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勇者がこない! 新米魔王、受難の日々  作者: 七夜
魔王と勇者とゆかいな仲間たち
2/30

01 木こりの勇者

 長距離転移を終え、丁度勇者が暮らしているというグレンツェ村の門の前へと出現した。

 近くにいた、熊も素手で殺せそうな熊っぽい門番に恐る恐る事情を説明すると、

「あぁ、アレク君ね。多分もうすぐ帰ってくるから、先に彼の家で待っているといいよ」

 傷跡だらけの顔で人の良さそうな笑顔を作り、勇者――名はアレクというらしい――の家への道を教えてくれた。恐ろしい見た目に反してすごくいい人だった。

 対応もかなり丁寧だったし、人は見かけによらないな。

「何人か殺ってそうな割にはいい人でしたね」

 ……ほんと、人って見かけによらないなぁ。

 隣で失礼なことをのたまうミルドを見て、妾は心の底からそう思いました。 

 さて、教えてもらった道が正しければそろそろ見えてくるはずだが……

「魔王様、もしやあの家では?」

「おお、話に聞いていた通りでっかいな」

 村の奥まったところに建てられた、ひと際大きく小奇麗な家屋。魔王城とは比べるべくもないが、周りの家と比較すると倍以上の大きさはある。民家というより屋敷と呼んだ方がいいかもしれない。

 なるほど、金持ちの息子か。厄介なパターンだな。こいつは説得に骨が折れそうだ。

 だが妾だって最難関とされる第一級君主資格の持ち主である。民の心を掴むために習得した人心掌握術が今こそ火を噴く時!

「ルシエル様、勇者様が来る前からそんなに張り切っていたら疲れてしまいますよ」

「む、それもそうだな」

 珍しいことに、ミルドにしては中々的確な指摘。

 妾、そんなに張り切ってるように見えてたのだろうか。何だか子供みたいで恥ずかしい。

 ともあれ、言われたことが事実であることも確かだ。

 女神にあらかじめ訪問する旨は伝えてもらったし、ここは正面から堂々と。

「ではひとまずお邪魔して……ん?」

 ドアをノックしようとしてふと、視界の端にそれは映った。


 玄関のすぐ側。軒下に綺麗に並べられた樽。

 それらの上に乗せられているのは――頭。

 苦悶に表情を歪ませた、ゴブリンの首が――


「な、生首だぁぁぁぁあああ!?」

「生首ですとぉぉぉぉおおお!?」

 今年一番の衝撃に妾は超高速で後ずさり、隣にいたジラルは腰を抜かしてその場でひっくり返った。

 え、何で、何でこの家ゴブリンの生首晒してるの?

 意味わからないし超怖いし助けて父上――!

 あまりにもショッキングな映像に半狂乱になりかけてた、つーかなってたら。

「……石ですね、これ」

「へ?」

「かなり緻密な作りですが、石細工なようです」

 臆することなく樽へと近づいていたミルドが、手近なゴブリンの頭をコンコンと叩いて見せる。返ってくるのは岩石を叩いたような硬い音。

 少しだけ冷静さを取り戻した上でよく観察してみると、生首だと思っていたそれは総じて灰色だった。妾がよく知るゴブリンはみんな緑や青色の肌をしている。灰色のゴブリンは存在しない……はず。

「樽の中から塩の香りがしますし、恐らく漬物石でしょう。いいセンスをしてますね」

「な、何と紛らわしい」

 全くだ。

 よろよろと立ち上がるジラルの言葉に全力で頷く妾。

 すると、まあ当然というべきか。

 これだけ家の前で騒ぎ立てれば、中にいる人間が心配して出てくるのは。

「すごい悲鳴が聞こえたけど、まさか敵襲!?」

 あながち間違いじゃないけど、その反応はおかしい。

 ドアから顔を覗かせたのは、妾とそう年の変わらなそうな少女だった。

 碧眼は大陸西側だとそう珍しくないが、艶やかな黒髪は東側の、それもごく一部の地域特有のものだった気がする。妾も数えるほどしか見たことがない。

 大きな瞳でこちらの様子を伺う様は、さながら小動物を連想させた。

「う、うるさくしてすまなかった。少々、そこの石に驚いてしまってな」

「むむむ、見慣れない女の子ということは外からのお客さんか。ごめんごめん、自信作だったからつい目につく場所に置いておきたくて」

「いや、気にする必要は……ん?」

 頭を下げてくる少女の言葉に、妾は引っ掛かりを感じた。

 今、自信作って言ったか?

「この漬物石はあなたの作品なのですか?」

「そうだよ。大変なんだよねー毎回この顔にするまでが」

「この顔にする!?」

 笑顔で何言ってんのこの子!?

 ま、まさか、拷問で苦しめてから刎ねた首に石化魔法を施して――

「一個の石から削りだすから、細かい表情を彫るのがちょー難しい」

「だ、だろうなーあはは!」

 一瞬マジで焦った。

 そうかーただの彫刻だったかーいやーよくできてるなーちょっとリアル過ぎないか?

 どうやら本当にただの石らしいので、改めてまじまじと見つめてみる。

 しかしあまりに真に迫った表情に、思わず妾は目を逸らした。

 何でこんな表情にしたんだろう……芸術性?

 妾が素朴な疑問を抱く中、少女は何かを思い出すようにしばらく唸って。

「うーん、小さい女の子に、お爺さんに、メイドさんの三人組……もしかして、女神様の言ってた魔王城のすごい偉い人たち?」

 すごい偉い人って。

 ちょっと女神、説明がアバウトすぎやしないか。

「まあ、偉いのは確かだな。魔王だし」

「やっぱり! 話には聞いてたけど、お人形さんみたいで可愛いねー」

「そ、そうか?」

 こちらの立場を知った上でだいぶ態度が気安いような気もするが、変に畏まられるのは苦手だしまあいいか。小さいという評価には少々物申したいが、可愛いと言われるのも悪い気分じゃないな。


「うん! 切り取ってずっと飾っておきたいくらい」


 ……うん。

 妾は未だ、樽の上で苦痛の表情を浮かべている漬物石をちらりと見やって。

「冗談だよな?」

「あはは、もちろん」

「そ、そうだよなーあはは!」

 釣られるように笑いながら、妾は気が付けば首元をさすっていた。

 具体的に何をどこから切り取るかは言ってなかったが、何となくこの辺が薄ら寒かった。

「ネリムっていいます。これからもよろしくね、魔王ちゃん!」

 そして一つ、確信を得る。

 この娘は危険だ。

 ミルドとは違った方向で!


  ◇


「お兄ちゃんに用事? それなら家の中で待ってればいいよ」

 ネリムと名乗った少女は、どうやら勇者の妹だったようだ。

 彼女の勧めにより、妾達は当初の予定通り客室に通されて茶を出されたわけだが。

「これ、食べて大丈夫なのか?」

 茶請けと称して出された漬物――樽で漬けられてたものだろう――の皿を目線の高さまで持ち上げ、妾はそれを慎重に吟味していた。

 ちなみにネリムは「樽の中身も自信作!」と言い残し、どこかへ去っていた。

 茶請けが漬物っていう時点で違和感満載だが、それ以前に。

「まさかゴブリンの塩漬けとかじゃないだろうな!?」

 緑色だし!

 細長いのは指っぽいし!

 平べったいのは耳なんじゃないか!? 

「考えすぎでございます魔王様。どう見ても胡瓜ですじゃ」

「この白菜も中々。彼女はいい腕をしてますね」

 こちらの気も知らず、ジラルとミルドは出された漬物に平然と手を付けていた。

 はっ、お前らは直接あの恐怖を味わってないから平気なんだよ!

 妾はあらゆる可能性を想定して、解析用の魔法を五つほど多重展開。全力で漬物の正体を調べ上げた。


 結果――漬物はただの野菜だと判明した。

「だから言ったじゃないですか」

「う、うるさいな……」

 久々に使った魔法の多重展開による負荷に息を切らせながら、安全の保障された漬物を一つ口に運ぶ。

 うん、絶妙な塩加減。

 普通に美味しくて、何故だか無性に悔しかった。

「ふぅ。少し神経過敏になっていたのかもしれんな」

 衝撃的なファーストコンタクトに続き、ハードなジョークをかまされ。

 更に一応ながらアウェーであることもあり、緊張しすぎたきらいもある。

 漬けるのに使っていた石はともかくとして、漬物の家庭的な味と温かいお茶は妾の心を落ち着かせてくれた。

 ネリムの快活で気安い態度も、横のつながりが強い村ならではのものだろう。女神にアポをとって貰っていたとはいえ、転移で殆ど間をあけずに来た妾達をしっかりもてなしてくれたし、よくできた子じゃないか。

 あの芸術センスは全く理解しかねるが。

 ……願わくば。

「兄である勇者が、あの子よりアクの弱い人間であると助かるのだが」

「ルシエル様、それはフラグです」

「フラグっておいおいミルド、そんなのある訳――」


「ちょっとお兄ちゃん、殺したグレートボアはもう持って帰ってこないでって何度も言ってるでしょ!」


――神よ。

 どうして妾を見捨てるのです?

「見事なフラグ回収。流石ルシエル様ですね」

「褒められたって、ちっとも嬉しくねーよ!」

 パチパチと拍手を送ってくるミルドすっげえムカつく!

 けれど目下の問題は、たった今帰って来たらしい「お兄ちゃん」――つまり勇者だ。

 グレートボアってあれだろ? 熊よりでかい猪型の魔獣で、熟練の冒険者が挑んで逆に狩られるってのも珍しくない凶暴なやつ。大木なぎ倒しながら突進してくるやつ。

 あれって駆け出しの勇者が倒せるレベルを優に超えてると思うんだけど。それを何度も狩ってくるって、もしかして勇者はゴリラなのでは?

 ど、どうしよう。もしさっきの門番みたいな強面が出てきて逆ギレでもされたら……

「魔王様、震えておられますがご体調が優れませんか?」

「ち、違う! これは武者震いだ!」

 くぅっ、我ながら情けない。

 会う前からこんなにビビってたら魔王としての威厳なんてあったもんじゃないぞ。挙句に部下にまで心配させてしまうとは。

 妾は何のためにここへ来た?

 意識の低すぎる勇者にガツンと一言、言いに来たのではないのか。

「まったくもう……片づけておくから客間に行ってて。お客さんがお兄ちゃんのこと待ってるから」

 妾たちと話していたときよりも幾分か幼さを感じさせるネリムの声と入れ替わるように、ゆっくりとした歩調でこちらへと近づいてくる足音。

 出会い頭に間違っても情けない悲鳴なんて上げないよう、全身にグッと力を入れてその時を待つ。


 勇者との対面は、随分とあっさりしたものだった。

「……こんにちは」

「こ、こんにには」

 妾たちの前に現れた男は、客間に入ってくるなり小さく頭を下げて来た。慌てて挨拶を返してから、相手の姿をまじまじと見つめる。

 結論から言うと、勇者アレクはゴリラではなかった。

 細身ではあるが痩せているという印象を与えない、引き締まった肉体。身長は妾よりも三十センチ以上は高い。

 ネリムとお揃いの黒髪は短く切りそろえられていて、彼女よりも深い色をした瞳はずっと見ていると吸い込まれるような錯覚に陥りそうだ。

 狩りに使っていたらしいロングソードは抜き身のまま肩に担がれていて、一点の曇りもなく屋内の明かりを反射して輝いていた。

 ……何故だろう。

 思っていたよりもよほど人間らしい見た目をしていたことに安堵する一方で、妾は勇者から得体のしれない何かを感じていた。

 奴のことを見ていると、何故だか呼吸が苦しくなってくる。

 動悸が早くなっているのは気のせいではない。頭もぼーっとしてきた。

 こんな感覚は初めてだ。

 これって、まさか――


「ルシエル様、顔が真っ青ですがお腹でも痛いんですか?」

「お腹っつうか、全身が怠いんだけど……なあ、勇者」

「何だ?」

「まさかとは思うが、お前が担いでるそれ、聖剣か?」

 今にも役目を終えそうな精神にむち打ち、辛うじてそれだけ尋ねる。

 すると勇者はこちらの様子も気にせずあっさりと。


「ああ。よく斬れるから木を切ったり獲物を解体するのに重宝してる」

 やっぱり、聖属性デバフだコレ……!


「神造兵器たる聖剣を、随分と良いように使っていなさるな」

「いいじゃないですか便利そうで。私も短めのを一振り貰おうかしら」

「おぬしはフォルトゥナ殿を過労死させるつもりか……」

 ジラルとミルドが聖剣について物議を醸している中、妾はがっくりと椅子にもたれかかった。無抵抗に聖剣から放出されている聖気を浴び続けたためか、もはや体を支えることすらままならない。

 遠のく意識の彼方で、昔父上が言っていたことを思い出す。

『聖剣には気を付けろ。見てるだけでゲロ吐きたくなるから』

 そして、女神もこう言っていた。

『何故か聖剣との適正は間違いなく歴代勇者の中でもトップクラスです』

 ついでにこうも。

『並みの魔族なら鞘から抜いた際に漏れる余剰聖気で滅びます』

 この字面だけでも半端ないのに、実際リミッターがかかっている上で最上級の魔族である妾がここまでダメージを食らうほどとは。

 成程、歴代最強クラスという噂も、伊達では、な……い――


「体が透けてきましたね」

「これはいかん! アレク殿、一度その聖剣を鞘に納めてはくれぬか? 魔王様が浄化されて天に召されてしまう!」

「わかった」

「おぉ、ありがたい。魔王様、どうか気をお確かに!」


 わぁい父上ー、この川お花がいっぱい咲いてるぞー綺麗だなぁ。

 あれ、川の向こうで爺様が何か言ってる。うーん、よく聞こえないな。

 よーし待っててくれ、今妾が行くからな――

 

「ルシエル様、それは渡ってはいけない川です」

「はっ!?」

 ペチペチと頬を叩かれる感触で、妾は現実に引き戻された。

 一体何が……そうだ、妾は勇者の聖剣が放つ聖気にやられて――

「って出会い頭に殺す気か貴様ぁー!?」

「何だ。急に白目剥いたり透けたり怒ったり、面白い奴だな」

「んだとこのやろー!」

 妾がいつの間にやら聖剣を腰の鞘に納めて向かいの席に着いている勇者に食って掛かろうとすると、両隣にいた二人に「まあまあ」と押しとどめられる。

「……お前らは聖剣平気だったんだな」

「ええ。ダークエルフと言っても、エルフの亜種ですから」

「私も半分人ではないと言っても、竜族ですから」

 そっかぁ、この二人厳密には魔族じゃないんだった。

 なんだか疎外感を感じた。今度はガリアンも連れてこようそうしよう。

 種族の差という一抹の寂寥感に怒りも冷めて座りなおすと、一連の騒動を眉一つ動かさず静観していた勇者がふと口を開く。

「さっきから魔王様と呼ばれてるが、お前があの女神が言っていた魔王なのか」

「そ、そうだ。何か文句でもあるのか?」

「いや、別に」

 そう返しながらも、勇者はじっとこっちを見てくる。

 こ、こう正面から年の近い異性に見つめらると流石に落ち着かないな。

 いや意識してるわけじゃないぞ?

 ただ立場上こういった経験が少なくて戸惑ってるだけだし。

 妹と似て中々美形だなぁとか思ってないし。

 不慣れな感情の揺らぎに戸惑う中、勇者の視線は妾の頭のてっぺんからゆっくりつま先まで移動し、そしてまた上がって一言。

「小さいな」

「おい貴様今どこ見て言った!?」

 視線が首より上まで戻ってないのはわかってるぞ。おらどこのことか言ってみろよ血祭りに上げてやる!

 再び食って掛かろうとするのを両脇の二人が「どうどう」と宥めて来た。

 どうどうって、妾は暴れ馬か。

 あと勇者、お前が「B」とか呟いてるの聞こえてたからな。流石にもっとあるわ!

 全く、初対面の婦女子に対して何て失礼な奴なんだ。これではいくら顔が良くてもモテないに違いない。

「で、魔王がわざわざこんな田舎に何しに来た」

「やっと本題に入るのか……」

 ここまで随分と長かった気がする。

 誰のせいとは言わないけど。

「暇なのか?」

「お陰様でな」

 思わずぶん殴りたくなったが、暇だったのは事実だしこれ以上話がこじれると流石に面倒なので、皮肉を返すにとどめておいた。

「お前、勇者になって何日経つ」

「今日で丁度十日目だな」

「きっちり把握してるじゃないか。で、勇者としての使命を請け負ってから十日間、女神の呼びかけを無視してろくに出発の準備もせず何をしてたんだ?」

「……」

 どうだ、言い訳するならしてみるがいい。

 妾の容赦ない指摘に、しばし黙り込んだ勇者はスッと目を細めて。


「知りたいか?」

「あ、いや山に籠ってたことは知ってるから」

「じゃあ聞くなよ」

「何で妾が怒られたの!?」

 理不尽だ! どう考えても悪いのこいつなのに!

 しかも大した秘密でもないくせに、あからさまに残念そうな雰囲気なのも腹が立つ。

 でもここはグッと我慢だ。妾は魔王なんだから、相手がいくら精神的ガキンチョでもゆとりをもって対応しなければ。

「確かに俺は女神様に選ばれた日から十日間、毎日山に籠っていた」

「うんそれは知ってるって」

「だが、俺は決して勇者としての使命をないがしろにしていたわけではない」

「……ほぅ」

 これはまた、予想外な答えが返ってきたものだ。

 この男のことだからてっきり「面倒くさいから」みたいなド直球の返事がくると思っていたが。

 表情筋が死んでるんじゃないかと疑うレベルで感情が顔に出ないから、嘘をついているかどうかも判断し辛い。

 妾が発言の真意を問おうとするまでもなく、勇者は語り始める。

「自慢ではないが、俺は聖剣によって無作為に選ばれた普通の村人だ」

「普通の村人はグレートボアを一人で狩ったりしないぞ」

「まあ聞け。十日前に女神様から勇者として選ばれたことを告げられて、正直言ってかなり嬉しかった」

 あーわかる。妾も次期魔王として正式に選ばれたときは興奮して眠れなかったし。

 うんうんと頷いていると、勇者の目にふと暗い光が宿る。


「こんな辺境のクソ村を出ていく正当な理由ができたからな」

「そこまで言う!? そりゃまあこの村は国境付近だし、周りも森とか山ばっかだけどさ。言い換えれば自然に囲まれたいい場所じゃないか。ザハトラーク国内なんて開発が進みまくってるから、わざわざ自然公園なんてものを作る本末転倒さよ? 後から植えるくらいな最初から伐採するなって話だよなうん!」

 なんで妾は自分の国を下げてまでこの村の擁護をしてるんだろう。ここの村人が優しいのを知っているからだろうか。

 無駄に必死になってる妾を見て、何が面白いのか勇者は薄く笑い。

「冗談だ真に受けるな。生まれ育った村だし、それなりに愛着はある」

「そ、そいつはなによりだ」

 なんだ冗談か……にしてはマジなトーンだったけど。

 なるほど、この兄あってあの妹がいるというわけだ。

 違う点があるとすれば、ネリムは笑顔でぶちかましてくるが勇者は始終真顔である。

 まあ、どっちも恐ろしいことに変わりはなかった。

「とっとと出発したかったのは本当だ。親父にも散々村の外で見分を広めて来いと言われていたから、いい機会だと思っている」

「とか言いつつ十日も経ってるんだけど」

「仕方がないだろう。お前に魔王という仕事があるように、俺にだってこの村における重要な役割がある」

「それは勇者の使命よりも大事なのか?」

「或いはな。親父がいつ帰ってくるかもわからん今、俺以外に務まる奴がこの村にいない以上俺がこの村を空けるわけにはいかない」

 俄然真剣な表情で、勇者は一切悩む素振りもなくそう言い切って見せた。

 その堂々とした出で立ちに、妾はゆっくりと息を吐いて。


「どうしようジラル、思ったより難航しそう」

 年長者の知恵を借りることにした。

「諦めてはなりません魔王様。この調子では出発がいつになることやら、わかったものではありませんぞ」

「いやでも、村とか一族の役割って言われたら、妾も世襲だからあんまり強く出れないっていうか」

「大丈夫です、魔王様は世襲と言えど立派な資格持ち。ここは押しが重要ですぞ」

「そ、そうかな……うん、言われてみればそんな気がしてきた」

 母上も常々「戦いも恋愛も、攻めて攻めて攻めまくるのよ」と言っていただろ。

 これは交渉ごとにおいても変わることのない勝利の法則!

「いいですか、まずは件の役割がいかなるものかを聞くのです。この村の者には無理でも、もしかしたら我々の伝手で代わりの人員を用意できるかもしれません」

「それ採用。つーかそれしかない」

 流石はザハトラーク建国以前から父上を支えて来た名宰相。交渉事において妾はまだまだ及ばないな。

 さあ方針が決まったところで、さっそく勇者に――


「――って誰!?」

「ふひはへんはひひひははひへ」

「飲み込んでから喋れよ行儀悪いから!」

 相談を終えて正面に向き直ったら、リスの如く全力で頬を膨らませた何かを視界の端に捉えた。

 ていうかミルドだった。

 あーびっくりした、一瞬本当に誰かと思ったわ。

「すみません、先に頂いていました」

「えーっと、何を?」

「これだよ!」

「うわぁ!?」

 聞き覚えのある声が聞こえたかと思えば、突然目の前に巨大な器がドンと置かれた。

 何事かと思えば、いつの間にやら勇者の隣に得意げな顔のネリムがいるではないか。

「はい、お爺さんにも」

「ぬをぉ!?」

 ネリムが手を叩くと、今度はジラルの前に全く同じ器が突如として出現する。

 何だ今の、転送魔法!?

「【リフト】ですよ。亜空間に繋がる裂け目を作って物体を収納する魔法です」

「次元干渉って、大魔導士クラスじゃないと使えない高等魔法だったよな?」

 妾の疑問に対し、無表情な兄と表情豊かな妹は口を揃えて。

「旅で便利そうだから覚えさせた」

「便利そうだから覚えた!」

「なんとでたらめな……」

 ジラルが信じがたいものを見るような目をネリムに向ける横で、妾の意識は現れた器の方へと向けられていた。

 半球形に近い陶器製の器に入っているのは、なにやら見慣れない料理だった。

「なんかね、パパの故郷では一般的な庶民料理らしいよ。名前は確か……ケツドン?」

「カツドンだ」

「そうそれ! お兄ちゃんのせいで近所の人に配りまくってもグレートボアの肉が腐るほどあるから、ついでだしお客さんに消費を手伝って貰おうというネリムの計画的犯行!」

「……まあ、丁度昼食がまだだったしいいか」

 一々引っかかる物言いだが、器から漂ってくる匂いを嗅いでいたら空腹感を覚えたのも確かだった。既にミルドも食いまくってるし大丈夫だろう。

「いただきます」

 ミルドから手渡されたスプーンを使って、器の端っこの方から掬い取る。

 おお、下にはライスが敷いてあったのか。どれどれ……

 んっ、これは中々。グレートボアのビジュアルからしてもっと癖の強い味かと思ったけど、食べてて臭みとかは感じない。カツとやらはしょっぱめの味付けだが、卵のマイルドさとこれがまた合う。

 さっきの漬物といい、ネリムは料理が上手なんだな。妾は全然だから少し羨ましい。

「ちなみに、本場ではそれを罪人に食わせながら懺悔させるらしいぞ」

「誰が罪人か!」

 というやりとりをちょくちょく行いつつ、妾は器一杯のカツドンを完食した。

「ふぅ、ごちそうさまでした」 

 腹が空いていたから食べている間は気にならなかったが、カツドンは結構な量だった。途中でギブアップしたジラルの分も食べたので、普段よりも割と多めの昼食に若干胃がもたれ気味だ。

 驚くべきことに、勇者は「お兄ちゃんは責任とっていっぱい食え」とネリムが【リフト】から取り出したカツドンを次々と平らげ、妾が食べ終わることには器が五個ほど重なっていた。なのに苦しげな様子は微塵も見せない。

 鉄面皮もここまでくるともはや尊敬に値するな。

「さて、腹ごしらえも終わったし本題に……あれ、話どこまで進んでたっけ?」

「ルシエル様が今日何色のパンツを穿いているかという話でしたね」

「それはない」

 いくらなんでもそんな話題ではなかったことくらいは覚えてる。

「何色なんだ?」

「食いつくなよ!」

「今日はレース付きの――むぐ」

「言わせねえよ!?」

 だいぶ肉まで切られた感があるが、骨まで達する前にミルドの口を塞ぐ。

 勇者は何残念そうにしてんだよ、こいつさてはムッツリか!?

「アレク殿のこの村における役割についてですぞ」

「それだよそれ。おい、勇者」

「何だ」

「さっきからお前が言っている役割とは、一体何なのだ?」

「知りたいか?」

「なんだかデジャヴなような気が……まあ、知りたいな」

「そうか知りたいか」

 心なしか、満足げなのは気のせいではないだろう。

 これだけ顔を突き合わせていると、表情に変化がなくてもなんとなく雰囲気で読めるようになってきた。何と言う無駄スキル。

「使命と天秤にかけるくらいだ。大そうな役割何だろうな」

「お前の魔王ほど大したものではないが」

 そう前置きした上で、勇者は特にもったいぶることもなくその役割を白状した。


「木こりだ」


 ……え、何だって?

「すまんよく聞こえなかった。もう一回言ってくれ」

「木こりだ」

「えっと、木こりってあれか? 森に入って、木を斧でなぎ倒して木材にするあれ?」

「そうなるな」

「はーなるほど、木こりね。そうかー木こりかぁ」

 どうやら聞き間違いではなかったようだ。

 うんうんと妾は頷き。


「想像を超えて大したことねぇぇぇぇぇぇええ!?」


「木こりってお前、そんなんいくらでも代理立てられるだろ例えばあの門番とか!」

「エディには無理だ。あいつじゃ身が持たない」

 へぇ、あいつエディって言うのか――じゃなくて、

「持ちまくるだろ筋肉だらけじゃんあいつの体!」

「筋肉だけあったってしょうがないだろ」

「木を切るのに筋肉以外の何がいる!?」

 二メートルを優に超える筋骨隆々の大男。

 エディとかいうらしいあの門番なら余裕で木こりくらいできるはずだ。

 すると頑として譲らない勇者の隣にいたネリムが「チッチッチ」と指を振りながら。

「甘いね魔王ちゃん。グレンツェの木こりはそこらの木こりとは訳が違うのだよ」

 としたり顔で説明し始めた。

「ネリムたちの村はロドニエの西の国境すぐ近くで、国境を超えた先は何と旧大陸! 魔王ちゃんは旧大陸についてどれだけ知ってる?」

 ……これは何ともまた。

 随分と物騒なワードが出たものだ。

「確か、危険な原生生物が多すぎて大昔に竜やエルダーエルフのような一部の高位種族以外が淘汰された不可侵領域だったか」

 魔王になる前の勉強で歴史について学んだ際の知識であり、まだ記憶に新しい。

 点在する小国家というのも生き残った少数の種族によって打ち建てられたもので、交流を持っている者――つまりは我々新大陸の者もごく僅かという話だ。

 父上の遠い先祖が旧大陸出身で、父上自身短いながらも旧大陸で活動していたという話を聞いていたので印象に残っていた

 曰く――地獄すら生ぬるいと。

「うん、それだけ知ってれば十分だね、で、この村から数キロほど離れた山の中にあるのが『磔刑の森』っていうんだけど」

「何その物騒な名前!?」

 こっちが仕掛けたフィールドダンジョンはせいぜい『毒の沼地』とか『燃え盛る大地』なんだけど。

 磔刑って完全に殺しにいってるじゃん。

 妾の驚愕を他所に、ネリムの解説は続く。

「でね、その森に生えてる樹木は手付かずな上に特殊な土地で育ってるから、資源としての価値がすごーく高いらしいの。そこで古くからこの辺りの土地に親しんでるグランツェの木こりが国からの依頼を受けて、森から必要な木材を回収することになってるんだよ!」

「な、なるほど……ん? いやちょっと待て」

 納得しかけたところで、妾の中に一つ疑問が湧いて来た。

 ネリムが説明してくれた通りであれば、この村における木こりの重要性は理解できる。村どころか、国家から直々に承っている仕事ならば大事な役目であるのは確かだろう。

 しかしここで気になったのは、他ならない勇者の発言だった。

 確か奴はこう言っていたはず。

――俺以外に務まる奴がこの村にいない、と。

 つまり、勇者は。

「なあ、勇者」

「何だ」

 相も変わらず平然とした態度でこちらを見る男。

 その姿に薄ら寒いものを感じながら、妾は問いかけた。

「この村に木こりはお前一人だけなのか?」

「そうなるな」

「じゃあ、お前は毎日一人で旧大陸の森に踏み込んで、生きて帰ってきてるのか」

 付け加えるならば、勇者になる以前――聖剣を手にする前からずっと。

 対する勇者は冗談めかして。


「お前の前にいる俺が幽霊でもない限りは、そういうことになる」

「マジかよ……」

 依然として無表情に返す勇者が放つオーラに妾はひたすらに戦慄した。

「それは、何とまた」

 あのミルドですら目を見開き、驚愕を表に出している。

 ジラルは衝撃のあまりか、座ったまま気絶していた。

「数十年前には資源調査のために王国から大規模な部隊がいくつも送られたそうだが、それらは例外なく一人を残して全滅した。必ず一人を残して、残りの全員を殺し尽くし、死体を晒し上げる。故に名づけられたのが『磔刑の森』だ。犠牲を出さないためには必ず一人で森に入る必要がある」

 ネリムが話す知識や歴史とは違い、勇者が淡々と語るのは間違いなく王国の優秀な戦士たちが迎えた末路。

 奴自身が身をもって、現在進行形で体感している脅威そのものだった。

「そして、一人だけが生き残るというのはあくまで森が持つ性質だ。仮に一人生き残ったとしても、次は森に住まう原生生物が襲い掛かってくる。木こりはこいつらの攻撃を凌ぎつつ指定された木材を回収し、生きて帰るまでが仕事だ。グレートボアなんぞ、帰る途中で襲い掛かってきたから駆除したに過ぎない」

「し、しかし女神はそんなこと一言も――」

「ルシエル様。フォルトゥナは神として新任な上に、旧大陸は管轄外なんです。あちらは色々と込み入った事情がありまして、新米のペーペーには情報自体が回ってこないんですよ。彼女からしたら勇者様がただ山に籠り、森に入っているようにしか見えなかったのでしょうね」

 しれっと言うミルドは既にいつもの調子だった。さらりと女神をディスってるあたり間違いない。

 妾は未だに立ち直れていなかった。

 ジラルはまだ気絶していた。

「勇者、お前はいつから木こりだったんだ?」

「親父がいた頃だから、今から五年前……丁度一三歳からだな。本来は俺ではない別の奴が役割を引き継ぐ筈だったが、そいつはあまりにも臆病過ぎた。とてもじゃないが務まるとは思えず、結局今日にいたるまで俺がそいつの代わりに木こりをやってるわけだ」

「一三、だと」

 妾が立派な魔王になるべく資格の勉強を始めたのは、二年前。

 ま、負けた……唯一の優位であると思ってたキャリアでも負けた……

 がっくりと崩れ落ちる妾。

「では、その本来担うべき人物がその任に就かない限り勇者様はこの村を離れることはできないと」

「そういうことだ」

 答える勇者の声に、若干の憂いが籠っていたのは気のせいではないだろう。

 話を聞けば聞くほど、奴がどれほど過酷な人生を歩んできたのかが痛いほどにわかる。

 魔王城の罠も真っ青なデストラップで単独行動を強いられ、そこから並みののダンジョンが裸足で逃げ出しそうな森での生存競争だ。そりゃ感情もすり減って無表情にもなる。

 もしかしたら、ネリムが無駄に元気いっぱいなのも無感情になっていく兄を想ってのことなのかもしれない。だとしたらなんて健気な――


「あ、お兄ちゃんも私も昔からこんなだよ」

「また心読まれたー!? 本日二回目ー!」

 ネリムと言いミルドと言い、読心術でも極めているのか。メンタリズムなのか。

 ……はぁ、何かもう疲れた。

 溜息一つ、妾は席を立った。

「帰るのか?」

「ああ。これ以上は妾がどうこう言える問題でもなさそうだからな」

 使命をほっぽりだして、日がな一日気ままに過ごしていたと思っていた勇者。

 しかしその内情は想像をはるかに超えて深刻なもので、部外者がいくら口を出そうにも解決できるものではない。

 ここは引き時だろう。

「女神には妾から伝えておく。勇者も、まあがんばれよ」

「……世話をかける」

「本当にな」

 やけに殊勝な態度の勇者に、妾は苦笑する。

 どれだけ憎たらしい怠け者かと来てみれば、勇者は憎たらしくも使命ににひたすら誠実な人間だった。直接相手のホームに乗り込んだ挙句に素気無く断られた形になるが、不思議と悪い気分はしない。

 次に会うのはきっと遠い先だろう。

 そう思った妾は、最後に精一杯の激励を送ることにした。


「だから、勤めから解放されたら真っすぐに妾の元へ来い。ボコボコにされるためにな」

「ああ」

「……で、ではまたいつか会おう」

 うーむ。我ながら臭いセリフを吐いてしまった。完全に雰囲気に飲まれた。

 勇者も勇者で真顔で返事するもんだから、恥ずかしさもひとしおだ。

「キャールシエル様かっこいー」

「魔王ちゃんかっこいー!」

「う、うるさい! ほらさっさと帰るぞミルドはジラル担いでけ!」

 全身がむず痒くなってきたので、さっさと退散することにする。

 ミルドにジラルを運んでもらうように言ってから、妾は客間のドアを開けて――

「ひぃ!?」

 ドアを開けた先にいた熊にビビって尻餅をついてしまった。

 く、熊!? 何で家の中に熊が……

 って熊じゃない、よく見たらデカい人間だ。

 ていうか、


「あ、エディくんだ」

 そう、そこにいたのは泣く子も黙るグレンツェ村の門番。

 実は心優しい熊さんのエディだった。


「エディ、どうしてここにいる」

 沈痛な面持ちで佇むエディに、アレクは静かに問いかけた。

 大男は外見に似つかわしくない、弱々しい声でそれに応える。

「……さっき魔王さん達にアレク君のことを聞かれて、もしかしたら女神様と同じように君がいつまでたっても村を出ないから話をしに来たんじゃないかと思ってたんだ」

 おお、随分と察しがいいなエディ。

「でもきっとアレク君は木こりの役目を理由にして断ると思った。本当は君のお父さんのように村から出て、いろんなところへ行きたがってるってのも知ってた」

 段々と、情けなく歪んでいた顔には決意めいたものが宿っていき。

 それに比例するかのように紡がれる言葉には熱がこもっていく。

「そう考えたら、もういてもたってもいられなかった。ずっと家の外から話を聞いていて、魔王様が諦めたのを見た途端、僕の中で何かが弾けた」

 おお、弾けちゃったのかエディ。

「もう、逃げちゃいけないんだ。自分に課せられた役目からは……」

 小さな瞳に熱い闘志を燃やし、エディはついに毅然とした表情をアレクへと向け。


「木こりという本来の役目を、全うする時が来たんだ!」

「木こりお前だったのかエディィィィィィイイイイイ!?」


 今世紀最大の、衝撃の真実だった。

「覚悟はできているのか」

「今日この日のために僕は五年間、門番としてひたすら精神面を鍛え続けた。どんなに怖そうな人が来ても丁寧な対応を忘れないようにしてね。全ては、ほんのちっぽけな恐怖心を克服するために」

「なるほど。だが、覚悟だけでは生き残れないのもわかっているだろう?」

「僕に足りないのは強い心とスピード……君に言われたことはよく覚えている。門番として鍛えたのは心だけじゃない。それを証明して見せるよ」

「……いいだろう。俺も本気で相手してやる」

 妾が驚愕に固まっている間に何らかの話がついたのか、勇者がエディの後を追うように客室から出ていこうとした。

「お、おいちょっと待て勇者!」

「まだいたのか」

「出入り口が塞がれてたからな!」

「ちょうどいい、少し待っていろ」

「だから何がどうなって――」


「あいつが本当に相応しいか確かめる。結果次第では、明日にでもここを出るぞ」

「――っ」


 今度こそ、妾は言葉を失うしかなかった。

 あまりにも壮絶なそれを見て、フッと全身から力が抜けて膝から崩れ落ちそうになる。

「ルシエル様っ」

「あ、お爺さんが飛んだ」

 その様子が余程のものだったからか、ミルドが珍しく慌てた様子で妾を抱きとめた。ジラルは投げ捨てられた。

 どさりと音を立てて落ちるジラルに一瞥もくれず、ミルドは妾の体を軽く揺さぶる。

「どうしたんですか突然。てっきり魂が抜けたかのかと」

「ゆ、ゆゆ、ゆうしゃが、わ、わら!?」

「勇者が藁?」

 違うと首を振り、震える口をゆっくり動かして、妾はたった今信じがたいものを見たことを伝えた。


「勇者が、笑ってた……!」


 それこそ魔王じみた、勇者の凄絶な笑顔を。


  ◇


「一八、一九っ……」

『もう、そういうことなら最初から言って欲しかったです。私の苦労は何だったのかしら……』

「言ったとしても、旧大陸絡みのことはあなたにどうしようもないでしょう? 勇者様も多分それをわかっていたのだと思いますよ」

『それは、まあそうですけど』

「三一、三っ二……」

 無駄に広い玉座の間に、ミルドと女神の会話が響く。

 それを横目に見つつ、妾はひたすら腹筋をしていた。

 

 あれから起きたことはぶっちゃけ三日経った今でもよくわかっていない。

 それほどまでに異次元と言える戦いが、あの後繰り広げられたのだ。

 安全を喫するということで、勇者によるエディの「テスト」は村から離れた山の中で行われる運びとなり、妾たちとネリムの立ち合いのもと執り行われた。

 ぶっちゃけた話、妾は何も見えなかった。

 ミルドが竜の眼を全力で使って初めて見えたというその戦闘は、逐一説明を受けたところで到底理解できるはずもなく。

 気づけば戦場となった山肌は昼食に出されたカツドンの器の如く削り取られ、その中心で熱い握手を交わす二人の強者――もとい、バカがいた。

 その後のことは気絶したジラルを回収してとっとと帰ったので知らないが、女神の話によれば勇者たちは既に村を出発したらしい。

 ネリムが旅に付いていくことは何となくわかっていたことだが、未だに最初に向けられたあの笑顔の恐怖が拭えていない。後で首の鍛え方も調べておこう。


 そう、鍛えなおすのだ。

 妾は先日のあれをみて痛感した。

 今の妾にはハングリーさが足りない。

 打倒勇者を掲げて兵士に混ざって訓練してる最中も、勇者やエディのように死地へ身を投げ出す覚悟で自身の力を高めようなんて一度も考えたことがなかった。

 勘違いしてほしくないから言うが、別に戦って負けるとは思っていない。妾だって全力――それこそ最後の切り札を切れば勝機は十分にある。

 しかし肉体面で言えば完全なる敗北だ。いくら魔族として優れた身体能力を持っていたとしても、それをうまく使えないのであれば意味がない。魔法なしの殴り合いなら確実に負ける自信がある。

 だからこそ、こうして基礎トレーニングを毎日欠かさず行うことに決めたのだ。

 前に演説で身体能力に不安を残すとか言ってた自分をぶん殴ってやりたい。足りなければ伸ばせばいいではないか。

 それこそ、あのエディのように!


 今日も今日とて、玉座に脚を引っかけて体を持ち上げる運動だ。

 この腹筋はめっちゃキツいけど、鍛えてる感があっていい。高すぎる玉座もこういう時には役に立つな。

「九九、百っ……! つ、疲れた」

「お疲れ様です、魔王様」

 妾が腹筋を終えて床に降り立つと、側に控えていたジラルがタオルを渡してきた。

「ありがとう。ジラルはもう腰大丈夫か?」

「ええ、三日も休みを頂いたのでこの通りですじゃ」

 ジラルは微笑みながら、曲がった腰をポンポンと叩いて見せた。

 ミルドが気絶したジラルをぶん投げた際に腰をやってしまったらしく、目が覚めた後もしばらく動けなくなったジラルには休みを与えていたのだ。

 今朝の段階でようやく動けるようになり、今は筋トレを手伝って貰っていた。

「これで今日のノルマは終わりだな。少しは筋肉ついただろうか」

「こういうものは一朝一夕では効果が見えないものですぞ。必要なのは根気です」

「うむ。妾がんばるぞ、あのエディのように!」

「……魔王様は女性ですので、ほどほどにしましょうな」

「いやいや、流石に妾もあんな熊みたいにはなるつもりないって」

 図体だけエディばりのムキムキマッチョになった自分を思い浮かべて、我ながらドン引きしていると。

「ルシエル様、ご報告が」

 先ほどまで女神と会話していたミルドが【コール】を終了してこちらへと来ていた。

 いつもと同じすまし顔だが、報告とは何のことだろう。またなにか悪戯を暴露するつもりなのだろうか。

「許す、申せ」

「はい、実は勇者様のことなんですが」

 ……あれ、何かこの流れはまずい気がする。

 そう妾が思ったときにはもう遅く、


「フォルトゥナの話によると、ザハトラークとは全然違う方向へと進んでいるようです」

「は?」

「せっかく村から出れたのだから、色々と観光していくとのことです」

「……あんにゃろう」

 妾はタオルを横合いに放り捨てて、息を大きく吸い――


「真っすぐ来いって、言ったじゃないかぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!」


 当分、勇者はこないのだろう。

 半年経っても、きっと。

 だから今日も妾は勇者の元へと転移する。

 少しでも早く奴がここまで来るように。

 退屈な時間が、少しでも減るように。

魔王様の戦いはこれからだ!(打ち切り風)

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