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勇者がこない! 新米魔王、受難の日々  作者: 七夜
ダンジョン攻略は無計画的に
26/30

24 突然の帰宅

セーフ!(何が)

年内に更新できたからセーフ!!(だから何が)

『親愛なる父上と母上へ


 拝啓

 ルシエルです。勇者一行によるダンジョン攻略もいよいよ折り返しとなり、節目と思い筆を執らせて頂きました。

 奴らは相も変わらず好き放題やってくれやがります。つい最近も、閉鎖中のダンジョンに閉じ込められてひと騒動ありました。まあこっちの過失でもあったんですけど。とにかく大変なことになりました。

 それでもまあ、一応元気にやっています。


 父上たちは今、どの辺りにいるのでしょう。前に手紙を頂いた時にはベスティアとのことでしたが、予定通りであれば大陸東部に差し掛かっているのでしょうか。最近のシントは外との交流を積極的に行っているので、観光にはいいかもしれませんね。聞くところによると、食事がとても美味しいとか。食に対する探究心が凄まじいそうです。妾もいつか余裕が出来たら行ってみたいです。


 勇者たちも次々とその力の片鱗を見せ始め、妾としても引き締まる気持ちです。いざ玉座の間で相対する時は、本気を出さざるを得ないでしょう。そうなると、未だ制御のままならない血の力が唯一の不安要素です。

 もし父上がお帰りになった折には、是非とも制御のコツを教えて頂きたいです。無論急かしているのではなく、新婚旅行はゆっくりとして頂いて結構ですので。

 引き続き、よい旅を。

 敬具

 

 ルシエルより』


「こんなところか」

 玉座の間にて、便箋に走らせていた筆を止め妾は一息ついた。

 玉座の肘掛けは幅が広いから、ちょっとした机代わりになって便利だな。あまり行儀はよくないが、別に見る者もいない。書斎にいちいち移動するのも面倒だし、少しくらいずぼらをしてもいいだろう。

「じゃあ、発送は頼んだぞミルド」

「かしこまりました」

 書き終わった手紙をミルドに渡すと、速やかに部屋を出ていく。

 ……普段の行いのせいか、真面目に仕事をしてるところを見ると逆に違和感が凄いな。真面目に働くのは別に悪いことじゃないんだけどさ。

 今日はガリアンも普段通り魔王軍の訓練に参加してるし、ジラルは書斎で書類仕事だ。

 そして妾は……ここ数日、何もしていなかった。早い話が休養である。

 先日、改装中の『人形の遺跡』に閉じ込められた勇者のアホを救うために、妾は筆舌しがたい苦労を強いられた。死にかけたり死んだり、また死にかけたり……死ぬような思いばっかしてんなおい。

 極めつけは、中途半端ながらも解放してしまった血の力だ。

 あれのせいで、起きたら全身酷い筋肉痛みたいになって朝っぱらから大変だった。今ではだいぶ良くなっているが、大事をとって今日一日は休みを取ることにしたのだ。

 一応療養ってことになってるから、仕事も外出もできない。どうせ時間があるならと父上たちに手紙を書いたが、それも終わってしまった。

 どうしよう、やることがないぞ。このままただ玉座に座って一日をボーっと過ごしていいのだろうか。人として駄目な気がする。

 正直、痛みは殆ど引いてるんだよな。天気もいいし、外出くらいなら問題ない気はするんだが……いや、仮にも療養のための休みなのに遊び歩くのはダメだ。仮病で仕事サボるようなもんだぞ。

 この場から動かず、かつ今後のためになることをしよう。

 そうだな……そういえば、成り行きとはいえ勇者と共闘したことで奴の強さを身をもって体感した。人間かどうか疑わしいレベルでやべー身体能力もそうだが、妾が特にすごいと思ったのは精神面の強さだ。

 いかなる状況、それこそ死にかけている時ですら崩れることのない胆力は、やはり故郷での過酷な木こり生活によって養われたのだろうか。

 最近、妾には冷静さが足りていないと思っている。いついかなる時でも冷静沈着ならば、咄嗟のハプニングに見舞われても醜態をさらすことはなくなるんじゃないだろうか?

 今の妾に必要なのは……そう、何事にも動じないメンタル!


 ――と、いうわけで。

「妾が驚くようなことを言ってくれ。耐えて見せるから」

「きゅ、急に何かと言われましても」

「困るでありますなぁ」

 善は急げとばかりに、昼休みに入ったタイミングで呼び出したジラルとガリアンに協力を仰いだ。

 ちなみにミルドはまだ帰ってきていない。手紙一つ出すのにどこまで行ってるんだあいつ。

「えー何かないのか? 仕事中のトラブルとかさ」

「それを期待するのはいかがかと思いますが……あぁ、仕事と言いますと」

 何やら思い当たることがあったのか、ジラルは申し訳なさそうに懐から一枚の書類を取り出して妾へと手渡してきた。

「何だこれ、数字がいっぱい並んでるんだけど」

「『人形の遺跡』の修繕費用です。不安定状態で稼働したためか、施設やシステムの至る所に弊害が発生していたようで……」

「おっふ……」

 ち、違う、そうじゃない。

 確かに驚くべきことだけどさ。妾が求めていたのはこんなボディーブローみたいに効くやつじゃなくて、上手なビンタみたいに食らった瞬間だけびっくりする感じのなんだって。

 いやでもホント、すっげーなこれ。妾のお小遣い何か月分だよ……語彙力なくすわ。

「ま、まあ予算については後々考えるとして……他には何かない?」

「他にと言っても……あ、そういえばあったでありますな仕事中のトラブル」

「よっしゃこい」

 今度はガリアンか。

 訓練中のトラブルとなると予期せぬ負傷者が出たとか、設備をぶっ壊したとかだろうか。

 頼むから胃に来るタイプのは勘弁してくれよ。具体的には財政を圧迫しそうなやつ。

「実は今日の訓練には親父殿が急遽参加してきたであります」

「サーベラスが? そりゃまた珍しいな」

 魔王軍総帥サーベラス。ガリアンの父親である彼は、息子と違ってザ・軍人といった感じの御仁だ。老境に入っていながらそのストイックさは筋金入りで、自分にも他人にも滅茶苦茶厳しい。

 普段は自己鍛錬に注力しているが、一たび訓練を仕切れば練兵場からは兵士の悲鳴が絶えず、訓練中の怪我よりも蹴飛ばされた尻の方が痛いともっぱらの評判である。

 でも、冷静に考えたらそんなに驚くことでもないな。軍人が練兵場に顔を出すのは別に普通のことだし。ガリアンや一般兵は死ぬほどビビったかもしれないけど。

「訓練はさぞ厳しかったろうな」

「そうでもなかったでありますよ」

「え、何で?」

 今完全にそういう流れだったじゃん。

 訝しんでいると、ガリアンはスッと目を伏せて。

「親父殿、訓練開始から五分と経たずぎっくり腰で退場したでありますから……」

「ぎっくり腰ぃ!?」

 サーベラス……ついにやっちまったか。

 やはり寄る年波には勝てなかったんだなぁ。妾にはまだ想像もつかない痛みだが、ジラルが自分のことみたいに痛そうな顔してるし、相当きついんだろう。

 若いって素晴らしいね!

「ガリアンはこんなところにいていいのか? 見舞いとか行った方がいいんじゃ」

「大げさでありますよ。家に連絡したら母が来て持って帰ったでありますし」

「あの奥方が? 見かけによらずたくましいですな……」

 ガチガチに鍛えたガタイのいい軍人を、ガリアンの元の姿に似た線の細い女性が担いで運ぶ光景を想像してみる。

 何というアンバランス感。ただ奥方はウェアウルフ――獣人らしいし、あながち不可能とも言い切れないか。筋肉や骨格の質からして人間とは違う。

 しかし、変化球だったせいでちょっと驚いてしまったな。まだまだ未熟……勇者の鋼メンタルには程遠い。

 これからも精進あるのみだな、うん。

「ただいま戻りました」

「おお、やっと帰ってきたか」

 決意を新たにしていると、手紙を出しに行ったミルドが戻ってきた。

「やけに時間がかかったな」

「すみません、少々話し込んでしまいまして」

「何だそれ。知り合いにでもあったのか?」

「大体そんな感じです」

 大体って、そこぼかす必要あるかな。

 まあプライベートな内容にはそこまでつっ込まんさ。妾も道端で知り合いとあったらつい話し込むことだって……だって……あれ、つい話し込むような知り合い国内にいなくね?

 やべぇ悲しくなってきた。

「ところでいつもの面子がそろい踏みですが、またルシエル様が何かしでかしたんですか?」

「妾がやらかしたって決め打ちするのやめーや。むしろ普段やらかすのはお前の方だろ」

「これは一本取られましたね」

「取ってねえよ。あぁそうだ、ミルドにも一応聞いておこう」

 今言った通り、妾が取り乱す時は大抵こいつが原因だ。

 ミルドの発言に耐えることができれば、それはもはや勝ちと言っていいのでは?

「この二人にも頼んでいたのだが、何か妾を驚かせるようなことはないか?」

「成程。でしたら、丁度ルシエル様にお伝えすることが」

「おぉ、準備がいいな……よし、どんとこい!」

 深呼吸と心の準備は済んだ。

 今ならちょっとやそっとのことじゃ驚かない自信があるぞ。根拠はないけど!

「これはつい先ほどのことなのですが――」


「ヴェリアル様と奥様がご帰還されました」

「「「えぇぇぇぇぇぇええええええええええええええ!?」」」


 完っ全に予想外の方向から切り込んできやがったー!?

 え、マジで? 父上たち帰ってきたの? 何で?

 予定じゃまだ数か月は先のはず。前の手紙に「近い内に帰るかも」とか書いてあった気はするけど……にしたって転移魔法は使わずのんびり旅するとも言ってたし、最後にもらった手紙が発送された場所的にもこんな早く帰ってこれるわけが……!

「ていうか何でミルドは知ってるんだ! 事前に連絡とかあったっけ!?」

「い、いえ……儂の方には何も」

「何故かといわれましても、先ほど手紙を出しに行く途中で会いましたし」

「本当につい先ほどじゃねえか! もっと騒げや国民たち! 先王帰ってきてんぞ!」

 まさかこの国の住人たちは、王族が町中を闊歩してても平然と受け入れるメンタルの持ち主なのか?

 それって下手すりゃ勇者よりやばいのでは!?

 色んな意味でザハトラークの将来が心配になった妾だったが。

「奥様が幻惑魔法をお使いになられていて、住民は誰一人気づいていませんでした。私は気づきましたけど」

「最後の主張いる? でもまあ、それなら外が静かなのも納得か……」

 母上はかつてアルベリヒ陛下の弟子として魔法を学んだ天才魔導士だ。得意とする魔法は攻撃系の派手派手なやつばっかだが、それ以外の系統に関しても一通りは極めている地味にやばい人である。伊達に父上を下していない。

 姿そのものを見えなくしたのか、個人を特定できないレベルに認識をあいまいにしているのか……一応騒ぎが起きないように気を遣ったのかな。

 そういう気遣いができるなら、せめて帰ってくる前に一報欲しかったなぁ。出迎えの準備とか色々できたのに。

 ん、待てよ。

 ミルドが外で父上たちに会ったということは……。

「手紙は直接お渡ししたので、もうじき魔王城へお越しになるかと」

「マジかよ!」

「マジです。ところでさっきから驚きっぱなしですけど、そんなメンタルで大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃない問題だ! 狼狽えない方がおかしいわこんなん!」

 とととと、とにかく出迎えの準備しないと……中庭に一旦全員集めて門の裏で整列させて、妾たちは玉座の間で待機……あと服装とかももうちょっとしっかりしたのにして、それからそれから――


「ただいまー!」

「うわぁぁああああ準備する暇を与えないお帰りなさいませええええええ!?」


 ≪テレポート≫で全部スキップしてきただとぉ!? 何それ卑怯!

 毛先に緩くウェーブのかかったプラチナブロンドの髪に、妾と同じ色をした瞳。そして血の繋がりを疑いたくなる圧倒的巨乳!

 目の前に現れたのは間違いなく、アーシア=エル=ザハトラークその人であった。

 身も心も準備を終えないまま、妾は母上と再会してしまった。

「あらあら? どうしたのルシエルったら、いきなり大きな声出して」

「いきなり目の前に現れておいてそれ言う!? ていうか父上は!?」

 一緒にいるはずの父上が見当たらない。

 母上に限って転移ミスはあり得ないと思うが。

「ダーリンは歩いてくるって。久々に町を見て回りたいらしくて」

「なるほど……」

 歩いてくるならまだ時間的にも余裕があるな。

 手遅れ感は否めないが、せめて父上を出迎える準備くらいはできそうだ。

 あと心の準備も。

「よ、よし。一旦城内の業務をストップさせて出迎え体勢を――」


「帰ったぞー!」

「おわぁああああ人生に余裕がなさすぎるお帰りなさいませええええええ!?」


 心にゆとりがなさすぎる! 何て日だ!

 バーン! と勢いよく扉を開いて現れたるは、妾と同じ色の金髪をオールバックにまとめたナイスミドル。純血のヴァンパイアであるためその瞳は紅く、自ら発光しているような煌めきを放っている。

 間違いなく純度百パーセント、ヴェリアル=ギル=ザハトラークその人であった。

 驚くあまり椅子から転げ落ちた状態で、妾は父上と再会してしまった。

「おぉルシエル、俺様が帰ってきて飛び上がるほど嬉しいか!」

「飛び上がるほど驚いたんだよ! 嬉しくないわけじゃないけど!」

「そうかそうか、クハハハ!」

 なにわろてんねん。

 こうして会うのは何か月かぶりだけど、相変わらずというか……細かいことは気にすんなを地で行く人だな。ディータとは気が合うかもしれん。

 ミルドの手を借りて立ち上がっている間に、父上は妾たちの近くまで歩み寄ってきていた。

 そして当然のように腕を絡める母上。おい娘の前だぞ。

「随分早かったのねダーリン」

「よくよく考えてみりゃ、数か月そこらじゃ大して街並み変わってなかったからなー」

「そんなポンポン施設立てたりする予定も予算もないから……ていうか、ここまで来る途中で誰にも会わなかった?」

 扉が開いた際にも、何ら喧噪らしきものは聞こえなかった。

 こんな堂々と先王が帰ってきたら普通パニックになると思うんだけど。部屋に入って来た時には幻惑魔法解けてたが、直前まではもってたのかな?

 なら騒ぎが起きていないのも頷けるな。

 そう安心したのもつかの間。

「あー下の連中な。なんか俺様見た途端白目剥いてぶっ倒れていったぞ」

「って解けてるし!? どおりで静かなわけだよ畜生!」

「そういえば、家に着くまでって条件付けしてたわねぇ」

「だって家で正体隠すって滑稽じゃね?」

「技術はあるのに圧倒的に配慮が足りていない!」

 もうこれだから天才は! いや天災か?

 何にせよ、もう考えるだけ無駄ということは理解した。全部後の祭りである。せめて外でパニックが起きなかった幸運に感謝しよう。

 気分が落ち着いたというか、諦めが付いたところで。

「そもそも、帰ってくるのはもっと先の予定ではなかったのか」

「理由か? んなもん……えーっと、ホームシック?」

「うわ嘘くさ。絶対適当に今考えたろそれ」

「ウソジャナイ、ウソジャナイゾー」

「誤魔化すの下手くそか! 自分で言うのも業腹だけど、そういうとこ完全に親譲りだよ!」

 間違いない。この親絶対何か隠してる。

 いくら破天荒で無計画な父上だって、元は一国の主だったのだ。現に魔王城へ来るまでは余計な混乱を招かないように姿を隠していた。

 つまり、事前の連絡とか出迎えとかそういう過程を一切省いて帰ってこなきゃいけない理由があるはずなのだ。

 だって、あの母上だぞ。

 一七年間新婚みたいなテンション保ってたかと思ったら、一八年越しの新婚旅行とかいう矛盾極まりない企画を決行したあの母上だぞ。

 半端な理由で中断して帰ってくるわけがない!

 だがあくまで問い詰めるのは父上だ。母上相手に力押しは通用しないが、父上は案外プレッシャーに弱い。

 一歩も引かない気持ちを視線に込めていると、やがて折れたのか。

「……訳を話すと、少し長くなる」

「問題ないぞ。妾は丸一日休みだからな」

「そうか、なら――」


「ちょっくらジラルと飲みに行ってくるわ」

「「何でそうなる!?」」


 妾とジラルは同時にツッコんだ。

 今の流れでどうすれば飲みに行くって結論に至るのか。しかもジラル付き。

「何だよー俺様たち帰って来たばっかりなんだぞ? 少しくらい休ませろよー」

「いやもっともだけど! 今の流れで出てくる発言じゃない!」

「なーに、夜には帰ってくるって。んじゃ、こいつ借りてくぜ」

「ちょ、儂の意思は無視ですか!?」

「無視だな!」

「いや力強く肯定されても困りま――ぬおおおおおぉぉぉぉぉぉ……」

 全く取り合う気のない父上に襟首を掴まれ、物凄いスピードで引きずられていくジラル。それを「いってらっしゃーい」と笑顔で見送る母上。何故か敬礼しているミルド。呆然と立ち尽くす妾とガリアン。

 嵐が過ぎ去った後のような、そんな無力感であった。

「尊い犠牲でした」

「いや死んでないから。勝手に亡き者にするな」

「それより、午後の業務はどうするでありますか……夜まで帰ってこないと仰っていたでありますが」

「うーん」

 今のところ急ぎで片付けなければならない案件はなかったはず。他の執務官にジラルの代行を頼んでもいいのだが、ここへ来る途中に何人の城の者が父上リアルショックでダウンしているかもわからない。ぶっちゃけ確認したくもないし。

 ……よし!

「今日は休業にしよう」

 妾は深く考えることを放棄した。

 もうみんな休めばいいと思うよ。


 ◇


 ……さて。

 色々と騒ぎになってしまったものの、母上と久々の対面である。旅行中の出来事は手紙でそれなりに把握しているが、短い手紙ではかいつまんだ内容になっているだろう。こういうのはやはり直に聞くに限る。それに近況報告もしたい。

 折角天気もいいことだし、妾たちは場所を庭園へと移した。父上たちが酒を飲んでる間、こちらは優雅な午後のティータイムと洒落込むとしよう。

 ちなみにガリアンは帰ってしまった。「女性三人の空間に男一人はちょっと……」と。まあ気持ちはわからんでもない。

 そんなわけで庭園の中ほどにある東屋には妾とミルド、そして母上の三人しかいない。

「こうして一緒にお茶をするのも久々ね」

「母上たちが出発したのは三か月くらい前か。確かに結構経ってるなぁ」

「少し見ない間にルシエルも大きく……大きく……」

「必死に育ったとこ探すな! 三か月そこらじゃそんな変わらないから!」

 頭頂とか胸元辺りを往復する視線を振り払いつつ、紅茶を一口啜った。

 高級茶葉の香りがよく引き出されている。これを淹れたのは、席につかず妾の側に控えているミルドだ。戦闘力ばかりに目が行きがちだが、伊達に専属メイドはやっておらず家事能力に関しても他の追随を許さない。

「ミルドちゃんの腕も変わらず凄いわねぇ。そんな所に立ってないで、あなたも座ったら?」

「いえ奥様、この位置がベストなのです」

 空いてる席へ促されるも、ミルドは小さく頭を下げて固辞し。

「奥様から何か放たれた時にルシエル様が守って下さるので」

「平然と主人を盾にすんなや!」

「あら、緻密に計算された立ち位置だったのね。賢いわぁ」

「今の発言で出る感想がそれかよ! それでも人の親か!?」

 ていうか本気で何か放つ気じゃないだろうな?

 やめてくれよ庭園のど真ん中で……妾と庭師が泣くぞ。あと昼寝中のフィンスターも。

 忸怩たる思いを紅茶と共に飲み下す。優雅さを追求するのはこの際諦めよう。

「……それで、旅行は結局どの辺りまで行ったんだ?」

「丁度予定の半分くらいね。地元のロドニエを含めて、四か国は回ったかなぁ」

「かなりのハイペースですね。移動に転移は使用しなかったのでは?」

「一か所にはあまり留まらなかったからかしら。国を移るような長距離を移動する時はダーリンが私をおんぶして走ってたし」

「いや馬車使おうよ。何青春の一ページみたいなノリで国境跨いでんだ」

「節約よ節約。長旅なんだし、切り詰められるとこは切り詰めなきゃ」

 切り詰めるところが移動費になるあたり、やはりぶっ飛んだ夫婦である。

 馬車馬の如き扱いを受けていたらしい父上だが、嬉々として街道を突っ走る光景が目に浮かぶようだ。あの人の心の中には永遠に少年が住んでいる。

 そしてピークはとうに過ぎたといっても、トゥルーヴァンパイアの父上が全力で走れば馬なんて目じゃない速度が出る。すれ違った乗合馬車からは、音を置き去りにする中年というさぞ奇特な光景が見えただろう……トラウマになってなきゃいいが。

「最初はアルヴヘルツの教会に顔を見せに行ったわ。嫁いで以来一度も顔を出してないのを思い出して」

「そういえば母上は孤児院の出だったな。ていうか忘れてたって酷いな」

「新婚生活が楽しすぎてつい……あ、手紙でのやり取りはしてたのよ?」

 にしたって一応育った場所なのだから、結婚の報告くらい行けばよかったのに。長距離転移使えるんだし。

「流石に焦ったわね。シスター今年が一二〇歳の誕生日で、先も長くなさそうだったし」

「ヒューマンで!? ご長寿ってレベルじゃねーぞ!」

「そうねぇ。最近手紙も来なかったから」

「手遅れだったのでは?」

「縁起でもないこと言うな!」

 でもヒューマンの平均寿命って七〇歳弱だし。八〇を超えたら超長寿で、九〇以上となるともはや人であるか疑わしい。

 そこに来て一二〇歳とか……生きて動いている姿が想像もつかないぞ。

 で、でも母上の調子からしてお亡くなりになったってことはないよな? 

「大丈夫よ、ちゃんと生きてたわ」

「そ、そうか。それは何より――」

「ダンベル片手にチキン噛み千切ってたもの」

「想像していた一二〇歳と違う!?」

 生涯現役にも限度があるぞ! 失礼だが本当に人間か?

「『子供は食わなきゃ育たん』って、鉈片手に山で獣を狩ってくるような人だったからねぇ」

「聖職者というか肉食獣じゃねえかそれ……」

「では無事ご挨拶できたのですね」

「えぇ。ダーリンと熱く拳で語り合ってたわ」

「肉体言語で挨拶って……クラーク氏といい、バイタリティに溢れた老人が多いな。少数派であると信じたいけど」

「年の功ですよ」

「年の功ってそういう意味じゃねえから」

 まあこういっちゃ悪いが、脳筋のきらいがある父上とは波長が合ったのかもしれない。今ではジラルに並ぶ忠臣であるサーベラスも、タイマンの殴り合いの果てに従えたらしいし。年齢三桁の老人相手に拳を振るうのはどうかと思ったが、話を聞いてる感じだとむしろシスターの方から殴りかかったっぽい。

 よくよく考えてみたら、母上の育ての親だもんな。そりゃまともじゃないわ。

「ロドニエに滞在してたのは一週間くらいで、その後は二日くらいかけてベスティアまで移動したわね。休憩と観光しつつだったから結構かかったわ」

「むしろ移動時間短すぎて距離感が狂いそうなんだけど……」

「ベスティア……一体どのような楽園だったのでしょう」

 ミルドがどこか遠い目をしながらポツリと呟く。

 ベスティアは大陸南部の海に面した国であり、その異名はずばり〝獣人大国〟。国民の八割以上が獣人かその血を引いており、種族ごとに暮らしやすい環境が違うためか国内でも地域によりかなり生活習慣が変わる。物珍しさから観光地としても人気は高い。

 かく言う妾も、暇さえあれば一度は行ってみたいと思っている。獣人自体は時折見かけるものの、彼ら主体の社会というのは中々お目にかかれないからな。

 え、いつも暇そうだって? まさかー。

「あそこはある種の異世界よ。まず獣人以外の種族と殆どすれ違わないし、門一つ挟んで街並みががらりと変わるし」

「無理に整合性を保とうしないのは潔いというか、大雑把と言うか……」

「実際あの国の人たちは王族も含めて大らかよねぇ。王様が道端で日向ぼっこしてても誰も気に留めないし」

「それは気に留めた方がいいと思うんだが!? ていうか何故道端で!?」

「日課の散歩中にいい感じの日差しが来たからって」

「自由過ぎる!」

 行動が獣人というか、獣そのものなのは気のせいだろうか。前に挨拶回りで伺った時は間違いなく獅子の獣人だったが……しばらく見ないうちに人間やめちゃった?

 元々野性味あふれる御仁ではあるが、それで本当に野生に帰ったら元の子もないと思う。

「他に印象深かったのは、やっぱり料理ね」

「ベスティアの料理は有名ですね。色んな意味で」

 ミルドの言い方に含みがあるが、本当に色んな意味で有名なのだ。

 生活形態が国内でも二転三転するベスティアでは、当然食文化も地域ごとに大きく変わる。国外の人間には理解しがたいものも結構あるらしい。

「そういえば手紙に珍味がどうたらとか書いてあったけど、結局挑戦したのか?」

「えぇ、国境近くにあったキャットピープルの集落でね」

「……へ、へぇ」

 キャットピープル……つまりチットの同族か。

 確か、あの猫耳は飯が不味いのに耐えかねて地元を離れたと言っていたが……ま、まさかだよなぁ?

「中々凄まじかったわよ。私は完食したけどダーリンは半分くらいで意識飛んでたし」

「父上が気絶するような料理をサラッと完食してるし……」

「食べた村長の娘が何か月も家に帰ってないって聞いた時は大げさと思ったけど、納得の不味さだったわねぇ」

「……へ、へぇ」

 あいつ割といいとこの娘だったのか!? いやまだ本人とは限らないし……でも状況と期間が合致しててもはや本人としか思えないぞ。

 直接聞いてもはぐらかされそうだしなぁ。今度勇者を唆してそれとなく聞いてみるか。

「ベスティアの次はセントリアね。と言っても、あそこは殆ど通過したようなものであんまり長くはいなかったわね。移動時間を除いたら、滞在したのは精々三日くらい?」

「観光はしなかったのか?」

「厄介なおじ様がいるのよ……前にこっちにも来たらしいじゃない」

「クラーク氏のことか。そうか、あの人も元勇者だったな」

 母上からすれば、クラーク氏はさしずめ苦手な先輩といったところか。確かにクラーク氏はいかにも理論派って感じで、感覚派の母上とは噛み合わなそうな気がする。

 予想は正しかったのか、母上は珍しく不機嫌そうな表情を隠すことなく愚痴る。

「クラークさんったら、『お前の魔法はおかしい』って会うたびうるさいのよ。面と向かっておかしいだなんてホント、失礼しちゃうわ」

「うん……そうだな」

 母上の魔法がおかしいのはみんな知ってる。怒らせると怖いから面と向かっては言わないけど。その点、クラーク氏であれば明け透けに言いそうだ。妻であるシルの扱いからしてあれだもの。

「自分より四〇も年下の女の子に子供産ませた変態オヤジのくせに!」

「母上の方がだいぶグレードの高い失礼だな……ていうかそれ言ったら父上の方がヤバいぞ」

 何せ二人が結婚した当時、母上は一七歳で父上は八九歳。年の差にして七二である。ほぼ二倍近いじゃねえか。

 しかし母上は強かった。

「ダーリンはいいのよ。そもそも私が襲ったんだし」

「そういやそうだったわ……」

 当時現役バリバリだった父上を下した挙句、満身創痍の魔王を元気いっぱいに寝室へ引きずり込んでいったという逸話は決して酔っ払いの狂言ではない。

 魔法とは言わず存在そのものがおかしいのでは?

「あの頃は若かったから!」

「若さは全てを解決する免罪符じゃないぞ」

「一八年前というと、ちょうど今のルシエル様くらいのお年頃でしたね」

「あら本当。ルシエルもそろそろ浮いた話が出てくる頃かしらねぇ」

「やめろ! 二人して生暖かい視線を向けてくるな!」

 この二人が一緒になるとマジで手が付けられない。ミルド一人でさえ手を焼いているというのに……ガリアン帰さなきゃよかった。

「手紙でも聞いたけど、例の勇者君とはどうなのよ? 噂じゃ結構いい男みたいじゃない。早めに手を打たないと掻っ攫われるわよ」

「だから、あいつとはそんなんじゃないから」

「またまたぁ。ミルドちゃんから見てどう?」

「滅茶苦茶意識しているのは確かですね。単純に男性への免疫がないとも取れますけど」

「あー確かに。ルシエル胸小さいものね……」

「胸の大きさと異性への免疫に何の関係性がある!? 根拠のない憶測を語るんじゃぁない!!」

「やだもー、この子ったらクラークさんみたいなことを」

 ちくしょう、こいつらちょっと胸が大きいからって調子に乗りやがって!

「妾はまだ成長期が来ていないだけで、遺伝子的には巨乳なんだ!」

「言ってて胸元が虚しくないですか?」

「胸元はともかく心は虚しくなった!」

「この自爆癖も相変わらずねぇ」

「勇者とか胸の話はもういいから! 話の続き!」

「え~」

 不満そうな母上に先を促す。

 今は恋バナをする時間ではないのだ。

「予定通りなら東側に向かったんだよな?」

「そうよ。さっきミルドちゃんからもらった手紙見たけど、ルシエルの希望通りシントに行って来たわ」

「別に希望したわけじゃないが……でもそうか、やっぱ普通に入国できるんだな」

「あの国が閉鎖的だったのはだいぶ前の話よ。シントから出ていく人間が殆どいないから未だにそう思われがちだけど」

 ベスティアと同じで内需が満たされているパターンか。元々千年単位で鎖国してたのに大国を保ってたんだもんなぁ。割と外部との繋がりが命綱なウチとは国力が違う。まあ国の成り立ち自体が他と全然違うし、比べても仕方がないところはある。

 何せ、シントは神の一族が統治する国。より具体的に言ってしまえば、亜神によって作られた国なのだ。

 かつて小規模な部落が点々と存在していた大陸東部をまとめ上げたのは、シングウジと名乗る二柱の亜神。亜神たちは強大な力を自国の安寧と発展のためだけに振るい、今もなお表舞台に出ることなく国の象徴として君臨し続けている。

「独特な文化とは話に聞きますが、実際のところはどうなのでしょうか」

「ベスティアとは全く別方向で異世界ね。建築物も工芸品も見たことないものばかりで、同じ大陸で育まれたものとは思えなかったわ」

 外部との関りを断ってた分、独自化が進んだんだろう。それ自体はシントに限ったことではないが。

「そんなに違うのか」

「違うわよぉ。ご飯の時大変だったんだから。フォークとかナイフじゃなくて、こんな二本の棒を使ってみんな食べてるのよ。信じられる?」

「箸という食器ですね」

「知ってるのかミルド」

「昔、父が戯れで導入しまして。扱いには慣れが必要でしたね」

 昔ってどれくらい昔なんだと問いかけたが、寸でのところで留まった。こいつ相手に年齢に関係するかもしれない話はご法度だ。アイアンクローは嫌だ。

「私たちは諦めてもう刺しちゃったわよ。でも料理は評判通りね。変わった味付けが多かったけど全部美味しかったわ」

「へぇ、何か気に入ったのはあった?」

「そうねぇ……」

 母上は記憶を見返すようにしばらく宙を見つめて。


「ダーリンはカツドンっていう家庭料理が気に入ったみたいよ? 案内役のタッキーも一押しだったわね」

「あ、何か色々と確定した気がする!?」


 カツドンと言えば忘れもしない。妾が初めて勇者に会った日、奴の家で振舞われた料理だ。ネリム曰く、クロイツ氏の故郷では庶民的な料理である。つまりクロイツ氏がシント出身なのは確定。

 そしてタッキーもシントの関係者でほぼ確定。ていうか何で案内役なんてしてんだあいつ。まさか本職がツアーガイドとかそんなことないよな? あれだけ底知れなさを見せておいて。『海魔の神殿』じゃ勇者やクロイツ氏との関係も聞けずじまいだったが、こうなってくると他人の空似じゃ説明がつかんぞ。

 しかし思わぬところで情報が出てくるもんだな。世間は広いやら狭いやら。

「実はこっちに転移してくるまでシントにいたのよね。なんだか居心地よくって」

「そんなにかぁ。やっぱ一度は行ってみたいものだな」

「東側にはあまりダンジョンもありませんし、勇者様にかこつけては行けませんからね」

「おい、まるで勇者をだしに妾が不当な外出をしてる風にいうのはやめろ」

「してる風というか事実では?」

「いやー何のことだかさっぱりだ」

 人聞きの悪いことを言わないで欲しい。全ては必要に駆られての行動である。

 クレームは問題行動ばかり起こす勇者たちの方へ出してもらいたい。

 ……問題行動と言えば、結局どうして母上たちは急に帰って来たんだろう。答えるはずだった父上はジラルと酒場へ繰り出してるし、今母上に尋ねてもはぐらかされそうだ。

 戻ってくる直前まではシントにいたらしいが、これはすぐに戻らざるを得ない何かがシントであったとも考えられる。国内のごたごたなら単に国を出てしまえば済む話だ。わざわざ帰ってくる必要はない。

 ザハトラークに関係することか、それとも――

「眉間にしわが寄ってるわよー」

「ぬあっ」

 不意に伸びてきた二本の指に眉間を摘ままれ、軽く仰け反る。

 犯人は確かめるまでもなく、母上だ。

「いきなり何をするんだ!」

「お茶会の最中に難しい顔してるからよ。もう、王様になって考え込む癖でもついた?」

「癖というか、王にもなって考えなしじゃ色々不味いだろ」

「公私は分けなきゃダメよ。まぁ、何を考えていたかは大体想像つくけど」

 そう言うと、母上は仕方なさそうに苦笑し。

「突然私たちが帰ってきて戸惑ってるみたいだけど、そもそもの原因はルシエルなのよ?」

「え、妾?」

「えじゃないわよ。あなた、血の力使ったでしょ」

「え゛」

 な、何故バレてるんだ!?

 母上には『人形の遺跡』での顛末を話していないし、手紙でも詳細は省いて血の力に関しては言及しなかったのに!

「何故バレてるんだって顔してるわね」

「何故バレてるんだ!?」

「いっそ潔いわね。全く、あれほど使うなって言われてたのにねぇ……あ、何でわかったかは後でダーリンに聞いてね。お説教は私の役目じゃないし」

「じゃ、じゃあ母上たちが帰ってきたのは……」

「身から出た錆ですね」

「辛すぎる!」

 まさか説教のために旅行を中断してくるなんて。いやまぁ、確かに約束破った妾が悪いんだけどさ。でもあの場じゃああする以外になかったじゃん? 不可抗力じゃん? 仮に怒られるなら、元凶である勇者と原因であるジラルもここにいるべきじゃん?

「さて! 旅行中の話はこれくらいにして、今度はルシエルの活躍を聞きましょうか」

「余罪の追及ですか」

「この流れだとマジでそうとしか思えないんだが!?」

 主観的に見ても無茶苦茶してきたこれまでの活動を、いかに当たり障りのない内容として話すか。夜に帰ってくるであろう父上にどう事情を説明したものか。

 これらに意識のリソースを持っていかれ、啜った紅茶は殆ど味がしなかった。


 ◇


 予告通り父上は夜、というか夕飯前には帰ってきた……完全に酔いつぶれたジラルを背負って。

 昔話に花を咲かせていたら酒量が凄まじいことになっていたらしい。ジラルは割とアルコール強い方だったはずだが、よほど飲んでなきゃやってられない過去を思い出したのだろうか。

 母上はミルドと一緒に夕飯の準備中。ジラルは別室で療養中。

 つまり、妾と父上は現在玉座の間で一対一である。

「んで、その様子だとこれから何が起きるかわかってるみてーだな」

「はい……」

 床に正座したまま、妾は更に縮こまる。

 お茶会の時点で一体どんな雷が落ちるのか戦々恐々としていたが、予想に反して妾を見下ろす父上からはそれほど怒気を感じなかった。

「体は大丈夫か?」

「体は、うん。半日休んだらだいぶ良くなった」

「未遂でよかったな。完全に開放してたら筋肉痛じゃ済まねえぞ。肉離れだ肉離れ」

 例えが何故か筋肉寄りになってる。いまいちイメージしづらい。

 とりあえず、ただでは済まなかったと言いたいのだろう。

「約束を破ったのはいただけねぇが……まぁ、とやかくは言わねえ」

「お、怒ってないのか?」

「怒ってるぞ。そりゃーもう激おこだ。かと言って、頭ごなしに怒鳴るのは大人のやり方じゃあない」

 そう言って父上は「よっこらせ」とその場に胡坐をかく。

 玉座の間なのに二人して玉座をほったらかしで床に座るという、傍から見れば何とも珍妙な構図だった。

「酒場でジラルからも事情は聞いてるしな。大体アイツのせいだわ」

「それな」

「一応説教中なんだから乗っかんなって」

「はい……ところで、どうして妾が血の力を使ったってわかったんだ?」

「別に大したもんでもねえよ」

 父上は親指で自分の心臓辺りを指し示す。

「血の力は殆どルシエルに移っているが、こっちにも小指の先っちょくれーには残ってる。力が解放されれば、俺様の側にある残りカスも反応するってわけだ」

「なるほど、血の繋がりってことか」

「そういうこった。言っておくが、割と本気で心配したからな? おくびも表には出さなかったろうが、アーシアの方は特にだ」

「それに関しては死ぬほど反省してます……」

 あれほど楽しみにしていた新婚旅行を中断してまで帰ってきたくらいだ。一体どれだけ心労をかけたのか。

 シュンとしていると、父上も罰が悪そうに頭を掻いて。

「本当ならちゃんとした力の制御を教えてやりてーとこなんだが……俺様はその辺感覚だし、そもそも血の力は解放しただけで死にかけるもんじゃないんだよなぁ」

「そうなのか? てっきり父上は完全に制御しているから平気なものだと」

「血の力ってのは、要するに体に流れてる血ぃそのもんだからな。本来なら本体を傷つけるようなもんじゃねぇ。制御ミスりゃ軽く火傷はするが、精々その程度だ」

「じゃあ、おかしいのは妾の方なのか……もしかしてハーフだからか?」

 妾は純血のトゥルーヴァンパイアではない。別にそのことに思うことは一切ないし、違和感を感じたこともない。

 しかし体質的に全く影響がないわけではなかったということなのか……っは!

「まさか、妾の成長期が来ないのも!?」

「そりゃ単純に発育が悪いだけだろ」

「即答するなよ断言するなよ!」

「いやそんなの聞いたことねえし……あんま根拠なしに言ってるとクラークのおっさんに怒られるぞ」

「急に真面目ぶるなよー!」

「クハハ。まぁ真面目ついでに言うが、ハーフなのも関係ねぇよ。その辺はルシエルが一度死にかけた時おっさんに調べてもらった」

 これは初耳だった。

 二年ほど前、血の力を初めて解放した妾は手ひどい反動で三日ほど寝込む羽目になったのだが、その時既にクラーク氏へ依頼していたようだ。

「ハーフつってもトゥルーヴァンパイアの血は強いからな。少なくとも肉体が貧弱ってことはねぇ。結局根本的な原因はわかってねえんだが」

「……それがわからなきゃ、妾は血の力が使えないのか?」

「なるべく使って欲しくはねえな。アーシアも同じだろうよ」

 至極真っ当な意見だ。使うたびに死と隣り合わせになるような能力を娘が使うことを両親が良しとするはずがない。

 それでも父上と勇者の戦いを見てきた妾にとって、『煉血』は強さの象徴になっている。あれを無くして、底知れない強さを持つ勇者たちと渡り合うビジョンが見えてこないのだ。

 心配をかけたくないが、それだと妾には戦うための力が――

「なーに難しい顔してんだ!」

「ぐおおおお」

 突然頭をガシガシと撫でられ、思考の中断を余儀なくされた。

 これさっき母上に同じようなことされた気がする……。

 不服を申し立てようと顔を上げたが、父上が少年のような笑顔をしてるもんだから何も言えなくなってしまう。

「焦る必要なんかこれっぽっちもねえだろ。血の力なんぞ使えなくても、ルシエルは俺様よりよほど強くなれる」

「な、何を根拠にそんな」

「おいおい、忘れちゃいないか? お前にはアーシア譲りの才能……『煉血』を解放した俺様を真正面からぶっ潰した、魔法の才能があんだろ」

 ――あ、確かに。

 言われてみれば、母上は圧倒的な血の力に打ち勝っているんだった。いやまあ、あれを基準に考えていいのかは甚だ疑問ではあるが……。

 少なくとも、その血はこの身に流れている。

「成熟してねえのは体だけじゃねえってことさ」

「体は余計だろ! いくら娘相手とは言えセクハラだぞセクハラ!」

「まだダンジョン攻略も半分なんだろ? 時間なんていくらでもあらぁ。血の力なんて近道に頼らんでも、ルシエルはまだまだ強くなれるぜ」

「無視するなよ……ったく」

 不満が口から漏れるものの、気分はスッキリしたものだ。

 父上の言う通り、常識外れな勇者たちの戦闘力を垣間見て少し焦りすぎていたのかもしれない。血の力を使わなければいけないという強迫観念に駆られていた。

 どうにも一言二言多いが、父上の励ましは実に効果的だった。

 要は伸ばせる部分から伸ばしていけばいいのだ。差し当たっては魔法の鍛錬を重点的に行うべきか。ちょうど母上も帰ってきていることだし、稽古でもつけてもらおう。理論的なことは全く学べる気はしないが、実戦形式で何かしら掴めるものはあるかもしれない。

 今日は遅いし明日にでも……って、そういえば聞いてなかったな。

「父上たちはいつまでこっちにいるんだ?」

「明日には出るぜ」

「そうか明日――って明日ぁ!? 弾丸過ぎる!」

「元々予定じゃなかったしなー。俺様としてもあんま国を空け過ぎるのはどうかと思うし、かと言って旅行自体はアーシアが楽しみにしてるから中止にもできねぇ」

「それは見てればわかる」

 旅行中の話をしていた母上は本当に楽しそうだったからな。引き留めてまで教えを乞うのは流石に気が咎める。

 当てが外れてしまったのは残念だが、こればっかりは仕方がない。これまで通り自主練に励むしかなさそうだ。

 ……まぁ、努力する方向性が見えただけよしとするか。

「んじゃ、そろそろ行くか。もう飯もできてる頃だろ」

「そうだな。ところで、母上って料理できたのか?」

「結構できる方だぜ。嫁に来る前は勇者として一人旅してたんだしよ。今回も旅行先で土産用に食材も買い込んでたしな」

「へぇ、そいつは楽しみだ」

 思えば母上の手料理を食べるのってこれが初めてかもしれない。王妃が台所に立つこと自体が普通ないし。

 一体どんな料理が出るのか楽しみにしながら、妾は父上と玉座の間を後にする。



「……ナニコレ」

「ベスティアで食べた例の激マズ料理よ。せっかくだから体験してもらおうと思って!」

「ありがた迷惑すぎるわ!!」

「逃げては駄目ですよ旦那様」

「畜生回り込まれた!?」


 ただ一人、別室で寝込んでいたジラルだけが難を逃れたのだった。

 味については……思い出したくないからノーコメントでお願いします。


 ◇


 往々にして、物事は予定通りに進んでくれない。どんなに先の見通しを立てたところで想定外は常に付きまとうもの。三九年という長いのか短いのかよくわからない人生の中、クロイツは現実をそういうものだと受け止めていた。

 ただし、同時に思う。

 想定外にも限度があると。

「あれがクロイツさんのご実家なんですか? 大きいですね~」

 呆然と立ち尽くすクロイツの隣で、眼前の建造物――シントを統べる一族の居城たる神居殿(かむいでん)に対して実に率直な感想を述べる女性。吹けば散ってしまいそうな儚さと、側にいるだけ脱力してしまいそうな緩さが同居した、独特な空気を纏っている。

 どう多めに見積もっても成人して数年程度な若々しさの彼女――セレナが、まさか横にいる中年の妻で二児の母であるとは誰も思うまい。

 五年ぶりの再会を果たしたセレナがシントまで同行することになったのは、許容可能な想定外だった。本当は村でいつでも避難できるよう待機していて欲しかったが、頑として譲らない彼女を説得するのは不可能に近く、いっそほとぼりが冷めるまで実家で保護してもらう方が安全だと結論づけた。本来は一週間弱の強行軍で大陸を横断する予定だったのが、セレナを連れたことで倍程度になったのもまだ許容可能だった。

 だが、シントに辿り着き久方ぶりの生家が見えてきた段階でクロイツは自身の目を疑い。

 そんな馬鹿なと近づき、何かの見間違いでもないことが確定した時点で一刻も早くこの国から立ち去りたくなった。

 何故ならそこには、家から閉め出され泣きながら門を叩く――


「アサギぃぃいいいいい! 俺が、俺が悪かったぁぁぁぁあ!」


 武神・タクマ=シングウジ。

 別名、実の父親がいたからである。

 シントを象徴する亜神夫婦の片割れである彼が、どうしてこんな醜態を晒すことになっているのか見当もつかない。というか全力で他人のフリをしたい。

「それで、クロイツさんの実家の前で泣いている方は誰なんですか?」

 しかし素朴な疑問として放たれたセレナの言葉に、クロイツは長い逡巡を経て、やがて断腸の思いで正直に告げた。

「俺の父親だ」

「まぁ、そうだったんですか。随分とお若いんですね~」

 息子や娘とそう変わらない外見年齢の青年を義父と紹介され、この反応である。器の広さが留まることを知らない。

 ともあれ、シントの雅な城下町に騒音と恥を振りまく身内をどうにかする必要がある。

「頼む、許してくれ! 本は全部捨てる! 絵巻も燃やすから! だから中に入れてくれよぉぉぉおお!」

「……何やってんだよ親父」

「――はっ、まさかその声は!」

 クロイツが嫌々声をかけると、タクマはぐるりと体ごと振り返ってきた。端正な顔立ちは涙と鼻水でぐっちゃぐちゃになっており、もう色々と台無しである。

「ジュウジ! ジュウジじゃないか! いつのまに帰ってきてたのか!?」

 家族か親しい者しか知らない本名で呼ばれるのは、最後に帰郷した五年前ぶりだ。

 懐かしさとむず痒さに頭をかきながら、クロイツはぶっきらぼうに答える。

「今来たばっかだよ。まさか気づかなかったのか?」

「全力で許しを請っていたから気づかなかった! そうだ、お前からも頼んでくれ。かれこれ一週間くらい家に入れてないんだ! このままじゃアサギ分が枯渇する!!」

「一週間も恥を晒し続けてたのかあんたは……」

 むしろ一週間も泣き倒して未だ平然と泣き叫んでいることに驚くべきなのか。そもそも何をしでかしたら一週間も家から閉め出されるのか。

 ぶっちゃけ関わりたくないなぁと頭を悩ませていると。

「あの~」

「うぅ、ぐすっ……おや、あなたは?」

 今まで静観していたセレナがふと口を開くと、タクマがたった今気づいたとばかりに彼女へと向き直る。

 クロイツらの来訪を察知出来てなかったことと言い、よほど精神的に参っているらしい。普段のタクマであれば絶対にあり得ないことだった。

「初めましてお義父様。わたしはクロイツさ……ジュウジさんの妻のセレナです」

「これはご丁寧に。俺はタクマ=シングウジ。そこな不肖の息子の父です」

「誰が不肖の息子だ」

 ナチュラルにディスられたクロイツの不平は聞き届けられず、二人はぺこりと頭を下げあっている。まさかこんな形で親に妻を紹介することになるとは。

「それと、無理に慣れない呼び方をしなくていいよ。そもそもクロイツって名前もこいつが国を出る際に俺が送ったものだし」

「まぁ、そうだったんですね。どちらも素敵な名前だと思いますよ~」

「俺の名前のことはいいだろ。それより、親父はババアに何したんだよ。本とか絵巻がどうとか言ってたが」

「ギクゥ!? い、いやそれは、言葉にするのも憚られる深遠な理由があってだな」

「……俺はあっちに用があるんだ。門を通れないのはあんただけだろ」

 そういうが早く、クロイツはセレナの手を引いて門の前に立つ。

 木造の重厚な門は、伸ばした手が触れるか触れないかの時点で独りでに開き始めた。

 どうやら、母親の方はクロイツらの来訪をこの場におらずとも把握していたようだ。

「それじゃ、達者でな」

「待ってくれぇぇぇええ! 父を置いていくなぁぁぁぁああ!」

 見えない壁に阻まれて慟哭するタクマを置き去りに、クロイツはそそくさと門から離れていくのだった。



「いやー、セレナさんは本当によくできた娘さんだ。ジュウジにゃ勿体ないくらいだよ」

「いえいえ、クロイツさんはとても素敵な方ですよ。初めて会った時も、体が弱かった私を心配してくれて~」

 神居殿の殿中を進む間に、セレナはタクマとすっかり打ち解けていた。後ろで自分の馴れ初めについて話すのは勘弁して欲しいが、話に水を差すことができないクロイツは何だかんだでセレナに甘かった。シントへの同行を許した時点で察して余りあるが。

 門にはタクマの侵入のみを阻止するという器用極まりない結界が貼られていたわけだが、タクマと不承不承ながらクロイツ、終いにはセレナも加わった説得により解除された。

 決め手となったのが彼女の「夫のご両親にきちんと挨拶をしたい」という要望だったので、タクマのセレナに対する評価は鰻登りである。

 雑談に興じながらも、歩みは止めることなくクロイツたちは天守の最上階を目指す。階を一つ上がるたびに空気の質が変わっていき、まるで外界から途絶されていくかのような錯覚に陥る。否、錯覚ではないのだろう。紛れもなくここは、シングウジという二柱の神によって創り出された神域なのだから。

 斯くして辿り着いた最上階。階段を上がり切った途端、すぐ先にある襖が音もなく横へずれる。周囲に人の気配はない。更に言えば、魔力の動きも。クロイツが感知できたのは、辺りに漂う神妙な空気の微かな流れだけ。

「戸を開けんのにわざわざ神通力使うかよ」


「わざわざ開けに行くこともなかろう。いわゆる省えねじゃ」


 呆れと共に零した言葉に、鈴を転がしたような声が帰ってきた。

 襖の向こう側に広がる、一面が畳で敷き詰められた部屋。百人以上の人間を受け入れてなお余白が有り余る空間に、ただ一人それは座す。

 タクマと同じ黒い髪と瞳。身を包む若草色を基調とした着物の拵えは、物の価値を知らない者でも一目で高価と確信できる。それすらも、少女が生来から持つ珠の如き美貌を引き立てているに過ぎない。


 幼神・アサギ=シングウジ。

 齢一二に届くか否かといった年頃の童女は、その外見年齢にそぐわない老獪な笑みをもってクロイツたちを迎えた。


「ついこの間帰ってきたばかりというに。よもや母が恋しくなったかの?」

「冗談きついぞババア。つーか五年はついこの間じゃねえ」

「徒人の営みなど、わっちらにとっては瞬きのようなものよ。庭の池に落っこちてべそをかいていた童が、気づけば二児の親とは」

「いつの話だよ……ってうお!?」

 一人だけしみじみとしているアサギに呆れていると、クロイツのすぐ側を何かが超高速で横切っていった。

 音もなく躍り出たのは、今まで不自然なまでに沈黙を保っていたタクマだった。母子の再開に気を使って大人しくしていたのかは知らないが、とうとう辛抱堪らなくなったらしい。美形とはいえ成人した男が幼女へ飛び込んでいく様は極めて犯罪的である。

「アっサギぃぃいいいいい! 一週間も会えなくて寂しかったぶほぁぁあ!?」

 軽やかに宙を舞ったタクマはしかし、空中で巨人の手にでも叩かれたかのように横合いへとふっ飛ばされた。畳の上を何回も転がっていき、やがて手足を投げうったままピクリとも動かなくなる。

 閉じたままの扇子をその場で軽く振っただけで事を為したアサギは、やれやれと肩をすくめていた。

「てぃーぴーおーを弁えぬ(あるじ)様よのう。本当に反省しておるのか?」

「は、反省してます……」

 辛うじて返事が返ってきた。一応生きてきたようだ。

「ならば態度で示してもらうのじゃ。そこで一時間正座しとれ」

「イエッサー!」

 ぶっ倒れた状態からワンアクションで正座の体勢へと移行するタクマ。その動きは人間には絶対できない超越的なものだったが、畏敬の念など欠片も抱けなかった。

 粛々と反省しているタクマを他所にアサギの前まで歩み寄ると、子供らしい大きな瞳がセレナの姿を映し出した。

「して、そちらの女子が?」

「はい。クロイツさんの妻のセレナです」

「ほぉ、これはまた随分と若々しい。むふふ、血は争えぬということじゃな」

「あれと一緒にしないでくれ。俺とセレナは五つしか違わない」

「なんと! これがあんちえいじんぐ……」

 余裕で千年以上生きている幼女が何を驚いているのか。

 もっとも、アサギを見て「こちらがクロイツさんのお母様? とってもお若いんですね~」で済ませるセレナもだいぶアレだが。

 立ったまま話すのも滑稽と、クロイツはその場にどかりと胡坐をかく。セレナもいつの間にか用意されていた座布団に慣れた調子で正座していた。

 傍から見たら、どっちが親でどっちが子なのかわかったものではない対面である。

「まずは息災でなによりじゃ。旧大陸での目的は達せたようじゃな」

「まぁな。あんたの護符も一応役にはたった」

「それは僥倖。夜なべした甲斐があったというものよ」

 くすくすと笑いながらアサギは右の手のひらを上に向け、手招きするように指を曲げる。

 するとクロイツが着ているコートの胸ポケットから、紐を編んで作られたアサギ手製のお守りが飛び出し、吸い寄せられるように彼女の手へと収まった。

 アサギはそれを見聞するように指でつつき、やがて小さく眉を顰める。

「守護がだいぶ薄れておるのう。どんな無茶をすればこうなるやら」

「普通に行って帰ってきただけだが」

「なら、それだけ空間が汚染されていたということじゃな。今やかの地は遍く『殲血』の怨嗟に満ち溢れておるからのう」

 まるで自ら見て知って来たかのように語るアサギ。

 実際、彼女とタクマは何十年も前に旧大陸を訪れている。何百回目かもわからない結婚記念日の旅行というふざけた理由で。

「わざわざ護符の礼をしに帰って来たわけではあるまいて。この母に何を望む?」

 どこまでも子供らしくない、食えない笑みを浮かべながらアサギが尋ねてきた。

 クロイツとしても長々と無駄話に興じる気はなかった。

「あんたは事態をどこまで把握している」

「ジュウジの浮かない顔を見るに、あの小鬼めは封を破ったようじゃな。向かう先はかの魔王が統べる国かのう」

「知ってるなら話は早い」

 最低限確認するべきことを済ませ、クロイツは単刀直入に述べる。

「もしこの問題を俺たちだけで解決できなかったら、一度だけ力を貸して欲しい」

 アルベリヒがその立場を生かし、方々へ手を回している。クロイツ自身も全力でことに当たるつもりだ。

 それでも確信している。

 『殲血』は必ず数多の障害を打ち破り、ザハトラークへ辿り着くと。

 故にアサギらの助力こそ、用意したかった最後の保険だった。

「……その〝俺たち〟には、魔王や孫らも含まれているのかの」

「あぁ、アレクたちも含めてだ」

「良いぞ。他ならぬ我が子の頼みじゃ」

 アサギは思いの外、すんなりと承諾した。

 実際のところ、今回の要求に際しアサギは問題にならないとわかっていた。彼女はとにかく身内に対して寛容だ。クロイツが記憶している限り、彼女への要求を突っぱねられたことは一度もなかった。

 一方で、クロイツを含め我儘に育った兄弟は一人としていない。政務を担う兄も、武力を率いる妹も、真っ当な人格をしている。

 何故ならば――


「なぁジュウジ」


 ――ただ声をかけられただけだというのに。

 その身を斬りつけられたかのような錯覚に陥り、クロイツの背筋が凍った。

「しばらく会っていない内に忘れてないよな? 相手が親だろうと友達だろうと、人に物を頼む時には相応の対価がいると」

 タクマは正座をしたまま、静かに問いかけてくる。

 甘やかす方針のアサギと違い、タクマは厳格だった。普段はあんな調子ではあるが、説教は専ら彼の役割だ。

 怒鳴られたり暴力を振るわれたりしたことは一度もなかった。

 にもかかわらず、クロイツたちはタクマに叱られることを何よりも恐れた。今もなお恐れていると言った方が正しいかもしれない。

 諭すように言い聞かされる言葉の影に潜む剣気は、下手な恫喝よりも己の行動を顧みるのに十分すぎたからだ。

「お前が国を出ると言った時の条件を覚えているか?」

「素手のあんたに一太刀浴びせることだったか」

「そうそう。袖のとこをちょいと掠っただけだったが、当時のお前にしちゃ大したもんだったな。可愛い子には旅をさせよと言うし、あの時は妥協したが」

 懐かしむように目を細め、しかしすぐにタクマの表情は引き締められる。

 あの日、クロイツに――ジュウジに「剣を取れ」と告げた時と同じ顔に。

「今回は袖を斬る程度じゃ許可できねえぞ」

「わかってる」

 曲がりなりにも神の力を借りようというのだ。クロイツとて、生半可な覚悟で故郷に帰ってきたわけではない。

 クロイツは静かに立ち上がり、鞘から剣を抜き払う。万一にもセレナを巻き込まないよう距離を取りつつ、タクマとの距離を詰めていく。

 対するタクマは依然として動かない。ただしその腰には、先ほどまで存在していなかったはずの刀が差されていた。

 飾り気のない漆黒の鞘に収まった打ち刀。地味というより徹底的に無駄を削いだような拵えのそれは、彼が持つ数多の刀剣の中でも最強の一振り。

「『(ぬえ)』を使うのはツバキが五歳の時に駄々をこねて以来だ。ジュウジが国を出て一年後のことだから知らねえだろうけどよ、大変だったんだぜ」

「……少なくとも、五歳のツバキには追い付いたと考えていいのか」

「あぁ――」


「兄弟の中で一番弱かった(・・・・・・)お前が大したもんだ」


 成長を讃える言葉は背後から聞こえた。

 音より早く伝わるゾッとするような気配に、クロイツは振り向き様に剣を振った。無拍子で放たれた斬撃はアレクの鎖を断ったものと同じ、空間ごと万物を断つ一撃。

「いい反応だ。年を食ってキレは落ちたようだが、その分動きに無駄が無くなっている」

 しかしそれは、軽快な金属音を伴い容易く受け止められる。

 当然だろう。そもそもクロイツが修めた『境界剣』はタクマを開祖とする剣術。術理を編み出した本人に止められないはずがない。

 強引に剣をかち上げて鍔迫り合いを拒否し、クロイツは素早く間合いを取った。追撃は来ない。跳ね上げられた刀を緩慢に構えなおしながら、タクマが笑う。

「安心しろ、俺はあくまで受けるだけ。飽きるまで打ち込んで来るがいい」

「ほざいてろ!!」

 相手は武を司る亜神。手加減をされてなお、実力の差は歴然。もし『鵺』が真の力を発揮すれば、勝利は更に絶望的。

 ……それでも。

 友が望んだ優しい世界のため。子供たちが暮らす未来のために。

 自身の遥か先を行く父親の余裕面に一撃を叩き込むべく、クロイツは斬りかかる。



「男どもは暑苦しいのう。ほれセレナさんや、茶でも飲みながらお主や孫の話をしておくれ」

「はいお義母様。クロイツさんがんばれ~」


 女性陣はそれを遠目に見ながら、優雅にお茶をしていたのだった。

~それぞれの家庭内ヒエラルキー~

魔王家:アーシア>ヴェリアル≧ルシエル

勇者家:セレナ>アレク=ネリム≧クロイツ

シングウジ家:アサギ>ツバキ(長女)>超えられない壁>タクマ≧長男>ジュウジ(クロイツ)


結論:基本的に女性がつよい

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