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闇に恋して  作者: 冴島月ノ助
君に捧ぐソナタ
97/126

Etude

 それは高二のあたしに訪れた一生忘れる事のない、特別な夏休み。




 雪花学園は終業式を迎え、夏休みに突入しようとしていた。


「チッ……なんだよ、さやの奴」

「何? どうした?」

「今日も一緒に帰れねーって」

「あ、お前またなんかしたんだろ?」

「ちっげーよ! アイツにも色々あんの」

「…………」

「何だよ、その顔……」

「いや、なんか珍しいなって思って」

「うるせーよ。置いてくぞ」

「あ、待てって」


 藤代は珍しく、三日ほど彼女からお預けを食らっていた――というのも、紗弥加に大事な用事が出来てしばらく会えないと言うのだ。

 いつも以上にイライラして、舌打ちの嵐が止まらない。

 こうして終業式の今日も仕方なく篠宮と帰る羽目になるのだった。



 ***



「はぁ……早く司と会いたい」

「もう! 何言ってるの、さやちゃん! こんなチャンスめったにないって言ってたじゃん」

「ひろちゃん……うん、頑張る!」

「偉い偉い! 頑張ってきてね」

「うん。行ってきまーす」


 手を振ると、ひろちゃんは笑顔で送り出してくれた。

 でも、司と会えなくて寂しいの半分。ウキウキ半分な自分もいる。


「あ……」


 不意に耳をかすめる音色に胸が高鳴った。

 一気に旧校舎の階段を駆け上がると、誰もいない廊下。ピアノの音だけが静かにあたしの元に届いた。

 音楽室へと向かう足取りは軽く跳ねる。



 始まりはそう、一週間前。



 ***



「え? あたしが!?」

「そう。アルトサックスのコンクール珍しいから、どうかと思って」


 嶋ちゃんはヘラリと笑って、軽くとんでもない事を言った。

 文化祭の日。いつもの調子で『アルサク頼むわ』と言われて、定演会のソロパートの話しだろうと軽い気持ちでOKしたのだが……そんな単純な話ではなかったらしい。


「あたし、そんな大会とか出た事ないし! まず目指した事ないし!」

「でも、もう、伴奏のピアニスト頼んじゃったもん」

「ええ!? 嶋ちゃんこんな時ばっか仕事早い!」

「出来る先生だろー? うちのクラスの生徒だから頼みやすくて」

「え、誰!?」

「あぁ、そういえば音楽室に呼び出してるから、行って」

「はい?」

「待たせてるから、ほら、早く!」

「え、あ? ……えッ?」


(そんないきなり言われても……伴奏って誰だよ〜。気難しい子とかだったら、ヤダなぁ〜)


 色々な事が頭を駆け巡る。それでも仕方なく音楽室へと向かった。


「……ッ、?」


 窓が開いているのだろうか?

 防音完備の音楽室から微かに漏れるピアノの音。


「嘘……」


(このピアノ、まさか……!?)


 あたしは音楽室へと続く階段を一気に駆け上がった。




 遅刻した新学期の日。

 体育館への近道。

 裏庭からテニスコートの角を曲がった。

 始業式はとっくに始まっている時間。

 誰もいるはずのない校舎から、不意にそのピアノの音色は届いた。

 それ以来聞く事のなかったピアノ。

 ずっと……気になっていた。

 一体どんな人が、弾いていたのか、って。

 何故かあたしの心に、引っ掛かって消えなかった。




(あの時のピアノだ……!)


 音色を聞いて、すぐに分かった。

 高鳴る鼓動を抑えられないまま、音楽室のドアに手をかける。

 弾む息を整えるように大きく深呼吸をして、思い切りそのドアを開けた。



 ***



 直接耳に届いたそのピアノは、今もあたしの心を震わせる。


「なんだ、さやか先輩。いたなら言ってくださいよ」

「駆くん……」


 不意に止まる演奏。

 まさかあの時のピアノを弾いていたのが駆くんだなんて、思わなかった。

 駆くんの長い指が鍵盤を撫でる。


(もっと聞いていたかったのに……残念)


「好きなの?」

「え?」

「その曲、いつも弾いてる」


 出逢った時も、弾いていた。


「あー、んーまぁ、そんなトコ」


 駆くんは曖昧に、そう答えると笑って目を伏せた。


 ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』


 駆くんの弾くその曲は、いつだって涙が出そうになるくらい切なくて。

 胸が引き裂かれそうになるくらい苦しい。

 そんなピアノは初めて聞いた。

 そして、こんなに心を掴まれたピアノも、初めてだった。


「さやか先輩?」

「……え?」

「練習、始めますか」

「うん!」



 こうしてあたしの永くて短い夏休みが始まった。

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