第15話
絢爛学園メンバーの別荘からの帰り道。雨はすっかり上がり、雲の間から少し弱くなった日差しが降り注がれる。足元から生える芝や森の葉からは雨露がきらりと滴り落ちる。
あたしは昴から借りた服を返し、乾燥機に入れられ少し縮んだ自分の服を着て彼らの別荘を後にした。
「それにしても、どうして雅は昴にあんなに敵意を剥き出しにしてたんだろう?」
何も言わずスタスタと先を歩く雅の背中を見つめながら、あたしは言葉を漏らす。
「それはなー、昔から昴が雅に嫌がらせしてたからだと思うぞ」
少し前を歩いていた隼があたしの声に反応して振り返る。
リアル目の上のたんこぶ。頬も赤く膨らんでいる。にっと笑うと前歯が欠けているのが分かった。
うわあ……。折角のイケメン設定なのに何か残念だ……。
あの別荘を出てから、隼は雅にボコボコにされました。まあ、当然ですな。
「嫌がらせって?」
「藤堂グループや漣ホールディングスレベルになると何年か一度パーティーがあるんだけど、そこで昴は色んな仕掛けを施して雅をほとほと困らせていたってわけなんだ」
あたしの問いに答えたのは、右隣で歩みを合わせてくれていた麗だった。
「仕掛けって一体どんな……?」
首を傾げるあたしに、麗は丁寧に説明を始める。
「パーティーでは参集して下さったお客様に楽しんでもらおうと余興を用意することになっているんだけど、漣ホールディングスのその余興に小細工を加えて雅にだけ無理難題を出していたんだよ。例えばそうだな……」
麗が顎に手を当てて、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「雅がまだ七歳の時だったと思う。借り物競争が余興として用意されていたんだけど、雅の引いた紙に書いてあったのが〝へび〟。雅が紙に書いてある文字を見つめながら静かに怒りに身を沈めている姿、容易に想像できるでしょ?」
……いとも簡単に想像できますね。
「でも普通、蛇なんてパーティー会場にいないですよね?」
「それが……いたんだよね」
「え……」
「パーティーが行われていた漣ホールディングスの本社の一室に、昴が蛇を野放しにしていたんだ」
「…………………」
「負けず嫌いの雅は勿論その部屋に向かったわけなんだけど、蛇だよ? そんなの七歳の男の子が一人で捉まえられるわけなくて。昴は同じ部屋にいて薄ら笑いを浮かべながら高みの見物。とっくに余興の時間は終わってお客様は皆帰り始めたけど、雅は相変わらず蛇を捉まえようと孤軍奮闘。そんなことをしていると知った両父親はその余興を中止させ、昴は勿論怒られ、雅もそんなことに構うんじゃないと怒られた。……今まで何でも一人でやってきた雅に初めて〝出来なかった〟を経験させたのが昴だったんだ」
蛇は昴の執事が彼に唆されて用意してしまったものらしい。蛇のいる一室に流と麗もいたようだが、麗は雅の性格をよく知っていたので敢えて止めることもせず、その場を見守っていたらしい。流は無言で蛇を必死に捕まえようとする雅を目で追っていたようだ。
「十二歳の時は宝探し。普通の人はヒントを頼りに会場内にある宝物を探し当てるっていうシンプルなものだったんだけど、雅の宝探しは〝俺〟探しだったんだ」
「は?」
あたしが腑抜けた声を上げる。
「俺、昴に捕まっちゃって、口にガムテ貼られてどこかに隠されちゃったんだ。で、昴は雅にノーヒントで俺を探させるように仕向けたってわけなんだ。捕まった時は正直かなりびっくりしたよ」
麗さん笑ってますが、それって拉致では……?
「それも結局時間内に見つけること叶わず、再び雅に〝出来なかった〟を与えたんだ」
雅の性格を考えると、昴からの挑戦は相当悔しかったに違いない。
あたしが昴と話していた時にあんなに敵意剥き出しに彼を牽制していたのは、きっと過去に一度麗を人質に取られていたから。
そう考えてあたしは立ち止まった。
本当に昴は人にそんな酷いことをしても何も思わない人なのかな……?
「遥ー、どうかしたか?」
「え、ううん。何でもない」
あたしは隼にそう答えると、走って皆を追いかけた。
「スターダストマッシュルームは持っているんだろうな……?」
雅が片手に包丁を持ちながら、恐ろしい形相をしてあたしに顔を近づける。
「ももも、持っていますとも!」
別荘に着いて早々このやり取り。まあ、もう五時過ぎているのだから夕食の支度を始めなくてはいけない時間なのだが。
あたしは急いでポーチの中を漁り、震える手で黒いキノコを取り出す。雅はそれを受け取りまじまじと見つめ呟いた。
「本当にあったんだな……」
存在するもの探させてたんじゃないのかよ!?
雅はそれを手に調理を始め、一時間後机の上に何とも美しい料理の数々が並んだ。それは夕食といった感じではなく、料理の試食会といった感じだった。大きな白いお皿の中央に料理が盛られている。
「あの……、因みにスターダストマッシュルームが使われている一品はどちらで?」
あたしの質問に雅が一つの皿を指差した。オレンジ色のソースがお洒落にかかった白身魚の上の緑の葉の上に黒っぽい削り節のようなものが載っている。
「もしかしてこれが?」
眉を顰めるあたしに雅が一言。
「いいから食べてみろ」
あたしは彼に言われるまま、魚を解しスターダストマッシュルームと共に口に放り込んだ。
こ、これはっ……!!
あたしは目を見開き、思わず舌鼓を打った。
口の中ですぐに分解されるほど柔らかくジューシーな白身魚に酸味のきいたソースが絡みつく。そこにコクがあり蕩けるスターダストマッシュルームが加わり、何とも言葉では表現できない三重奏を奏でている。
「どうだ?」
雅の問いにあたしはただコクコクと何度も首を上下させる。雅はその様子に満足したように笑みを溢した。
何だか今日一日は凄く長かったな……。
そんな感想を抱き、あたしはベッドの上で大の字になっていた。するとドアがトントントンと鳴る音が聞こえた。
誰だろう? と思い、あたしは体を起こして、部屋のドアを引く。
「……雅?」
「ちょっといいか?」
「う、うん」
あたしは雅を部屋に入れ、ドアを閉めた。彼はドアの近くで立ったまま動かない。視線を斜め下に保ったまま、少し恥ずかしそうに王子声を発した。
「……今日はその……悪かったな」
ん? あの天下の雅様がもしかして今謝ってます?
「悪かったって何のこと?」
あたしの問いに、雅は一瞥してすぐに視線を元に戻す。
「……何って一人でスターダストマッシュルーム取りに行かせたことだよ」
「ああ! 何だそんなこと」
あたしはベッドに座ろうと、くるりと向きを変えた。その直後、事件は起こった。
スリッパを履いていた足が床に伸びていたコードに引っかかり、そのコードは勢いよくコンセントから抜け足首に巻きつき、あたしの体が前面に傾いた。
「何だそんなことって……おい!」
雅は、うわあっ! と声を上げる倒れ際のあたしに気付き、急いで手を伸ばした。
ガチャガチャドタンッ!
何が起きたのか分からない。あたしは薄らと目を開けて、絶句した。
仰向けのあたしに雅がうつ伏せになって重なるように横になっていた。あたしの頭の下には雅の骨ばった手が添えられ、保護されている。
あたしのこと庇ってくれたんだ……。
そんなことを思ってから、あたしはとある妙な感覚にワンテンポ遅れて気が付いた。その妙な感覚のする部分に目をやる。
あたしの胸に雅の片手が思いっきり乗っている。
そういえば、西條遥が藤堂雅に女だとバレたのも合宿中だったんだった!
「――西條、大丈夫だったか? ん?」
雅は上体を起こし、あたしの胸から手を離す。彼はその手を暫し見つめてから、あたしに目を移した。
「お前……」
あたしも体を起こし、ごくんと唾を呑み込んだ。ついにこの時がきたのね……!
あたしは静かに雅の次の言葉を待つ。
「――何だ、そのヒヨった体は!」
「ヒヨッ……!?」
「もっと体鍛えた方がいいぞ。じゃないと、コンペのオールマイティー枠なんて無理だ」
「……は?」
あたしは素頓狂な声を上げた。
「何が出るか分からない以上、頭脳と体はどちらも鍛えておくべきだ。西條、お前は俺たち他のメンバーの足を引っ張る気か?」
「い、いやそんなつもりは……」
雅は立ち上がり、あたしにビシッと指を指した。
「明日からは半日ずつ体と頭を鍛えるメニューをこなしてもらう。俺が作るんだから感謝しろよ」
雅は不敵な笑みを残してその場から姿を消した。ドアがバタンと閉まる音が空しく響く。
「……この状況は一体?」
あたしは脱力してその場に両手を着いた。
どういうこと? 女だとバレなかった……? 思いっきり触ったくせに気付かないなんて、そんなことって有り得るの!?
あたしはがっくりと項垂れる。
いくらペッタンコだからって、流石にそれはないよ……、とある程度のショックを受けた後、急にあたしの顔が青ざめた。
今のイベントでバレなかったということは、今後あたしが女だと気付いてもらうのは至難の業。西條遥が女だと分かることによって今後の雅の態度が変わってくるにもかかわらず、バレなかったということは今まで通り。それはつまり、今後の話の展開に大きく影響するってことでは……?
あたしがいきなり全裸を雅に公開するなんて明らかに不自然だし、そんなのあたしもやりたくないし、そもそもそんな勇気はありません。そこまで考えて、ヤバいという単語が脳内を駆け巡り始めた。
やがて頭から湯気が立ち上り、あたしは床に倒れた。先が見えない。打つ手なし。
次の日、雅は有言実行。強化メニューを作成し、あたしは有無を言わさずそれに従わされ、基礎体力作りのために筋トレやらマラソンやらをさせられましてございます。
そんなこんなで王子部の合宿は幕を閉じ、あたしたちは二学期のイベントへと向かうのでした。
*
『秀麗学院高校の講師?』
「はい」
彼女は携帯電話を片耳に当て、頷いた。
『できないことはないが……、一体どういう理由かね?』
「やはり近くにいた方が、何かと動きやすいと思いましてね」
『そうだな……』
沈黙。電話の向こうで熟考している気配を感じる。
『……承認しよう。二学期から秀麗学院高校の講師として月影くんを招き入れるよう手筈を整えておく』
低い年配男性の声にお礼を言ってから、月影朔夜は携帯を閉じた。窓から吹き込む風が白いカーテンを揺らす。
朔夜は白衣のポケットから煙草を取り出し、ライターで火を点けた。それから、パソコン画面に映った個人情報に目を移す。
「やはり近くにいないとな」
彼女はふーっと白い煙を吐き出した。