恋に焦がれて泣く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす
都会はどうだか知らないけど、地方というのは自販機ひとつすら見つけるのに・・・もとい辿りつくのに苦労する。お店なら尚更だ。
最寄り駅が車で20分なんてことも、バスは1時間に1本なんてことも、そのバスの乗車料金が停留所によって違って後払いなんてことも、歩いて1時間以上誰にも会わないなんてこともざらにある。
今までの人生でこの生まれ育った田舎を出たことのない私にとっては田舎の不便さは瑣末なものだ。まぁ、出逢う人出会う人ほとんどが顔見知り、ご近所さん、知り合いや友人なのはちょっと鬱陶しいって思わなくもないけど。
そんな私の田舎には一軒だけコンビニがある。大手のコンビニじゃなくて、地方限定のコンビニ。つい最近まで、地元野菜を直送で売ってるのはど田舎のコンビニだって知らなかった私は、泊りに行った叔母の家の手伝いで買い物に行った時、野菜がなくて衝撃を受けた。叔母さんはコンビニに野菜が売ってなくて買えなかったって言った私に衝撃を受けてたけど。
ともあれ、ローカルなコンビニエンスストア。田舎なのに24時間営業。はて、需要はあるのだろうか。なんて考えながら、私は今日も夜中に家を抜けだしてコンビニに向かった。
時期は初夏。中間テストという脅威の前に私は一夜漬けという最後の抵抗を試みたんだけど、どうにもお腹が空いた。腹が減っては戦は出来ぬ。もっと言えばおいしいものの方が頭の回転は速くなる。そうに決まってる。ということで、私はいそいそとここに来たのである。
深夜、昼間以上に人影のない夜道はちょっと怖いけど、イヤホンで耳を塞いで携帯の照明で道を照らして、足早に徒歩十分のコンビニを目指した。うん、遠いけど、いい気分転換にはなる。怖いけど。
怖くない怖くないと念仏のように唱えながら夜道を歩き、コンビニの電気が見えてくるとひどくほっとした。ぶつぶつ何か呟きながら歩く女の子の方が怖すぎるって、あとで友達に言われた。
街灯さえ乏しい田舎のコンビニは、明るすぎる誘蛾灯みたいに道路を照らしていて、なんだかそこだけ暗闇から浮いているように見えた。安心したはずなのに、少し不気味だなって思った。
自動車1台通らない道路を無断で横断して、店員さんしかいない自動ドアをくぐった。来客を知らせる軽やかな音楽と一緒に、店員さんの少し眠そうな声がかかってきた。
一瞥すると、店員さんは顔見知りだった。昔はなんのよしみかよく一緒に遊んでくれた少し年の離れた兄ちゃん。今は大学生らしい。ここでバイトして長い。最近はコンビニ以外ではほとんど話もしない程度には疎遠になってしまったけど、今でもそれなりには慕っている・・・と思う。まぁ、要するに、先に大人になってしまった悪友なのだ。
こんな夜中にバイトをするようには思えない眼鏡をかけた生真面目そうな風体だけど、昔は私と悪戯の限りを尽くした相当な悪だ。今は改心したのか、驚くほど生真面目だけど。生真面目だけど。大切なことだからもう1回言うけど、生真面目だけど。
そんな在りし日の私たちですが、まぁ兄ちゃんが変わったことで少し疎遠になった。ちょっと寂しいとか・・・思わない。だって毎晩のように来るコンビニにいるしとか言い訳をしながら、私はアイスが入ったクーラーボックスの前に立った。
夏と言えば、アイスでしょう。まぁ、冬は冬で夏とは違うアイスを食べるんだけど。あまり品揃えはよくないクーラーボックスの蓋を開けると、冷気が腕を撫でて少し気持ちがいい。歩いているうちにちょっと汗をかいたのかもしれない、やだな、せっかくお風呂に入ったのに。
そう自分の行動に眉をひそめたけど、よく考えたら夜に出歩こうなんて思った自分が悪かった。どうすればいいの、このどこにもぶつけようのない気持ち。
もんもんとしながらアイスを物色して、あんみつバニラプリンアイスを引き当てた。バニラとプリン味のアイスにあんみつ系のトッピングがされた棒アイス。うん、リーズナブルだけど得した気分になるんだよね、このアイス。
私は大好物があったことにウキウキしながらレジ向かったけど、途中で足が止まった。
新発売の黄色いコメント用紙が示す先に・・・
「こ、これは・・・。」
私の目の前には、私の好きなお茶のメーカーが新作を出していた。その名も『宇治抹茶ラズベリーショコラレモンミント』だった。
・・・何これ、すごく気になる! どうしてこんな斬新なの!? 苦いのと甘酸っぱいのと甘いのと酸っぱいのと歯磨き粉みたいなすっきりのコラボレーションとか聞いたことないんだけど!
好奇心を大いに刺激される。どうしよう、でもこれを買うとなるとアイスが・・・
私は棚の前で30分くらいうんうん唸っていた。今考えると馬鹿だと思う。でも、この時はとても真剣だったんだよ。人間には、諦めちゃいけない選択をする時があるんだから!
まぁ、結論を言うと期間限定の文字に負けてお茶もアイスも買ったんだけどね。
「ずいぶん悩んでたね。」
レジに行くと私の様子が面白かったのか、兄ちゃんが笑いを噛み殺しながら待っていた。気心知れた仲だから、大して気にしたことないけど、普通は店員さんと世間話ってしないらしい。
「あはは、新作出てるなんて知らなかった。これ、いつから出てた?」
「先週だったかな。」
「ああ、先週は来れなかったんで知らないな。今定期試験前で、追い込みが忙しくて。」
そう、追い込みが忙しい。最終的に追い込まれるのは私の脳みそと職員室の説教部屋なんだけど。
「ああ、もうそんな季節か。頑張っているんだね。」
「いえいえ、そんなことは。」
本当にないので励ましが胸に痛い。
「アイスと言いジュースと言い、君は変わったものが好きだね。これ、うちの店長が変わり種が好きで入荷するけど、買っていくのは君くらいだよ。」
「兄ちゃんは買わないの?」
「いやぁ・・・ネーミングからして美味しくないでしょう。」
いやいや、そんなことないよ。美味しいよ。そういう偏見が視野を狭めるんだよって言うと兄ちゃんは若干鼻で笑ったように見えた。この・・・優等生ぶりっ子め。
もったいないなぁ・・・皆、冒険心を持たないと開拓精神は生まれないのに。
「うーん、新しいものが好きなんだよね。ほら、なんか新天地を開拓するのってかっこいいじゃん。」
「それは前から知ってるけど・・・毎回その新天地で撃沈してるって報告してくれてるのを知ってるだけに、懲りない所は本当にすごいと思うよ。」
褒められたように思ったけど、褒めていないからねって釘を刺された。おかしいな、普通は言った本人が釘を刺すとかないんだけどなぁ。
「はい、毎度。」
「どーも、それじゃあ・・・」
挨拶をしようとして言葉を遮られた。
「それから、あんまり夜中に出歩いたら駄目だよ。」
「いやいや、来れないと生きていけないから。」
愛する私のアイスがないならば、私の脳内は幸せで埋まらなくてよく働かない。埋まったら埋まったで全身を睡魔が襲うだろうって言うのは禁句で。
「そうじゃなくて・・・女の子に何かあったら大変だろう。」
「うーん・・・大袈裟だよ、毎回毎回。そんなのだと禿げちゃうよ。」
「まだそこまで年を食ってはいないよ。」
苦笑いを浮かべる頼りない、軟弱そうな眼鏡の奥で優しそうに目が細められた。
コンビニのレジで少し心配そうにしている兄ちゃんが小さく手を振ってくれたのが妙に印象的だった。
街灯もない寂しいばかりの帰り道、アイスを齧りながら携帯で夜道を照らして歩き出す。食べてる時にイヤホンをすると音が反響して耳が痛くなるからイヤホンはしない。すると、行きは聞こえなかった虫の声がやけに耳についた。
遠くの田んぼから聞こえる蛙の鳴き声と、微かに聞こえる蝉の声。
なんだか無性に寂しくなった。どうしてだかは分からないけど・・・なんだか、昔のことを思い出す。
兄ちゃんと過ごした小さい時の私とか、兄ちゃんが中学校に入ったくらいから私と遊ぶ回数が格段に減って、私が中学に入ったくらいにはほとんど会わなかったこととか。
寂しかった。いつも一緒に遊んだのに、どうして自然に距離ができるのか分からなくて、分からないまま寂しさがぽっかりとした穴になった頃、怖いのに夜中にコンビニに向かった。
『ああ、久しぶり。元気にしてた?』
悪ガキだったけど、真面目だった兄ちゃんは最後に見た時よりも優しげになって、背が伸びて、男の人みたいに声だって低かったけど、何故か私の知っている兄ちゃんそのままだった気がした。
でも口煩くなって、過保護な親みたいな発言が増えた。兄貴風を吹かせる兄ちゃんがいなくなったのはやっぱり今までと同じくらい寂しくて、私はそれが無性に腹立たしくてアイスを大きく齧り取った。
「・・・いた。」
こめかみを押さえると、頭の中に蝉の鳴き声が甲高く木霊して、余計に頭が痛んだみたいだった。
──恋に焦がれて泣く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす
『知ってるかい?』
そんないつもの調子で兄ちゃんが教えてくれた。コンビニの明かりは蛍の光と同じ明るさなんだって。人がたくさん集まるようにって。私があのコンビニに吸い寄せられるのは、きっと蛍の明かりのせい。