21 海魔サマービーチサイド(2)
何とか年内に間に合った……平成最後の更新!(おい)
執筆に使ってたPCがコーヒーを飲んでぶっ壊れたり、タブレットに執筆環境を構築したりと、色々やってたらいつの間にかこんな時期に。いやー時の流れって早いナー
勇者やネリムと同じ、混じりけのない黒髪。体格も勇者とそう変わらないが、背丈はこちらが若干低いような気がする。ほとんど誤差のようなものだけども。
うつ伏せの姿勢で打ち上げられている観察しながら、妾は考える。
ダンジョンは一種の閉鎖空間。外部とは遮断された世界であり、当然ながら現実の海とこのダンジョンの海は繋がってなどいない。しばらく泳いでいけば空間の端――見えない壁にぶち当たるはずだ。
なので、ダンジョン外の人間がここに漂着するなんてことは原理的にあり得ない。すると彼は必然的に、最初からこのダンジョンにいたことになるわけだが。
「ジラル。このダンジョンでヒューマンの職員なんて雇っていたか?」
「……いえ、そのようなことはないと記憶しております」
国家事業の人事を全て把握しているジラルがそう言うのなら、間違いないだろう。
そもそも『海魔の神殿』にいるのは海辺をホームとする種族だけだ。マーメイドやセイレーンといった比較的ヒューマンに近い外見の者たちはいても流石に見間違えたりはしないし、それ以前に彼らは海で溺れたりしないからな。
だがそうなると、ますますこの人物について謎が深まる……。
「うーむ、どうしたものか。ていうか生きてるのか?」
漂流しているところをディータに吹っ飛ばされた上、チットに浅瀬まで蹴飛ばされる。
普通に死ぬのでは?
「目立った傷は無いでありますし、呼吸もしてるであります」
「鉄を蹴ったような感触だった」
「……まあ、閉鎖空間に迷い込んでる時点でまともな人間だとは思ってなかったがな」
案の定、見た目通りではない人外の類だったか。
何にせよ、これ以上妾たちだけで議論しても答えは出なさそうだ。
本人が無事なのであれば、直接話を聞いた方が早いだろう。
そう思い、声を掛けようとした矢先だった。
「うぅ……」
小さな呻き声をあげながら、青年が緩慢な動きで立ち上がる。
その露わになった顔を見て、妾は思わず息を飲んだ。
「何だここ、海かぁ? しかも寝てる間にケツを蹴られた気がする……」
パラパラと砂を落としながら、気だるげに呟く青年。
精悍さと柔軟さを兼ね備えた、眉目秀麗と評するにふさわしい顔つき。有体に言えば、超が付くほどのイケメンだ。若い頃のジラルや、勇者といい勝負である。
服装もこの辺りでは見ない、独特のものだった。朧気ながら記憶している限りでは、かなり小さい頃に会ったミルドの母親――レティスの着ていた巫女服とどことなく似ている。確か袴というんだったか。
だが、容姿が優れているということ以上に妾が気になったのは。
彼の顔に、何故だか妙な既視感を覚えたからだった。
「くそ、アサギめ。エロ本一冊で次元の狭間にぶっ飛ばすこともないだろ。アニメのヒロインだってもうちょい穏便に……ん?」
服に付いた砂を叩き落としつつブツブツと文句を垂れていた青年だったが、周囲の視線に気づいたのだろう。
胡乱げな視線が妾たちをぐるりと一周し、次の瞬間にはカッと見開かれる。
「ば、馬鹿な……!」
衝撃に打ちひしがれたようにかすれた声をあげながら、青年は服の裾が海水に浸かるのも厭わず数歩後ずさった。
驚いてるのはむしろこっちの方なのだが、そんな気も知らず彼は叫ぶ――
「猫耳ロリに銀髪ロリエルフ……更にはロリっ娘吸血鬼だとぉぉおおお!?」
「妾はロリじゃなぁぁぁああああああい!!」
なんだか久々だなこのやり取り! 懐かしくはあるが好きじゃないし嫌いだよ!
どいつもこいつも見た目で判断しおってからに。物事の本質を見抜く力が足りんな。
……いや、でも見た目でハッキリわかる他二人はともかくとして、妾をずばり吸血鬼と言い当ててるんだよな。
目はいいのかな?
「こんな美幼女が一度に三人も、しかも水着まで着て……そうかここが楽園かっ!」
「いやダンジョンなんだが。あと妾はロリじゃないんだが」
「ああ駄目だ、耐え難い誘惑だが耐えねばならん! イエス・ロリータ・ノータッチ。もう二度と同志たちとの戒律を破るわけには……ていうか、これ以上罪を重ねたら今度こそアサギに殺される……」
「あのー! こっちの話を聞いてくれませんかね!?」
「――ああ、すまない。あまりの感動に少し取り乱した」
少しというレベルではなかった気がするが。
しかも感動って。一連の言動といい、こやつとんでもない変態なのでは?
ともあれ、ひとまず落ち着いたらしい青年が佇まいを直す。
再び彼の視線が取り囲む一同を一巡していくが、ふとある人物で止まった。
しばらくその人物――勇者をじっと見つめていたかと思えば、青年は突然ため息をついた。
「あー、やっぱりそうか。うーん、何だかなぁ」
「俺がどうかしたのか?」
「いや、本来あるべきイベントをグリッチですっ飛ばしたような気分になってな。実際、俺がここにいるのもバグ技みたいなもんだし」
勇者の問いに対する青年の返答は、言っている意味がよくわからない内容だった。
元から理解をさせる気もなかったようで、小さく首を傾げる勇者に構うことなく青年は妾たち全員へと向き直る。
……あぁ、既視感の正体がわかった。
こいつ勇者に……より正確に言うなら、クロイツ氏に似ているんだ。並べてみれば一目瞭然じゃないか。
これはもう無関係とは思えず、妾は問いかける。
「おい、あんた――」
「おっと、待つんだ金髪の幼女よ」
「だから幼女じゃねーよ! 妾は御年一七! とっくの昔に大人ぁ!!」
「年齢なんて些細な問題だぜ? 俺の嫁は見た目こそ一桁台だが、君の百倍以上生きている」
「さりげなくとんでもねー数字出たけど知るか! 妾はロリじゃないって言ってんだよ!」
「大丈夫、わかってるとも」
「この会話の流れで何を理解したんですかねえ!?」
「全部だよ」
妾の怒りを柳のように流し、青年は不敵な笑みを浮かべた。
「俺が閉鎖空間ぶち破って侵入してることとか、そこの少年やその親父にそっくりとか、言いたいことは山ほどあるだろう」
「……!」
まるで、心を読まれたかのようだった。
聞こうとしたことをそっくりそのまま言われてしまい、思わず口をつぐんでしまう。
するとこれ幸いとばかりに、青年の弁舌が続いた。
「俺がここに来てしまったのには、後ろに広がってる海よりも深ーい理由があるわけだが……男としての沽券に関わるから詳細は省かせていただく」
「現在あなたにはロリコン疑惑がかかってますがそれは良いのですか?」
「疑惑も何も俺はロリコンだ」
「潔い変態だなおい!?」
一切の躊躇もなく答えやがった!
「自分に嘘はつけないからな。他人の評価を気にした愛なんて、愛とは言えないだろ?」
「かっこいいこと言ってるけど、あらかた聞いた後じゃ変態の言い訳にしか聞こえない!」
「かっこいいとか……照れるわー」
「褒めてないからな!? つーか結局なんであんたはここにいるんだ! そもそもどこの誰さんだ!?」
「名前かぁ」
ロリコンであることを即効で認めた青年だったが、自分の名前を名乗ることに関しては若干の思考を要したらしい。普通逆じゃない?
それでも悩んでいた時間は数秒ほど。ほんの一瞬視線をあらぬところへやってから、青年は口を開く。
「本名……というか、家名を知られると色々面倒なんでな。とりあえず、ここでは住所不定のタッキーということで」
「うさん臭さ満載な上に偽名か。まあいい」
深く詮索したところで、どうせのらりくらりと交わされてしまう。何やら事情があるみたいだし、無理に聞き出すことでもないだろう。
何より、こんな得体の知れなすぎる自称浮浪者に深入りするのは危険だと、妾の勘が告げていた。
「それで、タッキーはどうしてダンジョンに?」
「ぶっちゃけ事故だ」
「急に雑になった!?」
「いやほんとほんと。ざっくり言うとキレた嫁に次元の狭間に叩き込まれて、薄れゆく意識の中で人界への道を斬り開いたら、微妙に出力が不足して亜空間に繋がったというか」
「待って、言ってる意味がわからない」
完全に専門外のワードが連発してきたが、明らかに人知を超えた要因でダンジョンに迷い込んでいるっぽい。
魔法的には明らかに次元干渉系の領分だけど……。
「ネリムは今の話わかったか?」
「うーん、さっぱり!」
いい笑顔で否定された。
天才型の魔法使いに聞くだけ無駄だったか。
クラークなら懇切丁寧に教えてくれたかもしれないが、彼は今頃アカデミーで教鞭をとっているだろう。ないものねだりは出来ない。
ひとまずは、タッキーの嫁が何か凄いことして彼をダンジョンへと転移させたくらいに考えておくとしよう。
……妾の知ってる嫁って、ヤバい人ばっかりだな。母上とかシルとか勇者の母親とか。
まともなのがいねえ。
「事故ということは、ここへは望んで来たのではないということでよろしいですかな?」
「そんな感じだな。迷惑をかけたなら謝るよ」
「いえ、特にそのようなことは。ただ、退出をお望みであればご案内致しますぞ」
「帰りたいのは山々なんだけどさ……たぶん、今帰ってもまだ家に入れてくれねえだろうし」
「家庭内だと男はどこまでも立場が弱いのですじゃ。一度妻を怒らせたが最後、ほとぼりが冷めるまでどれだけかかることか」
「妙に含蓄があるな……爺さんもやっぱそういう経験が?」
「儂も昔は若かったですからなぁ」
いつの間にか妻帯者同士でなんか仲良くなってた。
爺さんと若者が家庭内の不和についてしみじみと語っている絵面は非常にシュールだが、今の話を要約するとタッキーは今すぐに帰る気はないらしい。
平時ならともかく、ダンジョンは現在休業中。
しばらく滞在する分には特に問題はないだろう。
経緯は不明なれど、我らがザハトラークの管理する地へ訪れた客人となればそれなりの対応をせねばなるまい。
まずは海水でぐっしょぐしょになってるであろう服の方を……あれ?
「おいおい、そんなに熱烈に見つめられたらお兄さん困るぜ。えーっと」
「ルシエルだ。あと見ていたのはあんたじゃなくて服の方だ」
「服? あぁ、やっぱりこっちじゃ珍しいのか」
「珍しいのもあるが……あれだけ海水に浸かってたのに、やけに乾くのが早いな。特別な素材でも使っているのか?」
散々海を漂流し、打ち上げられてからも水気の多い波打ち際にいたにもかかわらず。妾たちとの会話の間で、タッキーの着ている服はまるで一日快晴の下で干したように乾燥していた。
もしこれが素材に由来するものであれば何かしらに使えるかもしれないと、海の家の店員よろしく商魂逞しい魔王の妾であったが。
タッキーの解答はこれまた予想の斜め上だった。
「いんや、これはただの絹だよ。水気は斬った」
「そ、そうか」
水気を切る。
言っていること自体は普通だが、彼はそういった素振りを全く見せていなかったはずだ。少なくとも会話中に服をはためかせたりはしていない。
何だか、言葉のニュアンスに齟齬があるような……。
「ところで、ここはどんな空間? ルシエルちゃんのプライベートビーチ?」
「違う。ここはザハトラーク王国が管理するダンジョンの一つだ」
「ダンジョン? でもどうみてもただの海水浴場じゃん。みんな水着だし」
「それを言われると返す言葉もないな……」
誰も彼もがお遊びモードだったので完全に否定することもできないまま、妾はタッキーにダンジョンの本体が海中にあることと、勇者たちがその挑戦者であること。今日はダンジョンマスターが風邪をひいてしまい、仕方なく今の状況に至っていることを簡単に説明した。
その流れで妾が魔王であることも自然と話すことになったのだが、これが殊更彼の興味をひいたらしい。
「へぇ、ルシエルちゃんは王様だったのか。それも魔族を含めた多種族国家の」
「含みのある言い方だな。妾が王様らしくないとでも?」
自分でもそう思うことは多々あるけれど、他人に指摘されるとそれはそれでムカつく。
しかし、相手にそういう意図はなかったようで。
「そうじゃないさ。ただ、口だけじゃなくしっかりやってたんだなぁと」
「……?」
「それよりだ。ダンジョンマスターが病気で休業になってるってことは、治ったら営業再開するってことでいいのか?」
「ま、まあそうなるのかな」
急な話題の転換に戸惑いつつも、そう返答する。
ダンジョンマスターたるヴォルテクスの風邪さえ治れば、すぐにでも再開は可能だろう。ダンジョン自体に特殊なギミックはないので、準備にもそう時間はかからないはず。
後は勇者たちに攻略する意思があるかだが……。
「元々そのつもりで来ている」
「だったねうん」
元はと言えば完全にこっちの落ち度だもんね。ウチの部下がホントすんません。
「折角ダンジョンに来たんだし、暇つぶしがてら実際にどんな感じで攻略しているのか見てみたいな」
「そうは言っても、結構酷い風邪でありますよ。最低でも丸一日は寝込むレベルの」
「大丈夫だって」
根拠は不明ながらも自信に満ちた態度で手をひらひら振りながら、タッキーはチラリと海の方へと目を向ける。
気のせいだろうか。
彼の視線が一切ずれることなく、海底深くに存在するダンジョンへ――より正確には、その最奥で寝込んでいるヴォルテクスへと向けられている気が。
「……そこか」
遠くを見つめたタッキーがポツリと呟いた、次の瞬間。
「……!」
「おや」
「ふぇ?」
反応を示したのは勇者とミルド、そしてウルスラの三人だった。
え、妾? 何も感じませんでしたが。
「どうかしたのか?」
「えっと、急に水中の精霊が騒がしくなって……」
「よくわからんが、目に見ない何かが海を割ったように感じた」
「私も勇者様と概ね同じです。ルシエル様は何も?」
「妾は別に何も……」
「……」
「その残念そうなものを見る目をやめろ! しょうがないだろ本当に何も感じなかったんだから!」
三人も何かしらの異常を察知してる以上、何かが起きたのは確かなのだろう。
その原因がタッキーであることも、疑う余地はない。
「ちょっとあんた、一体何を――」
「海の底にいたそれっぽいやつの病魔を斬った。これでダンジョンも再開できるな」
「は? 斬った?」
HAHAHA、いきなり何を言い出すんだこのタッキーは。
意味深に海の方を見ただけで、それっぽい動きは何もしてなかったじゃないか。
……あれ、さっきも似たようなことがあったような。
「ま、魔王様!」
既視感に首を傾げていると、ジラルが慌てた様子で声をかけてきた。
「今度はなんだ!?」
「その、ヴォルテクス殿から突然連絡が入りまして……」
「……まさか、治ったのか?」
信じられない思いでジラルに尋ねる。
これで否定してくれればそれで終わりだったのだが、現実は非情である。
「『風邪をひく前よりもすこぶる健康』になったそうです」
「タッキーお前何をしたぁー!?」
「だから病魔を斬ったんだって。あぁ、病気になる前より元気ってのは勢いあまって蓄積してた疲労とかも斬っちまったからかな」
「だから斬ったって何をどうやって!?」
「まー細かいことは気にしなさんな。治ったんだからいいじゃないか」
極めて他人事であるかのように宣いながら、タッキーは海の家の方へと歩いていく。
こ、この人の言うことを聞かない感じ……やはり勇者に通ずるものがあるな。
「じゃあ、俺たちも行くから」
「んでもってこっちも切り替え早いなおい」
さっきまで完全に海水浴モードだった勇者たちは、いつの間にか水中呼吸の魔法でも使ったのか水着姿のまま海へと入っていく。
「って、その恰好のまま行くのかよ!」
「何言ってんだよちみっこ。海だから水着で戦うんだろ」
「そんなレギュレーションないから! ビキニアーマー以下の防御力でダンジョン攻略とか舐めとんのか!?」
「大丈夫だよ魔王ちゃん。この水着は下手な防具よりも丈夫だって店員さんも言ってたし!」
「誰だそんな奇特な水着作ったの!? 海の家で売るもんじゃねー!」
結局奴らは水着姿のまま、沖の方へと歩いて行ってしまった。
もう何なのこれ。妾、理解が追い付かない。
……いやいや、めげちゃだめだ。
まだ三つ目のダンジョンなんだぞ。こんなところで折れてどうする。
人生切り替えが大事だからな。妾は魔族だけど。
「よし、切り替えていくぞ!」
「ところでルシエル様」
「何だミルド」
「焼きそばは塩とソースどちらにしますか」
「だから切り替えろって! とりあえず塩で!」
◇
さて、今回の観戦は海の家のテーブル席にて行うことにする。ここにも専用の部屋はあるけど、他に挑戦者もいないし別にいいだろう。
イベント会場特有の強気な価格設定のジャンクフードを食べながら、妾は壁に投影された映像へと目を向ける。
「まだ海中を進んでいるところか。思ったよりゆっくりだな」
「海底を歩くなんて経験はそうないでしょうからな」
そりゃ、普通に生活していれば経験しないことだろう。
物珍しそうにキョロキョロしちゃって……やれやれ、完全に観光気分だな。どおりで進みが遅いわけだ。
まあ、移動中も普通にモンスターに襲われてるんだけどな。あいつら歯牙にもかけてないけどさ。
「襲われるのがなければ、ちょっとした水族館みたいなもんか」
「水族館? 何でありますかそれは」
「あぁ、こっちには無いのか。簡単に言うと、でかい水槽に海の生き物を入れて展示するんだ。俺の地元にはそういう施設がいくつかあったよ」
ガリアンとタッキーの会話を聞いていたら、中々興味深い情報が出てきた。
海棲生物の展示……見慣れていない内陸の住人向けの観光施設としては割とありか?
水中の環境作りに関してはダンジョンギミックとしてノウハウがあるし、巨大な水槽を用意すれば見ごたえも充分。
維持費や人件費の目途が立てば……うん、少し真剣に考えてみるか。
しかし、水族館なんて聞いたこともないな。益々タッキーの謎が深まったぞ。
「イビルシャークがネリム様に焼かれてますね」
「どうして水の中で炎が……」
おっと、今はダンジョン攻略の方に集中せねば。ゆっくりめのペースと言っても、平均的な攻略スピードと比較したらかなり速いからな。
何といっても、ネリムとウルスラという凶悪な後衛の存在が大きい。
近接職はどうしても水の抵抗を受けて十全な力を発揮できなくなる……なる筈だよな。あいつら普通に切ったり殴ったりしてるけど少しは影響受けてるよな?
と、とにかく注意深く見れば多少なりとも動きが鈍っている勇者たちと違い、あの二人は水中での攻撃に制限が殆どかからないのだ。水の中で普通に炎出したりしてるのはちょっと意味わからないけど。
案の定、勇者たちは水中での戦闘というハンデをものともせずモンスターの襲撃を軽くあしらい、ほぼストレートにダンジョンの本体たる神殿までたどり着いた。
まあ、想定の範囲内だな。よほど特殊なギミックでもない限り、もはや奴らにとっては足止めにもならん。今までの無茶苦茶ぶりを見れば嫌でも認めざるを得ない。
と言っても、妾に焦りはなかった。
「随分あっさり入られてるけど、大丈夫なのか?」
「なぁに、ここからが本番だぞ。このダンジョンは神殿に入ってからが大変なんだ」
タッキーの問いかけにも、余裕をもって答える。
ここの海は大陸南部の比較的穏やかな海域を忠実に再現したもの。言わば自然的な海であり、ぶっちゃけダンジョンとすら言えない。
だが、一たび神殿へと踏み入れば。
そこは正しく、ダンジョンマスターによって支配された魔の海域である――
『ぬわー!』
『ひゃああ!?』
『わっとと』
勇者たちが神殿に踏み込みしばらく進んだタイミングで、遂にダンジョンギミックが火を噴いた。
平坦な一本道を進んでいたにも関わらず、唐突にネリムとウルスラが何もないところで思い切りすっ転んだ。クラリスは辛うじて耐えたようだが、それでも大きくバランスを崩している。
他の三人は何事もなかったようだが、違和感はあったらしく周囲を見渡しながら眉をひそめている。
「へぇ、水流か」
その様子を見ていたタッキーは、面白そうに小さく笑いながらずばり言い当てた。
「今のだけでよくわかったな」
「何かに躓いたというより、風に煽られたような倒れ方だったろ? それに水中って環境を考えれば、他には思いつかない」
指摘された通り、たった今勇者たちを襲ったのは通路内に発生した水流である。
それも一方向への単純な流れではない。今の場合、通路の上下で互い違いの流れが発生し転倒を誘発したのだ。
神殿内の通路には、このような水流のギミックが大量に仕込まれており、時間経過でランダムに切り替わる仕組み。元来た通路へ押し戻す向かい風じみたものや、逆に追い風のように作用して無理やり敵の側まで運ぶ水流まで、種類は多岐にわたる。
この罠の何がいやらしいって、透明度抜群の水で満たされたダンジョン内では水の流れを視認できない。流れが切り替わる時も前兆なしのノータイム。直接ダメージを与えるタイプではないが、面倒くささで言えばダンジョンギミックの中でも上位に位置するだろう。
しかし映像を見ればわかるように、誰にでも通用するわけではない。
ざっくりいえば体格と体重が関係してくる。軽くて表面積が多いほど、このダンジョンでは動きづらくなるわけだ。
勇者やディータは言わずもがな、ああ見えてチットも種族的にそれなりのウェイトの持ち主だ。加えて背も低い分、複雑な水流の影響も受けにくいだろう。
逆に、見るからに吹けば飛びそうなウルスラや、如何にも水の抵抗を受けやすそうな体形のネリムとクラリスは非常にやり辛いに違いない。
スタイルの良さが仇となったな。ククク、ざまーみろ!
「魔王様、胸が小さいです」
「失敬な! それを言うなら器だろ!」
「それはそれでどうなんでありますか」
「いやいや、胸が小さいのは素晴らしいことじゃないか」
……さりげない変態発言はともかくとして、これまで順調だった攻略は一転してペースがガタ落ちしているようだ。
ハッキリ言ってしまうと、動けない三人を除いたとしても、残りのメンバーだけで戦力は申し分ないと思う。少なくとも、ここの道中はそこまで強力なモンスターが配置されないからだ。
それでも難航しているのは、なまじネリムたちの魔法が強力すぎるせいだった。
『うおあっぶね!?』
『あ、ごめーん』
今もネリムの放った殺傷力抜群の魔法が、ディータをギリギリ掠めていった。さっきからこんな事故が多発している。
いくら実戦経験が乏しいとはいえ、ネリムもウルスラも魔導士としてはかなりの使い手だ。ヒュドラのくせに超高速で飛び回るヴァイパーはともかく、道中の雑魚相手に狙いを外すようなミスはしない。
じゃあ何で外しているのかと言えば、魔法を撃とうとするたびに水流で体勢を崩され、照準がずれてしまっているからだ。しかも二人揃って手加減という言葉を知らない。
つまり強力な味方の誤爆のせいでやられる可能性があり、これこそがこのダンジョンの真の恐ろしさだったりする。
長時間の潜水を可能にする魔導士は平均的な実力も高いため、こうした事態に陥るケースが本当に多い。三割は道中の自爆で全滅しているくらいだからな。
それでも、流石というべきか。
「よく生き残ってるなあいつら。一発でも当たれば即死だろうに」
「だからこそ必死に避けているのでしょうな。仲間である彼らが一番理解しているでしょうから……」
なるほど、真理である。
ちなみにクラリスは適度に距離を取りつつ、流れに身を任せるがままになっていた。彼女の筋力では水流に抵抗しきれないようで、巻き込まれないかつ邪魔をしないための合理的な判断なのだろう。
見方によってはサボってるようにも取れるけど。
「まあ、こんなとこで本気は出せねえよなぁ」
「ん、何か言ったかタッキー?」
「いや、ここで売ってるタコ焼きの材料は産地直送なのかなって」
……。
「いやいや、そんなまさか」
咄嗟に否定してはみたものの、食用可なモンスターは存在するから一概に否定しきれないのが怖い。
まさかダンジョンで捌かれたのを食材にしてるとかないよな?
産地直送……いや直葬?
シーフード焼きそばもタコ焼きも変な味はしなかったし、考え過ぎだよねうん、きっとそうだとも。
……念のため、後で店員を問い詰める必要があるな。
紆余曲折を経て、どうにか一人も欠けることなくボスが控える最終フロアまでたどり着いた勇者たち。パッと見は無傷であるものの、度重なる即死級フレンドリーファイアを回避し続けていたからか若干疲れが見える。
これからボス戦……ダンジョンマスターとの戦闘になるわけだが。
ハッキリ言ってしまうと、普通に戦えばまず勇者たちが勝つ。いくら酷く疲労していようと、あのパーティーの総合力は反則レベルだ。対するヴォルテクスは、実力ではヴァイパーに若干劣ると言ったとこか。
まともにぶつかれば、まあ負けるだろうな。そこは身贔屓したってしょうがない。
「あー、俺この先の展開読めたわ」
「その予想、たぶんあってるぞ」
何やら察した様子のタッキーに、妾は頷く。
ここはダンジョン。
トラップだらけの空間において、純粋な実力勝負なんて滅多なことでは起きない。
それは、最終決戦においても同様である。
『準備はいいか? よし……行くぞ』
勇者が巨大な扉へ手をかけた、次の瞬間。
『ようこそ――このヴォルテクスが支配する、魔の海域へ』
突如として通路内に発生した激流。
これまでのトラップとは比較にならないレベルのそれに晒された勇者たちは、踏みとどまる間もなく扉の向こうへと吸い込まれていった。
実は最終フロアの扉がスイッチになっており、挑戦者が触れると水流の強さを一気に最大まで引き上げるのだ。一応調べれば不自然な魔力の流れがあるのを確認できるのだが、大抵の場合はあいつらみたく道中の疲労が祟って、注意力が疎かになる。
そして、突入のタイミングを乱すだけに留まらないのがダンジョンクオリティ。
『うおおお何だこれええ!?』
『な~が~さ~れ~る!』
最終フロアは、障害物がない立方体状の広大な空間となっている。もちろん空間内は水で満たされているが、それ自体はここまでたどり着けている時点でさほど問題にはならないだろう。
一番のポイントは、フロア全域にランダムな水流が発生し続けることにある。しかもその勢いは、挑戦者を室内へ引きずりこんだものと同等という凶悪っぷり。部屋の中心に陣取るヴォルテクスはクラーケンであるが故に、吸盤で予め自身を床面に固定しておくことにより流されることはない。
逆に挑戦者は、地に足を着くことすらままならない状態。仲間との連携はおろか、個人レベルでの戦闘すら実現可能かも怪しい。
正しく、魔の海域を名乗るにふさわしいバトルフィールドだ。
「前はクソダンジョン案件だとか言われてたけど、何故かそういう意見あんまり聞かなくなったよな」
「かの四大ダンジョンが過去に増して理不尽になってますからな。相対的に見ればここはまだマシな方かと」
「攻略側の質も上がってるみたいでありますよ。聞いた話によると、帝国では士官学校の卒業試験で『試練の氷炎窟』を単身攻略させられるとか」
「え、何それこわい」
母上に蹂躙されて以降、装いも仕様もリニューアルしたあの超絶高難易度ダンジョンを単身攻略って……人間卒業試験かな?
「若者の人間離れですね」
「んー、どっかで聞いたことのあるようなフレーズだな」
妾達は軽い雑談をかわしつつも、視線は食い入るように攻略映像へと向けている。
見事に不意打ちを貰った勇者たちは、各々が異なる水流に巻かれた結果、方々に散ってしまっていた。
ただし、例外が一つ――いや、一組だけ。
『お、お兄様!?』
『じっとしていろ』
勇者とウルスラは、前者が後者を抱き寄せる形で一緒に流されていた。散り散りになる寸前、偶然自分の方へ飛んできたウルスラを捕まえていたようだ。
咄嗟の判断だった上に両腕が塞がるのを避けたからか、彼女の身体を支えているのは左腕だけで、若干収まりも悪い。少しでも気を抜けばたやすく離れ離れになってしまう。
だからこそ身じろぐウルスラに落ち着くよう言っているのだろうが、当の本人はそれどころではないらしい。
『だ、駄目です! こんな、ダンジョン攻略中に……しかも激しく流されてる最中に、更に激しくコトに及ぼうなんて!』
『本当に落ち着いてくれ。頼むから』
どこまでもピンク色な思考回路を持つ義妹に、辟易した様子の勇者。
全くあのエロエルフめ、戦闘中に何考えてんだか……ていうか、いくら義兄妹とはいえくっつきすぎじゃないか? 風紀を尊ぶ魔王的にあの組み合わせは少々危険な気がするんだけどこれ如何に。
「実況に私情が混ざり始めましたね。タッキー様としては、今の状況をどのように?」
「ロリエルフと抱き合うなんて、何てうらやまけしからん奴だ!」
「……こちらはこちらで末期でしたか」
珍しくミルドが呆れたような雰囲気を醸し出しているが、今はそれどころではない。
勇者たちが四方八方に流れる水流に翻弄される様を、部屋の中央に鎮座し静観していたダンジョンマスターがついに動き出したからだ。
『では、そろそろ始めさせて貰いましょうか』
ヴォルテクスの静かな宣言と共に、床面と彼を繋ぎ止めている以外の触手がゆらりと持ち上がる。先端の方から胴体に向かって触手が巻かれていく光景は、さながら引き絞られていく石弓を彷彿とさせ――
『――ハァ!!』
溜め込まれた力は臨界に達した瞬間、一気に解放された。
攻城兵器のバリスタが如く撃ち出された触手が、天も地もない状態の勇者たち目掛けて殺到する。筋肉の塊である触手から生み出されたエネルギーを推進力に、圧倒的な大質量が水流を切り裂きながら、ターゲットへ一直線に!
小手調べどころか初っ端から勝負を決めに来た攻撃へ、勇者たちは各個での対処を迫られる。
『【武心錬成】――オラァァアッ!』
ディータは素早く体を捻ると、スキルで強化された拳を思い切り触手の先端へ真正面から叩きつけた。金属同士が衝突したような凄まじい音がフロア全体に轟き、触手の勢いは完全に殺されてしまう。
不安定な姿勢のまま、踏み込みもなしに放った拳打とは思えない威力だ。ミルドの全力と張り合うパワーは伊達ではないな。
『……にゃあ』
一方、チットがとった手段はディータの力任せと比べてよりスマートだった。
自らに【ライトウェイト】のエンチャントを施して体重を軽くし、より素早く水流に流されることで触手の矛先から外れたのだ。最小限の労力による効率的な回避は、実にあの猫耳らしい。
『うわ何かきた。えーっと、とりあえず防御!』
ネリムは相変わらずと言うべきか、とても切迫した状況とは思えない調子だ。
だが適当極まりない詠唱で発動した防御魔法は、いともたやすく触手の一撃を受け止めた。狙いが定まらない中、正面へ壁を作るタイプではなく全身に魔力の鎧を纏うタイプを選ぶあたり、判断は的確である。
本来あの手の防御魔法は、そこまで防御力は高くないはずなんだがな……やっぱりネリム、恐ろしい子。
『ひえー、容赦ないなぁ』
クラリスに至っては、もはや避けようとすらしていなかった。
緊張感のかけらもなく感想を漏らす彼女の胴体を、ヴォルテクスの触手がいともたやすく貫く。だがその直後、串刺しにされたクラリスの輪郭がぼんやりと薄れていき、水へ溶け込むように消失してしまった。
ヴァイパー戦でも使用した【ファントム】による幻影だ。いつの間に入れ替わっていたのか、ずっと見ていたのに全く気付かなかった。
「ていうか本物はどこだ?」
「今はボスを挟んで反対側にいるな。引きずり込まれる瞬間には幻影と入れ替わって気配を殺してたぞ」
「その段階ででしたか。よくお気づきになられましたな」
「視力がいいんでね」
「いやそういう問題じゃないだろ」
気配遮断中のクラリスは、視力の良し悪しで捕捉できるものではない。存在そのものを意識できなくなる以上、見えていようが関係ないというのに……って、それどころじゃなかった。
ヴォルテクスから一番遠くにいた勇者とウルスラの元にも、触手による刺突が届かんとしているからだ
『うわわわ、攻撃されてます盛ってる場合じゃないです!? と、とにかく防御を……でも今からじゃ展開が間に合わないし……!』
さぁどう対処するのか。ウルスラはさっきにも増してパニック状態だし、勇者がどうにかするしかないようだが。
まあ、いつもの鎖か聖剣でどうにかしそうな気もするけど……ん?
『……やむを得ないか』
迫ってくる触手と狼狽えるウルスラを交互に見てから、勇者はフリーになっていた右腕を前へ伸ばす。ディータのように打ち込むのではなく、ただ待ち構えるように。
「おいおい、嘘だろ!?」
勇者がやらんとしていることに思い至り、思わず立ち上がる。
信じられないと否定しかけた予想は、すぐに現実の光景として再現された。
『――ッ!』
触手が勇者を捉える寸前、その先端を追いかけるように右手が掴み取った。握力と腕力のみで支えられた体は貫かれることなく、後方の壁へと押し込まれていく。
そのまま叩き潰されるビジョンが浮かんだが、そうはならなかった。壁と衝突する直前に姿勢を制御した勇者は足から着地。あろうことか、ヴォルテクスの攻撃を受け止めにかかったのだ。
吸収しきれなかった威力が勇者を中心に広がり、壁が放射状に大きくひび割れる。勇者は表情に出ないのでわからないが、少なくとも反対の腕で抱えられているウルスラがダメージを負った様子はない。
『そ、そんな馬鹿な!?』
渾身の一撃を片腕のみで完封されたという事実に、ヴォルテクスが驚愕の声を上げた。見ているだけの妾ですらかなりビビってんだから、当事者が受けた衝撃は計り知れない。
だからこそ、致命的な隙となった。
『ウルスラ、チャンスだ』
『っ、はい!』
短い呼びかけでするべきことを理解したウルスラが、勇者に支えられたまま手を思い切り突き出す。
未だに力が込められている触手と壁の間に挟まれ、強固に固定されている今。
彼女の細い腕は、真っすぐにヴォルテクスを照準していた。
『【シャイニング・ピアス】!』
放たれたのは、直進性と貫通性に優れた光属性魔法。
水流の影響を受けない光線による一撃が、未だ立ち直っていなかったヴォルテクスを照らす。
『しまっ――ぐぅぉぉおおおおお!?』
ギリギリで我に返ったヴォルテクスは必死に身を捩るが、自分を床面へがっちり固定していたことが仇となり満足な回避はできなかった。
眉間を狙った光線は、僅かに逸れて右目のすぐ横へと着弾。急所こそ外したものの、片目を潰されるという大ダメージを追う羽目になった。
『もう一発――』
『させませんとも……!?』
第二射を放とうとするウルスラに先んじて、ヴォルテクスが動く。自分が放った触手が相手の攻撃を補助していることを即理解し、触手を引こうとしたのだ。
結果から言えば、それは叶わなかった。
『なっ、これは鎖!?』
いつの間にか召喚されていた例の白い鎖が、ヴォルテクスの触手を雁字搦めに縛り、壁面と繋ぎ止めていた。見た目の華奢さに反し、その丈夫さは折り紙付き。どんなに引いても、触手は伸び切った状態からびくとも動かない。
『これでとどめです!』
逃れようともがいている間に、再びウルスラの【シャイニング・ピアス】が放たれた。先よりも溜めが長い分威力も上がり、依然として正確な急所狙い。
掴み取ったチャンスを活かし、一気に決めるつもりか!?
『そう簡単には、行きませんよ!』
ただし、ヴォルテクスとて百戦錬磨のダンジョンマスター。
なんと拘束を振りほどくために、縛られた触手を根元から自切した。更に床に貼り付いていた吸盤も引きはがし、光線の射線から大きく外れる。
『あー!? もうちょっとでしたのに!』
『やはり、そう上手くはいかないか』
支えを失った勇者たちは、水流に攫われ壁から遠ざかっていく。表情に変化はないが、何となく仕留め切れなかったことへの悔しさがにじみ出ているような気がした。ウルスラはもろに顔と言動に出ていた。
「ふぅ、状況が振り出しに戻ったな」
「結果的に見れば、手傷を負った上に触手を一本捨てさせられたヴォルテクス氏が劣勢に見えるであります」
「いんや、そうとは限らないぜガリアンくん。むしろ勇者パーティーがだいぶ劣勢と俺は見るね」
「ほぅ、その心は?」
「さっきのあれが、一番楽に勝負を終わらせられる千載一遇のチャンスだったのさ」
確かにタッキーが言っている通り、あれは最初で最大のチャンスだったと言える。あんな痛手を負った以上、ここからはヴォルテクスも本気で対策を取ってくるだろう。同じ手はもう通じないと考えた方がいいか。
「それに勇者くんの右腕も死んだしな」
「何だって!?」
慌てて水流に身を任せている勇者に注目してみる。
パット見た感じでは何ともなさそうだが……言われてみれば全然力が入っていないというか、殆ど惰性で揺れ動いているだけに見えるな。
「いくらアレク殿と言えども、あの攻撃を片手で正面から止めるのは流石に無理があったようですな」
「一番酷いのは右腕だが、体の節々にもダメージが入ってる。ウルスラちゃんを庇って全威力を自分に集中させたからだろう。全く、ロリコンの鑑だな」
「勝手に勇者をロリコンにすんな!」
その仲間を見つけたみたいな笑みを今すぐやめろ!
「ルシエル様的にはその方が都合がよろしいのでは?」
「よろしくねーから!? だがそうなると、このまま勝てそうだな……」
状況としては、体勢を整えたヴォルテクスが攻撃を再開しているところだった。触手の表面には螺旋状の水流が渦巻いており、掴めない上に威力も増している。勇者たちはギリギリしのぐので精一杯のようだ。
同じ戦法を取れないのであれば、魔法職は誤爆が恐ろしいし、近接職も足場がなければ自由に動けない。肝心の聖剣も、使い手の勇者が振るえる状態にない。
狙いをつける必要がないほど近づかれれば、或いはと言ったところか。それにしたってランダムな水流が道を阻むわけだが。
まぁ、簡単に初見クリアされたらダンジョン側としても立つ瀬がないからな。全滅してから頭を悩ませるのもダンジョン攻略の醍醐味である。
え、最初のダンジョン?
あ、あれは初心者向けだから……。
『ええい、こうなったらダンジョン諸共――』
『やめろ馬鹿! 早まるな!』
「やめろ馬鹿! 早まるな!」
「見事にハモりましたね」
ちなみに、仮にネリムが全員を巻き込んだ自爆をしても、引き分け判定でダンジョンを攻略したことにはならない。
だから本当にやめて。誰も得しないから!
「おや?」
「どうかしたかミルド」
「いえ、先ほどからチットちゃんの姿が」
「そういえば、さっきから全く映像に映らんな」
視点を俯瞰にし、フロア全体を映し出してみる。
よく見てみると、流されている人影の中にチットの姿が見当たらない。クラリスですら今は普通に見えているというのに。もしかして知らないうちに退場してた?
目を皿にして探し回っていると、タッキーがサラリと言ってきた。
「チットちゃんなら下にいるぜ」
「下だって?」
「ボスの足元を拡大してみな」
「……あ!」
言われるがままヴォルテクス周辺の床をクローズアップすると、そこにチットはいた。
しかも水流に巻かれることなく、ジリジリと床面を這いずってヴォルテクスへと接近しているではないか。
「一体どうやって……いやそうか、エンチャントか!」
恐らく【ヘヴィウェイト】の重ね掛け。さっき刺突を回避した時の逆で、這って移動できるギリギリまで自身の体重を増加させて、無理やり水流の影響を断ち切ったのだ。
荷重に歯を食いしばって耐えているのと、獲物への殺意で表情がギラついている。その右手には、幾重にもエンチャントが施されているであろう短剣が。
正直言ってかなり怖い。あれで頭をぶち抜かれたトラウマが蘇りそうだ。
『フフフ、もはや防戦一方のようですね。攻めて来ないのであれば、そろそろ決着をつけさせてもらいますよ!』
ヴォルテクスは……あー、気づいてないな。勇者たちとの攻防に夢中で、完全に足元が疎かになっている。病み上がりなせいか、少しテンション高いし。
やがてチットは巨体の影へと潜り込んでしまい、こちらからは視認できなくなった。
そして――
『さあ、この一撃を防げるものなら防いでみ゛っ!?』
これまでで最大の攻撃を放とうとした瞬間、ヴォルテクスは引き攣ったような悲鳴を上げて硬直した。触手や体は不自然な姿勢で固まり、全身の色は極彩色に七変化。程なくして激しく痙攣し始める。
「麻痺に錯乱、睡眠……使える限りのデバフを急所に叩き込んだようですな」
「え、えげつないであります」
「たった一刺しであの効力。伊達にルシエル様を卒倒させてはいませんね」
「ああ、あれは痛かった……」
「ルシエルちゃん、あの子と何かあったの? もしかして修羅場?」
タッキーが困惑している様子だが、今はそっちに構っている場合じゃない。
バッドステータスのオンパレードに苦しむヴォルテクスの肉体が、だんだんと水流に流され始めていた。デバフと一緒に【ライトウェイト】も仕掛けられていたのだろう。最初のうちはレジストしていたが、抵抗力が落ちたことで遅れて効いてきたのか。
『ぬぅ、ぁあ……!?』
吸盤の吸着力もとうに失われ、遂にヴォルテクスの巨体が舞い上がる。無抵抗なまま流されていく行き先は、偶然にも勇者とウルスラの下だった。
至近距離まで近づいて来たヴォルテクスへ、勇者は動かない右腕を体の振りで強引に向けて鎖を放つ。先端を相手の胴体へアンカーのように撃ち込み、右腕に縛り付けることで自分たちをヴォルテクスの体表へがっちり固定した。
水流も、距離も。
攻撃を阻む障害は、もはや存在しない!
『……ウルスラ!』
『はい! お兄様!』
勇者に掻き抱かれたウルスラの右手が、直接ヴォルテクスへと触れた。
精霊との間に如何なる会話が交わされたのだろうか。ウルスラから目を開けているのが困難になるほどの眩い光が放たれ、それはヴォルテクスと接触している手のひらへ収束していく。
こんな振る舞いをする魔法なんて、見たことがない。
妾たちが固唾を飲んで見守る中、それは解き放たれる。
『穿て――【アドラメレク】!!』
ウルスラが叫んだ刹那。
大小入り混じる無数の光の剣がヴォルテクスの内側から生じ、その全身を貫いた。
誰がどう見てもわかる、文句なしの一撃必殺。
ヴォルテクスは断末魔を上げる間もなく、その意識を断たれるのだった。
勇者パーティーは、ダンジョン『海魔の神殿』をクリアした!
◇
……いやー、呆気ないというか。
最後の最後で凄まじいオーバーキルを見たような気が。
ていうか何あれ。光の剣? 変態のくせに滅茶苦茶かっこいいんですけど。一体どういう魔法なんだ。
「ジラルは知ってるか?」
「申し訳ございません。儂もあのような魔法は、一度も拝見したことがないのです」
「うーん、ジラルでもわからないか」
最有力だったジラルが駄目となると、他に知ってそうなのは……。
まさかとは思いつつも、チラリとタッキーを見てみる。
すると彼は少し思案してから、口を開いた。
「魔法自体の詳しい出自とかは知らないが……見た感じ、あれは光を留める魔法だ」
「光を留める?」
「決まった範囲内でループさせるって言った方が正しいかもな。切る貫くというより、触れた箇所から莫大な光の熱で消し飛ばすような攻撃だ」
「な、成程」
そりゃ、んなもんを体の内側からぶっ放されたら即死ですわ。憐れヴォルテクス。正確には死んでないけど。
しかし、いけると思ったんだが結局初見でクリアされてしまったな。
勇者の機転から始まり、チットの執念とウルスラの火力。あとついでに、ネリムの辛抱が実った結果か。
でもこうして切り札の一つを切らせることはできたし、妾的には十分にプラスだ。あれが純粋な光による攻撃なら、対策のしようはある。
貴重な情報を提供してくれたタッキーにも感謝しなければ。
そう思った矢先、彼は「さて……」と席を立つ。
「色々と興味深いものも見れたし、俺はそろそろお暇するかな」
「もう行っちゃうのか? あと少ししたら勇者たちも戻ってくるが」
「え、マジ? ルシエルちゃん俺が帰っちゃったら寂しい!?」
「それはない」
「即答かよ!」
真顔で否定すると、この世の終わりみたいな表情でタッキーが崩れ落ちた。そこまでの絶望を与える言葉だったのだろうか。
ただ、立ち直るのも早いらしい。
「ふ、ふふ。良いんだ……家に帰れば子供たちと、その子供たちより明らかに年下な嫁が待ってるんだ」
「えぇ……何その複雑な家庭。ていうかあんた子持ちかよ」
そう言って立ち上がったタッキーは、やはり勇者や妾とそう変わらない年頃に見える若者だ。見た目通りの年齢ではないのだろうか。
うぅむ、わからん。
「そもそも、ちょっとした時間潰しだったからな。今から帰る頃には、ほとぼりも冷めて向こうも冷静になってくれてるだろう」
「よくわからんが……無理には引き止めないさ」
タッキーにはタッキーの事情があるのだろう。
出会いから振る舞いと、いちいち謎の多い男だった。この短い付き合いでわかったことと言えば、筋金入りのロリコンであることと、妙に勘が冴えていることくらいか。
まあ、少なくとも悪い奴ではなかったな。
妾やチットたちを見る目は邪だったが、態度そのものは非常に紳士的だったし。
「んじゃ、悪いけど誰か案内頼めるか? 自力でも出れるけど、ここはちゃんとした出入り口を使った方がいいだろ」
「では、儂が承りましょう。ダンジョンの外まででよろしいですかな?」
「ああ、よろしく頼むよ……では、ザハトラーク王国の諸君。またいつか会う日まで、息災であらんことを」
最後に慇懃な態度でそう言い残し、タッキーは案内を名乗り出たジラルに連れられて海の家を後にしていった。
またいつか、ねぇ。
勇者やクロイツ氏と何やら関係がありそうな以上、完全に線が切れているということもないのか。次会う時に、その辺りを明かす気はあるのかどうか。
……はぁ、今考えてもしょうがないな。
彼の言っていた通り、これは事故のような遭遇だったのだから。
「ふぃー疲れたー……あれ? 魔王ちゃん、タッキーどこいったの?」
思考に一区切りがついたところで、勇者たちが海底から戻ってきたようだ。タイミングがいいのやら悪いのやら。
「タッキーなら今帰ったぞ。ちょうど入れ替わりだったな」
「えーそうなの? 色々話聞こうと思ってたのになー」
残念がる辺り、ネリムも家族にそっくりな男に対して思うところはあったのだろう。こいつのことだし、単純な興味かもしれないけど。
「アタシも一度手合わせしたいと思ってたんだがなぁ。あいつはとんでもなく強えぞ。間違いない」
「ディータがそう言うならそうなんだろうね。あ、タコ焼き余ってるじゃんいただき」
「タコ焼き……!」
「一気に賑やかになったな……ところで、勇者とウルスラは?」
一連の会話に、あの二人が見当たらないぞ。
「そういえば姿が見えないでありますな」
ガリアンの視点からでも見えないということは、あいつらの後ろに隠れているということでもなさそうだ。
つまり、二人はそもそもこの場にいない?
まずい、嫌な予感がしてきたぞ。
何がまずいって、こういう時の予感は大体当たるのだ。畜生め。
「あー、ウルスラちゃんならここに戻ってくる途中で、お兄ちゃんを岩場の方に引き摺ってったよ」
「……ナンダト?」
「散々庇ってもらったから、せめて静かな場所で介抱してあげたいって。妙に鼻息荒かったけど」
ネリムからそれを聞くや否や、妾は電光石火の速度で海の家を飛び出す。
グルリと視線を岩場の方へと向ければ、そこへぐったりとしている勇者を連れ込まんとしているウルスラの姿が!
「はぁ、はぁ……お、お兄様が悪いんです。あんなに強く抱きしめられて、その上かっこいいところまで見せられたら……ただでさえ全身ずぶ濡れだったのに、余計に濡れて大変だったんですから。責任、とってもらいますよぉ……うふふ、禁断の愛、朝までしっぽりフルコース、楽しい家族計画……うふふえへへぇ」
しかも見るに堪えない欲望を垂れ流しながら!
あまりの光景に妾が呆然としているのを尻目に、度重なる猛攻をしのいで心身共に消耗しきっている勇者は無抵抗なまま岩場の影へと引きずり込まれていった。
そこへ追いついてきたミルドが、そっと耳打ちしてくる。
「人目のない場所に男女二人……当然、何も起きないわけがなく――」
「うおぉぉぉぉぉぉおおおおおおさせるかぁぁぁぁぁぁぁああああああああ本日二度目だこんちくしょぉぉぉぉぉぉおおおおお!?」
ミルドの言葉を全て聞くまでもなく、妾は再び全力で岩場へと駆けだした。
困りますお客様! 当ダンジョンでのわいせつ行為は禁止となっております! 兄妹同士なんて言語道断です! 義理でも駄目です! だから駄目だって言ってんだろ! いいから黙って勇者から離れやがれエロお客様ぁぁぁぁぁぁあああああああっ!!
◇
「いやはや、若者ってのは元気でいいねぇ」
遠くの喧騒に耳を傾けながら、その青年はジラルへと語りかけてくる。
見た目にはそぐわない、実に年寄りじみた発言だ。彼が言うよりも、ジラル自身が言った方がよほど違和感がない。
だが、ジラルはそれをおかしいとは微塵も思わなかった。
「そうですなぁ。儂も生涯現役を抱えておりますが、正直な話、最近では付いていくだけで精一杯というのが実情ですじゃ」
「悲しいこというなよジラル君。前にあった時は、少なくとも見た目は若々しかったじゃないか」
「……かくいう貴方は、七〇年前と何もお変わりがないようで」
――そう。
目の前にいる青年は、ジラルが初めて彼と出会った七〇年前。
ザハトラーク建国よりも前の時代から、人が赤子から老人になる時間を経ているにもかかわらず。外見も性格も、何もかもが変わっていないのだ。
まるで、彼だけ時の流れから忘却されているかのように――
「まあ、俺らはそういう存在だからな」
ジラルの指摘を受けても、青年はケロリとした態度だった。
それが当たり前のことだと理解し、受け入れている。彼にとっては、不老など常識の範疇に過ぎない。
わかってはいても、こうも軽い感じで答えられると、どうにも調子が狂う。
この青年に対して会話のイニシアチブを取るのは、七〇年の経験をもってしても難しいようだ。
「んで、わざわざ案内役を買って出たのはどういったご用件で?」
「素性を徒に明かさなかったこと。そして、儂と知古であることを黙っていただき感謝致します」
「露骨に知らんふりするもんだから、敢えて乗ってやっただけさ。正体に関しても、あんたが『絶対に喋んじゃねえ!』って目で見てきたし」
「魔王様が本当の貴方と相対するのは、時期尚早でございますれば」
「おや意外。てっきり心酔してるもんかと思ったんだが」
からかうような口ぶりだが、嘲るような気配は感じなかった。
故にジラルも、心穏やかに理由を述べる。
「彼女の王としての器は、間違いなく父君……ヴェリアル様に匹敵するものと確信しております。ただし、その器が未成熟であることも事実」
臣下として忠を尽くすことは、盲信することにあらず。
時には間違いを諫め、時には己が意を示す。
そうして王を正しく導いていくことこそが、真の忠義であると。
「儂は、そう信じております」
「……よーするに、俺は教育に悪いから検閲対象ってことか?」
「平たく言うとそうなりますな」
「そこは否定しろよ!?」
がっくりと肩を落とす青年を目にし、ジラルもようやく笑みをこぼす。
本来は、こんな態度を取ることが許される相手ではない。だが少なくともダンジョン内にいる間は、彼は身分不詳のタッキーである。
ならば、多少の無礼は許して然るべきだろう。
「ったく、そういうとこばかり老獪になりやがって……っと、ここが出口か」
「はい。扉を出ていただくと、街道沿いの小屋へ繋がっておりますので」
砂浜の端にポツンと設置された扉が、ダンジョンの空間と現実を繋ぐ中継地点となっている。向こうに出れば、特に迷うこともないはずだ。
青年はドアノブに手をかけると、そのまま少しだけ動きを止めた。
「どうか致しましたか?」
「あー、いや。何か言おうとしたんだけど、忘れた」
「は、はぁ」
「代わりと言っちゃなんだが……一つだけ望みを叶えてやろう。俺の裁量でどうにかなる範囲って条件付きだけど」
「――――」
唐突過ぎる、それでいて破格な申し出にジラルの思考回路が消し飛んだ。
それでも数秒ほどかけて我に返れば、今の発言に関する真意について急速に考えを巡らせる。額面通りに受け取るのはあまりにも危険だ。
しかし、それに待ったをかけたのも青年だった。
「別に深い意味はない。さっきルシエルちゃんに言った通り、色々と興味深いものが見れた。これはその礼みたいなもんさ」
「……そういうことであれば、その権利は魔王様に。然るべき時が来たら、儂からお伝えしましょうぞ」
「おう、そうしてくれ」
ひらひらと手を振りながら、今度こそ出ていこうとする青年へ向けて、ジラルは念のために確認を取る。
「今の言葉に相違はありませんな? 後からその場の勢いと嘯かれるのは無しですぞ」
「全く、どこの世界でも政治屋は疑り深いねぇ。そうでなきゃやってけないってのも理解はしてるが……まあいい」
青年は、呆れと感心を半々に笑みへと含め。
ジラルの方へ振り返り、宣言する。
「先の発言に、嘘偽りは決してない」
「それは、〝タッキー〟としての発言ですかな?」
「いんや」
「シントが長、タクマ=シングウジの名の下に」
「だいぶ前に名字だけ出てた奴だ!」ってピンと来た人。記憶力すごいですね!
名前や小出しにしてる設定から色々察せられると思いますが、この潔く反社会的な彼はクラーク氏と比べてかなり特殊なケース。その辺については追々本編で。
そして最重要情報……当ダンジョンの食材は、新鮮第一です!




