プロローグ
いつからだっただろう。経験し得なかった高校青春ライフを夢見て、何度も過去に戻りたいと願うようになったのは。
タイムマシンの本を読み漁って研究し、実際に部品を集めて組み立て、完成したと思ってスイッチを押した途端に目の前で黒煙を吐き出して崩壊したり――、とまあ流石にそれは冗談だけど、それくらい、二度と戻らない、絶対に巻き戻すことができない青春時間を求めていたのは本当だ。
中高は私立の女子一貫校。それだけ聞くとあたしが凄くお嬢様のように聞こえるかもしれないけど、そんなことはない。男子がいないせいで、全く人目を気にしないような言動をする彼女たちを見てドン引きし、彼らの仲間にはならないと固く誓い、朱に交わらないように六年間耐え忍んできた。
でも、六年間は長い。どうやってあたしがその長い期間、彼らの仲間になることなく生きていけたかというと、それは偏に素晴らしき日本文化の結晶――マンガのお陰である! きっとあたしはコレがなければ、真っ赤に染まっていたに違いない。他にやることもなかったしね。
まあそのマンガの凄いこと。中学までは少年マンガにハマり、カッコいい男の子がカッコよく敵を倒す姿に惚れ惚れしていた。だけど高校生にもなると、今度は少女マンガを読む頻度が増えてきた。何がいいって、主人公の相手役は必ずイケメンで、主人公を大切にしてくれて、女の子扱いしてくれて、さり気ない優しさがあって、運動神経が良くて、頼りがいがあって――何より裏切らない!! 一言でいうと、完璧。
マンガの主人公が青春を謳歌する高校生という時間に、あたしは一体全体どうして、何が楽しくて女子校という名の檻に入ってしまったのだろうか。とはいっても、学生生活といえばまだ大学があるじゃないか。そう思って一念発起。共学校を目指し、ある程度の有名校に進学。でも、そこであたしを待ち受けていたのは、絶望だった。――別に、白馬に乗った王子様が自分を迎えに来てくれるとか、そんなことを期待してたわけじゃない。だって、白馬に乗って来られてもドン引くだけでしょ。……まあそれは置いといて、大学生って言ったら結構大人だって思ってた。小学校時代で男の子の記憶が止まってるあたしなんて尚更。だけど実際は、デリカシーはない、話は下ネタばかり、自己中……。有り得ない! ……ただ、ちょっとはいたっていいじゃん! 爽やかで、ジェントルメンな奴、出てこいや――――!!
………………………。
どこで間違えたんだろうね。きっと原因は、小学校のクラスメイトだと思う。あたしの小学校は荒れてて、男の子が女の子に暴力振るったりするのが日常茶飯事だった。地元の中学も荒れていたから親が私立中学を勧めてきたんだと思う。塾に通わせられ、志望校を訊かれ、迷わずあたしが選んだのが女子校だった。男の子は暴力を振るう存在で、あたしにとっては害でしかないと思ってたから、そいつらが存在しない学校が存在することに、当時のあたしは至上の喜びを見出したに違いない。あんまり憶えてないけど。でも残念なことに、中学に行ったら荒れていた男子たちは比較的大人しくなってしまい、荒れていた中学も荒れていた人たちが卒業して比較的平和になってしまい、地元の中学に進学した友達からは運動会や修学旅行といったイベントの度に楽しそうなメールが届いた。
そう。あたしはこうして、自らの手で自らの高校青春ライフを手放してしまったのだ。
「ふぅ……」
あたしは深く息を吐いて、そのまま自室のベッドに倒れ込んだ。
こんな風に現在に退屈している時は、非日常の空間へ誘ってくれるマンガを読むに限る。
あたしは数年前に本屋で買った『ファンタジックメモリアル』(略して『ファンメモ』)を手に取った。全十巻完結の少女マンガである。
何故そのマンガを手に取ったかというと、目についたから。それと、久々に読みたくなったから。
主人公の西條遥は、普通の女子高生――じゃなくて、彼女の裏の顔はある事件を追うスパイである。彼女はアメリカにいた時に素質を見抜かれてCIAから推薦され、日本担当の諜報員として活動している。勿論、英語はペラペーラ。あ、因みに、何で高校生なんかがCIAから推薦されるんだって質問はやめてね。そんなのあたしが知ってるわけないんだから。ファンメモの作者に訊いてよ。
遥が追う事件は、世界にもグループ会社を持つ大金持ち〝藤堂グループ〟の贈賄疑惑の真偽を確かめること。で、その藤堂グループの息子、藤堂雅が通う男子校に潜入し、遥はスパイとしての仕事を進める。
遥は雅と行動を共にすることにより、彼に惹かれていく。で、お約束の展開。途中で女であることがバレ、雅も遥を意識し始める。彼女がスパイであることもバレ、雅は困惑するけど、それでも彼女を好きな自分に気付く。
結局、その贈賄事件は噂であるということが分かり、藤堂グループがお咎めを受けることもなく、遥はCIAを抜けた。普通の女子高生に戻るために学校は移ったものの、二人は晴れてカップルになった――という話だ。
あたしは一巻の表紙を捲った。主人公の遥と、その横にキリッとした表情を見せる藤堂雅が描かれていた。
やっぱいい……! 雅、めちゃくちゃカッコいいです!! あたしも西條遥みたいになれたらな……。
「恋、ご飯よー」
下からママの声が聞こえる。晩御飯ができたようだ。時計を見ると、七時丁度。
「はーい」
あたしはファンメモに目を通しながら、部屋のドアへ向かった。
「え」
突然、何かに躓いた。そしてあたしはファンメモを開いたまま、前のめりに倒れ込んだ。
「恋! ご飯だって言ったでしょ!!」
ママさんが勢いよく娘の部屋のドアを開ける。だがそこに恋はいなかった。
「恋?」
どこに行っちゃったのかしら、と独り言を呟いて、ママさんは部屋を出て行った。部屋の床に落ちた、一冊のマンガを一瞥して――。