イザナウ
「…………」
静まり返った放課後の教室。紘乃がここを出て行ってから、一時間が経過してしまった。
(いやいやいやいや。いくら何でも遅くない?)
夏と呼ぶにはまだ早いというのに、真由の額にじんわりと汗が滲む。それが暑いからなのか、冷や汗なのか、それは真由自身にさえ今は分からない。いつの間にか外はすっかり暗くなっていた。
「……どうしよう」
真由は自分が一人で悩んでも答えが出ない事を悟っていた。でも考えるのを止められない。
「やっぱり、あの時……」
真由はついこの間紘乃から聞いた話を思い出していた。あの時自分がもっとちゃんと真剣に聞いていたら。
***
「九条先輩の写真?」
「そうなの! すごい売れ行きでさ」
「そりゃ、あの生徒会の長だからねぇ?」
それまでキャーキャーと騒いでいた紘乃と真由の会話に、納得したように頷いて美月が答えた。
真由と美月は紘乃が内緒で写真の販売を行っている事を知っている数少ない友達だ。いつも紘乃と真由が生徒会の面々に夢中になって盛り上がっている話を、美月はたいてい黙って聞いている。
「おっと、男性恐怖症の美月さんもそう思いますか?」
「そりゃあんなお人と話せないけど、イイ男を愛でるのは別ですよ。遠くから鑑賞する分には害なし」
「だよね~分かる~」
「でもあんまり近づきすぎちゃダメだよ? ひろちゃん」
「え~? なんで~?」
「ほら、あの噂……」
「あー。でも九条先輩だったら、いいかな? なーんて」
「ちょっと!」
「冗談だよ~」
「気をつけてよ? ひろちゃん可愛いし、狙われちゃうよ」
「そんな事ないもん。大丈夫だもん」
「大丈夫じゃないよ! ひろちゃん男子に人気なんだからもっと自覚持って!」
「だからそんな事ないって。ね? 美月ちゃん?」
「いや、紘乃は美人だよ」
「……え、」
突然紘乃は黙り込み、頬を赤めた。そして困ったように笑って真由と顔を見合わせている。
「ん?」
「いやそんな、真顔で言われると、ちょっと、ねぇ?」
「うん、今ちょっとドキドキしちゃった……」
***
(そうだった。あの時は美月ちゃんがいきなり真顔でドキドキする事言うから話が逸れたんだった……)
真由はそこでしっかり注意出来なかった自分を後悔していた。大事な友達を遊んで切り捨てられるなんて、考えたくもない。
美月の言うとおり、紘乃は美人で、それでいて人当たりもよく、もちろん男子から人気だ。
実は一年の文化祭で、学年でミス一位にも選ばれているのだ。しかしその時文化祭実行委員だった紘乃は、表舞台に立ちたくない一心で投票数を操作して自分の名前を揉み消したりもした。
そんな隠れたマドンナな訳だが、草食系男子の多い昨今、高嶺の花過ぎるのかアタックしてくる猛者はなかなかいない。本人は現在彼氏も出来ず、モテないと自称しているのだが、それは単に紘乃がイケメンが好きで理想が高い事も原因の一つである。
でも、だからこそ真由は心配していたのだ。そんな真由が九条に呼び出されるという事がどういう事か。考えれば考える程、悪い想像しか思いつかない。
(九条先輩の噂が本当だとしたら? もしかしたら自分が行っても二人の邪魔をするだけかもしれないけど……ひろちゃんごめん!)
心配がおさまらない真由は、意を決して教室を飛び出した。
【生徒会室前】
「ついに来てしまった……」
他の教室は真っ暗なのに、生徒会室だけはまだ電気が付いてる。とりあえず誰かはいるらしい。
それにしても。省エネだと言って、全校の見本になるべく生徒会室は蛍光灯を半分にしているらしいのだが。
(薄暗くてそれが怖いっ! 逆に目にも悪そうだし、止めた方がいいんじゃ。……ってそんな事考えてる場合じゃなーい!!)
こんな状況で頭の中でノリ突っ込みを披露した自分に、真由は我ながら呆れた。でもそんなつまらない事ばかりが頭を駆け巡る。まるで他の考えたくない事を掻き消すかのように。
しばらく生徒会室の前の廊下をウロウロしてみる。しかしこのままでは埒が明かない。
(しっかりしろ! 真由! ひろちゃんを助けるためなのだ!)
真由は生徒会室の扉に手を掛けて、大きく深呼吸をした。
「おい」
「ひいいいいっ!」
後ろからいきなり声をかけられて、真由は自分でもびっくりするほど変な声を出した。
「お、大久保……?」
「そこで何してる?」
その鋭い目に睨まれて、言い訳も見つからない。
(何、この状況……最悪)
――バタンッ……!
「え、何? 今の……」
突然生徒会室から大きな物音。動けなくなってる真由を気にも留めず、大久保は躊躇せずにそのドアを開けた。
「ひッ……ひろちゃん!?」
真由の目に映ったのは、九条の前に倒れてる紘乃の姿だった。