名前のない気持ち
――ガラッ
生徒会室のドアを開けると、目に飛び込んできたのは大久保に押し倒されている美月の姿。
「…………」
「…………」
――ガラガラガラ……
「ちょおおお!! 待っ!! くまが、ぃく、助け、……」
熊谷が思わず閉めてしまったドアの向こうで、叫ぶ美月の声が消えていく。もう一度ドアを開けると、美月は完全にソファに埋もれていた。
「え、ちょっ、大丈夫!? 安倍ちゃん!?」
「ゼンゼン大丈夫ジャアリマセン……」
「ちょっと待って。今助けるから」
何とか上半身だけ引っ張り出して、上体を起こせるようにすると、美月は大きく息を吸って大きく吐き出した。
「ありがとう熊谷くん」
「いや、別にいいんだけど、なんであんな状況に……?」
大久保は完全に気を失っている。しかしどうやら想像した最悪の事態ではないようなので、熊谷はホッとした。
「うん。その前にこの人何とかして」
今の美月は俗に言う膝枕状態。未だに自分の膝で眠る大久保を指差して、顔を引き攣らせている。
「それなんだけど、しばらくそのままにしてあげてくれない?」
「え゛え!? なんで!?」
顔面蒼白な美月を見ていると、非常に頼みづらい状況であるのだが。それに美月の膝に誰かが寝ている事など、熊谷は何故だかとても嫌な気がした。
それでも。
「大久保が誰か他の人に触れられる機会って珍しいっていうか……」
「そう、なの?」
「最近ずっと九条先輩の氣も拒否ってたみたいだし」
「そうなんだ……?」
「しばらくそうしてあげて?」
「んー……」
美月はしばらく唸るように考えた後、『じゃあそれ貸して』と、熊谷の学ランを指差した。
「これ?」
「そうそう」
美月は熊谷からそれを受け取ると、大久保の顔に被せて見えないようにした。
(……なんか大久保苦しそうだけど)
「あー、この方が楽」
「楽って……普通女のコって大久保とそんな事になったら泣いて喜ぶんじゃない?」
「あーあたし無理! 男子全般ドキドキしちゃって基本話せないし」
「俺は?」
「うん?」
「俺も一応男なんだけど……」
「うん」
「……ドキドキ、しないの?」
不意に胸を霞めた疑問が、口をついて出てしまった。
聞かれた美月は、よく分からないといった顔で熊谷を見つめる。
(何聞いてんだ、俺……?)
だけど、答えが気になって仕方なかった。
「熊谷くん……?」
美月は少し首を傾げて。
「うーん。ドキドキより、ふわふわ」
「え、ふわふわ!?」
(ふわふわ……ってどんなだ?)
熊谷の心の声が聞こえたのか、美月はにっこり笑って『おばあちゃんになってもずっと一緒にいたいカンジ』と付け足した。
(ずっと、一緒に……?)
恥ずかしそうに美月が笑う。
「えへへ。なんか変かな……?」
「いや、変じゃない。変じゃないよ!」
「そう? ……ありがと」
「ううん。俺も、なんか、ありがとう」
下を向いて顔を赤くしてしまった美月を見ていたら、熊谷はとても温かい気持ちになった。
(俺でもまだこんな気持ちになれるんだ……?)
それはまだ、自分が人間と同じだと信じていた幼い頃に感じた、ほろ苦くて甘い胸の高鳴りだった。




