夢ではなくて……
カケルの家に泊まったのは本当に久しぶりで、昔と殆どなにも変わってない。古臭い木造の壁も、障子の柱に刻まれた背比べの跡も、床に落ちているものの置き場も。変わっているのは昔ルカと共同で破壊したテレビが新調されているくらいだった。
昨日の出来事が夢だったらいいと思いながらアカリは体を起こし、窓から外を眺める。
とても青く澄んだ空には少しばかり分厚い雲のせいで白く濁っているが、地球で見える空となんら遜色は無い。そんな景色を見ていれば悩みなんて吹っ飛んでしまいそうなものだが、今回ばかりはさらに悩みが増した。
「現実逃避……していたかったなァ……」
空を飛ぶのは虹色の羽を持つ鳥で、その鳥が通った跡には七色の粉が光を反射してとても綺麗に見える。しかしそんな生物は当然地球に存在しない。
昨日は半分夢だという想いがあったので自由に動いたのだが、夜が明けたことによって夢という希望も消えた。夜が明けても異世界へ飛んだという事実を証明させられたアカリは、今度こそ徹底的に心を圧し折られ、少しだけ背中を丸めて膝を抱える。
「まァ、カケル達と一緒に来ただけマシか」
地球に愛着が無いと言えば嘘になるが、そこまで深い愛着があるわけでもない。精々皆勤賞を貰い損ねたことを悔やむ程度だ。
そこで気付いたが、回りにはカケル達の姿は無かった。
まさかそこが夢だったのか!? なんて一瞬疑ったものの、部屋自体がもぬけの殻となっているだけで、先日起こった生活感は少しだけ残っている。夢が現実を浸食するなどありえないので、他の仲間達はいるとすぐに理解した。
「あっ、アカリも起きたんやな。もう朝食の準備は出来とるで」
「おはよ、サナ。他のみんなは?」
「もうみんな目ぇ覚めとるで。イサムは商業ギルドに向かったわ」
商業ギルド? なにしに向かったんだ?
イサムの行動に思わず首を傾げたが、あとで本人から直接聞けばいいと思い、忘れる事にする。
サナに呼ばれたようなので急いで立ち上がり、朝食を食べるために朝食が用意された場所へ向かった。寝起きなのもあって少し足もとがふら付くが、それは壁伝いに歩く事でなんとかして、昨日のことも含めて記憶を整理しながら向かう。
昨日はゲームのギルド対抗トーナメントで優勝を飾って、野次馬に揉まれてしまった。逃げたルカに軽く怒って、いざログアウトしようとした時に変な現象が起きてそのまま気絶。目が覚めたらログインしたときと同じカケルの家だったけど、実は家ごとゲームの世界にトリップしてた。しかも今はゲームの時代から1000年が経過していて、帰る方法はかなり絶望的になってる。そして全員が記憶を細工されて、元の名前を思い出せなくなった。
カケルの曾祖父は家の中に定食屋とは別の台所を作るのは無駄だと考え、定食屋の場所にしかコンロや飲用水道水がない。他の場所はすべて消毒済み水道水だ。飲めないわけではないが、体のことを考えればあまり飲みたいと思えるものでもない。
そんなわけで店の方に顔を出すと、殆どの人が席に着いて朝食を食べていた。何人か欠けている気がするので、未だに眠っているのか早々に朝食を食べて出掛けた人もいるのだろう。
そんな雰囲気の中でもカウンター席に座って六席を確保している仲間たちがいた。
「アカリ君、おはよう」
「おはようなのです、アカリ」
「アカリ、遅ぇぞ~」
「ごめんごめん」
カケルの言葉に軽い謝罪を入れて、カケル達が確保した空席に座る。
みんなEKOの装備は出現させておらず、昨日のままの格好をしている。女性陣は清潔さを保つためになるべく毎日着替えていたいはずだと思っている。特にルカは結構ロールプレイにこだわる方なので、EKOのストレージボックスの中には無駄じゃないかと言いたくなるような衣装の数々があるので、着替える衣装に困る事は無いだろう。
ついでに言うと、ストレージボックスの中に格納している衣装達はそれなりに防御力が高く、余剰効果も中々良い。どんな事態で襲われても自分の身をしっかりと守れるゲーム製の服の方が良い。
しかし今は誰もが昨日と同じ地球の服を着ていたのだ。そのことにアカリは思わず首をかしげた。
「ストレージボックスにある服は着ないの?」
「着替えたい気持ちは山々なのですが、一回全部出してみたら全部大きかったなのです」
「それにうちの場合、効率性を重視してたせいで、いざ現実となったら恥ずかしいし……」
サナの言葉を聞いてアカリは今までのゲーム中のサナの格好を反芻した。
確かにサナの言うとおり、サナがよく着ていた服は露出が激しいものや男らしすぎて女性が着るには躊躇いそうな物ばかり。すごく今更なのだが、よくサナはあんな恥ずかしい格好をしていたものだと内心感心するアカリとカケル。
「あとでサイズ自動補正のエンチャントを組もうか?」
「よろしくなのです!!!!」
その言葉を発した途端に獲物を見つけた猛禽類のように目を輝かせ、鬼気迫った存在感で有無を言わせる了承させるルカ。アカリも思わず首を何度も縦に振って、それでようやくルカが離れてくれた。
「ルカだけええな~」
「蜘蛛の糸で良いなら急いで一着作るけど?」
「是非ともお願いします!!」
器用に椅子に座りながら土下座をしたサナに、アカリはどうやって土下座してるの!?と内心思わなくも無かった。しかし動揺を外に出したら何かに負けたような気がして諦める。
しばらくしてからイサムも戻ってきて、オレ達六人はようやく朝食を注文した。
「それで、イサムは何しに行ったんだ?」
「……少しギルドの情報を聞きたくてな。……アカリの事だから昨日話した以外の情報は聞いて無いだろうからな」
「…………本当によくそこまで頭が回るね」
「……お前の考え込みが足りないだけだ」
昔から言われていた事なのだが、どうにもクセみたいになっているので聞き方が足りないのは自覚していた。イサムの小言は少々五月蝿いが、まったくもって正論なので耳が痛く、大人しく小言をちょうだいした。
「で、アカリの愚行を叱るのはそこまでにしておいて。何を聞いてきたんだ?」
「……とりあえずアカリの言ったとおりギルドはある程度後見人になってくれるようだ。しかも国籍の有無を問わずにな」
「もしかして、前科者でも受け入れてくれるってこと?」
ルサルカがそう尋ねたが、イサムは頭を横に振り淡々と返答を返す。
「……いや、傭兵ギルド以外は前科者を拒否しているようだ。傭兵ギルドが前科者でも受け入れているのは有事の際の貴重な戦力となるからだ」
「あぁ、こういうことやな。国同士で戦争が起こった時、前線に出すのは対人戦闘に慣れた人間の方が効果的。殺し慣れてなか人間は役立たずってことかいな」
「……そうだ」
サナの核心を突いた言葉にイサムは少し苦い表情をしながら肯定した。
一応傭兵ギルドを擁護すれば、国家間で戦争が起こらないように戦力調整には尽力を尽くしているし、本当に危険思考となった者は厳しく間引きしている。
それに加えて状況的に嫌でも前科者になるしかなかった人間だって珍しくも無いのだ。たとえば両親から虐待を受けて、それで犯罪に手を染めさせられたとしよう。この世界ではその人が過去にどんな犯罪を犯したのか知る事は出来ないので、記録としては犯罪に手を染めたとしか分からないのだ。自己申告など本人の意思で自由に改竄できる。
だからその人物がどんな理由で犯罪に手を染めたなど知る気はなく、ただ前科を持っているというだけで門前払いするのがギルド。しかしそういった者達に生きる道を与えるのが傭兵ギルドなのだ。そのおかげで犯罪者のための更生ギルドなどと揶揄される事も少なくは無い。
もちろん危険人物は傭兵ギルドが警告を入れるし、度が過ぎれば問答無用で賞金対象にするので、街にあったとしても問題行動が起こされる場合は少ない。
勿論アカリ達がそんなことを知る由も無いが。
「……話が逸れたな。それでギルドに複数の名義で登録できるのか聞いてみたんだ。それに複数のギルドに登録できるのかもな。……それで両方とも可能だった。もっとも、前者に関してはあまり意味も無いらしい。ギルドはあくまで身元保証しかしてくれず、ギルド側がなにか金銭などを渡す事はないらしい。遺族年金も無いらしい」
辛辣な組織だな、とアカリ達は思ったが実に効率的な組織だとも思った。なぜなら、複数の名義を持つ優位性を完全に崩し、仲間同士の信頼性のみを重視している。あくまでギルドは登録者達の補助に徹しているのだ。
そんな会話をしているところで朝食が来た。
「朝から子供らしくない話をしてるわね」
「お袋は黙っててくれ。これは俺達の生命線なんだ」
「すみません、お宅の息子さんをこんな不良に育てて」
「私達はこんな性格にするつもりはなかったなのです……」
カケルの母の言葉に対して、カケルは憮然とした表情で文句を言い、ルサルカとルカは遊びでカケルを不良呼ばわりした。
「あはは、いいってことよ。こっちもこんな不良に付き合わせて悪いわね~」
「俺泣いていいか!!?」
親友と母に不良呼ばわりされて本当に涙を浮かべながらアカリに吠え掛かった。その剣幕に思わずアカリの体が反応してしまい、アカリの拳がカケルの鳩尾を直撃したのは……夢としておこう。カケルの心のためにはソレがいいだろう。