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勇者がこない! 新米魔王、受難の日々  作者: 七夜
ダンジョン攻略は無計画的に
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17 毒沼に仕込まれし罠(2)

当たり前のように遅れる更新

卒論がひと段落ついたら頑張って更新します・・・

17 毒沼に仕込まれし罠(2)


「……わーお」

 一部始終を見た妾は、ついそんな声を漏らしてしまった。

 チットの実力を過小評価していたわけではないが、不意打ち気味とはいえまさかあそこまで一方的になるとは。

 つくづく敵に回したくない奴だ。敵だけども。

 そしてヴァイパーには心底同情した。

 急にトカゲなんて言われても何のこっちゃだよな。自分蛇ですけどって感じだよな。落下する直前も叫んでたし、相当困惑していたことだろう。あれが決定的な隙となってしまったのだからマジで可哀想。

「終わりましたね。お風呂にでも入ってきましょう」

「何でそうなる」

「結果がわかり切ってる時のお約束ですよ」

「こっちもこっちで意味が分からんが……まあ、大勢は決まったようなものだな」

 ミルドの言ってることはともかくとして、この後の展開は大体想像がつく。

 翼を全てもがれた今、ヴァイパーはもう空へ逃げることが出来なくなった。あとは周囲に布陣していた勇者たちが一斉に突撃して袋叩き。肉体的にも精神的にもフルボッコにされてジ・エンド。

 やれやれ、また病院が忙しくなるな。


「うーむ、これはまだ一悶着ありそうでありますな」

 しかしここで、戦局を眺めていたガリアンがふとそう零した。

「そうは言ってもこっからの逆転は厳しくないか? ほら、もうあいつら出てきちゃったし」

 向こうでは最終フロアへ一斉に突入してきた勇者たちが、今にも地に落ちたヴァイパーに群がらんとしている場面だった。数秒後には、妾が予想した通りの結果が待ち受けているだろう。

「いえ、ガリアンの言う通りまだ勝負は分かりませんぞ」

「ジラルまで……どう見ても敗色濃厚じゃないか」

「このままでは確かに負けるでしょうな。ですが魔王様、一つ大切なことをお忘れではないでしょうか」

「何だと? それは一体……」

「……あぁ、成程」

 すぐに思い出せない妾と違い、ミルドはすんなりと得心がいったらしい。

 なんだか悔しい気分になった妾は少しでも思い出す助けにならないかと、空中に投影された映像へと視線を送り。


「……あ」

 それを見た瞬間、妾はジラルたちの言わんとしていることを理解した。

 答えは実にシンプルだった。見てきたもののインパクトがあまりに大きかったせいで、本質からすっかり意識が逸らされていた。もしここまで考えているのだとしたら、ヴァイパーは相当な切れ者と言わざるを得ない。


 勇者たちは重大な見落としをしているのだ。

 奴らが倒そうとしている存在。攻略しようとしているダンジョン。

 その名は――


 ◇


 かなりの高度から地面に叩きつけられたヴァイパー。決してダメージは小さくないが、意識を失うほどではなかった。どちらかといえば精神の混乱の方が深刻だが、周囲の状況を把握できる程度には冷静さも保てている。

「……まあ、そう来るだろうな」

 フロアの中央へ落着したと同時に、外で待機していた残りのメンバーが踏み込んできていた。各々が完全に武装を整えた状態で向かってきており、獣人の少女も追撃の矢を射かけようとしている。このまま一斉攻撃を食らえばひとたまりもない。翼を失っている以上逃げることも不可能だ。

 客観的に見れば、絶体絶命。

 見事と言っていいだろう。たった一度の敗北から自分たちの戦力と相性を考慮し、最も適した作戦をごく短時間で組んで見せたのだから。いつものダンジョン運営であれば、ここで負けても良かったかもしれない。

 ただし、今は違う。

 今は別室で主たる魔王やその腹心たち。つまりは最も地位の高い上司陣がこの戦いを見ているのに、無様な敗北など見せられるわけがない。何より今日のダンジョンの難易度設定は極悪だ。


 そもそもの話。

 彼らの作戦は、あくまで一度の敗北で得た情報から導いた最適解に過ぎないのだ。


 ヴァイパーの行動は迅速だった。

 あと数秒で勇者たちが自身へ到達するというタイミングで、属性反転を解除。神獣へ変身する時と違い、元の姿に戻るのは一瞬である。

「蛇!?」

 すると矢を放たんとしていた少女が突然びくりと体を震わせ硬直する。蛇って何を今さらと思ったが、さっきの二の徹を踏まないよう無視する。

 二つの頭を持つカドゥケウスから九つの頭を持つヒュドラへの変化。

 四倍以上の数へと増えたそれは全方位をカバー可能な目であり。


 ――砲台である。

 バカリと開かれた大顎の中で、膨大な魔力が荒れ狂っていた。合計九つの毒々しい色をした渦は全て、毒対策の装備を脱ぎ捨てた勇者たちへと向けられていて。

「っ! 全員止ま――」

 右側面から進行してきていた勇者が己の失敗に気づき、他の仲間へ注意を促そうとしたがもう遅い。


「――ッバァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアア!!」


 咆哮と共に放たれた一撃――否、九撃はフロアの地形を根こそぎ捲り上げ、紫の爆炎を巻き起こす。吹き散らされた大量の花弁は瞬時に瘴気に侵され、空中で腐り落ちていく。毒系統の最上級魔法たる【ダーティ・ブラスト】の九連撃は、さながら火山が爆発したかのような破壊を周囲にもたらした。

 単純な威力もさることながら、その真価は直撃した者へバッドステータスをランダムに付与するというもの。更にしばらくの間、空間中には猛毒の瘴気が滞留し続ける。

 もっとも、アーシアの影響により常に聖気が満ちているこの空間内ではあまり長く持続しない。瘴気は既に薄れ始めていて、攻撃の追加効果も精々五分が関の山だろう。

 だが、確実に弱った勇者たちを倒すには充分な時間だ。


 一面花畑な最終フロアや神獣への変身。変身後の一方的な戦闘を見れば誰だって錯覚する。ヒュドラとしての姿はブラフであり、カドゥケウスの状態がボスの本気なのだと。

 それは大きな勘違いである。

 何故ならヴァイパーが聖気を取り込めるようになったのはごく最近。精々一・二か月ほど前のことだ。対して、彼がこのダンジョンを管理するようになったのはザハトラーク建国初期。それこそ一番初めの外交が行われた時代にまで遡る。

 つまり、単純なレベル――経験値として換算すれば、二つの形態の間には計り知れない差の開きがあるのだ。

 一戦目でボスが聖属性のみであると思い込んだ挑戦者を、タイミングを見計らって本来の姿で刺す。仮に初撃を凌がれたとしても、本来の姿であるヒュドラとしての力で畳みかける。

 これこそが、ヴァイパーが仕掛けた第二の初見殺し。

 数多くの挑戦者に怨嗟と称賛の声を上げさせた、クソダンジョン二段構えである。


 段々と視界が良好になっていくことで、ヴァイパーの目にも周囲の惨状がくっきりと移るようになった。

「ぐがーごー……」

 背の高い武闘家の女性は豪快ないびきをかきながら眠りこけている。疲れが溜まっているものほど発症しやすい症状だ。夜通しトレーニングでもしているのだろうか。

「ふぇぇくらくらするぅ~」

 ぐるぐると目を回しているのは魔法使いの少女だった。混乱はマイペースな者ほどかかりやすい傾向にある。見た印象通りだった。

「――」

 ヴァイパーを一時は追い詰めた狩人の少女は石化していた。極度の恐怖に陥った場合にのみ発動する最も強力なバッドステータスである。よほど蛇が苦手らしい。少し傷つく。

「……ふぅ」

 エルフの少女のあれは……何だろう。今までに見たことのない症状だ。まるで悟りを開いたかのような、達観したような表情で宙を眺めている。戦意は喪失しているようだし、放っておいても大丈夫だろう。多分。


 結局、まともに戦えそうなのは。

「……」

「あっぶなー、今のはヒヤッとしたかも」

 勇者が無表情のままこちらへ鋭い視線を向けてきているのは、ある程度想像はついていた。彼はパーティーの中で唯一装備が最終フロア突入前と変わっていない。鞘から抜かれずとも聖剣による加護は有効で、道中のモンスターや地形の毒にも難なく対処していた。

 予想外だったのはもう一人の方。種族はヒューマンで突出した身体能力や魔力を持たず、服装も魔法的な防護のない至って普通のもの。気配を消すことに関しては非凡な才を見せたが、結局はフロア全域を対象とした斉射によって初戦では沈んでいた。

 状況は違えど今回も直撃を受けているはずなのに、何故か今度はピンピンしている。巻き上がった土砂で多少汚れてはいるが、これといってダメージを受けていないようだった。

「どうやって防いだ?」

「防いだっていうより、アレクが注意するより少し早く不味いって思って【ファントム】で作った虚像だけ突っ込ませて逃げてたんだ。自分だけ助かって悪い気もしたけど」

「……タイミング的にも距離的にも厳しかった。良い判断だ」

 同じく疑問に思っていた勇者に問いかけられた少女は、事もなげにその絡繰りを説明した。勇者はそれで納得しているようだが、ヴァイパーからすれば充分驚嘆に値する行為である。

 【ファントム】は自分自身の虚像を作り出す、ごく初歩的な幻惑魔法。とはいえ単純な魔法ゆえに幻覚の完成度は術者の力量に大きく左右される。

 少女が生成した幻覚は動物的な感覚に優れるヴァイパーをもってしても見破れないほど真に迫ったものだった。蛇の魔族である彼には生物の温度を感知する器官も備わっているのだが、それらもしっかり騙されていた。

 伊達にあの強者らに混じって勇者パーティーに籍を置いているわけではないらしい。ヴァイパーは少女に対する警戒の度合を一段階強めた。

 ただ、戦況は依然としてヴァイパーが有利だ。

 いくら今の姿が変身した状態よりも遥かに強いと言っても、流石にあれだけの実力者を六人同時に相手するのは厳しかった。数が半分以下となった現在であれば、ヴァイパーに分がある。

「まだ続けるかね?」

 この状況でなお攻略を続行するのかと、ヴァイパーは勇者らを見下ろして問う。ここからの逆転は厳しいだろうがチットの一件があった直後だ。万一に敗北する可能性を考え、相手の方から退いてくれればという期待も込めた言葉だったが。


「ああ。それと悪いが、三度目はない」

「それ、負けて諦めるって意味じゃないよね?」


 一人は無表情に。もう一人は不敵に笑い。

 いずれにせよ即答であった。

 ヴァイパーはこんな顔をし、こんなセリフを吐く人間を良く知っていた。

 卑怯だクソだと言いつつも、敗北の度に執拗なまでの対策を練り。

 最終的には己を淘汰しダンジョンを攻略していった今までの挑戦者たちも、丁度あのような表情をしていたか。

「……素晴らしい」

 たった二人の相手を前に、ヴァイパーは気分が高揚していくのを感じていた。高ぶる魔力を抑えることも無く、戦意と共に全身から放出する。その圧力に勇者たちは退くどころか、更に一歩前へと踏み出す。

 これ以上の確認は不要だった。

「ならば始めるとしよう! 小細工などもはや弄するまい。純粋な力と力のみが勝敗を決する真の闘争を――!!」

 堪えきれずヴァイパーが吼え、勇者たちが同時に駆け出す。

 ダンジョン『毒の沼地』における最後の戦いの火ぶたが、ここに切って落とされた。


 ◇


「……あいつらテンション高いなぁ」

「ボス戦こそがダンジョン攻略の醍醐味ですからな」

 最終フロアでいつもと違うノリが展開されているのに対し素朴な感想を零していると、ジラルはそう言って苦笑した。

「ヴァイパー氏はしばらく見ない内に随分とレベルを上げたようでありますな。不意打ちへの対応と言い、とにかく判断速度が見違えたであります」

「よほど過去の敗北が骨身に沁みたのでしょうね」

「爪痕はフィールドに色濃く残っているしな……」

 さきほど巻き上げた毒の瘴気も一分と経たず完全に消滅し、投影されている映像もクリアになっていた。本来ならば最低でも五分は滞留しているはずなので、空間中の聖気の影響の大きさがうかがえる。そんな中で魔物の身ながら平時と遜色ないポテンシャルを発揮しているヴァイパーも凄いけど。


 さて、勇者たちとヴァイパーの戦闘は現状で二対一。単純な数であれば僅かに勇者たちが有利だが、戦況自体は今のところヴァイパーが優勢のようだ。毒蛇の王という呼び名は伊達ではなく、その肉体は巨大で強靭。聖属性の時よりも数段分厚くなった鱗が決定打を阻んでいる。

 無論勇者とクラリスも急所を的確に狙っているのだが、如何せん火力不足が否めない。勇者の武器である鎖は殺傷力に欠けるし、クラリスは自分と同じスケールの相手であればアサシンの一撃必殺系スキルが輝くが、これほどの体格差があると流石に効果が薄くなってしまう。最も有効な火力が出せるであろう魔道士勢が軒並み戦闘不能になっているのがかなり効いているな。

 とはいえ、バッドステータスだってあの環境下じゃそう長くはもたない。早い者であれば五、六分くらいで戦闘に復帰できるだろう。ヴァイパーはそれまでに二人をどうにかしなければ一気に形勢不利となる。

 つまり勇者たちが確実な勝利を目指すのであれば、時間を稼ぐような立ち回りが最も効果的なのだが。

「あいつら普通に倒そうとしてない?」

「えー、どうやらそのようですな」

 そのことに気付いていないのか、それともんなこと知ったことじゃねえぶっ倒す的なノリなのか、勇者たちの動きに戦闘を長引かせるような素振りは見られない。勇者はともかくクラリスは気付きそうなもんだし、多分後者だろう。ヴァイパーはヴァイパーで短期決戦が望ましいとわかっているっぽいから攻撃が一々苛烈だし、最終フロアでの戦闘は正しく激闘の一言に尽きた。

「これは戦闘後の後始末が大変そうであります」

「そうでもなさそうですよ。掘り返された端から新しく花が生えてますし」

「マジかよ。母上やべぇ……」

 あれだけ激しい戦闘が繰り広げられているにも関わらず、宙に舞う花が尽きない。忘れているかもしれないから念のため確認しておくけど、ここは『毒の沼地』ってダンジョンだからな?

 そして無論、あんな全力戦闘が長く続くはずもない。

「あからさまに勇者様たちが押され始めましたね」

 ミルドが指摘した通り、勇者たちの動きが序盤に比べると精彩さを欠き始めていた。傍から見ればわからない微小な変化ではあったが、今までは完全に回避できていた攻撃に僅かながらも被弾し始めている。

 戦闘時間はヴァイパーが本来の姿になってから数えて約三分。あの調子では残り二分を生き延びるのは少々厳しいかもしれない。ネリムたちが復活する前にあの二人が倒れてしまえば、その時点でゲームオーバーだ。

「三度目はないとか大見得切っちゃってからに……このままじゃ負けちゃうぞ」

「物凄くナチュラルにアレク氏たちの目線に立ってるでありますな」

「今に始まったことではないですよ」

「劣勢の側を応援したくなる気持ちは理解できますとも」

 部下たちが何やら言っているが、映像の方に意識がいっていて良く聞き取れなかった。まあ別に大したことじゃないだろう。今はそれよりもこっちが気になる。

 フロアの中央だった戦場は、徐々にフィールドの端へと移行している。最終フロアは一度入るとボス戦が終わるまで外には出られないため、実質勇者たちが壁際に追い込まれている形だ。

 ヴァイパーの代名詞でもある【ダーティー・ブラスト】はただでさえ広範囲に広がる攻撃なのに、壁際で放たれてはいよいよ回避のしようがなくなる。

「これはいよいよ詰んで……!?」

 遂に壁際まで追い込まれ、このまま勝負がつくかと思われたその時だった。


 勇者が、聖剣へと手を伸ばしたのは。


 ◇


 ――何かがおかしい。

 開戦から始終優勢を保ちながらも、ヴァイパーは勇者たちとの戦闘に違和感を感じざるを得なかった。

 戦況の推移事態は順当と言える。

 相手は――勇者たちは間違いなく強い。強いが、全力でかかってきても二人でヴァイパーを削り切るには火力不足である。それに勇者の戦い方には相手を倒すというよりも、生存率を上げるという理念が根底にあるように感じた。もう一人の少女はアサシン系のスキル構成をしているが、体格差のありすぎるヴァイパーへの効果は微妙だ。

 対するヴァイパーの取った戦法は、悪く言えば物量任せのごり押し。九つの頭全てを使い、絶え間なく勇者たちを攻め立て続けている。大半は回避されてしまうが、時間の経過につれスタミナの差も出てきた。

 加えて、ヴァイパーは勇者たちを少しずつフロアの端へと誘導するように攻撃を仕掛けている。完全に追い込み、逃げる余地を無くした瞬間に最大火力を叩きこんでケリをつけるつもりだった。あと二分もせずに他のメンバーのバットステータスは解けてしまうだろうが、それまでには戦闘も終わるだろう。

 全ては順調だ。むしろ順調すぎると言ってもいい。


 故に違和感を感じてしまう。

 たった一度だけ見た属性反転に対し即座に的確な対応をしてきた勇者が、こんな簡単な誘導に引っかかるのか?

 それに、もう一つ懸案すべきことが――


「……今は集中するべきだな」

 ヴァイパーは湧き出た疑問と不安を無理やり振り払う。

 優勢とは言え、気を抜ける相手ではないのだ。過去に勇者アーシアに大敗北を喫して以来、戦闘中の油断や相手の過小評価は決してしないと心に決めて修行を積み重ねてきた。

 相手がまだ何かを隠しているのだとしたら、使われる前に倒してしまえばいい。切らない切り札など無いのと同じなのだから。

 一瞬の油断が命取りになることを、ヴァイパーは知っていた。

 だからこそ、その瞬間を見逃さなかった。

「カァッ!」

「っ――」

 三つの頭を駆使し、左右の退路を潰しつつ勇者へブレスを放つ。勇者は大きく飛びのくと同時に展開した魔法陣から鎖を数本射出してきた。何度となく繰り返された攻撃だ。刃状の先端が鱗を貫いてくるが致命傷には程遠い。構わず前進し一気に距離を詰める。

 すぐ後ろはフロアの境界。もう逃げ場など存在しない。

「むっ!?」

 そこで初めて、勇者に新たな動きがあった。

 退路を断たれたと悟ったのか、覚悟を決めるように佇まいを直す勇者。その右手がゆっくりと、左腰の剣へと伸びていく

 あれがただの剣でないことは一目瞭然だった。リミッターがかかってなお鞘越しにすら感知可能な、あのアーシアすらも大きく上回る聖なる力。

 即ち、聖剣――!

「させるかぁぁぁぁぁぁあああああああ!」

 雄叫びと共に、ヴァイパーは再び全身の魔力を全ての顎へと収束させた。察知したタイミングが功を奏し、勇者の抜刀を僅かに上回る速度でチャージは完了しそうだ。

 彼の持つ聖剣こそが、もう一つの懸案事項だった。いつまでたっても抜かず召喚武装である鎖を多用していたことから、剣技自体はそれほど得意でないのかと推測すると共に土壇場での使用を警戒し続けていたのだ。お陰で大きく精神をすり減らすこととなったが、根競べにヴァイパーは勝利した。

 少女が射程圏に収まっているか怪しいところだが、ここは最優先で勇者を潰すべきだと判断。

 臨界に達した魔力を、躊躇うことなく解放した。

「ゴァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 二度目の【ダーティー・ブラスト】は先と同様に地面を抉りながら、更にフロアを隔てる壁に反射し乱気流の如く吹き荒れる。荒れ狂う猛毒の嵐が視界を即座に塗りつぶし、周囲一帯を丸ごと薙ぎ払った。

 辺りが紫色の瘴気で覆われる中、ヴァイパーは手ごたえを確信する。至近距離で勇者に攻撃が直撃し、明後日の方向へ吹っ飛んでいくのを確かに見届けた。あの食らい方ならば、バットステータス以前にブレス自体の威力で戦闘不能に陥ってもおかしくない。

 あと懸念すべきはもう一人の少女だが、一対一ならば確実にヴァイパーに分がある。何だったら、再び属性反転し先と同じようにフロア全体を斉射しても良い。

 いずれにせよ、ヴァイパーの勝利はこの時点で確定していた。


「あ、はは……」


 苦しそうな、それでいて心底おかしそうな笑い声と共に。

 周囲を覆っていた瘴気が、一瞬で消し飛ぶまでは。

「なっ――ぐぉ!?」

 驚愕すると同時に、全身を凄まじい悪寒が駆け巡る。

 酷く久しい感覚だった。最後に感じたのはもう何年も前になる、あるものへの拒絶反応。

 それを発しているのは、ヴァイパーの背後にいる存在だった。

 振り向いた先には、ついさっき笑っていた少女……ではない。少女の全身に突然ノイズが走り、輪郭や服装が溶けるように変化していく。

 変化が終わった時そこに存在していたのは、抜刀した聖剣を構える勇者であった。

「【オーバーレイ】……馬鹿な、入れ替わっていたのか!?」

「せい、かい」

 勇者の遥か後方に倒れている、もう一人の勇者が消え入るような少女の声で答えた。その姿もまた剥がれ落ち、本来のあるべき少女の姿へと戻る。【ダーティ・ブラスト】がもろに直撃した少女はボロボロなのに加え、全身が麻痺しているようだった。

 それでも笑みを絶やさないのは、勝利を確信しているからか。

「本当は、こんな痛い目みたくなかったけど……こうでもしなきゃ、アレク聖剣使ってくれないから」

「世話をかける」

「いいよ別に。埋め合わせ、期待してるから――」

 既に限界だったのだろう。

 最後まで余裕の態度を崩さないまま、少女は意識を手放していった。


「くっ……をぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!」

 ヴァイパーは半ば悲鳴に近い叫び声を上げながら、勇者へと吶喊した。

 認めざるを得ない。

 手のひらの上で踊らされていたのは、ヴァイパーの方だった。

 如何なる理由かはわからないが、勇者は確固たる目的に沿ってこの状況を作り出したのだ。ヴァイパーはまんまと追い詰めたつもりで、逆に追い詰められていたのだ。

 だが、それでも。

 敗北が確定していないならば、諦めるわけにはいかなかった。

 ヒュドラの弱点は種族自体の特徴でもある九つの首。全ての首はほぼ同時に落とさない限り、高速で再生する。

 いくら聖気への耐性をつけたとはいえ、あれほどの力の前では全く無意味だ。鋼の剣なら軽々弾く鱗であろうと、紙屑のように切り裂かれるだろう。

 賭けるのは勇者自身の剣の技量。九つある首を同時に斬る技術がなければ、残った首で仕留めるチャンスがある。魔力を練る暇はないが、鋭い牙はそれ自体に十分な殺傷力を備えている。

「……参ったな」

 誰にも聞かせる気が無いような音量で呟く勇者へ、限界まで開かれたヴァイパーの大顎が迫り――


「おおおおおお――ぉ?」

 ――視界が真っ二つに分断された。


 一つだけではない。九つある全ての頭が、斬られたと認識した頃には胴体から離れ地面へと転がっていた。

 落下している最中の、切断された頭の一つが目撃した。初動すら捉えられなかった勇者の斬撃が最終フロアを囲む障壁を破り、向こう側にあるフロアやオブジェクトを片っ端から浄化しつつバラバラに切り裂いていくのを。

 それはある意味、元勇者アーシアがやらかした規模を遥かに超える災厄であった。

「そういう、こと、か……――」

 薄れゆく意識の中、何故勇者がわざわざフロアの端に戦場を誘導したのかをヴァイパーはようやく理解する。


「これは危なすぎる」

 そんな勇者の独り言が、全てを物語っていた。

 あんな斬撃、仲間がいる中央付近で使えば巻き添えが出るに決まっている。


 ヴァイパーは知らない。

 勇者アレクの父親が、かの妖精王が不測の事態に備え手元に置いている切り札の一人『境界の剣聖』であること。彼が幼少期の息子に対し、休日の玉遊びのような感覚で剣技の手ほどきをしていたこと。

 そして、とあるドワーフのせいで勇者パーティーの所持する刃物類が軒並み殺傷力を増していたこと。


 結局のところ、ヴァイパーが負けてしまった理由は。

 彼自身が得意としていた、初見殺し以外の何物でもなかったのだった。


「やっぱり、今度からあいつに刃物研がせるのはやめよう。その内怪我人が出そうだ」


 勇者パーティーは、ダンジョン『毒の沼地』をクリアした!


 ◇


 決着がついたと同時に、中継されていた映像が途切れた。ダンジョンマスターが倒れたことでダンジョンが修復モードに切り替わったのだろう。しばらくすればヴァイパーも復活するはずだ。

「いやはや、あんなバラバラにしても生き返るのは凄いでありますな」

「ダンジョン内は特殊な異空間だからな。基幹術式には神族も関わてるから、割と無茶しても問題ないらしい」

 普通なら死からの復活なんてアンデッドの専売特許なのだが、神の力によるものとなれば納得できる。イシュトバーン様が持つ天界へのコネがあったからこそ安全なダンジョンは成り立っていると言ってもいい。まあ、ダンジョン自体があの方の趣味の産物なわけだけども。

 しかしまあ、何と言うか。

「蓋を開けてみれば圧勝だったな。結局勇者が手こずってたのも巻き添えを避けていたせいじゃないか」

 まさか頑なに聖剣を使わなかった理由が、切れ味が増し過ぎて危ないからとは。わざわざヴァイパーをフロアの端まで誘導して外側に向かって斬撃を放ったのも、身内への被害を極力抑えるためだったみたいだ。有能過ぎる鍛冶屋というのも考え物だな。

 まあこれを機にディータが自重してくれれば、妾が突然の死を迎える確立も下がるだろう。結果オーライと言うべきか。

 今後の憂いが一つ晴れ、妾が安心していると。

「ルシエル様」

「ん、何だミルド」


「そこは完敗と言うべきなのでは?」

「…………あ」


 あ、あれ?

 言われてみれば、ヴァイパーが負けたということは妾に黒星一つか。いやでも攻略が進めば勇者たちとの対決も早まるし妾的にはアドだし、実質勝ったようなもん……ってんなわけあるかアホか!

「おかしい……いつからだ。いつから妾は奴ら目線になっていたんだ!?」

「ヴァイパー様が元の姿に戻った辺りからですね」

「結構早い段階だなおい!」

 バカな、まさかこの妾が……魔王たる妾が勇者の応援をしていたとでも言うのか。

 何たる屈辱!

「おのれ勇者め、卑劣な技を!」

 取り合えず誤魔化す方向で話を進めようとした。

「いやーそれは流石に無理があるであります」

「普通に自爆ですし」

「えー、その。敵の身まで案じる魔王様の御姿勢は大変素晴らしいかと」

「無理してフォローしなくていいよ逆に辛い!」

 駄目だった。

 ストレートに言わるのもむかっ腹立つが、苦し紛れに擁護されるのも地味に効く。面倒くさい魔王でごめん。

「面倒くさい魔王ですね」

「お前はもっとオブラートに包めや!!」

 ホント失礼! 世の中のメイドってみんなこうなのか。ミルド以外にメイドをあんまり見たことないからいまいちピンとこないけど。

 今度どっかの国と会談するときは意識して観察してみるか。

「しかし何と言いますか。思いの外……と申せばヴァイパー殿に失礼ではありますが中々善戦しておりましたな」

「そ、そうだな。妾もてっきりギタの二の舞になると思っていたが案外いい勝負してたじゃないか。てか一回目普通に倒してたじゃん」

「フィールド効果込みの実力ならヴァイパー氏はダンジョンマスターの中でもトップクラスでありますからな。伊達に最古参ではないであります」

「そういえば結構最初の方からいる方でしたっけ」

「父上が魔王になる前からの知り合いらしいぞ。そもそもダンジョンマスターの古参組は大抵建国前から父上と交友があった者たちばかりだ」

 ジラルやヴァイパーらを始めとして、新大陸中を旅してきた父上には種族を問わず知古が多い。その殆どは建国初期からの忠臣である。

 当時は人と姿形の異なる魔族や一部の亜人が迫害を受けていたが、そんな時代であろうと分け隔てなく他者と接してきた父上だからこそ多くの者を惹きつけたのだろう。

 彼らは王位を継いだ妾にも変わらない忠誠を誓ってくれているのだからありがたいことだ。その気持ちを裏切らないためにも、妾は魔王として精進しなければならん。

「とりあえず今回の戦闘でわかったのは、勇者たちは初見殺しに弱いってとこか」

「それは勇者様たちだけではなく大抵の相手に言えるのでは?」

「まあそうだが……逆に言えば、一度見せた手は二度と通じないだろう」

 勇者パーティーの恐ろしいところは、あれほどの面子が揃っていながら未だ発展途上であることだ。今まで足りていなかった実戦経験を積む機会なんてダンジョン攻略を続けていれば幾らでもある。

 幸い妾自身が手の内をさらけ出したことはチットの一件があった時くらいだが、うかうかしてるとそんなの関係なしに実力差がつきそうだ。

 妾も呑気してる場合じゃない。

「今日のところはひとまず退散しますか?」

「そうするか。ヴァイパーのやつ落ち込んでなきゃいいけど」

「互いに全力を出し切っての敗北なら彼も本望でしょう」

「ギタ氏はあまりに悲惨だったでありますからな……」

「だな。今後は一人ずつ攻略させるのは止めさせたほうがいいかもしれん」

 ダンジョンマスターに対するケアに、自分自身の鍛錬。両方やらなくちゃいけないのが魔王の辛いところだよな。覚悟は当の昔に決めていたが。

 今後改善すべき課題を再確認しつつ、妾たちは転移魔法でダンジョン『毒の沼地』を後にするのだった。

 ……そう言えば、埋め合わせってどうなるんだろう。

 妾、凄く気になる。


 ◇


 後日ヴァイパーに調子を尋ねたところ、すこぶる元気だった。彼にとって勇者たちとの戦いは更なる成長の糧となったようだ。


「フハハ、まんまとかかったな!」

「はぁ!?」

「おいボスの首切ったら分裂しやがったぞ!」

「さっきの変身といいヒュドラにそんな能力ないだろう普通!?」


 バラバラの状態から復活した結果、どうやら分裂能力を手に入れたらしい。もはやトカゲとも蛇とも言い難い生物に成り果ているな。ヴァイパーは一体何を目指しているのだろうか……。

 そんな訳で、一層難易度の引き上げられた『毒の沼地』では今日も今日とて挑戦者の叫び声が木霊している。


「「「ふざけんなこのクソダンジョン!!」」」

「お褒めに預かり恐悦至極!!」


 ……まあ、互いに楽しそうで何よりだな。


 ◇


 クロイツの〝急ぎ〟とは常人が想像するそれとは少々違う。早歩きだとか、全力疾走だとかいう次元にはない。息子たちのパーティーにウルスラを預けたのも、純粋に彼女の身を案じてのことだった。


 実際問題として。

 アレクたちが寄り道ふくめ数週間かけて移動した距離を、魔法も使わずたった数日で走破するなど。

 疲労云々の前に、普通の人間ならまず物理的に身がもたない。


「全く、家に帰るのも五年ぶりか」

 しかし一睡もせず夜通し走り続けたクロイツはと言えば、息切れ一つ起こすことなく古びた木製の門の前に立っていた。

 ここはロドニエ最西端。

 旧大陸との境界に最も近い土地へ根を下ろす村の名はグレンツェ。

 クロイツにとっては、第二の故郷と言っても過言ではない場所だった。

「……帰って来たんだな」

 感慨深く呟きながら、木製の門を潜っていく。門番も立たせず不用心かと思われるかもしれないが、こんな辺境の村に来るよな物好きはそういない。好き好んで襲いに来る連中は尚更だろう。

 仮にいたとしてもこの村の住人は野盗程度なら余裕で追い返す。森の浅い部分でもグレートボアが出没するような地域なのだ。当然そこに住まう者たちも相応の生存能力が求められていた。


 門を抜けた先には、五年前と何ら変わらない村の風景が広がっていた。正午を過ぎた頃だからか人通りは少なく、穏やかな時間が流れている。

 クロイツは差し当たって、村に入ってすぐの所にある建物の陰で一服している老人へと声をかけた。最後に顔を見た時から多少年は取っているが、それくらいで忘れるような人物ではない。

 何しろ相手は先々代の『木こり』――言わばクロイツの師匠にあたるのだから。

「禁煙したんじゃなかったのかヴィル爺さん」

「はて、何のことだったか」

 背後から話しかけられたヴィル老人は、後ろを振り返ることもなくとぼけて見せる。その白々しい仕草といい態度といい、実に慣れた様子だった。呆れたものだ。

「その様子じゃずっと周りの忠告を無視してたな。早死にしても知らねえぞ」

「ハン! ご注意痛みいるがお陰様で御年八〇じゃよ。このヴィルヘルムが煙草如きに殺されてたまるか」

「んなこと言って、引退が早まったのも煙草のせいなんじゃねえのか?」

「馬鹿言え、これは不可抗力じゃ」

 そう言いながらヴィル老人は右腕を上げてみせる。

 一見して何事もなさそうに見えるが、その肘から先が精巧に造られた義手であることをクロイツは知っていた。

「何だってあんな森の浅い所にマンティコアなんぞ湧いていたのやら。腕一本で返り討ちに出来たからいいものの、流石の儂もあんときゃ死を覚悟して……ん?」

 現役時代最後の死闘を想起している途中でふと、ヴィル老人は自分が話している相手が誰なのかをようやく意識したらしい。

 体ごと振り返った老人はクロイツの顔を見ると、年の割に鋭い光を秘めた目をまん丸く見開いた。

「お前さん、もしかしてクロ坊か!?」

「むしろ誰だと思ってたんだよ」

「いやぁ、てっきり女房がまたフェリクスあたりを寄越してきたのかと」

「またってあんた……義兄さんも苦労してんだな」

「余計なお世話じゃい! それよりクロ坊が帰って来たってことは、あれからもう五年も経っておったのか。早いもんじゃのう」

 突然年寄り臭いことを言い始めたヴィル老人に、思わずクロイツも苦笑いしてしまう。

 彼からしても旧大陸で過ごした五年は長いようで短い時間だった。単純に年を取ったということもあるだろうが、帰り道は一人ではなく二人だったということも大きいのだろう。

「仕事の方はもういいのか?」

「終わったには終わったが、別件でまたすぐ出かけなきゃならない」

「何じゃい、一仕事終えた後ならゆっくりしていけばいいものを」

「休みたいのは山々なんだがな。まあ一週間くらいは滞在するつもりだ」

「全く忙しい奴じゃな」

「本当にな。ところで、一つ聞きたいことがあるんだが」

 世話話もそこそこに、クロイツは本題を切り出す。

 知りたい情報を一番知っていそうなヴィル老人が村の入り口付近にいたのはある意味僥倖だった。

「エディは今どこにいる? あいつに話があるんだが」

「そこは普通カミさんに会いに行くところじゃないのかのう。セレナは随分とお前さんのことを心配しておったぞ」

「家には……後でちゃんと帰る。だがどうしても急ぎで伝えなきゃならんことでな」

 正直な話、家に帰りたい――というより妻に会いたいという気持ちと出来れば会いたくないという気持ちは半々……いやせめて六対四と言ったところか。

 会ってしまえばウルスラのことを話さないわけにはいかなくなる。やましいことはこれっぽっちも無いが、セレナ相手に説明の順序を誤れば死が見えてくる。単純な戦闘力では比べるべくもないが、とにかくクロイツには勝ち目がない。

 万が一に備えて、せめてエディに伝えなければならないことは先に伝えておこうと思ったのだった。

「エディなら今朝がた森に入っていった。昼も過ぎたし、あと一時間もすれば帰ってくるじゃろ」

「なら入り口で待っていた方が早いか。ありがとうな」

「あ、おいちょっと待て」

 目的を果たし早々にその場を立ち去ろうとするクロイツをヴィル老人が呼び止める。

 立ち止まって振り向くと、先程までとは打って変わって柔らかい表情をしたヴィル老人がクロイツへ向けて言った。


「よく帰ってきたな。息子よ」

「……煙草程々にしとけよ。義父さん」


 最後は師弟としてではなく義理の家族として言葉を交わし、クロイツは村の更に奥へと歩を進めていった。



 すれ違う住民たちに軽く挨拶をしながら村の奥へと向かっていく。五年前までは幾度となく歩いた道は忘れようがなく、自然と足が動いていった。

 五分ほどで村を横断し、正面の門とは反対側にある小さな門を出れば鬱蒼とした森が広がっていた。裏側の森に行く人間は限られているためろくに道は整備されていないが、草木が何度も踏みしめられて出来た獣道めいたものが森の奥へと続いている。

 心なしか自分が使っていた頃よりも道は深く沈み、道幅は二回りほど広くなっている気がした。まるで巨大な熊でも通ったかのような跡だ。

「……五年だからなぁ」

 自分の肩に届かないくらいの背丈だった息子が今や同じ目線に立っているのだ。元々大柄な方だった彼が一体どれほど成長しているのか。

 期待と恐れを半々に抱きつつ、クロイツは躊躇うことなく森の深みへと進む。

 人の手が殆ど入っていない森ゆえに歩いているだけでも野生動物と何度も遭遇した。リスや鹿程度なら可愛いものだが、中にはグレートボアのようなモンスター一歩手前の猛獣もいる。

 ただ全ての生き物に共通して、クロイツの存在を認識した途端気性の荒い獣でも一目散に逃げ出してしまう。一々絡まられるのが面倒なので僅かに剣気を滲ませているだけなのだが、あの凄まじい逃げようからして加減を間違えたらしい。旧大陸で常に気を張っていた弊害か。

 ともあれ道中でトラブルが生じることはなく、目的の場所まで辿り着いたクロイツは立ち止まった。

 依然として目の前に広がっているのは森だ。

 ただしその入り口に立てば、眼前のそれが嫌でも周囲のただ木が茂っているだけの森とは大きく異なる性質の何かであると感じざるを得ない。

 肌に絡みつくような禍々しい魔力。たとえ魔力を一切感じ取れない人間でも、この先に進めば二度と帰ってこれないという漠然とした不安を感じるだろう。きっとそれは、生物としての本能からくる警鐘だ。

 その森はかつて王国が資源調査のために派遣した部隊を、たった一人だけ残して呑み込んだ。その一人ですら、王が直々に選定した精鋭でなければ生き残れなかったほどに過酷な生態系が築かれた魔境。

 二人以上の人数で入れば、必ずどちらかが死ぬ。理由は未だに不明。一説によればかの『殱血』が生み出した化け物の断末魔による呪いとも言われているが、あくまで推測の域は出ていなかった。


 ――いずれにせよ、周知されている事実としては。

 ここは『磔刑の森』。

 ただ一人の生存しか許容しない、旧大陸の入り口である。


「よっこらせ……ふぁ」

 そんな入り口を前に、クロイツは手近な気に背中を預け欠伸を一つ。ここまで三日三晩徹夜での行軍だったので流石に眠気が強かった。

 緊張感の欠片も無いが無理もない。

 いくら一歩先が旧大陸と言っても所詮は入り口。つい最近まで旧大陸の深みを駆けずり回っていたクロイツからすれば大した脅威でもなかった。そもそも帰りはウルスラを連れていた都合上、森を迂回してより厳しい場所から戻って来たのだ。

 森の呪いは一人で入るなら効果を発揮しない。呪いさえなければ、ただ生息している生物が異常に強いだけの森である。個人の戦闘力さえ高ければ生き残ることは可能だ。木こりとして頻繁に出入りしていたクロイツとしてはホームグラウンドであるとさえ言える。

 ある意味慣れ親しんだ場所で仮眠を取りながら、クロイツはエディを待つことにした。


 接近してくる気配を探りながら寝息を立てるという器用な真似をしながら待つこと約三〇分。

「えっと、もしかして叔父さん?」

「……ん。おぉ、久しぶりだなエディ」

 最後に聞いた時よりもだいぶ低いが、記憶にある響きの声に呼ばれクロイツの意識は瞬時に覚醒した。

 目を開けてると、そこには。

「五年も経って随分と大きくなっ……いや本当に大きくなったなお前」

「えへへ、そうかな」

 思わずたじろいでしまうほど熊の如き巨体となったエディは、泣く子も一瞬で黙りそうな凶相で少年のような笑みを浮かべた。

 全長は二メートルを超え体は筋骨隆々。元から強面だったのが時を経て更に凶悪さを増したようだが、その優しい心根は一切変わっていないようだった。

「やけに荷物が少ねえが仕事帰りか?」

「うん、今日は伐採予定の木がどこにあるか下見に行っただけだから。本格的な作業は明日からするんだ」

「なるほどな。でも気を付けろよ。地面から根っこが抜けて歩き回る種もいるぞ」

「歩きそうな奴はロープで他の木に括り付けておいたから大丈夫さ」

「何だ、まだ一月も経ってないのにだいぶこなれてるじゃねえか」

「旅に出る前の晩にアレク君が色々教えてくれたんだ。お陰で助かってるよ」

「へぇ、あいつがか」

 話によると魔王の少女が家を訪ねてきた次の日に出発という実に突発的な旅立ちだったようだが、仕事の引継ぎはしっかりしていったらしい。

 それを差し引いても、今のエディからは昔にはなかった余裕のようなものを感じた。

「アレクの奴を疑ってた訳じゃないが、こうして実際に森から出てくるのを見るまでは信じられなかったぜ。ここに連れてこられただけで腰抜かしてたガキがなぁ」

「あ、あの時はまだ子供だったから! まあアレク君は平然としてたし、僕自身中々踏ん切りがつかなくて結構最近まで仕事を任せっぱなしにしちゃってたけどさ」

「でも今じゃ立派に木こりやってんだから大したもんだ。こればっかりは誰でも出来る仕事じゃねえからな」

「それは身を持って痛感してるよ。一番外側でこれなんだから、旧大陸の内側は一体どうなてるんだろう」

「まあ危険度はこの森の比じゃねえな……っとそうだ。お前に話があるんだった」

「話?」

「突っ立ったままってのも何だ、歩きながらにしよう」

 そう言ってクロイツが来た道を戻るように歩き出すと、おずおずといった様子でエディが後ろからついて来る。仕草そのものは小動物めいて可愛らしいが、二メートル超の巨漢がやっていると中々の迫力だ。

 しばらく黙したまま村に向かって歩いていく二人。

 口火を切ったのはエディだった。

「叔父さんは旧大陸に行ってたんだよね。度々気になってたんだけど、五年間も向こうで何をしてたの?」

「それは……」

 言葉を濁しかけたクロイツは、すぐに考えを改める。

 極秘裏に受けた任務ではあるが、別にアルベリヒは誰にも話すなとは言っていない。無論誰彼構わず喋り回るのは論外である。

 しかしエディはグレンツェの木こりとして知っておくべきだ。

「俺が旧大陸でやってたのはある場所の調査……というよりは確認だな」

「確認?」

「あるべきものがそこにちゃんとあるかって確認だ。んで、結論から言えばなかった」

「なかったって、そんな勝手に動くようなものなの?」

「本来動くはずがなかったんだが……ともかくそれがなかったせいで、かなり面倒なことになっている」

 笑いもせず言うクロイツの後ろでエディが小さく息を飲んだ。

 幼少からアレク共々クロイツに師事していたエディは、クロイツが常人の遥か高みにいる強者であることを知っている。

 そんな彼をして〝かなり面倒なこと〟と言わしめる事態なのだから、身構えずにはいられなかったのだろう。

 いつもなら冗談などで緊張を解してやるところだったが、今回クロイツはあえてそうしなかった。

 あれを目にしてしまった以上、とても笑って誤魔化すことなんて出来ない。

「エディは『死の嵐』って聞いたことあるか?」

「ううん、ないけど」

「まあ俺から話してない以上は知らねえか」

 旧大陸特有の災害の殆どは一般に周知されていない。新大陸で生きている上では全くの無縁であり、知る必要もないからだ。

 ルシエルが『死の嵐』について知っている風だったのは、恐らく身近にいる誰かが旧大陸で実際に目撃したことを話したからだろう。

 そして知らないということは、対処の方法もわからないということ。旧大陸との境界に接しているこの村にとってはあまりに致命的だった。

 故にクロイツは、森へ出かける機会が多くそれの接近に最も気づく可能性の高いエディへ注意を促す。

「万が一……もし旧大陸の方に黒い霧みたいなもんが見えたら、すぐに村の連中を連れて避難しろ。出来れば南の方へ逃げるのが良い」

「そ、そんなに危険なの?」

「『死の嵐』そのものならまだどうにか出来る可能性はある。だがその中枢にいるバケモンは俺でも対処出来ない」

「……!」

 クロイツ自身、決して自分が最強であると自惚れたりはしない。しかし新大陸では五本の指には入っているという自負はあった。

 身の程を弁えているからこそ、断言できる。

 自分ではあの怪物――『殱血』という名の伝説を相手に、時間稼ぎ程度の意味しかなさないであろうと。

 実力で大きく劣るエディならば尚更だった。

「本当は付いていてやりたいが、しばらくしたら俺はまた別の場所に向かわなきゃならない。判断に迷ったらヴィル爺さんを頼れ」

「別の場所って、今度は何処に行くの?」

「東だ」

 不安げな問いかけへ応えるクロイツの声は、或いはエディ以上に頼りなかった。


「最後の保険を得るために、神都(シント)へ向かう。……久々の里帰りだなぁ」

ダンジョンマスターの戦闘力は基本フィールド効果ありきです。ダンジョン外で戦った場合はそれほど苦戦しないはず。

え、魔王様の出番が少ない? 気のせいだよ(すんません攻略メインでもうまく出せるように努力します)

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