第4話
街から少し外れた廃工場。明かりはなく、ドラム缶が幾つも並ぶ廃れた場所。そんな所で、藤堂雅は柄の悪そうな五人組に囲まれていた。
「お前、藤堂グループの御曹司なんだってな。こないだ、雑誌に載ってたぜ? 御曹司ってことは、さぞや金をたんまり持ってんだろうよ」
リーダー格らしき二十代半ばくらいの男が、鉄パイプを片手にポンポンと当てながら、にやりと笑う。
「俺たちは別に、君みたいなお坊ちゃんに痛い目を見せたいわけじゃねんだよ。ただ、ちょっとお金を恵んでくれないかなーと思って、お願いしてるんだ」
「金なら、アルバイトでもして自分で稼げばいいだろ」
雅の回答に、五人組は腹を抱えて笑う。
「流石お坊ちゃんだ。優秀な回答どうもありがとう。だがな、俺たちが望んでんのは、そんな回答じゃねんだよ!!」
男が鉄パイプを地面にカンッと叩きつけると、それが合図のように他の四人が雅に襲いかかってきた。だが、雅は臆することなく、寧ろ、ふっと笑みを溢す。
「この下種野郎共が」
雅は持っていた青のビニール袋から手を離した。正面に振り上げられた鉄パイプを受け止め、それを手前に引き、敵の鳩尾に勢いよく蹴りを入れる。そのまま敵から鉄パイプを奪い、手に掴んだ。右から襲いかかる奴には、鉄パイプを腹部目がけて刺さるように投げつけ、左から襲いかかる奴には、攻撃を軽やかに躱し、鉄パイプを持っている方の腕に手刀を食らわす。そして、それを敵が落とすのとほぼ同時に、背負い投げた。それからすぐ、背後に気配を感じ、雅は瞬時にしゃがみ、左足を軸足に右足を回転させる。敵の足はそれに引っかかり、そのまま顔面から倒れた。
四人が雅を中心に、苦しそうに呻いている。雅は涼しい顔で、ジーンズをパンパンと叩いた。
「で、俺にどうしてほしいんだっけ?」
ニヒルな笑みを浮かべる雅に、リーダーの男は顔を引きつらせる。
「いや……、何でもない」
男はそう言うと、仲間を残して一人で走って逃げてしまった。雅は床に転がる四人を見て、憐みの目を向ける。
「可哀相に」
雅は先ほど手放したビニール袋を拾い、廃工場を後にしようとした時、出入口の方から声が聞こえた。
「藤堂雅!」
そこには、息を切らし、腰を屈めた西條遥が立っていた。
「西條!? 何でここに――」
「逃げろ!」
雅の言葉も聞かず、あたしは叫んだ。雅は何かを言いたげに、また口を開こうとしたが、あたしはそれを許さなかった。
「早く来い!!」
一方的な台詞に、眉を顰める雅。だが、それでも彼はルームメイトであるあたしの言う通り、早く行こうと駆け出した。
半分くらいの距離まで来て、雅の動きが急に止まった。彼の行動にあたしの眉が上がる。
「おい、どうしたんだよ!? 早く来いって言ってんだろ!!」
「――おやおや、お友達かな?」
背後からの悍ましい声に、あたしの背筋は凍った。
自分の視界の範囲外から、こちらに近づいてくる幾つもの足音が鼓膜を振動させる。振り向かなくても分かる。奴らはあたしのすぐ後ろにいる。
動け!!
いくらそう命令しても、体が反応しない。動けない。
こうなることは予想できていた。だからこそ、あたしはここに来た。藤堂雅を助けるために。
あたしは藤堂雅がどこかの廃工場でチンピラに絡まれてるシーンをなんとか思い出し、何人かに話を訊いて、その場所を突き止めた。
数人のチンピラに囲まれているにもかかわらず、彼らを倒す雅。だけどその後、逃げた一人の男がすぐに仲間を連れて戻ってくる。二十人ほどを相手にするのは、いくら雅が強いと言っても勝つのは難しい。元々、雅の行動を把握するために彼を尾行していた〝西條遥〟は、雅を取り囲むチンピラ共を蹴散らし、加勢する。
そう。〝西條遥〟は強い。だけど、あたしは〝西條遥〟じゃない。そんなチンピラに敵うはずもない。だから、叫ぶしかなかった。この場から一刻も早く立ち去るために。でも――
「……遅かったか」
あたしは、ぽつりと呟いた。何だか無性に泣きたくなった。
あー、何でこうなんだろう? 折角マンガの主人公になれたと思ったのに。結局、あたしはあたしでしかないんだ……。
そもそも何で丸腰でここに来た? 冷静に考えたら、警察呼べば良かったじゃん。
背後にいた男は仲間にあたしを拘束させ、やっぱり鉄パイプを手に掴み、それをあたしの腹部に当てる。
「威勢のいい坊ちゃんよぉ。大切なお友達がどうなってもいいのか?」
「……そいつ、友達なんかじゃねぇよ」
吐き捨てる雅に、男はニイッと笑った。
「じゃあ、何しても平気だよなぁ……!」
言うが早いか、男は鉄パイプを持つ手を振るった。あたしはきつく目を閉じて、若いのに脂肪が乗ったお腹に力を込める。
――――カラン
それは鉄パイプが地面に落ちて転がる音だった。あたしは、きつく閉じた瞼をゆっくりと解放するように持ち上げる。
「――――――――!!」
目の前には、鋭い目つきを向けながら静かに佇む雅。足元には細長い鉄パイプとハードカバーの厚い本が転がり、さっきまで雅を脅していた男が伸びていた。周りにいた仲間たちは、唖然としながらその場に立ち尽くしている。
「西條! そのまま真っ直ぐ走れ!!」
あたしは何も考えなかった。雅の言葉に反応するように、棒だった足が動き出し、彼の言葉に従う。
「コレ、どういうこと!?」
あたしは藤堂雅の隣に到着し、息を吐いた。
「コレって何だよ」
「この有様だよ! 何であいつ伸びてんの!?」
あたしは微動だにせず横たわっている男を指差す。
「ああ。俺があいつの頭に本投げつけた。そしたら、倒れた。脳震盪でも起こしたんだろ。気絶してるだけだ」
雅の横には中身の入っていない青のビニール袋が大きな皺を刻んで地面に落ちていた。
あの分厚い本は、あなたのでしたか……。それにしても。
「……助かった。ありがとう」
あたしは小さい声で言った。何だか小っ恥ずかしかった。でも、彼にはあたしの声が届いていたようだ。
「礼を言うのはまだ早いみたいだぜ?」
リーダーがやられて憤慨した仲間たちが、鉄パイプを振り上げこちらへ走ってくる。
「け、警察呼んだ方がいいんじゃ……」
あたしが口元を引きつらせる。
「余計なことすんじゃねーよ。警察はダメだ。マスコミに取り上げられたらヤバいからな」
「じゃあ、せめて呼ぶフリでも……」
どっちが善良な一般市民役で、どっちがCIAの諜報員役なのか全く分からない。
「来るぞっ!!」
雅は群がる敵を捉え、目を細めた。
単純に考えて一人十人倒す計算。不幸中の幸いとでも言うのか、全員が全員鉄パイプを握っているわけではなかった。半分だ。これもやっぱり単純計算だが、鉄パイプを持った男を一人で五人倒さなくてはならない。そんな無茶な!!
とにかく、あたしは逃げた。横で勇敢に戦う雅を残して。どんどん出口から遠ざかって行く。
あたしは走りながら、背後を一瞥する。必死の形相で男たちが追いかけてきている。しかも何故か、十人より多いように見える。
「……………………」
単純計算でも地獄だと思ったのに、二次元という名の現実は地獄以上に厳しい所でした。