第13話
レーダーを手に森の奥に進むこと四十分。
「何であたしがこんな目に……」
行けども行けども緑。額から吹き出す汗をTシャツの袖で拭う。スニーカーも蒸れて気持ち悪い。
完全に一人。隼が一緒に付いて来てくれると志願してくれたものの、雅が一言「そんな必要はない」。鬼! 悪魔!!
レーダーに目をやると、どうやらスターダストマッシュルームに近づいているようだ。自分のいる位置は青い光が点滅している。あたしに取り付けられたGPSに反応しているらしい。
「もうちょっとか……」
あたしは気を取り直して歩き始めた。そして頑張り続けること二十分。
「ま……まさかこれが……!?」
とある幹の太い木の根元、裂け目の隙間から一本ソレは生えていた。
恐る恐る近づき、よーく目を凝らして見る。すると、確かに細かい星形の模様が散りばめられてあった。
何となく素手で触るのに抵抗があったため、軍手を嵌めて幹から引き離す。
「これでミッションコンプリートっと」
あたしは伝説のキノコをポーチに仕舞い、元来た道を引き返した。……引き返しているつもりだった。が、しかし。
「……完全に迷子った」
レーダーを見ても、赤と青の光が重なって同時に動くだけ。念のため持ってきたコンパスはクルクルと回転している。ここ磁場どうなってんの……? 地図を広げても、現在地が分からなければ話にならない。それに、自慢じゃないがほとんど地図は読めない。所縁ある土地ならいざ知らず、未知の土地ではそれはほとんどの場合で役に立たない。
「これは完全にマズいな……」
助けを呼ぼうと携帯を開くが、圏外。更にマズいことに、ぽつぽつと雨も降ってきた。
ここにいてもしょうがない。とりあえず、勘を頼りに走ろう!
そう決めて自分の第六感を信じ、あたしは突き進んだ。
*
「なあ、雅。やっぱり一人で行かせたのはマズかったんじゃないか?」
共有スペースでソファに座りパソコン画面を見つめる雅の後ろで、隼が窓の外を覗いた。
雨はザーザーと豪雨。しかもピカッゴロゴロゴロと雷まで。一時間前からこんな調子だ。
「遥が出て行ってからもう二時間経つぞ。流石に遅すぎる」
隼の声に若干の苛立ちが混じる。
「先輩、傘持ってましたっけ?」
奏も隼の隣で心配そうに外を覗く。
「確か、西條くんのポーチの中は、レーダーと携帯、ここら辺の地図とコンパスくらいだったと思うけど……。森の中だと携帯で連絡を取り合うのは期待できそうにないね」
麗はそう言いながらも、確かめるように携帯で電話をかける。だが、やはり繋がらない。
奏はテレビの電源を入れた。データ放送で天気予報を見る。
「まだ止みそうにないですね……」
「……………………」
雅は急に立ち上がり、部屋を出た。
「おい、どこ行くんだよ!?」
玄関で隼が雅の腕を掴む。
「どこって決まってんだろ」
雅が麗の腕を振り払う。だが、隼は反対の手で素早く雅の腕を掴んだ。
「離せよ!」
「冷静になれ、雅。お前らしくもない。こんな中お前一人で行ってどうすんだよ!? 遥がどこにいるかも分からないのに、森の中に一人で突っ込むなんて自殺行為だ!」
「それでもここでじっとしているよりマシだ!」
四人が玄関の前に集まっていると、紳爺が近づいてきた。
「西條様のことをご心配になっているのですよね?」
彼の声に、四人が一斉に振り向く。
「確か、スターダストマッシュルームには極微量な電波が出ているのではありませんでしたかな?」
四人は顔を見合わせた。
「その手がありましたね!」
麗が手をポンと叩き、雅はニッと笑った。だが、その様子に慌てる隼。
「ちょっと待てよ! レーダーは遥が持ってっちまったじゃねーか!?」
雅は左手を隼の左肩に軽く乗せた。
「故障したときのためにレーダーの予備がもう一台ある」
「おお!」
隼は感動の声を上げてから麗と雅の後に続き、麗の部屋へ直行した。奏もそれに続き、紳爺の横を通り過ぎざま笑顔を向けた。
「紳爺、ありがとう」
「いいえ、坊ちゃま。勿体のうお言葉でございます。わたくしはただ少し思うところを申しただけでございますので」
紳爺はくしゃっとした笑顔を見せ、右手を腹部に当てて一礼した。
*
「ここは一体……?」
あたしは雨が音を立てて降り続けている中びしょびしょになりながら、ある屋敷の前に立ち尽くしていた。石でできているようなグレーの洗練された洋館。三階建てほどの大きさで、白枠の細長い窓がいくつもはめられていた。何故だかイギリスの田舎の方にある情緒ある家を思い起こさせるような、そんな家だった。イギリスなんて行ったことないけど、多分そんな感じ。
森で迷子になり途方に暮れ、勘を頼りに走ってきたらここに辿り着いたというわけだ。
ピカッゴロゴロゴロッ!!
「うわあ!」
あたしは頭を抱えて、洋館の入口に走った。入口の部分は四つの柱に囲まれ、天井が付いていた。その上は二階の広いテラスになっているようだ。
とりあえず雨が止むまで入口にいさせてもらってもいいよね……?
あたしは一先ずドアの横に座り込み、壁に背を着けた。体育座りで体を丸める。髪から雨粒が滴る。濡れた服が密着し、気持ち悪い。
洋服が乾く前に雅たちに会ったら、すぐに女だってバレるな。
マンガではよくサラシを巻いているが、あたしはそんなもの巻いていない。胸を締め付けるなんて良くないし、あまり必要性を感じていなかったからだ。自分の胸を見て深く溜息。
――――ガチャッ
突然の音にあたしは体を強張らせた。息を殺して微動だにしない。
右横で扇状に開いた黒い扉は、ギィーッという重々しい音を立ててあたしに迫ってきた。
ぶっ、ぶつかるぅー!!
あたしの体に当たるか当たらないかの瀬戸際で扉は静止した。そして、中から誰かが出てきた。その人は扉から手を離し、三、四歩前進して屋根のあるぎりぎりまで外に出る。扉は再び音を立ててゆっくりと閉まった。
彼はそこで暫し外を眺めてから、洋館に戻ろうと振り返りあたしと目が合った。怜悧な顔つき、美しい瞳、艶のある黒髪。薄水色の五分袖のポロシャツを着て、少し丈が短いジーンズを穿いていた。ワットアビューティフルボーイ!!
「……………………」
あたしが微妙に鼻血を出しそうになりながらキラキラした目を向けていると、彼はあたしを見つめてから近づいてきた。かと思ったら、普通に扉を開けて中に入っただけだった。ガチャンと扉が閉まる。
「っておい! 人がびしょ濡れになって身を抱えてるのに無視かよっ!」
あたしは彼の粗末な扱いに、思わず大声でそう叫び扉をドンドンと叩いてしまった。こんな展開どこかでもあったような……。デジャブ。
ガチャッと再び扉の音がした。どうやら開けてくれたようだ。中からビューティフルボーイが出てくる。
「入れ」
彼は一言そう言い放つのと同時に、少し大きめの白いタオルをあたしの頭の上にふわっと乗せた。あたしは頭の上のタオルを掴み、言われるまま中に入る。
もしかしてタオルを取ってくるために一度洋館の中に入ったのかな?
洋館の中は、全て模様が描かれた薄いグレーの絨毯敷き。キャメル色のような艶のある木が外観とは違う温かみある雰囲気を醸し出す。入口右の方には緩い螺旋状の階段が二階へと続いていた。廊下に所々設置されたオレンジの光が漏れ出るライトが見事だ。
「流、どこ行ってたんだよ」
廊下二番目の扉の左の部屋に入り、あたしと同年代くらいの男の子がビューティフルボーイに近づいた。どうやら彼の名前は流というらしい。
ん? 流? どこかで聞いたことがあるような……。
部屋には四人の男子がいた。一人はメガネ。二人は同じ顔。今話しかけていたのはハーフ。見た目から察するに、日本人とフランス人という鉄壁の組み合わせ。まあとにかく、何とも個性豊かなことで。
ハーフは流に話しかけてから、後ろにいるあたしに気付いて目を向けた。
「……こいつ誰?」
眉を吊り上げ顔を近づけ、まじまじと見つめる。
「さあ。入口にいたから拾ってきた」
「人を犬みたいに言うなっ!」
ビューティフルボーイ、少々お口が悪いですことね。
「とりあえずシャワー浴びて来い。そんな格好でうろつかれるのは迷惑だ」
あたしは彼の視線の先を辿った。あたしが歩いたと思われる場所の絨毯が水で濃く変色していた。
「……すんません」
あたしはシャワールームに案内された。何だかよく分からないが、大理石でできていると思われる無駄に豪華なシャワールームだった。
「着替えはお前が出てくるまでにここに置いておく。タオルと石鹸類はこれ使え」
流はあたしに手渡すと、すぐにガチャンとドアを閉めてしまった。
「………………」
あたしは濡れて生暖かくなった服を脱ぎ、シャワールームに入った。
シャワーの水圧で体の汗を拭い去りながら、あたしは考える。
奏の別荘を出てから、かれこれ二時間以上が経つけど、みんなに連絡してなくて平気かな?
携帯の電池が切れてしまい、どうにもこうにも連絡できなかったのだ。
充電させてもらって連絡を入れようかな? でも、そもそも心配してなかったりして。
あたしはシャワーを持つ手を止めた。
みんなあたしのことどう思ってんだろ?
キュッキュッとシャワーの蛇口を捻った。ぽたっぽたっと雫が落ちる。
あたしはタオルを手に前をちょっと隠しつつシャワールームの扉を開けた。
「―――――っ!?」
扉が横にスライドし、あたしの視界に入って来たのはハーフだった。服を手に、思いっきりこっちを見ている。超ガン見。心なしかタオルを当てている辺りを見ているような……?
驚きのあまり顎が外れそうになるほど口が開いた。超マヌケ面。
何も考えずシャワールームの扉を開けたあたしも相当悪い。だけど、シャワーから出てくるまでに置いとけよこの野郎!
「じゃ、着替えここに置いとくから」
ハーフは脱衣籠に服を入れると、それ以上何も言わず出て行った。
……あれ? 意外と普通? 自分で言いたくないけど、あたしの胸がペッタンコだから気付かれなかったのかな?
初めて胸が平らに近くて良かったと思いながら、顎をカックンと元に戻し、用意された男物の服に着替えた。半袖のTシャツのはずが五分袖に、八分丈のジーンズのはずが十分丈になった。まあどちらもダボッとしているのだが。というか、下着がスースーして感じ悪い。
あたしは濡れた自分の服を抱え、扉を開けた。
「―――――っ!?」
扉を開けると、そこには若干異国の雰囲気を纏った貴族っぽい艶美な男の子が腕を組んで壁に寄りかかって立っていた。栗色の髪、透き通った瞳、シャープな輪郭。……はい、ハーフのことです。つーか、何でまだこいつがいるんだよ!!
彼が閉じていた瞳を開き、横目でこちらを見る。何だか鼻の奥がツンとした。
「濡れた服洗濯しますよ、お嬢様」
「あ、ああ、そりゃどうも……」
手を差し出され、あたしは反射的に手元の服をその上に乗せ、硬直した。
「……って、おれはお嬢様じゃねぇっつーの!!」
そう言って、彼に差し出した洋服を引っ込めようとしたが遅かった。ハーフはさっと濡れた服を取り上げ、にやりとしながら一つの下着を摘まみ出した。
「じゃあこれは一体何かな?」
「そ、それは……!」
スポーツブラ! 普通のブラジャーだとガラガラしてるのが多いから、目立たないようにスポーツブラ愛用してるんですよ! それの何が悪いんですかっ!!
「返せよ!!」
あたしはプランプランとスポーツブラを振っているハーフから取り戻そうと手を伸ばす。が、ひょいっと上に持ち上げられてしまった。ジャンプするが届かない。
「卑怯だぞ!!」
「卑怯? そんな失礼なこと言っていいのかなー? あんたが今着てる服、それ俺のだぜ?」
ゲッ! と思いながら服に目をやる。
「それに、俺は親切にもあんたの汚れた服を洗濯して差し上げると言ってるのに、感謝されることはあっても、罵声を浴びせられる覚えはないんだけどなあ」
何だかこいつの笑いは鼻につく。
「で? 何でそんな必死に男のフリしてるわけ?」
ハーフが背を壁につけるあたしの左側に片手をつけ、顔を近づける。反射的に顔を右へ逸らした。
「別に……お前には関係ないだろ」
「ふーん、いいんだ? そんなこと言って」
「どういうことだよ」
「バラしちゃうよ?」
「……………………」
こいつ超超超ムカつくっ!!
歯噛みして拳を握りしめるあたしだが、ふと気付く。別にここにいる奴らにバレたところでどうだっていいじゃん。
「……別にバラしたきゃバラせばいいだろ!」
と、ちょっと強気に言ってみる。
どうだ! と思っていたら、ハーフは更に楽しそうに言った。
「本当にいいんだ?」
すぐに彼の言葉の真意が分かった。
「西條! どこにいる!?」
「おーい、はーるかー」
よく知る声が耳朶を打つ。
「雅……? それに隼!?」