのことを考えたら半年で目的を達せねばならんのだぞ」

「だったらなおさら戦力は多い方がいいだろ。こっからは森と比にならねえくらい危険だが、代わりに共闘ができる。障害をさくっと踏み越えていった方が結果的に期間の短縮につながんじゃねえの?」

「そ、それは……そうかもしれないが」

 思いの外まともな理由を返され、思わず言いよどむ。

 確かに戦力にはなるだろう。人狼の戦闘力は、獣化状態ならば魔族の中でも最上位に位置する。剣の腕にしたって、素人目で見てもかなりの実力者と感じた。

 だが、仲間として背中を預けられるかと言われたら素直に頷くことはできなかった。種族としての性質上どうしても騙し討ちのイメージが強いこともあるが、そもそも奴はヴェリアルに襲い掛かっているのだ。

 あの戦闘狂発言といい、今後同じようなことが起きないとも限らないではないか。

「少なくともジラルが心配してるようなことはねぇよ」

「何故そう言い切れる」

「何故って……ったく、しゃあねぇな」

 するとヴェリアルは心底面倒くさそうに首を鳴らしながら、人狼の方へと向き直る。

 一連の会話についてこれずどこか呆けていた人狼だったが、意識を向けられたことで再びその表情が引き締まった。

「ぶちゃっけ野暮すぎて聞きたくもねえんだけど、察しの悪い脳みそカチンコチンが納得しねえから敢えて聞くが」

「誰がカチンコチンだ誰が!」

「地元の同族たちを見限って来たみたいなこと言ってたけどよ、実際のとこどうなんだ?」

「……先の言葉のとおりである」

「嘘だな」

 即答だった。

 あまりの即答に私と人狼が揃って目を剥く中、ヴェリアルは先ほどまで自身に刺さっていた剣を掲げて見せる。

「同族を見捨てて行くような奴に、旅の安全を祈るお守りを送る奴がいるかよ」

「んな……!?」

 ヴェリアルの指摘を受けた人狼は、これまでの落ち着きぶりが嘘のように狼狽してみせた。

 掲げられた剣をよく見てみると、確かに柄尻の当たりから白い何かが紐で吊るされている。あれは爪……いや、牙か?

「人狼の牙は力の象徴。それを敢えて折ってまで作る飾りには特別な意味がある。確か、死地へ赴く戦士が無事に帰還することを願うだったか」

「やけに詳しいではないか。人狼に知り合いでもいたのか?」

「個人的に調べたんだよ。これから王様になろうってんだ。まずは相手のことを知ることからだろうが……おい、何だその珍獣を見るような目は」

「あ、あぁ……違うんだ。単純に見直していた」

「へっ今更だな」

 何かと勢いに任せて行動する姿ばかりを見てきたが、この男はこの男で国を作るという一大事に真摯なのだと再認識した。

 私は奴の何倍もの月日を生きて来たと言うのに、人狼の文化など知りもしない……いや、知ろうともしてこなかったのだから。

 それは雷に打たれたように、ヴェリアルを見上げたまま呆然としている人狼も同じだったに違いない。

「あんた、名前は?」

「……サー、ベラス」

「俺様はヴェリアル。んで、こっちのダークエルフはジラルだ」

 いい加減訂正するのも面倒になって来た。もういいよジラルで。私今日からジラル。

 不貞腐れている私を他所に。

 小刻みに震えている人狼へ剣の柄を差し出しながら、ヴェリアルは告げる。

「サーベラス、俺様たちと一緒に来いよ。こんなとこでたった一人修行をすることはねぇ」


「お前が一人で全部背負う必要なんかねぇんだ」


「ォ……ォォォオォン……!」

 剣の柄を。正確にはそこに結び付けられた牙に指先が触れた途端、人狼はその場へ突っ伏するように崩れ落ちた。声を押し殺した慟哭が辺りに響き渡り、乾いた大地に雨が降り注ぐが如く涙が零れ落ちていく。

 そういうこと、か。

 この人狼……サーベラスは同胞たちを守れるだけの力を得るため旧大陸を訪れたのだろう。過酷な環境や怪物が跋扈する地で生き抜けなければ、独力では守り切れぬと考えて。

 ……これは私の察しが悪いというより、ヴェリアルの察しが良すぎるのではないのか?

 的確に相手の心を揺さぶる才能でもあるのだろうか。とんだ人たらしだ。

「ヴェリアル、お前はいつから気づいていた?」

「襲い掛かられた時点で。似たような発想に至った奴を見たことがあるからよ。そいつはもう死んじまったが」

「……悪いことを聞いたか」

「別に。随分と昔の話だ」

 そう返答するヴェリアルの態度は、どこかそっけない。あまり追求すべき内容ではないということくらいは、私にも察することはできた。

 ひとまずは、この枯れ切った地に湖でも作りそうな勢いの人狼を宥めるか。

 この先仲間が増えるというなら、水分は貴重だからな……。

Q.ルシエル「妾の出番は!?」

A.ありません

Q.ミルド「私の出番は?」

A.もうちょい先

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