3.村
夕暮れ時、馬車は何事も無く草原を駆け抜け、とある小さな村に着いた。
村といっても小さな木造のあばら屋が一〇棟余り集まっているだけの小さな集落。住民はいたとしてもせいぜい五〇人程度じゃないかな?
どちらにしても裕福な村じゃないことは確かだけど…
荷馬車の二人組とはすぐに別れて宿を探すことにしたんだけど、もともと旅行者もめったに来ない場所らしく、宿として商売しているところはないみたい。その代わり村長の家が臨時に宿屋としてよく使われているらしいので、私はそこで泊まれるよう掛けあってみた。
「おやまあ、こんな辺鄙な村にお客さんとは! しかもえらいべっぴんさんじゃのお」
「そんなこと…ないです…」
村長だという背の低い中年の男性が私を見てひたすら驚愕している。
なんでだろ? 自分ではそんな自覚ないのに、いつもこうやって誉められるのよね。
学生の時も変に僻まれてたりしたし、私ってみんなが思うほど美人じゃない。もしそうだとしたら逆に、普通の女の子として目立たない生活を送りたいって、本気でそう思うの。だって変にちやほやされないし、おかしな人にも絡まれにくいと思うし…
「とにかく入りんさい!」
質素なシャツとズボンを着けた村長、というかこの村全てがそんな感じなんだけど、彼は私を強引に部屋に引きこむと、いきなりバタン! と扉を閉めた。
「な、なんですかっ!?」
あまりの手荒さに私は抗議の声を上げる。これじゃあ私、監禁されるみたいじゃない!
けどよく見るとなにか様子が変。何かを警戒するみたいに妙におどおどしてるし。
「ちょっと静かにしてもらえんやろか?」
「…なにかあるの?」
変に不安そうにしている村長は、窓の隅から外の様子をこそこそと観察してる。
どうやらほかの住民も、同じように自分達の家に隠れているみたい。やっぱり何か危険が近づいてるようね?
しばらくして現れたのは…
「なにあれ?」
真っ黒い身体に黒い翼、身体は直立しているブタ、という感じかな? 手足が短くて胴はずんぐり、顔はそのままブタの顔。背中の翼は巨大なコウモリ、と言えばいいかも。ということは…こいつ魔族! 確か豚魔人という人間に暴行をするのが生きがいのモンスター…
「今夜のおいらのかわいいペットはどこかなあ?」
卑下た表情で嘲るように叫ぶピグラス、こいつは特に美女が好きで、捕まえてはあんなこと、こんなことと散々嫌らしいことをしてポイッ、と捨てる、最低なやつだったはず。さほど強いわけじゃないけど、持っている武器が質が悪いのよね。少し大きめの円形楯はともかく、変幻自在な鞭を使うんだもの。
短い足でひょこひょこと歩きながら、村の様子をうかがっている豚魔人、人影を捜して連れ帰るつもりなのね。
いつしか豚魔人は私の隠れている村長の家の近くまで来ていて、残忍に歪んだ表情がはっきり見て取れる。
「!」
何かが豚魔人の表情と重なった。これはなに? そう、あの帰宅途中で私を襲ってきた不良たちと同じ表情だ!
目の前にあの時の有様が浮かんでくる。迫ってくる複数の腕、殴られ、けり倒され、手足を押さえられて…
「…い、いやああぁぁぁっっ!」
思わず大声で悲鳴を上げてしまう。やだよ、あんな経験、もう二度としたくないよ!
耳を押さえてただうずくまり、放心状態のまま震えていることしかできない。けど今ので私は見つかった。あいつは間違いなくここに来る!
膝は震え、とてもじゃないけど真っすぐ立つなんて出来そうもない。けど、このままだとあの時と同じ慰みものにされて、ポイッ、と捨てられるだけ…
例えここがあの仮想世界だとしても、私にはもう耐えられない! 生きたままあいつの暴行を受けるくらいなら、死んだ方が遥かにマシだもの!
けどね、あいつの武器は貧弱な鞭、素直に死ねるとは思えない。やっぱり、なぶり殺しなんだろな…
「見つけたぞおぉ…♪」
私の声を聞きつけてゆっくりと近づいてくる豚魔人の目は、お目当てのおもちゃにありつけたといういやらしい喜びに満ち溢れている。
どっちにしても私に選択の余地はないんだね…
慰みものにされるか、なぶり殺しにされるか…
ううっ、どっちも嫌だよ…
ただへたり込んだまま、ひたすら泣くことしか出来ない私、私の前に誰かがつかつかと歩み寄り…
ばしっ!
不意に私を張り飛ばす。
「あんたどうしてくれんのよっ! あんたのせいで私たち、あいつに狙われることになってるんだからねっ!」
見ると十代半ばくらいの女の子が私の目の前に仁王立ちになって、私をすごい形相で睨みつけている。
「ご…ごめんなさい…」
「謝ってる暇があったら何とかしなさいよっ! あんた剣士なんでしょっ!?」
…剣士…!?
それを言われてふっと思い出す。私、武器持ってたんだ。その気になればもうひとつの選択肢、「豚魔人を倒す」という選択もできるんだ。
これを肝が座った、とでもいうのかな? 決心した時、ふっと震えが止まったの。
私がやらなきゃ、運命は切り開かれないんだって。
すっと立ち上がり、聖なる双剣を抜き放つ。
豚魔人はもう目の前、今にもドアを開こうという段階。
素早くドアの前に立ち、一気にドアを蹴破る!
開け放たれた玄関の前には突き飛ばされて呆然としている豚魔人、私は聖なる双剣を腰溜めに構えて、闇雲に豚魔人へと体当りしていった。
------------
「ありがとうございますじゃ!」
村長は何度も何度も私に頭を下げた。
話を聞くと、この村が貧困にあえいでいたのはあの、豚魔人のせい。
農耕と狩猟を柱に、それなりには裕福に暮らせていたこの村にいきなり来た豚魔人、主に年頃の娘を慰みものにしてはゴミのように捨て、獲物を奪い取ったり農作物を踏み荒らしたりしていたらしいの。
あいつに子種を仕込まれたら生まれてくるのは間違いなく豚魔人、村人たちは泣く泣く餌食となった娘を殺し、怯えて暮らすようになった…
その気持は痛いほどよく分かる。私だってあの夜…
…!
ダメ、想像したらまた変になっちゃう! 何がなんだかわからなくなって…
「いやっ! やめてえぇぇぇぇぇぇっっっっ!!」
私は耳をふさいだ。村人たちが駆け寄り、色々心配そうに声をかけてくる。でも、でも…
(怖いよ…あんな経験、もうたくさんだよ…!)
村人たちの顔がぼやけていく。かき混ぜられるスープのように、ただただ私の周りをグルグルと回る…
------------
気がついたらベッドの上だった。
小鳥のさえずり、そして心配そうに私の顔を見ている中年の女性。
「大丈夫かい? なんかつらい経験をしたみたいだねえ…」
あれから私はひどく錯乱していたみたい。村人を襲う、ということはなかったらしいけど、暫くの間手も付けられなかったみたいだから。
女性は私の目が覚めたことを確認したらそそくさと部屋から出ていった。
硬いベッドから起き上がり、自分の姿を確認する。そばに置いてあった黒一色のジャケットとスカートを着込んで立ち上がる私。
けどさすがに朝は少し肌寒い。季節設定は現実と同じ初夏くらいかなあ?
アームカバーとショールもついでに着けなきゃ。あとはウエストポーチ、と…
そう言えば…ログオフって宿屋のベッドとかでできるよね? 気づいてベットの上に乗り、空中に逆T字を書いてメニュー・ウィンドウを呼び出す。
「ログオフログオフ…と、あれ?」
ついこの間までやっていたゲームだからこの辺にあるはず、と探しても、スタートメニューにはログオフボタンらしいものはどこにもない。他のボタンは今までどおりあるのにね。
「どういうことかなあ?」
悩んでてもわかんないので、オンラインマニュアルを開いてみると…
「な…なんで…!?」
そこにあるのは白紙のページだけで、私の知りたい情報どころか、一切情報は乗ってなくて、本当の白紙だけ。
フレンド情報を開いてみても、登録されていたはずのフレンドなど一人もいなくて…
「本当にあの世なのかなぁ?」
絶対違うと思うんだけど…とか思いつつも、首をひねりながら部屋を出る私。
出るとそこは、昨夜私が無理やり引きこまれた玄関だった。つまり私は、村長の家に客として泊められていたみたい。
奥の部屋は台所で、私を起こしてくれた女性が忙しなく食事の準備をしている。目の前には村長と昨夜の少女がいてテーブルを拭いたり椅子の準備をしたりとこちらも忙しそう。
「おはようございます」
「おお、おはようございますじゃ! 気分はどうじゃね?」
「えと、ダイジョブみたいです」
村長が心配そうに私のことを気遣ってくれている。やっぱり相当取り乱してたんだろうな。けど一度出来たトラウマって簡単に克服できないみたいだし、たぶん私もそうだと思う。
「昨夜はごめんさない、あんなこと言っちゃって」
「いいの、あの時あなたがああ言ってくれなきゃ、私本当にダメになってたから…」
少女もしおらしく頭を下げてくれる。でも、あの状態で最善の判断をしたのはあなた、逆に私がお礼をしたいくらいだもの。
「朝食の用意が出来たようじゃ、ささ、あんたも座らんね!」
「はい」
朝食は胚芽入りの硬い丸パンと野菜スープ、それにミルクと質素なものだったが、それでも家族の気遣いが伝わってくる温かいもの。
思わず溢れそうになる涙をこらえ、私は黙々とパンを口に頬張る。
「近くに大きな街とかはないんですか?」
「近いかどうかはなんとも言えんが、南に丸二日も歩けばラゲルタの街に着くじゃろう」
「そうですか、ちなみにここはどこなんですか?」
「この村のことかね? それともこの国のことかね?」
「両方教えてもらえると助かる…かな」
「村の名はポン、じゃがここを支配している国はないよ」
「そうですか…」
うーん、色々聞いてみても私の知ってるあのゲーム世界の情報とは噛み合う部分がないなあ。
正直ここがどの辺りで、どういう世界情勢かくらいは知りたかったんだけど、たぶんそういうのは大きな街でないとわかんないかも。
「それじゃ、お勘定を…」
ポーチから金貨をいくつか取り出し村長に渡そうとすると、村長は首を横に振り
「村を悩ませていた豚魔人を倒してくれた英雄からはお金はとれんよ、むしろ払いたいくらいじゃ。じゃがわしらも今は食うのが手一杯でのう」
「あ、いいですよ、私気にしませんから!」
村長一家に礼を言い、私は村をあとにする。目指すは南にあるはずのラゲルタという街。
「それでは、またいつか!」
「達者でのう!」
村長一家とは別れを惜しむように互いに手を振り合いながら、私は南へと第一歩を踏み出していた。
書きためていたものを一気に公開してしまったので、続編はしばらくかかります。
せめて月3~4回くらいは狙おうと思っていますが、遅れるかも知れません。
気長にお付き合い下さると嬉しいです。