第18話
あたしは月影朔夜に保健室へ連行された。自分の意思で朔夜の後ろを付いて行っているのだからこの表現が正しいのかどうかは分からない。だけど、あたしが望んでいない以上、気持ち的には連行という二文字が正しく今の状況を表していると思った。
あの時の朔夜からは〝オン〟しか発せられなかったが、口の形的に次に出たであろう音は〝ナ〟。彼女はあたしが女だという秘密を知っていると判断してまず間違いない。では、いつそれを知ったのか? 昴が以前言っていたように、体つきでバレてしまったのだろうか。
確かに背は高くないけど声は比較的低いし、前病院で会った時はパーカー着てたし、そんなんじゃ女だと確信を得るまでに至るのか? というかそもそも、原作に出てこない訳分からないキャラに女だってバレていいわけ?
あたしがぐるぐると思考していると、ほどなくして保健室に到着した。
独特の薬品の匂い。風が入り、白いカーテンが宙にはためく。幾つもの窓から日が射し、天井に張り付き光を放つ蛍光灯はあまり意味を成していなかった。
朔夜は保健室のドアを閉め、鍵をかけた。それから窓に近づきそれらを閉めると、鍵をかけてカーテンをシャッと閉め、こちらに振り向く。
「さて、早速身体測定を始めるか」
項目は身長、体重、問診、内診。
保健室の右端に置かれていた身長測定器と体重計に乗る。弾き出された数字をボールペンでカルテに書き留める朔夜。
身長は三次元の時とほぼ変わらなかったが、体重はやや痩せていた。向こうにいた時は文句を垂らしながら毎日だらだらと過ごしていたのに、こっちに来てからよく動くようになったからかもしれない。イベントが尽きないから動かざるを得ないってだけなんだけどね。
あたしは朔夜に出された回転する丸椅子に腰を掛けた。彼女の首には聴診器が掛かっている。
「あれから英語の記憶は戻ったか?」
彼女は自分の椅子の背もたれに寄り掛かりながら足を組んだ。あたしはその質問に対して、彼女と目を合わせることもなく答える。
「戻ったも何も、おれ最初から英語を流暢に話せるわけではありませんから。隼には嘘ついたんです。帰国子女なのに英語話せないなんて恥ずかしくて言えませんから」
「それは妙だな」
彼女は眉根を寄せる。あたしもあたしで片眉を上げる。
「君はCIAの諜報員だろう?」
朔夜の言葉であたしの体の全機能がショートしたように一時停止した。
この人は一体何を言っているのだろう?
思考が追いつかない。こんな原作にも登場しないモブキャラのはずの月影朔夜が何をどこまで知っているというのだろう。
混沌とした様子のあたしに、朔夜は構わず続ける。
「我々の今回のミッションに英語は必要ないが、そもそも英語を話せないとなるとお前が本物の諜報員かどうかも疑わしくなってくるな」
腕を組みながら、貰った顔写真付きのデータを見る限りではこいつが諜報員ということは間違いないのだが、等とぶつぶつ呟く朔夜の目の前で、あたしはふと顔を上げた。
「……今、『我々』って言いました?」
「……今っていつの話だ?」
「『我々の今回のミッション』って言いました?」
「ん、ああ……」
「もしかして月影先生もCIAの諜報員なんですか?」
朔夜は一呼吸おいてから、ああ、と答えた。
あたしはその返答を聞いてすくっと立ち上がり、そのまま白いベッドに向かいボフッと倒れ込んで脱力した。
「なんだあ――――――――」
「何をしている」
朔夜が不思議そうな顔してうつ伏せに倒れるあたしに近づく。
あたしは顔を横へずらし、朔夜を目の端で捉えた。
「いやだって、そんな超機密情報を何で知ってるのかと思ったら、CIAの諜報員だって言うもんだから、そりゃ知ってるわなと思って」
朔夜はあたしの回答に首を傾げる。
「君……、私が味方だと知らなかったのか?」
「知ってるわけないでしょ。先生かなり怪しかったし。寧ろ敵だと思い込んでたよ」
朔夜は腕を組んで顔を歪める。
「私のところには今回の藤堂の一件についての概要と西條――君の素性だけはデータが送られてきていたから知っていたんだが、君のところには情報が何一つ送られていなかったんだな。……それにしても、私はそんなに怪しかったか? 君に味方であるという視線を送っていたつもりだったのだがな」
逆効果だったんじゃないですか、ソレ。
まあ、何にしても味方がいたことは有難い。今回の身体測定も彼女が保健の先生になったことによって超高性能薄型男性ボディ(装着用)を貰う必要がなくなったわけだし。
朔夜は藤堂グループが親しくしている高崎総合病院に研究員として潜り込み、今回の一件を調べていたらしい。だが、なかなか有力な情報が掴めず切り口を変えようかと思っていた時に隼があたしを連れて来たようだ。そこで思いついたらしい。近くであたしをアシストすることによって藤堂雅から情報を引き出しやすくした方が早いのではないか、と。男子校に女子が性別を偽って潜入するとなると、今回の身体測定のようなドッキリが他にもあるかもしれない。そうなった時にバレないようにフォローするための要員という位置づけで今回秀麗学院へ配置転換が許されたそうだ。
藤堂グループには既に仲間が潜入して情報を集めているらしい。その人は藤堂猛に好かれ、打ち合わせや会食などの様々な場所に連れて行かれるまでになり、信用をガッチリと掴み取っているらしい。そこまでなるのに、約十年。
元々有名企業には仲間が数人配属されているらしい。何かあった時にすぐに動向を掴むことができ、情報を得ることができるからだそうだ。
今回疑われているのは、藤堂グループがとある政治家に贈賄を行っているというもの。政界に強力なコネを作ることによって、藤堂に有利な制度運営を図っていると見られている。その疑いが掛けられている理由としては、その政治家と会う度に敢えて人払いを行い、二人きりで話をしているからのようだ。
「それで……、君の方では藤堂グループの情報収集はどうなっている?」
朔夜が首から掛けていた聴診器を外し、耳当てる。あたしはワイシャツのボタンを外して前を開けた。ひんやりと冷たい感覚が心臓付近を移動する。
「いやぁ……、まだ何とも……」
皆さんがそんなに頑張っていると聞いて、何もしてないとは言えない。でも、原作を知る限りでは藤堂は何も疾しいことはしていないのだから、特に何も調べる必要はないと思うんだよね。細かい内容までは憶えてないけど。と、勿論そんなことも言えない。
「そうか……」
朔夜は聴診器を外して小さく溜息をついてから、情報共有だ、と言って一つ教えてくれた。
「藤堂猛と噂されている政治家は、大学の同期だったそうだ。名は――」
ガチャガチャガチャと開かないドアをスライドさせようとした後、ドンドンドンッとドアを乱暴に叩く音が耳朶を打った。あたしも朔夜も一斉にそちらに目を向けた。あたしはシャツのボタンを留める手を早める。
朔夜はあたしが頷くのを合図にして、ドアの鍵を解除した。
「月影先生……って、ん?」
怪我をした野球部とかサッカー部とかの人だと思ったら、そこに立っていたのは高崎隼だった。彼は窓とカーテンが完全に閉まった保健室を見て、その空間にあたしと朔夜しかいないのを見て、しかも最悪なことに慌てて留めたあたしのワイシャツのボタンが一段ずれていたのを見て、何かを悟ったらしい。
「俺、邪魔したみてーだな。悪かった」
それだけ言い残し、隼はドアを静かに閉めた。
「おい隼! 誤解だって!!」
あたしは彼を引き留めようとドアに走る。朔夜はただいつも通りそこに立っていた。
「先生も何で何も言わないんですか!」
「何の話だ?」
「……………」
何て感度が低いんだっ!!
その後あたしは天然鈍感さんを放置し、必死の形相で高崎隼を追って誤解を解いたのだった。
何であたしはこんなどうでもいいことのために全力で走ってんだよ!!
何だか凄く疲れた一日だった。