13 変態エルフと剣聖親父(2)
戻って来たぜ……地獄の底からな!
ひとまず院試は終わったので、更新頻度は上がると思います(上がるとは言っていない)。
クロイツ氏の話を遮るように突如として現れたのは、見目麗しい少女だった。
涼やかな流水を彷彿させる、陽の光を受けて輝く青みがかった銀の長髪。見開かれた翡翠の瞳は混じり気のない水晶のようで、怒りを表現している面立ちには幼いながらも完成された美の片鱗が既に見られる。
これだけでも充分に特徴的な彼女を更に際立たせているのは、やはり耳だろう。
ヒューマンと比べて長く、ツンと尖った耳。
これはジラルやアルベリヒ陛下を含めたエルフ種に共通してみられる、彼ら特有の身体的特徴だ。
現れたタイミング。そして何より、精霊魔法による人払いが発動している空間へさも当然のように進入してきた事実。
間違いない。
このエルフの少女こそが、ウルスラ。
クロイツ氏が旧大陸から連れて帰って来たという、この新大陸において唯一存在する精霊魔法の使い手なのだ。
しかし、何故彼女はクロイツ氏のことを……いや、それより。
「思ったより幼そうだな。まあエルフなら外見通りとは限らんか」
「アルベリヒ陛下のような例外もおりますからな。古い種であるほど寿命が長いという通説はありますが」
ジラルにもハッキリとした年齢はわからないらしい。
でもウルスラの纏っている雰囲気と言えばいいのだろうか。
ああして可愛らしく膨れている様子を見る限りでは、そこまで年を重なているようには見えない。
少なくとも精神年齢は、ここにいる者の大半を下回っているように思えた。チットですら心が擦れているぶん彼女より大人かもしれない。
などと考察している間にも、ウルスラはスタスタとクロイツ氏に詰め寄っていく。
「ちょっとしたら呼ぶって言ったのに全然呼んでくれないじゃないですか!」
「そ、それはだな。親として切実な事情があったというか」
「しかも人払いの影響で道に人が溜まりまくってるんですよ。大渋滞ですよ!」
「げ、マジかよ」
これは予想外だったようで、クロイツ氏は苦々しい表情となった。
一本道で人払いを使った結果、行き場をなくした通行人が訳もわからないまま足止めを食らっているのだろう。それも王都への直通路となればかなりの人数になるはずだ。
道を広がって歩くなんて比じゃないレベルの迷惑だ。息子らへのサプライズを演出するのにばかり気がいって、その辺の注意が欠けていたらしい。
しかしこれでは人払いを解いた途端、大量の人が一気に道を通ろうとして大混乱を招きそうだ。
彼もそう思い至ったのか、ウルスラに提案した。
「じゃあ一度に通す人数を調整したらどうだ? お前なら出来るだろ」
「ほぅ、そんなことも出来るのか。随分と融通が効くんだな」
「精霊魔法とは元より、精霊に語り掛けることで発動するものですからな。効果の自由度は我々の使う魔法とは比べ物になりませぬ」
便利そうだが、使い手が少なすぎるというのがネックか。
習得できれば何かと役に立ちそうだったが、妾には使えそうもない。何せミルドと違い、精霊の気配すら微塵も感じないのだ。
伊達に一握りのエルフしか使えない秘法ではないと言ったところか。
妾が感心する一方、ウルスラは一層プンスカしていた。
「簡単に言いますけど、故郷の森以外だと精霊さんとの交信が難しいんですよ。この人払いだって発動するのに苦労したんですからね! これ前にも説明しましたよね!?」
「そうだったか? 悪ぃな、年とったせいか忘れっぽくてよ」
「もー都合が悪いとすぐ年のせいにして! そうやってフワフワしてるから家族からも顔を忘れられるんですよ!」
「ぐふぉ!?」
恐らく今一番突かれたくない急所を思い切りど突かれ、クロイツ氏はボディーブローを食らったかのように蹲る。
あれは致命傷っぽいな。しばらく立ち直れないだろう。
そこへ畳みかけるように、ウルスラは大きな目をクワっと見開き。
「そもそも――」
「放置プレイはそこまで好きじゃないんです!」
ピキリと、空気が凍り付く音を幻聴した。
しばらくの思考停止の後、妾はこう思った。
――お前は一体何を言っているんだ?
唐突なカミングアウトに全員が固まる反面、ただ一人ウルスラだけがヒートアップしていく。それはもう凄い早口でまくし立てる。
「放ってかれるのってもどかしいんですよ。どうしても、やるならさっさとやれって思っちゃいますし。ああでも見られるだけというのはそれはそれで興奮しますね! 休憩所前の人混みから無遠慮に浴びせられた視線は中々良かったです! ただ見られるのも然ることながら相手の頭の中で私がスンゴイことになってると思うと……!」
そこまで言うとウルスラは感極まったように身を震わせた。言葉こそ発しなくなったが、意識は妄想の彼方にあるのか荒い呼吸をしながら恍惚の表情を浮かべている。
何これ。
自ら性癖を暴露していくスタイルなのか? ていうか今どういう状況だよ。
どうすんだこの空気。誰でもいいから説明してくれ!
そんな願いを込めた視線が妾たちの間で飛び交う中、
「親父」
「……何だ息子よ」
「これは何だ」
おお、勇者が行った! 勇気ある者の名は伊達じゃないな!
若干眉間にしわを寄せ、エクスタシーしているエルフのような何かを指さし問いかけてくる息子に、ほぼ瀕死ながらもクロイツ氏は応える。
「これってお前な。ウルスラは今日からお前たちの妹になるんだぞ」
「聞いていない」
「ネリムも聞いてないよ?」
「そりゃ、今言ったからな」
「「……」」
クロイツ氏の返答に、兄弟は二人して黙り込む。
無言のまま、再びウルスラの方を見る。
その視線を感じ取ったのか、ウルスラはビクリと肩を跳ねさせた。
「ハッ、この好奇と疑念の渦巻く複雑な視線! もしかしてあなたたちが私のお兄様とお姉様ですか?」
「いやどういう基準で判断した今の!?」
何で好機と疑念=兄と姉に繋がるんだよ!
まさか古いエルフではそういうことになっているのか?
だとしたらカルチャーショックなんだが。
「一応、そうらしいな」
「パパ曰くそうみたい」
ひとまずといった感じで二人が肯定すると、ウルスラは途端に花が咲いたような笑顔になる。
「やっぱり! お二人のことはお父様から沢山話に聞いていました。というより約二年間お二人の話しかしていませんでした」
「だってよぉ、お前らが育ち盛りの時期だったんだぞ? 気になるだろ普通!」
子供たちからの視線を受け、クロイツ氏は情けない声を上げた。
彼としても家に置いて来た今よりちっちゃい勇者とネリムが気がかりで仕方が無かったのだろう。同情こそすれ責められる言われはあるまい。
……ちっちゃい勇者、気になるなぁ。昔からあんな無表情だったのだろうか。
「ねぇねぇ、ウルスラちゃんはどういった経緯でうちの子になったの?」
ネリムは既に受け入れ態勢が万全らしく、いつもと変わらない気安さでウルスラへ話しかけていた。
しかし、ウルスラが答えるよりも先に勇者がボソッと呟く。
「隠し子か」
「あ、五年も帰ってこなかったのはそういう」
それを聞いたネリムは何かを察したような表情になり、半眼で父親を見た。
「ママにばれてどうなっても知らないよ?」
「人に刺されるような真似はするなと言っておきながら……」
「事実無根だ! 身寄りがないウルスラを俺が拾っただけであって、血縁関係とかはないから!!」
これには堪らずクロイツ氏も徹底して否定してきた。
それにしてもあの恐れよう。単身で旧大陸を渡り歩いてきた人間とは思えない怯えっぷりだ。
一体勇者たちの母親とは何者なのだろうか?
以前家を訪ねた時には出会わなかったし、あまり話題にも挙がらないからいまいち想像がつかないのだ。
現状だと料理が文字通り殺人的に下手で、あのクロイツ氏を震え上がらせるという情報しかない。これだけだと人間とは思えないんだが……。
「ホントにぃ?」
「本当だって! ウルスラも何とか言ってくれ!」
なおも疑念の晴れない状況に、クロイツ氏はもう一人の娘へ縋りつく。
頼られた方はいとも仕方なさげに苦笑し、勇者達に向き直る。
「はいはい。あのですねお兄様にお姉様、私とお父様の間には本当に血縁関係なんてないんです」
「大丈夫? 言わされたりしてない?」
「ええ。まず大前提として、お父様がエルダーエルフの現地妻を作るなんて不可能なんですよ」
「何故そう言える」
「間髪入れず疑い掛けるか普通!?」
嘆く父親を無視して勇者が問うと、ウルスラはあっけらかんと。
「だって私以外のエルダーエルフは、集落があった森ごと『死の嵐』に巻かれてしまいましたから」
何でもないように言い放った一言が、再び場の空気を凍り付かせた。
それも先のような突飛な行動から来る困惑ではなく、妾たちから言葉を奪うに足る理由は明確だ。
『死の嵐』という特殊なキーワードこそ出たが、ウルスラが言ったことを要約すれば。
家族も知人も全員死に絶え、故郷も壊滅したということに他ならない。
「なので現地妻なんか作ろうにも肝心な相手が……ってあれ? 皆さんどうしてそんな神妙な顔つきに?」
「いやいやいやお前な!」
心の底から疑問に思ってそうな発言に、妾は思わず口を出してしまった。
「んな軽い調子で重いこと言われたら普通に反応に困るわ!」
「と言われましても、もう二年も前のことですし。今さら悲しんで空気を悪くするのはどうかと思ったんですが」
「逆効果だよ!!」
どうやらウルスラなりの気遣いだったみたいだが、完全に空回りしている。
絶望的に空気を読む力が足りていない。所によっては風と語らう種族とも呼ばれているエルフなのに。
閉鎖的な部族育ちであるし、見た目通りに幼いのであればその辺りの社会常識は持ち合わせていないのかもしれん。
「まあそんなこんなで運よく生き残った私はお父様に拾われて、それ以来お世話になってるんです。言葉とかもここへ来るまでに教わりました」
つまり拾い子ということか。
いつ死んでもおかしくない環境下で見ず知らずの他種族の子供を保護し、最低限の教育も施しているとは。
クロイツ氏は流石人の親と言うべきか、中々人情味にあふれている。むしろ強者だからこそ、悪い言い方をすれば足手まといを抱えてでも生き延びれたのだろう。
そうなるとウルスラの非常識さも可愛いものに思える。二年とは長い時間のようで、物事をしっかりと教えるには短い。
むしろここまでスムーズにコミュニケーションが出来るまでに言葉を学ばせられたのは褒められるべきだ。
ここは良識ある者として、助け舟を出そう。
「勇者たちもそろそろ誤解を解いてやったらどうだ? クロイツ氏も結構な苦労をしていたそうじゃないか」
「……そうだな」
「まずパパに浮気するような度胸もないしねぇ」
「じゃあ最初から疑ってやるなよ!?」
何はともあれ、事情を把握した二人は父親へ向けていた疑念を撤回したようだ。
これにて一件落着。養子関連の話とかは家族の問題だしな。
部外者の魔王はクールに去るぜ……。
背を向けて距離を置く途中、勇者一家の会話が聞こえてくる。
「ふぅ、生きた心地がしなかったぜ。ある意味向こうにいた時よりな」
「パパは大げさだなー」
「大げさなもんかよ全く……とまあ、そういうわけだ。いきなりで悪いが仲良くしてやってくれ」
「任された」
「もちろん!」
うんうん、好意的に受け入れられそうで何よりだ。
ネリムは来るもの拒まずだとして、勇者も何だかんだ言って器は広いし。ヤンチャしてた野良猫のチットをちゃっかり手駒に加えたくらいだからな。
これでようやく、安心してダンジョン攻略に望めると言うもの。
「あのお兄様、一つ質問してもいいでしょうか?」
「何だ、言ってみろ」
ウルスラのおずおずといった感じの尋ね方に、勇者は心なしか普段よりも優し気な声で先を促す。
家族とは言え出会ったばかり。お互いに知らないことの方が多いだろう。
こうして互いを少しずつ理解していくことこそが家族としての第一歩――
「私はお兄様のハーレムで何番目の序列になるんでしょうか!?」
「へぶし!?」
とんでもない爆弾発言に背中を突き飛ばされ、妾はつんのめって地面にぶっ倒れた。
「うわっ、顔面からいっちゃった」
「大丈夫ですか魔王様!?」
慌ててジラルたちが駆け寄ってくる。
痛い。凄く痛い。
下が石畳なもんだから鼻の頭とか少し削れた。すぐ治ったけど。
それより今はそんなこと気にしてる場合じゃないよ。
助け起こされた妾はすぐに勇者たちの下へと駆け戻る。
「ハハハハーレムっておま」
「ハーレムじゃないぞ」
「すげー冷静に否定した!?」
慌ててる妾が馬鹿みたいじゃないか!
しかし勇者の返事はウルスラにとっては驚天動地だったようで。
「えぇぇ違うんですか!? こんなに美人ばかり揃ってるのに!?」
「あいつらはパーティーメンバーだ。あと偏ってるのは偶然だ」
あくまで他意はないということを主張したいのか念を押すように言う勇者。
しかしウルスラは何故か納得いかないらしく、勇者パーティー女性陣への突撃インタビューを敢行し始めた。
初めはネリムに。
「お姉様とお兄様の禁断の兄妹愛は?」
「うーん、血が繋がってるお兄ちゃんとはないかなぁ」
「くっ、思いの外常識的な回答……!」
ネリムは見てる限りじゃブラコンでもなさそうだしな。普段はともかく、勇者と絡んでるときは割と普通だし。
めげずに今度はチットのところへ。
「猫耳さんはあれですか? お兄様とにゃんにゃんしたりしてないんですか?」
「マスターは神聖な存在。ミーから襲う訳にはいかない……にゃあ」
「くっ、据え膳に手を出さないスタイル……!」
チットに手を出すのは色々と不味いだろ。年齢的に考えて。
あきらめ悪く続いてディータへと。
「そこの健康的なお姉さんはお兄様と激しい運動とかしないんですか?」
「おう、割と頻繁にやってるぜ!」
「ど、どんな内容ですか!?」
「そりゃ殴り合いに決まってんだろ。互いに武器とスキル無しでやると中々いい勝負になるぜ」
「くっ、ぐうの音も出ないほど健全……!」
まあ、ディータは色気より戦闘だから。勇者と浮いた話はありそうにもない。
往生際悪く、最後はクラリス。
「一見さっぱりとした関係と見せかけて実は凄いことになってたり?」
「私さっき仲間になったばっかりだよ?」
「何ですと!?」
「それに男遊びはしない主義だから。するなら真剣なお付き合いがいいなぁ」
「くっ、純真さが眩しい……!」
流石プロの遊び人。線引きはきっちりとしているようだ。
……あれ、でも真剣なお付き合いならいいのか?
ま、まあ別にぃ? 妾的にはクラリスが誰と付き合おうが気にすることなんてないけどな。とりあえず勇者はないだろうけどな。あれは余程懐が広くなきゃ一緒にいて我慢ならないだろうからな。
「何かルーちゃんがすっごい挙動不審なんだけど……」
「あれはルシエル様の持病のようなものなのでお気になさらず」
「そ、そちらのメイドさんは何かないんですか!?」
「うわこっちにも来た!?」
もはや見境がなくなったらしい。
変態エルフの魔手は勇者パーティーの枠を超え、妾たち魔王城組にまで伸びてきた。
「ありませんね。何故なら私はメイドですから」
「そういうプレイですか?」
「いいえ、ガチメイドです」
「くっ、ガチメイド……!」
何だこのやり取りは。訳がわからんぞ。
ウルスラは今の会話のどこに悔しがる要素があったんだ……。
ていうかこの流れだと次は妾か?
どうせ的外れなことを聞かれるんだろうが、ここは他の者たちと同じくスマートに否定してくれよう。
今まで散々弄られてきた甲斐あって、多少のセクハラでは狼狽えんぞ!
「うぅ、やっぱり現実には私の求めるエロシチュはないんですか……」
「っておぃぃぃい! 妾には聞かないのかよ!?」
肩を落として去ろうとするウルスラの方をガっと掴んで引き留めた。
何故スルーしたし。
何故この場にいる六人の女性中、妾だけスルーしたし!
「えっと、エロに繋がる属性を感じなくて」
「属性だと!?」
「色々あるじゃないですか。この場にいる方々だと妹属性とかケモノ属性とか。あなたの場合辛うじてロリ属性が当てはまりそうですが、既にケモノの方で埋まってますし」
「誰がロリかっ! だ、だが他にも色々あるぞ。吸血鬼とか、あと魔王とか!」
妾は一体何を言っているのだろう。
自分でも何がしたいのかわからなかった。
婉曲に「お前からはエロスを感じない」と言われたのが癪に障ったのかもしれない。
しかしウルスラは患者へ重篤を告げる医者のような表情で。
「すみません、私が参考にした書籍にそのようなニッチな属性は……」
「誰がニッチな属性じゃあぁぁああああああ!!」
これ以上は我慢ならず、妾は我関せずを貫こうとしていたクロイツ氏へ保護者としての責任を問いに行った。
「おいコラ保護者ぁ! 何なんだこのエロエルフは。何をどう教育すればこんなエロフになるんだよ!? しかも妙に語彙が達者じゃねえかぇえ!?」
「いやー、それは不可抗力というか俺の監督不行き届きというか」
「言いたいことがあるならハッキリ言えや!」
初めこそ話したく無さそうな様子だったクロイツ氏だが、血涙を流さんばかりの眼力で睨みつけてやると観念したように溜息をついた。
「……ウルスラは元からこうなんだよ。言葉や文字を教えてる時も、やたらとエロ関係のやつばっかり興味を示してな」
言葉が通じない分、イラストやジェスチャーなどを駆使して催促してきたらしい。
必死過ぎだろ。何があいつをそこまで駆り立てるんだ。
「まあそん時は適当に躱してたんだが、さっきまでいた隣町でふとした拍子に見失っちまったんだ。少し捜し歩いたら向こうから俺を見つけて戻って来たんだが……」
クロイツ氏がウルスラと再会した際、彼女はホクホク顔で見慣れない荷物を両手いっぱいに抱きかかえていたそうで。
丁寧に梱包されたそれは、どうも大量の書籍のようで。
中身を検閲してみれば、どれもこれもエグいエロ小説や絵本ばかりだったそうで。
「没収しようにも帰ってくる前に読了済みと来た。元々吸収が早かったのもあってか内容も全部暗記してやがるし」
当時の惨状を思い出してか、眩暈がしたかのように額を抑えるクロイツ氏。
「でもああいう本って高くない? よくそんなお金持ってたね」
「月一で小遣いやってたからな。旧大陸じゃ使い道ねえし貯まる一方だったが」
「それあげる意味あんの?」
つーか常に命の危険に晒されている旅路でお小遣いとか、だいぶ日和ってるな。
妾が呆れていると、ネリムが憤慨したようにクロイツ氏へ手を突き出す。
「ずるい! ネリムたちにも五年分のお小遣いちょーだい!」
「えげつない要求するなお前!?」
「おう、後でな」
「いいのかよ!?」
勇者一家の一月のお小遣いがいくらなのかは知らないが、五年分を一括となると相当な値段になるのは間違いないだろう。
仕事の危険性に見合って給金もそれなりにいいのかな。勇者たちの家って村の中では一番大きかったし。
まあ、クロイツ氏の財力云々は置いておくとしてだ。
「ウルスラは端から変態だったってことか……」
「俄かには信じがたいですね」
「ミルドもやっぱりそう思うか」
これは偏見になってしまうかもしれないが、旧大陸に住まうエルフならもう少し浮世離れした存在だと思っていた。
俗っぽいと言えば悪口だけど、新大陸で普通に町とかで暮らしているエルフとは違い生まれ故郷の森から離れず暮らす彼らはどこか神聖な雰囲気を纏っていると想像していた。
結果は御覧の通り、とんだ俗物であったわけだが。
これはウルスラが特別なのだろうか。それとも一族郎党HENTAIなのだろうか。世界広しとそんな部族があるとは思えないけど。
とにかく、未知との遭遇が残念な感じに終わったのは間違いない。
「ええ」
ミルドも同意するように頷き。
「エルフがエロネタにされることは多々あっても、エルフ自身がエロの権化であるパターンは想定してませんでした」
「それは偏見がすぎるわ!」
見ろ。曲がりなりにもエルフ種なジラルが凄い苦虫噛み潰したみたいな顔してるじゃないか!
やっぱり偏見は駄目だ。多種族国家を統治する者として、先入観だけで相手を見るような真似はしてはいかん。
ウルスラへ抱いた筆舌しがたい残念感を否定することは出来ないが、すごおおおく好意的に見ればあれだって一つの個性。尊重するべき……なのか?
あれ、自分でもどうすればいいのかわからなくなってきたぞ。
「だからと言って放置するのはどうなんだ」
「むしろあそこまで振り切れた変態を矯正できるのかお前。ちなみに言うが、俺には無理だった」
「……無理だな」
「だろ?」
父親に不可能だったと聞くや、早々に勇者は匙を投げたようだ。
「まあ見ての通りの変態だが、一応物事の分別はつく。寝込みを襲ったりはしてこないから安心しろ」
「そこに関しては私も保証しますよ。一方的な愛は誰も幸せになれませんから……あ、でも逆に襲ってくるのはウェルカムです! 無理やりされるシチュは興奮します!」
こいつは一瞬まともなことを言ったかと思えば……って。
「ちょっと待て」
「はい?」
「ウルスラはこのまま勇者に同行するつもりか」
「そうですが、何か問題でも?」
「大問題だよ!」
ウルスラは可愛らしく首を傾げて見せるが、もう騙されん。お前の本性は丸っとゴリっとお見通しだ!
妾は再びクロイツ氏の下へ向かう。
「おい父親、娘があんなこと言ってるけどいいのか」
「いいんじゃねえの? つーか俺も最初からそのつもりだったしな」
「マジで言ってんのそれ!? 息子が食われるぞ性的な意味で! 或いは勇者から手を出す可能性だって無きにしも非ず!」
勇者がもの言いたげにこちらを見てくるが、いくら相手が家族と言ったって血は繋がっていないし何より出会ったばかりだ。女性として意識しない方が難しいだろう。
その上、人格にさえ眼を瞑ればウルスラは滅茶苦茶可愛いのだ。ほっそりとした華奢な肢体は美しさと儚さを兼ね備え、エルフの例に漏れず顔も良い。幼い印象は受けるものの、チットと比較すれば充分に女として通じる。
もし妾が男で、あんなのに迫られたら迷わず手を出すぞ。
「いやいや、流石に大丈夫だろ。なぁアレク」
「当たり前だ。義理とはいえ妹だぞ」
「ふと魔が差したりしないという自信はあるのか? 妾の目を見て言ってみろ」
当然だとばかりに答えた勇者へ、妾は重ねて問う。
すると勇者は。
「……大丈夫だ」
「おい何故目を逸らした」
しかも一瞬返事するまでに謎の間があったぞ。
さては自信ないなこいつ。
「息子さんこんなだけど、親御さん的にはどうなんだ?」
「いや、まあ、うーん……」
これにはクロイツ氏もどうしたものかと頭を悩ませている様子。
というかそもそもの話だ。
「最初から勇者たちにウルスラを任せるつもりと言っていたが、何故連れて帰らない。奥さんに説明するにも本人を連れていた方がいいんじゃないのか?」
もしネリムが当初邪推したようにウルスラが隠し子とかだったらクロイツ氏が刺される可能性もあったろうが、実際はやましいことなんてないのだし。
ウルスラのためにも今後母親となる人物との顔合わせは早めに済ませた方がいいのではないだろうか。
「そうしたいのは山々なんだがなぁ」
だが話はそう簡単なものではないようで、クロイツ氏は深いため息をつく。
「詳しいことは話せねえけど仕事の方でちっとばかし面倒なことになっててな。一度グレンツェにも戻るつもりだが急ぎになるし、俺のペースに併せたらウルスラの身がもたん」
「転移魔法は使えないのか?」
「生憎と魔法の才能はからっきしなんだ。おまけにウルスラは体質なのかわかんねえけど、精霊を介さない魔法はレジストしちまうんだ」
「それはまた、難儀ですな」
クロイツ氏の急ぎがどれほどの速度なのかは知らないが、付き合わせるのを渋る以上は割と無茶な強行軍になると伺える。
ならば前もって連絡を入れた上でウルスラだけを先に転移で送ればいいと考えたが、それも無理らしい。どうして無理なのかは甚だ疑問だが、無理なもんは無理なんだから今考えたって仕方がない。
うぅむ、中々難しい問題のようだ。
「お前が自信をもって手を出さないと宣言できればな……」
「面目ない」
「そこは素直に謝るのな」
ったくこのムッツリめ。
いやもはやここまでくるとオープンか?
いずれにせよ、ウルスラは勇者たちの預かりになる他ないようだ。
「大丈夫魔王ちゃん! ネリムが何もないように見張っておくから」
「ああ、ぜひそうしてくれ」
やはりこういう時は身近にいる者が見張るのが一番効果的だな。
特に実の妹の目があるとなれば勇者もおいそれと下手な真似もできんだろ。
それ故かネリムも自信に満ちた笑顔で宣言する。
「何かあったらもいでおくから!」
「出来れば未然に防ぐ方向でお願いね!?」
あと年頃の女の子が笑顔で「もぐ」とかいっちゃいけません!
「ず、随分と過激ですな」
「オォン、想像したら寒気が……」
こっちの男性陣まで煽りを食らってるし。勇者も若干青ざめてないか?
ま、まあここまで予防線が張られていれば大丈夫だろう。多分。
クロイツ氏も安全と見たのだろう。
「とりあえず平気っぽいし、ウルスラのことは任せるわ」
「不束者ですが、よろしくお願いします!」
かくして、何とも軽い調子で。
勇者のパーティーに、期せずして新たなメンバーが加わることとなった。
「おう、よろしくな!」
「マスターの親族ならば歓迎」
「あはは、また女の子だ。ここまで来るともう呪いの域だね」
他の面々からも概ね歓迎ムードで迎えられている様子。
そしてクラリスの言った通りまた女だ。
マジで呪われているのかこの勇者は。いやむしろ祝福か?
折を見て女神に診て貰った方がいいかもな。
……しっかし。
「また奴らの戦力が増強されたぞ」
「留まるところを知りませんね」
「少なくとも最初のダンジョンは瞬殺でありますな」
「今後、対策を密に練る必要があるでしょう」
精霊魔法を使う変態エルフとは、人格的にも戦力的にも厄介なメンバーが加入したものだ。お互い胃が痛いな。
ともかくジラルの言った通り、対策はしっかりとしなければならん。
ただでさえウルスラ以外にも厄介な奴が多い。てか厄介な奴しかいない。地味に役職被りはほぼゼロで、バランスも良い感じだ。
正直な話、本気で殺りに来てるとしか思えない。割とマジで各種族のやべー奴を集めたパーティーなんじゃないだろうか。
今後のダンジョン攻略を研究し、奴らの手の内を出来るだけ暴いておかないと。加えて妾自身の戦力強化も急がなければ。
「全く、前途多難だ」
ため息交じりに呟くと、傍らにいたミルドがふと優しく微笑み。
「その割には楽しそうに見えますが?」
「……ま、退屈はしないだろうからな」
ホント、一々見透かしてくる奴だ。事実だし別にいいんだけどさ。
魔王としてのデビュー戦で負けるのは嫌だし、あの化け物集団を相手取るのは恐ろしい。
だが同時に、自分の力がどこまで通じるか試したいと願う部分も確かにあった。
何だかんだ言って世界は平和で妾も平和主義だが、元祖戦闘種族たるヴァンパイアの血は闘争を欲しているのかもしれない。父上もきっとそうだったから、こんなややこしい外交を始めたのだろう。
「政治に修行に勇者たちの見張りにその他諸々……やることは多いが」
言い換えれば、充実していると表現してもいいのではないか。
まあ、前途多難であることには間違いないのだけども。
――少なくとも。
こうしてこれからのことを考えている今。
妾が抱いているこの感情は、決して悪いものではないはずだ。
「では、そろそろ始めようか」
「何をです?」
「クックック、そんなの決まってるだろ」
ミルドに問われ、決意を新たに妾は宣言する。
役者は揃った。
少し歩いた先には初級者向けダンジョン『始まりの祠』。
ともすれば導かれる答えはただ一つ。
待ちに待った外交の、真の始まりを意味する第一歩。
勇者達による、最初のダンジョン攻略――
――――ではなく。
「交通整理だよ! いつまで道塞ぐ気だお前らぁー!!」
「「「あ」」」
妾以外の全員が、そんな間の抜けた声を上げた。
なんかもうね、聞こえてくるのよ。向こうの方から立ち往生してる通行人たちの困惑してそうな声が聞こえてきてるのよ。
魔法の体系こそ違えど効果は同じなら、【人払い】は特定の方向への進行を心理的に妨げる幻惑魔法の一種だ。そして幻惑系のセオリーとして、一度に騙す人間が多くなるほど効果が薄くなる。
つまり、ウルスラの魔法のキャパシティがそろそろ限界に近づいていて。
かつ、それだけの人数がダンジョン近くの休憩所付近に大集合してしまっているということだ。
「これどうすんだよ!? それともこの状態からでもさっき言ってたみたいに少しずつ通したりできるのか?」
「え、えーっと、あー、そうですねーこれは」
問い詰められたウルスラは、何らかの手段で現場の様子を確認しているのか数秒ほど宙に目線を泳がせた後。
「ヤバいです!」
「笑って誤魔化すな!」
とにかくこの事態をどうにかしない限りはダンジョン攻略なんて言ってられない。
魔法体系が違うからウルスラの魔法を補助する方針は取れなそうだし、ここは人数を活かした人海戦術で誘導を行うか……でも通行人にはどう説明する? 荷馬車が転覆したことにでもするか、路面が損壊したことに……もういっそのことマジで半分くらいフッ飛ばしてやろうか。
ああクソ、考えることが多い!
「前途多難だ!」
「その割には楽しそうに見えますが?」
「んな訳あるかああああああああああああああああ!!」
雲一つない青空に、妾の悲鳴に近い叫び声が響き渡った。
最終的に、全ての通行人を捌き切った頃には日が傾きかけていた。
唯一の救いは勇者たちがぴんぴんしていて、ダンジョン攻略自体は今日中に始まりそうだということか。
嗚呼、疲れた。交通整理とか絶対魔王がする仕事じゃない。
ダンジョンマスターに労いの言葉を掛けに行く予定だったが、正直キツイ。
文章にしたためて、奴ら同様に元気なミルドに渡してもらおう。
そう言えば、いつの間にかクロイツ氏がいなくなってたな。途中から通行人に集中しすぎて意識を向ける余裕も無かったのだが。
彼も仕事に関する報告へ向かう途中だったようだし致し方ないか。勇者たちは気にしていないようだったし、一言くらいは言い残していったのだろう。
五年ぶりの再会にしてはお互いさっぱりした感じではあったが、まあ家族の形なんて人それぞれだ。外野がこれ以上とやかく言うこともないだろう。
……そう言えば、妾も父上や母上の顔を見ないようになってずいぶん経つんだな。
たまには、妾の方から手紙でも出すか。
◇
最後に王宮の門を潜ったのは五年前。
かと言って感慨深いということもなく、額と膝がくっつくような勢いでお辞儀をしてくる衛兵たちを尻目にクロイツは王宮の敷地へと踏み入った。
初めこそ浪人めいた格好の男が近づいてきたことに警戒心を露わにしていた彼らだったが、前もってコートの目立つところへ付け直しておいた徽章――剣を抱いた妖精の意匠が目に入った途端あの態度だ。
王家に連なる者。もしくは王家が全幅の信頼を寄せる臣下にのみしか身に着けることを許されない品であるので、衛兵が肝を潰したのも無理もない話ではあった。
クロイツ自身は厄介なものを押し付けられたという認識で普段は目立たない襟の裏などに隠しているのだが、こういう時には便利だと思っている。
余計な説明の手間が省けるし、何より今は急ぎの用事だった。
中庭を早足に抜け、豪奢な宮殿の中を案内もなく突き進む。端々に小さな改修の痕跡が見られたものの、屋内の造りは勝手知ったる五年前のものと殆ど相違ない。故に迷うことなく、目的の部屋の前まで辿り着く。
そこには。
「やぁ、久しぶりだね」
「おう」
巨大な両開きの扉に寄りかかり人好きな笑みを向けてきたエルフの青年に対し、五年ぶりの再会と言うにはあまりにも素っ気ない態度でクロイツは応じた。
「えー何だよその態度。五年ぶりのご主人様だぞ?」
「誰がご主人様だ。五年ぶりもなにも、さっき【コール】で話したろ」
「それはそうだけどさぁ」
「つーか何で部屋の外で待ってんだ」
「もちろん、君との再会が待ちきれなかったからさ!」
「うわっ、気持ち悪!」
「おいおいそこまで言う普通? 僕一応王様なんだけど」
傍から見れば、偶然道端で出会った友人同士がするような軽口の叩き合いでしかない。
ただし同時に、その一方の身分を知る者がこの光景を目にすれば泡を吹いて卒倒しかねない異常事態でもあった。
荘厳な礼服に身を包む、この世の物とは思えない彫像の如き美を携えた美丈夫。
かつて旧大陸より民を率いて新大陸へと渡り、三種族の長を代表して王位についた最古にして最後のエンシェントエルフ。
アルベリヒ=オーベルタス=ロドニエが嘘偽りのない本来の姿を人前に晒すことなど、玉座での謁見か国が執り行う祭事の時以外ではあり得ない――否、あってはならないことなのだから。
しかも、それを前にした当の本人はと言えば。
「相ッ変わらず派手な装いの割にガキみてえな顔してるよなお前。服に着られてる感半端ねえぞ」
「酷いなぁ。ここ数百年でそこそこ年は取ったつもりなんだけど」
「具体的には?」
「えーっと、体を動かすのがしんどくなってきた」
「ただの運動不足だ馬鹿野郎」
服似合わないからのガキ呼ばわりからの馬鹿呼ばわりという三段コンボ。
もはや首を一〇回ほど刎ねられてもお釣りが返ってくる不敬な物言いに、だがアルベリヒはいともおかしげに笑うのであった。
「あはは。何と言うか、君も変わってないようで安心したよ」
「んなことねえよ。ヒューマンは五年も経ちゃ順当に年を取る」
「そういうことではないさ。ま、ここから先は中で話そう。思い出話も仕事の報告も長くなりそうだしね」
「……あぁ、そうだな」
アルベリヒの提案にクロイツは頷き、彼に続いて開かれた扉から部屋の中へと入る。
広い室内は応接用のソファやテーブルとは別に、数多くの調度品で埋め尽くされていた。彩られているというよりは、その表現の方が合致しているように思える。他の部屋が王宮に恥じぬよう家具の配置一つ一つにまで気を使っているのに対し、この部屋は取りあえず空いている場所に置ける物を置いていったような印象をどうしても受けた。
ここはアルベリヒが王宮内にいくつか所有する私室の一つであり、有り体に言ってしまうならば物置のようなものだった。古今東西、大陸中を自ら旅して回り集めた品や、いくつかはクロイツが頼まれて収集した物品などが雑多に放り込まれているので、置いてある物に統一感は皆無だ。
そしてクロイツがアルベリヒと仕事の話をするのも決まってこの部屋である。
危険な魔道具があるからと家臣や家族にすら出入りを許していない私室は、格式ばった関係を嫌う彼が人目を気にせずにクロイツと話をするにはこの上なく都合がよかった。
ちなみに、これは誇張ではなく真実である。
だからこそ方便として使われている危険な魔道具が何の処置も無く床に放られているのを見て、クロイツは思い切り顔をしかめた。
「てめぇ……千年以上も生きてるくせに部屋の片づけも出来ねえのか。それとも遂にボケたか?」
「大丈夫大丈夫、触らなきゃ何も起きないから」
「これの横で話する俺の身にもなれっつうの……ったく」
今からこの魔道具を撤去する作業を始めたら日付が変わってしまう。
今すぐにでも帰りたい衝動に駆られるクロイツだったが、これからする報告の緊急性を考えたら私情を挟む余地など最初からなかった。
よって暗澹たる気分になりながらも、コートの裾が掠めたりしないよう細心の注意を払いつつ魔道具と隣接したソファへ腰を掛ける。気分が重いせいか、体重以上に体が沈み込んだような気がした。
アルベリヒもテーブルを挟んで向かい合うように、反対側の席へと着いた。
「五年ぶりの再会はどうだった?」
「いきなりだな。まあ案の定っつーか、顔忘れられてたわ。すぐに思い出してくれたのが救いだけどな」
「それは気の毒に――ってわかったわかった。僕が悪かったからマジな殺気を向けるのは止めてくれ。普通に恐いから」
「……あと、何でかは知らんが魔王とその部下も一緒にいた。新しい魔王っつうかアーシアの娘か? 随分とウチの息子らと仲が良さそうだったな」
聞いた通りなら週に一度はああして会っているらしい。
ベリアルも大概だったが、一応は一国の主である魔王がそんな頻繁に城を空けて大丈夫なのだろうか。
とはいえ、ザハトラークでここ最近大きな事件が起きたという話は旅の最中にも聞かなかったし、部下も形は様々だったが彼女のことを心から信頼しているように見えた。
未熟な部分はあれど、民からは愛されているのだろう。
「ルシエルちゃんは見ていて面白いからね。ぜひともまた遊びに来て欲しいよ」
「ちょっかいだすのも程々にしとけよ。若いのに色々と苦労してるみたいだし」
如何にも悪いことを考えていそうな王らしからぬ笑みを浮かべるアルベリヒを軽く窘めておく。
出会ってから今日に至るまで彼に振り回され続けていると言っても過言ではないクロイツは、ルシエルから自分と同じ苦労人オーラを感じ取り一方的に親近感を抱いていた。
「加減くらいは心得てるさ……さて」
なおも悪戯っぽく返すアルベリヒは一度言葉を区切ると、スッと目を細め。
「楽しい話は一度切り上げて、楽しくない方の話をしようじゃないか」
そう切り出す。
瞬間、室内の温度が一息の間に数度下がったような錯覚に陥った。
先程までのふざけた調子は消え去り、今まで心の奥底に押し留められていた怜悧な感情が露わになる。
常人ならば同じ場に存在しているだけで恐怖に竦み、下手をしなくても意識すら奪われかねない暴力的な気配に晒されながらもクロイツは動じない。
アルベリヒの過去を知る者として事前報告を聞いた彼の心情は察せられたし、彼がこうなることも予想はついていた。
ただし。
「……ここまで感情的になるのは初めて見たな」
思わずそう呟き、冷や汗をかく程度には驚いたのも事実だった。
されど怯むことなく、クロイツはアルベリヒの目を真正面から見返す。
普段であれば全てを見透かすような、底の知れない翡翠の瞳の奥で一つの感情が静かに燃えている。
それは現在の状況へと至ってしまった理不尽に対する怒りであり。
同時に、それをなす術もなく許した自分に対する怒りでもあった。
「結論は事前に話した通りだ。俺は五年前にお前から頼まれ、二年半かけてあの場所――『凍てつく燎原』へと辿り着いた」
『凍てつく燎原』
その地はとある伝説の舞台であり、遥か昔に巨大な力同士が衝突した結果生まれたとされる土地だった。
永遠に大地を焼き続ける劫火と、それを焚きつけるように吹きすさぶ吹雪。相反する二つの現象が互いを喰い合うことなく同居する矛盾した空間であり、あらゆる生命を拒絶する領域であった。
「送り出しておいて何だけど、よく生きて帰ってこれたね」
「本当にな……ババアには大きな借りを作っちまった」
無論、人間種としては英雄級の実力を誇るクロイツと言えど踏み込めば無事では済まない。何事も無くその中心まで辿り着けたのは、ひとえに彼がある人物から託された〝お守り〟のお陰だった。
曲がりなりにも死地へ赴く手前、下手を打てば今生の別れになるのも忍びないので一時的に里帰りをした折に受け取ったものである。
あれに救われた局面は、一度や二度ではない。
「悪いね。君にとっては作りたくなかった借りだろうに」
「気にすんな。俺だってもうガキじゃねえし、昔ほど故郷に悪い感情は抱いちゃねえよ」
――怒ったり悪びれたり、忙しい奴だ。
珍しく心の底から申し訳なさそうにしているアルベリヒがおかしく、クロイツは苦笑した。
文字通りのガキだった昔とは違って、何十年に渡って家出するほど嫌いだった故郷の在り方にも納得している。元より家族との仲だって取り立てて悪くはなかった。一方的にクロイツが反発し、バツが悪くなっているだけなのだから。
「今なら、孫の顔くらいは見せてやろうと思ってるさ」
「ならいいんだけど……それで、中心には何もなかったってことでいいのかな?」
「お前の情報が正しければな。あそこには綺麗さっぱり、何も残っちゃいなかった」
「僕も実際に見たわけではないからね。とは言え、僕にあれの存在を教えた人物が嘘を吐くとも思えない」
本来ならば。
あの土地の中心には『永久の氷晶』なるオブジェクトが存在しているはずだった。
それは、劫火に焼かれながらも雫の一つたりとも零さず、吹雪に巻かれながらも表面に霜の一つも張らない、この世とは隔絶した氷の棺桶だった。
それは、たった一つの生命を――かつて旧大陸において地獄を体現し、多くの民が新大陸へと渡る原因を作り出した、たった一体の怪物を封印するためだけの檻だった。
それが、失われたと言うのなら。
「……なら」
再度確認するようにクロイツが促すと、アルベリヒは沈痛な表情で頷いた。
「ああ、奴が――」
「『殱血』が再び、この世に解き放たれてしまったということだ」
◇
『親愛なる父上と母上へ
拝啓
最近ふと思い立つことがあり、筆を取らせて頂きました。
父上と母上は旅先でも元気でお過ごしでしょうか。妾はとても元気です。元気過ぎて、この前頂いた手紙の内容について四つほどツッコませて頂きました。次からはもう少し加減してください。
魔王としての仕事は、優秀な部下たちの助けもあってつつがなく行えています。特に内政に関してはジラルに任せっきりになっているので、妾が少しずつでも仕事を覚えて楽をさせてやりたいです。ガリアンも若い割には人望があり、魔王軍の統率もしっかり取れています。最近中々酷い目にあっているので近々労ってやろうと思います。ミルドはいつも通りです。
そして兼ねてよりの懸念事項であった外交についてですが、この文章をしたためている際に大きな進展がありました。勇者たちが遂に最初のダンジョンへと挑むこととなったのです。過程において紆余曲折はあったものの、無事に攻略へとこぎつけて妾も一安心です。今日は枕を高くして眠れると思います。
相手は歴代の勇者とは違ってパーティーを組み、その構成員は全員がつわもの揃いです。あと勇者以外全員女です。後者に関しては全く思うところはありませんが、魔王として最初に相手をするには少々手強い相手かもしれません。ですが今から魔王城で逢い見えるのが楽しみでもあります。これはきっと父上の遺伝ですね。
勇者たちが妾の元へ挑みに来るまではまたしばらく期間が空くと思いますので、妾も自分のレベル上げを怠らないようにしっかり闘志を燃やし、切磋琢磨していきたい所存です。六度の勝利を飾った父上と、偉大なる我らが先祖『煉血』のザハトラークの名に恥じぬ戦いが出来るよう、これからも魔王として精進していきたいと思います。
敬具
ルシエルより
――追伸
何度も申しておりますが、妾は勇者に対して特別な感情なんてこれっっっっぽっちも抱いていません。本当です。マジです。あんな無表情でデリカシーのないムッツリ野郎のことが好きだなんてありえません。
なので毎度の手紙の追伸にて、アドバイスと称し母上が昔父上と行ったあんなことやこんなことを情感たっぷりに書き連ねるのは止めてください。自分の親がいつ、魔王城のどこでナニをしたかなんて知りたくないです。何気なく通りかかった時に思い出して気まずい気分になります。
切に、切にお願いします』
変態エルフのウルスラが勇者パーティーに加わった!
果たして、新たなセクハラ要員の出現に魔王様のツッコミは間に合うのか?
これにて第一部、完!
少々不穏な空気を残しつつ、第二部ダンジョン攻略編へと続く……!