第19話
翌日、早くも通常授業が再開された。
学園祭は十月。出し物の内容を決めて準備をして本気で優勝を狙いに行くことを考えると、時間はあまりにも足りなかった。
生徒たちは放課後を使って出し物を思案する。
我らが二年A組を束ねるは、フレームの大きなメガネがずり落ちた気の弱そうな少年。頬にそばかすがあり、色が白い。パリッとしたワイシャツを一番上まで留め、いかにもな真面目くんだ。
彼は震える指でチョークを黒板に擦り付ける。
「えーっと……、今出てるのは〝こわーい! 手を握ろうとする彼女をするりと躱す。何故なら俺は多汗症なんだよ!(泣)〟と〝地獄の底まで追いかけ這いずり回してやるから逃げんじゃねーぞコルァ!〟と〝首狩り族の一員になったら毎日首刈りたい放題ですよ〟ですが、ほ、他には何かありませんか」
蚊の鳴くような声でクラスメイトに問う。
何だか可哀相になってくる。
彼は秀麗祭実行委員に立候補した。……いや、正しくは自分が立候補しなくてはいけないのではないかと強迫観念に駆られて手を上げてしまった哀れな少年なのである。誰も立候補せず決まらないと永遠に帰れないという緊迫した空気の中、それでも誰も挙手しなかった教室で唯一勇気を振り絞って手を伸ばした勇者なのだ……、と隼から聞いた。
普段は大人しく、花壇に水やりをやるような、至って目立たない優しい気弱な少年なのである。
それにしても、とあたしは一人溜息をつく。どの出し物も概要が全く把握できていない。というか、名前からは内容が皆目見当もつかない。
秀麗祭では学院の至る所に投票ボックスが設置される。各クラスの出し物が記載された用紙に名前、住所及び最も面白かったクラスにチェックを入れ、投票してもらうというシステムになっている。住所まで書かせるのは、ズルを防止するためだ。氏名と住所の一致を秀麗祭実行委員で精査する徹底ぶりである。
あたしは黒板に丁寧な字で書かれた出し物名を反芻する。このままだったら訳分からないあの中のものを出し物でやらなくてはならない。そんなの嫌だっ!!
うーん、何がいいか何がいいか……。
――スッ
服が擦れ手が上がる気配に、クラスの生徒は全員そちらに振り向く。挙手した割に、発言を許される前にあたしは開口した。
「執事喫茶がいいと思います!」
だって雅が黒の燕尾服来て爽やかな笑みで「いらっしゃいませ、お嬢様」とか言うんでしょ!? それから独自にブレンドしてくれた紅茶を注いでくれて、スコーンとかケーキとかクッキーとか出してくれるんだよね!? そうなんでしょ? 雅!
思わず妄想の世界に入り浸りそうになりながら、口の端から零れ落ちそうになった涎に気付いてその世界に瞬時に別れを告げ、唾液を口元に吸い上げた。
逆三角形の目を持つ妖怪染みた顔で笑うあたしを見て男子たちが一斉に引く。雅に至っては相当顔を引きつらせていた。
「お前……、ホントに勝つ気あんのか?」
「どういう意味?」
首を傾げるあたし。
「ここはどういう学校だ?」
「どういう学校って――」
あたしは雅の問う真意が分からないまま答えてみる。
「お金持ちの名門私立男子校」
「その学校に見学しに来る一般客に多い性別は?」
「えーと、男?」
秀麗学院は、受験を見据えて学校見学に来る中学生以外の一般客はチケットでの招待制だった。絢爛学園等の数少ない招待校はチケットなしでも入れるらしい。
「じゃあその一般客に多い層は? 三択だ。①超金持ち ②庶民 ③ド貧乏」
「そりゃあ、①だろ。……ていうか雅くん、君世の中の人たちバカにしてんの? 因みにおれは間違いなく②の庶民だよ。そうだよ、おれは庶民代表だよ!」
何故だか庶民魂に火が点いたあたしは、ん? と腕を組む。
「やっと気付いたか。勝つためにはマーケティングが必要不可欠なんだよ。今回のターゲットは十代の金持ち男子だ。それなのに執事喫茶では話にならない」
雅は人を小ばかにしたように鼻で笑い、腕を組んで背凭れにめいっぱい背を預けた。が、横で神妙な顔つきのまま押し黙るあたしを見て、彼は怪訝そうな表情をした。
「どうした」
「いやさ……、人って経験したことないことを経験したいって欲求あるじゃん?」
がらりと変わった話題に、雅は眉を顰めた。
「何が言いたい」
「つまりさ、お金持ちのお坊ちゃんたちが経験したことなさそうなこと……、例えば駄菓子屋とか縁日とか、そういう非日常的なもの提供したら強いんじゃないかな?」
言い切った後、これって妙案なんじゃない!? と胸を躍らせるあたし。体の方も少し小躍りしていた。
雅よ、ぎゃふんと言え!
しかし、次の瞬間あたしの妙案はいともあっさり崩れ落ちる。
「いくら金持ちとは言え、縁日くらい行ったことあるぞ?」
「え」
「確かに小さい頃は人が多いから危ないという理由で止められていたし、駄菓子屋だって勿論行ったことない。だけど、中学や高校ともなれば自分の意思で縁日に出かけたり、駄菓子屋で駄菓子買ってみたりすることはあるだろ」
「そうなの……?」
……ぎゃふん。
「そりゃそうだろ。まあ、俺は駄菓子なんてあんな毒々しそうなもの口に入れるのも悍ましいけどな」
なんだと……?
澄ました顔して何を言う!? 駄菓子は少年少女のロマンだ! 小さくても出せる良心的な金額設定、大人にならないと味わえないシガレット等の雰囲気をかじれる楽しさ、そして何より駄菓子屋で買った直後にお湯を入れてくれるブ○メン!!
駄菓子屋に行ったことのないお前に駄菓子を語る資格はない!!
憤怒の形相のまま仁王立ち。今度こそ雅をぎゃふんと言わせてやろうと、頭がフル回転し始め、捲し立てる勢いで口から言葉が溢れ出す。
「雅、今からあんたの脳みそがお粗末だということをおれが証明してやる!」
雅はぎろりと目を三角にして、静かに激怒という海の中に浸っている。クラスの奴らは泣きそうな顔で事の次第を見守っている。あたしに、余計なことするんじゃない、という視線を向けてくる者までいる。だけど、あたしはそんなことに構わない。
「確かにこの学校に来るのは十代男子が多いかもしれない。だけど、彼らをターゲットにしているクラスは多いだろうね。つまりは、取り合いになるということだ。それを考慮すると、それ以外のニッチな部分を取りに行った方が勝率が上がると考えるのが妥当。じゃあマイノリティは何かと言ったら女性になるだろ? 確かこの学院には、仲の良い女子校があったはず。そいつらは毎年沢山この高校に来ているんじゃないか?」
秀麗学院高校と仲の良い女子校があることを咄嗟に思い出し、脳を通すこともなく言葉を口から外へ出す。
「ということは、彼女たちを楽しませる出し物を用意すれば、このクラスに勝利をもたらすことも可能。そこで取り入れなくてはならないのは、女子が喜ぶ視点だ。女子は何が好きか。そんなの決まっている! イケメンが自分をチヤホヤしてくれることだ! つまりは執事喫茶だっ!!」
「………………」
何故だか後光が射すあたしをクラスメイトが眩しそうに見つめる。
あたしはあたしで、結局行きつく先は執事喫茶かよ、と思い、でもやっぱりにまあっとする。
それにさっきの女子校の話と同時に脳裏に蘇ったが、確か原作でも出し物は執事喫茶だったはず。こんなに粒ぞろいのイケメンが集まっている二次元という特性を活かし、作者は執事喫茶を設定したに違いない。少女マンガの読者にとってもこのイベントはかなりおいしい。普段は執事が付いている彼らが執事になり、キマったコスチュームを身に着けてフェロモンムンムンの色気を纏い女の子を接待するのだから!
それに、ここいらでそろそろ原作の流れに沿っておかないと、自分の世界に戻れるかどうかも怪しくなってくる。雅に女だってバレてないだけで相当マズいと思ってるのに……。
「――言いたいことはそれだけか?」
低い声にあたしは体を強張らせた。目を合わせられず、首をグイッと明後日の方向へ強制移動させる。
「分かった。うちのクラスは執事喫茶にしよう」
ん?
あたしは雅の方から聞こえてきた音を疑った。明後日に向けていた首をロボットのようにガガガガガと雅に照準修正を行う。
「……雅さん? 今、執事喫茶にしますとか言ってくれちゃったりしました?」
雅は組んだ手に顎を乗せ、呟いた。
「少なくとも今出ている訳も分からない出し物になるよりマシだと思っただけだ」
黒板に書かれた〝訳も分からない出し物〟を提案した男子たちが顔に手を当て涙を流す。
「じゃ、じゃあ、出し物は執事喫茶でいいですか?」
チョークで黒板に書き加えながら、遠慮がちに訊ねる実行委員。
藤堂雅が執事喫茶だと言うのだから、クラスの奴らは何も言えない。日本のトップ企業の御曹司であるということもあるが、何より雅が選択したことで今まで外れたことがないという事実も、生徒たちの絶対的な信頼を得る理由となっていた。
満場一致で二年A組の出し物は執事喫茶に決まった。ただの〝執事喫茶〟では面白味がないということで、出し物の名前は〝お洒落で落ち着いた〟というコンセプトに根差すべく、美しい韻の響くドイツ語で執事喫茶という意味の〝フェアヴァルターカフェ〟に決まった。




