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勇者がこない! 新米魔王、受難の日々  作者: 七夜
魔王と勇者とゆかいな仲間たち
10/30

09 とある勇者の伝説

『愛しのマイプリティーエンジェルへ


 やっほー☆ お母さんです。

 今、私とパパはベスティアにいます。獣人大国と言うだけあって、町を歩けばそこら中獣っ子だらけです。ミルドちゃんが一緒に来てたら鼻血の出し過ぎで死んじゃってたかもね。あと海に面した国だから料理も個性的。東の国境付近の集落には凄い珍味があるそうなので、今から行くのが楽しみです。パパは物凄く嫌そうな顔をしてるけど。

 

 この手紙が届く頃には、ルシエルも魔王に就任して一か月くらいになるかな。仕事は上手くいってる? 国のトップって大変だと思うけど、あなたの周りにはジラルさんやガリアンくんみたいな頼れる部下が沢山いるんだから。困った時には無理せず他人を頼るようにね。

 あと、ストレスは溜めちゃ駄目よ。パパもそうだったけど、肩が凝る仕事ばかりだから適度に発散させなきゃ身が持たなくなるからね。どうしても辛い時には山の一つでも吹き飛ばしなさい。スッキリするから。


 馬車の時間も近いので、このくらいにしておきます。パパとのハネムーンは最高だけどそろそろ娘成分が枯渇してきたし、もしかしたら近い内に転移でちょこっと帰ってくるかもしれません。その時はいっぱいお話をしましょうね。


 時々【千里眼】であなたを見ている母より

 

 ――追伸。

 ミルドちゃんにも聞いたけど、あなた最近気になる子が出来たんですって!?

 もーいくつになっても小っちゃくて可愛かったルシエルもいつの間にかそんな年頃になってたのね!

 しかも相手は勇者! こりゃ血は争えないってわけね。吸血鬼だけに!

 懐かしいわぁ、私もパパに【ヘルフレア】より熱い気持ちを直接ぶつけるために毒沼を蒸発させたり鉄の牙城を粉砕したりしたっけ……。

 何度も言ってるけど、勝負も恋愛も押したもん勝ちよ。とにかく攻めて攻めて攻めまくりなさい。そうすればどんな堅物だってコロッと落ちちゃうんだから。私もそうやってパパを射止めたから、効果は実証済み!

 さあ、レッツファイト!!』


「…………はぁ」

 未だかつてない疲労感を伴った溜息をつきながら、妾は手にしていたピンク色の便せんから目を離した。

 何でだろう。ただ五〇行にも満たない短さの手紙を読んだだけなのに物凄く疲れた。まるで数百ページにわたる大長編を読み切った後のような心境なのに読了感は皆無である。

 正直言って、今すぐにでも破り捨てたかった。

 しかし無下に扱うわけにもいかず、代わりに妾はそっと手紙を玉座の肘掛けに置き。


「どこからツッコめばいいんだ母上ぇぇぇぇぇええええ!!」


「お静かに」

 魔王城宛に届いた郵便物を持ってきたミルドは、叫ぶ妾の前で人差し指を立てる。

「近所迷惑ですよ」

「こんなドでかい魔王城で近所もクソもあるか!」

 それに玉座の間は完全防音である。いくら騒いだって扉さえ閉まってれば直接耳を当てようが囁き声一つ聞こえない。

 まさに今の妾のために造られたようなものだ!

 よーし面倒だけど一からやってくぞー!

「愛しのマイプリティーエンジェルとかこっぱずかしい宛名はスルーとして、珍味ってあれか? もしかしてチットが国を出るほど不味いとかいうあれなのか!?」

「ベリアル様はともかく、奥様なら平気で食べそうですが」

 否定できない。

 母上ならどんなゲテモノでも笑って消化できそうだ。

「あとストレス溜まる度に地形変えてたら討伐命令下るわ!」

「奥様も現役時代は一部の近隣諸国から出入り禁止を食らいかけていたそうですし」

 ストレス発散で山を崩すような人間、本来なら指名手配になってもおかしくはない。

 それでも母上の立場上、出入り禁止にするくらいしか対策がなかったのだろう。

「時々【千里眼】で見てるって何? 普通に恐いんだけど!?」

「ふと視線を感じるのは奥様のものだったのですか」

 ミルド気づいておったんかワレェ!?

 妾は全く気付かなかった……。

「極め付けは追伸だよ長いし色々と飛躍しすぎだろ!? 何がレッツファイトじゃ! これじゃまるで妾が勇者のことをすっすぅ、すす、好きみたいじゃないか!?」

「今更違うとでも言うおつもりですか?」

「ちげーし! 年の近い異性があいつしかいないからちょっと意識してるだけだし!!」

 これだけは断固として譲れない。

 妾があんな、デリカシーの欠片もない鉄面皮を好きになんかなるはずがないのだ。

 ……でも猫耳の一件では位置バレの危険を冒してまで妾のことを助けてくれたし、悪い奴ではないんだよな。そのことを友達だから当然とか全然誇りもしないし、表情こそ変わらないけどよく見ていれば意外と感情の機微も見て取れる。この前会った時なんか帰ろうとしたら寂しがったりして、結構可愛い所もあったり……。

「ルシエル様、顔がにやけてますよ」

「はっ!? に、にやけてなんかにゃいぞ!」

「そういうことにしておきましょう。それで、奥様は他に何と?」

「えっと、残りは別に普通だな。妾への激励と、軽くホームシックになったから近い内に一度帰ってくるかもしれんと」

 取りあえずツッコめるのはこれくらいだろう。ふぅ、成し遂げたぜ。

「そのお手紙、私にも読ませていただいても?」

「ああ、構わん」

 ミルドに母上からの手紙を手渡すと、物凄いスピードで目を左右へ走らせながら文章全体をざっと読み進めていく。

 所謂、速読というやつか。ミルドの読解速度も然ることながら、ジラルの場合は文面を見ただけで内容を把握したりしてるから本当に凄いと思う。

 占めて三秒程度で読み終えたらしいミルドが、妾に手紙を返して来ながら。

「いつも通りですね」

「まあ、そうだな」

 旅行先でも、母上は平常運転だった。


 現在、魔王の任を妾に託した父上と母上は約一八年遅れの新婚旅行中である。もはや新婚とは言い難い遅れっぷりだが、当人たちがそう主張するならそうなのだろう。

 今から約一か月前に国を出立した二人の旅は順調に進んでいて、手紙を書いていた時点で大陸の南端にいるらしい。勇者たちの寄り道道中とは比較にならない進行スピードである。未だに国すら出ていない奴らとは違うのだ。

 こうして手紙が届くのも初めてのことではない。母上は週に一・二回くらいの頻度で手紙をくれていた。内容は大抵の場合、旅先であったことや父上との惚気である。

 傾向から考えると、今回の手紙は割と大人しい部類だった。

 追伸を除けば。

「相変わらずあの二人はお熱いようで」

「うむ、特に母上は一七年間ずっと新婚みたいなテンションだ」

 物心ついた頃から、妾は二人――特に母上の熱愛っぷりを見せつけられてきた。

 食事の時には当たり前のようにあーんとかしたり、度が過ぎる時は口移しという暴挙に出たこともある。小さい頃には、子守歌代わりに父上との出会いからゴールインまでの話を何度も聞かされてきた。

 幼すぎる頃の記憶は朧気だが、もう見ているだけで胸焼けしそうなラブラブっぷりを見せつけられてきた妾は、子供ながらさぞ渋い顔をしていただろう。

「特に昔話はかなり効いたな。耳にタコができるくらい聞かされたもんだから、あの頃はよく夢に見てたわ」

「どのような夢を?」

「えーっと、一番よく見てたのは……」


「ダンジョンマスターの視点で、無慈悲な超魔導によって蹂躙されるダンジョンを呆然と眺める夢かなぁ」

「……容易に想像ができました」


 ミルドも珍しく、妾と共に遠い目をしている。

 そう言えば、母上との戦闘を経験したダンジョンマスターたちもこんな目をしてたっけ。

 今となっては懐かしい思い出ではあるが、最近の勇者パーティーのインフレっぷりを考慮すると妾も同じ憂き目にあうのだろうか。

 ……願わくば、今代のダンジョンマスターたちには頑張っていただきたいものだ。


 ◇


 ――「激闘! 戦慄の魔王」。

 声に出して言うのは少し躊躇われるが、かれこれ五〇年ほどザハトラーク王国が他国と行っているれっきとした外交である。

 初代魔王・ヴェリアル=ギル=ザハトラークが「何か面白いことしね?」と提案し、王室特別顧問たる竜神・イシュトバーンが「ええやん」と乗っかったことで始まったというのはあまりにも有名なことだ。歴史の教科書にも書いてある。

 提案した当人としては会話だけで終わる退屈な外交に刺激を求め、勇者として指名された外交官が直接魔王城へ殴りこむような形式にしたかったらしい。

 しかしノリに悪ノリした竜神によって新米女神による聖剣の加護システムだの、ダンジョン攻略による鍵の入手だのが付け足された結果、もはや外交と言うよりかは国を挙げた一大興行と化していた。

 これはこれでいいじゃんと魔王は納得し、予告もなしにアホみたいな事業案を書かされた老齢の宰相は、数日間羽ペンを握ったまま真っ白に燃え尽きたらしい。

 ……さて。

 色々と特殊すぎる外交なだけあって、その最中には時に大陸全土を震撼させるような事件が起こることもしばしばだ。

 最も代表的なものを挙げるとすれば、栄えある初代勇者としてロドニエの国王が選ばれてしまった『女神の神乱数事件』。なお、彼の旅路を物語とした大長編『妖精王冒険記』は後の世に残る名作として名高い。

 だが、この外交について語る上で五代目勇者のことを外すわけにはいかないだろう。

 初代を含めた歴代勇者が惜しくも勝利を逃してきた魔王ヴェリアルとの決戦を制し、初の黒星を付けた勇者として彼女は大陸に勇名を轟かせた。

 その一方で、当時の五代目勇者をよく知る者は彼女についてこう語る。


 ある者曰く、「妖精王の愛弟子」

 ある者曰く、「人の形をした天変地異」

 ある者曰く、「倒した勢いで魔王を押し倒した女」

 

 おおよそ人間扱いされることの方が少ない彼女の名は、アーシア。

 女神の祝福を受けた元勇者にして、現在はザハトラーク国王夫人の肩書を持つ異色の人物である。


 ◇


 フィールドダンジョン『毒の沼地』。

 枯れ果てた樹木がまばらに生えた平地の大部分を覆う紫色の湖沼。湖を満たす液体は底なし沼の性質と猛毒の性質を併せ持ち、一たび沈めば身動きも取れぬまま全身を毒に侵される。表面から発生している蒸気にも毒性があり、普通の人間であれば五分も立っていられない。更にそこへ襲い掛かってくるのは牙や爪に毒を持つモンスターたち。

 最奥に待ち受けるダンジョンマスターを倒すためには、常にダメージを受け続けるフィールドを移動しつつ、襲い来る魔獣に対処し、一度落ちたら即アウトの沼をどうにかして渡らなければならない。

 スリップダメージをこれでもかと満載したこのダンジョンは、歴代勇者の間では四大嫌がらせダンジョンの一つとして悪名を轟かせていた。


 ――いたのだが。

「何、だと……!?」

 瘴気の立ち込める決戦場で挑戦者を待ち構えていたダンジョンマスターのヴァイパーは、あまりの光景に九対の目を一様に見開いていた。

 毒蛇の王――ヒュドラである彼の顔は極めて爬虫類的であり表情を伺うのは難しいが、仮に感情を当てはめるとすれば九つの顔全てが驚愕を表しているだろう。

 そりゃそうだ。

 何しろ、このダンジョン最大の特徴である毒沼が。

 これまで何度も勇者たちの行く手を阻み、否が応でも頭を使わせてきた歴戦の嫌がらせトラップが。


「何これ邪魔ー」

 などと言う適当極まりない一声と共に、跡形もなく消し飛んでしまったのだから。

 

 え、何なの今の。魔法? でも詠唱してなかったよね。「何これ邪魔ー」つったよねあの子。しかもいつの間にか瘴気も浄化されてね? あっれーここってこんなに空気美味しかったっけ。あれー?

 唐突過ぎる事態に、ひたすら混乱の極みにあったヴァイパーだったが。

「あ、ボス見ーっけ」

「ぬを!?」

 目の前で巨大な沼を一つ消失させた見た目一八歳くらいの少女が意外と浅めな毒沼跡地をテクテクと歩いて向かってくるのが見え、ヴァイパーは正気に戻った。

 腰に下がっている嫌ーな雰囲気の漂うあれは聖剣に違いない。今代の勇者は色々と滅茶苦茶と言う噂は兼ねてより聞いていたが、無詠唱の魔法であそこまでするか。

「……現にああして現れた以上、信じる他あるまい」

 危ないところであったとヴァイパーは反省する。もし事前に『鋼鉄の牙城』が勇者によって粉微塵に粉砕されたという報告がされていなかったら、あのまま自失していたことだろう。

 手段はどうであれ、勇者が試練を乗り越えて来たという事実には変わりない。ここはダンジョンマスターとして堂々と迎え撃つべき場面――!

 迷いを払うように九つある頭を振り、決然たる意思を込めた視線で相手を射抜き。

「よくぞ試練を乗り越えて来たな勇者よ! この私こそが『毒の沼地』のダンジョンマスターであるヴァイ――へっ?」

 高らかに名乗りを上げようとしたその時、ヴァイパーは見た。

 見てしまった。

 目線の先にいる勇者が、どこから取り出したのか身の丈ほどある巨大な杖を頭上へと掲げていて。

 その先端には太陽の如き輝きを放つ、ヴァイパーを丸々飲み込んでしまえるほどに巨大な火球が生成されているのを。

 ……あーそう言えばここって基本薄暗いマップのはずなのに、さっきからやけに明るいと思ってたんだよなぁ。つーかその杖何? 聖剣は使わないの?

 などと現実逃避気味に考えていたのもつかの間。


「爆ぜ散らせ、至天の大火よ――【メテオバースト】!!」

「ちょ、ちょっとタンマ! タ――ウボァァァァァァァアアアアアアア!!」

 ちゅどーん! とギャグみたいな大爆発がヴァイパーを襲った。


 勇者アーシアは、ダンジョン『毒の沼地』をクリアした!


 ◇


「『毒の沼地』がクリアされたようだな……」

「フフフ……ここは四大嫌がらせダンジョンの中でも最弱……」

「勇者如きにクリーニングされるとはクソダンジョンの面汚しよ……」


「いやあんなの反則だろ!? 何であの年で賢者クラスの大魔術使ってくるんだよしかもほぼノータイムで!!」

 見舞いに来てくれたかと思えば言いたい放題な同僚たちに、ぐったりと地面に伏したままヴァイパーは叫ぶ。

 元々は毒沼だった、現在はとても空気の美味しい清涼な平原となっているフィールドには担当者である彼以外に三体のダンジョンマスターが訪れていた。

『地獄の溶岩窟』を担当する、イフリートのイグニス。

『眠らぬ大墳墓』を担当する、デュラハンのホロウ。

『叡智の迷宮』を担当する、スフィンクスのメル。

 いずれも名だたる、歴代勇者からクソダンジョンと罵られてきたダンジョンの主だ。

「ダンジョン内の戦闘じゃなきゃ確実に消し炭だったぞ……今、自分が生きているのが信じられない」

「実際どこのダンジョンマスターに聞いても『あの勇者はヤバイ』の一点張りだったが、本当に一撃でこの有様なのかね? ありえぬだろ」

 手に持った頭を回して見るも無残な元毒沼を見渡し、ホロウはない首をかしげるようにして疑問を呈する。

「現在攻略されたダンジョンがいずれも相当な速さでクリアされたのは確かなようですが……いささか信憑性に欠けるタイムですね」

 各ダンジョンでの記録を参照したメルも、極めて懐疑的である。膨大な知識を探ってはみるが、少なくとも人間でそのようなことが可能な存在は見当たらない。

「どいつもこいつも単純に弛んでるだけなんじゃねえのかぁ? 情けねえったらねえぜ」

 轟々と燃え盛る肉体を持つイグニスは外見通りの荒々しい口調で吐き捨てた。どうやら勇者に関する一連の噂を、負けた言い訳と捉えているらしい。

 態度は三者三様だが、いずれにしても信じがたいと言ったスタンスだった。

 何だかんだ言って、ヴァイパーは仲間内でもそれなりに名の知れた実力者である。他のダンジョンはともかくとして、彼がいともたやすく撃沈したというのはそう簡単に受け入れられる事実ではなかったのだ。

「あれは実際に対峙しなければ恐ろしさを理解できんのだ……それよりお前たち、持ち場を離れて大丈夫なのか?」

「貴公が下されたのは昨日のことだろう? 我輩らのダンジョンはここから相当離れた位置にある」

「勇者側が一度訪れた場所以外への【テレポート】を禁止されていますからね。いくら急いでも一週間はかかるでしょう」

「日ごろから心配性が過ぎるってんだよてめえはよお。見てくれだけはおどろおどろしい癖に肝が小せえったら……あぁん?」

 自分も充分に恐ろし気な見た目をしているイグニスが、ふと怪訝そうな声を上げる。

「どうしたのだねイグニス」

「ダンジョンに残してきた部下が【コール】してきやがった。緊急用の連絡印たぁどういうとだ?」

 訝しむようにしながらもイグニスが【コール】に応答する。

「んだよ緊急連絡って……」

 するとその表情は、見る見るうちに驚愕の色へと染まっていった。


「襲撃? 演習期間外ってこたぁ賊か。魔王軍管轄の施設襲うとかどこの命知らずだよ。馬鹿な山賊如きに手こずってるとか抜かしたら全員燃やす……何、敵は一人だと? しかも気色悪い気を放つ剣持った女だぁ!? 馬鹿な、こんな短期間で来るはずが……!」

 一方的に通話を打ち切ると、イグニスは突然長距離転移の準備をし始めた。

「どうしたんですイグニス」

「勇者が……勇者が俺様のダンジョンに乗り込んできやがった!」

「いやいや、それはないでしょう。ここからヴァルカン火山の麓までは馬車を休みなく飛ばしても五日。ダンジョンの入り口までの登山で三日はかかりますよ」

「【ドラゴンフライ】で隕石よろしく突っ込んできたんだってよ!」

「……嘘であろう?」

 飛行魔法の最上位に位置する【ドラゴンフライ】は、消費する魔力の多さゆえに単独の人間では発動すらできないとされる超魔法だ。本来ならあり得ない。

 しかし長距離転移も使わずに一日足らずで国を横断するにはそれくらいしか手段がないということもわかり、偽りのない事実であると理解したホロウとメルは固まった。

 既に勇者の人外っぷりを身をもって体験したヴァイパーとしては、言わんこっちゃないとしか言いようがない。

「つーわけで俺様は戻るぜ! 舐めた真似しやがって、叩きのめしてやらあ!!」

 慌てこそはしているものの、自身の勝利を微塵も疑っていない様子である。

 口早にそう言い残し、【テレポート】を発動させたイグニスはこの場から消え去った。

 しばしの沈黙の後、ヴァイパーが重い口を開く。

「あいつ、終わったな」


 ◇


 ダンジョン『地獄の溶岩窟』。

 バルカン火山の中腹に入り口を有する広大な洞窟。内部の至る所で煮えたぎる溶岩湖が発した熱は空気の通らない洞窟内に籠り、熱と湿度で挑む者の体力と精神力を削りに削る。出現するモンスターも全て火属性。暑苦しいことこの上ない。

 水分補給を怠れば、ボスフロアへ辿り着くまでもなく脱水症状でリタイア。鉄製の装備はあっという間に熱を持つため下手に使えず、通気性の悪い革装備をメインに固めなければろくに先へと進めないクソ仕様。

 特に夏場の攻略は最悪と、堂々の四大嫌がらせダンジョン入りした屈指の難易度を誇るダンジョンなのだが――


「うーん、やっぱ火山だから気温がちょっと高いわね。冷やそ冷やそ」

 とか言う身勝手極まりない理由で、少女は襟元をパタパタさせながら洞窟全体を溶岩ごと氷漬けにしていた。


「なんじゃそりゃぁぁぁあ!?」

 滅多なことでは動じないつもりだったイグニスも、これにはビビった。

 スタイルの良い彼女が襟を開いている姿は中々色気があったが、目の前で繰り広げられているのはそんなこと気にすることも出来ない、文字通り血も凍りそうな光景である。

「あ、ボスだ」

「は!? よ、よく来やがったな勇者! 俺様の名はイグニ――」

 それでも何とか我に返り、名乗りを上げている途中。


「降り注げ、北星の氷河よ――【コールドノース】!!」

「ウボァァァァァァァアアアアアアア!!」

 凍えそうなほどに青白い輝きが杖から放たれ、イグニスの意識を刈り取った。


 勇者アーシアは、ダンジョン『地獄の溶岩窟』をクリアした!


 ◇


「何なんだよあの女はぁ……」

「だから言ったじゃん! だから言ったじゃん!!」


 未だ火の勢いに優れないイグニスを非難するように、ヴァイパーは声を張る。

 彼らは先日毒沼を訪れた他の二体と一緒に、すっかり過ごしやすくなった洞窟の奥で休養していたイグニスを訪ねてきていたのだ。

「これは凄まじいですね……溶岩が冷えて固まるのではなく、溶岩のまま凍り付くとは」

 煌々と輝きながらもひんやりと冷たい氷塊に前足で触れつつ、メルが興味深そうに呟いていた。ただの氷ではなく、一種の封印魔法に近いのだと判断する。

 イグニスが去った後に改めて調べ直した情報と照らし合わせて、彼は今代の勇者がこれほど慮外な力を持つ理由を突き止めていた。

「流石は、妖精王の愛弟子と言ったところでしょうか」

「何だと? そんな話聞いてないぞ!?」

「落ち着いてくださいヴァイパー。公式に発表されている情報ではないので、私もつい昨日知ったばかりなのです」

「そうであるか。して、詳細は?」

「五代目勇者アーシア……孤児院の出ですが、かの妖精王によって偶然その魔法適性の高さを認められ、直接の指導を受けていたそうです。失伝していた魔導にも精通し、魔力量は並みの人間を凌駕しているとか」

「それほどの人物が何故無名なんだ!?」

 本来なら宮廷魔導士として名が知れていてもおかしくない経歴だ。

「面倒くさそうだからと宮仕えを固辞し、王都で魔法講師をしていたそうです」

「んなアホなぁ……」

 寝ころんだまま燻っていたイグニスが、そんな言葉と共に黒煙を吐く。

 栄えある身分を面倒くさいという理由で辞退するのは、こんなでも君主たる魔王から直々にダンジョンの運営を任される名誉にあずかっている身として理解しがたいことだった。

「天才とは常々、常人とはかけ離れた思考をしているものですから」

「天災の間違いではないか……むむっ!」

「ど、どうしたんだ、ホロウ」

 もうこの時点で嫌な予感しかしないのだが、ひきつけを起こしたように動きを止めた首なし騎士にヴァイパーは恐る恐る声をかけた。

 するとホロウは、ない首を彼へ向けるようにギギギと鎧を軋ませて。


「……我輩の方にも、来おった」

「「「……グッドラック」」」

 三体は、他にかける言葉が見つからなかったという。


 ◇


 フィールドダンジョン『眠らぬ大墳墓』。

 深き森の奥底に突如として広がる墓地。踏み込んでしまったと気付いたときにはもう遅い。一定期間で森林内を移動する墓場は、ダンジョンそのものが一種のトラップだ。侵入者を検知した瞬間、地底から這い出た大量のアンデッドモンスターが襲いかかる。

 一見、聖属性の際たる聖剣を持つ勇者にとっては温いダンジョンと思えるだろう。しかし湧き出てくるモンスターは無尽蔵。浄化した先からリスポーンする不死の軍勢は着実に余力を削っていく。

 そして何より、モンスターがキモイ。ゾンビとかスケルトンとか、ビジュアルがキツイ。生理的に無理。

 特に女性の勇者から忌み嫌われてきた、由緒正しきクソダンジョンは――


「死に腐らせやアンデッド共ァァァァァアアアアア!!」

 生家である教会運営の孤児院で除霊も引き受けていたアーシアの中でスイッチが入り、既に腐っていた連中は苔むした地面諸共、聖なる白い炎に焼き尽くされていた。


「おぶぇぇぇええええ!?」

 放たれる熱気と聖気にあてられ、熱いわ気持ち悪いわのダブルパンチでホロウは既に満身創痍だった。

 普通にしていれば可愛らしいのであろう顔に肉食獣のような表情を張り付け、血走った目で獲物を探す姿は正しく捕食者。右手に聖剣、左手に杖を持った姿は鬼神が如し。

「お前が親玉かぁ!」

「そ、その通……うぷ」

 尊厳より嘔吐感が勝った結果、名乗ることすらままならず。


「あるべき黄泉路へと至れ――【セイクリッド・アセンション】!!」

「ウボァァァァァァァアアアアアアア!!」

 情け容赦ない聖なる一撃が、ホロウを貫いた。


 勇者アーシアは、ダンジョン『眠らぬ大墳墓』をクリアした!


 ◇


 ホロウが討たれて一日経った。

 聖剣にかけられたリミッターのお陰で滅されこそしていなかったものの、首なし騎士は愛馬の首なし馬共々半透明になって気絶していた。

 それを確認したメルは見舞いも早々に自分のダンジョンへと戻り、万全の態勢で出迎えることにしたのだ。

 ――必ず来る。そんな予感と共に迎えた次の日。

「……やはり、来ましたか」

 獣の瞳に知性の光を灯し、メルは虚空を見据えた。

 スキル【千里眼】を発動した今その視界はここに在らず、彼がダンジョンマスターを務めるダンジョンの入り口を映し出している。

 時刻は丁度、正午を回ったところ。太陽が空へ登り切ったのと時を同じくして「頼もー!」という威勢のいい声を上げながら勇者・アーシアは乗り込んできた。

 そしてすぐさまどこからともなく杖を召喚し、何やら呪文を唱え始める。これまでの行動を見る限り、恐らくメルがいるフロアまでの道を強引に開通させようとしているのだろう。具体的には壁を吹っ飛ばすなりして。

 だが、そうは問屋が卸さない。

「あり?」

 発動直前まで高まった魔力が急激に鎮まっていくのを感じてか、アーシアは拍子抜けしたような表情になる。予想通りの反応にメルはほくそ笑んだ。

 これこそ、彼が誇るダンジョン最大のギミック――マジックキャンセラーだ。


 ダンジョン『叡智の迷宮』。

 トート砂漠に佇む四角錐の形状をした建造物。管理された戦場ということもあり、外交以外では各国の軍や騎士団の演習場としても使われることがあるダンジョンの中でもここは異彩を放っている。

 多くのダンジョンが勇者の持つ力を試すために存在しているとするならば、このダンジョンは名前が示す通り勇者の叡智を試すために存在していた。

 まず、ダンジョン内では一切の戦闘は発生し得ない。五階層からなる広大な迷路となっているマップ上にモンスターが発生することはなく、侵入者を傷つけるようなトラップも設置されていないのだ。

 そして必要が無いという理由から、ダンジョン内での戦闘行動すら禁止されていた。

 施設そのものが立体の魔法陣として作用し、内部における攻撃系の魔法やスキルの行使を封じ込めている。効果は構造物にも及び、武器を使おうが素手で殴ろうが破壊することは不可能。

 戦う必要が一切ない代わりに、戦う手段の一切を奪う。

 このギミックがあるからこそ、『叡智の迷宮』は純粋な知恵と知識のみが物を言うダンジョンとして完成する。


『汝に問う。東の大国シントを統べし一族の名は、シングウジである。是か、否か』

「えっと、どっかで聞いたことがあるような……でもなんか違う気がするしバツ!」

『答えは是なり。汝、振り出しへ戻るべし』

「もーまたなのー!?」


「見事なまでに嵌っているようで」

 悲鳴を上げながら入り口まで転送されるアーシアの姿を見て、メルは満足げに頷いた。

 迷路の各所には通常の行き止まりとは違い、挑戦者へと問いを投げかける壁が存在する。正解すれば壁が消失してゴールへ続く正しい道が開通し、間違えればスタート地点まで強制的に戻される。問いの内容は多岐に渡り、今しがた出題された雑学から魔法や薬学等の専門知識に至るまで様々だ。

 当然これでは出題が偏った場合に攻略不可能となる可能性が出てくるため、問いそのものは全て二択である。問いの内容は挑戦を開始した時点で固定されるので、諦めさえしなければ必ず全ての問題に正当できる仕様になっていた。

 ――ただし。


『汝に問う。伝説に語られし四大真祖の一人、煉血のザハトラークは女性である。是か、否か』

「どうだったかなぁ……名前の響きは男っぽいけど、何か引っかけっぽいからマル!」

『答えは否なり。汝、振出しに戻るべし。なお三度の誤りにつき、迷宮は変遷する』

「えー!?」


「三度間違える度に迷路の構造が変化しますがね……」

 思考を放棄したごり押しを『叡智の迷宮』は許さない。

 ブロック構造となっている迷路はその形状を瞬時に組み替えることができ、挑戦者が三回振り出しへ戻った場合ペナルティとしてブロックをランダムに再配置してしまう。

 無論、問いの正解状況などは保たれているので、諦めずに挑戦し続ければクリア自体は可能なのだ。諦めさえしなければ。

 もっとも、勇者の挑戦に対する難易度設定は三段階の内の一番上で固定。更に今までの挑戦者の中でこの難易度に挑み、メルから出題される最終問題まで辿り着いたのは僅か二名のみだった。

 一人は初代にして最も著名な人物である妖精王こと、ロドニエ国王・アルベリヒ=オーベルタス=ロドニエ。もう一人は中央国家セントリアの最高峰たるアカデミーで教鞭をとる、四代目勇者・クラーク。

 新大陸で一・二を争う秀才たる彼らですら手を焼いたこの迷宮。四大嫌がらせダンジョンの頂点に立つ知恵の牙城。

 果たして、今代の勇者は攻略することが可能なのか?

「まあ、予想するまでもありませんかね」

 メルは最初から、アーシアがゴールである最終階層まで辿り着く可能性など考慮していなかった。

 今まで全てのダンジョンを、圧倒的な力をもってして蹂躙してきた彼女だ。それ自体は驚嘆に値するが、行動から読み取れる本人の性格は猪突猛進。常に思索を巡らせるメルとは対極に位置する人物である。

 故に、アーシアにとってこのダンジョンは最も相性が悪い。

 得意の力圧しは通じず、問いの壁によって著しくテンポを削がれる迷路はペナルティが累積すると丸ごと構造が変化する。自分で造っておきながら、よくもまあここまで人をイライラさせる仕様になったものだとメル自身感心するほどだ。

 別にこのダンジョンを必ず攻略しなければいけないわけではない。ルール上、複数あるダンジョンの中から最低八つを攻略すれば本国の魔王城への挑戦権は得られる。

 攻略が苦痛でしかないなら、しばらくすれば諦めて去っていくはず。それこそがダンジョンマスターであるメルにとっての勝利であり、強者に叡智で上回ったという事実が彼にとって至上の喜びなのだ。

 挑戦開始から既に二時間以上経っているがアーシアは未だに一階層目を突破できておらず、五回もの構造変化が行われている。これはもう時間の問題だろう。

「他の方々は正面から挑んで負けましたが、ようは戦い方次第なのですよ……ん?」

 勝利を確信する一方で、メルは自らが見ている映像に何やら違和感を覚え始める。

 こうして【千里眼】で見ている間、アーシアは何度もスタート地点へと戻されているわけだが。

「戻るペースが速くなってる?」

 出題の仕様上、一度間違えた問いを間違える道理はない。あれだけ不正解を繰り返していれば、大抵の問いはクリアできるはずだ。

 なのに、迷路へ突入してからスタート地点に戻るまでのサイクルはどんどん速さを増していく。三回戻る度に迷路の構造は入れ替わるから、もはや最初の状態の原型すら留めていない。

 考えられる可能性があるとすれば、

「ワザと間違えている? しかし、それに一体何の意味が」

 いよいよ訳がわからなくなってきたメルが呟いた、その時。

『よし、準備完了』

「はい?」

 確たる何かを掴んだようなアーシアの言葉に、つい聞き返してしまった直後。


「よいしょっと……おっし、ボス発見」

 六回目の構造変化が発生したのとほぼ同時に、メルの前にアーシアが姿を現した。


「……えええええええええええ!?」

 突然すぎる展開に、さしものメルでも冷静さを保つことはできなかった。

 慌てて【千里眼】の映像を見るが、ここより下の階層にアーシアの姿はない。目の前にいるのはメルが見ている幻ではなく、れっきとした実物だ。

 理性、感情、本能の全てがあり得ないと叫んでいる。

 今の出現の仕方は、明らかに――

「転移魔法……!? 何故だ、このダンジョンの中で魔法は使えないはずです!」

「ええ、忌々しいことにね。だから私は使ってないわよ」

 取り繕う余裕もなく問いかけるメルに対し、意外にもアーシアは答えた。

 その表情は達成感に満ちており、声も明るく上機嫌そうである。

「建物自体が魔法を妨害する魔法になってるのはすぐに気づいたんだけど、三回間違えて迷路の構造が変化したとき一瞬だけ妨害が解けてたのよね」

「何ですって!?」

「たぶんブロックが入れ替わるときのラグのせいだと思うんだけど、随分古い術式だし詳しく見ないと何とも言えないわねー」

 初耳である。この迷宮にそんな抜け穴があったとは。

 というか、本気で言っているのか。

 ブロックが入れ替わるのは本当に刹那の間だ。瞬き一回すらできないレベルの隙間に生じた魔力の途切れを、この少女は魔法すら使わず自力で感知したとでも言うのか。

「自力で転移魔法組めるほどの猶予は流石になかったから、スタート地点に戻す転移魔法を五回に分けて書き換えたってわけ。でも、こんなにかかるなら普通に攻略した方が早かったかなぁ」

 あまつさえ、その僅かな隙を使って発動中の魔法そのものを弄ったとでも言うつもりなのか!?

「あなた本当に人間ですか!?」

 思わず本音が飛び出た。

「む、失礼な犬……いや、ライオン? どっちでもいいけど、私は正真正銘ヒューマンよ。ちょっと人より魔法は得意だけど」

 今まで働いて来た暴挙をちょっとで済ます気かこの女!?

 もはや言葉も出ないメルだったが、アーシアは冗談を言っているつもりは微塵もないらしい。マジである。

「そんなことよりさー、早く最後の問題出してよ。私急いでるんだから」

「……まあ、いいでしょう」

 ここまで本人がどうでもいいスタンスだと、もう驚く気すら失せるのだとメルは初めて知った。ある意味貴重な体験かもしれない。

 仕様の穴を突いたような……言ってしまえば裏技みたいな攻略をされてしまったが、元をたどればつけ入る隙を残した自分が悪いのだ。

 手段はどうであれ、挑戦者が自分の前まで現れた。

 ならば、果たすべき役割は一つ。

「『叡智の迷宮』を司りしこのメルが、最後の試練を執り行いましょう――汝に問う』

 表情を引き締めた神獣の口から壁が発していたのと同じ、地の底から押し寄せてくるような声が発せられる。

 本当なら最初からこっちのモードで出迎える予定だったのだ。今更感は拭いきれないが、ダンジョンマスターには雰囲気を重視する者が多かった。

 そして最後の試練。これもまた他のダンジョンとは違い、ダンジョンマスターであるメルとの問答による対峙である。

 たった一問でありながら、その難易度は極悪と言っても過言ではない。迷宮を抜ける過程で挑戦者が最も苦手としている分野を割り出し、メルがその場で問いを考えるのだ。もはや攻略方法なんて存在しないに等しい。

 この仕様で一度間違えたらはいお終いとすると炎上案件となるので、一応間違えたとしてもダンジョン自体はクリア扱いとなる。

 ぶっちゃけ最後の問答に意味はない。ただ純粋に、古今東西の知識を集めて来たメルが自らの元へ辿り着いた者と頭脳で殴り合いをしたいがために実地する試練である。

 ……本来なら、そうなんですがね。

 今か今かと待ち構えているアーシアを見て、自嘲気味に笑う。

 ハッキリ言って、あんな攻略を許した時点で完敗だ。何世紀もの研鑚を積んだ果てに作り上げた最高傑作である迷宮にとんだ抜け穴があったと知らされ、自分もまだまだなのだと思い知らされた。

 よってこの問いは、彼女への挑戦ではない。


『勇者アーシアよ。汝は魔王へと至る旅路の果てに、何を望む?』


 ――勇者が勝利した場合、勇者自身の望みを一つ可能な範囲で叶えるものとする。

 ザハトラーク外交四か条に記されたこの一文は、彼女ら勇者にとって最も重要と言えるだろう。

 アーシアがメルの敬愛する魔王――ヴェリアルに勝利できるかはわからない。既にピークを過ぎているとはいえ、かの竜神を地に伏せたという彼の実力は未知数なのだ。

 だがメルはアーシアに可能性を感じずにはいられない。

 外交史上最も善戦したとされる妖精王の弟子にして、最も早く魔王城への挑戦権を手にする勇者。彼はその実力を時に記録で確認し、時に実際の爪痕を目の当たりにし。今はこうして、身をもって体験していた。

 彼女はきっと、歴史に名を残す人物となる。その願いも、未来永劫語り継がれていくことだろう。

 メルはなりたかったのだ。

 歴史を知る、一番最初の存在に。

「そんなの、決まってるじゃない」

 問いかけに対し、アーシアは不敵に笑った。

 僅かな逡巡も挟まずに放たれた言葉は迷宮の最終フロアに凛と響き渡り、真っすぐにメルの耳朶を打つ。


「――――愛よ!!」


 声に迷いは微塵もなく、態度たるや威風堂々たるもの。

 自らの発言に一切の疑問を抱かず、まだ見ぬ未来へ夢を馳せ。

 肉食獣の如く爛々と瞳を輝かせる少女がそこにはいた。

 それで、えーっと……何だって?

『すみません、もう一度お願いします』

「愛!」

「もう一声」

「ラブ!!」

「あぁ、聞き間違いじゃなかったんですね」

 形容しがたい気持ちになり、いつの間にか声にかかっていたエフェクトも切れていた。

 なるほど愛と来たかー。愛ね、うん愛。

 ……愛って何だ。

 哲学の領域へと踏み出す一歩手前で、メルはギリギリ現実へと戻って来た。

「あのーすみません。もうちょっと具体的にお願いできます?」

 既に負けを認めているからか、それとも今起きていることが理解の範疇を超えているからか、下手に出ることに抵抗はなかった。

「えーわからないの? あなた鈍いわねーそんなんじゃモテないわよ」

 余計なお世話です。

 てか、むしろあれで全てを理解しろと申すか。

 メルから浴びせられる視線に込められた意思は残念ながら届いていそうにない。

「愛って言ったらあれしかないじゃない。ほら、男子と女子がお互いに好き合って、最終的には家庭なんか持ったりして……」

「はぁ、つまり結婚ですか」

「それよ!」

 じゃあ最初からそう言えよという要求は贅沢なのだろうか。

 ズビシと指を刺されたメルの心中は複雑だ。

 しかし何ともまあ、魔王打倒の報酬として望むのが結婚とは。

 勇者の願いは可能な範囲で叶えられるとされているが、その範囲は前例がないためいまいち想像がつかない。ただ両国のトップが責任を持つ以上、大抵の願いは叶ってしまうだろう。

 アーシアは孤児院出身と聞いているし、大方地元の貴族か王族などと身分違いの恋に苦しんでいたりするのだろう。ダンジョン攻略中のバーサーカーっぷりに反して、案外乙女なところもあるようだ。

「どなた様とご結婚なさるおつもりで?」

 純粋に興味が湧いたので、メルは尋ねた。

 本当に、ただの興味本位だったのだ。

 彼はまさか、彼女が次に放つ発言が本当に歴史を揺るがすものになるなんて予想だにしていなかったのだ。


「もちろん、魔王様とよ!」

「ほう、魔王様と……マオウサマ?」

「そう、愛しのヴェリアル様!」


 マオウサマト、ケッコン?

 マオウサマ、ケッコン。

 マオウケッコン。

 ケッコンケッコーコケコッコー。

 メルは激しく混乱していた。

「そう言えばこのダンジョンで八つ目だったわね……こうしてはいられないわ! 今すぐ行くから待っててね、未来のマイダーリン!!」

 思考が暴走しかけて硬直しているメルの横を、身をくねらせながらアーシアが走り抜けていく。

 しばらくしてドゴォン! という轟音が背後から鳴り響き、燭台の灯のみで薄暗かったフロアがやにわに明るくなった。

 ギギギと首を動かしてみれば、後方の壁が丸ごと吹き飛んでいた。パラパラと細かい破片が崩れ落ちている向こう側には、重力の軛から解き放たれたアーシアが流星の如き軌跡を描いてザハトラーク王国へと飛んでいく姿が。


 ――さて。

 彼女はマジックキャンセラーの影響下にありながら、どうやってダンジョンの壁を破壊したのでしょうか?

「……フッ」

 降って湧いた史上最大の難問に対し、メルは小さく笑う。

 限界だった。


「ウボァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 臨界点に達した知恵熱が頭部で炸裂し、メルは目や口や耳の穴から大量の光線を放ちながら意識を手放した。


 勇者アーシアは、ダンジョン『叡智の迷宮』をクリアした!


 ◇


 斯くして、勇者アーシアは八つのダンジョンを攻略し魔王城への挑戦権を得た。

 この後メイドに転職したばかりのハーフドラゴンの少女と友情が芽生えたり、まだまだ現役だったライカンスロープの魔王軍総帥が瞬殺されたり、生涯現役を掲げるダークエルフの宰相がギックリ腰でダウンしたり、死闘の末に敗北した魔王がそのまま勇者によって寝室に連行される事件があったりしたのだが。

 それはまた、別の機会に語るとしよう。

過去話回につき、魔王様(現役)の出番が少なめになってしまうのはご愛敬。

次はきっと出番がある……はず!

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