2,幻想
暗い暗い闇の中、目を凝らすと草原が広がっていた。
見渡す限りの草原。遥か先は闇に覆われて見ることはできないけど、それ以外は全てが低い下草で覆われている。
私の他には誰もいない、広い草原にたった一人で立っている私…
「これが死後の世界なの?」
いくら自問しても答えなんて出てこない。だって答えを見つけるにはあまりに情報量が少ないんだもの。
けど…
死というものにもっと魂の安息を求めていた私には、正直これってただの拷問でしかない。
たった今孤独に打ちひしがれて死を選んだのに、まだ孤独を味わい続けなきゃならないなんて…
ふっ、と自分の姿に目を向ける。
妙に豪華そうな黒い厚手のロングブーツ、って、私こんなかわいいの履いていたかな?
ややミニ丈のふんわり広がった黒いフレアスカート、何か西洋のお伽話みたいな服じゃないかな?
装飾の多さから外衣としてデザインされたらしいビスチェ風ジャケット、これは胸の小さめな私には悲しいものがあるんだけど。
ふわっとした黒いショールに、丈の長いカフス、といった雰囲気の黒いアームカバー。
って、この服なんか見覚えがあるんだけど…
「…まさか?」
昨年までやり込んでたオンラインゲーム、私の愛用してたキャラクターが確かこんな服装してたと思う。けどなんで死後の世界がゲーム世界と一緒なの?
もう孝志に顔合わせられないんだから、何も考えなくていい、すっきりした場所に行きたい。そっか、また自殺すればきっとそんな世界に行ける…よね?
背負っていた双剣をすらりと抜く。細くて軽い、透き通るように真っ白な両刃の直剣、これ、確かに私が使ってた真・ツインカリバーンの最終強化版、聖なる双剣…だよね?
「これなら苦しまずに楽になれそう…♪」
”聖なる双剣に斬れぬものなし”とまで言われた抜群の斬れ味は、「起源龍」と呼ばれる精霊王、膜状の巨大な二対の翼と、六本の太い足を持つ巨大なトカゲの、巨大な足すら安々と断ち切ってしまうというとんでもない代物。人間に使えば撫でる程度でも致命傷を与えることが出来るはず。
刃先を胸に向け、一気に手前に向かって突く!
”自己破壊はシステムによりブロックされています”
手に何の感触も受けないまま素通りする剣と、見慣れた味気ないウィンドウに浮かぶテロップ。なによこれ、自殺も出来ない世界なんて…!
ひどいよ、こんなの残酷だよ! 早く私を楽にさせてよ!
何度剣を胸に突き込んでもない手応えと、無情なテロップ。無駄な努力だと気付いた私は、崩折れるように跪づき、両手を大地に突く。
とめどなく流れる涙はぽたぽたと大地を濡らし、私の視界を奪って行く。
「なんで…なんで死後の世界がここなのよっ…!?」
あまりの情けなさ、残酷さにへたり込み、子供のようにわんわんと泣くことしかできない私、これじゃ死んだって何もいいことないじゃない!
------------
どれくらい泣いたのかな? いつしか涙も枯れ、茫然としているだけの私がいる。
ぐうぅ…
身体は正直です。仕事帰りで晩御飯は食べるどころか作ることもできなかったもの。
…まあ一人暮らしだからろくな料理もできないんだけど…
「とにかくどこか行かなきゃ…」
うつろな表情のまま私はとぼとぼと歩きつづける。どこに何があるか、どこに向かえばいいかなんて私にはわからない。
これがあのゲームの中なら、宿屋のベッドに入り込みさえすればログアウトができるはず。
現実社会ならもう一度自殺だって出来るもの。
でも、やっぱり空腹だけは耐えられなくて、考えてみたら寝坊しかけて朝は抜いてたし、お昼は決算処理で食べる暇もなかったし、そして今…お腹すくのも当然よね。
アイテムポーチのことを思い出して中をゴソゴソあさってみると、出てきたのは一粒の焼き固めた小さな保存食。
忍者が遠い場所に行く時に持ち歩くという携帯食に似ている。決しておいしいものじゃないけど、背に腹は代えられないよね。
ポリポリとかじると、苦いような酸っぱいような、なんとも言えない複雑な味が口の中に広がる。
もちろんお腹が膨れるには全然足りないけど、それでもちょっとだけ安心感が生まれる。
とにかく今を何とかしなきゃ…
そこで、はっ! と気づく私。やっぱり精神的に追い込まれてたから考える余裕がなくなってたのかも。
あのゲームのユーザーメニューにはマップ情報があったはず。
空中に人差し指で横棒を描き、それを指で持ち上げるように縦に指を動かす。
半透明に淡く光るウィンドウ、すぐ下には同じく半透明のキーボード。
ウィンドウのタッチスクリーン、スタートボタンをポンと指で押してメニューバーを出現させる。
「マップマップ、と…」
いくつも並ぶメニューの中から「マップ情報」という項目を探す。あった!
急いで押して画面が変わるのを待つ。
「忘れられた大地?」
マップにはただひたすら、忘れられた大地という平原が表示されている。ズームアウトしても、他には何も表示されない。
途方もなく広大な知らない場所、あるのは思い出したように点在する広葉樹と、ひたすら広がり続ける草原。
「どこに行ったって無意味なのね…」
すべてを諦め、広葉樹の根本に腰を下ろす。仕方ないから今夜はここで寝よう…
もうこれ以上失うものはないもの。
もうこれ以上守らなきゃならないものもないもの…
アイテムポーチから毛布を取り出し、実体化させる。こういう時、どんな大きなものでもデータとして放り込めるアイテムポーチはとっても便利。収納数に制限はあるけど、持ち運べるものとして設定されていれば大きさ、重さも全て無視して持ち歩けるもの。
「いっそ野獣や魔族でも来て、私を殺してくれたらいいのにな」
物騒なことを想像しながら毛布にくるまり、広葉樹の幹に寄りかかる。けど、自殺できないならそれもいいかも知れないね…
------------
「珍しいなあ、こんなとこに人がいるなんてさ!」
「おおかた“城塞都市”から追い出されたならず者だろ? ほっとけよ!」
小鳥のさえずりに混じって、粗野な中年っぽい男たちの声が聞こえる。
馬の蹄の音、荒々しい吐息、そして車輪の軋み。
馬車? 普通の戦士系プレイヤーは「行動が制限される」から馬車を使うことを敬遠するんだけど。
旅慣れたプレイヤーはたいてい馬に騎乗するの。その方が軽快で、スピードも出れば小回りも効くから。それになんといっても「乗ったまま戦える」という点では馬車なんて足元にも及ばない。
もし馬車に利点があるとすれば、「荷物が大量に積める」ことと「移動しながら休むことができる」位のもの。つまり彼らは戦士系プレイヤーではない、ということになるかな?
そんなことは私には関係ないんだけど。
できれば強盗か野獣、魔族あたりが来て私を殺してくれる方がよっぽどいい。
殺してくれさえすれば、こんな汚れた身体などいくらでも差し出すのに…
「おい、見ろよダル! こいつすっげえ美人やぞ!」
「こんな場所にそうそう美人なんているものか! 寝言言うんじゃねぇゲル!」
近づいてきた一人が仲間に叫ぶと、胡散臭そうに叫び返しながらもう一人もやって来る。
そして…
「う、うそだろ…?」
「ほらな? 言った通りだろ?」
どうやら私のことを言ってるみたい。けど私ってそんな美人じゃないんだけど?
「死んでるんじゃねえか?」
「生きてるだろ? とりあえずここじゃ野垂れ死にするしかないから、近くの村にでも連れて行ってやろうぜ」
そんな話をしながら二人は私を揺り起こす。
「嬢ちゃん、行くとこないんなら近くの村に連れてってやるけどどうする?」
「…なに…?」
まさか起こされると思ってなかった私は、さっきまでの話も朦朧とした意識の中で聞いていたんだけど、まさか起こされるとは思わずに呆けた顔のまま相手を見る。
身なりからするとどうやら荷運びの人夫か何かみたい。けどプレイヤーがこんな仕事、選ぶのかな?
「ほーら生きてた、ダル、馬車の荷物ちょっと整理しとけよ! この子乗せなきゃならないんだから!」
「てめえこそブツブツ言ってないで動けよゲル! 積み下ろしは共同作業って約束だろ?」
「あの…私はいいです、ほっといてください…」
二人が私を連れて行く気満々みたいなので、迷惑とばかりにそれを拒否する私。だって、私にはもう生きてく目標も理由もないんだもの。
(…餓死もいいかも知れないね…)
ぼんやりと考えながら、再び毛布にくるまって眠ろうとする私。けど二人はそんな私の気持ちを知ってか知らずか
「何があったら知らないけどな、こんなとこに女の子ほったらかして帰れるわけないだろ!」
「もし次着た時お前さんが死んでたら、俺達人殺しだぞ?」
「…でも…」
「くよくよしたって過ぎたことは変わらねえ、俺達だって今は前見て生きてるんだ! ちったあ現実を見据えやがれ!」
「そうかも…知れないけど…」
相変わらずの優柔不断ぶり、つくづく自分の性格に腹が立ってくる。けどこんなに必死に説得を続けてくれる二人を見てると、何か死ぬのが怖くなってくるから不思議です。
「うん、わかりました…」
押し切られる感じで私は毛布をポーチに仕舞い、ゆっくりと立ち上がる。少しホッとしたらしい二人だけど、私が毛布を仕舞うところを見て目を丸くしている。
「い、今のは魔法か?」
「…魔法?」
何言ってるんだろ? アイテムポーチってプレイヤーの標準アイテムなのに。
けど…魔法ってことにしといた方が後々便利かもしれない…かな?
「ええ、私のとっておきの魔法よ!」
「すんげえたまげた! おれっち魔法見るの初めてだぎゃあ!」
「おらもだ、おったまげだきゃ、なあゲル!」
二人とも腰を抜かしたまま、立つことも忘れて口をパクパクさせている。
なんかその様子がおかしくて、ちょっとだけ笑ってしまう私。あ、初対面の人に失礼だよね? と思いながら慌てて口を閉じたけど。
ぐうぅ…
「あっ!」
よりによってこんなとこでお腹が鳴るなんて! 恥ずかしくてついお腹を押さえてしまう私。
「腹減ってたのか、言ってくれればいいのに」
ダルと呼ばれたのっぽは笑いながらそう言い、馬車の荷台に積んだ木箱から何かをゴソゴソと引っぱり出す。
それは大ぶりの素朴なパン。ただ丸めて焼いただけで、胚芽らしいものなどが表面のあちこちについている。
「食いな、嬢ちゃん」
手渡されてまじまじとそれを見る私と、にっこり微笑んで催促するのっぽのダルとずんぐりしたゲル、その笑顔にのまれておずおずとそれを口に運ぶ私。
「!」
いつも食べている真っ白なパンとはぜんぜん違う、なんとも言えない奥深い味わい。もちろんバターなんてついてないから味なんてあまり無いような気がするけど、複雑に絡み合った風味が口の中に溶け込んでいくことで、「生きている」ことを実感する。
「…おいしい!」
もちろん普通に食事をとっていたらそんなこと思いもしなかったかもしれない。ほんとにお腹が空いていたから感じることの出来た、ただの偶然かもしれない。けど、たった一つのパンで感動するなんて、私ってホント単純だよね。
「なあゲル、お前このパン美味いと思ったことあるか?」
「いんや、こんなクソ不味いパン、旅の途中でなきゃ食いたいとも思わねえが?」
二人は顔を見合わせて不思議そうにしてる。けどね、本当にこのパン、おいしかったよ♪
「ありがとうございますっ!」
私は心から素直にお礼が出来た。お礼をしたら嬉しい気持ちになるってことを知ったのは、これが初めてかもしれないね。
「い、いや、お礼はいいから早く乗った!」
慌ててのっぽのダルが馬車の後ろに空いたスペースを指さして急かす。
雑多な荷物の隅に腰掛け、空を見上げる私。広大な空には小さな綿雲が幾つか浮かび、ゆったりとした時を流れていく。
「行くぜ、嬢ちゃん。次の村までは丸一日かかる。振り落とされるんじゃねえぞ!」
「はーい!」
御者台に座ったのっぽのダルの忠告に、手を上げて答える私。そしてガタガタと走り始める馬車。
(とりあえず今は、この人たちの好意に甘えてみるのもいいかな?)
あながち悪い人でも無さそうだし、と思いつつ、私は食べかけのパンを頬張りながら、後ろに流れていく景色をただずっと見つめていた。
第一部からモンスター名などが一新されています。
たぶんこのお話はかなりの長編になる(というかする)予定なので、こちらが落ち着いたら前作の方をこちらに合わせて修正することも考えています。