19 馬鹿と天才と野獣 (2)
あれ、思ったより忙しいぞ?
というわけで、GW中に間に合わなかった更新です
さて、セントリアのアカデミーへ書簡を送ってから三日ほど経った。そろそろ届いている頃だろう。
正直な話、望みは薄い。何故なら件の人物は、妾が想定していたよりも遥かに大物だったのだ。
ミルドの奴め……何が「そこそこ身分の高い人物」だ。確かにアルベリヒ陛下ほどではないにしても、気軽に呼び出せるような相手じゃなかったぞ。
かと言って、ただでさえ精神をズタボロにされたガリアンの手前「やっぱ無理」など到底言える訳もない。
依頼するだけしてはみたものの、果たして了承してくれるのだろうか……。
結果から言えば、その心配は杞憂に終わった。
「引き受けてくれるそうですよ」
「本当か!」
「本当でありますか!?」
先方から【コール】による連絡を受け取っていたミルドが齎した吉報に、妾とガリアンの表情がパッと明るくなる。特にガリアンは養子も相まって、キラキラと輝いているように見えた。
……元に戻すの勿体ないな。やっぱり一生このままでいいんじゃないだろうか。
内心そう思いつつ、口には出さないでおく。
あの日からガリアンは家に帰らず、表向きは泊まり込みの任務と称して魔王城に滞在していた。家族にスキルが使えないことをバレたら、ロクなことにならないとのことだったので許可したのだ。
でも結局ミルドに酷く弄ばれていたので、日に日にやつれていく姿を見ていた妾としては早いとこガリアンを解放してやりたい気持ちが勝っていた。
「しかしよく引き受けてくれたなぁ。ジラルの文が良かったのかな?」
「あまり関係はないと思いますが……ともあれ承諾を得られて何よりでございます」
「そう謙遜するなって。で、いつ頃来れるって?」
さっきも言ったように、相手はかなりのビッグネーム。頼む側ということもあるが、こちらも一国一城の主として相応のもてなしをするべきだろう。
そう考えミルドに問うと、淀みなく返事が返ってきた。
「今からです」
「ほうほう、今から……今から?」
「ここへ直接来るそうです」
「直接?」
今から? それもここへ直接?
いや急いできてくれるのは嬉しいんだけど、そもそもどうやって? ここ一応玉座の間だから、外部からの直接転移は封じてるんですけど。
「ちょ、ちょっと待て。それはどういう――」
妾がミルドへ真意を問いただすよりも早く、それは起きた。
――ヒュンッ、と
これと言った予兆はなく、僅かな風切り音だけを残して。
眼前の景色が、真円にくり貫かれた。
「んな……!?」
突如として目の前で起きた異常現象に、妾は玉座に座ったまま硬直してしまう。
空間に一滴の墨を垂らしたかのような漆黒の円。宙に空いた穴の向こう側には、無限の闇が広がっている。
ただの自然現象出ないことは明らかだった。
何故なら、闇の向こう側には――
「魔王様!」
「殿下!」
我に返ったらしいジラルとガリアンが、妾と円の間へ割り込むように位置取り、それぞれ杖と剣を構えた。
二人の意識は、ただ一点へ。
闇の中からこちらへと近づいてくる、二つの気配へと向けられていた。
……ていうか、一体これは何だ!?
新手のドッキリか? それともあれか、妾の存在を良しとしない何者かの陰謀か!?
人に恨まれるような国営をした覚えはないのだが……つーかミルドさん微動だにしませんね。キミも妾を庇ってくれてもいいんだよ?
とか考えてる内にもうすぐそこまで来てるし!?
今にも闇の中から飛び出して来そうなほど接近してきている気配に対し、警戒心はピークに達した。
かくなる上は先手必勝と、妾も発動の速い攻撃魔法を待機させようとした、その時。
ニョキッと。
白い毛に覆われた、長いウサ耳が闇の中から生えてきた。
「「「…………………………………………は?」」」
え、何。これ、何?
あまりにも予想外のものが飛び出してきたがために、三人して間抜けな声を上げる他なかった。
妾たちが呆然としていると、ウサ耳に続いて「よいしょっと」と本体の方も出てくる。
見た目的には二五歳前後だろうか。外見は典型的な兎の獣人――ラビットマンの女性である。ロドニエのカジノで見たバニーガールと違い、正真正銘本物だ。
全身を玉座の間に現した女性は、小動物めいた動きでキョロキョロと辺りを見渡す。仕草自体は随分と可愛らしい。
しかし凄まじい登場の仕方と、何より手にしている双剣らしきものからして彼女が只者ではないことは確かだ。
特にあの武器……あれは魔道具なのだろうか。全体的な意匠が、ミルドの持っていたレコーディングボックスと似ているような気がする。
もしかして、あの剣で空間そのものを切り抜いて侵入してきたとでも言うのか?
そんな馬鹿な。勇者の親父じゃあるまいし。
……それ以前に、彼女をどこかで見たことがあるような気が。
「むむ?」
疑問に思う中、妾はふと女性の胸元――腹立たしいことに豊満である――にある、特徴的なワッペンを目にした。
魔法を司る杖と技術を司るハンマーが、学問を司る本の上でクロスした紋様。妾の記憶が正しければ、あれはセントリアに籍を置くアカデミーのシンボルだったはず。
「……まさか」
思わず零した言葉を裏付けるかのように、一頻り確認を終えたらしい女性は自分が出てきた闇に向き直ると、その向こう側へと呼びかけた。
「師匠、繋がりましたよー」
「あぁ、今いく」
返ってきた若干しわがれた声と共に、今まで姿を見せていなかったもう一人が闇の中からずるりと歩み出てくる。
現れたのは、丈の長い真っ白な外套に身を包んだ長身の男。頭髪の殆どは白髪で、ジラル程ではないにせよ相当年季の入った顔をしている。だが背筋はピンと伸びていて、堂々とした佇まいは老いというものを感じさせない。
彼の登場と同時に、空間に開いた穴は出現した時のように霞の如く消失した。
「……さて」
一連の事態に妾たちが言葉も発せない中、男は平然と佇まいを直しこちらへと向き直ると、洗練された所作で一礼した。
「お初にお目にかかります国王陛下。それとも、魔王様とお呼びした方が?」
「え? あー、その、魔王でいいんじゃないかな」
「ではそのように。御前へ直接参じた無礼についてはご容赦を。本来であれば門前にて来訪をお伝えするのが道理と存じてはおりますが、ご依頼いただいた件は早急な対処が必要であると判断させて頂きましたので」
「え? あーうん、いいんじゃない? いやホントは良くないと思うけどいいんじゃないかなうん」
「素晴らしい。魔王様の寛大なお心に感謝を」
「いやーそれほどでも」
まるで用意されたかのようにスラスラと述べられる釈明と感謝の言葉。
妾もおちょくられ慣れてしまったせいか、久方ぶりの持ち上げられっぷりに。
何より、相手のつけ入る隙を与えない勢いに飲まれ、つい深く考えず流れのまま返してしまった。
上手く乗せられてるような気がしないでもないが……。
「では、あなたが?」
「あぁ、申し遅れました」
背後のミルドから誰何された男は、再び妾に向けて頭を垂れながら名乗りを上げる。
「私はクラーク。セントリアにてアカデミーの理事長及び、中央評議会の評議員を務めさせて頂いております。そして、こちらにいるのは雑用係……秘書のシルです」
「言い切った! 今雑用係って言い切ったー!?」
◇
クラークという人物について、人々が抱くイメージは主に次の三つだろう。
一つは、セントリアの数ある学園の中で、最高峰と名高いアカデミーの理事長。
空前絶後の天才と当時の人間たちから評された彼はアカデミーを首席で卒業した後、教授として学園に籍を置いた。そこで文明レベルを数百年先まで引き上げたと謳われる功績を幾つも残し、現在のポストについている。
もう一つは、セントリアの最高意思決定機関たる、中央評議会の評議員の一人。
セントリアの政治は、国民の投票によって選定された九人の評議員によって行われる。投票は毎年行われるためメンバーの入れ替わりは大小なりともあるが、クラークは最初の当選して以降は一度も落選したことが無いという。
そして、最後に。
クラークのみならず、彼の雑よ……秘書であるシルにも共通しているのだが。
二人はセントリアの人間でありながら、ある意味ザハトラーク王国とかなり縁の深い人物であると言える。
何を隠そう、クラークは三代目。シルは六代目の勇者――つまり現勇者であるアレクの先達であり。
前者は最盛期の父上を相手に善戦。
後者に至っては、母上に次いで父上を下した猛者であるのだから。
軽く周囲を見回したクラークは、懐かしむように目を細めた。
「こうして玉座の間へと訪れるのは、実に三〇年ぶりですな。魔王様が御戴冠なされたのはつい最近と存じていますが、先王はご健在で?」
「う、うむ。今は母上と共に国外へ旅行に行っている」
「それは重畳。夫婦仲がよろしいようで何よりです。あぁそうそう、シルのことは覚えていらっしゃいますか? 当時の魔王様は幼かったですし、覚えていなくとも無理はないと思われますが」
「覚えているとも。若干記憶は朧気になっていたが、もう完全に思い出したぞ」
一〇年以上も前のことな上、妾はシル個人と直接の面識はなかったので、色々と成長した彼女の姿を見てもすぐにはピンと来なかった。
だが、過去に別室から観戦した最終決戦の模様は今でも鮮明な記憶として脳に焼き付いている。
既にピークを過ぎていたとはいえ、魔族の中では最強クラスである純血のトゥルーヴァンパイア。それを相手に、温厚な種族として知られるラビットマンの少女が一歩も退かず攻め続け、遂には勝利をもぎ取った。
鬼気迫るというのは、ああいうのを言うのだろう。苛烈な戦いぶりに、子供ながら興奮したのを覚えている。
……しかし。
「雑用……私は雑用……」
力なく頭と長い耳を垂れ、その場にしゃがみ込んで床にのの字を書きながらブツブツと呟いている姿を見ていると、妾の記憶違いだったかなーという感じも否めない。
流石に一二年も経てば人も変わるのだろうか。
「時間も有限ですし、早速本題に入るとしましょう」
「えーっと、あれは放置していいのか?」
「問題ありません。いつものことですから」
「えぇ……」
キッパリ言い切るクラークに若干引いてしまう。
この容赦のなさはあれだ。ミルドに通じる部分があるな。
シルが不憫なことこの上ないが、話を急ごうとしている彼の姿勢に得も言われぬ不安を感じているのも事実。先の「早急な対処が必要」という発言もあるし。
それは当事者も同様だったらしい。
「しょ、小官はそんなにマズイ状態でありますか?」
「ほぅ、あなたが将軍殿ですか。随分と可愛らしい姿ですな」
「小官はノーマルであります!!」
残像が残るレベルのスピードでジラルの陰に隠れながら、クラークの世辞にいっそ過剰ともいえる反応速度でガリアンが防衛線を張った。
流石に過敏すぎるだろ。
そんなガリアンの反応に、クラークは余裕のある笑みを浮かべる。
「これでも妻帯者なのでその点はご安心を。しかし、そうですね……」
クラークはふと笑みを引っ込めると、真剣な表情となり。
「正直に申し上げますが、将軍殿は一刻を争う状態と言っても過言ではないでしょう」
「何だって!?」
「ク、クラーク殿! それは本当なのですか!?」
「先日頂いた手紙に記述されていた内容が事実であれば、ですが」
そう言いながら、クラークは外套のポケットから一通の手紙を取り出してみせる。
彼が手にしているのは確かにジラルがしたためた後、妾がサインと封をしてアカデミー宛てに送り付けたものだった。
「将軍殿はスキル【月下狼】を持つライカンスロープでありながら、件の魔道具による影響でスキルが発動できなくなり、獣化を保てなくなったと」
「ああ、その通りだ」
「我々は呪いに近いものであると見当をつけていたのですが、クラーク殿の見解を聞かせて頂いても?」
「宰相殿、逆に一つ問わせて頂きたい」
問いかけてきたジラルに対し、クラークは断りを入れてから逆に問う。
「貴殿の知る中に、スキルを封じる魔法や呪いは本当にありませんか?」
「……魔法の発動を阻害するものであれば幾つか。ですがクラーク殿の言ったような魔法に心当たりはないですじゃ」
「でしょうな。もし知っていたのなら、是非ともアカデミーの講師として招き入れたいと思っていました」
「えっと、つまりどういうことだ?」
「簡単なことです、魔王様」
話についていけてない妾に、クラークはまるで教師のように指を立てながら語る。
「まず大前提としまして、魔法とスキルは一見似たよなものではありますがその実、大きな違いがあります。ちなみに、魔王様はどのようにお考えで?」
「魔法とスキルの違いか……」
尋ねられたことについて、少し考えてみる。
魔法とスキル。どちらも魔力を消費して世界の法則に干渉する技という点では共通しているはずだ。違いがあるとすれば、どこにあるのだろう。
わかりやすいように、それぞれ例を挙げてみるか。
魔法だと、最近よく使うのは【コール】とか【テレポート】か? ガリアンに自分の姿を確認させるのに使用した【アイスミラー】も水属性の初級魔法だ。
スキルは、たった今話題沸騰中の【月下狼】やチットを捕縛する際に使用した【ブラッド・スレイブ】。そう言えば、猫耳の【狩人の目】もスキルらしいな。ディータが使った【武心錬成】もドワーフ固有のスキル。
こうして並べて見ると、薄っすらとだが関連性が見えてきたような気がした。
「魔法は属性で分けられるが、スキルはその限りではない?」
「それでは一〇〇点中の五〇点ですね。幻影魔法のような例外もありますから」
「あっ、確かに」
「魔法は明確な系統に分かれていると言及できれば、及第点でしたが」
「五〇点は不合格なのか!?」
「はい」
「しょぼん……」
すげない返答に大きく肩を落とす。
アカデミーの、というかクラークの採点基準は中々厳格なようだ。
妾、不合格。
「この世界における魔法は、体系化された技術です。才能の有無による習得難度の差はあれど、正規の方法に則れば誰でも行使可能でしょう」
「随分な極論だな」
「事実ですから」
簡単に言うけどなぁ。
妾にはネリムやウルスラが使ってた、はい空間ごとぶち砕いて殺しまーすみたいな魔法は使える気がしないぞ。
だがそれも結局、得手不得手という言葉で片付いてしまうのだろう。魔法を発動するためのプロセスそのものは確立しているのだから、後は使う人間の力量次第だ。個の出力不足を抑えるために儀式魔法のような手段もあるのだし。
「しかし、スキルはそうもいきません」
クラークは一度言葉を切り、懐から一冊の古びた本を取り出す。
どこに入ってたんだと言いたくなるような分厚さのそれは、研究記録のようだった。
「スキルを系統分けする試みは過去にも行われていましたが、結論から言えば不可能であると断定されています。同一種族であるにもかかわらず行使の可否があったかと思えば、種族に関係なく使用可能なスキルの存在。例を挙げればキリがありません」
「個人差がありすぎるということか?」
「その通り。しかも魔法と違い、発動原理は未だ解明されていないのです。よってアカデミーの魔法学部は議論の末、最終的にこう結論付けました」
「スキルとは、個々の魂に起因し発現する異能であると」
――魂。
これはまた、随分とスケールのデカい話になって来たな。
魔法を勉強する過程で少し齧った程度の知識ではあるが、魂はその生命――ひいては存在の根幹を表す情報らしい。
もっとも、それを利用するのは神代の魔法くらいで普通に生きてる限り触れる機会はないけどな。一応ダンジョンの防死魔法は魂を保護することで復活を可能にしているらしいが、詳しい原理は妾も理解してなかった。
「魂は同種族であれば共通する部分も多くみられますが、やはりそこには明確な個人差があります」
「見て分かるようなものなのか、それは」
「視覚的には何とも。感覚的に違いを見分けることが可能な人物は、ごく少数ですが存在しますね」
「ごく少数ねぇ」
妾はふと、シルフェの森で初見の妾をアンデットと見抜いて脳天に矢をぶち込んできた猫耳のことを思い出した。
あいつは魔力や気配から判別したと言っていたが、実は結構でたらめな技能の持ち主なんじゃ……。
まあ、今さらって感じはするけど。
勇者パーティーはみんなやべーやつだからな。
「簡単にまとめますと、魔法は学びさえすれば種族に関係なく使える技術。対してスキルは、魂に依存し使用の可否が左右される、ある種の才能とでも言うべきもの……ここまで説明すれば、将軍殿が如何に深刻な状況にあるかご理解頂けますね?」
「……ま、まさか!」
一足先に答えに至ったらしいジラルが、驚愕の声を上げた。
妾も漠然とだが答えらしきものが浮かびかけている。考えがまとまっていくにつれて、ふつふつと嫌な予感が湧き上がってきた。
スキルは魂に起因するもの。使えないスキルがあるのは、その者の魂がそのスキルを使うに適していないから。
……ならば。
元々使えていたスキルが、使えなくなるということは――!
「ガリアンの魂が変質してしまっているということか!」
「素晴らしい。合格点を差し上げましょう」
「やったー! ――って喜んでる場合かぁぁぁぁぁぁあ!?」
バンザイをした勢いで、そのままおめでたい後頭部を王座の背もたれに叩き込んだ。
魂の変質って……変質ってお前!
思った以上にヘヴィな状況なんじゃないのか!?
ガリアンもあまりの事実に、口をポカンと開けたまま硬直しちゃってるし!
「変質による影響はどのようなものがあるのですか?」
「正直に申し上げると、全くの未知数です。何しろ前例がありませんから」
「突然爆発したりとかは!?」
「可能性としてゼロではないでしょう」
「――ちょ! 何でさり気なく小官と距離を置くでありますかジラル翁!?」
「い、いや……万が一と思ってのぅ」
正気に戻ったガリアンから、ジリジリと距離を取るジラル。
妾もぶっちゃけ逃げたかったが、ここで王座から降りるのは流石に露骨過ぎて可哀想だと思った。なので少しだけ片側の肘掛けに身を寄せるくらいにしておく。
「これは、少々脅しが過ぎましたかな」
対外的に割と恥ずかしい光景を前に、クラークは苦笑しつつ頭を下げてきた。
脅しが過ぎただって?
「スキルが一つ使えなくなる程度の変化であれば、魂の変質もあまり大きなものではないのでしょう。元々なかった起爆性を有する確率も、ほぼ皆無と言っていいです」
「な、何だよ……びっくりしたなもう」
「ですが、楽観視が出来る状況でもありません」
またも笑みを引っ込め、表情を引き締めてクラークは言う。
「魂は本来そう簡単に干渉を受けるものではない。干渉を受ける前提がそもそもないが故に、非常にデリケートなのです」
「例え僅かな変化でも、致命的になりうると?」
「宰相殿の仰る通り。長く放置すれば今の魂の形が常態化し、二度と元に戻らなくなるかもしれません」
二度と元に戻らない……つまりガリアンは満月にしか獣化できない、ただのライカンスロープになると。
妾としては、元々そういう種族なんだし別にいいんじゃねって思うんだが。スキルが使えないからってクビにする気もないし。
ただ、本人的には違う意味で死活問題であって。
「それは困るであります! どうにかならないでありますか!?」
藁にも縋るような勢いでクラークを問い詰めるガリアン。
あの外見のせいで一々可愛く見えるんだよぁ。普段の巨漢狼の姿を知らなければ、結構ときめいていたかもしれない。
別にそういう趣味はないけど。
「ご安心を。そのために我々が来たのですから」
縋りつかれたクラークはと言えば、状況の深刻さに反し余裕を保っていた。
まあ、少し考えればわかる。
彼は最初に早急な対処が必要と言っていたし、対処方法自体は既に心当たりがあったのだろう。訪問を急いだのは言葉通り、時間がネックだったからかな。
無理なら無理と依頼を突っぱねただろうし、ここへ来た時点で勝算はあったわけだ。
「魔道具の効果を受けてから約三日。ギリギリですが、変質した魂の定着には至っていないと思われます」
「それは良かった……では早速取り掛かってくれ」
「畏まりました。まず、件の魔道具をお借りしても?」
「無論だとも。ジラル」
「こちらでございます」
妾の命に従い、ジラルの手からクラークへあの万年筆のような魔道具が手渡された。
「……ふむ」
クラークは佇まいと眼鏡の位置を直すと、手の中にある魔道具へレンズ越しに鋭い視線を向ける。
叡智を秘めた深緑の瞳の奥に、僅かな魔力の輝きを見た。
あれは、もしや【鑑定】か?
「ふむ……神代の一品で、名は『スキルブレーカー』。効果は、対象の持つスキルを一つ恒久的に使用できなくする。概ね予想通りでしたな」
「へぇ、そこまで詳しくわかるのか」
「私の持つスキルで効果を補強しましたから。これほどの品になると、下手な【鑑定】は弾かれてしまうので」
サラリと言っているが、さっきの魂云々の話を聞いた後だと滅茶苦茶凄いことに聞こえるから不思議だ。
特殊なスキルを持っているということは、それだけ特別な魂の持ち主ということ。まあクラークほどの人物なら納得は出来るか。
「恒久的って……じゃあ放っておいたら本当に一生このままだったでありますか!?」
「でしょうな。ハッハッハ」
「笑い事じゃないでありますよ!?」
「大丈夫ですよ。大がかりな書き換えであれば修復不可能な可能性もありましたが、魂の一部に異物を差し込んでスキルの発動を阻害しているだけのようですし」
「全然大丈夫に聞こえないでありますが!?」
「ご安心を。この程度であれば、今すぐにでも解決できますよ」
ガリアンを落ち着かせるように言うクラークに、嘘をついているような気配はない。やけに症状を具体的に言い当てているのが気になるけど。
それでも簡単には信じられんな。さっき魂はデリケートって話を聞いたばかりだから、もっと慎重に解決すべき案件だと思ってたのに。
「本当に大丈夫なのか?」
「はい。そのために連れてきたのですから……シル、ちょっといいかね」
妾の確認によどみなく答えながら、クラークは後ろを振りながら同行者の名を呼ぶ。
そのためにって、シルならガリアンの症状をどうにかできるというのか?
戦闘力の高さは妾も知っているが、こういう特殊なケースで活躍できるようには見えないんだが。
ていうかさっきまで凄く落ち込んでたけど、もう立ち直っているのだろうか。
恐る恐る、彼女の方へと視線を移す。
「注意したのに部屋が散らかったままだったんですか」
「そーなんですよ! もう何度も片づけてって言ってるのに、師匠ってば全然聞いてくれないんです。しかも、あの部屋に恥ずかしげもなく人を呼ぼうとするんですよ? ありえないですよね!?」
「でも、駄目な男性の方がお世話のし甲斐があるんじゃないんですか? 私の父はずぼらの極みですけど、母は幸せそうですし」
「ま、まあそれもそうなんですけど。もっとこう、努力の痕跡くらい残してもらいたいというか……」
「完璧にしろとは言わずとも、せめてポーズくらいは欲しいと」
「それですよそれ! もし子供たちまで部屋を片付けなくなったら、どー責任取ってくれるんですかね!」
「困ってしまいますね。子は親の鏡ともいいますから」
「まさにその通り! もーミルドさんだけですよ私の苦労をわかってくれるのは!」
「いえいえそれ程でも」
「謙遜しなくていいですから~。よし、今から飲みに行きましょう! お代は私が全部持ちますから!」
「随分と唐突ですね。でも、いいんですか?」
「ノープロブレムです! その代わり、色々と愚痴ってもいいですか?」
「……そういうことであれば、お付き合い致しましょう」
「やったー! じゃあ早速――」
「ってちょっと待てぇぇぇぇえええい!!」
さも自然な流れで退出しようとする二人を、慌てて引き留めた。
「何ふつーに出ていこうとしてんの!?」
「え、だって難しそうな話をしてますから、私は別にいなくてもいーのかなーって」
「たった今出番が回ってきたところだよ! 大体、ミルドは酒飲んだら話聞くどころじゃないだろ!?」
「ルシエル様にだけは言われたくないです」
「それは今関係ないから!」
全く口の減らん奴め。そりゃ妾も酒精には弱いけどさ。
……ていうか今、聞き捨てならない言葉が飛び交っていたような。
子供たち? 子は親の鏡?
まさかとは思うが、念のため聞いてみるか。
「なあシル」
「何ですか?」
「子供がどうとか言ってたが、所帯持ちなのか?」
「そうですよー。男の子と女の子が一人ずつで、二人とも今年で九歳になります」
「へ、へぇ」
思ったより大きいな。
でもよほど長命な種族でない限り、一五歳で成人とみなされるのが一般的であることを考えれば、シルにそれくらいの年齢の子供がいたってもおかしくはない……のか?
ま、まあ子供の年はいいんだ。
妾が気になっているのは……。
「それで、相手は?」
「そ、それはですねー」
問いかけられたシルは頬をほんのりと染め、もじもじし始めた。
乙女のように恥じらいながら、彼女がちらりと視線を向けた先には――
「ふむ……やはりメイドはいい」
「目の前で堂々と他の女性に色目を使われたー!?」
「やっぱり旦那あんたかよ!?」
ミルドを感慨深げに眺めているクラークに対し、二重の悲鳴が上がった。
ていうか嘘だろ? いや話の流れ的にそうなんじゃないかとは思ったけど!
驚きのあまり続く言葉を発せない妾を尻目に、クラークは再びブルーな状態まで落ち込んだシルへ弁明している。
「人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ。私はあくまで、彼女のメイドとしての在り方に敬意を示しているのだ」
「敬意、ですか?」
「そうとも。見てみたまえ」
俯くシルに顔を上げさせ、クラークはミルドを指し示す。
「スカートの丈は足首まで覆うロング。胸元はしっかりと閉ざしているし、最低限のフリルやレース以外には過度な装飾もなし……正しく、職業としてのメイドが持つべき貞淑さを体現していると言って過言ではないだろう」
「え、そうかなぁ?」
確かにああして「過分な評価でございます」とお辞儀をしている姿だけ見ていれば、理想的なメイドに見えるのか。実際仕事自体はつつがなくこなすし。
でも普段から接している身としては、ミルドが真っ当な評価をされていることに何とも言えない違和感を感じる。
「昨今のメイドと言えば、無駄に露出を増やすばかりで全くなってない。雇用側の下衆な欲望が透けて見えるのも問題だが、それを全く疑問に思わないメイドが増えてしまったことこそが由々しき事態だな。自分が淑女からかけ離れた痴女に成り果てていると、彼女らは気付かないのだろうか……」
「お、おう」
「そー言うことなら良いんですけど……あれ?」
熱く語った末、遠い目をしているクラークの様子に納得しかけたシルだったが、ふと思い出したように首を傾げた。
「じゃあこの前私に着せた、あのやたらと露出の多いメイド服は何だったんですか」
「あれは性欲を満たすためのものだ」
「下種な欲望を隠す気すらない!? 散々語っといてとんだ俗物じゃないですか!」
「別に問題なかろう。夫婦間でのコスチュームプレイなどよくあること――」
「それ以上言ったら世の夫婦にぶっ飛ばされますからね!?」
……色々と口を出したいことは多々あるが。
彼自身の口からも出てしまった以上、もはや疑う余地はないのだろう。
でも……マジなのか?
どうしても信じられず、つい問いかけてしまう。
「クラークとシルは、夫婦……なのか?」
「はい、そうですが」
即答だった。
いやそうなんだろうけどさ!
「流石に年離れすぎじゃね?」
「所謂、年の差婚というやつですかな」
「限度があるわ! 父親と娘どころか、お爺ちゃんと孫くらいの差があるだろお前ら!?」
「そうは言われましても、そもそも求婚してきたのはシルの方ですからなぁ」
「……そうなのか?」
本人へ確認を取ると、またも頬を染めつつこくりと頷く。
信じがたいが、やはり事実のようだ。
……まあ、エルフやドワーフを代表とする長命種が自分より遥か年下の相手と結婚することは珍しくもないのだが。
寿命にそれほど差がないにもかかわらず、こうもハッキリと年齢差が現れてる夫婦というのは流石に珍しい。
しかし子供がいるってことは……したんだよな、この二人。何がとは言わんけど。
子供の年齢が九歳だったか?
つまり行為に及んだのがほぼ一〇年前として。クラークは見た目的に六〇、下手をすれば七〇は軽く超えているはず。
しかも、最近はメイド服を着せて致したと。
元気いっぱいかこの爺さん。
「枯れてないんだな。ジラルと違って」
「急に何をおっしゃるんですか魔王様!?」
「あ、いやつい」
同じお爺ちゃんでも違うんだなぁとしみじみ思ってな。
まだ枯れてないというのであれば申し訳ない。
「あのー! 小官としては、そろそろ本題に戻って欲しいと思うんでありますがー!」
やべっ、忘れてた。
「……そろそろ切り出そうと思ってたんだ」
「忘れてたでありますね?」
「ウソジャナイヨ」
「凄いカタコト! 本当に嘘つくの下手でありますな!?」
「細かいこと気にすんなって。で、シルならガリアンを元に戻せるのか?」
これ以上の追及を逃れるべく、クラークに再度確認を取る。
彼の返答もまた、先と変わらない。
「可能ですとも。気休めは言わない主義なので」
「えーっと師匠。話の流れがよくわかんないんですけど、私はどーすれば?」
マジで話を聞いていなかったらしい。
本当に任せて大丈夫かな。
「難しいことは要求せんよ。将軍殿、こちらに立って頂けますかな」
「は、はぁ……」
ガリアンはクラークに言われるがまま、指定された位置まで進み出る。
「そこで結構。ではシル」
クラークは手にしたままだった魔道具『スキルブレーカー』をシルに手渡す。
そして、ただ一言。
「それを使って、彼を治しなさい」
「……よくわからないけど、わかりました!」
「え!?」
「ちょっ、おま!? そんな適当な――」
妾が止める間もなく、意味不明な自信を発揮したシルは魔道具の先端をガリアンへと向けて――
「えいっ」
「オォォォォォォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオン!?」
あの時と同じく、放たれた閃光の直撃を受けたガリアンは全身から眩い光を放った後。
しめやかに爆発四散した。
「うおおおおいマジでぶっ放す奴があるかぁ!?」
「魔王様!」
予想外過ぎる展開に、妾は慌てて王座から降りた。背後からジラルの制止するような声が聞こえてきたが、構わず駆け寄る。
朦々と立ち込める煙のせいで何も見えないが、爆心地で何か物が動いているような気配はない。
単純に気絶しているのか。もしくは、グロ肉を晒しているのか……。
どちらにせよ、近づいて見なければ確認できない。
「ガリアーン! 無事かー!?」
念のため声をかけてはみたものの、返事はなかった。
結構接近したがまだ見えないな。くそっ、煙が邪魔だ。
よくよく考えてみれば、ここは別にあの部屋みたく危険物は置いてない。煙なんぞ風で吹き散らせばいいじゃん。うっかりしてたわ。
「【エアショット】」
下へ向けた指先から弱めの空気弾を放ち、床にぶつける。圧縮された空気が破裂し、解き放たれた風圧が煙を吹き飛ばした。
――あ、思いついたままにやったけど心の準備が!
正気度の減少を危惧し、反射的に目を閉じかける。
しかし煙が晴れるのはそれよりも早く、同時に妾の心配もただの杞憂に終わった。
「元に、戻ってる?」
ついさっきまでか弱そうな少年がいた場所には、屈強な肉体を持つデカい狼男がぶっ倒れていた。白目を剥いているのを見る限り、やはり気絶していたようだな。
お馴染みのメイン盾――もといガリアンに戻ったのだとわかってホッとする反面、少しだけ勿体ないことをした気分だ。
「さて。私は将軍殿の元の姿を知りませんが、これで問題はありませんかな?」
「え、えぇ。しかしクラーク殿、あれは大丈夫なのですか?」
「気絶しているのは、単純に驚いただけでしょうな」
「そりゃ、あんな適当にぶっ放されたら驚くだろうよ……妾も冷や冷やしたぞ」
あれだけ理論的にガリアンの症状や魔道具の特性について考察していたクラークが、いきなりロクに話も聞いてなかったシルに丸投げしたのだ。
これでビビらない方がおかしいだろ。
「それにしても、あんなんでよく上手くいったな。シルって実は魔道具に詳しかったりするのか?」
「いいえ。彼女は学とは縁遠い、見て感じた通りの馬鹿です」
「キッパリひどい!?」
「ですが、非常に稀有なスキルの持ち主でして。詳細は省きますが、シルは初めて扱う道具であっても正しく使用できるのです。同じ魔道具で効果の解除が可能なことは、先ほど調べた際にわかっていたので」
「な、なるほど。師匠が師匠なら、弟子も弟子だな」
クラーク自信も相当珍しいスキルを使うようだが、シルが持っているそれもまたとんでもないと。
馬鹿と天才は紙一重とよく言うが、どちらかと言うと馬鹿と天才は両立するのかも。
「原理や仕組みを理解せずとも、ただ結果のみを完璧に発揮する……はっきり申し上げまして、学問の天敵ですな。業腹ですが、今回は事態が事態なので頼りましたけど」
「えースパッと解決できるならそれが一番じゃないですかー」
「過程があってこその結果だろう。我々が利用しているのは先人が積み上げてきた努力と知恵の結晶であり、それを紐解くことは偉大なる先達への礼儀でもある。そして彼らと同じラインに一度立ってこそ、更に先の段階へと進むことが出来るのだよ」
「そー言うものなんですかねー」
「……そう言うものなのだ」
頭上に大量の疑問符を浮かべ、わかってるのかわかって無いのか曖昧な返事をするシルに、長々と語ったクラークも若干投げやりな感じで締めくくった。
完全に匙をぶん投げたみたいだ。
肩を落としたクラークは、気を取り直す様に咳ばらいを挟んで妾へと向き直る。
「魔王様は学問に関し、どのようにお考えですか?」
「え、そこで妾に振る?」
「折角の機会ですので、一国を預かる者としての意見を頂ければと」
「うーん、そうだな……」
正直に言うと、クラークの話は聞いてて頭が痛くなる。
算術や文字の読み書きといった、一般教養に関する教育は主にジラルを家庭教師として受けているが、そこからはひたすら実戦的な魔法や戦闘の訓練に勤しんでたし。あとは国営に関する知識くらいか。
ぶっちゃけ妾も魔法は使えればいいだろのスタンスだから、学術的に学べと言われたら面倒だなぁと思うのだ。
でも、先のクラークの発言には少し思う所があった。
「過去を……先人の偉業を知るというのは、大切だと思っている。妾たちがこうして平穏無事に暮らせているのも、彼らが頑張ってくれたお陰なのだから」
最近の若い者たちは……妾を含めてだが、今の生活を当たり前のように享受している。
世界から、我々は当たり前のように受け入れられている。
だが、少なくとも昔はそうでなかった。
迫害を受けていたのは、あからさまに人族とは違う姿をした魔族だけではない。獣人は獣同然の扱いをされていた時代もあったし、ジラルのようなダークエルフも見た目が不吉という理由だけで、人里から遠ざけられていた。
そんな状況を良しとせず、一石を投じた人達がいた。
父上たちが身命を賭して築き上げたザハトラーク王国は、魔族だけではなく当時力をもたなかった者たちにとって初めての居場所となった。そして長い年月が経った今、種族の壁なんてものはもう殆どないように思える。
少なくともそこで気絶してるガリアンみたいな、魔族と獣人のハーフなんてこの国が出来る前までは考えられなかっただろう。こういう何気ない所に、先人の努力の証は現れているのだ。
意識しなければ気づけないようなことに気づけ、感謝できるようになる。彼らが作り上げた過去を知ってこそ、より良い未来へと向かえるようになる。
そう考えると、学問というものへの苦手意識が少し薄れたような気がした。
「成程。貴重なご意見をありがとうございます」
妾の答えに、クラークは満足げな笑みを浮かべていた。
少なくとも及第点は超えているに違いない……って別に採点されてないだろうに。
相手が本職の教師だからか、どうも試されているような気がしてならないんだよなぁ。
「うむ。何はともあれ、二人には感謝している。これでガリアンも安心して夜道を歩けるようになっただろう。この礼はきちんとするからな」
「礼など恐れ多い。私としても、貴重な魔道具を拝見する機会に恵まれ感謝の念に堪えません……次の作品に関するインスピレーションも受けられましたし」
ん? 最後の方は小声でよく聞こえなかったな。
まあいいか。
「しかし、クラーク殿にこれだけのことをして頂いておきながら、謝礼の一つも無しというのは」
ジラルの言っている通り、セントリアの重鎮にわざわざ来てもらっておいて、何も無しというのは不味いんだよ。国の威信に関わる。
メイド服とかあげたら喜ぶかな?
後でミルドに殺されるかもしれないけど……妾が。
必要とあれば腹を、というか首を括る覚悟でいた妾だったが、この問題は他ならぬクラークの提案によって解決するのだった。
「ふむ。そう言うことであれば、僭越ながらお願い申し上げたいのですが……」
◇
「では、これにて失礼させて頂きます」
「貴重な時間を取らせてすまなかったな」
「いえいえ。大変充実した時間でしたから」
「ミルドさーん! 次は絶対に飲みに行きましょーねー!」
現れた時と同様、クラークたちはシルが空間を斬って開いた穴から、玉座の間を去っていった。
閉じて元通りになる景色の向こうへ彼らが消えていくのを見送り、妾たちはホッと一息ついた。
「何と言うか、凄い人たちだったな」
「そうでございますね」
「ジラル様も今から鍛えれば間に合いますよ」
「……」
「何がって? それはナニが――」
「あえて聞かんでおいたというに!」
いつも通りのやり取りを繰り広げる二人を尻目に、妾は先ほどクラークたちに与えた礼について考える。
「他に同じような未鑑定の魔道具があれば見せて欲しい、か」
当初はこちらから、それも出来れば頼むつもりであったことを、まさか向こうから提案してくるとはな。
学者からすれば、父上の魔道具コレクションは相当価値のある物に見えるのだろう。妾としても渡りに船だったので快く倉庫へ案内した。別に他人に触らせるなと言われてはいないし。
ちなみに例の『スキルブレーカー』や、倉庫にあった一部の魔道具についてはクラークが一時的にアカデミーへと持ち帰っていった。
神代の歴史を解き明かす重要な資料だそうで、一週間以内には返すという約束のもと貸し出している。これくらいは構わないだろう。
特に使う予定もないし、いっそ危険な魔道具なんて全部売っぱらってしまえばいいとすら思っているけど、流石にそれは妾の一存じゃ決められないしな。
クラークの調査によって、正体不明の魔道具に関して詳細な情報を得られ、今後の管理もしやすくなった。
正直こちらばかり助かってて、礼になってるのか怪しく思えたが……彼が納得しているのなら良しとしよう。
「うぅ……酷い目にあったであります」
「お、やっと起きたな」
僅かな呻きと共に、床で大の字になっていたガリアンが目を覚ましたようだ。
ゆっくりと身を起こし、キョロキョロと辺りを見渡してから首を傾げる。
「あれ、クラーク氏たちはどこへ?」
「目的とか諸々を果たして帰っていったぞ」
「目的を……ってことは」
「ほれ鏡見ろ鏡」
ハッとした表情のガリアンの前に、再び【アイスミラー】を生成してやった。
氷の鏡に映ったいつもの狼頭を見たガリアンはニ・三度瞬きし、顔や体をペタペタと触り始める。
しばらくそれを続けている内に、ようやく戻ったことを実感したようだった。
「戻ったああああああああああああオォオオオオオオオオオオン!!」
両手を突き上げ、号泣しながら狂喜乱舞するガリアン。
「そんなに嫌だったのか」
「出来ることなら一生この姿でいたいであります!」
「そこまでか……」
やはりトラウマは根深いらしい。
まあ何だかんだ言って、ガリアンは見慣れたこの姿の方が妾としても安心する。
それにあの姿のまま勇者たちを訪ねれば、おもちゃ確定だっただろう。主にネリムやクラリス辺りの。
ガリアンの美少年モードは……そうだな、月に一度くらい見れれば充分か。
とは言え、ガリアンは絶対に戻りたがらないだろうし。
「……魔道具返してもらう時に使い方教えてもらうか」
「何か言ったでありますか」
「ン? 何も言ってないぞ」
「本当でありますかぁ?」
「ホントホント。魔王ウソツカナイ」
耳ざとい奴め。
すげー訝し気な表情してるけど、ここはどうにか誤魔化しきらなければ。
妾は恐らく志を同じくしているであろうミルドへ目配せする。
いつもは変なところで察しの悪いミルドだが、今回ばかりはこちらの意図を正確に読み取ったらしい。
「おっと、こんな所にガリアン将軍のあられもないスナップショットが」
「ちょ!? いつの間にそんなものを……ていうか無駄に精巧でありますな!?」
「特殊な紙に景色を焼き付ける技術だそうです。シル様に試作機を頂いたので、お話の最中にパシャパシャと」
「余計なことをぉぉぉぉォォオオオオオオオオオン!!」
ガリアンの悲痛な叫びが響く中、妾は無事意識が逸れたことに安堵するのだった。
……もし処分を免れたなら、後で一枚くらい貰っておくか。
◇
シルが斬り開いた時空穴を潜り抜け、クラークは厳かな玉座の間から雑然とした自室へと帰還した。後に続いてシルが戻ってくると同時に、空間そのものへと穿たれた穴は雲散霧消する。
対象を指定した座標へと飛ばす転移魔法とは違い、離れた空間同士を斬って繋ぐ技術。魔法という概念と、クラークが生来から持つ知識が合わさったことで、初めて実現したものだ。もっとも、それを組み込んだ双剣『ゲートキー』は使用する都度に特殊な操作を必要とする。
まともに扱えるのは製作したクラーク本人か、見ただけで正しい使い方がわかるシル。
或いは――『キーボード』という道具に触れたことのある者だけだろう。
ぼんやりと、そんなことを考えながら。
「隠れていないで、姿を見せたらどうかね?」
「っ!」
眼前の何もない空間へクラークが声をかけた瞬間、傍らにいたシルが消えた。
正確には、消えたと形容する他ない超高速移動。たった数メートルの距離を音よりも速く駆け抜け、虚空に刃を突きつける。
シル自身はきっと知覚できていない。
ただし、「知る」という一点において絶対的な彼女の固有スキル【超直感】。
加えてクラークがそこにいると判断したことが、存在の欠片も感じられない何かが存在していることを確信させたようだ。
アカデミーの厳重な警備を突破した侵入者へ警戒心を剥き出しにしているシルだが、正体を既に察していたクラークはあくまで気安く、投げやりな調子で続ける。
「知っての通り、彼女は少々気が短い。半端な魔法は急いで解くのが身のためだ」
「……半端かぁ。それなりに再現性はあると思ったんだけど」
突然聞こえてきた若い男の声にシルは目を見開いたが、構えた剣の切っ先は僅かにもブレない。完全に制御された暴力は、相手が不用意な動きを見せた瞬間、即座に振るわれるだろう。
それを理解したのか、彼は景色そのものへ滲み出すように姿を現し始めた。
「ちなみに、見破ったのはスキル? それとも、例の〝前世の知識〟ってやつ?」
「前者だ。存在そのものを巧妙に隠していたようだが、完全でなければ認識し、遡れる」
「成程。【深理解析】を騙すには本人並みの練度が必要ってことだね」
「そんなことを覚えてどうする……」
「だって君、仕掛ける前に全部気づくから悪戯のし甲斐がさぁ。どこぞの誰かを見習ってほしいよ全く」
心底呆れた態度を隠しもしないクラークに、完全に姿を現しきった男は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
セントリアでは珍しくもない、シャツとズボンというラフな格好をしたエルフの青年。しかしその美貌は美形揃いのエルフの中でも群を抜いており、ありふれた服装が逆にちぐはぐな印象を与える。
そう……本来であれば豪奢に着飾り、こんな所にはいないはずの人物。
「久しぶりだね、二人とも」
ロドニエ王国が誇る『妖精王』。
アルベリヒ=オーベルタス=ロドニエ、その人であった。
「…………え」
この時点でようやく彼の――自分が剣を突きつけて、場合によってはぶった切ろうとした相手の正体に気づいたシルは。
「ぎょえええええええええすいませんでしたー!?」
婦女子らしからぬ悲鳴を上げながら、間合いを詰めた時と同様、人類の知覚を振り切る速度で土下座を決めた。
「あー別にいいって。不法侵入したのは紛れもない事実だし」
「そうだぞシル。今回ばかりは君の対応が正しい」
「あ、珍しく師匠が優しい……じゃなくて、何で!? 何で王様がここに?! しかも不法侵入って……うっ、頭こんがらがってきた」
「頭が痛いのなら少し休んできなさい。用件は私が聞いておく」
「ふぁい……」
頭を抱えながら退室していくシルを見送り、ドアがしっかりと閉じるのを確認してからクラークはアルベリヒへと向き直る。
第一声は、自分でも驚くほど低い声が出た。
「何があった」
「何かがあったってことは決め打ちなんだ……シルちゃん、わざと退席させたでしょ」
「聞かせる必要があるかどうかは私が決める。それに、事前の連絡も無しに貴殿が私を訪ねるなど、余程のことだと思うが?」
「まあ、のんびりと返事を待ってる余裕は無かったかな」
表情や口調は変わらずとも、アルベリヒから先ほどまでの軽い調子が消えていく。会うたび恒例になっている、無駄話をする余裕すらないらしい。
同じ元勇者という関係からクラークと彼の付き合いは長く、僅かな雰囲気の変化にも気づくことは容易だった。
「単刀直入に言おう。『殱血』が復活した」
――。
クラークはハッキリと、自分の心臓が縮みあがるのを実感した。
「…………質の悪い冗談だな。全く、笑えない」
衝撃から立ち直り辛うじてそう返しつつも、アルベリヒの発言が虚言であるなどクラークは考えもしなかった。
このような冗談に対して最も拒否反応を起こすのは、他ならない彼だからだ。
「四大真祖の伝説……あれが半分くらい嘘っぱちだっていうのは知ってるだろう?」
「貴殿から直接、真実とやらを聞かされたからな」
一般的に知られている四大真祖の伝説は、新大陸に住む者であれば一度は読み聞かされたであろう、ありふれたお伽噺だ。
――かつて旧大陸に、四人のトゥルーヴァンパイアが存在した。
『煉血』のザハトラークに触れた者は、何もかもが灰となり。
『凍血』のシュネーアに睨まれた者は、時の流れごと凍り付き。
『幻血』のトロイメライに微笑まれた者は、夢から二度と醒めず。
『殱血』のフォイルニスに近づいた者は、死後の安寧すら奪われた。
神にも匹敵する力を持つ吸血鬼たちは、大陸に住まう種族を恐怖で支配した。彼らは永遠に等しい命を持っていたので、支配もまた永遠に続くのだろうと誰もが絶望した。
しかし、四大真祖の恐怖はある日突然ぱったりと消えることになったのだ。
四人の吸血鬼は自分こそが真の支配者であると疑わず、自分と等しい力を持つ他の三人が邪魔で仕方がなかった。
結果として勃発したのが、旧大陸から多数の種族が新大陸へと渡る契機となった『真祖大戦』。
互いを排除しようとした彼らは、結局共倒れとなって四人とも力尽き。
シュネーアが最後に放った氷の棺の中で、永遠の眠りについた――
優れた力を持ったからと言って他人を蔑ろにする者は、結局ろくでもない理由で身を滅ぼすというのが、この話の教訓だ。
また、良い子にしていないと氷の中から真祖が出てきて攫いに来るぞという、脅しにも使われている。
これだけ聞くと何の変哲もない、ただのお伽噺だと思うだろう。事実、そう伝わり易いように相当な脚色が加えらえているのだから。
この伝説――否。
この実話には、限られた者たちしか知らない真実があるのだ。
「『煉血』と『凍血』が命を賭して封印した怪物が解き放たれたと。貴殿はそう言っているのかね」
「僕の友人が直接見て確かめた情報だ。間違いない」
「成程、余裕が無い訳だ」
舌打ちしたくなる気持ちを抑えながら、クラークは考える。
伝説では互角とされていた四大真祖だが、実際のバランスには大きな偏りがあった。
かつての真祖大戦において、旧大陸に住まう種族の半数以上を喰らったフォイルニスの力は圧倒的だった。他の真祖二人の命を費やしてようやく封印に至ったという事実からも、その強大さは伺える。
仮に、最盛期と同等の力を取り戻した『殱血』が新大陸へと踏み入ってきた場合。
果たして、かの暴虐に対処できる者はいるのだろうか?
「用件というのは、『殱血』への対処についてだな」
「ああ。あれに大群をぶつけるのは得策じゃないからね。出来るだけ少数精鋭で挑みたいから、個人的に声をかけて回ってる」
「つまり、私に戦列へ並べと?」
「出来れば、君たちにお願いしたいね」
――沈黙が下りた。
クラークは無表情のまま。
アルベリヒは笑顔のまま。
無言で見つめ合う両者の間に、一触即発の空気が充満し始める。
やがて、相手が一歩も退く気はないのだと察したクラークは。
「一つだけ問おう」
「何?」
「貴殿の目的は、復讐か?」
「――っ!」
その瞬間、初めてアルベリヒの表情が崩れた。
怒り。嘆き。無力感。自身への軽蔑。
笑顔の裏に隠されていた、複雑に入り混じった感情たちを苦渋の表情で呑み込み、アルベリヒが大きく息を吐く。
「……考えなかったことが無いかと言われれば、嘘になるね」
再びクラークへ向き直った彼の笑顔は、偉大なる王と呼ばれる男のものとは思えないほど弱々しいものだった。
それでも、決して目を逸らすことなない。
「僕はただ、あいつが夢見たこの世界を守りたいだけだ。今は亡き友との約束に誓って、復讐なんて下らない理由に命を使わない。自分のも、他人のもね」
「……」
「あんな顔をした後じゃ、信じられないかな?」
「いや、信じよう」
クラークは首を振る。
別にアルベリヒの言葉を無条件に信用した訳ではない。
クラークの固有スキル【深理解析】は、彼自身の認識・知覚能力を大幅に向上させる。アルベリヒの極限まで希釈された存在を感じ取ることができたのも、このスキルによる恩恵だ。
その応用としてクラークは、相手の生理反応や声の震え、表情の変化から発言の真贋を見抜くことにも長けている。
故に、アルベリヒが嘘をついていないと判断したまでのこと。
……仮にも知人相手に、あまりにも慎重すぎる。果たして、自分は死に対してここまで臆病だっただろうか。
思っている以上に、失うものが大きくなっていたらしい。
「だが、すぐに返事はできん。シルと……家族と相談してからでないと」
「それくらいは構わないさ。はぁ、生きた心地がしなかった」
山場を越え緊張の糸が切れたのか、アルベリヒは大きなため息をついた。
そんな彼を見て、クラークもようやく笑みを浮かべる。
「何を大げさな。あの程度の沈黙に耐えられないようでは、ここの学生以下だぞ。面接段階で落とされるのが関の山だな」
「大げさなもんか! 君ってば、殺人鬼みたいな目で僕を睨み付けてきてさ……その様子じゃ、本当にシルちゃんにゾッコンなんだね」
「でなければ、この年で結婚などせんよ」
「そりゃそうだ」
一時的とはいえ肩の荷が下りたのを実感してか、軽口を叩き合う二人。
状況が切迫していなければ町の酒場にでも繰り出すところだが、お互いにそうもいかない理由が出来てしまった。
「じゃあ、用は済んだしお暇しようかな」
「個人的に声をかけて回っていると言っていたが、宛てはあるのかね」
「一応ね。ていうか、僕が個人的にコネ持ってて信頼できる戦力って限られてるから」
ひらひらと手を振りながら部屋の外へと出ていったアルベリヒは、ドアを閉じる前に振り返り、クラークの問いへと答えた。
「歴代勇者……既に亡くなってる二代目以外の全員に声をかける予定だよ」
まあ、異世界だからね。クラークさんみたいな人がいてもおかしくないよねって話でした。
四大真祖もサラッと名前だけ紹介。彼らがストーリーへ直接絡んでくるのも何時になることやら。
次はダンジョンの話にする……予定。




